自分は平凡な男だ。
現代の日本で生まれ育ち、適当な大学を出て就職して。
結婚するとか贅沢な暮らしを送るといった、高望みをすることもなく、趣味のゲームが出来ればそれで十分だった。
悩みと言えば、この先両親の介護が必要になったらどうしようといった、一人っ子の社会人の多くが抱えているだろう問題だ。その悩みにしたところでまだ10年は先の事だ。特に深刻に考えることもなく、それなりに幸福な日々を送っていた。
そして、つい先ほど。突然胸に鋭い痛みが走り、倒れたところまでは覚えている。
一人暮らしで訪れる者も宅配便や勧誘ぐらいなもので、部屋に倒れた自分を見つけることが出来る者などいないはずだが、ここはどこだろう。
灯りのない真っ暗な部屋だ。不思議と自分の体は鮮明に見えるが、周囲は一寸先すら見通せぬ暗闇に覆われていた。
恐る恐る手を伸ばしても、何かに当たる感触はない。何かに躓いたら怖い為、床に這いつくばって調べてみるが、どうも真っ黒の平面の床があるようだということ以外、何もわからない。
夢を疑い腕の肉をつねってみるが、普通に痛い。夢というにはやけに意識が鮮明で、現実にしか思えなかった。
『おや、訪問者とは珍しい』
どこからか声が響いた。男とも女ともつかない、口にした者の想像がまるでできない不思議な声。まるで空間が言葉を発したかのようにも思えた。
酷い孤独を感じる暗闇の世界で、自分以外の存在がいた事実に、様々な疑問を投げ捨て声を出す。
「だ、誰かいるのか?」
『ちょっと待ちたまえ。今、姿を見せよう』
答えが返ってきた次の瞬間、目の前には人の姿があった。
黄金のような長い金髪の女性だ。真っ白な法衣のような衣服を纏い、穏やかな微笑を浮かべている。
女性はこれまで見たどんなものよりも美しく、始めて人が宇宙から母なる地球を見た時のような、深い感銘を受けた。
一瞬、グロテスクな肉塊と触手の集合体のような、名状しがたい巨大な化け物が見えた気もするが、気のせいだろう。
「ここへ訪れたということは、私の信者かな?」
声の調子は変わらない。先程と同じく、空間から直接響くような、そんな音だ。
しかし目の前に神の如き美女がいると、受ける印象も変わる。不気味にすら感じた言葉は、一気に神々しく思えてきた。
そして確信する。
目の前の存在は神であると。
気付けば姿勢を正して正座をしていた。
「――はい。つい先ほど、信仰に目覚めました」
「では、褒美を授ける」
え?
あまり会話がかみ合っていないように思うが、神からしたら今のやり取りで十分なのだろうか。
いったい何がどうなって褒美を授けるという話になったのか、さっぱりわからない。
ゲームをしていて重要なイベントの時に、会話を間違えてスキップしてしまった気分である。
「ほう、最近の下界では異世界に転生するのが流行っているようだな。おぬしの肉体もなくなってしまったことだし、これでいいだろう」
「は、はあ。ありがとうございます?」
何が何だか分からないが、一応礼だけはしておく。ははーと時代劇でよく見るような感じで平伏する。
「転生ちーと……加護のようなものか。これを決めねばならんらしいな。……ふむ、おぬしが好きな物はなんだ?」
「それは……ゲームが趣味であります」
「げーむ……遊戯が。ちと範囲が広いな。その中で最も好きな物を言え」
「は、それは『ブラッドボーン』であります」
「よろしい。ならばその能力を与えよう」
「ははー」
神は尊大な口調で頷くが、その穏やかな笑みを浮かべた表情に変化はない。まるで仮面をかぶっているようだった。
「我が威容を前にして平静でいられるとは、おぬしは中々見どころがある。もう少しおまけしてやろう」
そう言うと、神はおもむろに自身の金糸を一本引き抜き、それを手渡してくる。
