バーサーカーが魂食いを始める直前。
ランサーはマスターであるキャロルの命令で、夜の春日居市を巡回していた。
単体でいるサーヴァントを見れば、敵サーヴァントとマスターが仕掛けてくるかもしれないし、巡回することで監督役が積極的に動かなければならない事態を引き起こすサーヴァント――例えば結界宝具で大勢の一般人から魂食いをするなど――がいれば、こちらから仕掛けてその狙いを潰し、マスターの負担を軽減できるだろう。
要するに囮の意味もあるのだ。そのためにわざわざ実体化し、街を練り歩いている。
武装はしておらず、マスターが与えてくれた当世風の衣装――
街の異様な雰囲気を感じ取っているのか、日が暮れてからも外出している一般人は思いのほか少なく、歩いている人々も仕事勤めや部活などで遅くなった学生などで、全員が一様に家路を急いでいた。
聖杯戦争が本格的に開始するようになって、まだ二日目だ。だが人々は何かを感じ取っている。
そして人通りが少ないことはいいことだった。何しろ目撃者の数が減る。そうすれば、目撃者の殺害を目論むマスターやサーヴァントもいなくなる。
一般人の犠牲は、少ないに越したことはない。己と同じ神を崇めるものも、そうでないものも、無辜の民の犠牲など、心が痛いだけだ。
ランサーの足は新地区に差し掛かった。市が運営する自然公園を横切る。それとなく周囲を窺えば、視線が己に注がれていることが分かった。
人間ではない。自然公園の各所に生息する野生動物。正確には、その野生動物たちの視界を介した魔術師たちか。
使い魔として使役しているのだろう。木枝の間に小鳥が、茂みや草の間に野鼠の気配を感じる
ランサー、聖ロンギヌスは生まれついてに盲目だった。
それ故に、ランサーはいち早く
風に乗って、鼻腔をくすぐる匂い。
火。そして煤臭いにおいに隠れているが、血の臭い。
「!」
息を飲む。同時に念話を飛ばす。
(マスター。何やら火と血の臭いがします。新地区の自然公園からそう離れていない建物で、火事が起こったようです)
(分かりました。現場に向かってください、ランサー。サーヴァントの仕業なら、我々も封鎖と住民の避難の支援、それから裏工作を行います)
(承知!)
ダン! とランサーの足元が爆発した。石畳が下の土ごと宙を舞う。ランサーの疾走、その第一歩目で破砕されたのだ。
少しは残っていた、自然公園にいた住民たちは何が起こったのか理解できていない。せいぜい、自分がちょっと目を離した隙に、さっきまでいたはずの神父と思われる男がいなくなった。そう思った程度だろう。
視認困難な速度で駆けるランサー。すでに聖職衣姿ではなく、その身を覆うのは真っ白な戦闘服と、その上を覆う白一色の武骨な青銅鎧。だというのに重さは一切感じられない。
マントが風をはらんで膨らむ。その動きの残滓を置き去りに、ランサーは白い疾風となって駆けた。
自然公園を抜けて道路へ。通りを通る車の間を縫うようにして走る。
車と並走する鎧姿の男という怪事さえも置き去りに、ランサーは目標地点を見据えた。
すでに念話でマスターに連絡している。視線の先に見える色は夜の黒と、炎の赤。
住宅が燃えている。火事だ。そこから、サーヴァントの気配がした。
かなり近い。跳躍一つで現場に到達する。
だからそうした。
風を巻き込んで跳躍。浮遊感とともに見たのは、一件の住居。
赤々と燃え、火の粉を飛ばしている。
天に昇る火花。地に落ちる火花。それらの中心地点にそいつはいた。
黒銀の鎧に身を包み、全身から炎を噴き出している
浮遊感はまだ続いている。ランサーの眼下では、燃え盛る家の屋根に立つバーサーカーの姿がはっきり見えた。
「■■■■■■■■■■■■■■■―――――――!」
