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撤退237日目 横須賀鎮守府
キーボードに指先を叩き続けながら、大淀は膨大な量の書類作成に従事していた。
丸一日、デスクに座ってパソコンの書類製作ソフトで書類を作る。誰が言ったか“艤装が配備されるまでは大淀の艤装適合者はキーボード兵士扱い”というジョークは間違いである、と大淀は何度も考えていた。艦隊任務が終われば情報将校としてやらねばいけない仕事が待っている。それでなくても最終的に艦隊の事務仕事は全て彼女に回され、星の多い階級章を付けた上官や将校たちを補佐し続けなければならない。ある意味で艤装を背負って戦うよりも激務だ。道理で艤装適合者が多いわけだ、とため息を吐きそうになった。
大規模作戦が始まると、大淀は決まって作戦資料の作成で缶詰になっていた。
「お疲れ様、はい、コーヒー」
明石が暖かいコーヒーが入ったマグカップを、そっと大淀のデスクに置いた。
大淀は「ありがとう」とつぶやいてから、マグカップを取ろうとしてディスプレイから視線を外して驚いた。窓の外が暗い。時計の針が12時手前になっている。
「……」
もうこんな時間か、と思いながら大淀はコーヒーを一口啜りながら、もう何回やったかわからない上書き保存をして、作業を中断した。
「今度の南方海域奪還作戦の資料?」
「ええ。第三段階の資料で……」
ディスプレイを覗き込む明石の言葉に、大淀は頷いた。
「これ……本当?」
明石は困惑の声を浮かべた。
反抗作戦の第一段階はマリアナ諸島の奪還である。
サイパン、グアムと言った基地をまずは奪還し、周辺海域の掃討を行う。それからパラオ、トラックの奪還が第二段階、そして第三段階はラバウル・ガダルカナル島を含む海域――那智の待つ海域の奪還である。第三段階では、それと平行してバヌアツ、ニューカレドニア、ポートモレスビーをアメリカの豪州派遣艦隊、EUの太平洋派遣艦隊が攻略する手はずとなっている。
しかし、道のりは恐ろしく険しい。
輪のように広がった赤色の海域。深海棲艦の強力な支配海域には姫クラスの深海棲艦が徘徊している。それも1体や2体ではない、数体で艦隊を作った深海棲艦の強力な親玉たちが、我が物顔で周辺海域を固めている。エリートやフラグシップ級の通常深海棲艦も、総数のカウントをあきらめるほど大量に存在していた。
少なくとも、日本の艦娘とアメリカ・EU艦隊の艦娘を合わせた数と互角かそれ以上という状態なのだ。だからこそ、今回の作戦は規格外とも言うべき内容となっていた。
「基地航空隊の支援、各艦隊への高速修復材、各資源の十分な支給、さらに今まで実現しなかった米軍の艦娘艦隊との大規模合同作戦……?これって」
「今までこの調子だったら、もうとっくに戦争は終わっていたかもしれないのに」
はあ、と大淀は明石の言葉にため息を吐いた。
「救出作戦のプランはどう?」
「全く」
大淀は首を左右に振った。
「偵察衛星の写真では、深海棲艦の“赤”海域が徐々に厚さを増していて不用意に近づく事は困難。対潜艦隊の拡充で、前回みたいな潜水艦作戦は封じられていて、さらに防備が比較的薄いオーストラリア側も、姫クラスの深海棲艦が増加傾向にあって突破は難しいと。今のところ、プランは全部凍結状態……お手上げです」
「米軍の救出計画は?何か知ってるんでしょう?」
明石の言葉に、大淀は再度首を左右に振った。
「まだ何も。おそらく米軍も同じ状況でしょう」
うーん、と明石は険しい顔を浮かべた。
「控えめに言ってクソみたいな状況ね」
撤退238日目 日本海軍 硫黄島基地
硫黄島基地は喧騒に包まれていた。
かつて日本軍と米軍が死闘を繰り広げた激戦地に建てられたこの基地は、海軍の前身組織である海上自衛隊と、そして航空自衛隊の共用基地として運用されていた。
しかし、艦娘が開発され深海棲艦との戦いが激化すると、地形の都合で埠頭を作れず軍港として利用出来なかったこの基地は「艦娘用基地」として新たな活用をされるに至った。
南方海域が奪取された今、この基地こそが南方海域奪還作戦の最前線となっていた。
滑走路では、艦娘を乗せた海軍のオスプレイが慌しく飛び立っては、また戻ってきていた。艦娘への洋上補給のため、燃料弾薬を満載しては洋上へ投下し、艦隊へと送り込んでいる。
ここでは総勢150隻、25艦隊という大部隊がマリアナ諸島奪還のために動いている。横須賀所属の艦隊も同じ状態であった。かつての南方派遣艦隊の艦娘たちも同じだ。
夕暮れ時になり、ようやく今日の出撃を終えた長門率いる艦隊も基地へとようやく帰還した。
久々の大規模作戦と激戦に、長門の顔にも疲労の色がにじみ出ていた。
艤装を保管庫へ預け、残りの仲間を先に兵舎へ戻し、指揮所で戦闘報告を終えた長門と陸奥はようやく兵舎に戻り食事にありつこうとしていた。時間は夕暮れ時であるが、水雷戦隊に至ってはこの時間から出撃し、夜戦のために借り出される程だ。まさに不眠不休の攻撃が行われている。
そのまま基地を歩いていると、向かい側から担架に乗せられた艦娘が兵士2人がかりで運ばれてきた。
担架に乗せられているのは、長門のよく知る艦娘――ビスマルクだった。
艤装は外しているものの、その姿はあまりにも痛々しく、そしてゾッとするものだった。顔面の半分を覆う包帯は血まみれで、彼女の右腕はそっくりそのまま欠落していた。
波のように襲ってくる痛みに顔を時折歪ませているが、艦娘である彼女は余裕なのだろう、見知った顔を見つけて口元に薄い笑みを浮かべる。
これから高速修復材を投入して入渠する事は明白だった。欠損した右腕も、残りの傷もすべて跡形も無く修復させてしまうだろう。妖精さんの力が生み出した艦娘という存在のみ許された、驚くべき回復力がなせる光景だ。
「あら長門、今日の成果は?」
「戦艦棲姫を共同撃破だ、そっちは?」
「ル級のフラグシップを1ダース分刈り取ってやったわ!また後で食堂で会いましょう」
すれ違いざまに挨拶を交わすと、ビスマルクはそのまま基地の入渠施設の方向へと向かう、担架持ちの兵士が少し姿勢を崩したのか、傷に響いたビスマルクは「シャイセ!」とドイツ語で悪態を吐きながら、せっせと運ばれていった。
「終わりがないわね」
ぼそり、と陸奥が呟いた。
もうかれこれ1週間、長門たちの部隊は出撃している。休息のために横須賀鎮守府に戻るまであと3日であるが、長門たちにとっては恐ろしく長い3日となっていた。
「まあな、だが終わりがあると分かるだけマシだ」
長門は水平線を眺めた。
夕暮れに染まっているとはいえ、海の蒼い色とは明らかに違う、赤黒く染まっている水平線。あの向こう――深海棲艦の支配海域には、大量の敵が待ち構えている。
これから待ち受ける戦いが長くなる事は長門もよく知っていた。だが、成果は出ていないわけではない。深海棲艦の姫クラスを屠り続け、護衛の深海棲艦も根こそぎ減らしつつある現在、その深海棲艦の支配海域は徐々に後退を続けている。
海域の奪取、そして何よりも那智救出の一歩のため。ここでめげる訳にはいかないと長門は心に誓った。