目が覚めた時。
自分が誰だかわからないという感覚を初めて知った。
平成育ちの日本人? 確かにそういった記憶もある。しかしそれが自分であると声を大にして言えなかった。
では、日本人の記憶からすれば異世界であるこの世界で生まれ育った貴族の令嬢? それもまた違う。
平凡な日本人と、異世界の貴族令嬢、どちらが本当というわけではない。どちらも異なるのだ。まるでそれらの要素は残滓のように現在の意識に漂っている。
小賢しい知恵は回るが、大きな善行も大きな悪行もできなかった小市民とは違う。
竜王国の王家の血を引き、蝶よ花よと育てられた貴族の小娘とも違う。
今の私は、アルトリア・ペンドラゴン。それが現世の――異世界の貴族令嬢として得た名前である。
容姿は、日本人の知識としてあるとあるゲームのヒロインにそっくりだった。彼女が現実にいれば、自身と見分けがつかない程に瓜二つだろうと確信するほど。
しかし、本物ではないと断言できる。
私はブリテンの事など欠片も知らないし、騎士王が抱いた理想なんて微塵も抱いていない。どちらかと言えばかの英霊の悪墜ちした姿の方が近いとすらいえるだろう。
容姿や特性が瓜二つなだけの別人。その形容が相応しいように思えた。
――まるで神様転生だ。
アルトリアは思った。
神やそれに類似した存在と出会った記憶など存在しないが、状況はそうとしか表現できなかった。
意識を己の内へと向ければ、視界に浮かび上がる『英霊アルトリア――LV1』という文字。
不思議なことに、自身がどういった能力を持っているのか、手に取るようにわかった。
能力値は、未熟者がマスターをしている時のそれよりも遥かに下だ。しかしどんなに下位互換だとしても、元となったものは変わらない。
不老、類稀なる直感、ただ生きているだけで魔力を生成し続ける魔力炉、湖の精霊の加護、その他数種類のスキルなど、それらは著しく劣化しているものの、紛れもなく最優と名高い剣の英霊のものだ。
それにどうやらこのレベルというものは上げることができ、それに伴い能力は本家に近づき、そして越えていくらしい。
そのレベル上げを手助けするのが、もう一つの特典とも言うべきものが、『無限の塔』への転移であった。
無限の塔。
その概略を知ったアルトリアは、「オフゲーのラスボスを倒し終わった後のやりこみ要素」という印象を受けた。
その名の通りの果てのない塔で、延々とレベル上げと装備の強化を目的としてモンスターを倒し続ける施設である。
概略しか知らないため、階層数と同じレベルのモンスターが徘徊すると分かっていても、それがどんなモンスターなのかは分からない。
剣の英霊の力。無限の塔の入場強化。
それら二つが、いろんなものが覚醒したアルトリアに宿った能力だった。
「しかし、この世界は……」
この異世界に於いて、人間という種は劣等種族だ。
人間国家もいくつかあるが、大陸の中央では亜人種国家が隆盛し、人間国家は端っこに追いやられている現状を見れば、誰だって理解できることだ。
特にアルトリアが今いる国、竜王国は隣国のビーストマン国家の侵略に晒され続けている。周辺諸国の力を借りて現状維持がやっとで、反撃などもってのほかという状態だった。
「スレイン法国、バハルス帝国、リ・エスティーゼ王国、アーグランド評議国……」
周辺諸国の名をぶつぶつと呟きながら、腕を組んで頭をひねる。
日本人としての記憶が、どこかで聴いたことがあると言っていた。
もしかしたら、ここはよくある創作物系の世界なのかもしれない。
「む、む、む……あ、そうか、オーバーロード」
やがて、正解に辿り着いてポツリとつぶやく。
決め手は、他に手がかりがないかと色んな情報を思い出しているとき、冒険者の特徴的なランク分けが浮上したことだった。
「しかし……困ったな。あれは確か最強モノだったはず。実際現地人じゃ逆立ちしても勝て無さそうな感じだったし。しかもよくあるチーレム系じゃなくて、ラノベじゃ異色の外道系(?)」
アルトリアのオーバーロードの知識はあまり大したものではなかった。
