偽典の聖杯戦争   作:tuki21

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幕間1:キャスター陣営の動向

 春日居(かすがい)市、新地区某所。

 その魔術師は二人の弟子を引き連れて、満足げだった。

 五十を過ぎた壮年の男と、二十代の青年二人。

 使い魔越しの視点で見た、聖杯戦争の一戦目。

 春日居港の木暮岸壁で行われた、サーヴァント同士の戦い。

 凄まじい戦闘力だった。心が、否、魂が震えた。

 サーヴァント、サーヴァント、サーヴァント!

 何と素晴らしい。人類史にその名を刻んだ英霊たち、その現代の現身。

 あれを解析してみたいと、心底そう思った。

 降ってわいたように魔術世界に流れた、偽りの聖杯戦争の噂。

 時計塔から距離を置いている男のもとにも届いたその噂に対し、半信半疑ながらも現地に足を運んでみたが、大正解だったようだ。

 惜しむらくは、魔術師の手には令呪が宿らななかったこと。

 サーヴァントは魔術師の魂をつかみ、聖杯戦争に参戦したいという欲求は一秒ごとに膨れ上がっていき、いよいよ制御できないものになっていた。

 自分も聖杯戦争に参加したい。だがそのためにはマスターの証、令呪が必要だ。

 複数のサーヴァントが入り乱れて戦っている以上、聖杯戦争はすでに本格始動した。ならば、もう七人のマスターの席に空きはないだろう。これより先、自分に令呪が宿る可能性は絶無。

 ならば奪えばいい。今現在、聖杯戦争に参加しているマスターを出し抜き、令呪を奪うのだ。そうすれば自ずと契約したサーヴァントもついてくる。

 男は己の空想――というより妄想――に酔っていた。具体的な方策もまだ定かではないのに、もう令呪を手にして、マスターになった気でいたのだ。

 そして、己の中にだけある壮大な計画と、華麗な戦いを思い、笑みを零した。

 

「どうにかしてマスターから令呪を奪いたいものだ」

 

 幸い、彼は心霊医術に対して高いレベルのスキルを持ち合わせていた。マスターを捕えられれば、令呪の摘出は速やかに行われるだろう。その際にサーヴァントもマスター替えに同意するはずだ。するしかない。マスターあってのサーヴァントなのだから。

 だから問題は、どうやってサーヴァントを出し抜き、マスターを捕えるか、だ。

 

「何かいい方法はないか?」

 

 背後についてくる弟子に問いかける。しかし答えは返ってこなかった。

 わからない、知らない、そんな回答もなく、全くの無言。

 

「?」

 

 そこで初めて男は不振を感じて振り返った。

 彼にとって、弟子が自分の後をついてくるのは当たり前で、それがないというのは、太陽が西から登ってくるのと同じくらいありえないことだった。

 しかしそのありえないことが起こった。

 誰もいない。弟子たちの姿も、ほかの通行人の姿も。

 

「あ?」

 

 呆けた男の五感のうち、まず刺激したのは嗅覚だった。

 鼻腔に漂う粘ついた臭い。

 血の臭いだった。

 

「ッ!」

 

 ガチン。瞬間、男の思考回路が戦闘用のそれに切り替わる。

 だがすべては遅かった。男はもっと早くから、周囲を警戒し、細心の注意を払って行動し、そしてすぐに逃げるべきだった。

 男の視界を、何か巨大なものが横切った。

 鼻腔を刺激するのは獣臭い息遣い。

 遅すぎた結果、彼はすさまじい衝撃とともに意識が暗転した。

 ゴキン。男が最後に聞いた音は、己の首の骨が折れる音だった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 春日居市内某所、???。

 魔術師が目覚めると、そこは闇の中だった。

 体が動かない。男に継承された魔術刻印のおかげで、首の骨を折られても命は拾えた。だが、魔術刻印が持つ、刻印の継承者を死なせない力をもってしても、修復に時間がかかり、男の身体は首から下がピクリとも動かなかった。 

