鬱蒼と茂った森。太陽の光の届かないそこは、昼間でもなお薄暗い。
太陽光の強い真夏の盛りならばともかく、冬近い今時分に、好んで入ろうとするものは少ない。
そして今は、ほぼ皆無だ。
司の、常人ならざる魔術師の眼には、ここに結界が張られている事実をはっきりと認識していた。
「やっぱり、ここが戦場か……」
昼下がりから聖杯戦争。非常識なんだろうなと呟いて、足元を見る。
小さく書かれた×印。
あらかじめ念話で、突入の際にその場所に目印を書いておくよう命じておいた。あの素直なサーヴァントはマスターの言うことを忠実に実行してくれたようだ。
「つまり、この場所は今、最もサーヴァント同士の戦場に近い場所、だ」
周囲を窺う。人通りはない。この森に張られた結界の影響か、一般人は自然、足の向きが変わるだろう。
ここにいたくないと、そう思うのだろう。
つまり偶然何も知らない人間がここに通りかかることはあり得ない。
司はくるりと方向転換。セイバーが突けた目印からなるべく距離を離し、歩き出す。
しばらく歩き、最後にもう一度周囲を見やる。やはり誰もいないことに軽く安堵して、準備を整えた後、魔術回路を起動させる。
右手を上げる。すると、ばさりと羽音を響かせてやってくるものがあった。
鳩だ。祠堂家が使い魔として使っている鳩で、一番できのいい一羽は昨日、何者かに殺されてしまったので、これは二番目のしつけの行き届いた鳩だ。やはり今日も偵察用に空を飛ばせていたが、戦場が特定されたのでこうして呼び戻した。
人懐っこく司にすり寄ってくる鳩の頭を指先で軽く撫でる。
すでに視覚共有の魔術は発動済み。ただし、今回共有するのは左目だけだ。右目は司自身の視覚として常時確保しておく。
「よし、行け!」
勢いよく手放してやると、鳩は空に向かって飛び立った。
そのまま翼をはばたかせ、森の中に入る。
これでいい。使い魔が先行し、敵マスターの位置と、サーヴァントたちが戦っている場所を特定してくれる。
「行こう」
一つ、自分に言い聞かせるように呟いて、司は森の中に突入した。
うっすらとした日差しが木々の間から降り注ぐ。一種幻想的なその光景の中、佇む人影が一つ。
首の後ろで縛った、腰にかかるほどの長さの銀髪、雪のように白い肌、赤い瞳、黒のダブルピースのスーツ。その両手には黒革の手袋をしていた。
男装の麗人、という言葉がしっくりくる、美しい顔立ちは、冬始まりに現れる妖精のよう。
無言のまま佇む。己の魔術回路が起動するのを感じながら、じっとしていた。
思うのは当然、アサシンとセイバーの戦い。
この場はアサシンのフィールドだ。たとえ最優と謳われるセイバーを相手にしても、そうそう引けを取るとは思えない。
問題は、セイバーのマスターだ。
いまだ詳細不明。おそらくこの街に根を張っている魔術師、祠堂か如月の家の人間だろう、それくらいしか推測がついていない。当然、その実力もわからない。
しかしまともなマスターならば、サーヴァント同士が戦っているこの森の中には踏み込むまい。
ましてここはアサシンの領域。どこに罠が仕掛けられているかわからぬこの状況で、なお足を踏み込むならば、それは自分の実力に絶対の自信を持っているか、ただの馬鹿かだ。
その時、ニヒトが眉をひそめた。その鼻腔を異臭がかすめたためだ。
「これは――――」
すっと、嫌な予感が胸の内に忍び寄った。
人払いをした結界。故にこの場に一般人が近づくことはなく、サーヴァントを持たない魔術師もまた静観するだろう。
この場に足を踏み入れるとすれば、マスターしかいない。
それが論理的帰結だ。さらにそのマスターはおそらく頭に蛮勇、と付くだろう。
蛮勇。無謀。考えなし。
電撃じみた反応。ニヒトの唇が呪文を紡ぐ。
「起動ワード――――我が意図は世界を走る!」
次の瞬間、ニヒトがいる位置をニヒトのモノクロの外見を、赤い炎が照らし上げ、飲み込んでいった。
