半面のみの髑髏の仮面を持つ黒衣の女暗殺者、アサシンは、ガントリークレーンの上に陣取ったまま戦場を俯瞰していた。
誰もこちらに気づいた様子はない。アサシンのクラススキル、『気配遮断』の恩恵だ。ましてや彼女の『気配遮断』スキルのランクはA+。こちらから攻撃に出れば反応するサーヴァントもいるだろうが、こうして斥候に徹するだけならば実体化していても発見される危険は少ない。少なくともアサシンはそう思っている。
眼下ではサーヴァント同士の戦いが繰り広げられている。
最初に現れたのはランサーとライダー。どちらも要注意だが、ライダーには正体不明さがある。
剣によるショートレンジ、槍によるミドルレンジ、弓を使ったロングレンジと攻撃範囲に隙がなく、馬を使った機動力、盾を使った防御。さらにスキルか宝具か分からないが、海上を走る能力。
難敵だ。そしてその変幻自在の攻撃に、槍一本で対処するランサーも。武勇に優れた英霊に違いない。
おそらく、自分はどちらと戦っても敗北するだろう。
だがそれは正面切っての戦いならばの話だ。
アサシンである己の最大の長所は『気配遮断』スキルと宝具を利用した暗殺。
影に潜み、ひそかに侵入し、マスターの背後に佇み、その命を刈り取る。何も格上と真っ向から無策で戦わずとも、サーヴァントである以上、『単独行動』スキルを持たない限り、マスターを失えば消滅する運命だ。
と、そこで戦況に変化があった。
ランサーとライダーの一騎打ちに、炎を纏った巨躯の英霊が参戦したのだ。
咆哮をあげ、おそらくはただ距離が近いという単純な理由だけでライダーに襲い掛かった黒銀の騎士。バーサーカーでほぼ間違いないだろう。
場は混沌としてきた。この場で偵察を続け、相手の能力を把握。マスターに情報を与えつつ、タイミングを見て離脱するのがいいか。あるいは、隙を見て――その隙があればだが――暗殺を仕掛けてみるか。
そんな考えが頭をよぎった瞬間。ダーンという、高く長く、そして響く音が夜空を割った。
「ッ!」
衝撃を受けたのように、ぐらりと傾くライダー。その顛末を見届けるより早く、アサシンは音のした方向を見た。
聖杯から与えられた現代の知識が、あれは銃声だと叫んでいる。
銃声。つまり銃を使った狙撃手が近くにいるのだ。
狙撃。よもやこの自分が、銃声が轟くまで一切の気配を感じないとは――――
アサシンの視線が、伏せ撃ち姿勢でいた狩人の姿を捕えた。
百九十センチ近い長身、貧弱な印象はなく、がっしりとした体格はいかなる風雨にも決して折れない樫の木の風情。
緑を基調にした狩猟服に、ショートカットの茶色の髪、若草色の瞳、褐色の肌。
そして、手にした二メートルほどの長さのマスケット銃。
こいつだ。こいつが狙撃手だ。まず間違いなくアーチャー。場所は戦場そばのコンテナ群。ライダーのミサイルのような矢やバーサーカの炎の熱が届く場所で、一切の気配を漏らさず、引き金を引くまで気配を殺し、息をひそめ続けた胆力は賞賛と驚嘆に値する。
だが見つけた。銃声が、その存在を知らしめた。
居場所を発見された射手ほど無防備で哀れなものはない。アサシンは両足に力を込めた。彼我との距離は思いのほか近い。ここから一足で強襲、伏せ撃ちという反撃に不向きな姿勢のアーチャーの喉笛を掻っ切ってくれる。
そして、今にも飛び掛からんとしたアサシンだったが、その身が急停止したのは、かすかに空気を裂く飛来音を彼女の聴覚が聞き届けたか。
あるいは暗殺者という、死を与え、死を身近に従えていたが故に、己に迫る死の視線に気づいたか。いずれにしろアサシンはわずかに体を開き、アーチャーではなく、港内にある倉庫群の方向を振り向いた。
結果として、それが彼女の命を救った。
左肩に衝撃。突き抜ける痛みと熱、そして砕け散る左手に持った
撃たれた。そう認識した時にはすでに、アサシンの身体はガントリークレーンから離れていた。
