シュレディンガーのゴミ箱   作:テンガロン

9 / 9
丙:センチメント・ジャッジメント
08.感情の奔流に目覚めるは神秘


 

――そこは洞窟と呼べる場所だった。岩と砂利だけが構成する、闇に支配された空間。誰も尋ねてくる事は不可能な、辺鄙を通り越して秘境とまで呼べる場所にその洞窟は存在していた。

 無音。静寂の上位の表現、無音が広がる。それはどの位の間続いていたのかも分からない。数年、或いは数十年、百の単位にまで上るかもしれない。とにかく、人の身でそれを数える事は無理難題であり絶対不可能な域であった――。

 

「……ん」

 

 しかし、その無音はその洞窟の主の一声によって打ち破られる事となった。ただ、喉を鳴らしただけ。でもそれは、暫くぶりに広がる音であり、洞窟に反響して暫くの間、その主の鼓膜に残り続けていた。

 

「……強い、負の感情……」

 

 目を完全に覚まし、意識を覚醒させ、起き上がったその存在。ぱしゃり、と水が跳ねる音が空気を揺らした事から、どうやらその人物は今まで水の中で眠っていたらしい。その覚醒に呼応するように洞窟をうっすらと灯が照らしていく。

 

「私を……呼び覚ましたのは―― 誰?」

 

 その不明確な疑問に答えられる存在など、この洞窟――いや、この世界には存在していなかった。

 

 

 

 

シュレディンガーのゴミ箱

 

     本編

 

 はじまり  はじまり

 

 

 

 

「――只今入ってきたニュースです 休日の朝、平和な筈の田舎町で恐ろしい事件が発生しました。……事件があったのはシンオウ地方フタバタウン。この町に住む14歳の少年が炎タイプのポケモン、ブーバーンを悪用し、家や人を焼き払うという凶行に及んだ模様」

 

 へぇ、そりゃ物騒な話だ――何事も無かったかのように、柊冬樹(ひいらぎふゆき)は家電量販店に置かれたテレビを眺めていた。時刻は昼の10時を回った所。時間帯はもう朝から昼へと変わろうとしている。

 現在地は、マサゴタウン。フタバタウンから201番道路を越えた先に広がる街だ。フタバタウン程では無い物、やはり田舎町という印象は拭えないだろう。それでも、家電量販店は思いのほか広く、今まで狭い世界に閉じ込められていたも同然の冬樹によっては新鮮な光景が広がっていた。

 

「亡くなった人々の身元の判明は困難を極めているとの事。炎を放たれた家には、シンオウ地方元チャンピオンの家もあり、また、家の中から遺体が発見された事から、これをダイヤ氏と判断する声も上がり――」

(それ本人だってば。ま、放火自体の火力は低めだろうし、遺体を検査すれば死因が包丁で刺された事によるものってのはすぐに分かっちゃうだろうなあ。……そんな検査結果なんて待たずとも、すぐに分からせてやるけど)

 

 邪悪な笑みを浮かべた冬樹。傍に店員がいたら、どうかしましたか、と思わず尋ねてしまうだろう。そのくらい、彼の表情にはドス黒く覆われた、強い負の感情が見え隠れしていた。いや、隠れはしていないのだが。

 

(目撃者をかたっぱしから焼いてった宗次朗クンのおかげで僕の存在はまだ世間に認識されていない――けれど、これじゃ駄目なんだ。あの時は勢いでやってしまったけど、それじゃ駄目なんだ。

 僕を、他の誰でもない、この世に変わりようの無い、代えの聞かない、たったひとりの、憎しみを背負った――この、柊冬樹という名前の僕を! 世間に絶望の存在として認識されないと駄目なんだ。逮捕とか死刑とか、そんな事は元よりどうでもいい――生命を投げ打ってでも、僕の存在を、僕の到来を、僕という名の死神を――そう、分からせてやるんだ)

 

 

