春日居市新地区、自然公園。
左足の靄が消えていくのを、兜の奥の双眸でバーサーカーは確認した。
立ち上がる。足に支障はない。
マスターの死に際の令呪によって、バーサーカーは戦闘に関すること、聖杯戦争に勝ち抜く要素に限り、理性と思考能力を獲得していた。
その理性で考える。この“呪い”は生前から続いたものだ。生前は足を引きずってばかりだった。それでも戦いに影響はなかった。
なのに今はどうだ。まともに歩くことさえできなかった。
これがサーヴァント。本質がエーテル体の、仮初の肉体。
そして危険はもう一つ。
マスターを失ったことだ。これは即ち、現世に己を繋ぎ止める楔がなくなったことを指す。
こうしている間も、一刻ごとに体から魔力が流れ出てしまっているのを感じる。
胸の真ん中に、決して埋まらない虚空が口を開けているようだ。
今はマスターが残した“エサ”や魂食いで食いつないでいるがいつまで保つかわからない。
急がなければならない。この憤怒を、世界に刻む。マスターが願った通りに。
バーサーカーは自分の身体から湧き出ている炎を見つめた。
この炎。己の宝具。身の内から出てくる尽きることない憤怒。
この炎であの女を焼き滅ぼしてやる。
生前会ったことはない。だが分かる。
あの女は、
百年に渡る怨念の炎。決して消えない炎を胸に、魂に抱きながら、バーサーカーは咆哮を上げた。
その、瞬間だった。
森の中から小柄な影が飛び出した。
影の周囲の空間が揺らぎ、飾り気のない直剣が五つ射出された。
間違いなくセイバー。バーサーカーは右手の剣を振るいながら炎を鞭のように振り回し、迎撃。剣を叩き落とすと同時に左拳を空中のセイバーに向けて突き放った。
付き放たれた拳から、炎の塊が砲弾のように射出される。空中では自由な動きのできないセイバーに、これは躱せまい。
バーサーカーはそう考えたが事実は違った。空中にいるセイバーの身体が横にスライド。炎の一撃を回避し、そのまま急降下を決めた。
セイバーは空中にいたが、その足下には浮遊する剣。彼女は跳躍から剣の上に乗り、空中を移動していたのだ。刃物とはいえ、剣の腹に乗るなら安定性という面ではサーヴァントにとって平地と変わるまい。
地面すれすれで剣の軌道が変化。切っ先がバーサーカーの方に向き、その上に乗っているセイバーの視線もまた、バーサーカーを向いた。
バーサーカーの炎がセイバーを迎え撃つ。正面、上下左右。それらに対して、セイバーがとった行動は足で軽く剣を蹴ったことだった。
まるで羽毛の様な軽やかな動作。軽やかな跳躍を見せたセイバーを迎えたのはさっきまで乗っていたのとは別の剣。
その剣の腹も軽く蹴りつける。迫る炎を躱し、次々に射出する自身の剣を蹴りつけて、セイバーは三次元的な軌道を描きながらバーサーカーとの距離を詰めた。
彼我との距離が縮まることを理解したバーサーカーが地を蹴って肉薄。両者が動き出したため、彼我の距離が一気に零に近くなる。
「■■■■■■■■■■■■―――――――!」
横薙ぎの一撃はバーサーカーから。炎を纏った一閃を、セイバーがひときわ高く跳躍して回避。そして頭上に用意していた剣を蹴って、今度は急加速からの急降下。その間にも剣を構えている。
「はぁっ!」
両手で握った剣を振り下ろす、縦の一閃。
通った。とセイバーは思った。
剣から伝わる手ごたえが、鎧を断ち割り、その奥にある肉を斬った感触だった。
いける。そう思ってさらに一歩踏み込もうとした瞬間、視界を炎が覆った。
「ッ!」
炎の出所は今しがたセイバーが切り裂いた個所。鎧の隙間からあふれ出るような炎がセイバーの視界を塞ぐ。かがんでバーサーカーの左側面に回る。
その瞬間、バーサーカーがとった行動は迎撃ではなく退避。地を蹴って大きく後退。セイバーの剣の範囲外から離脱した。
「逃がしません!」
思わぬ反撃は受けたが、今の一撃は確かなダメージを与えたはずだ。ただの離脱としか思えない今の跳躍がそれを証明している。
セイバーもまた軽やかに地を蹴った。あのバーサーカーは無辜の民を手にかけた。このまま放置はできない。今夜ここで、仕留める。
バーサーカーは後退しながら、自身の調子の低下を痛感していた。
マスターが残した魔力結晶があるため、魔力量の消費については問題はないはずだった。
だがマスターという楔を失ったため、零れて消えていく魔力を抑えられない。本当なら今この瞬間も消滅してしまうところを、結晶やスキルを含めた魂食いによって無理矢理生きながらえている。そのうえ激しい戦闘を繰り返せば、魔力のリカバリーが間に合わずに消滅するのは道理。
加えて目の前の敵だ。いったん撤退してから戻ってくるまでの間に何があったのか。明らかに
内から感じる魔力も、踏み込みの力強さも、斬撃の鋭さも、跳躍の軽やかさも、何もかもが先程よりも上だ。
失われた魔力が戻っている。いったい、この怨敵に何があったのか?