咆哮が夜空に響き渡る。火事を見て避難を開始していた人々が、バーサーカーに気づいた。
中には足を止めてバーサーカーを指さす者もいる。
バーサーカーの首が動いた。視線が避難している人に向かう。特に、バーサーカーを指さした一人に。
「いけない!」
狂戦士の思考――と言えるものがあのサーヴァントにあるのか分からないが――を察知したランサーだったが、遅い。
いまだ彼の身体は空中になり、そしてランサー自身を狙った攻撃ならばいかなる対処も可能だった。しかし地上にいる、無力で脆弱な一般人を狙ったのならどうにもならない。
バーサーカーが屋根から跳躍した。避難する人垣の中央に着地。
轟音、そして地面を走る振動と、グチャリというあまり固くないものと液体が混ざり合って地面に乱暴に叩きつけられた音が響いた。
「え……?」
避難しようと外に出ていた十数人の男女。年齢はバラバラだが家族や近所の人間だろう。四人と三人、二人、そしてまた三人のグループに分かれている。
燃えている家の両隣りと後ろ、それと炎を見て貴重品をもって着の身着のままで飛び出してきた人。まだ増えるだろう。ざわめきが周囲に沸き立っている。
そしてざわめきは一気にパニックへと変わる。
バーサーカーは着地の時にその場にいた人間を二人ほど踏み潰していた。圧倒的な上からの圧力に縦にひしゃげ、潰れた人間は、筋肉、内臓、骨、脳症、そして大量の血液をぶちまけた。
血の臭いが恐慌を引き立てる。
「逃げなさい!」
叫びは無駄だろうとランサーの冷静な部分は思う。何もかもが遅すぎた。
悲鳴が上がる。だがそれは惨殺現場を見たことによる恐怖の悲鳴ではない。
バーサーカーの右手が一閃され、近くにいた二人の胴体が両断され、それとほぼ同時に迸った炎が残った住民の身体に巻き付き、その身を焼き、内部に侵入して内臓を燃やした。
阿鼻叫喚の地獄が展開される。炎は住人がいなくなった家に燃え移り、さらに勢力を広げる。
いずれも刹那の出来事。民家の屋根に着地したランサーは、砲弾のような勢いでバーサーカーに肉薄した。
彼我の距離がどんどん縮まっていく中、ランサーの思考は昨夜見たバーサーカーの炎についてだった。
あれがこのサーヴァントの宝具なのは間違いない。そしてあの炎は物理的な干渉力を持っている。つまり捕まれれば締め付けられるダメージと炎による追加ダメージが来る。こちらの攻撃を防がれても、炎による熱はダメージになるだろう。
攻防一体の宝具。それもおそらく常時発動型だろう。でなければ、理性を剥奪されたバーサーカーは宝具の真名開放さえままならない。
炎がランサーに迫る。ランサーから見て、上下左右、さらに右上、右下、左上、左下。いずれも軽い放物線を描いて迫る。さらに頭上を迂回して背後からも炎が迫るのを感じる。
抜け道は正面のみ。故に速度を上げる。
無論それが罠だということは分かる。正面からの突撃を余儀なくし、迎え撃つ。
バーサーカーが右手に握る剣に炎が巻き付く。ただの鉄の剣が、恐るべき炎の魔剣と化した。
速度を上げるランサー。彼我の距離が一気に縮む。
バーサーカーの右手が霞む。乱暴に振り下ろされた一撃。だが間合いはまだ外だ。
が、バーサーカーの一閃の軌跡に合わせ、炎が迸る。
“飛ぶ斬撃”というべきか。炎が縦一文字となってランサーに迫る。
ランサーの右手がかすむ。掴まれた槍の一突きが炎を穿つ。
対してバーサーカーはバックステップで距離を開けた。
同時にランサーの背後、枝分かれしていた炎が一気にランサーに迫る。
ランサーは停止、左足を軸に一回転。槍の穂先が次々に四方八方から迫る炎を蹴散らした。
下がるバーサーカー。追うランサー。住宅街の、決して広くはない道を二騎のサーヴァントが駆ける。
