偽典の聖杯戦争   作:tuki21

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第2話:ライダー、アサシン召喚

 春日居(かすがい)市、新地区、某所。

 ウィンクルード・アーマスがアーチャーの召喚に成功したのとほぼ同時刻、春日居市最大のホテル、カスガイ・グランド・ホテル最上階。

 そこの全スイートルームを借り切って、今、新たな英霊が召喚されようとしていた。

 魔術協会から派遣された魔術師、アルフレット・ウォーラーは、弟子筆頭にして第一助手のアイリーンと、その他の十五人の弟子たちとともに、聖杯戦争を勝ち抜くため、サーヴァント召喚の準備に取り掛かっていた。

 

「ん、ああ。こっちは現地入りした。やっぱあたりだぜ、今回は。何しろ、魔術どもがわんさか潜んでやがるし、街全体の空気も変だ。

 こりゃあ、あれだ、魔術師が土地使ってやばい実験した時に似てんな。感覚の鋭い人間や、魔術師ならわかるだろうぜ。異界化してるって、言ってもいいだろうよ」

 

 携帯電話を耳に当て、英語で報告を告げるアルフレット。

 

『そうか……。やはり、数か月前からの噂は真実でしたか……』

 

 電話の向こうから苦渋に満ちた声が聞こえてきた。

 まだ若い。せいぜいが三十を少し過ぎたあたりか。だがその声には、実年齢を遥かに凌駕する「重み」が備わっていた。

 

「わりーな。今回の聖杯戦争は()()()だぜ。たぶん何騎かはもうサーヴァントも召喚されてんだろうよ。つまり、偽物だろうが本物だろうが、サーヴァントを召喚してドンパチやる形式は成立してんだ。あんたは、是が非でも駆けつけたかったんじゃあねぇか?」

『……法政科の横やりが入った以上、仕方ないでしょうな。……定期報告だけはお願いしたい』

「おうよ。最悪、オレが死んでもアイリーンから連絡させるさ。今回、魔術協会の目的は調査だしな」

『ロッコ翁辺りはうまく聖杯をかすめ取れないかと考えているのでしょうがね。……あのご老体は、おいしい所取りを求めすぎている』

「ちげぇねーや。――――これからサーヴァント召喚だ。切るぜ」

『了解しました。この場合、正しいかどうかわかりませんが、言っておきましょう。ご武運を』

「ハッ。()()()()()()()()()()()()あんたに言われると、社交辞令の言葉にも力があるように感じるぜ。じゃあな、ロード・エルメロイ二世」

 

 現時点の時計塔での、唯一の聖杯戦争生還者にして、十二人の君主(ロード)の一人、ロード・エルメロイ二世に対し、最後までフランクな口調をやめず、アルフレットは通話を終了した。

 いずれにしろ、聖杯戦争と名の付くものに、あの若きロードが関わりを求めないわけがない。そして彼のアドバイザーとしての意見は大変貴重だ。

 法政科からロードの訪日禁止要請が出ている以上、ロード・エルメロイ二世の現地入りは叶うまい。ありとあらゆる手段で止められるだろう。

 だからこそ、こちらが手足となる必要がある。そうすることで、彼という頭脳がフル回転できるための燃料を投下するのだ。

 現地(こちら)でパズルのピースを集めることができれば、ロードが描く真実(アートグラフ)が完成されるかもしれない。

 そんな思考は、アイリーンの温度の低い言葉によって中断させられた。

 

「師匠、準備完了です」

「おうよ」

 

 筆頭弟子のアイリーンの台詞に、アルフレットは満足げに頷いた。

 このホテルの最上階は現在、魔術的な暗示、ホテルの従業員への賄賂や、偽の立て看板などで、魔術的、物理的双方から、アルフレットとその関係者以外の立ち入りを禁止している。

 このホテルの最上階にあるスイートルームは二つ。そのうち一部屋から可動式の家具は全て運び出され、隣の部屋に移動させられた。

 家具が運び出された部屋は広々としており、アルフレットと弟子たちを含めた十七人が楽々と入りこめた。

 アルフレットは弟子たちが描いた魔法陣をつぶさに見渡し、問題も異常もないことを確認。「いい仕事だぜ」と、弟子達に英語でねぎらいの言葉をかけた。

 師の賞賛の言葉に、弟子たちは己の仕事に対する充足感を得て、魔法陣から退去していく。

 最後まで魔法陣内に残っていたアイリーンも、魔法陣に異常がないか入念に確認し、退去した。 

 