◆◆◆◆◆◆
数分前。自然公園内森の内部。
わずかな月明かりだけが、その森の光源だった。
マスターの言に従って森の中に入ったセイバーは、すぐに司を見つけた。
「セイバー」
司は己のサーヴァントとの合流を待って、すぐに用件を切り出した。何しろ時間がない。炎を使うバーサーカーだ。最悪この森に火を放ちかねない。
「
「え!?」
いきなり言われて、セイバーは驚き、次いで戸惑った。
「ごめん。セイバーが吸血を嫌っていることは知っている。だけど、ここで俺の血を吸えば、セイバーは手っ取り早く魔力を回復できるんだろう? 昼間、アサシンと戦って、ホテルで休んで、俺からの魔力供給があっても、それでも万全じゃないだろう?」
司の言うことは事実だった。その証拠に、セイバーは確かにホテルにいた時から微かな喉の渇きを覚えていた。それはこの戦闘中もそうだ。いや、時間ごとに渇きは増している。万全でないから、魔力消費が激しく、この仮初の、なのに卑しい
「残念だけど、ほかに君の魔力をこの場で回復させるには、あとは令呪くらいしか思いつかない。けど、まだ二日目のここで二画目を切るわけにはいかない。
そしてあのバーサーカーは祠堂の家よりも激しい炎を操るみたいだ。だとしたら、俺の魔術は全く通用しないと思う。狂化してるなら、熱による蜃気楼も意味がなさそうだしね」
つまりここで俺の仕事はないんだと、司は申し訳なさそうに言った。
「だから言うよ、セイバー。俺の血を吸ってくれ。これで魔力を回復させて、バーサーカーを倒してくれ」
自分にできることはこれくらいしかない。そんな無力を感じさせる声音で、司は言った。
「マスター……」
「頼む、セイバー。新地区には
セイバーは司の顔を見る。
青ざめた表情は戦闘の空気に当てられたからではなく、友人の安否を気遣ってのことか。おそらく、同盟を結んだ監督役が今、事態収拾のために奔走しているだろう。狙撃がないことから、ランサーはアーチャーを抑えられているようだ。
彼らは彼らの仕事を果たしている。
次は自分たちの番だ。務めを果たせ。それがこの
眼前で、司が上着のボタンを外し始めた。
服がずれ、月明かりに彼の首筋から鎖骨のラインが浮き出た。
セイバーは我知らず、喉を鳴らした。ああ、なんと卑しい反応か。まさしく、血に飢えた吸血鬼そのものだ。
「もう一度、言うよ、セイバー。多分、
――――――俺の血を吸って、バーサーカーを倒して」
「――――――それが、マスターの命令でしたら、
そしてセイバーは司の身体にすり寄って、その首筋に、犬歯と言うには長すぎる歯――牙――を突き立てた。
◆◆◆◆◆◆
いける、とセイバーは思った。
バーサーカーは明らかに大きなダメージを負っている。それにここまでの戦闘で、相当魔力を消耗したようだ。
そして自分はマスターの血を啜ったことで、魔力が回復し、体がかなり軽くなっている。
調子がいい。絶好調だ。
一気に攻め、倒す。そのチャンスが今だった。
「はぁ!」
地を蹴って肉薄。心なし炎の威力も弱まっている。
セイバーの右手が翻る。剣戟がバーサーカーに浴びせられる。
右、左、左、右右、そして
「下です!」
膝を狙った一閃。バーサーカーの左ひざから鮮血と炎が迸った。
「■■■■■■■■■■■■―――――――!」
だがバーサーカーとて人類史に名を刻んだ英霊。鮮血迸る左足を軸足にして後方に跳躍。さらに牽制とばかりに炎弾を放つ。セイバーは剣を出現させてガード。その視線はバーサーカーから外れない。
マスターから貰った血は素晴らしい。己の『吸血』スキルを、セイバーは忌み嫌っているが、自分が怪物としての穢れを背負うことで自分の魔力を潤沢にし、己の強化し、その結果無辜の民の犠牲を減らせるのなら、それでもいいと思った。
「行きます!」
足元を薙ぎ払うように、バーサーカーの左腕が振るわれる。その軌跡に沿って炎が波となってセイバーを襲う。
跳躍。さらに剣を足場にして空中を渡っていく。
狙いは一転。バーサーカーの首。そこを切断できればこちらの勝利だ。いかなサーヴァントでも、首を切断されれば倒されるだろう。
バーサーカーの炎弾を剣を盾に躱し、時に姿勢制御のためにあえて動かず、掠めていく。
熱も痛みも、今は吸血効果によってか、鈍くなっているのである程度無視できる。
彼我の距離が迫る。あと一歩、それで敵の首に剣が届く!