炎が森の中を照らし上げる。燃え上がった枝や葉が火の塊となって舞い上がる。
司は慎重に歩を進めた。不意打ちは決まったと思う。遠距離から先にアサシンのマスターを補足できたのは大きい。
アサシンのマスター、で間違いないだろう。サーヴァントが戦っている戦場で佇むなんて、マスターでなければあり得ない。
加えてあのマスターは人間とは思えない。
ヒトから離れた美貌も、ヒトから外れた在り方も。あれは人間というより人形。ホムンクルスという奴だろう。初めて見た。
とはいえこれでマスターを仕留められただろうか? とにかく確認しなければならない。
そう思った司の耳に、
「ッ!」
咄嗟にその場から飛びのいた。事前に肉体に施しておいた『強化』の魔術がその効用を発揮。大きく距離を離した。
そして司は見た。自らが放った炎の塊が、内側から銀色の線によって切り取られ、吹き散らされていくのを。
「これは――――」
糸だ。銀色の糸。全部で何本あるかわからないが、その全てに隅々まで魔力が通っている。あれでは燃えまい。
しかも技量は明らかに自分よりも上だ。さすが、聖杯戦争に参加するだけあって、その実力は一流の壁を鼻歌交じりに乗り越えている。
完全に炎を斬りはらって、ニヒトが姿を現した。当たり前というべきか。その体はおろか、髪にも服にも、火傷どころか汚れ一つない。
「いきなりなご挨拶をどうも。ニヒト、といいます。セイバーのマスター」
こちらの先制攻撃に対して何ら思うところがないというように、
「祠堂司だよ。よろしく」
名乗り返しながら、司は右手の袖を揺らした。
そして観察する。ニヒトと名乗ったマスターの周りには、銀色の糸が舞っている。
髪だ。おそらくニヒト自身の。
魔術師の髪は、切り札でもある。魔術の触媒に、契約の証に。とにかく用途は様々だ。
故に、特に女性の魔術師が髪を伸ばしていることが多い。アサシンのマスターもその口だろう。
そして髪は全て――かどうかは分からないが――ニヒトの両手の指、正確には手にはめ込まれた黒革の手袋に繋がっている。
所謂鋼糸という奴だ。その魔術版だろう。
司がそこまで考察している時、ニヒトは苦笑した。
「これから殺し合うのに、よろしくも何もないでしょう」
「かもね。けど疑問がある。俺は俺のタイミングで、ベストの不意打ちをしたと思うんだけど、あっさり対応されたね。なぜ?」
「魔術が
「当たり。俺は次男坊なんだよ。魔術は習ったけど、兄さんの予備扱い。だから父さんは俺に令呪が出て内心ほっとしてるんじゃないかな? 自分も、兄さんも死なずに済んだって。さっさとこの街を離れたのもその証拠――――かもね!」
最後の「かもね」の段階で司は地を蹴った。
そのまま、右腕を振るう。ひそかに袖口に仕込んでいた仕掛けが発動。中からビー玉くらいの大きさの黒い玉が五つ、零れ落ちる。
大気に触れた玉は瞬く間に青白い炎を放ち、それぞれ別々の軌道を描きながらニヒトへと殺到した。
ニヒトが反応。軽く指をくねらせただけで、糸が瞬時に動き、編み込まれて壁を生成。細かい網目の壁が五つ作られ、火球を補足、そのまま投網のように火球を包み込んだ。
だが司もそれは承知の上だ。一瞬対応させればいい。その隙に司は次のアクションに入るだけだ。
サーヴァントだけではなく、マスター同士の戦いも今、その火蓋を切って落としたのだ。
◆◆◆◆◆◆
木々の間を黒い茨が駆ける。
木々の間を縫い、時に枝に巻き付き、一気にセイバーを引き寄せる。
大地、木々の間、そして空中までも戦場にするサーヴァントたちの戦い。
飛ぶセイバー。茨を離し、幹に着地。一瞬の停滞の後、地面に向けて鋭角的に跳躍。樹皮が散り、雪のように舞う。
サーヴァントの力をもってすれば今の跳躍で樹木一つ砕くことも可能だろう。
しかしセイバーも、アサシンも、この遮蔽物の多い立体空間を利用したいと考えている。
