日本海軍艦娘開発部。民間の技術者によって構成された、艤装と装備の開発を目的とした機関で、海軍の下部組織にあたり、そしてこの戦争において重要な役割を果たす組織。
海軍の艦娘が使用する艤装や、装備の開発やアップグレードを担当するのはこの開発部の仕事であった。数年前に偶然発見された“妖精”の技術に着目し、分析し、深海棲艦への切り札たる装備を人間の手で開発していく、最先端の組織。
その本部は、千葉県の某所にひっそりと存在していた。
開発部の本棟は、いつもの朝を迎えていた。
その一角、第二装備開発課も同じような朝を迎えていた。敷地内の宿舎から出勤した技術者たちが、オフィスでいつものようにパソコンや設計図と向かい合いながら、新型装備の開発にいそしもうとしている。
その部屋の一角にある設計室のドアノブが、がちゃがちゃと回った。
のそり、とドアを開けて出てきたのは、茶髪の若い女性だった。
上はTシャツこそ着ているが、下はパンツ一丁だ。裸足にサンダル、少し伸び気味の爪というだらしない足元に、化粧なしでも可愛いと箔が付くであろう美貌は、目の下に出来たドス黒い隈と半開きの口元のせいで台無しになっていた。
そんな姿を見て、同僚たちは驚くばかりか全く気にも止めず、自分の設計室からのろのろと這い出て来た彼女を見てから、また作業の続きに入っていた。
彼女こそ、この装備開発課でも指折りの天才技師、三樹原麻衣その人だった。
今年で24歳になるが、この有様なので未だに彼氏はいない。
「おっーす、三樹原いるか」
同僚の男性がドアを開けて部屋へと入ってくる、デスクに座っていた中年の課長が書類から目を離さないまま、人差し指で三樹原を指し示した。
同僚は、部屋から出てきて自販機の前に立っている三樹原を見て顔をしかめた。
「おい、だらしないぞ」
「一昨日から徹夜なんだよ、大目に見ろよ」
三樹原は部屋に置かれた自販機に硬貨を投入すると、迷わずにカフェイン飲料のボタンを押した。落ちてきた缶を手に取ると、そのまま自販機の前でプルタブを空けてごくごくと飲み干した。
「うあぁ~……利くわぁー」
「お前いい加減に休まないと、死ぬぞ」
「あとちょっとでヘッジホッグの開発に目処が立つんだ、ここで休んでられるかってんだ」
同僚の言葉に答えながら、三樹原はゴミ箱に空き缶を突っ込んでから、元の部屋に戻ろうとする。だが、同僚はそんな三樹原の肩を掴んで引き止めた。
「おい、横須賀鎮守府から出頭しろって命令だ」
「あ?」
足を止めた三樹原は、めんどくせーなと言わんばかりの顔で頭をボリボリ掻くと、それを無視してまた部屋に戻ろうとする。
「急病で来られないって伝えてくれよ、どうせまた新型装備の不具合に関するお叱りだろ。別の奴に頼んでくれ」
「あのなぁ……」
同僚は呆れ気味にため息を吐いた。
「南方海域でトラブルが発生した。それについて助言が必要だと言っている」
「助言だあ?大体なんで南方海域なんだよ、もう全軍撤退完了しただろ。深海棲艦監視ブイの話ならもうお断りだ、あんなもんに予算注ぎ込むなって言い返してやれ」
「そうじゃない」
同僚はため息を吐くと、改めて本題を切り出した。
「海軍の艦娘が1人南方海域に取り残されている、そいつの救出計画に参加しろって話だ」
三樹原はそう聞いてから、頭をまたボリボリ掻く。天を仰ぐように顔を上げ、答えた。
「不在の間にアタシの部屋の物いじくんなよ。何時に出頭だ、今か?」
「今日の夕方だ。それまでに仮眠とっとけよ」
「飲む前に言えよバカ野郎……」
そう答えながら、三樹原は宿舎に戻る前にズボンを履きに自室へと戻った。
同日 横須賀鎮守府 司令棟
衛兵に案内され、三樹原は横須賀鎮守府の司令棟までやってきた。