「…………」

 

 無言で、アルフレットは一歩、前に出た。そして、英霊召喚のための触媒を取り出した。

 魔術的、物理的、二重の防護を施されたアタッシュケースから取り出されたのは、一片の木片だった。

 本当に、一見すると何かの破片にしか見えない。色付けされていない、木本来の色彩を保ったそれは、魔術協会で入念に調べたところ、発見された地方、歴史からまず間違いなくある英雄に連なる品であり、さらに追加報告として、この木片は今なお()()()()()

 より正確に言うならば、魔力が鼓動のように脈動し続けているとのことだ。

 一体いかなる手段なのか、それとも幻想あふれる時代の遺物、この木片自体も、ただの木ではないのかもしれない。

 だがそんなことはどうでもいい。アルフレットにとって重要なのは、この触媒で目論見通りの英霊をサーヴァントとして召喚できるかどうか、その一点につきる。

 そして、いよいよ始まる英霊召喚に、アイリーン以外の弟子たちが緊張した表情を浮かべていた。

 そんな彼らを見て、アルフレットはやはり彼らに戦術、戦闘面での期待はできねぇなと、そんな客観的事実を思った。

 実際そうだ。彼らは弟子兼助手。各々それなりの使い手の魔術師だが、封印指定の代行者だった自分や、その仕事に参加し、且つ特殊な出自であるアイリーンと違い、彼らに実戦経験は皆無だ。

 いざ戦闘となったら、初めての命のやり取りに十全に行動できるかは怪しいものだ。

 もっとも、聖杯戦争は基本的にサーヴァント同士の戦闘が主で、マスターは魔術師としてサーヴァントの存在維持のために魔力を供給し、いかにして聖杯を手に入れるか、戦術プランを練るのが主な仕事で、基本的には工房や拠点で隠れ、サーヴァントの戦いを見守るのがセオリーだろうし、まれに起こるだろう敵マスターとの魔術戦は自分とアイリーンがやればいい。

 そもそも、アルフレットが十人以上もの人員を連れてきたのは、なにも戦いに参加させようとしたわけではない。

 もっと単純な理由。彼らは()()()

 触媒を魔法陣の中央に置き、アルフレットは英霊召喚のための詠唱を開始した。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 

 詠唱を続ける。魔術回路が励起し、ガチリガチリと、巨大で歪な歯車同士がかみ合うようなイメージがアルフレットの脳裏を駆ける。

 アルフレットの身体が淀みなく、朗々と詠唱を紡ぐ。精神は、不測の事態が起こらぬよう、細心の注意を払って魔力を練り上げていく。

 体は詠唱を続け、魔力を練り上げ続ける。今、アルフレットは心身ともに英霊召喚の儀式に集中していた。

 だが、それでも、彼の脳の一部は、ほぼ無意識でも思考に没頭していた。

 今回の聖杯戦争は明らかになっていない部分が多すぎる。このまま正しくサーヴァントの召喚に成功し、首尾よく聖杯戦争に参加できたとして、そして勝ち残ることができたとして、果たして手に入る聖杯とは、正しく万能の願望機たりえるのか。

 偽物の聖杯――この場合、冬木の、と頭がつく。この聖杯が聖遺物でないことは先刻承知だ――を手に入れても、願望機としての機能を十全に発揮できないならば、まだいい。

 最悪、聖杯は起動と同時に何か、()()()()()()()()を呼び起こしてしまうのではないか。強大な魔力を制御するだけの耐久性はあるのか。

 そしてそもそも、魔術世界全般に渡って流された噂。

 噂が流れるばかりで、肝心の噂の発信者は影も形もない。

 黒幕が組織だとして――間違いないとアルフレットは思っている。というか、個人が聖杯戦争を運営するのは不可能だ。そもそも土地を用意することさえできない――、どのくらいの規模なのか。主要人数は? 末端の構成員まで含めればどれだけの人数が今回の騒動に関わっているのか? 一国レベル? それとも組織レベル? あるいは、少数精鋭? 何一つ分かっていない。

