オリ主です
この世界は終わっている。
そう思ったのはいつのことだったか。
22世紀の日本は、100年前であれば創作上のディストピアでしかなかったような空想が現実化したものとなっていた。
環境汚染により自然はなくなり、大気は人工心肺が無ければ簡単に死んでしまうほど汚染されている。
そんな世界でも、人類はしぶとく生き残っている。
砂漠にオアシスを自作するように、発展した技術力によりアーコロジーを建築し、富裕層であればまさに『22世紀』と100年前の人が想像するような生活を送っていることだろう。
世界が荒廃するにつれ国家は崩壊し、企業が国を支配するようになった日本。
格差は広がり、階級ピラミッドは先鋭化し、今では国民の大半が貧民と言えるような状態だった。
とはいえそんな彼らよりも悲惨な暮らしを送る者もそれなりにいる。だから彼らは自身たちを中流階級と規定する。
働かなければ生きては行けず、義務教育も存在しない。怪我や病気により出費がかさみ、借金漬けで生きているものも珍しくない。そんな彼らでさえ、この時代では恵まれている部類であった。
男は、そんな暗い時代の日本に生まれた、ごく普通の一般人だった。
幸運だったのは、両親が子供を小学校に通わせることのできる経済力を持っており、そして重い怪我や病気にかからない運と健康を持ち合わせていたことだ。
同じような家庭の子供たちが多く通う近場の小学校を中々の成績で卒業し、就職した。
この時代の小学校は、早くも職業訓練所のような様相を呈している。小学校にして内定率が取り沙汰されるなど、まるで100年前の高校や大学のようであった。
男はプログラマーとしての適正を示し、またその職業訓練を受けた。
当然、就職したのもそれ関係の仕事であり、また激務と評判の業界でもあった。
確かに最初の1年程は、慣れないこともあって大変だった。
しかし仕事に慣れが生じてくると、噂に聞くほどブラックではない事に気がついた。
どうも男にとって非常に幸運なことに、その会社では現場と上層部の齟齬が無くなるよう、より効率的にシステムが構築されていたようで、デスマーチが発生しにくくなっていたのだ。後から知った事だが、実はホワイトと評判の職場でもあった。
そのせいか業界の平均からすると若干給料は安めであったが、転職したいとは絶対に思わなかった。
男がゲームを趣味とし始めたのは、社員寮の同室の先輩による影響だった。
入社してから2か月ほど、ある程度生活に余裕が出来始めたころだっただろうか。
これまでは慣れない仕事に疲れ果てて余暇は全て休息に充てていたが、ふと同室の先輩がやっていることが気になった。
暇さえあれば、体感型ゲームの筐体を被って仮想世界にダイブしている先輩。はじめの頃に誘われたが、その時は疲れているからと断った。だが今なら一緒に遊べるだろう。
男は、食事の際に切りだした。
「ところで先輩、なんのゲームしてるんですか?」
「おお。お前も遂にやる気になったか。まあ慣れてくると暇ができるもんな」
「はい。面白そうならちょっとやってみようかなと……」
「すっげえ面白いぞ。とりあえず筐体買ってソフトをダウンロードしろ。BloodBorneっていうんだけどな……」
体感型ゲームが世に出回り始めたこの時代、数十年以上前のゲームをVR化してリメイクするというのは頻繁に行われていることだった。
数十年以上も前のゲームなんて、今を生きる人からすればやった事のある人の方が珍しい。
そんな異物をVR化して売りに出しても、現代の者にとっては新作ゲームをプレイすることと変わりない。
世界観やキャラデザなど、開発費を削減できるということもあって、企業間で昔の作品の権利の奪い合いになるほど盛んだった。
先輩が当時はまり、男に進めたゲームもその一つ。
100年前の名作を見事に現代に蘇らせた、(狭い界隈で)高評価のソフトであった。
「似たようなゲームのソウルシリーズとかも同じ会社がリメイク中みたいだし、楽しみだぜ!」
「へー、そうなんですか」
仲の良い先輩に誘われて始めたゲーム。
男は、すぐに熱中した。
独特の世界観、シビアなゲーム性などなど。具体的に何に魅了されたのかとは言えない。恐らくは全てに魅せられたのだ。
運動なんかの贅沢な趣味はしたことがなかったが、どうやら体を動かす才能はあったらしい。
苦手な人はとことん苦手な、近接戦主体の体感型アクションゲーム。それもシビアなゲームバランスで有名な作品群を、男は楽々と攻略する事が出来た。
先輩や、その友人たちとわいわい楽しくやることもあった。
それは男にとって、遅れてきたやってきた青春だった。
歳を重ね、先輩が一人部屋を貰い、若干過疎になった後も、男のゲーム熱は冷めなかった。
やがて親しくしていた人が別のゲームに移住し始めても、特に好きだったブラッドボーンは続けていた。その頃には一通り遊びつくしてしまい、RTAをしていた。ただ何万回と挑戦していると、うっかり理論値に限りなく近いタイムを出してしまい、記録更新できる要素がなくなってしまう。狂熱は一気に冷めた。
しばらくは燃え尽き症候群のように無気力に暮らしていたが、だんだんと元気になってくるとゲームがしたいという感情が沸いてくる。男はすっかりゲーマーになっていた。
そして手を出したのは、当時話題となっていた、新作DMMORPG。ユグドラシルであった。
▼
「またどこかでお会いしましょう」
ヘロヘロの姿が掻き消える。
それを確認し、見送るように手を振っていた二人はその手を戻す。
ナザリック大地下墳墓の9階層。サービス終了間際の円卓の部屋には、二人の人物がいた。
豪奢なローブを装備した骸骨のアバターを操作するギルド長であるモモンガに、一見すると長身の美女にしか見えないアバターを操作する、ギルドメンバーのクロリスだ。
座っているため正確なところは分からないが、かなりの長身だ。顔立ちも白人系で、かわいいというよりイケメンという印象が強く感じられる美貌。蛍光色とも表現できる明るい空色の髪をポニーテールにし、その頭上には紳士が被るようなトップハットにトレンチコートを着ている。全ての衣装は黒で統一され、また手袋までしていることから肌の露出は顔の部分しかなかった。ブラッドボーンをプレイしたことのある者ならば、DLCエリアに行ける傍にある死体から回収できる防具、ヤーナムの狩装束とそっくりであることに気が付くだろう。
アインズ・ウール・ゴウンのメンバーである以上、クロリスも異形種である。ブラッドボーンのENDの一つ、幼年期の始まりの主人公、というモチーフで作成されたものだ。強さを追求するあまり種族レベルはLv1にまで削減されて、上位者を名乗るのも烏滸がましいほど貧相だが、正体は巨大な黒いナメクジであった。
クロリスが苦笑いを浮かべてそうな声で、モモンガに話しかける。
「結局、この二人しか残りませんでしたね」
「いや分かりませんよ、まだ滑り込みで来る人がいるかもしれません」
「ははは。だといいですね」
クロリスは、まだアインズ・ウール・ゴウンが結成されたばかりの頃、異形種限定という募集に惹かれて加入した者だった。
ギルド的には比較的後期の加入だが、ユグドラシル的には最古参ともいえるプレイヤーだ。
ユグドラシルで過疎が始まっても、今日までモモンガと共にギルドを維持してきた、もはや実質2名ともいえるギルド員だった。
ユグドラシルに特別強い感情を抱いていないクロリスが、今日までログインし続けていたのは、ひとえに惰性と友情であった。