こちらです、とドアを開けられて案内された部屋に入るなり、三樹原は思わず一気に緊張してしまった。長机とパイプ椅子が展開された簡素な会議室には、大量の海軍将校がいたからだ。
しかも、階級は低い者でも中佐や少佐だ。中には中将の階級章を付けた将校もいる。また、彼らの後ろにはそれぞれ秘書艦と思われる艦娘が控えていた。
眠気が一気に吹き飛んだ三樹原は、思わず生唾を飲み込んだまま突っ立ってしまった。
「君が開発部の民間技術者か……三樹原君かね?」
「は、はい」
強面の中将から投げかけられた言葉に、思わず三樹原は上ずった声を上げてしまう。
「座りたまえ」
指し示されるまま、三樹原は手近な空席へと腰をかけた。
恐らく、来る前から長らく会議が続いていたのだろう、三樹原が席につくなり、中将の隣席に座る大佐が口を開き始めた。
「いきなりで申し訳ないが、この件で、専門家の意見を聞きたい」
「意見、と言いますと」
三樹原が緊張が続くまま問い返す。
「まだ詳しい説明は受けていないだろうから、私が説明しよう」
大佐の声と同時に、不意に、後ろから現れた艦娘――戦艦日向が、三樹原の席に書類を置いた。それに目を落とした三樹原は、簡単に目で追って内容を見取った。
「南方海域の基地に、妙高型重巡の那智が取り残されている。今から3週間ほど前に、衛星写真でその生存が確認された。そして2日前、米軍経由でオーストラリアとニュージーランドで、那智が発信したと思われる艦娘用通信装置の信号を探知したという情報が入った。だが、通信の内容そのものはノイズだらけでわからない上にこちらから通信を送る事が出来ない。そこで、通信回復のために必要な手段を考えて欲しい」
大佐の言葉を聴き終えた所で、三樹原は心の中で呟いた。
その程度で私を呼んだのか、と。
「率直な意見を聞かせてほしい、可能かね?」
中将の念を押す言葉に、三樹原は頷いた。
「可能です」
そして、三樹原は簡単に説明を始めた。
「ただし難点があります。現在、南方海域と日本本土までをつなぐ通信を経由できる艦娘がいない事です。恐らく、南半球の2国で信号を受け取れているのは、稀なケースでしょう。艦娘との長距離通信には、本土と南方海域の間に艦娘が入って通信を経由する必要があります、それでダメなら、バイパスして迂回させるしかありません」
俄かに会議室がざわつく。
「つまり……どういう事だ」
大佐の言葉に、三樹原は要約した説明を行った。
「艦娘を前線へ派遣させ、駐留させる必要があります……深海棲艦の支配地域に」
バカな、無理だ、という言葉が一斉に会議室を駆け巡る。
「それはリスクが高すぎる、支配地域の真ん中に艦娘を送るのか」
「はい、しかしリスクは抑えられます」
将校の一人の発言に、三樹原は反論した。
「艦娘用の通信装置は、艦娘のみが使用できますが、開発部は同等の通信装置を艦娘を介さずに使用できる試作品を去年に作りました」
一瞬で会議室は静まり返る。沈黙が流れる中、大佐が「続けてくれ」と呟いた。
三樹原はこほんと咳払いをしてから、話を続ける。
「艦娘の艤装用通信装置は、現在“妖精”の技術力を用いて作られたブラックボックスですが、現在開発部ではこの通信装置に関する解析・分析が進んでいます。同等の性能を持つ通信装備であれば、現在プロトタイプがあります。開発はしましたが、実用性に欠ける事と、既存の通信装置の方がはるかに効率的だと分かったので、実用化については見送りました」
「それを使うとどうなる」
「艦娘用の通信を、迂回して届ける事が可能です、装置は無人稼動可能で、大きさも抑えられるため、支配地域の無人島なりどこかへ置くだけで済みます」
中将はそう聞いてから、口を開いた。
「装置についてはまだ存在しているか?」
