春日居市、新地区。
『なるほど、アーチャー陣営から、同盟の申し出があったと……』
電話の向こうから、シスター・キャロルの思案の色がある声が聞こえる。
昨夜のアーチャーのマスターを名乗る男からの電話。その内容を、司は
勿論、アーチャーのマスターが、今司とセイバーがさんざん手を焼いているバーサーカーの真名を掴んでいるらしいことと、司とキャロルが水面下で手を組んでいることを分かっていることを匂わせたことも告げている。
司は相手の反応をじっと待った。おそらく、今シスター・キャロルの頭の中では、アーチャーのマスターをどこまで信用できるか、考えているのだろう。
司の言葉の裏を取るための人員を頭の中で整理し、誰なら手を回せるかをリストアップし、実際に今この瞬間に指示を下しているかもしれない。
と同時に、司の選択を考えるだろう。
司がアーチャー陣営からの同盟を受け入れるつもりなのかどうか。それが一番重要だ
『司君はどうするつもりですか?』
やはり聞いてきた。司は己の心境を正直に話した。
「まだ決めかねてます。顔さえ見せていないアーチャーのマスターを頭から信用することはできませんし。だけど――――――」
『バーサーカーの真名が、本当にわかるのなら大きなメリットになりますね』
司の考えを読み取ったようなタイミングで、キャロルが口を挟んできた。司は電話口で頷き、
「どういうわけか分かりませんが、バーサーカーはセイバーを敵視している。だとしたら、キャスターや、姿を消しているライダーを相手にする時、また横やりを入れられたらたまらない」
それにシスター・キャロルには言わなかったが、バーサーカーがまた二日前のような魂食いを始めるかもしれない。
おそらくバーサーカーは自身を召喚したマスターを失った後、魂食いで存在を保とうとしていたのだろう。その後、キャスターに連れ去られた後、キャスターのマスターと契約した。だから昨日は魂食いを行わず、それでいながら宝具の使用にも、戦闘にも全く支障は見られなかった。
だから、論理的に考えれば、バーサーカーが魂食いを行う必要はない。ないはずだ。
だが相手は
不意に友人の顔が脳裏をよぎる。
この怪物たちの蠢く夜の下で、何も知らずに。
今度、バーサーカーの炎に巻かれるのは彼女かもしれない。そう思うと、バーサーカーを放置するのは論外だ。
『メリットは大きいと?』
キャロルの口調が少し冷たい。ひょっとしたら、司の考えていることをお見通しなのかもしれない。
この偽りの聖杯戦争の裏に潜む黒幕の正体を探る。これが現在、司とキャロルの同盟を結ばせている条件だった。
もしもシスター・キャロルが、司が今後も私情で不要なリスクを抱え込むと考えれば、この同盟も破棄されるかもしれない。
それでも、友人たちが聖杯戦争に巻き込まれるのは耐えがたかった。
「とにかく、一度考えてみたいんです。そのためには、やはりアーチャーのマスターの誘いの乗るのが一番だと思います。そのため約束の場所に行って、向こうの出方を見ます」
『場合によっては戦闘になりますね』
「覚悟の上です」
『その覚悟が、揺るがないことを願います』
そう言って、電話は切れた。
「ちょっと怒らせちゃったかな?」
「そういう感じではありませんでしたが……」
苦笑する司に対して、スピーカーモードで二人の会話を聞いていたセイバーは小首を傾げた。
「ですが、司様の方針は良いことだと思います。ご友人が心配なのでしょう?」
セイバーは微笑を浮かべてそう言った。己の内心がサーヴァントにバレバレだったことに、少しばつの悪いものと、誇らしいものを感じた複雑な感情のまま、司は小さく頷いた。
「そうだね。中園さんやその家族、だけじゃないな。生まれた時からこの街で暮らしているから、ほかにも知り合った人たちはたくさんいる。まぁ、この間のバーサーカーの時は、みんな離れた場所に暮らしてたから大丈夫だったけどね」
「まぁ。司様は他にもお付き合いのある方がいるのですね」
「まぁ、旧地区が多いけどね。行きつけの質屋とか、喫茶店に書店とか、そこの店主とはそれなりに付き合いがあるよ」