引き抜かれた髪の毛が、神の手のひらで突如として、非常に細かな白の蛆虫の集合体へと変貌してしまったが、神に気にした素振りはない。
さすがに薄々と神の正体に気がついて来たが、ならばなおさらのこと断るわけにはいかなかった。
恐る恐る手を差し出すと、神の手と触れる寸前、ただ蠢くだけだった蛆虫たちが、突如として飛び跳ね殺到してきた。
あまりの驚愕に悲鳴すら出なかった。息はおろか心臓すら止まりかねないほどの衝撃だった。
飛びついてきた蛆たちは体へと付着し、皮膚を突き破って内部へと侵入していった。痛みがないのが逆に恐怖だ。
次に何が起こるのかと身構える間もなく、肉を食らって数を増したらしい蛆たちが皮膚を突き破って表に溢れだしてきた。
あまりの光景に卒倒しかけ、今度こそ本当に心臓が止まりそうになる。
というか、軽く意識を失っていた。
気が付いた時には、顔以外を黒の全身タイツに覆われていた。全身をラップでグルグル巻きにして風呂に入っているかのような密着感と、温かさがある。
「我が眷族による衣服だ。着心地はよかろう?」
「は、はい。着心地は良いです……」
それはよかったと、変わらぬ微笑で頷く神だが、もはやその姿には戦慄しか感じない。
「さて後は、転生先の姿を決めるといい。私は人の美醜には疎いものでな」
内心で「まだ終わらないのかよ」と悲鳴を上げたが、言っていることはもっともだ。適当に流して名状しがたい化け物にされても困るので、真剣にやろうと決意した。
「うん? どうやら流石に疲弊してきたようだな。ならば私は去るとしよう。後は勝手に決めるといい」
その言葉を最後に、現れた時と同様、神は忽然と姿を消した。
何事もなく嵐が過ぎ去ったかのような、ほっとした気持ちが沸き出した。
ふうと息をついたタイミングで、目の前の床にノートパソコンとマウスが出現し、びくっとなる。
ノートパソコンは独りでに起動すると、ゲームのキャラクタークリエイトのような画面が表示された。
どこかの草原を背景に、中央にいるのはリアルの人物としては可愛いが、ゲームキャラとしてはそんなに可愛くない女の子だ。画面上部に『成長後の姿です』と小さく表示されている。
「これを弄れと……?」
自分の理解が及びそうな方法に安堵しつつ、マウスを右手に色々といじれる設定を見ていく。
どうやらよくあるキャラクリとほぼ同じのようだ。これなら難なく操作できる。
さっそく来世の姿を作っていこうと、まずは性別を変更しようとして、男性の項目が選択できない事に気付く。
「あ、あれー」
カチカチカチ。無理を承知で何度もクリックしていると、説明文がポップした。
『転生先の性別は女です。性別を変更することはできません』
「なん……だと……」
5回ほど読み返し、それが意味するところを理解し、呆然と呟いた。
だが放心していても意味がない。気を取り直して作業に取り掛かった。
とりあえずイケメンを作ろうとしていたのが、とりあえず美少女を作ることになっただけだ。
ゲームでは男のケツよりも女のケツを見ていたい派だったので、女キャラをクリエイトする事には慣れている。
とはいえ、気分的に落ち込んでいるのは否めない。
「あれ、髪の色が金髪しかない……? いや瞳の色もだ。あ、肌の色も」
どううこっちゃねんと思うが、こちらには説明文は表示されない。
恐らくは転生先の両親は既に決まっていて、親の遺伝子から生まれえない特徴は持てないとか、そんなところだろう。
顔や体の造形は凄まじく細かくいじれるのに対し、色合いはほぼ固定。自由度はあまりなかった。
気持ちは萎え萎えである。
もうこれでいいじゃないかな? とほぼデフォルトの少女の姿を見る。
決定を押すか押すまいか、それを決めかねて、適当に設定の項目をスクロールする。
ふと目に留まるものがあった。
