アサシンの手指には、生前良く得た感触があった。
心臓を掴んだ時の感触だ。
生前、暗殺の際に標的の背後から手を突き入れ、心臓を握り潰すのだ。
だが今回はここで潰すのではなく、このまま引き抜く。
心臓という霊核を失ったセイバーは消滅するだろうし、その心臓を喰らえば魂喰いによって、自分はさらに力が上がる。
躊躇う理由はない。故にアサシンはセイバーの背から差し入れた腕を抜こうとした。
異変はこのタイミングで起こった。
「――――?」
アサシンは手指に力を込めている。だが、指がピクリとも動かなかった。
指だけではない。手首から肘にかけても、全く動かない。
感覚がないのではない。全方向から押さえつけられ、全く動かせない感覚だった。
「――――まさか」
ギチギチと音がする。自分の腕が軋む音だ。
痛みはない。宝具によって物質潜航している間、その部分は痛覚はない。
だが感触はある。腕が動かない。
黒い何かが昇ってきた。
影。茨の形をしたそれは、セイバーの宝具。
「―――――私の罠を、看破していたのか」
「それは違います」
アサシンに背を向けたまま、セイバーは語る。
「貴方様の策略に、
「――――ではなぜ?」
「生前から、権謀術数の只中に在りましたので。いつも、いつでも、保険は欠かしません。アサシンである貴方様は、最後に必ず
だから、セイバーは己の心臓に罠を仕掛けたのだ。
影絵の茨。その浸食度は上がっており、アサシンの肘から肩に向かおうとしていた。さらにその頭上に構えられた剣。半霊体のアサシンの腕を捕え、アサシン自体を拘束する茨。故に、アサシンは動けない。だからここで剣が降り注げばアサシンは躱せず、倒されてしまう。
「――――――――!」
アサシンの判断は早かった。
だからこの場合、短剣はセイバーに対して使うのではない。左手の短剣を振り上げる。
血飛沫が舞い、滝のような流血がセイバーの首筋、背中、後頭部を濡らし、垂れてきた血が頬を伝った。
その温かさ、匂い、そして赤さに、一瞬セイバーは目が奪われる。その隙に、アサシンは地を蹴った。
後ろに向かって跳躍する。その右手は肘半ばから先がなかった。まだ茨に浸食されていなかった部分を残し、彼女の腕はセイバーのところに残してきた。
「――――ぐ」
血が零れ落ち、地面を濡らす。構わずアサシンは再度跳躍した。
離脱する。ただし戦場からではない。
サーヴァントとマスターを繋ぐ
何かがあったのだ。おそらく、セイバーのマスターが原因で。
故に離脱する。急いでマスターと合流し、可能ならば――
「ぁ」
短い声がセイバーの喉から。血の赤さと感触に、一瞬目と心を奪われていた。
喉が渇く。心がざわつく。全て無視する。
アサシンが離脱した。だが危機は去ったわけではない。寧ろ窮地はこれからだ。
自分のではない。
追わなければならない。
マスターは近くにいる。
軋む喉を鳴らしながら、セイバーはアサシンを追って地を蹴った。
◆◆◆◆◆◆
サーヴァントたちが戦っている間、マスターたちも死闘を繰り広げていた。
「
詠唱が起動。魔力が流れて魔術が発動する。
起きた現象は小規模な爆発。爆発場所は司の靴裏と地面の間。
爆発は推進力となり、司の速度を上げる。前に吹っ飛ばされるように加速する司の耳元を空気を割く音がかすめる。
次に起きた現象は切断だった。
司がいた木の幹に大きな切り傷が走り、枝が斬り落とされる。
ニヒトの両の五指に繋がる銀糸、その切断力が発揮されているのだ。
着地と同時にもう一度爆発が起こる。『強化』の魔術で身体能力を上げている司は急な加速にも対応する。浮いている空中でバランスを整え、近くの幹を蹴る。その足元をニヒトの銀糸がかすめた。
「こっわ!」
言いながら右手を地面に佇むニヒトに向かって突きつける。
魔力を固めただけの、シンプルな魔弾が放たれた。シンプル故に詠唱を介さない
しかしニヒトは迫る魔弾を一瞥しただけで指をくねらせた。