重力に捕まる。だがサーヴァントゆえの反射神経がこのまま落ち行くのを許さない。すぐさま自由に動く右手を動かしてクレーンの淵を掴み、側面を蹴って体勢を立て直してクレーン上に戻る。
明らかに別方向からの狙撃。アーチャーの姿は補足したままだった。だがサーヴァントの武器ならいざ知らず、それ以外の現代兵器で本質的に霊体である
疑問への答えはない。それ以前に、アサシンが痛みを脳内に棚上げし、半面髑髏の視線を再びアーチャーに向けた時、マスケット銃を構えた狩人は仰向け状態で、此方に銃口を向けていた。
アーチャーは、静穏のただなかで引き金を引いた。
銃声。そして嬉々として放たれる魔弾。夜を裂き、宝具と化した弾丸は多少の風では揺らがず、マスターからの予想外の狙撃から何とか体勢を立て直したアサシンの身を貫こうと飛行する。
マスターの一撃は直撃とはいかなかった。これはマスターの腕が悪いのではなく、直前で気づいたアサシンに賞賛の言葉を送るべきだろう。
あの半分髑髏の暗殺者は勘か何かで自分に迫りつつある死の気配に気づいたのだ。ゆえに、本来であれは左肩から侵入し、そのまま
だがこれは無理だ。当たるタイミングで引き金を引き、あとは当たるべくして、放たれた魔弾はアサシンの心臓を――――――――穿たなかった。
着弾音。ガントリークレーンに蜘蛛の巣上の
引き金を引き、魔弾は確かに嬉々として発射された。そして当たったはずだ。だがアーチャーは違和感を覚えた。
アーチャーのスキル、『悪魔の義眼』は間違いなくアサシンの心臓を赤い光点として捉えている。そして魔弾は光点に命中した。だが敵は沈んでいない。
霊体化したのとも違う。そもそも霊体状態では、物理的な干渉を受けない代わりに魔力を帯びた攻撃は実体化した時よりも効果が大きく、より深刻なダメージを追いやすい。『
だがアサシンが深刻なダメージを負った様子はない。心臓の光点はいまだ健在だ。
どころか動きに全く遅滞なくするするとクレーンを伝うように下へと移動し、ガントリークレーンから地面へ。そして、そのさらに下に
光点が消える。それはすなわち、アーチャーの視界や認識からアサシンが完全に消え去った証拠だ。視覚的隠蔽を看破する『悪魔の義眼』でも、“眼”である以上、完全にアーチャーの視界から逃れてしまえば光点を捕えられない。
「………………」
すでに立ち上がっていたアーチャーは無言のまま、コンテナから跳躍した。
ライダーは倒れ、ランサーは戦線を離脱した。アサシンはそもそもアーチャーたち以外に存在を悟られていた様子もない。
で、あれば、残る
決まっている。銃声の放ち主、アーチャー以外にいない。轟き響いた銃声を頼りに、バーサーカーはこちらに向かうだろう。というより、既に向かってる。進路上のコンテナを破壊し、散乱したその中身を踏み潰し、焼き尽くし、咆哮と破壊音を轟かせて。
アーチャーとバーサーカーの距離が近くなる。爆走するバーサーカーの炎の熱がアーチャーの顔面を叩く。
銃声。バーサーカーの身体がのけ反った。
最後に一発、膝に向かって発砲。バーサーカーの機動力をわずかでも下げつつ、アーチャーは離脱に成功した。
◆◆◆◆◆◆
バーサーカーの乱入直後。もうこの地に安全な場所は皆無と知った
即ち、春日居港からの離脱だ。
幸いバーサーカーの乱入によって、サーヴァントたちは迷い込んだ誰かなど気に掛ける余裕はないはず。彼らは目の前の脅威の対処にリソースを割かれ、不運にも炎の近くにやってきてしまった羽虫のことなど眼中にあるまい。
「なんか、注目されないってのは意外と便利かも」
この街にやってきた魔術師たちもそうだろう。春日居の土地に根を下ろした二つの魔術師の家系。その一つ、
現当主の父。魔術刻印を移植され、次期当主確実の兄。よその魔術師の家に嫁いだ姉については調べているかもしれないが、この自分についてはどうだろう。