『ランダム生成』の下にあった、『黄金比』という選択だ。
何となく想像はつくが、押してみた。
「うわ、めっちゃ可愛い」
よくある黄金マスクを用いたキャラメイクとは違う、様々なパーツや色合いなど、全てを計算し尽くした美貌だった。だが元の特徴も色濃く残しているように感じる。体の方も補正されているようであったが、服を着ているためよくわからない。
もうこれでいい気がするが、しいて言えば身長の低さが気になる。155cmしかないとか日本人男子の平均身長を上回っていた自分からしてみたら信じられないほどに低い。
もしかしたらと思い、身長を175㎝程まで引き伸ばし、顔も凛とした印象のものに微調節する。
黄金比を選択した直後と比べたらかなり不格好になってしまったが、もう一度黄金比を押す。
思った通り、今度は冷たい印象の美人へと様子を変えた。
その碧眼の瞳と目を合わせると、画面越しでもドキッとしてしまうような存在感だ。
「うん、これでいいや」
もはや躊躇もなく、決定ボタンを押した。
▼
シエラ・ベスティア・サングィネム。
それが私の今世の名だった。
『シエラ』が名前で、『サングィネム』が苗字。『ベスティア』は洗礼名とかいうもので、教会に連れて行かれた時によく分からないが貰ったものだ。なんかどっかの聖人の名前らしい。
生まれたのは、異世界だ。
中世から近世といった文明レベルで、魔法があってモンスターや亜人がいる。よくある中世ファンタジーだ。
竜王国とかいう国の、辺境の村の農民の子供として生まれたため、村から出る機会もなく、外のことは殆ど知らないが。
現在、生まれてから12年。中学1年生といった年齢だった。
今は普通の農民の暮らしを送っている。
神から貰った二つの特典は、今のところ、あまり活用できていない。
『ブラッドボーン』の能力は、未だ全貌がつかめていない。今のところできるのは血の遺志を回収することと、血の遺志を読み取ることだけだ。物品に残留した血の遺志――というかオーラのようなもの――を読み取りサイコメトリーのようなことができるが、活用する場面はほとんどない。周囲で意思を持った存在が死ぬと血の遺志が回収できるようではあるが、貯めたところで使い道はない。もしかしたら狩人の夢にいけたりするのかもしれないが、村やその周辺にはランタンなど見当たらなかった。使者が案内してくれるのかもしれないが、そんな気配は微塵もない。
神の眷族とかいう触手のボディスーツ――蛆というと気持ち悪いので触手と言い換えている――は持っているが、普段は体の中に埋まっている。どうもある程度は私の思念に従ってくれるようで、出し入れは自由だった。
ボディスーツを装着するのは一瞬だ。傍から見れば変身シーンみたいでかっこいいかもしれないが、実態は体の表面から蛆が沸きだして蛆同士が融合し、ボディスーツを形成しているのだ。目の良いものが直視するとSANチェックをすることになりかねない異様な光景である。
だが意外と、便利といえば便利だった。
今まで一度も病に患った事がなく、病気なんかを予防してくれているようであるし、怪我も医療用ナノマシンの如く瞬く間に癒してくれる。そんなナノマシンは嫌だと思う反面、便利だと受け入れている部分もあるため、中々に毒されてきた。
「おはようございます、神父様」
「ああ、おはよう、シエラさん」
「今日もよろしくお願いします」
私はぺこりと頭を下げる。
ここは村に唯一ある教会だ。人口300人程度の小さな村のため、その非常にこじんまりとしていて、人員も法国からやってきたという神父が一人しかいないが、学門を学ぶ環境としては優れていた。