いかなる運動がそこに働いたのか。銀線が走り、ワイヤーとなった糸が魔弾に絡みつき、寸断する。
魔力の塊からただの魔力の残りカスへと変じた魔弾。溶けるように消えていった。
やはりあの糸にはニヒトの魔力が伝わっている。それで糸の切断力を上げたり落としたり調整し、自在に動かし、足りない部分は指で補うわけだ。
「で、さらに厄介なのが――――」
着地と同時に落ち葉を舞い散らせながら、司は走る。そして走りながら見るのは宙に浮いてるものだ。
それは燕くらいの大きさの小鳥に見えた。
羽ばたきながら滞空し、司を観察するように一定の距離から離れない。
監視ではない。お互いに目視できる距離にいるのだから無意味だ。
あれは中継点だった。ニヒトがスーツの袖口や懐に収めていた針金を束ね、組み合わせて作ったもので、あれを介して、糸をより広範囲かつ指の数を超える量を操っている。
鳥の数は三羽。あの鳥たちを介して、ニヒトの糸はさらに凶悪に、逃げにくいものになる。
糸の数はどんどん増えていく。今は手元足元で爆発を起こして、そこで得た推進力を使って逃げ回っているが、それもいつまで続くかわからない。
対峙して実感する。相手の魔術の実力は間違いなく自分より上だ。
さらに鳥自体も魔力で覆ってガードしている。だから破壊は難しいし、動いている標的に気を取られたら今度は糸で切り刻まれる。
風切り音を立てながら迫る糸に対して、司は走りながら両手に炎を閃かせる。
魔獣の皮を使った手袋とブーツは炎に対して極めて強い耐性を持っている。限度はあるがまだ持つ。走りながら、司が気にするのはセイバーの様子と、サーヴァントたちが森の中のどこで戦っているからだっだ。
森の中、天井のように茂っている木々の頂上付近で、使い魔の鳩を飛ばしている。
使い魔とは左目の視界を共有している。司は風景の違う左目に戸惑いながらもセイバーを探す。勿論その間も体を動かすことは忘れない。止まればその瞬間全身にアサシンのマスターが操る糸が巻き付き、バラバラだ。
左目に移る景色が変わっていく。上空から鳩が羽ばたき飛翔する。そして見つけた。
高速で移動しながら、セイバーはアサシンと戦闘中だった。都合のいいことに、こちらに近づいてきている。
司の右目の視界は中央にニヒトを捕える。
ニヒトを中心に旋回運動を取る。木々の間を行き来するたびそのモノクロの姿が消えたり現れたりを繰り返す。
司の移動は常に自らの左手側にニヒトを置いた。ニヒトは身を屈め、指をくねらせ糸を操る。
銀糸の速度はどんどん上がり、司との距離が縮まっていく。司は左掌をニヒトへとかざし、詠唱を走らせた。
「
直後、司の左手の炎から炎の弾丸がマシンガンのように次々と放たれた。
魔弾と違って魔力の塊に“火”の属性を加える。炎弾は司から円の中心点にいるニヒトに向かう。
ニヒトの視線が走り、腕が上がり、指が閃く。次の瞬間、銀糸はニヒトの周囲に集まり、渦を巻くように旋回。まるで繭のようにニヒトの周囲を覆い、炎に対する防御とする。
炎弾が次々に銀色の繭に当たり、砕けていく。そして炎弾を撃ちだす度、司の左手の炎が小さくなる。
左手に宿した炎を切り崩しての銃撃は、司の屋敷にあった灯篭の防衛装置に似ている。
炎の弾幕を張りながら、司は距離を取った。
バックステップでニヒトから離れる。それでいながら向かう先に迷いはない。目的地は決まっている。幸いにも距離は近い。行ける。
やがて、左手の炎の放出が止まる。炎の弾幕が止まったことを知覚したニヒトが、糸の繭を解いた。
だが司は止まらない。即座にコートの中に手を入れ、手のひらに収まる程度の小瓶を取り出した。
疾走しながら、小瓶を前の木に向かって投げた。
木の幹に当たった小瓶は派手な音を立てて割れ、中の液体で濡らした。
透明な液体が木の幹から地面に向かって滴り落ちる。そのまま速度を緩めない司は軌道を変更。右手を振るう。
「
右手の炎が変化。直情に伸び、直剣の形になる。