そうだな、と司は考える。確か今日の大学の講義は午前で終わりのはずだ。
「だったら、今日の講義が終わった後、少しなじみの店に行こうか?」
司が提案すると、セイバーはぱぁと顔を輝かせて、
「よろしいのですか!?」
「アーチャーのマスターが指定した時間まで十分余裕があるしね。セイバーを召喚してから忙しくて街の――土地の――案内もできなかったし」
そして土地を歩いて覚えてくれれば、聖杯戦争の立ち回りにも役立つだろう。司はそうも考えての提案で、セイバーも乗り気だった。
「ありがとうございます」
アーチャーのマスターと再び邂逅するまでの予定は立った。ならばあとは行動を開始するだけだ。
司とセイバーは準備をし、ホテルをチェックアウトして、荷物を持って外に出た。
「うわ……」
すると辺り一面は霧に覆われていた。
乳白色の世界。手を伸ばせば、指の先が見えない。
「これは……、凄い霧ですが、この地域ではよくある事なのですか?」
「いや、この街で生まれ育ったけど、こんな霧が出たことはなかった」
聖杯戦争中の、不自然な霧。自然現象と考える方が無理がある。
「セイバー」
「はい」
とにかくその場を離れ、霧の出ていない場所に移動した方がいい。
だが行けども行けども、霧は晴れず、人の気配も希薄になる。
明らかに一般人を締め出すための結界。司たちは駅まで移動した。
朝の時間帯なら人でごった返しているはずが、やはり人の気配は希薄だ。
否、そうではない。人々はそれぞれいつもと変わらず、各々の目的地に向かっている。
或いは駅に入っていき、或いは駅からこの街の目的地に向かっている、
ただ濃すぎる霧が、人々を自身のみで完結させている。
司はセイバーを見る。濃霧のせいで、彼女の顔もよく見えない。
隣にいるのに、顔の見えない誰かさん。だから誰もが隣の誰かを気にしない。自分以外見えないこの世界で、そんな余裕はなく、自分の目的のためだけに進んでいる。
だから雑踏の息遣いはあっても交わされる言葉はなく、活きている感覚がない。
ある意味これは極めて強固な結界だ。
異常を感じさせないではなく、より大きな異常で、他の異常を認知させない。
この霧が魔術的なもので、町中に広がっているのならば、現状はかなり危険だ。この霧の場所は、敵の
二人は慎重に移動する。目的地は駅近くのコインロッカー。そこで手荷物を預ける。邪魔だ。
セイバーに周囲の警戒を任せる。敵が襲撃してくる気配は今のところはない。荷物をコインロッカーに入れて、やはり隣を歩く人さえ見えない濃霧の外へ行く。
その霧のヴェールの向こう側、そこに人影があった。
「マスター」
セイバーがサーヴァントの表情で呟いた。彼女の身体を淡い閃光が包む。
一瞬の輝きの後、光は内側から弾けるように消えた。そしてセイバーの姿は、司が見繕った普段着姿から、やや肌の露出の多い白銀の軽装鎧姿へと変わっていた。勿論、周囲に剣を侍らせることも忘れない。
続く言葉をセイバーは口にしなかったが、何を言いたいのか司にも分かる。
目の前に敵――――サーヴァントがいると。
身構える司。雑踏はすぐ近くで発される戦いの気配に気づかぬように行き交う。
だがそれも数が減っていく。
一人、二人。すれ違う人の姿が減っていき、影の中で移動する人の姿も少なくなっていく。
と、霧の向こうから歩んで来る音。白いヴェールを切り裂いて、姿を見せたのは一人の男。
セイバーと司の目が丸く開かれる。
三十代後半ほどの男性。肩までかかる長さの白金色の髪、翡翠石のごとき碧眼、聖職衣を思わせる真っ白の戦闘服と、その上に白一色の青銅鎧にマント。静かに佇む慈悲深き白い重戦車の風情。
セイバーも司も、その男の名を知っている。
「ランサー」
ホテルを出るまで話していたシスター・キャロルのサーヴァント。つまり司たちの同盟者、ランサー。
突然現れた同盟者に、司は疑問を感じた。この濃霧を異常と認識し、シスター・キャロルが調査のためにランサーを街中に派遣したのだろうか? だとしても、キャロルもランサーには現世の活動用の服を用意していたはず。それを着ずにこのような雑踏に降り立つのはいささか不用心ではないだろうか?