今世の我が祖国である竜王国は、西の亜人国家であるビーストマンの国にたびたび侵略されており、それに対する援軍をたびたび法国に派遣してもらっているようなのだ。こんな所に法国の神父がいるのは、援軍の見返りの一環だと思われる。恐らくは金額をまけてもらうかわりに自国領内での布教の許可でも与えたのではないだろうか。この教会も街からそこそこ偉い人が職人たちを連れてやってきて、村人に謝礼を払ってまで人足にやとっていたので、布教をする際の援助の約束もしたのかもしれない。
ともあれ、3年程前にやってきた壮年の神父は村で唯一の知識人であり、こんな辺鄙な村に自主的に志願してやってきたというぐらいに布教熱心な人で、そして聖人かと思うような人格者でもあった。
また信仰系の
本人としては無償で治療してもいいと考えているようだが、そういうことをすると教会から睨まれるらしいので、気持ち程度は対価を貰っている。といっても治してもらった村人が「助けてくれてありがとう!」と気持ちばかりの物を渡すと、それを治療の対価としてしまうのだが。
聞くところによると、街で同じ教会で治療してもらおうと思えば、村人が払えないような額を請求されるらしいので、本当にこの神父は異端である。
3年前にやってきたばかりのよそ者であるが、神父の村での人望は非常に厚かった。
私はそんな神父に勉強を教わっていた。
元よりこんな辺鄙な農村で一生を終えるつもりなどなく、幼少の頃より村で読み書きができる村長に文字を習っていた。
しかし村長の知識では基礎の基礎である読み書き以上の勉強ができず、また都市へ働きに出るにもコネがない。
途方に暮れていたところで、この神父がやってきたのだ。
中世の神父といえば知識人だ。そして教会の人間ということでコネにも期待できる。
私は村に来たばかりの神父に、速攻で学門を教えてくれと懇願した。
今思えば性急すぎたが、当時はそれだけ焦っていたのだ。そんな私を神父は多少驚いた様子であったが、快く受け入れてくれた。
「今日はここまでとしましょうか」
日が傾き始める太陽の様子を窓から見て、教鞭をとっていた神父がそういった。
私としてはもう少し続けていたかったが、神父がそういうなら仕方がない。立ち上がって礼をし、帰り支度を始める。
魔法という技術によるものか、この世界の技術水準は私の知る前世の歴史のものとは異なっており、普通に木材から作りだしたような綺麗な紙があったりする。
とはいえ村人からしたら高級品であることに変わりはないので、貰った紙は非常に細かく文字を書いたり、重要なこと以外は書かなかったりと、非常に丁寧に使っている。
教材も聖書以外は殆ど無い為、もっぱら神父の口頭での授業であり、暗記力が鍛えられる。
世界でも学力平均が高かった日本で教育を受けた前世があるので、学習に対するノウハウはそれなりにある。精神も大人なため、勉学にも熱心だ。おかげで学習速度は神父も驚くほどのようで、村では神童扱いされている。
一日中、家の手伝いをせずに勉強していられるのもその評判のおかげで、私の立身出世を村全体が応援してくれているのだ。
これで「やっぱ駄目でした」とか言おうものなら生涯肩身の狭い思いをすることになる。勉学にも身が入ろうというものだ。
教会から歩いて100mもない場所にある家に帰り、夕飯の支度をしていた母の炊事を手伝う。
そして大人一人分の食事をトレイに乗せ、虫や埃が入らないようにと清潔な布をかぶせて、教会へと向かう。
それは神父の分の食事だった。教会には神父一人しかいないため、諸々の雑事をこなしてくれる人がいないのだ。
最初は村の女性が持ち回りで世話をしていたが、やがて殆どを我が一家が担当していた。一番世話になっているのが私なのだから当然である。月謝というわけではないが、それに近い意味合いがあるだろう。
最初は諸々の雑事をこなしながら神父に教えを請おうと思っていたのだが、それじゃ勉学に集中できないだろうという皆の好意により今の形で落ち着いていた。
