アンチョビピッツァ   作:はなみつき

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見知らぬ、部屋

「安斎さーん、行ける?」

「ちょっ、ちょっと待って。もう少しだから……」

 

 安斎さんはそう言いながら、閉まりそうで閉まらない鞄と悪戦苦闘している。

 彼女は学校に持ってきた読み終えた本を一気に持ち帰るために、何冊もの本を鞄に納めようとしている。

 どうやら、一冊読んだらその本は学校のロッカーに仕舞い込み、新しい本を家から持ってくるというのを繰り返すうちに結構な量になっていたらしい。

 

 俺はそんな安斎さんを眺めながら、「俺がやろうか?」と、声を掛けるか、彼女の言うようにしばらく待つか、はたまた、入りきらない本を俺が持ってあげた方が良いのかと考えている、という言い訳をしながら結局静観するに留まっている。

 だって、下手なことをしてキモがられでもしたら俺は泣く自信があるもの。積極的な行動はしづらい。

 

「なあ、工太郎って安斎さんと仲良いよな。やっぱりこれなのか?」

 

 俺の後ろに座っている男子生徒が小指を立てながらからかい気味に言ってくる。

 

「ちげーよ。俺は安斎さんのファンの一人であり、安斎さんとはアンツィオの戦車道を立て直す同志なの」

 

 俺達は安斎さんに会話の内容が聞かれないように声を潜めながら言葉を交わす。

 

 アンツィオ高校に入学してからはや三ヶ月。

 クラスメイトとの変な緊張感もとっくに消え、各々気が合う友人達と話したり、放課後遊んだりといった様子がよく見られるようになった。

 とは言え、十五歳という多感なお年頃。特に理由がなければ女子は女子とつるむし、男子は男子とつるむ。やはり男女の溝というものは存在する。

 決して男女の仲が悪いわけではないし、一般的な共学高校と比較したらアンツィオ高校の校風もあり男女の仲は良い。

 

 そんなアンツィオ高校においても俺と安斎さんの関係は少し異質らしい。

 お互いの距離感も掴めない入学直後から俺と彼女がよく話していたのが印象に残っていたのか、クラスメイトからは俺と安斎さんはとても親しく見えるそうだ。

 それだけなら別に良いのだが、俺と安斎さんの関係を邪推している人が何人か居るのが問題だ。

 俺としては安斎さんのような素晴らしい女性とそういう関係に思われて(やぶさ)かでもなかったりするのだが、安斎さんに迷惑が掛かってしまうのは良くない。

 だから、俺はこの事に関してはきっちりと否定させてもらっている。

 

「そうなの? まあ、いいや。じゃ、また明日な」

「おう、じゃあな」

 

 その男子生徒にとって、この話題は大して興味があったわけでは無かったのだろう。

 一応の納得をしてさっさと帰ってしまった。

 

「お待たせ、膝井くん」

 

 そんなこんなしている内に、安斎さんは本を鞄に押し込むことに成功したようだ。

 ギチギチに物を詰められて今にも破裂しそうな鞄を辛うじて繋ぎ止めている金具の悲鳴が聞こえてくる気がした。

 

「ん、じゃあ帰ろうか」

 

 俺は安斎さんと一緒に帰路につく。

 だが、今日は自分達の家に帰る訳ではない。

 今から二人で俺の家に行って、一週間後に行われる期末テストの試験勉強をするのだ。

 

 安斎さんはアンツィオ高校の女子寮に住んでいる。女子寮は男子立ち入り禁止のため、アパートで一人暮らしをしている俺の家でやることになった。

 一緒に勉強するだけなら図書館の会議ブースや学校の教室でやれば良いと思うだろうが、テスト前は追い込まれたアンツィオ生で溢れている。そんな場所では集中出来ない。

 

 そもそも、何故みんなテストに必死になっているのか。アンツィオ高校の事を少し知っている人ならきっと驚くだろう。「え? テスト期間中もノリと勢いで過ごして文字通りの実力テスト状態じゃないの?」って、思っていることだろう。

 

 甘い。甘過ぎる。

 

 アンツィオ高校ではテストで三十点未満を取ってしまうと、その科目に関する一週間の補習と追試を受ける必要がある。

 中間テストで補習に引っ掛かった場合はテスト明けの放課後に一週間+一日の補習と追試が行われる。

 だが、期末テストで補習に引っ掛かってしまうと夏休みの間に一週間+一日に加えて強制夏期講習を履修させられるのだ!