 感触はある。体の左側に何か硬いものが押し付けられていると思ったが、違う。どうやら自分は左側を下にして寝かされているらしい。ごつごつとした感触は、岩肌か何かだろうか。

 とっさに、洞窟の中だろうかと推測する。

 とにかく、自分は何者かに襲われ、囚われた。

 一体何者だろうか。聖杯戦争の参加者でもない自分を拉致して、何かメリットがあるのか。

 と、痛みで散漫になる思考をかき集め、男がそう考えていた時だった。

 ゆっくりとした歩みで、人影が現れたのだった。

 女だった。

 息を飲むほどに美しく、そして妖艶な女だった。

 その豊満な胸も、くびれた腰も、張りのある尻も、自然の美というべきか、その美を表現できずに世の彫刻家が絶望し、自ら命を絶ってしまうような、隔絶した美しさだった。

 ウェーブのかかった黒髪はつややかで、それが一房ずつ、女の胸にかかっている。ファーのついた、何かの獣のコートを羽織り、その下、上半身は他に何も纏っておらず、下半身は血のように赤いイブニングドレスのスカート姿。

 足跡もなく、しかし別に忍び足をしているでもなく、当然のように悠然と、男のもとに歩んできた。

 暗がりに目が慣れてきた男は、女の瞳が血を固めて宝石したような、輝く真紅であることに気づいた。

 

「目覚めたか。悪くない魔術刻印の質よな」

 

 社交界の注目を集める貴婦人のように悠然と、女は魔術師に歩み寄った。

 ゆっくりとかがんで、男に向かってほほ笑む。その笑みを向けられるためならば、何でもする。そう思う男は数多いるだろう。魔術師もその例にもれなかった。

 嫣然と浮かべられた微笑。退廃的でありながらも、そのあるかなきかの気怠ささえもアクセントに、女の笑みはどこまでも魔術師の心をつかんだ。

 魔術的な魅了ではない。そもそも男は魔術師だ。魔術刻印が彼の延命に全力を尽くしているといっても、ただの魅了(チャーム)に抗うことはそう難しくない。

 だからこれは魔術ではない。ただただ、女の美が、男の魂を掴み取ってしまったのだ。

 男は思う。この笑みを向けられるのならば、何をしても後悔しない。()()()()()()()()

 

「妾は安堵したぞ。妾の子供たちは強靭だが獰猛ゆえに、そのまま頭部まで噛み砕かれてしまったかと思ったぞ」

 

 傲岸不遜な話し方。人の、生物種の上に立つのが当然と言わんばかりの態度で、女は男の顎に指をかけた。

 その感触と言ったら! 男は全身を身震いさせた。もしも今少し若ければ、そのまま絶頂に達して射精していたかもしれない。

 つつっと、女の指が男の顎を輪郭に沿って撫でた。

 初心な小僧でもあるまいに、男は背筋に走る快楽の波に抗えなかった。言語にもならない喘ぎを零す。

 蠱惑さが毒のように滴るのに、女の仕草にはどこか母親のような寛容さ、懐深さがあった。

 

「そう―――――」

 

 だから、続く言葉の意味を理解できなかったのか。否、理解しても、女の美しさに取り込まれてしまった魔術師は、同じ返答をしたであろう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「なんだ、その程度。大したことじゃない」

「くくっ。当然だ。むしろ我が子の糧になれた栄誉を喜ぶがいい」

 

 くつくつと、女王のように笑い、女は立ち上がった。

 男は満足に動けぬ体で足掻いた。女の姿が視界から消えてしまうことが恐ろしかった。あの美を、もう二度とみられないなんて耐えられない。それならば、死んだほうがマシだ!

