偽典の聖杯戦争   作:tuki21

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第13話:二日目① 変えない日常サイクル

 聖杯戦争二日目、昼。春日居(かすがい)市旧地区、祠堂(しどう)邸。

 太陽が中天近くに昇っていく。これからどんどん日差しが強くなるだろう。もっとも、冬に近いこの時期ならば、そう暑くなることもなさそうだが。

 昨夜、即ち聖杯戦争一日目を乗り越えたセイバーのマスター、祠堂(つかさ)は、昨日と同じように、日々のサイクルの繰り返しに戻ろうとしていた。

 

「それじゃあ、行くかな」

 

 玄関先で改めて今日の授業で使うものを確認し、司はバッグを肩にかけた。

 僅かに耳にかかる程度の長さの黒髪、僅かに灰色がかった黒い瞳。やや童顔。眼鏡の似合いそうな温和な雰囲気だが裸眼。薄赤色のシャツに黒のスラックス、その上に薄手のコートを羽織った姿。そのコートの中には礼装、とまではいかないが、魔術的な道具、即ちいくつかの呪具が仕込まれていた。

 

「本当に、行かれるのですか? マスター」

 

 その背中にかけられる心配げな女の声。彼のサーヴァント、セイバーの声だった。

 

「大丈夫だって、昨日話しただろ?」

 

 振り向いた司が優しい声音で言う。笑みは穏やかで、とても聖杯戦争に身を置き、その危険性を、サーヴァントに襲われるという最悪の形で身をもって知っているマスターのものとは思えない。

 司は両の目でセイバーを見つめた。

 視線の先にいるセイバーは、物憂げな表情をしているが、そんなものは彼女の美をいささかも損なわせなかった。

 後ろで束ねて一本の三つ編みにされた金髪は月光の結晶の如し。晴れ渡った夜空のような青い瞳、清楚な雰囲気なのに妙に扇情的な肢体。戦闘時の露出の多い鎧姿ではなく、今は司が与えた彼の姉の服――簡素な白のブラウスと藍色のジーンズ――を身にまとっているが、それでもどこか高貴な雰囲気を思わせる。

 無意識に感じる高嶺の花。そんな風情の女性だった。

 だが見た目は美しい女性のものでも、その内に秘めた戦闘能力は現代兵器をはるかに凌駕する幻想にして異能のもの。

 サーヴァント。人類史にその名を刻んだ英霊。それが彼女の本質だった。

 

「それは、そうですが……」

 

 心配げに目を伏せるセイバー。無意識に右手の甲を唇に当てているのは、ともすれば零れてしまいそうな()を隠しているからか。

 そう、牙。契約を果たしても、今だ真名を明かさない彼女は、確かに牙が生えていた。吸血目的の、だ。

 英雄というよりも、それに倒される魔物、人類の敵対者、反英雄を思わせる特性なのだが、根本的に楽天家なのか能天気なのか。司は一向に気にしないし、むしろ頑張って牙を隠そうとしている彼女(セイバー)を可愛いとさえ思っていた。このあたり、司は一般人どころか魔術師としても感性がどこかズレていた。

 微笑むマスターを見ながら、セイバーは昨日の夜、司から聞かされた、春日井教会の話を思い出していた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 聖杯戦争一日目、深夜。春日居市新地区、春日居教会。

 セイバーの召喚に成功した司は、ランサー陣営であるシスター・キャロルこと、キャロル・スコットと、同盟を締結した。

 首尾よく組まれた同盟。ゆえにか、司はまず切り出した。

 

「じゃあ、シスター・キャロルの思惑通りに同盟が組まれたので、情報をください」

「……すでにわたしのランサーの情報を渡したようなものですが? ついでに、その実力と、宝具も、一端とはいえ開示しましたが?」

 

 言下に目が言っている。それでは不満かと。司はこくりと頷いた。

 

「ええ、ですね。なので同盟は組みました。しかしですね、シスター・キャロル――――」

 

 キャロルが淹れてくれた二杯目の紅茶を飲みつつ、司は言った。

 

「ランサーが襲撃したおかげで、我が家の防衛機構はほとんど壊滅状態なんですよ。あれじゃ工房としてもちょっと心もとないし、聖杯戦争の拠点としても寂しいですよ」

「う」

 

 ピタリと、紅茶のカップを持ち上げていたキャロルの動きが止まった。

 

「あれはちょっと俺じゃ直せないですね。ランサーがやりすぎてしまったばっかりに。いえいえ、いいんです。俺が悪いんです。俺がシスターの思惑通りにとっととサーヴァントを召喚していれば、こうはならなかったんですから。俺の自由意志が全力で無視されていますがシスター・キャロルにとっては些末事だったわけですし」