アニメで存在を知り、原作を買ってみたはいいものの品薄で抜けてる巻があり揃ってから読もうと積んでいたら、結局原作を読むことなく今こうしているのだから。
アニメの補完としてネット上で設定なんかを調べてはいたが、細かいことはもはや忘却の彼方だ。
魔王の軍勢っぽい奴等がゲーム世界から転移してきて、現地民を蹂躙しながら世界を征服するお話……だった気がする。
実質アニメしか知らないようなものなので、三巻以降の事は良く分からない。
しかしきっとあまり間違ってはいない筈だ。積んでいた本の表紙から受ける印象はそんな感じだった。
戦力差が大きすぎ、世界が征服されちゃうのはきっと既定路線だ。
問題はアルトリアの住む国が蹂躙される時だったり、世界が征服された後である。
自分達以外の存在を見下す者たちに支配された先が、平穏なものだとはとても信じられなかった。
最強外道集団を率いるギルドマスターがプレイヤーであるということも、不安を和らげる材料にはならない。
なぜならその身体はアンデットのものだからだ。最初は人としての残滓が残っていても、何年かすれば身も心もアンデットになり果てたとしてもおかしくはない。
それはかなりの確信をもってアルトリアは言えた。
だって自分がそうだからだ。
かつてこの魂に宿っていた二つの人格は消え去り、残滓として『英霊アルトリア』という今のアルトリアを形作っている。
その超越した精神は、もはや人間を同胞だとは思えなくなっていた。
あるのは劣った種族を見た時に抱くような感情。人間が猿に抱く程度の親しみは持っているかもしれないが、その程度だ。
ペットに入れ込むような性質でもなし。もはや他人に同情するような心は残っていない。
今なら周りの事など気にせず、自分のやりたい事だけやれるだろう。
というか、それ以外したくない。
「ここは原作とはまた違う、ナザリックがやってこない世界とも考えられる。……だけどどちらにせよこの世界では力は重要だ。力こそが正義。……よし、無限の塔に行こう」
決してこの館での生活が嫌なわけではない。本当だ。
以前のアルトリアだってその気になれば演じられるだろう。多分。
礼儀作法や文字の読み描きなどの技能には一切瑕疵がないのだから。でも面倒だ。
……取り繕う事なく正直に述べるなら、貴族令嬢の生活は面倒で退屈である。
だから力を求める。
しばらくは無限の塔に籠って力を手にし、戻ったら力を全面に押し出してこの生活からおさらばすればいい。
「冒険なんて楽しいかもしれないな」
▼
無限の塔のエントランスホールは広大だった。まるでどこかのドームのようである。
かといって内装が適当ということではなく、全体からはシックな印象が漂っていた。
中央には巨大な階段があり、その先には幅15メートル、高さ20メートルほどの大きな扉。恐らくあそこが無限の塔への本当の入り口だ。
転移でしかこれないのか、エントランスには出口はおろか窓すらなく、塔の全貌は見ることができない。
もしかしたらゲームのように内部しか作られていないのかもしれないが、もし全貌が見れたとしたら、それはアルトリアが知るどんな建造物よりも巨大であることは明白だった。
ホールの光景を一通り眺めた後、アルトリアはエントランスを回り始めた。
そこには一つだけ、無人の施設が存在した。
壁際に大型の端末が置かれているだけのもの。
それはこの無限の塔でハックアンドスラッシュを行うにあたり、非常に重要な要素だった。
適当に端末のタッチパネルを操作し、自身の知識と齟齬が無いことを確認したアルトリアは、さっそく機能を使用した。
『成長装備生成』から、武器が1、防具が3の、計4つを生成する。
出てきたのは何の変哲もない鉄の剣に、革製のブーツや鎧などである。
ちなみに4つしか出さなかったのは、これがアルトリアが装備できる限界だからだ。ゲーム風に言うなら装備スロットがそれだけしかないのである。
他のアイテムなどを身につけても、装飾としての意味しかないらしい。
成長装備。
それは持ち主と共に成長する武器防具である。