躊躇なく、司は右手を振るった。炎の剣が液体を巻き込んで木に切り付けられた。
当然のように炎が木に燃え移る。それは液体にも燃え移ったことになる。
直後、樹木が根元から一気に燃え上がった。
「な――――」
目を丸くして、ニヒトが目の前の光景に言葉を失った。
根元から頂上まで、一本の炎の柱が屹立している。それがもとは樹木だったなどと、誰が分かろうか。
そしてニヒトの脳裏をかすめたのは焦燥感だった。
燃え上がった樹木は当然、黒煙を立ち昇らせる。
「一つ聞きたいんだけどさ」
司の声にニヒトがそちらを向く。司は立ち止まり、己の成果を満足げに見上げていた。
「君が張った結界は、どこまで隔離できるのかな?」
目の前で燃え上がっている木のことなどまるで眼中になく、この場に不釣り合いな声音で、司は続ける。
「物理的に、箱のようになっているのかな? だとすれば上空も隔離の範囲内? それとも上は開けた、四方を囲む壁で、入ることはできても出ることはできなくなってる? そして、異常を認識できない一般人たちは、
司の言わんとしていることを察して、ニヒトは愕然とした。そして心のままに叫んでいた。
「まさか君は――――この場所を俗人の目に晒すつもりですか!?」
神秘の秘匿は魔術師の大前提だ。それは聖杯戦争でも変わらない。だからニヒトとアサシンは、昼間に戦う以上、人通りの少ないこの森の中を主戦場にしたし、心理的、物理的な二重の結界を張り、一般人はこの場に近づきたくないと思わせ、その足を遠ざける。
そして万が一、結界の中に入ってしまったのなら、異界と化したこの中に閉じ込め、口封じを行うつもりだった。
全ては神秘の漏洩を防ぐためだ。
だがこの相手は、そんな魔術師間の前提を破壊し始めた。
結界を張ったが、天井は閉じていない。立ち上る煙は木々を超え、空へ行く。これではいかに一般人がこの場に近寄らなくとも、遠目で異常が確認されてしまう。
「ちなみに、ここに来る前に気流操作の魔術を使っていてね。立ち昇る煙がより人目につきやすいように」
敵は、初めからそのつもりだったのだ。この戦いに、時間制限を設けた。煙は人目につきすぎる。森からの出火というのもまずい。森林火災は騒ぎが大きくならないわけがない。
そして、こうなってしまえば鎮火しても警察も立ち入るだろう。監督役が聖杯戦争に関することは情報封鎖や隠ぺいを行うだろうが、こうも人が立ち入ってしまえば、もう工房としては使えない。ニヒトとアサシンは、ここを放棄するしかない。
そして何よりニヒトが嫌悪感を覚えたのは、セイバーのマスターとしての在り方だ。あまりにも魔術師の思考から逸脱している。魔術師として何よりも優先すべき、神秘の秘匿をないがしろにするその態度。
怒りにどうかなりそうだった。同時に、その思い切りの良さに慄然としたいた。
だから、ニヒトの意識が一時空白になってしまうのも、仕方がなかったかもしれない。
今が詰め寄るタイミングだと、司は思った。
躊躇はない。一気に地を蹴る。その際に魔術を発動。足元に小規模の爆発を起こし、加速力を得る。
相手の糸は厄介だ。それを振り切るには最短距離で詰め寄るしかない。
リスクはあるが、この相手にそれを恐れていては勝てない。
相手の意識が空白になった今が、千載一遇のチャンスだ。
右手の炎の剣はそのままに、敵との距離を詰めながら、司はコートの内側から左手でナイフを取り出した。柄の部分が金に縁どられた代物で、礼装だ。それでなくとも刃物としての殺傷力もある。
しかし敵も反応した。バックステップで距離を取りながら両腕を振るう。
司は即座に左手のナイフをニヒトに向けて投擲し、方向転換。ナイフが糸によって弾かれる中、自分から見て右に跳躍。途中、木に手をひっかけて強引に方向転換。右、前へと速度を変えずに移動する。
ニヒトの糸は司を追いつつ、燃え盛る木にも向かった。木に巻き付き、ニヒトが腕を引くと、一気に切断された。燃えて脆くはなっているだろうが、驚異的な切断力だった。