 だが令呪は現れ、今、こうして英霊召喚の儀式が滞りなく進行している。

 詠唱に合わせ、魔法陣が発行する。それに伴って部屋の中をまるで嵐のような突風が巻き起こり、稲妻と閃光が迸る。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 詠唱が終わる。と同時、一際強い閃光が部屋の中を駆け巡り、そして――――

 

 

 魔法陣の中央に、男が一人、立っていた。

 

 

 男の外見年齢はおそらく三十代。飄々とした雰囲気で、稚気に富んだ茶色の瞳、不格好にならない程度に整えられた金の髪は短めに切り揃えられており、緑と茶色を基調にした革鎧姿。この鎧は、戦場に雨のごとく降り注ぐ矢を防ぐための防御力よりも、迅速に戦場を駆け巡るための敏捷性に重きを置いたものと思われる、軽装なもの。

 口元に浮かんだ緩んだ笑みといい、風にたなびく柳のような、あるがままを現したような風貌だ。

 だがその飄々とした佇まいに反し、全身からは自信がオーラのように漲っていた。

 召喚成功だ。アルフレットは内心でガッツポーズを決めた。

 サーヴァントは召喚された場所から動いていない。ただ、瞼を上げ、周囲を見回した。

 視線はアルフレットの弟子たちの前を通り過ぎ、アイリーンで止まった。サーヴァントが、何かを確かめるかのように目を細める。

 

「…………」

 

 だがそれも一瞬。すぐに視線は移動し、今度はアルフレット、即ち、己のマスターの前で止まった。

 

「おっほ。ずいぶん大勢だねぇ。豪華な迎えはぼくも嫌いじゃあないよ」

 

 飄々とした口調の態度そのままに、サーヴァントは魔法陣の外に出た。

 アルフレットの前で立ち止まり、

 

「ライダーのクラスで召喚されたけど、君がぼくのマスターってことで間違いないかい?」

「ああ、間違いねぇよ。オレがオメェさんのマスターだ」

「ふぅん。ずいぶん()()()()契約の仕方をしているねぇ、マスター?」

 

 目を眇め、ライダーは言った。言われたアルフレットもまた、左目をわずかに見開いた。

 

「分かるか」

「パスのつながり方に()()がある。ぼくもそんなに魔術に詳しいわけじゃないけど、同僚にも魔術師はいたからね」

 

 ライダーの言っていることは、今回アルフレットが行ったちょっとした裏技のことだった。

 本来、聖杯戦争に参加するマスターは、聖杯が現世に招いた英霊、即ちサーヴァントを、この現世に留め続けるために、絶えず魔力を供給し続ける必要がある。そうしなければサーヴァントは現界を維持できず、遅かれ早かれ消滅してしまう。

 つまりマスターは、サーヴァントが限界している限り、常に魔力を送り続けなければならないのだ。

 非戦闘時での実体化や、霊体化している状態ならば、その負担は少なくて済む。だが戦闘時となれば消費する魔力は格段に上がり、宝具を使えばさらに上がる。連戦ともなれば魔力消費は天井知らずに上がり続ける。

 凡庸なマスターではそれだけでも辛いだろうに、場合によってはマスター同士の魔術戦も行われる可能性がある。

 サーヴァントへの魔力供給。そして自身の魔術行使。この二つが重なれば、己の魔力が枯渇してもおかしくはない。

 だが今回、アルフレットにその危険は()()。なぜならば、彼は今回の聖杯戦争で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 変則契約。

 アルフレットは本来ならばサーヴァントに対して魔力を供給するところを、パスを分割し、サーヴァント現界のための魔力供給を、全てアイリーン以外の弟子たちに肩代わりさせているのだ。

 つまるところ、今回同伴した弟子の大半は、戦力として数えているのではなく、上述したとおり、サーヴァントのための電池に過ぎないのだ。彼らの魔力量は並程度だが、十五人も集まればサーヴァントの全力戦闘にも支障なく耐えられよう。

 この方法は、本来先代のロード・エルメロイ。即ち、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが、第四次聖杯戦争に参加した折に使った手法だ。この技術を、アルフレットがエルメロイから権利も含めて丸々買い取ったのだ。

 そしてこの術のおかげで、アルフレットは己の魔力を全てマスター同士の魔術戦に注ぎ込むことができるのだった。

 