「どうしたランサー? この濃霧が気になって―――――」
シスター・キャロルに言われてきたのか。そう言おうとした司を制止して、セイバーが一歩前に出た。
「セイ――――――」
司は警戒を解かないセイバーを怪訝に思って、彼女の名を告げながらそちらを振り向いた。
自然と視線はランサーから逸れる。その瞬間、
「――――――!」
ランサーの姿が霞む。一瞬遅れて踏み込みの轟音。そして、司が振り向いた先にいるはずのセイバーの姿もかき消えた。
「え――――――?」
何が起こったのか理解したのは一瞬後。踏み込みとともに
いきなりの攻撃、敵対行動。
なぜという疑問が頭に浮かぶ。
「ランサー! 乱心した、或いは裏切りですか!?」
セイバーの叫びが司の後方から聞こえる。彼女は無事だ。その事実にホッとする。
「事情が変わりました。マスターの状況も。であれば、マスターの命に従うまで」
ランサーの冷静な声が聞こえる。そのまま、ランサーはセイバーを押し込んでいき、二騎のサーヴァントの姿が見えなくなる。
突然のランサーの襲撃。シスター・キャロルは一方的に同盟関係を反故にしたのだろうか?
或いは今朝の電話が原因か。いつまでもこの聖杯戦争の黒幕を探るでもなく、ただ友人を心配している司に対して業を煮やしたというのか。
それともアーチャーのマスターとの同盟を、即断らなかったからか。自分たち以外に信用できるものはいないと、そう思っての行動か?
「だとしても、切り捨てが早すぎるんじゃないか?」
呟いて、司はセイバー達を追おうと思った。だが次の瞬間、背筋を得も知れぬ悪寒が貫いた。
「ッ!」
司の身体は思考よりも早く反応し、その場から飛びのいていた。直後に何かが通過した感覚後、巨大な爪でアスファルトを引っ掻いたような異音が響いた、
この聖杯戦争中、何度も感じた悪寒。それに従った結果、何度となく命拾いしたそれに、今度も命を救われた。
今回も同じ結果になる。司が一瞬前までいた場所のアスファルトに、縦一文字に切断傷がついていた。
魔術による攻撃。とっさに周囲を見渡すが、そこに人影はない。
そう、一般人さえも、いつの間にかかなり少なくなっていたし、その少数
の人も、今の音に、アスファルトの傷にも気づいた様子はない。
自己以外の周囲を徹底して排除している霧の中、魔術に耐性のない人々は自分の中にある日常から逸脱していない。
司は改めてセイバーとランサーが消えていった方角に目を向けた。
濃い霧の中、火花のオレンジ色がかすかに咲いては散っている。
あの場所にセイバーはいる。追うべきかと思考が過るが、その場合、正体不明の襲撃者に背中を向けることになりかねない。
「くそ!」
司は敢えてセイバー達とは逆方向に走った。同時に懐から、黒革のグローブを取り出して装着した。
魔獣の皮を加工して作った特製のグローブ。それは司の戦闘態勢の表れだった。
次の攻撃はまだ来ない。
がむしゃらに走っているのに、不思議と誰にもぶつからない。人払いはすんだのか。そう思った瞬間、頭上に影が差した。
見上げはしない。その場から大きく飛びのく。同時に上から影が降ってきた。
正体は槍のように鋭い穂先を持つ
落下、激突。轟音が上がり、氷とアスファルトの破片が周囲に飛び散る。
破片の動きに注視しながら司の精神が高ぶり、同時に
「――――――」
脳裏に、ジッポーライターのイメージが浮き上がる。火をつける。その光景をさらにイメージ。それだけで司の魔術回路が起動する。
「
爆発を推進力に、司の身体が霧の中を駆ける。
誰かにぶつかる心配もない。周囲は見えないがこの街は自分の街。駅前ならロータリーのおかげで広い場所もわかる。なら多少スピードを出しても問題ない。