 誠心誠意の彼の祈りは天に聞き届けられた。女が再び、その顔を魔術師に見せてくれたのだ。

 

「では、妾から貴様に命じよう」

「ああ、ああ。何でも言ってくれ。何でもする、なんだってする」

 

 女は満足したように吐息して、そっと男の頭を両手の間に挟んで、軽く上に上げた。

 首の骨はいまだ治療中ゆえ、激痛が男の身体を走ったが些末事だった。女が自分の頭を持ち上げてくれている、その幸福に比べれば、この程度の激痛など痛みに範疇に入らない。

 

()()()()()()()()()()()()()

「お安い御用だ」

 

 一瞬の躊躇もなく、男は言った。

 女に声をかけてもらえ、微笑んでもらえ、触れてもらえ、この上食して貰えるとは! これ以上の幸福はない。この女と一つになるのだ!

 

「躊躇のない返事、良い心がけだ」

 

 女は満足したように微笑んだ。無垢なる少女のような、その裏で嗤う淫蕩な娼婦のような笑顔。男はこれまでを凌駕する幸福を噛み締めた。掛け値なしの、人類最後にして最大の幸福を。

 

「では――――いただきます」

 

 傲然さを捨てた、丁寧な咀嚼の言葉。

 その声が、男が最後に認識した女の声だった。

 

 

 暗闇の中、全てが元に戻った。

 女は口元についた血を拭い、獣のように笑った。

 いつの間にそこにあったのか、安楽椅子に腰を下ろす。

 その足元の闇に、のっそりと動く巨体があった。

 闇に覆われたこの場では詳細は分からない。ただ、輪郭から四足獣であり、大人三人分は優にありそうな巨体であることはうかがえた。

 安楽椅子に座った女はゆっくりと手を伸ばし、足元に寝そべった“獣”の背を愛おし気に撫でた。

 

「くくっ。今は眠れ。あの魔術師との間に生まれた、我が子よ。いずれ戦いのときが来る。それまでな」

『上機嫌で何よりだ、キャスター』

 

 女王というより、母のような優しげな声音で“獣”に語り掛ける女、否、すでにその正体は知れている。

 魔術師を食らい、その魔力を取り込み、そして“獣”を使役するその姿、人間であるはずがない。

 サーヴァント。今しがたの念話がその正体の裏付けだった。

 

「マスターか」

『成果は? お前の宝具の調子はどうだ?』

 

 キャスターに語り掛けるのは男の声。

 恐ろしく個性を欠いた声だった。

 高くもなく、低くもない。抑揚を欠いており、感情をこめているのかもわからず、平淡で冷淡。()()()()()()()という矛盾した言葉がキャスターの脳裏をよぎった。

 

「妾の子らは順調に育っておる。だがやはりというべきか、この時代の魔力(マナ)では、妾の子らの力も十全とはいかぬ。それでも、並のサーヴァントに遅れはとらんさ。やはり、神代の、あの芳醇な魔力(マナ)でなければ、この子らも真に自由に生きることはできぬか。それとも、テクスチャ自体が合わぬのか……」

『まぁいい。せっかく聖杯戦争の噂を流し、多くの魔術師をこの地に呼び寄せたのだ。お前の宝具を存分に使い、戦力を増やせ。父親候補なら、いくらでもいる』

「同性でもいいのだがな。しかしやはりもっと質の高い魔力がいい。ああ―――――。生前のような、万夫不当の英雄との間であれば、きっとかつてのような子供が産めるはずなのだが」

『考慮はしよう。あとで今夜の戦況を伝える。映像をつけてな。それで目星でもつけていろ』

 

 念話終了。人間味というものを全く感じさせないマスターだったが、やろうとしていることには協力すると約束している。何ら問題はない。

 そしてマスターの方針は、キャスターにとっても望むところだった。

 子を産み、この地に増やす。それはキャスターにとっての本願でもあった。

 

「今度こそ、妾は実現してみせる。妾の子供たちが真に謳歌できる世界。作り出してみせるぞ」

 

 キャスターの声は陰々と、暗い空間の中を漂っていった。

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