「気に入らねぇか? 裏技っぽくて」

「いいや? 勝つための小細工でしょ? どんどんしようよ、そういうの。手をまわして、相手の足ひっかけて、ついでに傍観決め込んでる第三者を舌で丸め込んでこっちの味方にして、どんどん切れる手札(カード)を増やして、準備を整えて、戦に臨もうよ」

 

 あっけらかんと、ライダーはそう言った。アルフレットは「それでこそオレのサーヴァントだ」と、にやりと笑った。

 とにかく――――

 ここに契約は成立した。時計塔から参加の魔術師、元封印指定執行者、アルフレット・ウォーラーと、ライダーのチームは、今ここに、正式に聖杯戦争へ参加したのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 二十数年前、とある冬の城。

 

「間違いだ。間違いだった。この個体は失敗作だ」

 

 それが、意識が灯り、初めて瞼を開き、その両目で世界を見て、最初に言われた言葉だった。

 そこは、暗く、冷たく、狭い場所だった。

 そこは自分に与えられた寝床であり、胎盤だった。即ち、ホムンクルスの羊水槽。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()が、間違いの意味を探り当てた。どうやら自分は、創造主の意に沿わない存在として生まれてしまったらしい。

 そうか、私は、聖杯の器には成れなかったのか。

 では、何が間違いなのですか? そう問いかけようとした。私に、何か至らぬところがあるのでしょうか、とも。

 だが自分の身体は頭の天辺から爪先まで液体で満たされており、言葉は声にならず、気泡となって消えてしまった。

 目の前にいた男は、それっきり自分に興味を失ったようだった。

 彼は、厳冬を擬人化したような男だった。

 自分と同じ、白銀の髪と、同じ色の、豊かな顎髭。そして鋭い双眸に、深い皺が浮いているが、雪のように白い肌。

 知っている。自分は彼を知っている。自分の生みの親だ。

 ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。通称アハト翁。自分のようなホムンクルスを生み出す、アインツベルンの八代目当主。彼の瞳は、刃のように自分を切り刻み、槍のように突き穿つ。

 

「自我を得て、優秀な魔術回路を持っていようが、これでは聖杯の器にはならぬ。冬の聖女からもっとも遠い」

 

 落ち窪んだ双眸は、明らかな失望に満ちていた。

 ユーブスタクハイトが踵を返した。瞬間、自分の背筋に悪寒が走った。

 駄目だ。このまま彼を行かせてしまっては駄目だ。自分にとって、致命的な事態が起こる。

 嫌だ、嫌だ。待って、待ってください。行かないで。私を置いていかないで、ユーブスタクハイト様!

 だが恐怖は叫びにならず、足掻きはホムンクルスの羊水槽の硝子を弱弱しく叩くことしかできない。

 去っていく背中が、ボソリと告げた。

 

「廃棄しろ」

 

 それはまさしく死刑宣告で、その言葉を脳が認識した瞬間、心の奥底から恐怖が逆流した滝のように沸き起こり――――

 次の瞬間、まるで電源を切るように、プツンと、意識が断絶した。

 

 

 本当なら、そこで終わるはずだった。

 切られた意識は二度と目覚めることなく、あの場所に、アインツベルンの城で最も忌まわしい、ホムンクルスの廃棄場に打ち捨てられて、終わるはずだった。

 いかなる奇跡か、偶然か。そうはならなかった。

 まるで機械の誤作動のように、意識が再び点った。

 

「ッ!」

 

 液体の中から出されたと思ったのに、また液体の中にいた。

 今度は、放り込まれたら呼吸もできない。

 ここにいたら死ぬ。本能的な恐怖に突き動かされて、必死になって手足を動かした。

 まさしく溺れたもののように、不器用に手足をかくことしかできない。

 手足を動かしていると、何かに触れた。

 

「……?」

 

 薄く目を開けてみる。何なのかよくわからない液体が目に染みるが、それでも間近にあった()()が何かわかった。

 自分と同じ顔の、壊れた人形(ホムンクルス)

 

「ッ!」

 

 悲鳴を何とかこらえた。今口を開ければ確実に溺れ死ぬ。

 見れば周囲には同じく廃棄されたホムンクルスがたくさんあった。全部自分と同じ顔だった。

 そう、ここはまさに終わりだ。自分の終わりだ。逃げろ、逃げなければならない。ここから、なんとしても!