だいぶ大人になり、若い頃のような情熱は中々沸かず、あまり新しいことに挑戦しようという気概が沸かない。
ユグドラシルにもそれなりの思い入れがあり、引退するならギルドメンバーが全員引退してからだと思っていた。それがモモンガだけはユグドラシルをやめるようなそぶりを見せず、クロリスもまんざらでもなく付きあっていた。
まさか一つのゲームを12年間も続けるとは自分でも思っていなかったが。
もはや引退したギルド員が姿を見せることはないだろう。今まで顔を出してくれたのは数人だけどはいえよく来てくれたほうだ。
クロリスは、今も公式でやっているカウントダウンイベントの方に興味が向いていた。さっきからログはお祭り騒ぎだった。
「どうですモモンガさん。公式イベントの方に顔を出してみませんか? なんだか楽しそうですよ」
「いえ、私は遠慮します。折角ログインしてくれても誰も拠点にいないというのは寂しいですし……ここで待っていることにします。私には構わず、クロリスさんはお好きにどうぞ」
「そうですか……分かりました」
クロリスはギルドの指輪の機能をコンソールから使おうとして、ふと思い立ったように席を立つ。
そしてモモンガに向き直ると、一礼した。左足を一歩前に出し、左腕を曲げると共に頭を下げる。狩人の一礼というジェスチャーを真似したものだった。
それはロールプレイの一環で何度も繰り返した動作であり、アバターの美形もあってなかなか様になっていた。
突然、礼をされたことに、モモンガは疑問符を浮かべた。
「な、なんですか、突然?」
「や、もしかしたらこれがゲーム内では最後の別れかもしれないと思ったので」
「ぇ」
モモンガの小さく呟かれた驚きは、クロリスの耳には届かなかった。
ゲームを介してとはいえ12年もの付きあいになり、リアルでもオフ会などで何度か面識があり、連絡先も知っている仲だ。いまさら別れを惜しむという感じでもない。
クロリスはイベントが楽しそうならそこで最後を迎えるつもりであり、ナザリックから出てきそうもないモモンガの性格も分かっていることから、そんな発想に至ったのだ。
「今までありがとうございました、モモンガさん。ユグドラシルというゲームをここまで楽しめたのはモモンガさんのお蔭です」
そう言って、再び狩人の一礼。
モモンガが口を開く間もなく、クロリスは言葉を続ける。
「まあ、チャットもメッセージもできるんですけどね。ではちょっと行ってきますねー」
「あ、ちょっと」
クロリスは虚空に手を這わせてコンソールを操作すると、そそくさと消えて行った。まるで照れを隠すかのように。
「クロリスさんらしいや……」
遅れて理解が追い付き、ぷっと笑いながらモモンガが言った。
▼
ナザリックの地表分にある中央霊廟に飛んだクロリスは、顔を手であおぐような仕草をする。ゲーム内では顔が火照るわけでもないので特に意味はないが、気恥ずかしさを隠すような行動だった。
「あー、はっず。やっぱああいうことを面と向かって言うのは苦手だわー」
照れ隠しに狩人の一礼なんかをしていたが、むしろ逆効果であった。後から客観的に状況を顧みると恥ずかしくて仕方がなかった。ロールプレイはしたがるものの、他人の目が気になって突き抜けられない。故に中途半端なものとなり、それが更に羞恥を煽る。それがクロリスの性格であった。
そこから更に転移をしてイベントの開催されている街へと向かおうとしたクロリスだが、ふと思い立って霊長内の入り口へと足を向ける。
やがてナザリックに入る侵入口である階段を遮るように、一つの椅子と、それに座した人影が見えてくる。
それは死体だった。ぐったりと椅子に腰かける銀髪の女性はピクリとも動かず、椅子の下には大量の血痕が残されている。
クロリスはその惨状を見ても何の反応も見せず、無造作に近づき、死体に触れようとした。
『死体漁りとは、感心しないな』
突如として触れようとした手首が、死体だと思っていた女性に掴まれた。そして引き寄せられ、顔と顔とが触れ合いそうな程の距離で見つめ合う。そっと手が離される。
『だが、分かるよ。秘密は甘いものだ』
三角形のような形をしているカイボーイハットを被った女性が、ゆっくりと立ち上がる。どこからか取り出したダブルシミターのような武器を持ちながら。
『だからこそ、恐ろしい死が必要なのさ』
その身にまとう衣装はどことなくクロリスに似ていた。世界観が似ているとでも言うのだろうか。
ゆっくりとダブルシミターを胸の前に掲げた女性が、甲高い金属音を発して武器を分離。二刀流となった。
『……愚かな好奇を、忘れるようなね』
そして、そのままの状態で停止する。
当然だ。彼女はナザリックの拠点NPCなのだから。ここで敵がいれば向かって行くが、ギルドメンバーには攻撃できない。
彼女の名前は『マリア』。ブラッドボーンの『時計塔のマリア』を元にクロリスが作成した、Lv100のNPCだった。
(モーションは完璧なんだけど……やっぱ声がなぁ)
音声データを無断使用するわけにもいかず、それは全てチャットログに流れたメッセージであった。
版権作品であるが、作品を元に一から作成したものは、金儲けをしているわけでもないのでお目こぼしされる。しかしデータのコピーには厳しかった。アカウントの停止どころか、下手をすれば罰金まで科せられるのだから。
その他にもクロリスは自室の空間を潰して『狩人の夢』と、そこに配置する『人形』を作っていた。
それらの作品とも今日でお別れと思うと、散々データを保存しスクリーンショットを取った今でも、心に押し寄せるものがあった。クロリスはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを外すと、マリアへと預けた。
ギルドの指輪は奪取された際のリスクが非常に高い為、戦闘の際や拠点外に出る時には外すことになっている。普段だったらインベントリにしまうのだが……自分でもどうしてそうしたのか、クロリスにも分からなかった。
「ちゃんと預かっててくれよ。帰ろうとしたら死んでるとか、笑っちゃうからな」
いくらLv100とはいえ、一人でこんな入口に配置されていれば、ナザリックに侵入するプレイヤーからすれば殺してくださいといっているようなものである。侵入者が多かった頃は生きてることの方が珍しいNPCとなり、蘇生費用が勿体ないと一時期は狩人の夢に下げられていた。
最近ではナザリックに来る侵入者は滅多におらず、ここ数年、マリアは一度も死んでいない。
しかしサーバー終了までの短い時間に、侵入者がやってこないとも限らない。
イベントがつまらずナザリックに帰還しようとしたら、指輪を預けたマリアが死んでいた。そんなコント染みた光景を想像し、含み笑い。
クロリスは<
▼
突如として切り替わった風景。
サーバーダウンの時間が過ぎたにもかかわらず、強制切断されることなく自キャラのまま。
そしてゲームではありえない感覚の数々。
まるで異世界に転移したかの状況。
そんな予想外の事態が起こってから3日ほどが経ち、クロリスは現状を把握しつつあった。
――どうやら、本当に異世界に来てしまったらしい。
クロリスの抱く感想を一言で言いあらわしたものだった。
どんな世界にやって来たにしろ、己を知らなければ始まらない。
考え付く限りの検証を繰り返したところ、単なる電子上のデータである『クロリス』の能力が実際に使用できるようだと判明した。素人の、期間も僅かな検証とはいえ、大まかな事を知るには十分すぎた。
