九校戦三日目、今日も達也はそこそこ忙しく会場内を駆け回っていた。
もともと彼が担当する予定だった競技種目は、女子スピード・シューティング、女子ピラーズ・ブレイク、ミラージ・バットの三種目。
この内、スピード・シューティングだけは雫に任せたため、当初の予定よりは楽な時間配分が出来ていたのだが、そこはやはり広大な富士演習場を会場として使った九校戦。1エリアだけとはいえ会場から会場に移動するだけでも結構な時間がかかってしまうのである。
これは雫の能力が通常の整備手順と異なり「なんとなく」でやっていることが結果的に100パーセント上手くいくだけという、結果論の力でしかないことを他の誰より熟知していた彼がそうさせたが故の措置に起因していた。
魔法師たちは自分の使う魔法に関しては論理的厳密性を追求してくるのが常であったが、一方で自分たちが魔法を使うときに使用するCADには「自分にとって使いやすい物」を求めて、細かい理屈を介しようとする者は少ない。それどころか「権威あるプロの魔工技師を雇って任せることが優れた魔法師の資質だ」と勘違いする風潮まで存在している程だった。
発想が真逆なのである。
『魔法師は魔法を使うプロであって魔工技術のプロではないのだから、CADのことはプロの魔工技士に任せて余計な口は出さない方がいい』とする理屈の途中までは正しい。
だが、『自分にCADを調整する技術がない以上、CADを任せる技術者を見定める目を養うことは必須条件となる』その事実を正しく認識する魔法師はほとんどいない。
技術の進歩に、人の精神が追いついていないのである。
その為に雫の能力も『理屈はよくわからないけど結果的には達也と同じ事が出来てるからそれでいいじゃん』という様な解釈が大多数派を占めてしまって、「リスクと不確実性は根本的に違う」といくら警告しても笑って聞き流されるだけでまともに取り合ってもらえた例しがない。
二十世紀末期から二十一世紀初頭に蔓延していたケインズ主義の曲解が100年以上の時を経て妙なところで、妙な形で再現する事になってしまったのは歴史の皮肉というか何というべきなのか。
とにかく達也としては、皆が正しく雫の能力が持つ未知の危険性を理解していない現状にあっては、多くの場所で腕を振るわせる訳にもいかず、少しだけ自分の負担を軽減させるのに役立ってくれたらそれでよしという程度に割り切っていたのだが。
「あれ? 雫、どうしたの。今日のバトル・ボードは雫の担当でも達也さんの担当でもないはずだよね?」
「・・・んと、ね・・・? やることなく、てヒマな、の・・・。だから何、かやることちょーだ、い・・・?」
・・・いつの時代も親の配慮する気持ちが子に届く事はない・・・。
このとき達也はすでに先ほど、ほのかの元に来たばかりであって、あずさとほのかの二人に請われたため策を一つ授けてから立ち去ったばかりであり、流石の彼もエレメンタル・サイトを常時使用しながら移動する変態ではなかったため、暇を持て余した雫が禁止事項にはない「暇つぶしに友達のところへ遊びに行く事」まで気づくことは出来なかったのである。
「わぁ、本当!? 雫がやる気を出して自分から誰かを手伝おうなんて言い出すのは珍しいね! 達也さんも推奨してたことだし良かった♪
私の分はさっき達也さんにやってもらっちゃった後だから、他の皆に声かけてきてあげるよ。大丈夫まかせて! 頼れる幼なじみの力を見せてあげるからね!」
・・・こうして、普段からやる気を見せない幼なじみの珍しいやる気に使命感を刺激された思い込みの激しいほのかの友情と好意によって事態は急激に悪化していくことになる。
後にこの事を知った達也が天を仰いで何を思ったのか? ――真の凡人である我々に知る術はない・・・・・・
「うーん・・・これは、ほのかに悪いことをしたかな」
俺はバトル・ボードの試合会場である人工水路サーキットコースを見下ろしながら、腕を組んでそう呟いていた。
最初に使った目眩ましの奇策により稼いだリードを守り切ってゴールしたほのかを見ながらの呟きだったためか、隣に座る中条先輩から「どうしたんですか?」と不思議そうに問われてしまう。
「勝った」というレース結果に不安を抱いている勘違いさせてしまったのだろう。
慌てるほどの事ではなかったが、俺としては珍しく素直に『悪い事をしてしまった』と罪悪感らしき感情を抱いてしまっていたためか反応が鈍くなり「あ、いえ・・・」などという余計に不審を買うぐらいしか効果のない言い訳のための枕詞を先に返してしまい、多少気恥ずかしさい気持ちにならなくもなかった。
「このレースは単純なスピードだけで勝てたようですから・・・目眩ましなんて必要なかったな、と」
「はあ・・・でも最初の幻惑魔法でリードを奪えたのですから、作戦として成功しているのでは?」
「ああいう目立ち方をすると、他の選手からマークされるんですよね・・・」
「準決勝は三人一組のレースですから・・・次の試合で、一対二の戦いになってしまうおそれがありますね」
深雪が俺に同調して、補足説明をしてくれる。