「ぐ、ふ――――」

 

 そのシスターが淹れてくれた紅茶の味を楽しみつつ――パック品なので残念ながら香りはあまり楽しめなかった――司の言葉が見えない針になってチクチクとキャロルを苛んだ。

 おほん。と咳払い一つ。キャロルはすっと姿勢を正して、言った。

 

「仕方がありません。同盟を結んでくれたのですから、こちらから情報を提供しましょう。サービスです」

 

 何事も突撃精神なキャロルは、こういう時自分の行動に足元を掬われるんだよな。そんな口に出したら間違いなく鉄拳が炸裂することを思いながら、司もまた姿勢を正した。経緯はどうあれ、提供される情報は信用できる。何より、人の厚意は素直に受け取ろう。たとえ良心に訴えて引き出したものでも。

 

「一週間前、まず霊基盤にキャスターの召喚が確認されました」

「キャスターの……。いえ、当たり前かもしれませんね。キャスターのクラススキル、陣地作成は、かけられる時間が多ければ多いほど高い効果が得られる。先に工房――あるいはそれ以上の神殿か――を設置できれば、そこでできることは数限りない」

 

 司の言葉にキャロルは首肯した。

 

「そして、そのあとに教会に使い魔を介した連絡がありました。連絡の主はこの土地、春日居の管理者(セカンドオーナー)如月雷葉(きさらぎらいは)。内容は簡潔に、聖杯戦争の参加を告げるものでした。こちらからの返答要請には一切答えず、一方的に用件だけ伝えて以降、如月雷葉は屋敷に引きこもっています。

 ですが、偵察に出たものの報告から、如月の屋敷は現在、工房をはるかに超える魔術的防御によって覆われた、まさしく要塞という有様だったとか。ならば如月雷葉が召喚したサーヴァントが何か、もはや霊基盤を見るまでもありませんでした」

「キャスター、ですね。もしもキャスタークラスでまっとうな魔術師の英霊が召喚されていたのなら、『陣地作成』スキルで屋敷自体を魔術的な要塞にするのは難しくない」

 

 司の指摘に、キャロルは首肯した。

 

「仮にキャスターが魔術師の英霊でなくとも、宝具を使えばやはり似たようなことができるでしょう。神代の幻想が昇華された宝具は、一体何が起こるのか想像もつきません」

「サーヴァント自体が想像の埒外だと思いますよ」

 

 肩をすくめる司。紅茶を飲み、続きを促す。

 

「その後はわたしがランサーを召喚し、そしてアーチャー、ライダー、アサシン、バーサーカーが間を置かずに召喚され、今夜、最後のセイバーが召喚された次第です」

「他のマスターについて、何か知っていますか?」

 

 司の質問に、今度はキャロルは首を横に振った。

 否定の返事。ため息とともに続ける。

 

「今回の聖杯戦争は魔術世界に大々的に宣伝されました。そのため、多くの魔術師がここ春日居の街に入り込んでいます。その中からマスターを見極めるのは極めて難しい」

 

 そしてこの情報は手札に秘めているが、どうもアメリカ合衆国の影もちらついているらしい。かの先進国が本格的にこの聖杯戦争に関わってくるのか、それとも一マスター、一魔術師レベルの介入にとどまるのか、見極めなければならない。不確定ながら、合衆国もまた、偽りの聖杯戦争を画策していたらしい、という情報も嘘か真か、ある。

 聖堂教会の情報網をもってしても掴みきれない曖昧模糊とした情報なので、裏付けさえ取れていないが、心に留めておくに越したことはない。

 

「つまり、あと四人、外様のマスターがいるのですね」

「魔術協会から元封印指定の執行者がこの街にやってきているようです。もしも彼がマスターとして選ばれたのならば、強敵が一人増えますね」

「そうですか……」

 

 それと、とキャロルは右手人差し指を立てて言った。

 

「ライダーがどうなったか、貴方は見てますか?」

「ライダー? すみません、俺はその時、逃げるのに夢中で、残念ながらバーサーカー登場から先の戦況は見てないです」

「そうですか。まぁいいです。実はあの後、ライダーが討ち取られたのです」

「ライダーが?」

 

 これには司も驚愕した。同時に、逃げるのに夢中だったとはいえ、戦況の確認を怠ったことを後悔した。

 サーヴァントの脱落。それは自分が勝利に向けて一歩近づいたことだが、その相手を倒したサーヴァントの実力が知れなかった。もしも戦況を傍観できていたならば、ライダーを打倒したものの戦い方やスキル、宝具の断片を掴めたかもしれないのに。

