結婚式や休日の礼拝、さらに季節ごとのイベントなど、春日居教会は市民に広く門戸を開いている。
だがそんな教会も、聖杯戦争の期間中は裏の顔――というより本来の目的――を市民に見せないように動く。
何のかんのと理由をつけて市民と距離を取り、さらに春日居市内、或いは隣接する都市にいるスタッフとともに、聖杯戦争と神秘の隠匿を滞りなく行うように動く。
そんな教会だが勿論住み込みの住人はいる。
一人は春日居教会の神父、ブラザー・スミス。ただし彼は聖堂教会の人間ではない。
聖堂教会の存在と、聖杯戦争について知ってはいても、それだけだ。古くから春日居教会に勤務し、聖杯戦争の期間中もただ粛々と表の業務を遂行するだけだ。
もう一人こそが肝心の人物である聖杯戦争の監督役、シスター・キャロル。
監督役でありながらサーヴァント、ランサーのマスターとして、この地で行われるこの偽りの聖杯戦争に参加。背後に蠢く思惑と、黒幕の正体を掴もうと画策している。
そんなシスター・キャロルだが、昨夜のバーサーカーの暴挙に対する対応に追われ、さらに瀕死の重傷を負って帰還したランサーの治療に当たったため、ほとんど徹夜だった。
激務と常に強いられる緊張故か、シャワーを浴びて仮眠をとるつもりだった彼女は、自室のベッドに入った瞬間もう寝息を立てていた。
眠りは深く、いつもは日が昇るよりも早く目覚めているはずが、もう日が昇った後もまだ目覚めない。
そんなキャロルの自室の扉をノックする音がした。
たまたま眠りが浅いタイミングだったのだろう、布団の中に入っていたキャロルの頭がもぞりと動いた。
「ん……」
そのままもぞもぞと布団の中で億劫そうに蠢いていたが、
「お疲れのところすみません、シスター・キャロル。ですがそろそろ七時を回ります。申し訳ありませんが起床してください。町全体が異様な空気に包まれつつありますが、だからこそ当教会や信仰は人々の心の支えであるべきだと思うのです」
穏やかな声が聞こえる。それが名目上この教会の責任者で神父のスミスのものだと気づいた瞬間、キャロルはベッドから飛び起きた。
「ッ! ぶ、ブラザースミス!? え、もう七時ですか!?」
飛び起きたキャロルだったがそんな彼女を制するように扉の向こうから声がした。
「どうか落ち着いてください、シスター・キャロル。君が教会でする朝の仕事は私が代行しておきました。先夜はお疲れだったでしょう? 睡眠を十分にとり、思考をクリアにする必要があったので、君の落ち度ではありません。朝食の用意もできています。ゆっくりと身だしなみを整えてからいらしてください。
スミス神父の最後の台詞に、キャロルは昨夜重傷を負って帰還したランサーのことを思う。
令呪を使った治療は成功したと確信している。だがそれでも、一目見なければ安心できない。キャロルはいそいそと身支度を始めた。
◆◆◆◆◆◆
朝食の場として使っている長机には三人分の朝食が用意されていた。
バスケットの中に入ったパンとスープ、そして野菜をメインにした質素なものだったが、もともとこの教会の人間は清貧を旨とするので問題はない。
キャロルから見て右側の席にスミスが座り、穏やかな笑みをキャロルに向けていた。
そして正面の席に座っていたのは、
「ランサー、回復したのですね」
「はい、マスター。貴方のおかげです。で、あるならば、より一層この槍を貴方のために振るいましょう」
スミス神父と同じように穏やかに微笑みながらランサーはそう言った。その微笑みはスミス神父のように穏やかであるながら力強さを秘めていた。
「ありがとうございます、ランサー」
それから食前の祈りをささげ、食事。キャロルとしては熟睡できた方だが身体はまだ疲労を残していたようで、どこかまだ頭がぼうっとしているのを、スミス神父が淹れてくれたコーヒーでしゃっきりさせ、午前の教会の業務を終わらせる。
また、昨夜バーサーカーが暴れたせいで不安がって教会を訪れる周辺住民の心のケアも欠かさない。スミス神父も、彼らのために礼拝堂の壇上で言葉を送っていた。
そして、ひと段落した午前十一時すぎ、キャロルの私室にて。
「お疲れ様です、マスター」
「ええ、ありがとうございます、ランサー」
部屋に戻ってきたキャロルを出迎えるランサー。キャロルは出迎えの言葉に会釈で返し、ベッドの上に腰かけた。対面にランサーが文机の椅子を移動させて腰かけた。
キャロルはいつも持っている聖書をベッドの上において、
「ようやく一息付けました。なのでランサー、遅くなってしまいましたが、昨夜交戦したアーチャーについて、ランサーが知りえたことを全て話してください」
「ええ、勿論です、マスター」
そしてランサーは昨夜のアーチャーとの戦いの顛末を語りだした。
相手はアーチャーとはいえ、使う武器は銃であること。狙撃手として最高峰の実力を持っていること。風やコリオリ力による弾道のブレがなく、恐るべき使い手であること、必要ならば罠を仕掛けること、積極的に一般人を巻き込むタイプではないと推測するが、不運が重なり一般人が巻き込まれた場合、彼らを慮ることはないこと。