「だから、もういいんだ。僕にとって。こんなニュースをチェックする時間も、電化製品の値段を見て『お、これは安い、僕の3000円という少ない手持ちのお小遣いでも買えそうだな』なんて主婦みたいな事をしている暇が勿体無いんだ。そう、僕は――やるべきことがあるんだ」

 

 

 ぼそりと声が出た。それから、まばらな人が転々と集まりだした休日の店内で、冬樹はすうううう、と大きく音を出して息を吸う。それから、腹の底から溢れ出る衝動を、そのまま叫びとして変換し、店中に聞こえ渡るような声の暴力を、解き放った。

 

 

「お集まりのみなさああああああああああああああああん!!!!!!!!!! 只今よりいいいいいいいいいいいいいい  僕が!!!!!!!!!!! この、柊冬樹がッ!!!!!!!!! この店をおおおおおおお、この街をおおおおおおおお、この世界をおおおおおお 全てを、破壊するのでええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

       死にたくない奴は真っ先に死ね。    」

 

 

 

 

 ベルトのボールに伸ばされた手。は、と呆気に取られた声やなんだなんだ、と興味本位で声の方角に近付いてきた人間、どうしたんだ、と集まってきた店員。十人十色の反応がある中。冬樹は――、家電量販店の中に解き放った。破壊と暴虐の化身を。

 

 

「ボーマンダアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 魂の絶叫と共に――招来せしは蒼き龍。高さは冬樹と同じ、もしくは少し高い程度。要するに、1m50cmといった所だろう。勿論、龍とあるだけあって身長こそ低いものの、身体は勿論巨大である。冬樹が10人以上いたとしても。その大きさには適わないだろう。

 ――そんなポケモンを、家電量販店のテレビ置き場に登場させた冬樹の罪は重い。空間に姿を現すと同時に、地面に着地しようとしたボーマンダは数台の展示用テレビやら棚やらを下敷きに、轟音を響かせ、派手を累乗したようなそれはもう目立ちすぎ、というくらいのこれ以上無い程に過剰演出であった。

 

 

「お、お客様――!?」

「うお、ボーマンダだ、すげえ! 始めてみたぞ俺」

「ったく、最近の若者は……店中でポケモンを出すとはなんだ、恥を知れ恥を」

「とーちゃーん! かっちょいいよあのドラゴン! 僕も欲しい!」

「馬鹿、そんな事言ってる場合じゃない! 逃げないと駄目だ!! 今あのお兄ちゃんが何を言ったのか分からないのか!? 店を破壊するだの、死ねだの、絶対にまともじゃないんだぞ!?」

 

 

 

 その父親の切羽詰った叫びは、子供の全身をびくり、と震わせ、店内を静まり返らせる程には充分な物であった。それから、我に返ったように父親にしがみ付いて来た子供。店員は一歩、二歩、続けて何歩か後ずさりし、棚にその身をぶつけて音を立てて引っ掛けられた電池パックを床に落とした。ひ、と情けない声を出して、店員は逃げ去ろうとした。

 

「そうさ、僕はまともじゃない。いや、まともじゃないのは僕だけじゃない。隣町のフタバタウンを焼き尽くした宗次朗クンだってそうさ。それにこの世界だってまともじゃない。はは、なんか痛快爽快愉快破壊……おっと、これは違ったか。まあいい。どうでもいいんだ。全部どーでもいーって事。んじゃ、僕がここに来た不運を呪って普通に死んでね」

 

 

 

 店員は全力で逃走の意志を固め、非常口を目指した。

 父親が子供の手を引いて出口に駆けた。

 怯えた子供は痛いよお父さん、と手を叩いて抗議した。

 老人はやれやれ、としわがれた声で呟きボールに手を掛けた。

 ボーマンダの格好良さに見蕩れた青年も事の大きさに気付いた。

 

 

 全ての人間の行動が重なり、一つの旋律を奏で――

                ――そして冬樹は命じた。

 

 

 

「そんじゃ―― "りゅうせいぐん" 」

 

 

 

 この街で最も"安全な場所"と化した家電量販店から、人々は逃げ出し――冬樹と、老人だけがその場に留まった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。