一歩の距離はランサーの方が早い。全身を包む鎧、その重さを感じさせぬ速度で一気に距離を詰める。
そしてバーサーカーは、マスターの呪いともいえる令呪の効果によって、聖杯戦争に勝ち抜くため、つまり今、目の前のサーヴァントを倒すことに限り、理性、思考を持っている。
だからバーサーカーは距離を詰めさせじと炎を放つ。
バーサーカーの身をも焼く炎が千切れ、炎弾となってランサーに迫る。
しかし威力は弱い。ランサーは速度を緩めない。右手の槍を保持し、穂先をブラさぬまま、後退するバーサーカーを追う。
炎弾が迫る。顔面。ランサーは左腕で防御。衝撃も何もない。振り払うように腕を振るうと炎が散っていく。
そうやって、己の進路の邪魔になる炎弾だけをガードして距離を詰める。あと一歩踏み込めば槍が届く。その時だった。
背中に、殺気が突き刺さった。
「!?」
元盲目だった故に分かる気配感知。ランサーは刹那を引き延ばした時間で決断する。バーサーカーへの追撃を断念し、その場から右に跳躍した。アスファルトが耐え切れずに砕けて破片を飛ばす。
着弾。地面に着弾し、音を立てる。
「な!?」
兆弾だ。敵は弾丸を発射する際、こちらの回避ルートを予測し、直撃はせずとも跳弾で当てられるよう計算していたのだ。
そしてもうひとつわかったことがある。ランサーの脇腹に潜り込んだのは弾丸だ。
「アーチャー……!」
忌々しげに呟くランサー。この場に来ず、どこか、この戦場を俯瞰できる場所に陣取っているのだ。
思えば昨夜もそうだった。アーチャーは埠頭での戦いの際も息をひそめ、こちらに銃口を向けていた。
今ならわかる。ライダーと戦っていた時に感じた視線、殺気未満のあの感覚。あれはアーチャーか彼のマスターがこちらに照準を合わせようとしていたのだ。それを感知した。目に見えなかったからこそ、触覚か、第六感か、とにかく何かを感じ取ったのだ。
今もそうだった。しかし相手はそれさえ予測していたのだ。こちらを観察している。
「ッ!」
痛みは無視する。今だ空中にいるこの身をすぐに退避させなければ、続く狙撃で今度は脳天を撃ち抜かれる。
ランサーにはそう危機感を抱くほどの確信があった。なぜなら殺気がレーザーポインターのようにランサーの頭部に突き刺さっているのだ。まるで次はそこを狙うという、
そして危機は狙撃だけではない。昨日のライダーと同じだ。敵に弱みができればそこを攻め、一気に勝負を決してしまう。バーサーカーの獣じみた戦いの嗅覚が、ランサーが負傷したこのタイミングを逃すはずがない。
ランサーは即座に動いた。槍を回転。穂先を近くの民家の外壁に向かって突き刺す。
激しい音が響き、槍の穂先が外壁に突き刺さった。そこを視点に、ランサーは槍の石突を蹴りつけた。
槍はさらに外壁に埋まり、塚のほとんどが突き刺さり、反対側に突き抜けてしまった。
ランサーは構わない。石突を蹴りつけた反動で、ランサーの身体は向かいの民家の土地に入り込んだ。
直後、ランサーがさっきまでいた場所を“魔弾”が通過し、間髪入れずにこのタイミングで殺到したバーサーカーの剣戟が通過した。
結果として、ランサーは二つの致死性の攻撃を回避したが、代償に武器を失ってしまった。
だがアーチャーの銃撃はない。民家の土地入り口から侵入し、外壁を盾にして身を隠したので、敵も遮蔽物に阻まれて狙えないのだろう。
ただ疑問が残る。
銃声が聞こえないのはそれほどに長距離だからか魔術的な対処をしているにしても、ランサーが見る限りアーチャーの“魔弾”はバーサーカーを狙っていない。
先に厄介なランサーから仕留めるにしても、そのランサーが姿を隠したのだから今度はバーサーカーを狙いそうなものだが……。
(何を考えているのでしょうか?)