それに対して、だが中条先輩は「何だ、そんなことですか」とあっけらかんと朗らかに頭を振るだけだ。俺たちとしては逆に不安を感じざるを得ない。
「そんなことって・・・かなり不利だと思いますけど?」
「そんなこと無くたって、ウチは最初っからマークされてますよ」
「はぁ・・・・・・」
あまりにも朗らかに言い切られてしまい、俺は一瞬だけ彼女が自慢しているのかと勘違いしかけたが、すぐに気づく。
・・・彼女は今、俺に気をつかって慰めてくれたのである・・・。
何というべきなのか、こういうことは慣れてないので控えてほしいと思わなくもないのだが、感謝の思い自体は伝えておくに超したことはないであろうと思わない訳では決してない。
「・・・・・・」
ただ、妹の深雪からブリザードの視線が吹き寄せてくることだけが問題であり、不審点ではあるのだが・・・・・・まぁ、世の兄姉なんて多かれ少なかれこういう問題を抱えているものなのだろう、きっと。
「次のレースまであと三十分以上か~。長いですねー」
様々な事情によりバトル・ボードの競技スケジュールは一時間に1レースで組まれており、俺と違って中条先輩はバトル・ボードを担当する技術スタッフであるため、担当選手の試合が終わったからと会場を出て行く訳にもいかない。次のレース開始までひたすら座って待つだけである。
「・・・・・・」
気をつかってもらった相手を、「はい、それではさようなら」と見捨てられるほど人でなしの社会不適合者になった覚えのないトーラス・シルバーの片割れである俺は、せめてもの例としてブリザードの視線に晒されながら彼女たちと共に次のバトル・ボードの視界開始時間までを共にすることにした。
この事を後に後悔することになるとは知るよしもなく、俺は善意でその場に居続ける道を選んでしまっていたのだった・・・・・・。
そして、あらためて始まった女子一年バトル・ボード予選第2試合目。
その出場選手は、俺の担当する選手ではなく、それどころか話したことさえあまりない文字通り「同じ一高に所属している学生同士」・・・ただそれだけな赤の他人という方が近い関係性にある女子生徒で、確か名前は『菜々美』と言ったかな?
名前だけしか覚えておらず、名字まで思い出せなかった事実こそが俺と彼女の距離を物語っていた。物理的にも精神的な距離においてもだ。
――だが、そんな俺でも彼女について断言できることが一つだけある。
「・・・・・・妙だな・・・」
いぶかしげに呟いた俺の声を聞きとがめたのか、深雪と中条先輩の二人同時にサーキットから目を離して俺の顔を見つめてくる。
「妙・・・、とおっしゃいますと?」
深雪が聞いてきて、俺が答える。
「彼女の能力とスタートダッシュに落差がありすぎていた。たしかに、ほのかと比べれば見劣りするかもしれないが、それでもあそこまで遅くスタートするような選手じゃない。
体調不良かとも考えたのだが、動きを見る限りそういうわけでもなさそうだし・・・一体彼女に何があったんだ? それが分からないんだよ」
俺は目を細めながら対象を見つめ、わずかながら“眼”をつかって覗いてみたが特に異常は見つけることが出来なかった。
自分でも言ったとおり、確かにあの選手『菜々美』は特別優れた選手という訳ではない。ほのかだけでなく、それ以外の九校戦に参加した選手の中には彼女より優れた選手は大勢いるだろう。
だがそれはあくまで各校から選りすぐられた精鋭が競い合う場所、九校戦全体を通してみた場合はの評価であって、七草先輩方などの一部例外までもを加えた全体の評価基準で計るのでなければ、彼女の能力は九校戦参加者の中ではまずまず平均値と言ったところ。高くもないが、低くもない。安定した数値と成績とを保持してきている。伊達に三年連続優勝校の第一高校から代表として選ばれて来ている訳ではない。
にも関わらず、先ほどのスタートダッシュ時に見せた彼女の凡庸さはいささか説明を要すると言わざるを得ない。
彼女本来の力さえ出せたら最低限コンマ3秒は早くスタートできていたはず・・・なのになぜ、こうもゆっくりと安定した滑り出しとレース運びを維持し続けるのか? まるで理解できないし、理屈にもなっていない。
「安定していることはいいことなのではないですか? ハイリスクハイリターンな賭けに出ないのは素直に良いことだと思いますけど・・・」
「相手次第ではそうですね。ですが、今回の場合は最悪の愚策です。
なぜなら今彼女が相手にしている二組の一人は、一年生とはいえ『海の七校』・・・順当にいけば確実に敗れる相手ですからね。賭に出ない限り勝ちの眼はありません」
「・・・・・・今更ですけど、ハッキリ言いますよね、司波君って・・・・・・」
「事実ですからね」
中条先輩から微妙な目つきで見つめられながら、それでも俺は他に言い様もないので公然と相手の心情に気づかないフリをして普通に返事を返す。
「『賭けに出ず安定した走りをする』とは要するに自分の実力だけで勝負すると言うこと。実力差のある相手にこの戦い方で挑むのは、戦う前から自分で負けを確定させてしまうようなもの。勝てる場合があるとするなら、それは相手自ら致命的なミスを犯してくれたときだけ。