家から教会まで、スープをこぼさないようにと慎重に歩いても1分と掛からない。温かさはそのままだ。
「神父様。お食事をお持ちしました」
「いつもありがとうございます。いただきますね」
そういってトレイを受け取る神父。
「いえ、いつもお世話になっていますから」
「ははは、ではウテロさんにもよろしくお伝えください」
「はい。失礼します」
ちなみにウテロというのは私の母の名だ。
いつものやり取りを終え、私ももう一度帰宅する。そして食事を済ませると、教会に空いた食器を取りに向かう。
後は細々とした雑事に、農民らしい内職の手伝いをしたりするが、暗くなれば寝るだけだ。
今日も、いつもと変わらぬ平凡の一日だった。
平穏な一日。そのはずだった――
▼
ほんの小さな、家がきしむ音で目が覚めた。
やけに目が冴えていた。むくりと起きだし、辺りを見回した。
踏み均された土間の床の上に藁が敷かれ、その上に雑魚寝する父や母に兄弟の姿。いつも通りの光景である。
虫の音や家族の寝息しか聞こえない、静謐な夜中だ。
だが、無性に嫌な予感がした。
嫌な夢でも見ていたのだろうか、神経が過敏になっているようだった。
このままでは眠れる気がしないと、夜風に当たることにした。
家族を起こさないようにそっと寝床を抜けだし、どんなに頑張っても軋んだ音を立てる扉にびびりながらも家を出る。
現代と違い、光害と大気汚染の無い夜空は、いつ見ても美しい。
5分ほどそうしていただろうか、しばらく空を見上げていたが、首が痛くなってきて前を向く。
まだ目は冴えていた。これは本気で1時間ぐらいは眠れそうになかった。
それだけの時間を一人でぼうっとしているのは苦行だと、話し相手を求めて私は村の外側へと足を向けた。
村は丸太を組み合わせた柵で隙間なく囲われている。
それほど開くない内部には家々が立ち並び、人口密度が高くなっている。
ここからでは見えないが、柵の外側には深さ1mほどの堀が廻らされており、堀の内側には掘り出した土で土塁が築かれ、その上に柵が設けられていた。
外側から見ると、堀、土塁、柵を合わせて3メートル以上の壁が反り立っているように見え、素人目ではあるが非常に頼もしく感じたものである。
そんな防衛設備が必要となる主敵がモンスターや亜人であるが、私が生まれてからは少数のモンスターの襲撃しかなく、畑を荒らされないために打って出ていくことが多い為、村を囲う防壁の活躍は見たことがない。
まあ備えは備えで終わり、活躍する機会など来ない方がいいのであるが。
最大の脅威はビーストマンで、ここはビーストマンの国と隣接する西の国境からかなり離れているものの、彼らは信じられない程の健脚で、国境を抜けられるとこの村すら襲撃される危険性があるらしい。
国境は自然境界線で隔てられ、要所には砦が存在する為、何の前触れもなくビーストマンの軍団が押し寄せてくるということはないが、少数のビーストマンが浸透してくることはたまにある。
この前も遠くの村が一夜にして滅ぼされたと耳にしたこともあり、あまり他人事ではない。
村の南北には物見櫓まで存在し、皆が寝静まる夜も、村人の持ち回りで寝ずの番をする者が、それぞれの櫓に二人いた。
眠らないように雑談したりが基本なので、眠くなるまでそこに混ぜて貰おうという腹だった。
その時、向かっていた櫓から甲高い鐘の音が連続して響いてきた。
弓矢などから守るため、櫓の上部はぐるっと木の板で囲まれているので中の様子はうかがえないが、未だにやまぬ鐘の音からは鬼気迫る雰囲気が伝わってくる。
それは敵が来たと知らせる合図だった。
「ビーストマンだあ!」
櫓から、悲鳴のような怒声が聞こえてきた。
▼
……あれ?
私は、何をしているんだろう?