ランサーは知らぬことだったが、アーチャーと彼のマスター、ウィンクルードは
まして今は戦闘中、消費する魔力は平時の比ではない。場合によっては今夜のうちにバーサーカーは消滅するはずだ。
死にかけの獲物は放置して、最期まで暴れるに任せる。それよりも、狙撃の予兆を――こちらの視線を――感じ取るランサーの方が厄介。バーサーカーと争っている隙をついて確実に仕留める。それがアーチャーとウィンクルードの思惑だった。
「!」
確かめるまでもない。外壁の破片だ。アーチャーの弾丸は一般家庭の外壁など紙のように貫く。
射線が通ったことを即座に理解。その場から離れる。一瞬後に地面に着弾。拳大の穴が開き、土塊が舞った。
玄関口に来た瞬間に炎。構わず突っ込む。
炎の幕は一瞬で突き抜けた。耳に届いたのはバーサーカーの咆哮。とっさに身を低くした。
重厚な鎧を身に纏っているとは思えぬ軽やかな動作で、ランサーは乱暴に袈裟懸けに振り下ろされたバーサーカーの剣を回避。そのまま地面で一回転し、向かう先は向いの家の外壁に突き刺さったままの槍の許へ。
槍の柄を掴むと同時に空いた左手を掲げ、頭部を隠す。
衝撃が掲げた左手に走った。
鎧を貫通し、腕から血が迸ったが幸いにもつながっているようだ。神経も通っているので指も動くことを確認した。
アーチャーの狙撃だ。だが予測できたこと。右足を軸に、バーサーカーに向き合うように旋回。旋回の勢いを利用して槍を振り上げる。
ランサーの動きに合わせて外壁を打ち壊しながら槍が解放された。
そのまま振り下ろす。穂先が向かう先は勿論バーサーカー。剣での防御もせず、バーサーカーはその一撃を受けた。
胸の鎧が削れ、内部を引き裂いたのが感触でわかった。
だがバーサーカーの胸板から血は吹き出なかった。代わりに溢れ出たのは、鮮血さえ蒸発させる赤い炎。
炎は蛇のようにうねりながらランサーに迫る。そして炎を押しのけるように、バーサーカー自身もランサーに肉薄する。
「■■■■■■■■■■■■■■■―――――――!」
バーサーカーの咆哮が大気を震わせる。ランサーも前に出た。
状況は悪い。左手の傷が思ったより深い。これでは両手で槍を十全に振るうことはできない。加えてアーチャーの狙撃。実質二対一だ。
突っ込んでくるバーサーカーが、右手の剣を振り下ろす。ランサーは短いサイドステップを刻んで回避。狙撃を警戒するならとにかく動き続けなければならない。
バーサーカーの左側に回り込みつつ槍を回し、柄をバーサーカーの膝裏に引っ掛けた。
そのまま膝を救いあげようとしたら、バーサーカーがその場で跳躍した。主人の死角を埋めるように炎が迫るので、バックステップで後退。まるでその場を予期していたかのように魔弾が右肩に突き刺さる。
「ぐぅ……!」
神経が張り詰める。絶え間ない集中で精神が摩耗する。
「■■■■■■■■■■■■■■■―――――――!」
バーサーカーの咆哮。着地と同時にこちらに疾走してくる。その兜を掠めるように魔弾が来る。槍を振るって防御。その次の瞬間だった。
「が!」
膝裏、
防御した、さらに位置を移動もした。
敵はそれさえも読んでいた。弾丸は二発連続で放たれていた。
それも一発目と全く同じ軌道だ。なのでランサーからは一発目に隠れて二発目の魔弾が見えなかった。位置取りを移動していたので直撃はしなかったが、跳弾は喰らった、というわけだ。
それでも不幸中の幸いか、微かに足の位置を移動していたので膝裏を完全に貫かれたわけではない。だが
思わず膝を付く。その隙を見逃すはずがなく、バーサーカーが獲物に襲い掛かる猛獣のように飛び掛かってきた。
万事休す。バーサーカーの剣がランサーの頭に振り下ろされようとした、その刹那――――、
バーサーカーの身体に剣が突き刺さった。
「!?」
鎧の隙間に突き刺さったのは飾り気のない直剣。いずれも大量生産の量産品。それが四本。バーサーカーの両肩口の鎧の隙間に半ばまで突き刺さっている。
「■■■■■■■■■■■■■■■―――――――!」
兜の奥から絶叫が迸る。バーサーカーはいったんランサーから距離を取った。
影が一つ、頭上からランサーの前に降り立った。
軽やかに膝を付いた着地。一拍遅れて、彼女の長い金髪が下がる。その周囲には、彼女を守るように六本の剣が使い手のないままに浮遊している。
後ろで一本に束ねた金色の三つ編み、青い双眸、胸と腰回りという、最低限のみ守る銀色の鎧、同じ色の具足、鎧の下には黒のインナー、剥き出しの脇腹あたりに、グルグルと螺旋を描いた茨の刻印。
この偽りの聖杯戦争で、最後に召喚されたサーヴァント。
セイバーはまっすぐ前を見る。視線の先にはバーサーカー。体を震わせ、突き刺さった剣を振るい落とす。
「バーサーカー!」
その声は凛としていて、けれどセイバー本来が持つ気品を失っておらず、聞くものの耳に心地いい。
「マスターの命により馳せ参じました。貴方の暴虐、ここで止めます!」
手にした剣の切っ先をバーサーカーに突き付けて、セイバーはそう宣言した。