袁公路様にお仕えして   作:キューブケーキ

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1.忠誠の誓い

1.

 馬蹄が地響きとなり聴こえてくる。体力を消耗し疲労していたが、振り返るまでも無く敵だと分かった。

 殺意と熱気を纏って死が押し寄せて来る。後方から土煙をあげて追撃してくる軍勢は『劉』の旗印を掲げている。生き方も何もかも間違っている小癪な劉備の手勢だ。

 敵の足は早い。このままでは追い付かれる。しかし我が主君を討たせる訳にはいかない。

 敵を振り切る事は出来ない。誰かが殿軍を努めるしか無い。

 俺は公路様に進言した。

「陛下、お側を離れる事をお許し下さい」

「何?」

「そして、ここは私にお任せください! 奸臣曹操の飼い犬である劉備ごとき小者は食い止めて見せましょう!」

 我が身は一振りの剣。己の身を盾にする事に何の躊躇いがあろうか。我が朋輩(ほうばい)である李豊(りほう)梁綱(りょうこう)も袁公路様に準じる覚悟をしていた。

 これまで過分なる芳志(ほうし)を賜り、お仕えさせて戴いて来たのだ。公路様に深謝していた。

「お前達……」

 袁公路様は俺達の為に涙を流された。ああ、これだけで我が忠誠は報われた。

「朕は先に参っておるぞ。お前達も必ず後を追ってくるのだぞ」

 主君の心優しさに自然と頭が下がる。

「陛下、どうかお達者で」

 そして俺は劉備軍に斬り込んだ。

 俺は公路様の禁衛の指揮使司を任された将だ。公路様を守る為なら何でもする。

 個人の武で戦況を変える事は出来る。あの西楚覇王の様に。だが俺はそこまで武を極めてはいない。それでも公路様にお仕えする将としての覚悟はあった。

 死への恐怖は何処かに置き忘れたかの様に感じない。

 忠義とは最期まで貫き、何を為すかに意義がある。

 人には限界がある。それでも一度、守ると決めたら死ぬまで守り抜く。矢を浴び、槍の穂先が身体にめり込んでもその事は変わらなかった。

 

~~~~~~~~~~

 

 俺は楽就(がくしゅう)、荊州南陽郡太守の袁公路様にお仕えする武官の一人だ。

「また、この夢か」

 俺には前世の記憶がある。曹操軍に追撃され、先手の劉備の兵に討たれた記憶だ。

 雑兵に討たれたのは屈辱的だがかなりの数を道連れにしやった。濃厚な血の臭いと斬って斬られた感触は今でも思い出す。

 やるだけやって、二度目の世界は、古き良き時代そのままでは無い。上司や同僚、友人が女に成っていた。

 皆の美貌は認めよう。だけど何だこりゃ、としか言いようがない。

 食後の昼寝をしていた俺は、目を覚ますべく顔を洗いに廊下に出た。

「楽就。何、難しい顔してるの?」

 そしてこの声の持ち主も頭痛の種だ。

「孫伯符殿」

 俺に話しかけてきたのは客将の孫策だ。桃色の長い髪と褐色の肌が特徴的で、優れた容姿は誰もが視線を奪われる。

 公路様は孫家を活用しており、政や軍事に関わる事の大半を投げている。

 地元有力者と折り合いを着ける大切な話も丸投げ。俺はそんな状況に危惧を抱いている。

 俺は彼女には、公に出来ない影の部分が存在する事を知っている。

 前と同じく孫家は袁公路様を裏切る積もりだ。何があるのだろう、ではなく明らかにその考えを隠す素振りさえ見せない。

 何か用事かと注目すると、桜色の唇が開かれた。

「天の御遣いって噂を知ってるかしら」

「ああ、例の占い師が広めてるってやつですか」

 朝廷の権威は失墜した。だから野盗、匪賊が暴れている。この戦乱を収めるのは天の御遣いだと言う話だ。

 怪しい噂を真に受けたり飛び付くのは朝廷への反逆とも言える。

「孫伯符殿がその様な与太話に耳を傾けられるとは思いもしませんでした」

 戦場で孫策の動きは獣と言える。戦いの申し子と言え、一般の兵士とは格の違いを見せていた。

 しかし、目の前で「なによ~!」と食ってかかる人物と同じとは思えない。

「だったら、楽就は興味無いの?」