二つの切断された樹木のうち、空中にある上半分がさらに切れる。三分割、四分割、六分割されて地に落ちる。
「起動ワード。我が意図は世界を貫く!」
ニヒトの唇が呪文を紡ぐ。針金の鳥たちの身体がほどけ、針金の束となる。中継点を失った糸は一か所に集まり、巨大な円錐を形作った。
それが槍の穂先のように司に向かって投じられた。司は身構えたがその眼前で円錐が爆発した。
「ッ!?」
内側から膨れ上がり、一気にほどけた糸の群。一本一本の切断力は変わらず、しかし爆ぜ広がった切断の力が司を襲う。
「ああああああああああああああ!」
自分でも訳の分からない叫びをあげながら、司は右手を振るった。炎の剣と銀髪の糸が激突。火花と散らし、糸が弾かれ、司の右手もまた弾かれた。
が、司は弾かれた右手を引き戻し、次に備えた。
糸はまだ終わっていない。迎撃のために腕を振るう。
二回、三回。五回目で限界が来た。
司の右手の炎が消える。司を切り刻もうと、銀の群が迫る。だが司の思考はクリアだった。
左目の視界は自分とて気のサーヴァントを捕えていた。俯瞰するその視界は、同時に自分たちの場所も示していた。
マスター組と、サーヴァント組。それぞれの位置が重なったその瞬間を、司は見逃さなかった。
(セイバー――――)
念話を飛ばす。渾身の意思を込めて、叫んだ。
(十一時の方向に剣を飛ばせ!)
右手の甲に焼けつくような痛みが走った。令呪を一画消費したのだと遅れて悟ったが、後悔はなかった。
そして攻撃に転じたことが司の命を救った。
瞬間、空気を割く鋭い音が走った。
糸の乱舞が止まる。操りてのニヒトの動きが止まったためだ。
ニヒトの背中から胸にかけて、武骨な鉄の剣が貫いていた。
「カッ」
ニヒトの口から大量の血が吐き出された。炎とは違う赤い色が地面にぶちまけられた。
司の狙い通りだった。
司は自分の実力を全く信じていない。自分の魔術の腕ではほかのマスターには勝てないだろうと思っている。
だから火を放ち、戦いの時間に制約を設けた。
そして相手が魔術師らしくあればあるほど冷静さを失うだろうと思った。
そのうえで、サーヴァントたちの戦場へと近づいていく。最後に、セイバーの剣の射出によって仕留める。
司は己の実力を過大評価しない。これは、サーヴァントとマスターの戦いなのだ。だから、司はセイバーの力も借りようと思っていたのだった。
「ぐ……」
ニヒトは己の胸元を見た。
剣が突き出ている。
切っ先は血に濡れて、ポタポタと雫が垂れている。
と、我が身を貫く剣がひとりでに動いた。
停滞も躊躇もなく、背中側から引き抜かれた。
再び大量の血が地面を濡らした。同時に、ニヒトは自分の身体から力が、熱が消えていくのを感じた。
喪失感に震えそうになる。生まれた時に感じた死の恐怖が再来してくる。
ひたひたと、黒い影を纏わせて、捕まえたと肩を叩きに来る感覚。
冷たい液体の底に、沈んでいく実感に、ぞくりと震えた。
嫌だ。という気持ちがそのまま叫びになった。
◆◆◆◆◆◆
大学内で息をひそめている三騎目のサーヴァント、キャスターは、嫣然と微笑んだままセイバーとアサシンの戦いを俯瞰していた。
紅茶を飲み干す。対面に座るマスターが、何かに気づいたように眉をひそめた。
「キャスター。お前の子供はどこに行った?」
さっきまでキャスターの近くで蹲っていた大きな気配が消えている。
「ああ、我が愛し子ならば、やはり我慢が出来ぬらしい」
その台詞でどうしたのか、マスターの男は理解した。
思案する。ここで止めても無駄だろう。そしてこの子供にひたすら甘い母親が、子を諫めることもあるまい。好きにさせるだろう。
「文字通りのモンスターペアレントめ」
キャスターに聞こえぬように呟いて、マスターの男は椅子から立ち上がった。
「どこへ行くのだ?」
「帰る。見届けたら帰ってこい」
それだけ告げて男は去っていく。キャスターはマスターの背中を見つめながら、やはり微笑みを絶やさなかった。