 

「ですが、そのライダーが復活したようです」

 

 そんな司の思考は続くキャロルのセリフによって遮られた。それも、かなり聞き捨てならないことだった。

 

「復活?」

「ライダーは確かに、一度霊基盤からも消滅しました。ですがその後、霊基盤にライダーの復活が確認されました。霊基盤の故障という線はなさそうです。なので、復活というよりは、再召喚になるでしょうか」

「再召喚……。ライダーの宝具の能力ですよね、たぶん」

「他にありえなさそうですからね。ですがこれは、逆に言えばライダー組の方針が読みやすいということです」

 

 司もピンときた。

 

「脱落を誤認させたアドバンテージを生かして、ライダーには影に徹しさせる。水面下で動き、来るべき時にアサシンのように背後から敵を討つ、ですね?」

 

 司の言葉に、キャロルは満足のいく回答を導き出した生徒を見る教師のような笑みを浮かべた。

 

「そしてもう一つ、わたしには気掛かりなことがあります。司君、これは君にも無関係ではありません」

「すでに俺が無関係な事柄があるとは思えませんが、なんですか?」

「簡単です。ランサーが貴方の家を襲撃した際、当然祠堂の屋敷にあった防衛機構は発動したんですよね?」

「はい。もっとも、秘蔵の使い捨てゴーレムも一蹴されてしまいましたけど」

「ですが、ランサーはセイバー以外の攻撃で手傷を負いました」

「あ」

 

 そうだった。司も真正面からまじまじと見たわけではないが、祠堂の屋敷の玄関口。その地面から、黒く伸びる腕が飛び出し、それがランサーの背中を抉ったのだ。

 

「あれは何でしょうか? 祠堂秘蔵のトラップですか?」

「それは――――分かりません」

 

 シスター・キャロルの眉が顰められた。司が情報を伏せていると思い、不機嫌になったようだったので、司は慌てて「違います」と首を振った。

 

「あれ、俺も知らないんです。そもそも現代の魔術師のトラップで、『対魔力』スキルAランクのランサーに傷を負わせることはできませんよ」

 

 もっともなので、キャロルも不機嫌さを霧散させた。では、考えられるのは――――

 

「他のサーヴァントにすでに侵入されていますね、祠堂の館」

 

 敵サーヴァントの宝具、そう考えるのが最も自然流れだ。司もその可能性には思い至っていたのだろう。頷いて、告げた。

 

「一応、ランサー撃退後、意識を取り戻した後にセイバーと一緒に屋敷の敷地内を調べてみたんですけど、ほかに異常はありませんでした。不安は尽きませんが、罠はあそこだけだったと思います」

「まぁ、無警戒で玄関の敷居をまたいだ瞬間、宝具がズドンとくればひとたまりもありませんからね」

 

 実際、司が戦場をのぞき見などせず、まっすぐ家に帰っていればあの腕で抉られていたのはランサーの背中ではなく司の心臓だっただろう。その事実に思い当たった時、司は背筋が冷える思いがした。

 

「問題がないのならいいのです。そして、これは分かっていると思いますが、わたしたちが水面下で手を組んでいることは漏らしてはならないこと。なので今後の方針もここで決めてしまいましょう。司君、貴方は明日、どうするのですか? それと、聖杯戦争全体の方針も聞いておきたいですね」

「聖杯戦争の方針は足で稼ぎます。残念だけどこっちには情報も伝手も何もありませんので。夜ごと()()()()なところをセイバーと一緒に回って、誘い出すしかない」

「なるほど。道理ですね。では遠方にランサーを配置し、戦闘状態になったら挟撃しましょう。あくまで、ランサーは偶然居合わせた、という体を取ります」

「了解。昼間ですけど、そうですね――――学校へ行きます」

「……は?」

 

 司の返答が意外だったのか、キャロルは開いた口が塞がらない、というように顎を落としたまま固まってしまった。

 そんなキャロルの反応がおかしかったのか、司は訝し気に眉を顰めた。

 

「いや、学生が学校行くのは当然でしょう? 別に俺は不登校じゃありませんし」

 

 本人としては当たり前のことを言っているのだが、キャロルには異次元の会話だった。

 

「貴方、自分の立ち位置、分かっていますか? 敵がいつ、どこにいるかもわからないのにふらふら出歩くと? 少し警戒心が足りないのですはないのですか?」

 

 聖杯戦争とは文字通り、「戦争」なのだ。一定のルールは敷かれているが、それ以外は極論、何をしても、誰を巻き込んでもいい。そう考えるマスターがいてもおかしくはない。そしてそんなマスターがどんな行動に出るか? それを推し量れないのが恐ろしく、そして危険なのだ。