運任せで勝てる可能性に賭けて、運がなければ予定調和で敗北を受け入れるというやり方はスポーツマンとして正しい挑み方だと、俺は思いません」
「まぁ、そうかもしれませんけども・・・・・・」
「そんな方法で挑んでおきながら、彼女は先ほどから安定した走りのみに集中して相手の隙を見つけ出そうとはしていないように見えます。
何か策でもあるのか注視していたのですが、その様子もないまま既に二週目の中盤。もはや勝負あったと言えるでしょう。一体何があったのかと疑問を覚える方が、むしろ自然なのではありませんか?」
「まぁ、そうかもしれませんけどもぉぉ・・・・・・」
未だ納得がいっていないらしい中条先輩が、リスのように頬を膨らませる姿から目を逸らし、あらためてサーキットへ視線を戻してみたが・・・・・・やはり状況は変わっておらず、実力差から来る距離の差が徐々に徐々に開き始めていく光景を目にするだけで終わってしまった。
・・・全く何がやりたかったのやら・・・。
強いて言えば一週目の丁度中間で魔法を使用して、機器の誤作動によるものなのかサイオンを拡散させて終わってしまっただけの1シーンが、何かの策を弄そうとして未発に終わってしまったモノではないかと推測できるが、あくまで仮説の域を出るものではない。未発に終わった策略は、いくらでもIFが付け加えられるものなのだから。
――そう思ったときのことだ。
俺の視界が・・・・・・大きく揺れ動き出したのは・・・・・・。
「・・・・・・?」
目をこすって、椅子に座り直す。
・・・間違いない。やはり揺れている。そして、“揺れていない”・・・。
視界に写る光景は激しく揺れ動いているのに、俺自身は不動のまま揺れ一つ感じられずに座り続けているのである。
目に映る光景と、身体で感じる体感の違いが脳を誤認させて、俺の鍛えられた認識さえ影響を受け始めていることを自覚した瞬間、『自動修復』が発動するかとも思ったのだが、それもない。
まったく未知の魔法攻撃によるものかと周囲を警戒してみたのだが、何人かの観客が俺と同じで違和感を覚えたのか狼狽えている姿を見いだしただけで敵意はまるで感じられない。
まったく何が何だか『よく分からない現象』が続く中で、俺は状況を分析して解析しようと情報収集を続けていき、やがてすぐにも答えに辿り着く。
「水が・・・・・・地震を起こしているだと・・・っ!?」
思わず唖然として、その現象を見つめることしか出来なくなる俺。
深雪と中条先輩も同様だ。口をポカンと開けて、ただ目の前で繰り広げられる異常現象を見続けることしか出来なくなっている。
それは正しく異常現象と呼ぶべきものだった。他に呼びようが無い物だったからである。
まず、プールの水が揺れているが、波ではない。波は方向性を持っており、通常は水面を横向きに移動していく代物だ。
だが、この揺れは上下がメインで、横への揺れは追加で付属してきている。この揺れ方は正しく『地震』であり、本来なら地面のない水中でも水面でも起きるはずのない現象である。
言うなれば『地震』ではなく、『水震』。
人類の足場である不動の大地が揺れ動くのではなく、あらゆる生命の生まれ故郷である水面だけが揺れて、水以外には一切の影響を及ぼさずに上下左右に揺れまくり続けているのである。
水は地面の揺れに振り回されることはあっても、水そのものが物質化したかのごとく地に足を生やして揺れ動くことなど有り得ない・・・・・・はずだった。
だが現実に今、サーキットの水面は揺れている。揺れまくっている。立っているままでは危ないぐらいの揺れ振りで、マグニチュードに換算すれば震度5弱ぐらいは余裕で記録できそうなほどの揺れ具合。
当たり前の話だが、レースどころではない。大地震が起きてる最中に、波乗りなどやってるバカは命知らずのギャンブラーであって、体調管理こそが最重要事項のスポーツマンでは断じてない。
が、その一方で揺れは揺れでしかなく、選手たちに危害を与えるモノではないため、立って移動しようとせずに座り込んでボードにしがみついていれば、ひとまず危険は無いようでもあった。
安全地帯から一歩でも出れば、自主責任で大地震が続く超危険地帯入り・・・・・・なんという性質の悪い魔法なのだろうか。作った奴の顔が見てみたい。
この状況の中で、唯一『菜々美』選手だけはスイスイと今まで通り安定した走りでゴールを目指して移動しているところから見ても彼女の仕業であるのは明白だったが、これが反則か否かを決めるべき運営委員からは未だ何のジャッジも出されていない。
然もあろう、バトル・ボードのルールだと『他の選手に魔法で干渉すること』は禁じられていても、『水面に干渉した結果、他の選手の妨害になること』は禁止されていないのだ。
『水面がOKだが、水中はNG』という理屈は適用する方が難しかろうからな・・・コレは本当に・・・どういう位置づけでルール規定すればいい代物なんだ一体・・・?