――元から自分がクロリスだったかのように違和感なく使える、常識はずれの肉体性能に
――精神が肉体に引きずられて変容しているのか、まるでサイコパスにでもなったかのような冷静さ。そんな自分に違和感を感じない事こそが、最も不思議だ。
――コンソールが呼び出せない。システムの大半は使用不可。
――しかしアイテムボックスは使用可能。所持していたアイテムも全て健在の様子。
――ゲーム内での知り合いとの連絡は取れず。GMコールも同様。
初日に分かったのはそんなところだった。
2日目は、自身と装備やアイテムの細かな検証を。
3日目は、自身の力がこの世界ではどの程度通用するのか、それを確かめた。
具体的には、出現した森で隠れ潜むのをやめて、モンスター相手に積極的に戦ってみたのだ。
ユグドラシルでも見たことのある雑魚モンスター。それらは見た目通りの強さを持ち、予想通り何もできずにクロリスに狩られていった。
ユグドラシルでの常識が通用したことを重視し、一先ずはこの世界が現実のユグドラシルであると仮定した。
次に求めたのは対話だった。
自分の耳目のみで情報を集めようと思ったら気が遠くなる。故に手っ取り早く知りたいことを知っている者から聞こうと思ったのだ。とりあえずどんな見た目のモンスターであれ、始めに声をかけて見た。正直なところ、見るからに低位のモンスターが言葉を介するなど期待していなかったが、意外と早くに結果は現れた。
それはゴブリンたちと接触した時だった。
彼らにもそれなりの知性が存在したようで、声をかけて見たところ、返してきたのだ。
それも、自分に分かる言語で。
すぐに同じ言語を喋っているのではなく、世界がおかしい事に気がついた。如何なる法則か、自動翻訳のような力が働いていたのだ。口の動きを見ればすぐに分かったし、未開の部族の独自言語と日本語の語彙が同じでないように、意味が通じない言葉も多数あったことで、その自動翻訳の作用も何となくだが理解できた。
ただそのゴブリン達が役に立ったのはそこまでだった。
クロリスが最も知りたいことである森の外の世界の情報を大して持っておらず、頭も悪く語彙も貧弱なれば、生かしておく価値も見いだせず、能力の検証ついでにさくっと殲滅した。
そして続けて出会ったのが、森に狩りにやってきたという数体のビーストマンだった。
「へえ。つまりここら一帯は全部ビーストマンの国の領土なわけだ」
「ああ、そうだ」
「ビーストマン以外はいないのか?」
「いるにはいるが、奴らは国民ではない」
「なるほど。では人口……頭数? いや獣口か? とにかく国に所属するビーストマンの数はどれぐらいだ」
「さあ……細かな数は誰も知らないだろう。大体でいいのなら、1000万……はいかないかもしれないが、それに近い数字はあるだろう」
「1000万か……根拠は?」
「巷で言われている総人口が1000万だ。領土の面積に、栄えてる事で有名な都市の数や、街や村の大体の距離とか、自分で概算してみても何となく納得がいく」
「ふーん」
トップハットを頭に乗せた、空色のポニーテールが目立つ長身の女性。クロリスが鼻を鳴らした。獣にしか見えない見た目だが、知性は人間並みにあるらしい、と。
対するビーストマンは、まるで親しい友人であるかのようにクロリスに接していた。周囲にはつい先ほどまで彼の仲間であったビーストマンの死体が転がっているというのに。
以外と口が堅く、拷問染みた真似をしても聞きたいことが聞けない状況に業を煮やしたクロリスが、何か役に立つ道具はないかとアイテムボックスを漁り、出てきたのが『魅了のペンダント』という名称の装飾品だった。
まさに見る者を魅了するかのような虹色の輝きを放つ大きな宝石が使われたネックレスで、芸術的な価値は高そうだ。しかし効果はクロリスからすればまさにゴミと言うべきもの。
『装備時、攻撃を与えた者に一定確率で魅了付与』
ただそれだけのアイテムだ。ゲーム時代は、見た目が気に入ったので取っておいただけで、アイテムボックスに枠があれば即座に倉庫に送るかしているような役立たずであった。
魅了を与えれば口が軽くなるんじゃないかと思い、検証も兼ねて実行してみたところ、見事に図に当たった形となる。ちくちくダメージを与えようとした結果、手加減を間違い残りのビーストマンを潰してしまったし、このビーストマンにしたところでポーションで回復させなければ死んでいたところだったが。
「それだけの人口があるってことは、やっぱり農業をしてるのか?」
「ああ」
「なるほど、なら――」
クロリスから、事細かな質問が飛ぶ。
ビーストマンも己が知識の続く限りそれに答える。
ビーストマンは中々の物知りで、その問答によりクロリスは蒙が啓くような感覚すら覚えた。
この世界に対して、クロリスは完全な無知ではなくなったのだ。
やがて、すぐに質問が思い浮かばなくなった頃。ビーストマンのかかっていた魅了の効果が切れた。
一瞬呆けたビーストマンだったが、辺りに満ちる血臭いに我に返り、視線を巡らすと冷たくなった仲間達の死体が目に入る。
「――な。き、貴様――!」
瞬時に怒りの感情に支配されたビーストマンは、目を瞑って腕を組んだ、一見無防備そうに思えるクロリスへと吶喊した。
面倒そうにビーストマンを見やったクロリスは、しかし何もしなかった。
憤怒の籠ったビーストマンの一撃を、無防備にその身で受ける。
「な、に?」
しかし退いたのはビーストマンの方だった。
殴った方の腕を庇うように押さえながら、信じられないモノを見たような、恐怖の籠った視線をクロリスへと向ける。
それはただの人なら、頭蓋骨が陥没し、首から上が吹っ飛ぶほどの力が籠められた恐るべき剛拳だった。
しかしクロリスにはなんら痛痒を与えていない。クロリスは殴られたはずの帽子を手に取り目の前へと持ってきて検める。
「ふむ……へこみどころか汚れすらないな。痛みどころか衝撃も感じなかった。ゲーム的な防御力が仕事をしてるのか? ……おい、今度は露出した部分を狙え」
トップハットを手にしたままクロリスは微笑みを浮かべ、空いている方の手で自身の頭部を指差した。
「……お、お、オァオオオオオ!!」
現実を信じられなかったのか、自暴自棄になったのか、喉を枯らすように叫んだビーストマンが再び吶喊してくる。
その攻撃の軌跡を見て、クロリスは眉を顰めた。
技巧の欠片もない、凄まじく遅く感じられるテレフォンパンチを、顔で受け止めようとしている自分に対して嫌気がさしたのだ。
それでも我慢して、ビーストマンの一撃が突き刺さり――クロリスなんらダメージを感じなかった。
ビーストマンの認識できない速度ですっと下がり、殴られた箇所を指で触り、血でも出ていないかと確かめてみる。だがそんなものは一切なかった。
「世界はこれほどまでに現実だというのに。こういったゲーム染みた法則が生きているから困る」
やれやれと肩をすくめるクロリス。
そして、怯えを見せるビーストマンへと好戦的な視線を向ける。
「これは私だけの法則か? それともお前――この世界の生物は皆そうなのか? 気になるぞ」
クロリスは帽子をかぶり直し、虚空に手を突っ込み、しまっていた武器を取り出した。
それは大振りの直剣だ。1メートル以上はある刀身は優美さを感じられるほどにスマートで、刀身や柄、ややYの字を描くような鍔には細かな彫刻細工が施され、質素に感じられつつも高級感を醸し出している。性能もピカイチで、クロリスのメインウェポンだ。