持ち主が得る経験値のいくらかを吸い取り、生物と同じようにレベルアップし、ステータスを自由に割り振ることが出来るのだ。
外装は変更可能で、モンスターから色々とドロップするらしいが、今は初期装備的な外見のものしかない。
とりあえず、端末にセットして忘れずにステータスを割り振っておく。
剣は攻撃力に全振りで、防具はHPと防御力に半々だ。
他にも色々な項目があるが、足りなかったらおいおい修正していけばいい。
「さて、いくか」
準備を整えたアルトリアは、臆することなく中央の階段を上り出した。
そして、扉に触れる。
すると、巨大な鉄のような質感の扉は独りでにゆっくりと開き始めた。
すぐにアルトリアが通れるほどの隙間が空き、駆け出し冒険者風の外見に似合わず躊躇することなく踏み出す。
そこは、巨大な扉が開けるぐらいの大きさの、巨大な通路だった。
壁や天井は白く透明な大理石が惜しげもなく使われ、床には踝まで埋まりそうなほどふわふわの真っ赤な絨毯が敷かれている。
内装にも凝っており、まるで巨大な白亜の宮殿の内部であった。
しかしそこが宮殿のような荘厳かつ穏やかな場所ではなく、修練を目的とした施設、無限の塔なのはちらほらと見えるゴブリンのようなモンスターが否定した。
アルトリアは構えたが、モンスターから襲ってくるような気配はない。
アルトリアの存在には気づいているようだが、ふらふら徘徊するだけだ。
ノンアクティブモンスターなのだろう。もしかしたら戦闘を始めたら周囲のゴブリンも乱入してくるかもしれないが、死んでも今ならリスクなく蘇れる。
エントランスに戻らなければレベルアップはできず、死ぬと溜まっていた経験値の半分が失われるが、今は関係がない。
「……戻ってこれるかな」
後ろの門を見て、呟く。
塔内部は迷宮のようになっているらしく、即時帰還アイテムなどの便利なものも今はない。
奥に行ったらこの場に帰ってこれる自身がなかった。
「とりあえず、近場で狩るか」
リポップしなかったら、来た道を失わないよう気を付けながら奥に行けばいい。
アルトリアは、一番近いゴブリン目掛けて走り出した。
標的となったゴブリンはすぐさまアルトリアに向き直り、戦闘態勢を取った。そして汚い雄叫びを上げ、棍棒を振り上げながら走ってくる。
そんな様子を見ながらアルトリアはさっと周囲に視線を走らせ、他のゴブリンは大人しくしていることを見て取った。
どうやら向けられた敵意にでも反応するアクティブモンスターのようだ。
アルトリアはそのまま迎え撃とうとしたが、直感に従ってやめる。
腐ってもモンスターというのか、どうも今のアルトリアでは馬鹿正直に迎え撃てば競り負ける可能性が高いようだった。
なので、リーチをいかして戦うようにした。
体格は良くとも子供ほどの背丈に棍棒では、15歳ほどの少女がブロードソードを持てばリーチの差が出来るのは必然だった。
もっともその程度のリーチ差、普通の少女では活かせず蹂躙される程度の有利なのだが、アルトリアにとっては有利な間合いを保ったまま戦うのは難しい事ではなかった。
嬲り殺し。
アルトリアとゴブリンの戦闘は、その形容が相応しかった。
全く逃げようとしないゴブリンの奮闘も虚しく、巧みな試合運びのアルトリアに攻撃は一度もかすらせることすらできず、じわりじわりとダメージは蓄積し、怪我による戦力低下で天秤が傾いた瞬間、一瞬で勝負は終わった。
脳天から入り、顔の半ばで止まった鉄の剣は明らかな致命傷だった。
ゴブリンは糸が切れるように膝から崩れ落ち、その体重を支えきれずにアルトリアは剣から手を放した。
頭蓋にめり込んだ剣を取るのは面倒だな、と思わず考えたのもつかの間。絨毯に沈んだゴブリンの死体は透明化するように消えて行った。
「こんなものか」
何の感慨もなく当然のように呟き、アルトリアは血糊が消えた鉄の剣を取ると、次の獲物を狩るべく動き出した。
▼
「ふう」
何十匹目かのゴブリンを討伐し終え、息を吐く。
それは厭戦的な感情から来たものではなく、単純に作業への飽きから来たものだ。