 そこからは、ただただ生存を求めて足掻いた。

 そしてついに、自分はあの終わりの場所からの脱出に成功した。 

 思えば、そこで、自分は本当に生まれたのだ。死の胎盤から脱出したあの時から、名も与えられなかったホムンクルスは、己の生を手に入れたのだ。

 だから、自分は己に名前を付けた。

 生まれた時から間違いだと斬り捨てられて、存在を否定(ニヒト)された。だから、これこそを名前にしよう、と思った。

 そう、ニヒト。それが私の名前。

 

 

 春日居市郊外、森の奥の洋館。

 風が窓を揺らすがたがたという音をきっかけに、意識が、記憶を反芻する夢から戻った。

 現状認識。

 ここはどこだ? 春日居市郊外に広がる森の中にある洋館だ。打ち捨てられて久しい内装は――外観も――廃墟のようだが、幸い窓ガラスはいくつか無事だし、雨風は凌げる。一番最初の、あの行き詰まりに比べれば天国だ。

 何のためにここにいるのか? 決まっている。この街で行われる、聖杯戦争に参加するためだ。

 

「…………」

 

 左手の甲を見る。そこに浮かび上がった、タトゥーのような紋様。見ようによっては、羽根を広げた蝶のようにも見える。

 聖杯戦争のマスターの証、令呪だ。これがある以上、自分はこの聖杯戦争に参加する資格が認められたということだ。それが今、自分がここに立っていられる(よすが)だ。

 今の夢は? 自分が意識を初めて灯し、そして生を勝ち取った時の記憶。あそこが原点だ。この私、ニヒトと名乗る、この伽藍洞(がらんどう)のホムンクルスの。

 外見確認。姿見の前に立つ。やはり廃墟にあった品だけあって、横一直線の罅が入っていたが、己の姿を見る分には問題ない。寧ろ、壊れた自分には、こういう、壊れた館と、壊れた家具こそが相応しい。

 罅割れた鏡に映ったのは、やはり見慣れた己の姿。

 首の後ろで縛った状態にしてある、腰まで伸びた銀髪、血のように赤い双眸。雪のように、あるいは骨のように、病的に白い肌。そして、黒いツーピースのスーツ姿。

 実はこの顔、ニヒト本人は知らぬことだったが、第四次聖杯戦争に赴いたアインツベルンのホムンクルス、アイリスフィール・フォン・アインツベルンにそっくりなのだ。もっとも、アイリスフィールと違い、壮絶な二十数年間を歩んできたためか、その顔つきは張り詰めており、人によっては凛とした美しさと映るだろう。

 その立ち振る舞いは、見れば誰もが男装の麗人という言葉を想起するだろうか。

 ともあれ、ニヒトが外見的にも問題がないことを確認した時、

 

「――――マスター」

 

 不意に、静かな声が耳朶を打った。

 全く何の前触れもなく、鏡に黒い人影が写っていたのだった。

 影の正体を、ニヒトは知っている。今回の聖杯戦争に対して召喚した、アサシンのサーヴァントだ。

 ふとニヒトは、このアサシンを召喚した時のことを思いだした。

 聖杯戦争において召喚される英霊は、なんらかの触媒を用いる場合を除けばランダムだ。より正確に言えば、マスターの性質に近い英霊が召喚される。

 しかしこの中で、英霊は限定できずとも、マスターの任意で特定できるクラスが二つある。

 一つはバーサーカー。これは、狂化の属性を付加することによって、どのような英霊だろうともバーサーカーに該当されるためだ。

 そしてもう一つは、アサシン。これは、本来の聖杯戦争において、アサシンのクラスに該当する英霊は全て、とある暗殺者集団に属する、歴代の頭領たちの中から一人が選ばれ、召喚される約束事となっているためだ。

 自分は、この偽りの聖杯戦争に参加するに当たって、召喚するサーヴァントはアサシンにしようと決めていた。

 生きだしてから今日まで、ずっと影に生きてきた自分には、影に生き、影に死ぬ暗殺者こそが相応しいと思ったからだ。

 だが、いざアサシンのサーヴァントを召喚してみれば、少々奇妙なことが起こった。

 アサシン。その母体となる暗殺者集団の長には、代々一つの名が受け継がれてきた。ハサン・サッバーハ。それが、全てのアサシンに共通する真名。そしてハサンたちはその証明とも言うべき、髑髏の仮面をつけているはずだった。