今は、夜だろうか? 寝転がっているのか、満点の星空が綺麗だ。
それを邪魔するように私を覗きこんでくる、ライオンのような顔をした巨大な獣人の姿。
なんだ、ビーストマンというのは始めて見たが、やけに下卑た顔をしているな。
性交中の犬のように、口をだらしなく空け、必死になって腰を振っている様は滑稽ですらある。
それにしても、やけにお腹が痛い。いや、お尻や股もだろうか。
ケツに釘バットでも入れられているんじゃないかと思うような痛みがある。
腰に回されているのは、ビーストマンの手か。万力で締められているような圧迫感が伝わってきて、こっちも痛い。
獣の悦んだ顔など見たくなく、視線を横に逸らすと無数のビーストマンがいた。
よく見知った村のような場所で、我が物顔のビーストマンがお食事や
食べられてるのは知り合いたちのように見えたが、気のせいだろう。
人間って、食べ物じゃないし。
抵抗の気力さえなくなったような村人が一か所に集められ、その光景を見て静かに泣き崩れていた。
その悲痛な視線は、私にも向けられていた。
……ああ、これは夢か。
こんなこと、あるわけない。
現実だなんて、信じたくない。
ほら、だって、視界が滲んできた。
こんな曖昧な世界が現実だなんて、そんなわけがない。
「ふふ、は、あははは……」
「おい、静かにしろ! 気が散るだろうが!」
笑いだしたら、私の上に乗っていたビーストマンに怒られた。
私の顔ほどもある手のひらが喧しい音を塞ぐように押し付けられ、頭が地面に押し付けられる。
「いっき! いっき!」
そんな飲み会のような、喧しいビーストマンたちの唱和が聞こえ、指の隙間から横目で覗く。
そして私は、目を見開いた。
「よーし、見てろよ! まるのみにしてやんぜ!」
「うおー! いっき! いっき!」
ビーストマンが囲んで囃し立てる中心にいたのは、一際大きな体躯のビーストマン。
その手には、傷だらけで、力なく項垂れる神父の姿があった。
目が合った。そう感じたのは気のせいだろうか。見知った神父とは信じられないほどに、絶望を湛えた瞳だった。
「いくぞー!」
そして神父は頭からビーストマンの口に入れられ、どうにか全身を押し込もうとしていたが、やがて諦めたのか噛み切るように口を閉じた。
「全然できてねーじゃん!」
「いやー、いける気がしたんだけどな!」
「ハハハハ!」
もう、何も見たくなかった。
咀嚼される神父も、残された下半身も、村の惨状も、何もかも。
目を閉じれば、ここに至った経緯が走馬灯のように流れ出す。
なぜ今まで忘れていたのだろう。
そう、村は少数のビーストマンに滅ぼされ、私の2度目の生も終わりを告げたのだ。
▼
「……り……さま。……りうど様。――狩人様」
混濁した意識の中で、無感動であるものの優しげな女の声が聞こえてきた。
目を開けると、真っ先に移るのが仄かに湿った地面。うつ伏せに倒れているようだった。
地面に肘をついて体を起こすと、紺のスカートが視界の端に入ってきた。
そこで初めて、シエラは傍らに人が立っていたということに気が付いた。
弾かれるように仰ぎ見る。
そこにいたのは、2メートルはあるだろうか、凄まじい高身長の女性だった。
女の視線はこちらへ向けられており、高所から見下ろすその表情は完璧なまでの無表情。まるで深夜に照明が落とされた部屋で、リアルな人形と顔を合わせたような不気味さを感じた。
しかし恐怖は感じなかった。『この人、どこかで見たような』。そんな疑問が湧いてきたのだ。
西洋人形のような可愛らしい服装に、帽子でまとめた銀髪の髪。見れば見るほど、見覚えがある気がしてならない。
シエラの中で答えが出るより先に、女が口を開いた。
「おはようございます。狩人様」
「あー、うん、おはよう」
『狩人様』。そう言われて思い出した。
こいつ、ブラッドボーンの人形だ、と。
落ち着いて回りを見れば、確かに狩人の夢に似ている気がする。
「はじめまして。私は人形。この夢で、あなたのお世話をするものです」
その台詞も、なんだか聞いた事があるような気がする。初めて話しかけた時の台詞だったろうか。
「……どこか、痛むのですか?」
シエラが黙りこくる姿に心配したのか、そんな言葉と共に人形は膝を折り、手を差し伸べてくる。
「……いや、どこもなんともないです」
シエラがその手を取ると、見かけどおりの力強さで引っ張り起こされる。
僅かにたたらを踏んだ後、服の胸の部分に汚れを見つけ、付いた土を払い落す。
それを見た人形はシエラに近づくと、自分では見えない背中側を優しく払ってくれる。
「申し訳ありません。この夢には井戸や着替えなどはなく……それで我慢してください」
「農民暮らしで慣れてるから、この程度、なんともないですよ」
何を言うかと思えばそんなことか。シエラは本当に何でもないように言う。
人形は無言でお辞儀をすると、それっきり黙りこくった。
沈黙が訪れる。
(え、なに。この状況を説明してくれないの? ……もしかしてこっちの質問待ちか?)