名を、月光の聖剣。
いつかの公式武術大会で優勝を収め、ワールドチャンピオンのクラスと共に運営から贈られた武器であった。
近づいて、剣を振るう。
言葉にすれば簡単だが、クロリスのように動ける者は世界広しとはいえどそうそういることはないだろう
ビーストマンには認識すらできない速さで距離を詰めたクロリスは、無造作に剣を一振りした。
散々殴ってくれた、ビーストマンの利き腕らしき腕を飛ばす。
「やはり部位破壊扱いか? まあ命に別状のない末端の部位を攻撃して死ぬとか訳が分からないからな。ゲームでもそうだった」
苦悶の呻きを上げる獣は無視し、うんうんと頷くクロリス。また剣が振るわれる。
獣皮だけを裂くようにした浅い攻撃。思惑通り、軽い裂傷ができる。
「ゲームだったら今のは攻撃が当たった判定だ。最小攻撃力と、奴の耐久力を察するにHPが全損しているべき攻撃。ふむ……」
今度は、突き。
胴体に当たれば、ゲームだったら紛れもなく即死の一撃だ。
それを即座に命に係わる重要な臓器にあてないよう、わき腹にでも指してみた。
苦痛の叫び。ビーストマンは生きていた。クロリスは感心したように吐息を漏らす。
「ほう。やはりHP制ではないのか? しかし私の例もある。……うーむ」
ビーストマンの呻きをバックミュージックに、思索にふけるクロリス。ふとそんなクロリスの鼻孔を新鮮な血の香りが擽った。
無意識のうちに、クロリスはビーストマンの身体に突き刺さっている月光の聖剣をひねり、傷口を広げていた。壊れた蛇口のように溢れ出す血液に、いささかならぬ喜悦を感じたのは気のせいではないだろう。
「血を見て悦ぶとは。まるで本物の狩人だな」
口ではそう言いつつも、鋭利な美貌にはまんざらでもなさそうな笑みが浮かんでいた。
クロリスにとっては赤子にも等しい抵抗を続けているビーストマンが流石に鬱陶しくなり、即座に死なないように注意しながら頸動脈を掻っ切った。
既に結構な出血をしていたからか、血しぶきの勢いは思っていたほどではなかった。しかし返り血を浴びたクロリスに浮かぶ笑みは深められた。
「ビーストマン……獣がこのあたりには大量にいるんだったか。……狩人ごっこも悪くないかもしれないな」
聞くところによると、この世界ではクロリス程の強者は滅多にいないようだ。
レベルの分かりやすい目安のある魔法位階にしても、第6位階以上の使い手は伝説でしかないようだし、それに匹敵する名声のある戦士も、匹敵してしまう程度ならクロリスとっては雑魚も同然だ。
現地の存在で警戒すべき対象は殆どいない。
なので警戒すべきは、いるかもしれないプレイヤーの存在だった。
プレイヤーの大半は人間種だ。クロリスはもはや人間を同族だとは見れないだろうが、他の人間種のプレイヤーはそうではないだろう。
ビーストマンの国では人間種は他の動物と同じ、食糧扱いされているようなので、ビーストマンを狩る大義名分はある。
以前の自分だったなら、間違いなくリスクを恐れてこそこそと隠れ潜んだことだろう。
だがそれはどうも面白くなかった。
それに仮にプレイヤーが一斉に転移していたとして、序盤だけなら多少はっちゃけたところで誤魔化せるかもしれない。少なくとも情勢が落ち着いてきて、いきなり狩りを始めるよりは印象がいいだろう。
率直に言って、我慢したくなかった。
同時に、やるべきなら今であるとも考えられた。
「獣狩りの夜……やっちゃいますか」
事切れたビーストマンにもはや興味はなく。木々の隙間から見える月を見上げながら、クロリスはポツリと呟いた。
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ビーストマンの集落は、想像していたよりもずっと立派だった。
のどかな農村を思わせる広大な農地に、それぞれの畑にアクセスしやすいようにかあちこちに点在している煉瓦造りの家。
ビーストマンのことを事前に知っていなければ、まるで巨大なライオンの着ぐるみを着た人々が暮らす変わった村のようにも思えたかもしれない。
そんな集落を、肉眼では視認できない高さから見つめる者がいた。
クロリスだ。マジックアイテムの力を借りて<
とはいえそれ以外には特に魔法は使っておらず、高度何千メートルという世界でも意に介さない肉体や、眼下の様子が手に取るように分かる視力などは自前のものだ。
「どこの村も住居はバラバラか。害獣避けのような柵はあっても本格的な防衛施設は見当たらない。聞いた通り外敵は殆どいないみだな」
クロリスは考えを整理するように呟く。
独り言は癖だった。声に出した方がやりやすい気がするのだ。周囲に他人がいる時は控えるが、一人であるなら遠慮なく呟いてしまう。以前は人に気付かずぶつぶつ言って恥ずかしい思いをすることがたまにあったが、今のクロリスに気配を悟らせずに独り言が聞き取れるまで接近できる者などほぼ皆無だろう。
「ふーむ」
全方位に広がる現代では失われた雄大な自然を眺めながら、思案する。
こうして見ると世界の広さを実感する。大きな視点で見れば、自分がちっぽけな存在であるのだと思い知らされる。
富の象徴である巨大なアーコロジーを見て似たような感情が沸き上がった事もあるが、違う。押しつぶされるような重圧と、自分の中の世界が広がる感覚の違いだろうか。悪くない気分だった。
世界はこれだけ広いんだから、ちょっとぐらい悪さをした所でどうなるのだという思いが生まれた。
確かにリスクは怖い。でも折角これほどまでの力を手にし、こんな素敵な世界へとやってきたのだ。欲望を押さえつけるのは難しかった。現状を正しく認識してしまうと、もれなくうつ病を発症してしまうほど抑圧された時代で生まれ育ったのだ。仮想世界では素をさらけ出すことができたとはいえ、それは所詮様々な制約のあるゲームの中でのこと。現実ではっちゃけるられるというのは、クロリスにとっては禁断の果実にも等しい誘惑だった。
「うん、手始めにあの村を滅ぼそう」
そういうことになった。
決め手は、つい先ほどある村で起こった出来事。当事者たちからしたら、一方は日常で、一方は悲劇だろうか。
捕獲でもしていたのだろうか、ビーストマンが小屋から人間を引っ張り出していた。そして人だかりの出来ている休耕地だろう畑へと連れて行く。そこでは家畜の解体をしていた。ビーストマンは人間を食糧扱いしている。それを思えば連れ出された人間がどうなるかは容易に想像がついた。
なんとなく、気に食わなかった。
奴らが自身を差し置いて血に酔っているという事実に。
その村を目指して飛行する。
重力を利用することで<
見る見る間に地上が近づいてくる。
自身が誘導装置となっていることから誤差もなく、狙った通りの村に辿り着く。僅かに膝を曲げることで衝撃を吸収。数十センチの段差から落ちたのと変わらないぐらいに、軽やかに着地した。
周囲に集まるビーストマンの面々がざわついたが、クロリスは興味がない。ついっとこの場にいる唯一の人間へと視線を向ける。
酷い有様だった。体型からして女性だろう、14歳ほどと思われる体には布一枚として纏っておらず、あちこちに怪我をしている上に酷く薄汚れていた。立つもの難しい状態なのか、力なく血に伏せている。それでも少女はクロリスに顔を向けた。
ぼさぼさの亜麻色の髪から覗かせる容貌は、リアルでは整形以外ではお目にかかれないほどに整っていた。薄汚れているのと若干やつれているのが魅力を損なっていたが、それでも目を引くほどの綺麗な顔立ちだった。
