――冗談じゃない。
伊58は何度思ったかわからない言葉を頭の中で呟いた。
今回の作戦は徹底したものだった。昼間は身を隠せる場所――孤島や浅瀬などで待機し、敵をやり過ごす、夜間になったら全速で航行する……長距離偵察や航海を行う潜水艦のセオリーに則った行動で、2人は那智救出のために全力を尽くしていた。
だが、今回のミッションは段違いの恐ろしさだった。
駆逐ロ級や、軽巡ツ級を含む対潜哨戒艦隊が、虱潰しに2人を追撃していた。
昼間も夜もお構いなしに、爆雷を周辺に叩き込み、それすら尽きれば今度はその主砲すら海面に向けて発砲するという徹底ぶりだった。
それでも、2人にとっては回避は朝飯前だった。包囲網をかいくぐり、海底に身を潜め、爆雷攻撃をやり過ごす。そのまま空気が持つ限りもぐり続け、タイミングを見計らい浮上し、また潜水するの繰り返しだ。
那智を運ぶ運貨筒改も、かすり傷ひとつ無く無事だった。
だが、そんな決死の突破を試みる彼女たちの前に、恐ろしい敵が現れていた。
限りなく艦娘に近く、そして艦娘ならざる者たち。
その戦闘能力から「姫」の呼称で恐れられた深海棲艦。
軽巡棲姫と駆逐棲姫が現れたのだ。
このような敵は、2人も過去に遭遇していた。仲間たちの援護、航空支援、艦砲射撃支援、さまざまな幸運が重なって、この強敵は撃破された。
だが、そんな彼女たちでも、この光景はいつになく強烈で、絶望的だった。
軽巡棲姫と駆逐棲姫、その数、6隻。
水底にもぐり続ける彼女たちは、互いに通信を取る事はできない。
下手にソナーのピンを打とうものなら、見つけ出され血祭りにされて殺される。物音を立てず、互いの目を見たり、手でジェスチャーを作ったり、体を叩く等してコミュニケーションを図るしか水底で意思疎通するしか方法は無い。
だが、互いの目に浮かんでいるのは今までに無い恐怖と緊迫だった。
敵の最前線に侵入した彼女たちは、今だかつてない恐怖と立ち向かわねばならなかった。
乱暴に海面を何かが叩く音が、静かな海の中に響き渡る。
頭上を見上げた彼女たちは、それが何を意味しているか否が応でも気が付いた。水面の光すら見えなくなるほどの、粒のようなそれ――爆雷だった。
その数はもう数える事すら出来ない。
息を呑みながら、ただ秒数をカウントする。
死神にギリギリまで近づくしか、生き残れる術は無いと彼女たちは戦場で教え込まれていた。だが、今回ばかりは、死神が大鎌を振りかざして微笑んでいる。
死んでたまるか、強がりを浮かべる彼女たちの体に、爆発の振動が一斉に襲い掛かった。
6時間後 横須賀鎮守府 艦娘用兵舎
羽黒は酒保での買い物を終え、自室に戻っていた。
両手いっぱいの紙袋を大事に抱えて、ふさがった手で何とか部屋のドアを開けた。
艦娘が増えた横須賀鎮守府では、重巡でも相部部屋が義務付けられるようになった。羽黒の自室は、同じく巡洋艦で航巡として改装済みの最上だった。
最上は部屋の中にいたようで、ベッドの上で横になりながら、コミック雑誌を読んでいた。
「おかえり」
「ただいま」
簡単に言葉を交わしてから、羽黒は大事そうに抱えた紙袋を床に置き、個人用ロッカーの鍵を開けようとポケットから鍵を取り出そうとした。
酒保の紙袋を抱えていた羽黒が気になったのか、最上はコミックを脇において、ベッドから身体を起こすと、その紙袋の中身を覗き見した。
「羽黒がお酒なんて珍しいね」
「うん……那智姉さんが帰ってきたら、お詫びと帰還祝いであげようと思って」
羽黒はそう呟くと、口元に微かな笑みを浮かべた。
紙袋の中身は、洋酒のビンで満たされていた。那智の好きな銘柄の酒ばかりで、中にはそこそこ高額の洋酒も混ざっている。
「私たちが那智姉さんを置き去りにしちゃったから、せめて……」