 確かに、仮面をつけていた。ただし、右半分だけ。

 露わになっている左半分から覗くのは褐色の肌に、黒曜石のような色をした、憂いを秘めた瞳。

 美しい顔立ちをした娘だ。年のころは二十歳前後。外見だけなら自分とあまり変わらない。

 すらりとしたスレンダーな体つきで、ベリーダンス風の、体にぴったりと張り付くような衣装を着て、その上に黒のマントを羽織った姿。そのマントの下に大量の短剣(ダーク)を隠し持っていることを、ニヒトは本人から聞いた。

 召喚に成功した時、ニヒトはアサシンに尋ねた。君は、ハサン・サッバーハなのかと。

 彼女は答えた。そうでもあり、そうでもないと。

 どういうことかと尋ねれば、彼女は静かに語りだした。

 自分は、ハサンの名を剥奪されたのだと。

 彼女は一度(ちょう)に座につき、そしてその座を、ハサン・サッバーハという名を剥奪されたのだという。

 砕かれた仮面を、異端の証だと彼女は言った。

 既にハサンを名乗ることで本来の名を亡くしている彼女は、正真正銘誰でもなくなってしまい、本来ならば聖杯戦争に召喚されることもない。

 この、ありえない偽りの聖杯戦争だからこそ、偽りのハサンである自分が召喚されたようなものだという。

 そのことに、ニヒトは深い親近感を感じた。

 本来現れるはずのない彼女。現れてはいけないはずの彼女。

 自分と同じ、「間違えた」存在。

 根拠があるわけではない。けれど、彼女とならば、この聖杯戦争を勝ち抜ける気がした。

 

「――――マスター?」

 

 もう一度、声をかけられて、回想から復帰する。

 

「何でもありません。君を召喚した時のことを、思い出していただけです。過去の回想は、私の唯一の趣味みたいなものですから」

 

 だが最近、過去回想が長くなった気がする。自分が造られてから、もう二十年以上たっている。

 二十年。人間ならば赤ん坊から成人まで成長する時間だ。それだけあれば、世の中の流れも変わる。

 例えば、自分を造った錬金術の大家、アインツベルンが、第四次、第五次と立て続けに聖杯戦争で手痛い敗北を喫し、ついに滅びてしまったらしい。あのアハト翁さえも、()()()()()()とか。

 皮肉な話だ。自分の支配者とも言えた家は滅び、その家からはじき出された自分は生き残った。

 そして、だからだろう。自分が、この偽りの聖杯戦争に参加しようと決意したのは。

 わかるのだ。自分の耐用年数(じゅみょう)はとっくに過ぎていて、本当ならいつ()()してもおかしくないと。

 死ぬことは恐ろしくない。だが、それでも、心の底に、知りたいと望むことがあった。

 自分は、一体何が間違いだったのか。アインツベルンが滅んだ以上、その答えを知るには、それこそ万能の願望機である聖杯に縋るしかない。

 奇しくも、アサシンが聖杯に掛ける願いも、似たようなものだった。

 アサシンは言った、自分の、本当の名前を、知りたいと。

 彼女はハサン・サッバーハに成ることで、元の名前を捨て去った。今となってそれは、人々の記憶からも、記録からも、自分の中にさえも、全て抹消されたものになってしまった。

 元の名前は自分の遠い記憶にもない。文字通り全てを捧げて、彼女はハサン・サッバーハに成ったのだ。

 だがハサンの名を剥奪された今、『自分』を確立させるものがなくなってしまった。

 だから彼女は名前を求める。剥奪されたハサンではなく、自分の、亡くしてしまった、削り取られてしまった、本当の名前を。

 

「行きましょう、アサシン。きっとそろそろ、聖杯戦争が始まります。戦いましょう、そして殺しましょう。敵を、他のマスターを、サーヴァントも。私たちの望みのために」

「――――マスターの、意向のままに」

 

 自分の原点に致命的な欠落を抱えたコンビは、こうして聖杯戦争へと参加したのだった。

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