神秘の秘匿という側面もあるし、市民に被害を出したく無い心持ちもあるだろう。特にセイバーにはその気持ちが強い。そして立体的空間はそれぞれの宝具を活かせる。
着地したセイバーは落ち葉を跳ね上げながら走る。その視界の隅に黒い色がよぎる。
半面のみの髑髏の仮面をつけた女性。アサシンだ。
アサシンは影のようにセイバーから離れない。そのまま
アサシンの短剣を受け、弾き、罠を躱し、己の剣を飛ばして反撃する。
だが剣は空を切り、アサシンを捕えることはできない。
このままではじり貧だ。一度の戦闘でセイバーの剣がすべて尽きるとは思わないが、このまま剣と短剣を放ち続けても埒が明かない。
さらに問題が一つ。セイバーは一瞬、己の左肩を見る。アサシンの投擲によって短剣を突き刺さられた場所だ。
短剣を引き抜けばさらに血が出た。傷口を茨で縫い合わせたが、雑な処理だ。今も血は流れている。
動作に支障はない。だが問題がある。
(流血は、まずいです)
マスターがいれば治癒して貰えるだろうが、ここではそれも望めない。
セイバーにとって己の血が流れ続けることはまずい。理性を保つのが難しくなる。
スキル、『無辜の怪物』。
サーヴァントの所業を知った、後の世の人々のイメージの押し付けによって、歪められた
厄介なことに、流血から生じる吸血衝動は量に比例しない。少量でも血の衝動に突き動かされることがある。
牙が疼く。血を欲するようになる。急がなければ――――。
セイバーの憂慮はアサシンにもあった。
離れたまま攻撃し、時折不意打ち気味に宝具を発動し、セイバーの心臓を直接狙っても、躱されてしまう。この手の罠は初見殺しで嵌るから脅威なのであって、種が割れてしまうときつい。
そうならないために、この森の中に誘い込み、有無を言わせぬタイミングで仕留めるつもりだったが、もはやそのタイミングはなさそうだ。
(――――失策)
距離を詰めなければならない。しかしそれはセイバーも望むところのはずだ。彼女とて、この膠着状態を脱するには接近して己の間合いで剣を振るうしかないと考えているはず。
(――――攻めましょう)
そう決めて、アサシンは跳躍、木を蹴ってさらに跳躍。上空から短剣を三本放つ。
弾かれるのは予測済み。だがセイバーが剣を盾として前面に展開したため、一瞬視界が塞がれる。
その隙に着地し、疾走。セイバーと違い、木の葉は一枚も舞い上がらない。
「ああああああああああああああああああああああ!」
セイバーが吠えた。剣を手放し、上半身を大きく後ろにそらす。
瞬間、彼女の背後の空間に波紋が広がり、二十を超える剣が切っ先をアサシンに向けたまま出現した。
セイバーが身を振り下ろす。その動きに合わせてアサシンに向かって、無数の剣が放たれた。
アサシンは地面すれすれを疾走。身を低くしたその姿は一陣の黒風のようだった。
剣はそれでもアサシンを狙う。だがもはやアサシンは構わない。大地を蹴り、駆ける。
身をひねり、沈め、動作に支障のない部分に当たると思われるコースは躱さず受ける。肩口に一撃受けた。攻撃の衝撃を殺さず、アサシンはその場で半回転。
だが受けた衝撃を速度に転化する。軸足で旋回しつつ、前に飛ぶ。速度を落とさず前に突き進む。
「―――――ッ!」
低く疾走するアサシンの右手が、何かを掬い上げるかのように下に向かう。
木の葉に手を突っ込む。そのまま振り上げられた時、右手は何かを握り締めていた。
それは戦いのさなかにセイバーに躱されたか弾かれたかした短剣だ。そのままアンダースローでアサシンはセイバーめがけて短剣を投じる。
予期せぬ顔面狙いの一投に反応したのはセイバー自身。彼女はもはや剣を使って弾くことはせず、左手に茨を巻き付け、硬度を得たうえで弾く。
弾かれた短剣が回転しながら上に飛んでいく。
「ッ!」
その時、セイバーの脳裏に