まぁ、とりあえず。
(――この試合が終わって移動自由な時間になったら、あのバカを探し出そう。殴るために)
暗い決意の炎を胸に宿し、無表情にピースサインをしている馬鹿を頭の中に思い浮かべながら、試合が終わるのはまだまだかと貧乏揺すりを続ける俺を気遣って無視してくれてる左右の二人のためにも・・・・・・。
俺は絶対に・・・・・・北山雫のバカを一発殴る。
「・・・よ、し・・・っ。上手くでき、た・・・っ」
私、は胸の前で「グッ!」って拳を握っ、て不敵な笑いを浮かべ、る。
プールでは水が揺れまくってい、て私のケーサンにもとづいて作ったマホーが『こうなってくれたらいいな』って思ってたとおりの結果を出してくれ、て私は大満ぞ、く♪
「・・・私は、やっぱりやれば出来る、子・・・! 達也さんの言ってたこと、ちゃんと理解できて、る・・・。ひねくれ者はやらないだけ、でやれば出来るの集ま、りだから当然・・・♪」
嬉しくなっ、て思わず「ピョン♪」・・・飛んでみてから気づい、た。子供っぽくて恥ずかし、い・・・。二度と、やらない・・・。
達也さんは言ってい、た。『チョーカンイマホーシキは、魔法を使えない人でも簡単な魔法を使えるようにしたケーサンシキだ』って。
だから私は考えまし、た。いっぱいいっぱい考えました。夜遅くまで起き、てお昼寝し、ていっぱいいっぱい考えたのです。
『チョーカンイマホーシキが、魔法が使えない人にも簡単な魔法だったら使えるようにしたケーサンシキ』だとした、ら『魔法が使える人に難しい魔法を使えるようになるチョーカンイマホーシキ』も作れるはずだっ、て・・・。
だから私、は頑張りました。頑張って作りまし、た。
それがコレで、す。『グラグラの魔法』
「やっぱ、りひねくれ者でも王道は大、事・・・♪ 『ワンピース』♪ 『頂上決戦』♪
白髭『エドワード・ニューゲード』はカッコい、い・・・♪」
あの、『ぐぐっ・・・』ってやって、『ドォン!!』って殴って、『ミシミシバキバキ』鳴り出して、『ズズズズ・・・っ!!』て揺れ出した後に『ゴゴゴゴゴ・・・っ!!!』ってくる大津波はカッコよかった、の・・・♪
「・・・あ、そーだ・・・。できた魔法を達也さん、に見せに行かなくちゃダメなんだっ、た・・・」
達也さん、が毎年出してく、る夏休みの宿題。今年は休みが始まる前に終わらせ、ていっぱいいっぱい遊びたかったか、ら頑張りまし、た。
とりあえ、ず『自由研究』と『自由工作』、はこれでいいよ、ね? うん、大丈、夫♪
「早く達也さん、に見てもら、う・・・♪ たまには私、も褒めてもらいた、い・・・♪」
ちょっとだけスキップしながら移動し、て子供っぽいって気づいてから、は普通に歩く。
ひねくれ者は子供っぽいのは嫌、い。
でも、たまには人に褒めてもらいたいときもあるんだ、よ・・・? 達也さん♪
「・・・・・・ルン♪」
キューコーセンの会場を、達也さんを探すため、にウロチョロする私。
その結果。・・・・・・頭にゲンコツをプレゼントされちゃいまし、た・・・・・・。
なんで~~~・・・・・・・・・グスン(T_T)
「・・・で? お前これ以外になにを作った・・・?」
「・・・自分の乗ってるボートの下だけ凍らせ、てスケボーみたいに走、る『カチカチの魔法』・・・って、痛い!?
・・・なんでブツ、の? 達也さんぅぅ・・・・・・(うるうる)」
つづく
注:雫にとっての作成計画とは『こういう風なのを作りたいと思うこと』です。設計とか計画とか難しい単語は分かっていませんので使えません。