 ならばマスターは自らの拠点や工房にこもり、必要時以外は無暗に出歩かない方がいい。勿論、聖杯戦争は基本的に夜に行われる以上、昼間から強襲をかけるような浅慮なマスターがそうそういるとも思えないが。

 

「学校にはセイバーもつれていくから問題ないと思います。うちの大学オープンだから、部外者いても咎められないし。食堂でも近所の人が食べに来ますし」

「ですが―――――」

「それに、祠堂の館は場所がばれてるけれど、その防衛機能は著しく低下していて、せいぜい警報くらいしか十全に働かないんですよ。そもそも敵のサーヴァント、二騎も侵入してますし。そんなんじゃ籠城だってできません」

 

 キャロルは沈黙した。それを持ち出されると、彼女はとても弱い。

 内心の葛藤を心の中の棚の上に追いやって、キャロルは表面上穏やかに、さも聞き分けの悪い弟に根負けしてしまいましたと言わんばかりの溜息を吐いた。

 

「仕方がありませんね。それに、常に日常と変わらない行動をとるというのは、ほかのマスターには不気味さと映ってかえって警戒心を煽り、安全かもしれませんしね」

 

 そこで司は左手首に巻いた腕時計に目をやった。もう結構時間がたっている。

 (いとま)のし時だ。そう思い、ソファから立ち上がった。

 

「じゃあもう遅いので。今日は帰ります。連絡はスマートフォン(これ)でいいですか?」

「その方が魔術師の目をそらせると思いますので、かまいません。では」

 

 一礼するのは今現在、この場を預かるものとしての矜持か。キャロルは姿勢のいいお辞儀を披露し、司を見送った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 回想終了。自分のマスターは自分の考えを変更するつもりはないようだとセイバーは結論付けた。

 ならばサーヴァントとして、マスターを守るために全力を尽くさなければなるまい。そのためにセイバーも同行を希望した。戦装束を人前に晒し続けるのは抵抗があるので、マスターが用意してくれた服を着て、つまり実体化して同行すると申し出てみた。

 これは、さすがにマスターの立場もあるし、断るだろうと思ったし、ここで実体化しての動向を主張すればマスターも、学校行きを諦めてくれるかもしれないと、そんな打算もあった。

 ところがマスターはあっさりとオーケーを出してしまったのだ。

 ならば仕方がない。自分はサーヴァントとして、全身全霊でマスターを守るだけだ。

 それに、正直なところ、現代の教育機関というものに興味もある。

 

「じゃ、行こうか。あ、セイバー。これ持って」

 

 そんな思いを断ち切るマスターの声。

 投げ渡されたヘルメットを反射的に受け取って、セイバーはことりと首を傾げた。

 

「あ、はい、かしこまりました。ですがマスター、今日はバスというものを使うのでは?」

 

 聖杯によって召喚されたサーヴァントには、その時代の基礎知識はたいてい叩き込まれている。それは現地の言葉もだし、現代に流通している乗り物もある。主要な交通機関であるバス、電車の知識ももちろんある。

 今日の朝、司からは今日はバスで大学まで行こうとセイバーは聞いていたのだ。

 

「そのつもりだったけれどさ、いざって時に足は欲しいし。だからバイクにした。二人乗りになっちゃうけどね」

 

 苦笑する司もヘルメットかぶった。

 玄関扉を開ければ昨日の惨状はまだそのままだ。一応、簡易的とはいえ、司が人目を避ける結界を張ったので、誰も祠堂家の破壊された前庭や中庭を注視したりしない。

 まず司が跨り、エンジン始動。後ろにセイバーが乗る。背中に当たる柔らかい至福の感触について一瞬凄まじく意識したが、魔術師的思考の切り替えによって棚上げした。

 出発進行。エンジン音を轟かせながら、二人乗りのバイクが街を疾走した。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 二日目、早朝。春日居市新築、某所。