もはや人ではなくなったアルトリアに飲食や睡眠といったものは不要であり、疲れもしない。
しかし精神的な疲れはいかんともしがたかった。
「経験値も結構溜まったし……そろそろ戻るか」
そういうとアルトリアはすぐ近くにある門へと向かい始めた。
幸いにしてゴブリン達はかなり短い頻度でリポップするようで、入り口から離れずとも獲物には困らなかった。
仰々しい門をくぐり、階段を下る。
そして向かうのは壁際の端末だ。
タッチパネルを操作し、経験値を確認。どうやらレベルアップできるようだ。ささっと処理を開始する。
画面に映る『英霊アルトリア』のレベルが2になり、下の経験値バーは半分ほどで止まる。
あまり実感はわかないが、レベルアップしたようだ。
「ふむ」
確かめるように剣を数度振ってみるが、その違いは一目瞭然とまではいかずとも、本人にははっきりと自覚できた。
今ならば間合いの外からちまちま切りつけるなんてまだるっこしいことなどせずに、ゴブリンなんてなで斬りにできるだろう。
予定通り、迷宮へととんぼ返りする。
そして始まった虐殺。
入り口付近から、始めてゴブリンの姿が消えた。
「奥に行くか」
ゴブリンのリポップ時間は5分ほどだ。
入り口を掃討するのに3分とかからず、待っている時間が惜しかった。
もはやこの階層に敵はいない。
適正狩場となる次の階層を探して、アルトリアは迷宮内を探索した。
「うーん、迷ったか」
かなりの距離を歩き、結構な数のゴブリンを虐殺した頃。
アルトリアは現在地を見失っていた。
予想以上に巨大で複雑な迷宮に、目印のないずっと同じ光景。
それは迷宮探索などの経験がないアルトリアにとって迷うなという方が無理だった。
一応脳内マッピングしながら右手に沿って歩いてきたが、脳内マップなどもはや信用ならず。
右手法も「そろそろ直感でゴールに着ける気がする」と適当に歩いてしまったことからもはや意味を失っていた。
今はひたすら、あまり役に立ってない直感に従って歩き続けるのみだ。
今からでも遅くないから右手法をやり直せという声が内から聞こえてくるが、努めて無視する。
「! 階段だ!」
角を曲がって見えたモノに、アルトリアは思わず歓声を上げた。
周囲のゴブリンには目もくれずに走りだし、駆け上がる。
扉を潜った先にはもはや見慣れた光景である、巨大な白亜の宮殿を思わせる通路。
徘徊するモンスターは、ちょっとだけ強そうになったゴブリンに、それ以外の雑魚そうなモンスター。出現するモンスターの種類も増していくようだ。
扉の脇に視線をやる。
そこにはシックな人間大の街灯のような、奇妙なオブジェがあった。
アルトリアは、クリスタルで出来た照明部分に手を当てる。
すると、それは電源が入ったかのように仄かに発光し始めた。
それはポータルだった。
こうして階層を踏破して直接起動する事により、エントランスからワープしてくることが可能になるのだ。
2階層で戦闘する前に経験値を消費しておこうと、アルトリアは扉を潜った。
▼
無限の塔にやってきてから20時間ほど。
アルトリアは10階層のボスフロアにいた。
無限の塔では10階層ごとにボスフロアが存在し、そこに出現するボスモンスターを攻略しない限りそれ上層へと進めないのだ。
ボスモンスターのレベルはその階層の+2~3ほどであるが、ボス補正とでもいうべきものがかかっており、同レベルの通常モンスターとはかけ離れた戦闘能力を持つ。
とくに大幅に上昇するのが耐久と耐性で、通常モンスターにはないタフさを見せる。
初挑戦という事で事前の準備はそれなりに行い、アルトリアの現在レベルは12。装備も見た目は変わらないが性能は初期の10倍は強くなっていた。
「熊か」
謁見の間といった趣の閉ざされた空間。
その中心には体高3メートルほどもある凶悪な顔つきの熊のモンスターがいた。
どちらかが倒れるまで決して退出できない空間。それはまさに決戦場だった。
アルトリアを認識した熊が突進してくる。
その速度や迫力は大型車の突撃にも匹敵する。
(遅い。攻撃力や耐久に特化しているのか?)