「はい、開発部の倉庫にあります。設計図もあるので、追加で作る事も可能です」
再び沈黙が会議室を支配する。
そして、中将は重々しく口を開いた。
「それ以外に、案はあるかね?」
「ありません」
三樹原は臆することなく呟いた。
技術屋は素直でなければならない――この仕事を始めたての時、先輩から言われた言葉を、三樹原は頭の中で反芻していた。
その後、1時間ほどで会議は終了し、三樹原はようやく会議室から外へ出た。
三樹原もまた、この会議で何が行われているのか、そして南方で何が起こっているのかを知らされた。現在、この事件はマスコミには知らされていない。そればかりか、その艦娘の家族にも知らされていないという事だった。むろん、三樹原も公言しないよう念を押された。
そして、この艦娘を救うかどうかについては司令部はもめている。
軍の重要人物ならまだしも、一介の艦娘1人を救う価値はあるのか、コストはどうか、リスクは?と議論が重ねられており、場合によっては救出を断念する可能性もあるという。
だが、敵の支配海域で生存しているという事は、深海棲艦に纏わるデータをより詳細に入手できる事に他ならず、その艦娘を利用して情報収集をさせるのはどうか、という話もあるという。
そのためには、その艦娘と通信をどうしても取る必要があるのだ。
三樹原は暫く開発部と、横須賀を行き来する事になった。
今後もサポートやアドバイザーとして頻繁に呼ばれる事になるだろう、との事だ。そして、軍は開発部と横須賀を繋ぐ女性将校を彼女に元に就かせると言ってきた。
そして今、開発部へ送る帰路。自動車の車内で、三樹原はその女性将校の話を聞いている。
「それにしても、開発部きっての秀才が私と同年代の女性ってのは意外だったわね」
「……みんなそう言うよ」
女性将校はそう言いながら、ハンドルを握って運転をしている。
ガソリンの規制で、車も疎らになった首都高を走りながら、もうずっとこの調子で三樹原と女性将校の話は続いている。
タメでいいよ、とフランクに話してくれる女性将校だったので、三樹原は安心していたがこうもぐいぐいと会話を続けられると、三樹原も少々引き気味であった。
「あんた、海軍の制服着てるけど艦娘に見えるな」
「あ?分かっちゃった?どの艦娘に見える?」
三樹原は隣でハンドルを握る彼女の姿を見て、ふむ、と思案した。
「ピンクがかった髪の毛とか、纏めてる髪の長さを見て――工作艦明石か」
「正解。正確に言うと“明石の艤装配備待ちの艤装適合者”だけど」
「レアだもんな、あの艤装」
でしょ?と彼女――明石は笑った。
「もしかして、あなたも艦娘?」
「どうして分かる」
「雰囲気で」
明石の言葉に、三樹原は参ったと言わんばかりの顔を浮かべた。
「やっぱり分かるか。もう離れて1年経つんだけどな」
「除隊したの?どうして?」
「艤装の適合能力が無くなったんだよ。どの艤装もウンともスンとも動かなくなって海軍を追い出されたんだ。再就職先から無いからこの仕事にしたんだ、まだ“妖精”が見えるからこの手の職じゃ引く手数多なんだと」
うんざりとした口調で三樹原は呟く。一方で明石は興味津々な様子だった。
「へぇ……ちなみにどの艦娘だったの?」
「高雄型だ、適合艤装は摩耶」
やっぱり、と明石は思わず口に出した。
次いで話を切り出そうとする明石を前に、三樹原は制するように厳しい口調で言葉を重ねた。
「これ以上詮索するな、あんまり思い出したくねえんだよ……昔の話は」
「ごめんなさい」
思わず謝る明石だったが、三樹原は「いいんだ、別に」と素っ気無く答えた。
「いいんだ……」
表情に影を落としながら、三樹原は窓の外を眺めた。
明石は、思わず黙ってしまう。そして、気まずい空気から逃れるように、ハンドルを握りながら運転に集中する事にした。