「そしてここからが肝心。
キャロルが喉を鳴らした。ランサーはいったん出された紅茶に口をつけ、喉を湿らせた後続けた。
「私が確認できた宝具は二つ。一つは、弾丸の類に宝具の属性を付加するもののようです。当然宝具なので、サーヴァントの通常攻撃よりも威力が高く、風やコリオリ力の影響をほとんど受けません」
「弾丸による狙撃でありながらそれらの影響を極力排せるというのは脅威ですね。私は銃が得意ではないのですが、基本的なことは学んでいます。アーチャーの狙撃手としての腕が最高峰ならば、迂闊に戦場に姿を見せるどころか、面が割れれば白昼堂々頭を撃ち抜かれる危険もある、というわけですね」
キャロルの言葉を聞きながら、ランサーは内心で己のマスターに対して賞賛の念を得た。
彼女は相手の情報から自分の身に降りかかる危険を承知している。
アーチャーによる狙撃は、結果だけ見ればただの銃撃だ。見るものが見れば神秘だと分かるが、逆に一般人からはただの狙撃事件でしかない。
例えば白昼の往来を歩いていたマスターの頭を撃ち抜いたとして、それが神秘の漏えいに繋がるかどうかは疑問だ。
警察は不可解な現象による事件とも、事故ともつかない一件ではなく、明確に銃による狙撃事件として扱うだろう。そこにサーヴァントや聖杯戦争などは影さえ見えまい。
敵マスターの素性さえ割れれば、アーチャーはアサシンよりも迅速に敵マスターを始末できる可能性がある。
「まぁ、実際は
「後の隠蔽が大変そうですけどね」
「申し訳ありませんが、そこはマスターの手腕に期待させていただきます」
悪びれもせずに言うランサーに対し、キャロルは苦笑した。自身も紅茶を飲み、
「ですがこの宝具で最も危険なのは、サーヴァントによる狙撃ではなく、マスターもまた、宝具級の攻撃力を手に、サーヴァントを攻撃できるという点ですね」
その通りだ。我がマスターはこちらの言いたいことを正確にくみ取ってくれた。
「はい。マスターもサーヴァントに対するきわめて有効な攻撃手段を得たと同時に、他のマスターに対しても優位に立っているでしょう。サーヴァントの宝具を扱うマスター。並の魔術師では太刀打ちできません」
「……脱落を装って水面下で動いているであろうライダー陣営、怪物を従えるキャスター陣営。暴れるに任せるバーサーカー。頭の痛い、危険な敵が多いですね」
ため息とともに、弱音にも似た言葉が零れ落ちてしまった。そのことに気づき、キャロルは慌てて首を振った。
傍らに置いた聖書と手繰り寄せて旨前で抱きしめる様に抱え、
「失礼。失言でした。以後二度とこのようなことは言わないので、聞き流してくれると幸いです」
「そのようにかしこまらないでいただきたい。貴方はマスターとしても、監督役としてもよくやっています。しかしこういうのを、この国では二足の草鞋、というのでしょう? 履きこなすには相当苦労するはず。で、あるならば、愚痴や弱音が出るのもまた仕方のないこと。むしろ、
ランサーの声音は穏やかで、それでいながら確固たる自信も感じられた。マスターの不安はこの私が全て払拭して見せましょうと、言外にそう言っているようで頼もしさを感じさせる。
「ええ、その時はお願いします。そして、続きを伺いましょう。ランサー、貴方が重傷を負わされた、アーチャーのもう一つの宝具について」
「はい」
ランサーはカップに注がれた紅茶を飲み干して、こう言った。
「アーチャーのもう一つの宝具、おそらくこちらが本命。それもまた弾丸。しかも宝具の属性が付加されたものと違い、風などの影響を受けないのは勿論、発射後の軌道さえも容易に変えてきます。明らかに後ろに置き去りにしたというのに、私の腰に食らいついてきました。そしてひとたび当たればそれが急所でなくとも関係ありません。着弾位置から私の霊基を破壊していきました。その様子はマスターも見ましたね?」
こくりとキャロルは肯いた。
忘れられるわけがない。体中に罅が入り、硝子のようになっていたランサー。触れただけでその箇所から崩れてしまうのではないかという不安と、彼が死んでしまうのではないかという焦燥がキャロルの胸を掻き毟った。
「治療は令呪を使わなければ行えませんね」
「それも私が受けたのが心臓や頭部など、いわゆる急所でなかったから間に合ったにすぎません。私自身、自らの宝具を使って弾丸からの魔力をカットし、『聖人』スキルの特典でHPの自動回復が使えますので、それらを併用して多少なりとも霊基の崩壊を先延ばしにできたのです。でなければマスターの許まで
恐ろしい宝具だ。一度当たれば獲物の命を奪うことを第一にする呪い。しかも弾丸という性質上――――――
「仮にアーチャーの宝具を受けたとして、ひび割れが霊核に届く前にアーチャーを殺せば、霊基の崩壊は止まると思いますか?」