「確かに喜ぶと思うよ、でもこの量は絶対に一晩で飲むだろうね、そんでもってまた始末書モノの騒ぎを起こすだろうね」
最上はふふっと笑った。
「ポーラと隼鷹には内緒にしないと」
「そうね」
羽黒はそう言って笑うと、その紙袋を大事に個人用ロッカーの中に仕舞い込んだ。
そんな中、部屋の外、廊下に慌しい足音が響き渡った。2人が開けっ放しにしたドアを見ると、2人の目の前を大淀が走り去っていった。
呆気に取られた最上だったが、羽黒の心の中にズキンと不安感が突き刺さった。
「……いつもと様子が違ったね」
「私、見てくる」
羽黒はそう言うと、急いで大淀の後を追った。
大淀が走っていった方向は、提督の執務室だった。
羽黒が大淀を追っていくうちに、階段を下りてきた長門とも合流した。
「どうした羽黒、そんなに急いで」
「あ、あのっ、大淀さんが執務室に急いで向かっていたので……」
大淀、執務室、急いで。
その言葉を飲み込んだ長門は、何も答えずそのまま駆け足で執務室へと向かった。
羽黒も、何もいわずに長門の後を追って行った。
同時刻 横須賀鎮守府 執務室
提督は窓の外に広がる景色をぼうっと眺めながら、時計の針を時折眺めては、思案にふけっていた。救出作戦の成否が判明するまでの時間は、あまりにも長かった。
もし那智の元まで無事にたどり着ければ、作戦の前段は終了する。それについての通信は那智から届く手はずになっているが、那智からの通信は無かった。
潜水艦が無事に航行しているのなら、今頃はトラック諸島の沖合いを越えて南方海域の中枢――那智の残された島へとたどり着く頃合だろう。
だが、連絡は来なかった。
同じく、艦娘開発部から派遣されている技術者の三樹原もまた、同じ部屋で待機していた。
今回の作戦は、彼女が開発した運貨筒改の性能にもかかっている。テストをしたとは言え、ぶっつけ本番で作られた新型装備である。三樹原はいつになく、新装備が無事に動作するかの不安を感じていた。
今週の秘書艦担当の陸奥は、部屋にうずまく緊迫した空気に、思わずため息を吐きそうになった。この重苦しい沈黙は、もう何十分と続いている。
「三樹原さん、お茶はどうかしら」
「いらん」
陸奥の言葉に三樹原はぶっきらぼうに答えた。
彼女には、技術者の心などまったく分からなかったが、それでも、彼女が不安を紛らわそうとしている様子は見て取れた。
「私はもらおう」
本郷中佐が困っている陸奥に声をかける。陸奥は頷くと、お茶を淹れに部屋を出ようとした。
執務室のドアがノックされた。
本郷中佐の返事も待たず、大淀がドアを急いで開けて中へと入った。敬礼もなく、廊下を走ってきたのか乱れた呼吸で、肩で息をしていた。それから一呼吸遅れて、走って後を追いかけてきた長門と羽黒が大淀の後ろに立った。
執務室にいた全員が、その姿を見て息を呑んだ。
本来、到着したなら那智から作戦の前段完了の通信が、この執務室にある通信機を介して直接来る時間である。そのタイミングで、大淀がこんな焦りを見せた顔でやってくる事が意味する理由を、全員はこの時点で悟ってしまった。
大淀は片手に握った電文を読み上げた。
「報告します」
大淀の声は震えていた。
「前線の友軍艦隊から入電です。救援艦隊は、トラック島沖にて敵深海棲艦の対潜哨戒部隊、ならびに軽巡棲姫と駆逐棲姫6隻の追撃を受け全艦大破……運貨筒は破損により破棄、現在2隻は艦娘母艦に緊急搬送中、艤装以外にも身体にダメージあり、重症とのこと」
電文を持つ手が震えている。大淀は、掠れそうな声を振り絞って最後の一言を呟いた。
「作戦は、失敗です」
執務室に痛烈な沈黙が広がった。
誰もが口を開かなかった、いや、開くことも出来なかった。