 その家にはかつて新婚の夫婦が住んでいたが、夫の転勤に伴って一家そろって引っ越している。

 空き家になったその場所を、タイミングよく一人の外国人が買い取った。

 ただ、その外国人は近所付き合いは一切せず、どころか、出歩くのも人が出歩かない夜中だし、引っ越し当日以外その姿を見た者はいなかった。

 気味の悪い隣人。そんな風に周囲の何も知らない人々からは思われていた。

 だがそんな不安ももはや意味はない。なにしろ、この家の持ち主がここに帰ってくることは二度とないからだ。

 この家の現在の持ち主は、昨夜春日居港の木暮(こぐれ)岸壁で死亡している。それも心臓を抉り取られるという凄惨極まりない方法で、だ。

 アーノルドという名だった魔術師が、バーサーカーのマスターとしてこの偽りの聖杯戦争に参加し、命を落とした。その遺体は現在すでに病院に収容されている。

 だから、ここに人が来ることはない、はずだった。

 確かに人間はこの家に来ていない。

 だが、人間以外の存在が来ていた。

 民家のリビング。質素な家具だけが置いてあるそこに、巨大な影が出現していた。

 影と見えたのは黒銀の鎧。

 肩と膝に、牙を上下に打ち合わせたような禍々しい意匠を施した甲冑で、右肩部分に何かを削り取り、さらに焼き潰した跡があった。

 今は亡きアーノルドのサーヴァント、バーサーカーだった。

 バーサーカーは何をするでもなく立ち尽くした後、()()()

 己はマスターを失った。現世にとどまる要石を失った。このままでは遠からず消滅する。一秒後にも消えてもおかしくない。

 消えるわけにはいかない。まだ、マスターの最後の命令を果たしていない。

 奇跡は起きた。アーノルドが死に際に使った三画全てを使った令呪。

 バーサーカーに、聖杯戦争を勝ち抜く知性を与えること。

 アーノルドの執念か、これが偽物の聖杯戦争ゆえにシステムにバグや抜け道があったのか。とにかく、今現在のバーサーカーは、聖杯戦争に関することに限り、他のクラスのサーヴァントと変わらぬ知性と理性をもって思考することができた。

 のそりと、バーサーカーが動く。

 昨夜の戦闘時と比べてその動作がひどく緩慢なのは、やはりマスターを失った影響が大きく、すでに体は鉛のように重く感じているはずだ。

 動作一つ一つに対する魔力消費が大きい。このままでは夜までどころか昼まで保たない。

 この状態から抜け出すには、新しいマスターを得るか、この状態でも強引に体を戦闘状態まで動かせる莫大な魔力が必要だ。

 そして幸いにも、バーサーカーには後者の当てがあった。

 のそり、のそりと、バーサーカーが進んでいく。その歩みは本来バーサーカーに自我があれば泣きたくなるほど緩慢なものだった。

 たどり着いたのは室内にある物置。そこにアーノルドが運び入れた「燃料」がある。

 扉を引いた。

 中にあるのは大小さまざまな、歪な形をした水晶のような結晶体。それが、山となって物置内を圧迫する勢いで鎮座していたのだった。

 それらを掴む。

 途端バーサーカーの身体に魔力が注入された。

 冑の奥から、軋んだ声が漏れる。魔力が補充され、バーサーカーはどこか安堵したような声を知らず漏らしていたのだ。

 

 

 かつて、アトラム・ガリアスタという魔術師がいた。

 時計塔に所属していた魔術師で、彼は第五次聖杯戦争の参加者として冬木の地に足を踏み入れ――――そして、死亡した。

 残った彼の持つ技術の一つに、人間を魔力結晶に変換するシステムがあった。

 本来そのまま闇に葬られるはずだったそれを奪い、改良したものがいた。

 スクラディオ・ファミリーと呼ばれるマフィア組織だった。

 アメリカ社会全体に根を張り、政府にも絡みついたこの組織は、スノーフィールドで行われるはずだった、アーノルドが所属していた機関が黒幕となる聖杯戦争にも無理やり参加枠をねじ込んできた。

 そのための準備として、アトラムのシステムを奪い、改良し、戦争が始まる前にサーヴァントへの燃料として、莫大な量の魔力結晶を用意していた。

 アーノルドは機関を抜ける際にスクラディオ・ファミリーと交渉し、その一部を買い取り、日本に運び入れていたのだ。

 無論、春日井の聖杯戦争に使うために。この、多くの人命を犠牲にした上に生成された呪われたアイテムが、今、バーサーカーの命を救ったのだ。

 バーサーカー考える。マスターがいるならばこれで十分だ。これだけあれば聖杯戦争の期間中、常に全力で戦えた。

 だが今は無理だ。今日明日で危なくなるわけではないが、マスターがいない状態では最後まで戦い続けることはできない。

 それでは駄目だ。己の憤怒を、マスターの存在を、この世界に刻み付けることができない。

 足りない魔力は補充しなければならない。

 どうすればいいか? 聖杯から与えられる魔術知識と、狂戦士(バーサーカー)であるがゆえに消え失せた倫理観、そして令呪により冷徹なまでの知性が、血塗れの答えを導き出したのだった。

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