結局、
春日居市郊外の広大な土地を使い、多くの学部、学科を持ち、数多くの学生が在籍している巨大大学だ。
司はそこの法律学部に在籍しており、二年生だ。
今日は一時限目から教授の講義を受け、学友――勿論、司の魔術師としての顔は知らない――と語らう。
下らない話で笑い、ちょっとしたことで怒り、ばかげた理由で落ち込む学友を見て、司も適度に慰める。
そして昼食を学食で負えて、次の講義のため移動した時、司の足がふと止まった。
「あれ……?」
違和感を覚えた。
何か確信があったわけではない。ただ、ふと気になったのだ。
視線を飛ばす。その先にあったのは、大学の敷地に隣接する森だ。
正午過ぎ、最も太陽が高く上る時間帯だというのに、その森の中は薄暗く、鬱蒼とした雰囲気を発している。
「ん? どした司? あの森が気になるん?」
後ろから声をかけられる。さっきまで一緒に昼食を食べていた学友の一人、金髪――染めている――碧眼――カラーコンタクト――、ピアス付きの軽薄男。
「あ、いや。なんか、あの森、やけに薄暗いなって」
咄嗟に嘘をついた。そうしたら思いのほか食いつきがよく、だねぇと少女の言葉が続いた。
栗色のショートカットの髪と、灰色がかった瞳。活発そうな雰囲気を出す少女、
「この大学の隣の森。そこにはね、むかーしから、古びた洋館があるんだって。もう誰もいなくなって久しいのに、時折すすり泣く声とか、明らかに誰か――――ううん。何かがいるような気配や物音がして、肝試しに行った学生が行方不明になって、この森の中で髪が真っ白になって見つかったり、おじいちゃんやおばあちゃんになって見つかったこともあるんだって!」
ケラケラ笑う中園さん。勿論噂で都市伝説なのは間違いないのだが、その怪談話にはある真相があることを、司は知っていた。
一般人は知らない。ただ、あの洋館は以前魔術師の工房だった。魔術師が死んだ後、徹底的に“洗浄”されたが、実験用の動物か、何らかの魔術的現象か、とにかく、怪談のネタになるようなものが実在していたらしい。
そして、それらも完全に駆逐、消去されても、噂は残った。昔、父からそう聞いていた。
「ほえ~。そんなことがねー」
穏やかな声が割って入った。
腰までかかる黒い長髪、細めの黒い瞳、色白な肌。中園さんと正反対に、温和で穏やか、見るからにインドア派な雰囲気。
「ま、噂だけどな。おっ、俺様いいこと考えましたよ」
「肝試しだろ? 今十一月だよ? もう夏って時期じゃないよ」
パンと両手を打ち合わせる大槻君に釘をさす司。えーとぶーたれる大槻君。
「いーじゃんか。減るもんじゃなし。それにこの時期の肝試しだっていーぜー? 風柳っしょ?」
「やめときなよ。あの森結構深いんだから、夜は危ない。それに、ただでさえこのところ物騒なんだ。好奇心猫を殺す、だ」
お調子者の大槻君を嗜める司。実際、聖杯戦争は開始秒読みだ。いつどこで、どんな理由で死が頭上から降りかかってくるかわからない。
無意識のうちに、左手の中ほどに触れる。薄手のコートと上着でわからないが、そこには亡き母の髪を材料に作られたアンクレットがはめられている。
魔術師の髪で編んだ呪具。兄や姉と同じく、形見として残されたもの。その効果は、災厄といった“よくないもの”から守ってくれるという。
実際は、よくない目にあいにくいという程度のもの、せいぜいが魔よけのアミュレットだ。それでも、母の遺品。文字通りの形見を手放す気はない。
司の内心を置いてけぼりに、友人たちの会話が続く。
「あー、なんか最近噂になってるみたいだな。怪物騒ぎ。っつってもあれは、ただの酒やクスリのせいだろ?」と訝し気な大槻君。
「でーもー。なんか行方不明者が出てるみたいだよー? それにー、実際にすっごい血だまりがあったって」朗らかな声で反論する小館さん。
「んー。肝試しには心惹かれるものがあるけれど、やっぱここはパスで」オカルト好きなわりにスプラッターが苦手な中園さんは若干顔を青くしていた。