魔術師の家の次男。長男の予備。取るに足らない存在。眼中にさえ入れられない。令呪など宿るはずがない。聖杯戦争に参加する資格などあるはずがない。そもそもただの一般人と同じ扱いではないのか。そんなところか。だからこそ、誰も彼も――おそらく聖杯戦争のマスターも――自分のことなど知りもしないだろう。これは情報面では有利ではないか? いるのにいない存在。
そんな益体もないことを考えながらも、司の身体はちゃんと機能している。気配を殺し、ごく初歩的ながらも隠形の魔術を行使して自らの姿を隠し、移動する。
サーヴァントに発見されれば瞬く間に距離を詰められて、なすすべなく殺される恐怖と緊張が背筋を冷やすが、とにかく安全と思われるルートを選び、それでいながらも慌てることは決してなく、岸壁出入り口のソーラスフェンスをくぐる。
フェンス近くに止めてあったバイクに近づき、ポケットから鍵を取りだしてエンジンを起動。エンジン音があたりに響き、その音にサーヴァントが気づくのではないかと内心びくつきながらも、外見は落ち着いて跨る。
その瞬間だった。その声が聞こえたのは。
「いいえ、そんな悲しいことは言わないでください。ちゃんと、君のことを見てくれる人はいますよ」
びくりと肩を震わせる司。いつの間にか、目前に立っている男が一人。
知っている男だ。というより、ついさっきまで彼が戦っているところを見た。
眉目秀麗ながら儚げな印象は一切ない佇まい。
白金色の髪、翡翠のごとき碧眼、
サーヴァント・ランサー。
今まで危機を避けてこれた司は、ここでついに捕まった。見えない運命の手に。
「ランサー……」
我知らず、司は相手の名前を呟いていた。
「はい。――――その呼称を知っているということは、聖杯戦争の関係者ですか。あるいは、はぐれの魔術師か。どの道マスターが張った結界の中に入れたことから、一般人の線は薄いと思いましたがね。
マスターの命令です。目撃者は放っておけないそうです。で、あれば、君を逃がすわけにはいきません。君が七人目であれば、なおさらに」
それはまさに死刑宣告だった。目撃者の排除。魔術師なら当たり前。ああ、なんて
体は慄いている。ついさっき見た彼とライダーの戦闘、そしてバーサーカーの乱入までの、人間の領域を遥かに超えた動きを思い返す。
結論。どう考えても逃げられない。
自分の、祠堂司の聖杯戦争はここで終わる。令呪は宿れど、サーヴァントを召喚することもなく、参戦以前の段階で、こうして終わる――――――――――――。
「――――――――――――ッ!?」
左肩に激痛。一瞬後に跳ね上がる灼熱感。何が起こったのかはすぐにわかった。
視線を痛みの元に向ける。ランサーによって
「あぐ!」
槍が引き抜かれる。再び起こった激痛に、司が悲鳴を上げた。
だが目的は達せられた。
司が着ているライダージャケット。そこにはある仕掛けがある。彼の腕の動きに合わせ、袖に仕込んだ道具が手の中に滑り落ちてくるのだ。
袖口からこぼれ落ちたのは小さな丸い球。本来なら左手の中に納まるそれは刺された痛みで痺れる手ではキャッチできず、地面に落ちる。
球が落ち、ガラス玉のように砕けた。
次の瞬間、砕けた音と共に、煙が司とランサーを包み込んだ。
「む」
警戒心を引き締めるランサー。司が落としたのは割れることで中に入っている薬品が外気と反応。発煙筒のように煙を出すちょっとした小道具。
無論、視界を一時的に塞がれた程度で英霊が怯むわけがない。だが司はこの機に動くしかない。そうしなければ命はない。安全な場所はここにはない。
戦場なんだ、ここは。そして自分はもう足を踏み入れた。己の、祠堂司の運命の流れは、聖杯戦争へと合流したのだ。
ここからさらに呪文を詠唱し、魔術を行使。それによってランサーを攻撃しようという気は一切ない。サーヴァントには個々人が本来持っている保有スキルのほかに、クラスごとに聖杯から与えられる特権的なスキル。クラススキルがある。
ランサーのクラススキルは『対魔力』。これが三大騎士クラスから外れたライダーならば、まだこちらの魔術が通用するかもしれないが、三大騎士クラスはたいてい高いランクでこのスキルを所持しており、