普通の人間だったら思わず憐憫し憤るような光景。それでもクロリスの心はさざ波一つたたなかった。
「やはり、本格的に人をやめてるな」
クロリスは取り出した月光の聖剣を目の前に翳す。そして刀身に這わせるように左手を動かした。刀身から神秘的な浅葱色の光波が迸る。それは刀身をコーティングするかのように寄り集まり凝固した。大きさと比べて細身に思えた直剣は、薄く輝く青緑の刀身の目立つ幅広の騎士剣へとその姿を変貌させた。
月光の聖剣の、真の姿であった。
性能的にいえば、MPを常時消費し続けることでエンチャントした状態となり、月光の聖剣での攻撃に追加魔法ダメージが発生する。更にMPを消費することで飛ぶ斬撃のように光波を飛ばすことができ、それは固定魔法ダメージ+追加物理レートという中々いいダメージが出る攻撃となる。
欠点と言えば光波を纏わせるのがエンチャント扱いとなるため、各属性のエンチャントで弱点を付こうにも飛ぶ斬撃を封印しなくてはならない点だろうか。
それ以外では文句のつけようがない、公式武術大会で優勝者に贈られるだけのことはある性能をもっていた。
神秘的で、始めて見れば印象に残るだろうその動作は、意外と速い。それこそ1秒にも満たない時間で済むほどだ。
ビーストマンたちのざわめきが強くなるのも待たず、クロリスは両手で握られた月光の聖剣を無造作に横に薙いだ。
クロリスから魔力が吸われ、光波が迸る。
残光を残して振るわれる刀身からは空間をも切断しかねない斬撃が生じ、全てを切り裂くべく直進する。光を思わせる速度で――こういった飛ぶ斬撃の速度は攻撃力に依存するのだ――十数メートルほど進んだ後、光波は消えた。
遅れて、射線上にいたビーストマンが真っ二つとなって倒れ伏す。
「うん? 今のは……」
何らかの手応えを感じたように、クロリスは首を傾げた。
それを確かめるべく、振りかぶる。今度はタメを長く。その分大目に魔力を吸わせるような感覚で。
一閃。
生じた光波は先程の比ではなかった。今まで見たこともない巨大な光波が形成された。まるで本家の怪物化したルドウィークが振るう聖剣の一撃を思わせる。
死神の鎌でも振るわれたかのように、クロリスから見て90度ほどのビーストマンが思い出したかのように血飛沫を上げながら崩れ落ちる。死屍累々といった状態だ。一気に濃密な血と臓物の臭いが混じりあった死の香りが辺りに漂い始めた。
「ば、化け物……!」
「に、逃げろ!」
「うわあああ!」
止められていた時間が動き出したかのように、蜘蛛の子を散らしたようにその場から逃げだすビーストマンたち。幾人かの足は止まっていたが、それが戦うためではないことは明白だ。その身体は震えている。恐怖で足がすくんで動けないのだろう。
クロリスは愉快気に笑みを浮かべ、光波を乱れ撃つ。
数が減ってからは、直接切り刻んでみたり。楽しい時間が過ぎるのは早い。気が付けばその村に生きたビーストマンはいなくなっていた。
「ふっ。中々楽しいな、これは。癖になりそうだ」
大地に転がる獅子の頭の足先で弄びながら、クロリスは言った。そして未だ倒れ伏す少女の方へ顔を向ける。
「お前はどう思う、少女よ。怨恨がありそうな相手とはいえ、やはり嫌悪感が先にくるか?」
少女は、まるで夢でも見ているかのような呆然とした表情のまま答えない。そもそもクロリスの声が聞こえていないかのように、視線は見当違いの方向へ向けている。ビーストマンの死体がそんなに好きなのだろうか。
「……おい」
やや低い声での呼びかけ。それも届かない。無視されて少し苛立ったクロリスは、殺してしまおうかという衝動を堪えて少女の方へと足を向ける。そして視線を遮るように立ちはだかった。
クロリスに気付いた少女の視線は徐々に上へと上げられ、ようやく目が合った。
再度、クロリスは同じことを問いかけると、始めて少女は口を開いた。
「神様……」
「は?」
クロリスは耳を疑い、次に少女の頭を疑った。数秒の沈黙。色々あってこの少女は精神に異常をきたしているのだろうとクロリスは推測した。
少女が重たい体を動かすように身じろぎする。そして平伏すような姿勢をとった。ぽたぽたと、雨も降っていないのに少女の顔を伏した地面が濡れた。体も震えている。泣いているのだと、嗚咽のようなものが聞こえてクロリスはようやく気がついた。
「神様……神様……。存在をお疑いして申し訳ありませんでした。神様……」
懺悔するように呟かれる言葉が聞こえ、クロリスは思わず一歩足を引いた。やべえよこいつ真正だ。恐れの混じったようなそんな視線が少女に向けられる。だがいつまでもそうしていては始まらない。処置なしと分かれば後腐れなく処理するなり放置するなりしてしまえばいい。今はこの少女に利用価値があるのかどうかを確かめたかった。
「全てを許す。謝罪はもういい。それより少々聞きたいことがあるのだが」
「はい……神様。何なりとお聞きください」
少女は意外と素直だった。拍子抜けするほど簡単に質疑応答が進む。想像以上に少女は博識で知性豊かだったが、その理由は質問を続けるにつれ判明した。
なんでも、ビーストマンの国は昔は人間が治める国だったらしい。
神格化された八人の偉人の一人が建国したもので、200年程前までは大国として君臨していたらしい。
しかし宗教的な理由で西の人間国家とは敵対とまではいかないまでも反目しあい、周囲に存在する亜人や異形種の国家とも敵対していたため、200年前に魔神に暴れられて弱体化したところを四方八方から攻められ滅亡したそうな。
なんとなくナチスドイツやポーランドといった囲んでフルボッコにされた国々を連想させる話だ。
ともかく国は滅亡し、住民も奴隷や家畜や食料にされたが、一部は隠れ潜むことができたらしい。亜人の手も及ばない秘境では普通の人間が集落を形成することなど不可能だが、神の血を色濃く引いた大貴族の一族だったためなんとかなったとか。
アデーレ――少女の名前だ――はその隠れ里の出身で、神官として生活していたとか。
しかしその隠れ里も近年になってビーストマンに発見されてしまい、半年ほど前に軍隊を率いられて滅ぼされたという。
命からがら逃げ延びたアデーレは西にあるという人間国家群を目指して逃避行を続けたが、何百キロもある亜人勢力圏を一人で突破するなと土台無理な話で、疲れ果てていた所をこの村の連中に捕まってしまったという。
実力としては第四位階の魔法を行使できる神官だとか。元々は大貴族の末裔なだけあって、中々博識なところもある。
(これは……キープしとくべきか)
中々得難い人材のようだった。低位位階までしか使えないとはいえ、手数が増えるのはいい。それに育てれば将来的には蘇生魔法が使えるようになり、万が一の保険にもなるかもしれない。
少々気が違っているようなのがアレだが、そのお蔭で信頼がクロリスに向いているようなので目を瞑ろう。
「ところで……神官なんだよな? 回復しないのか」
「申し訳ありません。疲労のため、中々魔力が回復せず……」
申し訳なさを全身に滲ませて謝罪してくるアデーレに、そういうこともあるのかとクロリスは頷きながら、アイテムボックスからポーションを取り出すとアデーレに差し出した。
「とりあえず一本飲んでおくといい」
「それは、神の血……! そのような貴重な品を私如きに使うなどもったいのうございます! 一日ほど休ませていただければ、なんとかしますので……」