しかしその速度は、アルトリアからすれば驚嘆に値しない。
それよりも早いモンスターは何度か見て来たし、彼女自身もそれより素早く行動できたからだ。
突進力は脅威だが、それだけだ。
熊が迫る。
接触する直前に急停止し、右前足を振りかざすテレフォンパンチ。
回避は容易だが、アルトリアは敵の攻撃力を測る意味もあって、その攻撃を受けてみることにした。
予備動作が無ければ、なかなか防ぐのは難しいだろう強烈な爪の一撃。
それをアルトリアは苦も無く剣を構えて受け止める。だが予想よりも重い攻撃に、端正な表情は歪められた。
「ぐっ――」
魔力を放出しまくり、強引に攻撃をそらす。
無理やり受け流したアルトリアの体勢は当然崩れていたが、体重を乗せた一撃をそらされた熊も体を泳がせている。
一瞬、時間が停滞したようにも感じられた。
すぐさまバックステップをしたアルトリアの前髪を、熊の左手の爪が掠めていく。
アルトリアの表情に変化はない。
しかし一瞬目が細められ、空気が変わったように感じたのは、気のせいではないだろう。
今度は、アルトリアが攻め手だった。
魔力放出をうまく使ったロケットスタートで、一気呵成に距離を詰める。
受け手となった熊も大したもので、自身よりも速いアルトリアのスピードに虚をつかれることもなく、正確にタイミングを合わせて迎撃してくる。
だが、アルトリアはその更に上をいった。
すくい上げるように振るわれた右腕を、物理法則を無視したかのような挙動をもって紙一重で躱す。直感と魔力放出の二つのスキルが合わさってなされた絶技だった。
(まずは腕!)
そのまま流れるように、目の前の黒い毛皮に覆われた熊の腕へと渾身の力を籠めて斬りつける。
だが、思わず漏れたのは舌打ちだった。
同時に熊の野太い絶叫。しかし斬りつけられた腕からは出血は見られるものの、骨を断つまでは至っていないようだった。
熊は手傷を受けて怒ったのか、アルトリアに対して大の大人でも腰を抜かしような形相で睨みつけるが、少女はまるで意に介さない。
「……面倒な」
むしろまったく違う事を考えていた。
これまでの手応えから、アルトリアは自身の勝利をほぼ確信していた。
しかしそれまでの道程が、口からこぼれた言葉の通り面倒だった。
鈍重であるが、その攻撃力は油断できず、ただひたすらに固い。
さっさと終わらせようと攻撃に重きを置けば戦況を覆す一撃を食らいかねずリスキーだ。
だからといって堅実に戦えば、思わず悪態をついてしまうほどに時間がかかりそうだった。
典型的な、時間がかかるウザいだけのボスである。
「まあ、堅実に戦わせてもらうんだが」
特に急ぐ理由もない。
気持ちを入れ替えたアルトリアは、ほぼ勝ちが確定したのに相手がサレンダーしてくれないゲームをだらだら続けるようなテンションで、怒ってはいるがステータスが上昇している訳でもないらしい熊を迎え撃った。
アルトリアが11階層のポータルに光を灯したのは、その15分後のことだった。
▼
アルトリアのレベルが100になった時、彼女が無限の塔にやってきてから数か月は経過していた。
現在の到達階層は97階層だ。上へ登るにつれ、明らかにPT推奨といった難易度となっていく迷宮に、序盤の楽勝ムードが嘘のように手こずっていた。
とはいっても攻略が不可能と諦めるほどではない。
初見での迷宮の踏破やフロアボスの攻略がほぼ不可能になっただけで、死んで覚えて対策を立てれば時間はかかるものの、予定通りという意味で順調に攻略は進んでいた。
ともあれ、アルトリアはLV100になった。時を同じくして最初期から共に歩んできた成長装備もLV30となった。それらはレベル上限である。
しかし無限の塔では、精々がスタートラインに立ったに過ぎなかった。
「自身のレベル以上のモンスターから極低確率でドロップする<限界突破石>を10個捧げることで、レベル上限が+1される。成長武器も同様のレベル上限でカンストした同じ部位の二つを合成することで、レベルが1に戻る代わりにレベル上限が+10される」