小さく、シエラは溜息をついた。
どうも主導権が自分にあるようなので、行動の前に状況を整理しよう。という意識を切り替える意図を含んだ呼吸である。
改めて辺りを見回す。
まるで小高い丘を切り取ったかのような世界だった。
なだらかな坂の下には腰ほどの高さのおしゃれな柵があり、その先は雲海のような深い霧に包まれている。霧の中には塔のような巨大な丸い柱が幾本も聳え立ち、遠くには薄らと波打った地平線が見えた。
夜空に見慣れた星空は無く、吸い込まれるような闇がただ広がっている。しかし巨大すぎる黄金の月が、薄く世界を照らしていた。
シエラが今いるのは、丘の中腹といった所だろうか。
不揃いな石畳の歩道から僅かにそれた場所。付近には殆ど裸の木や、何も刻まれていない墓石がいくつも立ち並ぶ。
歩道の先の丘の上には、厳かな雰囲気の、こじんまりとした洋館がたっている。
だんだんと思い出してきたシエラの知る狩人の夢の風景と、この世界の様子は殆ど同じものだった。
『ブラッドボーンの能力』とやらをくれるとは聞いていたが、まさか原作みたいに死ぬことで狩人の夢に行けるようになるとは予想していなかった。
ここにシエラが訪れたということは、シエラは“狩人の夢に囚われた”ということだろう。
これからも、死ねば何事もなかったかのように夢をやり直すことが出来るし、特別な徴を強く思うだけでも同じことができるかもしれない。
ゲームの主人公である狩人の力を得たということなら、そういうことだ。
(……夢をやり直したとして、現実で起こった事はどうなるのだろう。時間遡行や未来視扱いで巻き戻るのか? それとも私だけが夢の存在であり例外で、現実は不変なのか?)
気になる点は、そこだった。
これで現実に戻ったとして、村は無事なのか、そうではないのか。期待しすぎれば駄目だった時に辛いと分かっていても、シエラは心が浮き立つものを抑えることはできなかった。
シエラの中で、質問の優先順位が定まった。
「まず前提として、私はブラッドボーンの狩人の能力に目覚めた――という認識でいいんですか?」
「はい。異なる部分もありますが、大筋としては狩人様のおっしゃる通りです」
「その知識は、えーと、私を転生させやがった……じゃない、させてくれた神様から貰った物ですか?」
「はい。この狩人の夢と共に作られた際、“ちゅーとりある”もこなせるようにと」
「なるほど」
シエラ顎に手を当て考え込む。視線を上に向けると人形と目があって落ち着かないので、地面を睨みながら。
正直なところ、シエラは自身を転生させた神をあまり信用していなかった。
対面した当初こそ、その強烈な超越者のオーラに魅了されたが、多くの人が思い描くような、人に対して都合のいい神ではないと悟ってからは、祟り神、邪神といった印象を抱いている。祟ってほしくないから敬ってはいても、あまり関わりたくない、と。
元からシエラは無神論に近い考えの持ち主だった。
邪神はいると確信できても、かといって善なる神がいるとは信じられない。実のところ、宗教には軽蔑の念を持っていた。
ではなぜ教会で神父に勉強を教わっていたのかって? それはそれ、これはこれである。
宗教は嫌いでも神父はいい人だったし、就職に必要な知識や技能の学習に個人の好き嫌いなど関係がない。
話がそれた。
ともかく、シエラは神を盲信したりはしていない。
狩人の夢や、人形にも悪意が籠められていないかと疑って――その可能性は限りなく低いだろうと冷静に判断した。
そんなことをしても神になんの得もないし、そもそもそうと分かるような理不尽は経験していない。つまりはそう言った悪事を働く可能性は低いということだ。
ビーストマンが村を襲ってきたのは神による悪意かもしれないが、シエラとしてはあの不幸は起こりうる出来事だと納得はしていなくとも理解していた。証拠の無い陰謀論など、言い出し始めたらきりがない。
同時に、強い猜疑をもって、見るもの聞くもの全てを疑いだしてもきりがなかった。
どうせあとで検証すれば分かることだ、とシエラは言い知れぬ神に対する不安を抑え込んだ。
「では、えーと、貴女が知っていることの全てを説明してもらえますか」
「かしこまりました」