 先輩達の話によると補習と夏期講習で一日が終わってしまうらしい。

 

 ノリと勢いに身を任せ、自分の気持ちに素直な生徒達がそんな面倒な事をやりたいと思うはずがない。

 そうすると、自分達にとって一番良いのは結局勉強する事なのである。

 

 とにかく、アンツィオ高校の学生は以外と真面目……ま、まじ……真面目なのだ……うん……。

 

 普段からしっかり勉強しなさいと言うのは駄目だ。その言葉はアンツィオ生に効く。やめてくれ。

 

 さて、これでアンツィオ生が勉強をよくするのは分かったと思うが、それなら一人ですれば良いと思ったことだろう。

 俺もそう思ってた。

 

 その結果が安斎さんの中間テストでの補習と追試である。

 

 補習に引っ掛かっると、放課後が使えなくなる。そうすると自然と放課後に行う戦車道の練習が出来なくなる。

 俺は補習は無いのだから安斎さんは置いておいて、一人で戦車を置いているガレージに行けば良いと思うだろう。残念ながらそう言うわけにはいかないのだ。

 

 言うまでもないだろうが、俺は整備士である。

 そんな俺が必要になるのは主に戦車が使われた後、つまり、練習の後なのだ。

 だが、今の三年生は安斎さんにアンツィオ高校に伝わる技能を継承させるため以外には燃料代がもったいないと言って練習をしないのだ。

 

 それは彼女達が怠惰だからではない。

 学園長にスカウトされた俺達のために、いや、これからのアンツィオ高校戦車道チームのために練習した時に発生する燃料・弾薬代をイタリア製重戦車P40を購入するための資金に、充てているのだ。

 先輩達には本当に頭が下がる。

 

 もちろん、日々の保守点検も整備士の大事な仕事ではあるが、それは大した作業ではないのですぐに終わる。

 

 つまり、安斎さんが戦車道の練習に来ないと俺も仕事にならないのだ。

 

「お、着いた着いた」

 

 と、そんな事をつらつらと考えていたら、いつの間にか俺が借りているアパートの前まで来ていた。

 

「ここの102号室が俺の部屋」

「そ、そうなんだ」

 

 緊張した様子で返事をする安斎さん。

 出会って三ヶ月程度の男の家に上がろうと言うのだ。緊張して当然だろう。

 

 かくいう俺も実はかなり緊張している。

 何て言ったって、自分の部屋に女の子を入れると言うのは初めての経験なのだ。何か落ち度があれば一気に嫌われる危険がある。

 えーと、部屋は普段から綺麗にしているし、ゴミは溜めずに毎回捨てているし、ちょっとエッチな漫画は世界の戦車特集の奥にしまっている。

 

 よし、大丈夫なはずだ。

 俺は家の鍵を開け、安斎さんを迎える。

 

「どうぞ。余りキレイじゃないかもだけど、許してね」

「お邪魔します」

 

 安斎さんはおずおずと扉をくぐり玄関に入る。

 そして、靴を脱いで、出船の状態に直してピッタリと揃えている。

 

 安斎さんにとっては初めて来た人の部屋なので、俺が先に奥に行ってから彼女に入ってくるように促す。

 

 リビングは九畳。

 置いてあるものはベッド、テレビ、テーブルとしての機能のみを果たす炬燵と座椅子、勉強机、教科書や趣味関連の書籍を納めたカラーボックス、その他小物が少々。

 衣服はケースに容れて押入れに突っ込んでいる。

 

 我ながら、至極一般的な学生な部屋なのではなかろうか。

 

「……」

 

 安斎さんはなにも言わずにきょろきょろと部屋を見回している。

 おそらく、余り散らかった部屋ではなくて安心したのだろう。

 

 おっと

 

「どうぞ、座って」

「あっ、うん」

 

 普段は俺が座っている座椅子に手を向けて、安斎さんに座ってもらう。俺は座布団を押入れから取り出し、安斎さんの対面に座る。

 よし、この選択は間違ってないはずだ。

 

 だが、安斎さんは座椅子に座りながらももじもじとしている。

 トイレか? 等というデリカシーを欠いた質問をするほど鈍感ではない。

 やはりまだ男の部屋というのに落ち着かないのだろう。

 

 ここはホストである俺が何とかしなければ!

 然り気無く辺りを見回して何か良いものはないかと探してみる。

 お、目の前に良いものが有るじゃないか。

 

「チョコレートでもどうだい?」

「え? うん、いただきます」

 

 炬燵の上に置いてあるチョコレートを容れた篭から一つ取り、安斎さんに渡す。

 ここで重要なのはゲストである安斎さんが気軽に食べられるようにホストである俺が先に手をつけることだ。

 俺がチョコレートを食べるのにつられたのか、安斎さんもチョコレートを口に含む。

 

「……おいしい」

「そいつは良かった」

 

 安斎さんの表情も幾らか柔らかくなり、大分気もほぐれたのだろう。

 

 さて、それでは本題に入ろうか。

 

「早速だけど、中間テストでの各教科の点数を教えて貰えるかな?」

「やっぱり……言わなきゃだめかな?」

 

 上目遣いでこちらを見てくる安斎さんの力は絶大で、無理に言わなくても良いよぉ~、なんて言いたくなる。しかし、俺は心を鬼にしなければならないのだ。

 