「はあああああああああああああ!」
裂帛の気合とともにセイバーが行く。
その刹那。横合いからの衝撃がセイバーを襲った。
「ッ!?」
一体何が起こったのか。完全に無防備な状態でセイバーの身体は大きく吹き飛ばされ、宙を舞う。
即座に体勢を立て直し、剣を射出、その柄頭に茨を巻き付けて姿勢制御。足で地面に着地して構える。
そして見た。
セイバーの眼前。バーサーカーとの間に立ちはだかるように、異形の怪物の姿があった。
トカゲに似た頭部の形状。しかし決してトカゲのような卑小な生物ではないことが肌で、魂で感じられる。
それは、近い幻想種をたどるなら、竜種だろうか。
首から生えている小さめの翼の数々。牙の揃った口、鋭い眼光。ただ、その頭の数が異常だ。
一つ二つではない。とっさに数えられぬほど。ひょっとしたら三桁の大台に乗るかもしれない。
表皮の色は茶色のはずだが、夜中でもほのかに光っており、燐光のような魔力光をまき散らしている。
そして
多くの咆哮に向いて伸びている首の出所。この怪物からすればここが胴体とか、中心部とか、そういうのだろう部分に、ズラリと牙の生えた下顎らしき部位。
セイバーは軽く喉を鳴らした。その様は間違いなく現代に存在しないはずの怪物。
「マスター!」
(まず間違いない。キャスターの怪物だ! しかもこいつは、多分竜種だ!)
動けずとも、使い魔越しに戦況を把握しているのだろう。緊迫した司の声。セイバーは剣を握る手に力を込めた。
数ある幻想種、怪物と言えども、竜種はその頂点に立つという。
あいにく生前の時点で幻想種は世界の裏側に退避した後だったので、せいぜい幻想の名残くらいしかお目にかかれたことはないので、こうしてじっくり観察するのはこれが初めてだ。昼間は邂逅と同時に戦闘に入ったので、じっくり観察する暇もなかった。
多頭の竜はしかしすぐさま襲い掛かってくるようなことはなかった。
ただその無数に枝分かれした首をバーサーカーの四肢に巻き付けていた。
先にバーサーカーを狙うのか? そう思ったが、そうではなかった。
抵抗するバーサーカー。だがその炎の勢いが弱い。いや、
あの竜種がそうしているのだとセイバーは直感した。
「くっ!」
とにかく動かなければ。そう思ったセイバーだったが、竜種の牙が彼女の動きを阻む。
鞭のようにしなりながら一直線にセイバーの首元を狙った牙の一撃を間一髪で回避。返す刀でその首を斬り落とす。
血を被るのはまずかろうと鮮血から距離をとる。
さらに距離を詰めようとしたセイバーの眼前に開かれる口。
「ッ!」
まずいと思い、とっさに身を屈め、体を左に回した。次の瞬間、吐きだされたのは紅蓮の炎。
熱い。この熱量、バーサーカーの炎にも劣らぬ。
さらにバーサーカーの身体に、竜種の牙が付きたてられた。
攻撃ではなく、それはただ咥えるといった動作だった。そう、手足のない生物が、何かを取り上げるには口に咥えるしかない。
この怪物は、バーサーカーを回収しようとしている。どこかに――――否、キャスターの許に運ぼうとしている。
何をするつもりか分からないが絶対にろくなことにならない。
セイバーは地を蹴りバーサーカーと竜種に肉薄する。牽制として放った剣は叩き落された。バーサーカーを拘束しつつ、空いた頭部はこちらを警戒している。
『――――――――――――!』
多重の高音が響き渡る。多頭の竜が放った威嚇の声。それがセイバーの足を止めた瞬間、信じられないことが起こった。
「え!?」
竜の首が集まる中心部。そこを起点に、バーサーカーを含めて竜の身体が
「これは――――」
一体何が起こっているのか分からない。まるで空間に穴が開き、その中に吸い込まれていくように、バーサーカーと竜の身体がどんどん小さくなって、収納されていく。
よく見れば下顎らしきパーツが、まるで物を飲み込むように動いているのもそう思わせる一因だろうか。
やがて、竜種も、バーサーカーも、セイバーが見ている前で完全に消失していた。
一体何が起こったのか、セイバーにも分からない。多分、使い魔越しにこの一部始終を見ていた
いずれしても、取り逃がした。
この苦い結果だけが残った。