「難しいですね。何しろ放たれた時にはすでに呪いの弾丸として成立している。ならばたとえ使い手であるアーチャーを殺したとして、弾丸の呪いが消えるかどうか……」
「私は解呪されないと思います。弾丸という使い切りの道具なら、一度しか使えないという縛りと引き換えに、より強固な呪いとして定着していてもおかしくありません」
「いずれにしろ。あれは何度も受けるものではありません。そして何発あるのかもわからない」
「いえ、それは分かるかもしれません。おそらく、アーチャーのその宝具は全部で七発です。しかも七発目は制御不能。逸話を参考にすればそうなります」
沈んだ声になるランサーに、キャロルはあっけらかんとそう言った。
ランサーはかすかに目を見開いて、己のマスターの顔を凝視した。
「マスター……。もしやアーチャーの真名が分かったのですか?」
「確定材料はありませんが、魔弾と呼ぶにふさわしい必中の弾丸を持つサーヴァントならば、心当たりがあります」
すっと一拍置いて、キャロルは己が推測したアーチャーの真名を告げた。
「マックス。愚かにも悪魔と契約し、そのせいで重大な罪を背負いかねない魔弾を受け入れた、魔弾の射手に名高い狩人です」
◆◆◆◆◆◆
昼を回っても、春日居教会を訪れる人はいた。
数は少なく、今礼拝堂にいるのは恋人らしき一組の男女と、一人の初老の男のみだった。
昼時なので、神父もシスターの姿もない。それでも三人二組は礼拝堂にある救世主の像に向かって一心に祈っていた。
やがて男女が席を立つ。一人残った老人はそれでも微動だにしない。
長椅子に座った体はやや前のめり。肘を膝上にのせ、顔の前で両手を握り合わせ、目を瞑って何かに向かって祈っている。
だがその実、男は祈ってなどいなかった。
目を瞑っているその様はどちらかといえば瞑想に近く、さらに自らで閉ざした暗闇の中、男は思考を巡らせていた。
目を瞑り、祈っているふりをしながら、
考えることは二つあり、一つは昨夜、探索に赴いた
監視を続けていても、一晩中何の動きもなかった。
マスターにして黒幕の最有力候補で、昨日も昼夜問わずサーヴァントの跳梁があったにもかかわらず、目立った動きはなかった。
そしてもう一つは、まさしく今いるこの春日居教会のことだった。
この春日居教会は聖杯戦争の監督役が居を構え、中立地帯と定めているはず。
にも拘らずサーヴァントがいる理由は何か?
二つある、とライダーは考える。
一つは教会、ひいては監督役自体がすでに聖杯戦争の参加者の誰かに牛耳られていること。この場合、黒幕陣営の可能性が高い。
そしてこの場合、今自分がいるこの場所はバリバリの危険地帯でかつ相手の出方が一切分からない。つまりすぐにでも離脱する必要がある。
もう一つの可能性。こちらも危険案件。
それは、この偽りの聖杯戦争で、それでもいてくれた監督役自体が参加者であること。
(つまり、この礼拝堂の壇上に立って信者たちや近所の皆さんに声をかけている神父か、神父さんの補助によく顔を出していたシスター。どちらかがマスターかな)
他の監督役のスタッフだと土地との繋がりが薄すぎる様に思える。
だがこの場合、危険性は前者よりも低い。
黒幕については何もかもが不明だが、監督役なら使用できる戦力はだいたい把握できる。
結論から言えば、我らがマスターとその一番弟子、そして徒弟たちがいれば対処できるだろう。
マスターは神父よりもシスターの方が厄介だ。足運が、神父は素人だがシスターは洗練されていた。何か格闘技を納めている。
そして監督役なら、霊基盤でライダーが本当は脱落していないことは知っているはずで、内情を探れれば心強い。
(ぼくの『変装』スキルは
リスクとリターンを天秤にかける。結論は出た。
「もしもし、大丈夫ですか?」
と、その時声をかけられた。
慌てない。思考に没頭していても、目を瞑っていても、ライダーは周囲の状況を把握することを忘れない。ちゃんと教会の床を打つ靴音を察していた。足音と歩行の感覚からして神父だろうとあたりをつけていたので、慌てない。
「はい?」
だが演技は重要だ。さも声をかけられて、今気づいたと言わんばかりの反応で顔を上げ、ライダーは相手の顔を見た。予想通りこの教会の神父だった。
「なんでしょうか、神父様?」
「いえ、ずっと熱心に祈っておられましたが、ずっとうつむいたままでしたので、何やら体調が悪いのかと」
「いえ、大丈夫です」
とライダーは柔和な笑みを浮かべた。
「このところ物騒でしたので、つい祈りにも力が入ってしまって。もう、帰ります」
「それはそれは。お気をつけて」
ぺこりと一礼してライダーは席を立つ。
スミス神父の傍らを通り過ぎた時、誰にも気づかれぬよう微かに神父に向かって視線を向けた。
傍らにサーヴァントの気配は感じない。彼はマスターではないのだろうか?
だとすれば
教会から退所しながら、ライダーはそう考えていた。