「そ、そうか。……いや待て。このポーションに見覚えがあるのか?」
「はい。神々しか所持していなかったとされる非常に貴重なポーションです。一つだけですが故郷にもありました」
「なるほど……」
まさかこいつが言う神とはプレイヤーのことだろうか。クロリスの脳裏に一つの推測が浮かんだ。
(飛ばされた時間軸が違う? いや……)
情報が少ない状態であれこれ考えたところで仕方ないと、クロリスは一旦思考を止めた。
ともあれ、やはりこの世界にプレイヤーがいる可能性は高まった。我欲を満たすことしか考えていなかったが、意外な収穫が手に入ったものだ。
こいつを死なすのは惜しい。
そう思ったクロリスは、放置して体調が悪化することは避けようと、アデーレを回復させることに決めた。
とはいえ本人の意思も尊重して、ポーションは仕舞う。かわりに出したのはドアにでもついてそうな小さな銀色の鐘。聖歌の鐘といい、間近で音色を耳にした者に生きる力と治癒の効果を齎すマジックアイテムだ。これもブラッドボーンのアイテムを再現したものだった。プレイヤー風に説明するなら、範囲拡大した<
クロリスは聖歌の鐘を頭上に掲げ、ゆっくりと手を振った。
次元を跨ぐ音というのを再現した――という設定のただのフリー素材の鐘の音が何処からか響き渡る。現代の技術で色々と加工されたその音色は、知らぬ者には本当に次元を跨いで鳴り響く鐘の音に聞こえるかもしれない。
魔法の発動を知らせるように聖歌の鐘が淡い光を纏い、効果範囲を知らせるように四つの光球が円を描くように現れ、消えた。
「これは……<
アデーレの呟かれる声。専門分野っぽいとはいえ、見ただけで魔法の種類がわかるお前の方が凄いとクロリスは思った。エフェクトすらも異なり、無詠唱で放たれる回復魔法とか、回復量やデバフが消えたかが見えないと判別するのは難しいだろう。
怪我や体力どころか、なぜか薄汚れた風体すら回復する。
身綺麗になったことで、アデーレが全裸であることがより強く強調された。
連れまわすにしても裸なのはまずいだろうと、クロリスはアイテムボックスを漁る。
(……普段着にできそうなのがないぞ)
見た目的にも価値的にも、普通という装備は生憎と持ち合わせていなかった。
恐らくはこの世界でかなり貴重な装備。それを渡していいものかと逡巡するが、他に服が手に入ってアデーレが信用できなさそうなら返して貰えばいいやと考えた。
教会シリーズ(黒)を取り出す。ブラッドボーンの装備を再現して作った防具の一つだ。効果も神官向けで、どうせ使わないからと容易に作れる
見た目もあまり好きではないので、失ったところで痛みは最小限に抑えられるだろう。
その分扱いも粗雑だった。ばさっとアデーレの目の前に衣服を放る。
「着るといい。そんな恰好じゃ寒いだろう」
アデーレは落とされた教会の黒装束をまじまじと見た。そしてその価値を理解したのか、表情に驚愕を浮かべる。クロリスの真意を探るように装束とクロリスを交互に見やった。
「こ、こんな貴重なもの……よろしいのでしょうか?」
アデーレにもまともな服を着たいという思いはあるのか、流石にすぐさま固辞するということはなかった。
「私にとっては二十数着あるうちの一つだ。それも中では一番価値が低い。まあそのうち返してもらうかもしれないが、今は着ておくといい」
「――はい。クロリス様のご慈悲に感謝を……」
感極まったようにアデーレはクロリスへと祈りをささげた。
なかなかやめる気配がないのでクロリスが声をかけると、ようやく黒装束を拾い着用した。
着替え終わったアデーレを上から下まで観察し、率直な感想を口にする
「ふむ。中々似合ってるじゃないか」
「クロリス様のお与えくださった衣服が素晴らしい為かと。ありがとうござます」
教会の黒装束は、修道服をアレンジしたようなデザインをしている。
大きな違いは、普通の修道服はピシっとしているが、教会シリーズはだぼっとしている点か。他にも帽子や長手袋やストールやケープといった小物の違いもある。
(やっぱ頭巾は外した方が見た目はいいな……)
修道服でも言えることだが、前髪すらはみ出さず顔しか見えないというのは魅力を損なう要素だった。あえて原作を忠実に再現するのではなく頭装備は帽子だけにするというのは英断だっただろうか。コレジャナイ感があって失敗だとクロリスは思っていたが。
(そういえばサイズの変更もゲーム通りなんだな)
立ち上がったアデーレを大分見下ろす形となり、クロリスはそのことに気付いた。だからどうしたという話であるものの。
「その……クロリス様」
クロリスの様子を窺っていたアデーレが、ややためらいがちに口を開く。
「ん?」
「奴等に装備品を奪われていたのですが……探してきてもよろしいでしょうか? この装束とは比べ物にならないとはいえ、それなりに貴重な品ですので……」
「……そうだな。ついでに目ぼしいのがあったら拾っておいてくれ」
「かしこまりました」
アデーレはたおやかに一礼すると、きょろきょろと辺りを見回し、目的の家でも見つけたのかそちらへと向かって行った。クロリスを待たせまいとでも思っているのか、かなり全力で走っているように見える。
「……そっか、装備の没収か。そうだよな、ここでつかまったなら探せばあるわな」
いきなり代わりの服が見つかりそうな状況に、クロリスは自嘲した。そして同時に安堵も。代わりの服が見つかるまで貸しておく、なんて言っていたらダメージはかなり大きかっただろう。
思惑が外された。貸してすぐに返してもらうのは格好が悪い。かといって今返してもらわないと無難な返却の口実がなくなってしまわないだろうか。
「……まあいいか」
どうにでもなるだろう、とクロリスは呟いた。
▼
闇夜の中、神秘的な浅葱色の淡い光が一閃された。崩れ落ちる都市の一角。
それなりに栄えていたビーストマンのとある都市。それは今や廃墟と化していた。
巨大な鎌鼬にでも襲われたかのような惨状の街並み。あちこちに散らばる死体。所々で上がる火の手。強烈な血の臭い。煙とモノが焼ける臭い。生き残った人々の悲鳴と怒声。そこは視覚、嗅覚、聴覚全てで感じ取れる地獄だった。
「大分残ったな……これを皆殺しは骨が折れるぞ」
二階より上にいたり、運よく斬撃に当たらなかった者もいるのだろう。都市全域に光波をばら撒いたものの、確率があって分母が多ければ生き残りの数もかなり多くなった。
動くもの、または生き物の気配を頼りに獲物を見つけ、手当たり次第に殺していく。
最初は都市破壊に残敵掃討と楽しめたが、だんだんとクロリスの表情は曇っていく。
「あー……」
廃墟となった都市のいろんな方向から外へ出ていく影がいくつも見受けられるようになり、クロリスはもういいやとばかりに月光の聖剣を肩に担ぐと空を見上げた。星空が綺麗だった。
一人でも逃がしてしまえば、それが何百人いようと一緒だろう。
それにクロリスの姿を確実に見たと思われる近場の獲物は全て殺害済みだ。最低限の隠蔽はできているだろう。
そもそも物理的な口封じに拘る必要もない。その気になれば大した情報魔法対策などできない脳筋ビルドのクロリスなど、
そんなこと気にするならはじめからこんな事をするなという話である。
「でもしょうがない。だって楽しいんだもの」
クロリスは馬鹿な事をしているという自覚はあるのの、やめる気のない自分に苦笑する。
いっそもっとプレイヤーの気配がしてくれていたらやめる気にもやったのだが、僅かににおう程度にしか感じない現状では中々自重する気になれなかった。