アルトリアは感情の籠らない声で、覚醒した時に脳内に紛れ込んでいた情報を思い出すように読み上げた。
「成長装備の真のレベル上限は100。一つの部位を完成させるのに必要なLV30成長装備は128個。さらにその後もLV100にするまでの苦行が必要。成長装備の性能はステータスの割り振りのように自由に行えるが、一度確定した性能は、レベルアップにより初期化の権利を得ないと再度割り振ることはできないため、いったん真に完成させてしまうとそれ以上融通が利かなくなる。その特性上、とりあえず汎用装備が一式と、様々な性能に特化したものが幾つか欲しいところ……」
アルトリアは最強の自分を妄想して少しだけ気分が高揚したが、すぐに我に返って遠い目をした。
その完成に要する時間は、推し量ることすら嫌になるほどに膨大なものだった。
大体、成長装備をLV30にするだけでも本体のLVが100になっているのだ。現状の経験値効率では成長装備をワンランク上のLV40にすることすら難しい。それ以上はなにをいわんやである。
アルトリアは先の事はひとまず置いておき、迷宮の攻略に戻った。
しかし、その数日後。
98階層に到達したアルトリアは、本日何十数度目かの死に戻りを体験していた。
「これは、詰んだっぽいな」
アルトリアはそう呟きながら憮然として座り込むと、仰向けに転がった。
少女の迷宮攻略は突如として暗礁に乗り上げた。
その大きな要因は、皮肉なことに本来喜ばしいはずのレベルアップ。成長装備がカンストしてしまったことだった。
カンストした成長装備はステータスの再振りが出来なくなるのだ。
今までは再振りの権利を駆使して、詰みかけた階層ではその場所に特化した性能にしてメタを張っていたのだが、今はその奥の手が使えない。
98階層はその切り札が使えるなら躊躇いなく切っているほどの鬼畜難易度だ。さらに前回の階層のメタがこの階層ではほぼ無意味となっており、現状での攻略は絶望的だった。
「合成素材の調達もかねて、新しい成長装備を育てればいいんだろうが……」
端的に言って、面倒くさかった。
なんというか、モチベーションが沸かない。
一応の目標だった本体と成長武器が初期上限のカンストした矢先のことである。出鼻をくじかれた気分だった。
「……そういえば、今の私はユグドラシルカンストプレイヤーと同等の存在なんだろうか? 今の装備もレジェンドアイテム程度の性能はあるのか?」
嫌な事から目を背けるため、「やらなくてもいい理由」を探すために色々と記憶を漁っていたら、そんな疑問が浮かび上がった。
なんとなく『英霊アルトリア――LV100』というのは種族レベルの限界突破バージョン的に考えていたが、1レベルの価値がユグドラシルと同等だという証拠はない。
ユグドラシルで重要らしいスキル的なものを取得した記憶はない。
原作のセイバーができることなら自身にもできるだろうと自信を持って言えるが、所詮はその延長線上なのだ。
原作の彼女同様、その剣術はなかなか現実に準拠したものであり、飛ぶ斬撃や分裂する斬撃など、ゲームらしい技など覚えていない。
気が付くと、アルトリアはしかめっ面をしていた。
もしかして自分って弱いんじゃないかと一瞬でも思ってしまったためである。
「一度、戻ってみるか……」
ぽつり、と呟く。
もはや無限の塔が私の住む世界だ、といわんばかりに馴染んでいたアルトリアだったが、彼女が本来住む世界は別にある。
そもそもがそこで通用する力を欲して無限の塔にこもっていたのだから、初心に帰っただけだろうか。
ともかく、迷宮攻略にいまいち気乗りしないアルトリアには、それは魅力的な思い付きだった。
▼
久しぶりに無限の塔から出たアルトリアの目に入ったのは、変わり果てた自身の部屋の姿だった。
部屋は荒れ果てると共に、まるで獣が棲みついたかのような獣臭さと抜け毛の後があった。
開け放たれた扉の先から覗く様子から、外も似たような状態だということがわかる。
「……何事だ?」