そして会話で出てきたが、今、春日居市には奇妙な噂と事件、そう呼べるかも怪しい代物がおこっていた。
それは行方不明事件と言えるだろう。ある日忽然と、人が消える。ただし、消えているのはほとんどがこの街の住人ではなく、外から来た旅行者。ある日、ホテルにチェックインし、チェックアウト時間を過ぎても部屋から出てこない客を不振に思ったホテルマンが部屋に入ると、中はもぬけの殻。
すわ料金踏み倒しかと思われるが、財布などの貴重品はそのままで、客だけが忽然と姿を消した。
失踪事件。警察も動いているらしいが、なんら証拠も挙がらないらしい。
また、春日居市の住む住人もまた、何人か行方不明らしい。こちらも血だまりが残されていたとも言われるが、やはり怪談、噂、都市伝説の域は出ない。
「と、いうわけで、肝試しはお流れで。ちゃんと夏にやればいいよ」苦笑する司。何より、と続ける。
「そろそろ次の講義の時間だ。
その言葉に皆はっとなる。急がなければならないという意識が、それまでのたわいない話を打ち切った。
「そうだった。行くべ皆の衆!」
大槻君の号令一下、四人とも次の講義へと急いだ。
昼の時間が終わり、講義が始まった時間。大学に隣接する鬱蒼とした暗くて黒い森の奥、そこに、小さな白い色が、ぼんやりと浮き上がった。
黒の中に浮かぶ白。その正体は髑髏の仮面。ただし、右半分だけ。
自身もまた、影のようにその場に佇むは、人の姿形であって人ではないもの。
アサシンのサーヴァント。かつてハサンであり、今はその名を亡くした無銘の暗殺者。
彼女はじっと森の中から、日の当たる大学の構内を見据えていた。
考えることは一つ。先程このあたりで語っていた、四人の男女。
男が二人、女が二人。同学年で、同級生。よく笑い、驚いた、楽しげな四人組。
だがあの中で一人、髪も瞳も黒い――正確には、瞳はやや灰色がかっていた――青年。彼が気になる。
彼は、こちらを見ていた。
『気配遮断』のスキルを有する自分の存在に気づいたとは思えない。だが、何か感じたのだろう。言い知れぬ違和を。
確か、友人からこう呼ばれていた。
「――――ツカサ」
口にしてみるが、それで何かが変わるわけでも、何かが分かるわけでもない。
気にはなったが現時点ではさしたる意味はないだろうと結論付けて、アサシンは無音のまま後ろに跳躍。
それは跳躍というよりも浮遊と言った方が正しいような軽やかさで、いったん木の枝に着地する。木の枝は揺れず、木の葉の一枚も落ちはしない。
「―――――うあ……」
かすかなうめき声は、アサシンの右腕から。
アサシンは今、一人の男を右手で持っていた。
首を掴み、乱雑に見えて、しかし男をどこかにぶつけて音を立てる、と言った間抜けはしない。
男は魔術師だった。偶然か、何らかの確信があってか、この森の中に足を踏み入れ、アサシンの感知に触れた。
だからこうして彼を急襲した。首の骨を折ったので、もう死んでいてもおかしくない。
それでもまだ生きていて、意味をなさないとはいえ声を出せるのは、彼の身体に刻まれた魔術刻印が、魔術の血を絶やさぬよう、今も起動し続け、彼を生かそうとしているが故か。
男の呻き声は今にも消えそうな儚いものだが、煩わしいので、男の所持品にあったハンカチを丸めて口の中に突っ込んだ。
そして跳躍し、移動。現在マスターのニヒトが拠点としている、廃墟となった洋館に到着した。
「――――マスター」
割れた窓から中に入ると、差し込むわずかな陽光に舞い散る埃が浮き上がる、一種幻想的な光景の中、彼女のマスター、ニヒトがソファに座っていた。
目は閉じられている。
白銀の髪、雪よりも白い、透き通るような肌、そして、その身にまとった黒いスーツ姿。まるで、色が抜け落ちた、モノクロの世界から来たかのよう。
アサシンの気配に気づき、ニヒトはゆっくりと目を見開いた。モノクロの世界に、赤い色彩が加わった。