人の気配が近づいてくる。
それが誰だか分かっていたクロリスは、剣を構えることなく振り向いた。
そこにいたのはアデーレだった。亜麻色のショートヘアが特徴のやや幼さが残る美貌の少女は、クロリスが渡した教会の黒装束に身を包み、両手には彼女が元々装備していたというメイスとバックラーが握られている。
周囲の惨状を気にした風もなく、むしろ気分が高揚しているかのように表情には熱がある。そんなアデーレはクロリスの傍に辿り着くと、いつものように一礼した。
「お疲れ様です。クロリス様」
「ああ。……どうだ? 成長したような実感はあるか?」
「申し訳ありません。よくわかりません。ですがクロリス様の雄姿を目にしたことにより、今なら何でもできるような気がしています」
「そうか」
もはや慣れたものと、アデーレの頓珍漢な発言をクロリスはスルーする。
獣狩りはクロリスの趣味が多分に入っているものの、もう一つの側面があった。それはアデーレのレベリングだ。
この世界でもレベルのような概念はあるため、狩りをしていればアデーレのレベルも上がらないかと考えたのだ。パーティーも組めないし、経験値の平等分配や貢献度分配も選べない。それでも戦う者ほど強くなりやすいという経験則を聞き、経験値的なものはあるのだろうと確信した。
補助魔法をかけて貰ったり、MPを分けて貰ったりと貢献度を稼ぐような行動をしてもらい、しかし邪魔にならないようにその辺で待機してもらっていたのだ。
その程度の貢献では大した経験値は入らないだろうが、これで滅ぼした都市の数は3つだ。塵も積もれば山となる。経験値が入っていれば今頃は何レベルか上がっていてもいいように思えた。
まあ分かりやすいレベルアップの仕方をしないし、仕方がないのだろう。
不調や好調でレベルが下がったり上がったりするような感じはあるだろうし、長い目で見て平均を確認しないことには強くなったとは断言できないのだろう。
(狩りに参加させて直接モンスターを殺すという手もあるが……うろちょろされると邪魔だし、今の実験も中途半端になりかねない……。うん、却下で)
趣味の邪魔になる上に実験の妨げにもなりかねないなど、論外だった。それでも考慮の余地はある案ではある。
強めの風が吹き、遠くで火の粉が舞った。それを見てクロリスは悠長に思案に耽っている場合ではないと思考を打ち切った。
月光の聖剣をしまい、空の
「さて。戦利品を集めるぞ」
「はい。クロリス様」
ゲーム基準でいえば大した物品は手に入らないが、現実の感覚でいえば貴重なものが手に入る機会だ。逃す手はなかった。貴金属や宝石に芸術品など、リアルでは縁のないものだったそれらを大量に集めるのは、なんだが自分が富裕層にでもなったようで気分がよかった。
価値的には、クロリスが「ゴミだ」と見逃し、アデーレが回収する魔法の品々の方が高いらしいが、どうにも実感は沸かない。
大きな屋敷の廃墟など、目ぼしい物がありそうな場所しか探索していないが、それでも数が膨大だ。
全てが終わる頃には空が白み始めていた。
色々と手に入ってご満悦なクロリスが、そろそろ切り上げようとアデーレに声をかけた。
「知性があれば獣も人も変わらんな。格差があって、金持ちが財宝を貯め込むのは一緒だ」
「そうなのですか? 勉強になります」
「……」
アデーレの無垢な物言いに、そういえば箱入り娘みたいなものだったなとクロリスは思い出した。
隠れ里での生活とか想像もつかないが、やはり村社会で原始的な共産主義みたいな感じなんだろうか? 何のイメージかは知らないが、色んな意味でファンタジックな農村風景的なものがクロリスの頭に浮かんだ。
「よし。次いこうか。休まなくて平気か? アデーレ」
「はい。クロリス様のお与えくださった指輪のおかげでなんともありません」
「それは重畳」
リング・オブ・サステナンス。肉体的な疲労を無くす指輪である。
肉体的な疲労の概念が薄い種族のクロリスともかく、人間であるアデーレが徹夜で作業をこなしても顔色一つ悪くないのはそのお蔭だった。
クロリスは、これが現実でもあればなと一瞬思ったが、すぐになくてよかったと思い直した。仕事で全く疲れない上に睡眠時間を自由時間に充てられると思ったが、あの世界なら嬉々として24時間勤務させられるだろうからだ。
本人が平気そうでも、定期的に休みを取らせよう。
特につらかった日々を思い出しながら、クロリスは思った。
▼
ビーストマンの国は大混乱に陥っていた。
一夜にして町や村が破壊されるという異常事態が、もう十数日に渡って続いているのだ。
下手人は不明。逃げてきた者によると、青緑の光が迸ったかと思うと、見えざる神の剣が振るわれたかのように都市が両断されたという。
原因を探ろうにも襲撃を知って出動し、辿り着いたころにはもぬけの殻だ。襲撃が予想された大都市では厳戒態勢が敷かれていたが、そんなことは関係なしにいつも通り滅ぼされてしまった。大都市の保有する戦力を持ってすら情報の一つも持ち帰れないという時点で、情報に敏い者は理解した。対抗の術がないと。
その天災もと言える現象は、唯一の目撃情報である青緑の閃光からとって、
初めは東部にある農村や町から始まった災厄。
それは近隣の集落を順繰りに襲うようになった。
最初の方は何が何だかわからなかったが、逃げ出してくる者が増えるにつれ、情報は急速に拡散していく。
情報は錯誤しまくり元が何だったのか噂では分からなくなったが、それでも共通して伝わることがあった。
それは、逃げないと危険ということだ。
厄災の発生地点の近場にあった住民達は、家財道具を纏めると我先にと逃げ出した。
対岸の火事といった感覚だった、厄災の発生地点よりやや離れた場所の住民達も、次々にやって来ては更に遠くへと逃げようとする避難民や、避難民たちが持ってきた噂。そして徐々に近づいてくる厄災に、逃げようと考えない者は殆どいなかった。
あっという間に東部地方は過疎地域となり、それ以外の地方には大量の難民が流入した。許容量を大幅に上回る難民の数に、治安は加速度的に悪化する。
更に悪いことに独りでにゴーストタウンと化した場所を厄災は襲わず、避難民を追ってくるかのように財産が持ち出されていない都市を中心に襲うようになり始めた。
その事態は厄災は徐々にやってくる。ここに来るまでに誰かが何とかしれくれるだろう。そんな風に他人事に考えていた者たちに大きな衝撃を与える。
何処にいても安全ではないと知ってしまった者たちは、とにかく厄災から離れようと、東部地方から東部地方から遠ざかるように避難を開始した。
そしてビーストマンという種族は、人間と比べてとても精強だ。着の身着のまま逃げたとしても食料面以外ではなんとかなってしまうのだ。当然非常に健脚で、いわば自分自身が馬でもあるような状態である。徒歩であろうとその移動範囲は広く、人間のように逃げようにも逃げられないということがあまりないのだ。
そんなビーストマンの国で起きた、大規模な逃避行。
狂乱は、すぐそこだった。
ビーストマンの国の中央の首都。巨大にして荘厳な城の中で、緊急会議が行われていた。
集まった諸侯の面々が、口々に議論を戦わせていた。
「だから! どうにかして厄災を食い止めるべきだ! このままでは国が亡ぶぞ!」
「既に和戦両様の構えで事に当たった大都市もある! だがいずれも何の抵抗もなく滅びたのだぞ! 抵抗は無意味だ!」