セイバーの意識が一瞬アサシンからそれた隙を突くように、アサシンが迫る。
アサシンの本命は短剣ではなく素手の抜き手。宝具の潜航能力を使ってセイバーの体内に抜き手を突き入れ、心臓を破壊するのだ。
セイバーが右半身を開くように半歩下がる。そのまま両手で剣の柄を保持し、切っ先を地面に向けた迎撃の姿勢に。
彼我の距離が縮まり、ミドルレンジからショートレンジに。
ぎりぎりまで引き付ける。アサシンを見据えるセイバー。その視界から、突如としてアサシンが消えた。
「ッ!?」
アサシンの宝具、
セイバーはアサシンを見失った。
標的を見失ったセイバーがとった行動は茨を飛ばすこと。
立体を得た茨が木の幹に巻き付き、強引に揺らし、セイバーのバランスを崩した。
がくんと、セイバーの身が沈む。その脇を擦過するものがあった。
エーテルによって構成された仮初の肉体を抉るような、霊基に響くような感覚には覚えがある。アサシンの指先だ。
地面から、セイバーから見たら斜め下から抉るように突き出されたアサシンの抜き手。それも腕だけといった簡単な一撃ではなく。全身をロケットのように飛び出させた渾身の一撃だった。それを、強引だが、セイバーは回避に成功した。
「捕まえました!」
黒い茨が走り、渾身の一撃を躱され、無防備を晒したアサシンの身体に巻き付いた。
半霊体であるサーヴァントを、茨の影は拘束した。
「――――――――」
何か言いたげに口を開いたアサシンだが、千載一遇のチャンスを逃すほどセイバーは甘くない。
「終わりです!」
両手に構えた剣を振り上げ、袈裟懸けに振り下ろす。
一刀は、アサシンの身体に吸い込まれた。
確実に捉えた一撃だった。セイバーの一刀は間違いなくアサシンの左肩口から吸い込まれ、心臓を断ち切った。この致命傷の前には、いかにサーヴァントといえども現界してはいられまい。
「……終わりました」
剣を引き抜くセイバー。糸が切れた操り人形のように、アサシンの身体が崩れ落ち、そのまま消えていく。
戦闘終了に、セイバーの身体が弛緩し、ほっと息をついた。
その瞬間だった。
血飛沫が舞った。セイバーの血だった。
「かっ!」
セイバーの喉から短い苦悶の声が上がる。その口から、真っ赤な血が飛び出した。
上半身をそらした格好で、セイバーは縫い付けられたかのように動かない。その背中に、奇妙なものが生えていた。
黒い、棒のようなもの。否、それは仮初とはいえ、確かに脈動していた。
腕、だった。
「アサ……シン……?」
首をひねって、ようやくセイバーは己の身に何が起こったのか理解した。
地面から浮上するように現れた二人目のアサシンが、セイバーの背中から心臓に向けて、手を突き出していたのだ。
セイバーはアサシンの宝具、その能力を見誤っていた。
アサシンの宝具、
つまり、自らの魂の一部を物質に設置し、任意、または自動発動させる効果であって、発動させる“罠”の形に制限はない。
アサシン自身の、全身の姿をとることも、当然可能なのだ。
セイバーとの切結びの際に物質潜航し、その際にフェイクと入れ替わる。
普段よりも切り離す魂の総量は増えるし、所詮フェイクなので本体ほど機敏な動きができるわけでもないが、戦闘動作中にその違いに気づくことは難しいし、わざと倒されて見せれば相手も油断する。
まさにここぞという時に騙し討ちが可能になる、アサシンの奥の手だ。
フェイクのアサシンの身体が消えたのも、消滅ではなく、ただ本体に戻ったに過ぎない。まさに暗殺者の英霊にふさわしい宝具といえよう。
そしてアサシンはすでに王手をかけた。彼女の右腕はセイバーの心臓を掴んでいる。あとは腕を引いて心臓を引き抜くなり、そのまま握り潰すなりすればいい。
アサシンは前者を選んだ。サーヴァントの心臓。生命と魔力の起点であり霊核。喰らえばさらに己の力は高まるだろう。
だからアサシンは、