「どうしました、アサシン?」
「――――偵察を、終了しましたので。報告を」
「ご苦労様です。その前に質問をしてもいいですか?」
「――――なんなりと」
「右手に持ってる彼は?」
「――――魔術師です。この森に入っていたので、処置しました。おそらく、マスターを狙ったものかと」
「偶然か、必然か。始末したのなら問題はないですね。けれど、まだ生きているようですよ?」
「――――問題ありません」
一言言って、アサシンは左掌を男の左胸、心臓のある部分に当てた。
何事か呟く。力ある言葉だった。
次の瞬間、アサシンの左手が、手首まで男の胸の中にとぷんと
血の一滴も出ない。
びくんと、と男の身体が一瞬、大きく痙攣し、次の瞬間、体中から力が抜け、弛緩した。
アサシンの左手が引き抜かれる。そこには、赤々とした心臓が握られていた。
生命の源たる心臓がなければ、魔術刻印と言えどもどうしょうもない。
アサシンは音もなく摘出した心臓を、そのまま握り潰そうとし――――
「待ちなさい、アサシン」
マスターからの制止の声に、アサシンはぴたりと、心臓にかける圧力を消した。
「魔術師の心臓は、魔力源として有用です。魂喰いほどの効果があるか分かりませんが、食せば、君の糧になるでしょう。それとも、そういうことは好みませんか? でしたらこのまま処分してくれても構いませんが」
「――――マスターの、意向のままに」
そう言って、アサシンは口を開け、魔術師の心臓に喰らいついた。
咀嚼音だけが小さく響く。
おぞましい食事は、すぐに終わった。思いのほか綺麗に食べ終え、わずかに口元に残った血をふき取り、アサシンは再びマスターの前に
「いい食べっぷりでしたね、アサシン。では、話を戻しましょう。報告をお願いします」
「――――分かりました、マスター」
ニヒトはアサシンに、マスター候補の偵察を命じていた。
今、春日居市には多くの魔術師が滞在している。
聖杯戦争の噂を聞きつけて、我こそはマスターたらんと、意気揚々と参じたのだろう。
その中からマスターを見つけるのは難しい。
だが、この春日居市で、ほぼ確実にマスターだと思われる魔術師がいる。
春日居市に根付く魔導の家。
ゆえに、ニヒトはアサシンを、祠堂、如月両屋敷の偵察に派遣した。
目的は偵察。アサシンの気配遮断スキルと、暗殺者としての施設侵入術を持ってすれば、可能な任務だった。
「――――まず、祠堂邸ですが、こちらはもぬけの殻でした」
「誰もいなかったのですか?」
「――――侵入者探知、撃退用の結界は張っていたようですが、それらは全て平時の用心程度のもの。結界を掻い潜っての侵入も可能でしたが、肝心の住人の姿がありませんでした。
――――しかし、生活感が残っていたことから、おそらく単なる外出かと」
「それはまたなんとも……タイミングが悪いですね」
「――――しかし、
「それは重畳。如月邸は?」
「――――こちらは、そもそもが異常でした。一言でいえば、魔術的な要塞です。侵入は困難を極めます。あれならば、影のように忍び寄るよりも、力ある英霊による正面突破のほうが目はあるかと」
「それほどに……」
アサシンの報告に、ニヒトは軽く目を見開いた。だがすぐに落ち着き取り戻す。顎に手を当て、
「ですが、逆説的に、如月邸にマスターがいることは確定でしょう。
ただの魔術師が、何の意味もなく自宅を要塞化するとは思えませんし、何より、サーヴァントをもってしても侵入を断念せざるを得ないレベルの結界、魔術的防護など、
マスターの推測に、アサシンは首肯する。そして、それほどまでの強度の魔術的要塞を築けるサーヴァントのクラスは、自ずと明らかだ。
「キャスターの陣地作成スキル。それが関わっていますね。如月邸の要塞には」
「――――その通りかと。で、あるならば、やはり侵入も、正面突破も難しい結論になってしまいます」