「そうだ! この厄災は天災と同じ! 頭を低くして過ぎ去るのを待つしかない部類だ! 今は難民対策でも考えていた方が建設的だ!」
「そうだそうだ!」
厄災をどうにかしようと言っているのは主に東部の近くに所領がある諸侯たちで、厄災はどうしようもないと言っているのは比較的厄災の脅威が薄い地域の諸侯たちだった。
ビーストマンの国は広い。現時点で厄災に蹂躙されたのは国土の五分の二といったところで、中には領地を失ったような状態の者も多く、主戦派の発言力は小さかった。
それよりも難民をどうにかしてくれという諸侯が大半だった。このままでは厄災で滅びるよりも先に難民の海に溺れて死んでしまうと。
この場にいる者で情報は共有してある。故に厄災に対してはどうしようもないというのは共通見解だった。皆、精神の安定のためにあえて目を逸らしていた。そのうち厄災は消えると楽観する。そうでなければ絶望に支配されて何もできなくなってしまうから。
今まで会議の趨勢を見守っていた首長が、方向性を定めるべく口を開く。
「やはり、どこかしらに侵攻して生存圏を広げるしかないようだな」
「然り然り」
すぐさま追従する多数派の声があちこちで上がり、少数派を自覚した主戦派たちはぐぬぬと唸った。
「して、目標はどうする?」
「この状況で敵を増やすのはまずい。複数の国に喧嘩を売るのは避けた方がいいだろう」
「やはり西の人間どもの領域か?」
「そうだな、弱い上に我らの周辺国家との関係性は皆無だ。避けるべき要素がない」
「なるほど。理にかなっている。目標は西の人間領とする。異論はあるか?」
首長が決を採る。ざわめきの中、目配せし合う独特の雰囲気が醸し出される。そして主戦派で一番声が大きかった者、東部の大諸侯であるビーストマンが立ち上がった。
「異論という訳ではないが、言いたいことがある。難民を率い、侵攻するのは領地を失った我々が行う。所領が健在の者には火事場泥棒を狙うであろう諸外国へ睨みを利かせてもらいたい」
「……うむ、無難なところだ。大筋はそれでいいだろう。細かい話を詰めるとしよう」
ようは食い詰め者を国外に放りだそうという作戦である。
難民を主体とした軍隊で、食糧は完全な現地調達。装備も着の身着のままだが、人間が相手ならなんとかなるだろう。
今まで西の人間領と国境を接している諸侯がちょっかいを掛けていたお蔭で、その戦力は予想がつく。100万のビーストマンがなだれ込むだけでひとたまりもないだろうと。
そして厄災により所領を失った者が、征服した土地を新たな領地とする。
食糧も、右から左に送り出すくらいの余裕はある。統率面でも地元の名主である諸侯が旗頭となれば、自然と地元民の難民が集まって言うことを聞いてくれるんじゃないかという期待はある。少なくとも全く知らない集まりで、全く知らない者に率いられるかはましだろう。
その他の国境地帯も、現時点では東部を失っただけで各地の軍事力にいささかの衰えもない。様々な不安要素はあるが、悲嘆するほどではない。
建設的に進んでいく議論に、会議に出席している者たちは、何とかなるだろうという期待を得た。
「この国難に際し、各々が成すべきことを成してほしい。以上。緊急会議を終わる」
▼
竜王国王宮にある女王の執務室で、陶器の割れる音が響き渡った。
「……今、なんと言った?」
言い間違え、もしくは聞き間違いであってほしい。そんな思いがありありと浮かんだ表情で、動揺に指から滑り落ちて割れてしまったお気に入りのカップを気にも留めず、ドラウディロンは尋ねた。
ドラウディロンに驚天動地の報告を齎した宰相が言う。
「ビーストマンの国より50万を超える規模の侵攻を受けました。国境の砦は奮闘しているようですが、恐らく既に陥落していることかと」
「……冗談だろう?」
「残念ながら現実です、陛下」
答える宰相は達観していた。なんというか、「これはもう駄目だろう」と考えているのが誰の目から見ても明らかだった。
「……それにしたって50万はないだろう。本当は数万から十数万だったりしないか?」
「情報が錯誤しているのは否定しませんが……それはむしろ少なく見積もった数字です。100万を超えると報告してきた者がそれなりにいるほどですから」
「ひゃ、ひゃくまん……」
眩暈がしたように額に手を当ててドラウディロンは呆然と呟いた。
「一応聞くが……勝てると思うか?」
「逆に聞きますが、勝てるとお思いですか?」
「そうか……そうだよなあ」
はあ、と溜息をつくドラウディロン。まるで世を憂いているかのように憂鬱そうだ。
「全ての国に援助を頼もう。国民には避難勧告。まともに戦わずに兵力を保全。各国の協力を取り付けてから決戦に臨む。……勝っても負けても亡国だな。なんだってこんな大規模侵攻が突然……」
「想像ですが、ビーストマンの国で何らかの問題が発生したのかと。前線のビーストマンの大半がみすぼらしい装備という報告から察するに、大規模な食糧不足でも起きたのではないでしょうか」
「なるほど、食い詰め者を兵士に仕立て上げたわけか……それでも強い上に数も多いとなればお手上げだぞ」
「焦土作戦でも指示しますか?」
ビーストマンの食糧には人間も含まれる。つまりはそういうことだろう。
「……それをやったら怒り狂った民衆に殺されないか? やるなら常識の範囲内で……いや、そう言った指示を出した時点で命令が錯誤してとんでもないことが起きそうだ。やめよう」
「懸命な判断かと」
国家存亡の危機となれば、そういった非情な考えをする指揮官も中にはいるだろう。王家がそれに近い命令を出せば、現場の指揮官が敢えて命令を誤謬して暴走しかねないとドラウディロンは思った。
何より、逃げ延びることができないだろう人間が大半とはいえ、死ねと言われて死ぬ者はいない。過激な焦土戦術が成功するとは思えなかった。強行しようとも、失敗して民衆の王家への信頼が地に落ちるのが目に見えた。
ドラウディロンは己の小さな手を見つめて呟いた。
「……国民を犠牲に、か……」
「陛下?」
「始原の魔法だよ。100万の民を生贄とすれば文字通り一軍を吹き飛ばすような魔法も使えるだろう。……やるべきだと思うか?」
「それは……」
初めて耳にした竜王国女王たるドラウディロンの魔法の詳細。宰相は絶句したように言葉を詰まらせる。
「……規模が規模ですからな。侵攻軍は複数の方面軍に分かれておりますし、何度も使えば兵力を分散させるといった対策を取られるでしょう。国民すべてをすり潰してさえ、半減させるのが関の山なのでは?」
「だろうな」
「ですがないよりはマシでしょう。少なくとも交渉のカードにはなります。問題は信じてもらえるかということですが……」
「あー、法国は信じてくれると思うぞ。あそこは古い竜にも詳しいからな」
「そうですか」
ほっと息をつく宰相。内心ではどうあがいた所で竜王国は滅亡するだろうと思っていただけに安堵は大きい。上手くすれば国民の半分くらいは助かるだろうと。
「勝ち目はないと思っていましたが……それなら何とかなるかもしれませんね」
「勝っても負けても地獄だがな」
こんな状況にもかかわらず、いやこんな状況だからこそだろうか。二人して笑った。そしてすぐに表情を引き締める。
「では行きましょう、陛下。主だった者は既に招集しております」
「うむ」
まだまだあるんですが、目標であった5万字は超えたのでこれで終わりです
これ以上の黒歴史の放出は、作者の心が耐えられそうにないので……