「
司の両手に炎が灯る。炎は司の手首から先を覆いつくす。この炎から我が身を守るために、魔獣のグローブは必須だ。
周囲に視線を飛ばす。『強化』の魔術で視力を強化しても、敵マスターらしき姿は発見できない。
こちらは敵を補足できない。だが敵はこちらを捉えているようだ。霧の中、一部が蠢く。
滑らかな動き。ちょっとした違和感を覚えた司は地面を蹴って移動の方向を急変更。それでいながら新たな詠唱を口から迸らせる。
「
右手の炎が伸長し、直剣の姿を取る。
炎の剣の完成も待たずに司は右手を振るった。
まるで吸い込まれるように、振るわれた一閃が鞭のようにしなった水の刃を打ち払った。
「……ッ!」
重い。ただの鞭のしなりのような一撃だったのに、鉄塊を斬りはらったような手応えだ。
「違うなこれ……!」
敵の魔術の威力が高いのもあるが、それ以上のこちらの魔術の出力が落ちている。司の炎が、霧の水分によって弱められている。
「相性最悪か!」
叫びながら移動はやめない。
ロータリーを回るのをやめて駅の脇、営業を終えてシャッターを下ろしている居酒屋などの飲食店通りを走る。
街灯は灯っているが効果の薄い、薄暗い路地。司はわき目も降らずに走る。時折立ち止まって、弾丸のように撃ちこまれる氷柱を右手の剣で打ち払い、或いは左手から放つ炎弾で撃ち落とす。
が、撃ち落としきれないもの、威力を殺しきれないものは転がって回避する。
付かず離れずの敵。このままではじわじわとなぶり殺しだ。
とにかく建物の中に入りたい。そう思っても朝の時間帯では営業を開始している店もなければ自由解放の施設もない。
逃げ回りながら、敵の位置を探りたくとも手掛かりがない。敵の位置がまるで分らない。どこか、こちらを俯瞰的に見れる場所にいるはずなのだが……。
というか敵は誰だ? シスター・キャロル? だがその可能性は低そうだ。
この霧は魔術の産物だ。聖堂教会の人間が大っぴらにしない場合に限り、洗礼詠唱以外の魔術も使っているのは――あの連中、魔力じゃなくて祈りの力なんて呼んでるのは欺瞞以外の何物でもないだろう――もう公然の秘密だが、だからこそこんな堂々と魔術を使うとは思えない。
何よりシスター・キャロルはこんな魔術は使えないはずだ。
これでもそこそこ長い時間彼女との付き合いはある。シスター・キャロルは自身の身体強化や他者の治癒など、肉体に関係する魔術に関する才能は秀でているが、それ以外はからっきしだ。まして水属性の魔術なんて聞いたことがない。
だがだとすればあのランサーは何だ? ランサーが襲い掛かってきた事実が、やはりシスター・キャロルが同盟を破棄して牙を剥いてきたことに繋がるのか?
電話で問い詰めたい。だがそんな隙を見せれば氷柱で串刺しか、あの水圧カッターもどきで真っ二つだ。
まとまらない思考。だが足を止めるわけにはいかない。
と、前方、霧のせいで詳細は分からないが人影が複数見えた。
この霧の中、少なくとも司の行く先に一般人が放り込まれたということはあるまい。
ならば敵。その判断の許、司は足元を爆発させて加速し、右手の剣を一閃させた。
前方の人影が逆袈裟に切断された。
「は?」
牽制の一閃。これで人体を切断できるわけがない。
ならば何か――――思った時には正体が割れた。
氷の人形。それも意図もないのに動く出来の悪い悪夢の具現のような代物だ。
一体は切り倒したが後ろに二体。それぞれ司から見て右が剣を、左が槌のようなものを持っていた。
どうやら、正体不明の攻撃以外に、直接こちらを捕まえる、もしくは潰してくる兵隊もいるようだ。
この閉塞感を打破できなければ、この場を切り抜けられない。司の額から汗が流れた。