キャスターのクラスは、主に魔術師の英霊が該当する。その特色は卓越した、現代では再現不可能の魔術の腕前もあるが、もう一つ、キャスターのみが持つクラススキルとして、『陣地作成』がある。
これは魔術師として自分に有利な陣地「工房」を作成できるスキルで、ランクが上がれば「工房」を超えた「神殿」、さらにそれ以上の拠点を築けるものだ。
「アサシンの侵入さえも阻むというならば、キャスターが一番最初に召喚されたサーヴァントでしょうか。キャスターの『陣地作成』スキルは、時間がたてばたつほど強化されていきますから」
「――――しかし、
アサシンの主張に、ニヒトは苦笑した。
確かに、彼女の宝具を使えば、魔術的であろうと物理的であろうと、結界をはじめとした防御装置は意味をなさないかもしれない。
だがしかし、それでも、単身敵地に侵入するのはリスクが伴う。
これが、他のサーヴァント、またはマスターの拠点であれば、ニヒトもここまで躊躇しなかったかもしれない。
だが相手はキャスターだ。工房に構え、罠を張る篭城はもっとも適した戦法だろう。当然、此方の想像を上回る悪辣な罠を仕掛けていないとも限らない。
しばし黙考し、ニヒトは結論を下した。
「アサシン、今はまだ座視しましょう。キャスターの拠点、侮るべきではありません。まだ情報さえ碌に手に入っていないのです。ほかのマスターおよびサーヴァントについての情報を少しでも得たい戦況です。しばらくは諜報を主行動としましょう。そう思うのですが、いかがでしょう?」
ニヒトの言葉にアサシンはやはり内面で首肯する。
まだ戦争らしい戦争は始まっていない。キャスターは穴熊を決め込むだろうが、直接戦闘能力では三騎士クラスに劣る
敵の情報を入手し、付け入る隙を見つけ、そして背後より暗殺の刃でその命脈を断つ。
で、あるならば、静観、偵察を告げたマスターの意見は正しい。
ゆえにアサシンは一言だけ返した。
「――――マスターの、意向のままに」
◆◆◆◆◆◆
大学の授業が終わった後、司はすぐには家に帰らなかった。
理由は単純。友人たちに呼び止められたからだった。
大槻君曰く、――――いつもすぐ家に帰っちゃうんだから、たまには付き合いたまへ。とのこと。
魔術師としての司は一刻も早く家に帰り――そもそも大学になど顔を出さずに――聖杯戦争に向けて余念のない準備をするべきだろう。
だが、大学生としての――人間としての――司はこうも思った。
聖杯戦争が始まれば、呑気に大学に行っている場合ではないだろう。死ぬかもしれない戦いだ。これが、彼らとの今生の別れとなるかもしれない。
三人との付き合いは高校からある。同じクラスになって、最初のホームルームが始まる前に、それぞれ好き勝手に席に座った時、たまたま近くに座った四人。
それが縁。始まり。そこからなんとなしに話して、つるんで、友人になって、そして今がある。
彼らと、二度と会えなくなる。少しでもそう思ってしまったら、もう駄目だ。その誘いは断れない。
結局司は、三人とともに春日居市を回って歩いた。
大したことはしていない。ゲーセンに行き、クレーンゲームに熱中する小館さんを応援したり、格ゲーで連敗する大槻君を笑ったり、司も、中園さんとレースゲームで対戦し、敗者への罰ゲームとしてジュースを奢って貰ったり。
魔術師として育てられた司であったが、所詮は次男であり、兄の予備としてしか育てられていない。それ故に、彼は魔術師にありがちな科学技術に対する忌避感もなく、彼らが俗字と切り捨てる娯楽にもなんら抵抗がなかった。
その魔術師らしからぬ面ゆえに、彼の存在は魔術を知るもの達には過小評価されているのだったが。
小腹がすいたと恥ずかしそうに言った小館さんのために、食事と帰路の関係で春日居駅に移動する。駅前広場についた時、何故がちぎれたベルトを抑えた男が慌てた様子でかけていくのが見えた。
駅前のファーストフード店で他愛のない話をした。
学食のランクについて、教授たちへの各々の評価。最近見た映画の話。読んだ小説の話。笑い話に憤懣を吐露する愚痴。単位について、将来について。