「駄目です」

「うぅ……」

 

 やはり、テスト勉強のためにはその人の傾向を知る必要がある。

 出来る所をどれだけ勉強したって点数は伸びないし、出来ないものから逃げ続けてもやはり点数は伸びない。

 確実に点数を伸ばして三十点を取るためには必要な事なのだ。

 

「えっと、英語67、現代文94、古文98、日本史78」

「おー、かなり良い成績だな」

 

 今回の英語はまだ授業でやってない範囲が出されてしまい、軒並み点数が低かったため67でも高得点だ。

 現代文・古文に関しては俺が教えてもらわなきゃならないな。

 

「化学24」

「そうかー。でもそれならちょっと頑張れば何とかなるな」

 

 これくらい想定内だ。

 そうなると、安斎さんが今回力を入れないといけないのは化学ってことになるのかな。

 

「物理12、数学……4……」

「……何て言うか、安斎さんってすっごい文系ですね」

 

 驚いた。

 それはもう、久しく安斎さんには使っていなかった丁寧語が出るくらいには驚いた。

 偏りすぎだろ……。

 もしかしたら理系科目は語句の穴埋め問題しか出来て無いんじゃなかろうか。

 

「本を読むのが好きだから文章には強いんだけど、数字はちょっと……」

「そうみたいだね」

 

 人には向き不向きと言うものがある。

 それの一つとして文系理系の区別は良い例だろう。

 しかし、先生とて意地悪ではない。定期テストで三十点というのはどれだけその科目が苦手だろうと誰でも取ることが出来るように設定されているものだ。

 

 いくら安斎さんが数字に対して異様に弱くてもこれからみっちり仕込めばなんとでもなるはずだ!

 

「よし! まずは時間が掛かりそうな数学物理から……」

 

 くぅぅ……

 

 敢えて文字に起こすとしたらこんな感じだろうか。

 その音が何なのかということは俺も分かる。しかし、こんなに可愛らしい音は聞いたことがない。

 この音と比べたら俺のは地響きみたいなものだ。

 

「……」

 

 手でお腹を押さえて顔を俯かせる安斎さん。

 俯かせた顔は耳まで真っ赤だ。

 

 彼女がお腹を押さえているのはお腹が痛いからかな?

 まあ、違うよな。

 

「その前に軽く何か食べるか。パスタしかないからパスタで良いかな?」

「そ、そんな……悪いよ。そこまでしてもらうわけには……」

「まあまあ。悲しい一人暮らしの男子生徒を元気付けるためにも一緒に食べてよ」

「それじゃあ……ごちそうになります」

「うむうむ」

 

 俺はよっこらせと呟きながら立ち上がり、キッチンへ軽食を作りに向かった。

 

 こうしてパスタを食べた後、俺達の勉強会は始まった。

 

 

 

 

 期末テストが始まるまでの一週間。二人でみっちり勉強したし、人に教えるのは苦手な俺も安斎さんに出来るだけのことをしたつもりだ。

 

 これでもう何も怖くない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休み、俺は一週間+一日の暇な時間が出来たため、いつかやろうと思っていた旅に出ることにした。

 

 次は二週間前から対策しよう。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 さっきまでアンチョビパスタが載っていた皿は食器用洗剤と水によってピカピカに輝いている。

 他にも、フォーク、コップ、フライパンも同じように洗っては水切りかごに静かに並べていく。

 

「後片付けしゅーりょーっと」

 

 俺は濡れた手をタオルで拭き取り、身に付けていたエプロンを取り外す。

 冷凍庫から小さめのカップアイスを二つ取り出し、スプーンも二つ用意してリビングに持っていく。

 

「チヨー、デザートにアイス食うか?」

 

 俺の呼び掛けにチヨは答えない。

 その理由はすぐに分かった。

 

「寝てやがる……」

 

 それもがっつりと。俺のベッドで。

 

「おーい、食ってすぐ寝ると牛になるぞー」

 

 俺がそう言ってもチヨは起きる様子を全く見せない。

 本気寝である。

 

「スヤァって文字がこれ程似合う寝顔が有るだろうか、いやない」

 

 かつてチヨに教えてもらった反語表現でチヨの寝顔を表現してみちゃったり。

 

 ……じっと見てたら鼻にピーナッツ詰めたくなって来る寝顔だな。

 

 俺は必要なくなったアイスとスプーンを全て元にあった場所に戻すことにした。

 俺だけ食べても良いが、それは味気ない。

 

 

 チヨが自分で起きなければ女子寮の門限の一時間前位に起こしてやるか。

 そうと決めたら俺はチヨを起こさないように静かに戦車大全でも眺めてニヤニヤすることにしよう。

 

 カラーボックスから一冊の本を選び、座椅子に腰を掛ける。

 


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