ゆえに選択するのは逃亡一択。
バイクをターン。全力でアクセルを蒸かしてその場から離脱する。
バイクの走行性能が果たしてサーヴァントを凌駕できるのか。そもそも背中を見せた時点で背後から今度は心臓を貫かれるのではないか。そんな不安と恐怖を押し殺してただただ疾走。
考えるのは一つ。人間ではサーヴァントに敵わない。サーヴァントを撃退したいのならば、サーヴァントか、それに匹敵する戦力をこちらも手にする以外になく、後者のあてなどあるわけがない。
必然。取れる手段は一つだけ。
自宅に、祠堂邸に戻ること。そこにはすでに召喚の準備を終えている。
だから、自分も召喚するしかない。サーヴァントを。
◆◆◆◆◆◆
アメリカ合衆国、ネバタ州。スノーフィールド某所、フランチェスカの魔術工房。
「キハ、キハハハハハハハハ!」
どことも知れぬ魔術工房の中で、彼女は笑っていた。
ゴシックロリータのドレスを着た、十代の外見を持つ少女。
形の上はアメリカ合衆国の“機関”に在籍する年齢不詳にして正体不明の魔術師。フランチェスカ。
彼女は大いに笑い、腹を抱え、ベッドの上で転げまわった。その姿だけ見れば外見通りの無邪気な少女のそれだ。
彼女は中身入りのお菓子の袋が散らばったベッドの上でひとしきり笑った後、「あーおかしい」と目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら上半身を起こした。
「まさかあの触媒で、聖処女でもジルでもなく、あの堅物君が来るなんてねー。私が堕落させようとしても、一切なびかなかったのに。それとも昔っから鬱憤はたまってたけど、表に出さなかっただけかな? うんうん。聖杯戦争も人生も、こういうことがあるから面白いんだよねー。
あの聖処女がバーサーカーで現界しなかったのは残念だけどもうどーでもいいかも。堅物君を見てるだけでも面白いし。どれだけ暴れてくれるか、今から楽しみだねぇ」
菓子の袋を開け、中身をパクパク頬張りながら、フランチェスカはベッドの周囲に設置されている無数のモニターのうち、映像を送り届けているいくつかに目を向けた。
それは春日居港の映像だった。上空からのものや、どうやって受信しているのか、港内の監視カメラのものと思われる映像、人間の目線の高さからのものもある。
全て科学的、魔術的手段によって彼女の元に送り届けられている聖杯戦争のほぼリアルタイム映像だった。
今回の偽りの聖杯戦争の噂が飛び交った頃、フランチェスカは日本の様子を覗き見しようとしたがうまくいかなかった。そこでフランチェスカはアーノルドに触媒を渡し、彼からの情報を期待していた。
だがアーノルドが訪日した頃を前後し、これまでの障害がいつの間にか排除されていた。
直接介入は相変わらず防がれているが、今では現地入りせずとも、こうして聖杯戦争の様子を観察できる。
自由に閲覧可能になった理由は分からない。黒幕側の都合なのは間違いない。今まで覗き見さえできなかったのは、ゲームの盤上に
そしてこうして覗き見ができるようになったということは、今からではあらゆる干渉、介入が無為に終わるだろうと思われた。これはフランチェスカだけでなく、同僚のファルデウスをはじめとする“機関”の人間の共通意見だった。
さっきまで食べていた菓子の袋とは別の箱を開け、中のチョコをぱくつきながら、フランチェスカは笑う。
「こんな面白い展開になったんだから、アーノルド君にはぜひ頑張って堅物君を運用してほしいよね――――」
言いながら視線が渡る。その先にあるモニターに映っているのは、戦場になっていた木暮岸壁の真下を流れる下水道。そこにいるアーノルド本人の姿。彼の様子を見ようとモニターに目をやったフランチェスカの表情が止まる。「あれ?」とチョコを指に挟んだまま、首を傾げ、呟いた。
「アーノルド君?」