やがて時間が来る。夕暮れ時、日が暮れてきて、夜の帳が落ちてくる。
春日居駅に入っていく小館さんと大槻君。二人を見送って、中園さんも駅からバスに乗る。二人は市外から電車で、中園さんは新地区の自宅に、これからバスで帰るのだ。
「じゃ、中園さん。気を付けて。夜は物騒だから」
「司君もね。じゃ、ばいばいー」
手を振ってバスに乗り込む中園さんを見送って、一人、司はここまで押してきたバイクに跨ろうとして、足を止めた。
背中に熱を感じる。チリチリと、炎が燃えているような感覚。
実際に背中が燃えているわけではない。これは、街に放った使い魔からの感覚だ。
司は今朝、家を出る前に、春日居市に鳩の使い魔を放っていた。上空からの目を利用して街を観察し、魔力を感知すれば魔術的に繋がった
今司が感じている熱は、その知らせのアラームに過ぎない。
無言のまま、司はバイクを押してコンビニの中に。近くの雑誌を手に取って広げる。余人から見れば、あたかも雑誌を立ち読みしているようにしか見えない。
だが実際は違う。司が視るのは雑誌の紙面ではなく、使い魔の視覚。感覚共有の魔術によって、使い魔が視たものを、司もまた共有するのだ。
上空から見る春日居市の姿が視界いっぱいに広がる。
眼下に広がるのは春日居港。つまり港だ。なるほど確かに、そこに結界が張られていた。
おそらく人払いの結界。いつもならまだこの時間は忙しなく動いているはずのトレーラーやクレーンが、今日に限っては全く動いていない。
まず間違いなく聖杯戦争関係で張られた結界だろう。この場で、一戦やらかすチームがいる。
使い魔を地上に近づける。人気のない
一目でわかった。どちらも人間ではない。間違いなくサーヴァント。
マスターらしき姿はない。どこかに隠れているのか、それともサーヴァントに任せて、自分は工房にこもっているのか。
使い魔をさらに降下させようとし、ふと、何かが見えた。
鳥か? そう思った次の瞬間、ガッとノイズが走った。
「え!?」
思わず声を出してしまった。慌てて周りを見たが、幸いにも誰もいなかった。
(今のは――――)
ぐわんぐわんと頭が揺れている感じがする。軽い頭痛を追い払うように、頭を振る。
使い魔との共感が途切れている。魔術が失敗したのではない。使い魔の存在を感じられない。
死んだのだ。殺されたと、そう考えるしかない。
今の一瞬で、何らかの手段によって、使い魔は殺されたのだ。
サーヴァントの仕業か、他のマスターや魔術師の仕業か。とにかく、これで司がこの場から現場を確認する手段は失われた。
聖杯戦争の第一戦。ここで情報を入手できるか否かの差は大きいと、そう思う。
「……………………」
沈黙。頭の中の冷静な部分が言っている。
行くな。行けば死ぬ。嵐のただなか丸腰でのこのこと戦地に赴いてどうする。
丸腰ではない。礼装はある。
馬鹿な。サーヴァントがいる戦場は嵐の具現、剣林弾雨が当たり前の異界だ。木端な礼装など無防備と変わらない。
心の中で会話が続く。冷静な部分と、好奇心、熱狂しているともいえる部分が。
司の中の冷静な部分は、家に戻れと言っていた。
司の中の、流れを見る熱狂した部分は、行けと言っていた。
沈黙のまま、雑誌を閉じて棚に戻す。もうここにいる必要はない。
選択肢が出てきた。そして司は選んだ。
選んだ選択に対して、司の心は凪のように穏やかだ。
そっと、左手のアンクレットを、服越しに触れる。
バイクのサドルを開けて、ヘルメットと、皮のグローブを取り出した。
このグローブもまた礼装。
バイクに跨って、エンジン始動。ぐるりとターンさせて、駅前広場を通過。
行先は港だ。家に帰るべきだと思っていても、抑えきれないものがあった。
――――見てみたいな。英霊の戦い。
心に従った。ふと思ってしまった。だから、この流れに従う。
この時点で、司は致命的なまでに、危機感が足りていなかった。