 眉根を寄せる表情も美しいが、あざとくて腹立たしい。

「そんな事はありませんが」

 すると孫策は俺の腕に絡みついて来た。甘い香りに体が硬直する。

「な、何を!」

 袁家の武官と違い孫策は体の線を強調して露出の高い服装をしていた。その為、密着すると彼女が女であると強く意識させられてしまう。

「じゃ、今から一緒に探しに行こう!」

「はぁっ!?」

 引き摺られる様に俺は街の外に出た。

 城門では黄蓋殿も待っていた。用意されていた馬は二頭だけ。

「何じゃ、楽就も一緒か」

「そうよ。さ、乗って乗って」

 孫策は迷う事無く俺を後ろに乗せる。

「しっかり掴まってるのよ?」 

 やばい。密着すると反応してはいけない部分が反応しそうになる。

 煩悩退散、煩悩退散。

 我が主君、袁公路様を思い浮かべる。

 あの、すとーんとした子供の様な体型は、かつての公路様とは大違いだ。

 更には「蜂蜜水を持て」と贅沢に慣れきっている。我が敬愛する主君とは大違いだ。

 はっきり言ってお前の何処が袁公路様だと怒鳴ってやりたかった。いっそのこと、俺が殺してやった方が公路様の名誉を汚さ無くて済むのでは無いかと考えた事もある。

 だけど姿形は違っても我が主だ。

 少し小さかった頃に抱き上げた時の笑顔を忘れない。だから俺が忠誠の誓いを違える事はない。

「あら、何か光った?」

 そんな事を考えている内に、城下から離れたようだ。荒野が広がっている。

 孫策が続ける。

「楽就、今の見た?」

「え、いえ」

 その後、すぐに倒れてる少年を発見した。

 何らかの揉め事に巻き込まれでもしたのだろうか。賎民とは違う様だ。放置をするには気になる物があった。

 連れて帰ると侍女を従えた公路様と遭遇した。直接、拝謁し御言葉を賜る機会が多いとは言え、節度は守る。

「何じゃ、その者は」

「外で倒れていましたので拾って来ました」

 公路様はペタペタ触りだした。変な病気を持っていても困るので、後で手を洗って頂こう。

「ふむ、見たことも無い服装じゃな」

「そうね」

 少年は行き倒れの様にも見えたが呼吸は安定している。それに服も見た事の無い素材を使っているが、きらきらと光沢を出している所を見ると上質な物だと判断出来る。何処かの商家か貴族の生まれだろうか?

「もしや拐かされて来た者やも知れません。事情が分かるまでは保護しましょう」

 疑問は幾らでもあったが、少年が目覚めてから聞けば良い事だ。

 俺達は街に戻って行った。

 仕事の続きをするかと俺が自分の部屋に向かうと、廊下をドタドタと走る足音が聴こえてきた。

「楽就、妾は蜂蜜を所望するぞ!」

 長い金髪を振りながら駆けて来ると、透明感のある顔立ちの少女はそう言った。

 駄目だ、こいつ。蜂蜜の摂り過ぎで、頭まで溶けてるのではないかと疑ってしまう。

 しかし、欲しい物を欲しいと言え、己の道を進む。これが我が主君、袁公路様だった。

「良いか、妾の申した通りにするのじゃぞ」

「はぁ……」

 俺は公路様に連れられ厨房の入り口に立った。

「料理長を呼んでくれ」

 厨房は料理人の聖域であり素人が土足で踏み入れて良い場所では無い。公路様も以前、蜂蜜を盗み食いしようとしてお仕置きされたからか、今度は俺を巻き込んでくれた。

「これは楽就様、どうされました?」

 くいっと背後から公路様に服を引っ張られる。

 まったく、楽な方を選ばれるとはズル賢い御方だ。

「いや、腹が痛くてな。少し蜂蜜を分けてもらえぬかと」

「蜂蜜ですか?」

 料理長はまじまじと俺を見るが、俺の後ろに隠れている公路様に気付いた様だ。苦笑を浮かべながらもお大事に、と蜂蜜の入った小皿を分けてくれた。

「公路様、こう言う嘘はこれっきりにしてくださいね」

「うむ。御苦労であった」

 感謝の気持ちを表してか、俺にきゅっと抱きついて来ると、蜂蜜を受け取って離れて行った。本当に分かってるのか不安だ。

 そんな風に思っていると、女官が俺を呼びに来た。

「楽就様、お連れになった少年が目を覚ましました」

「うん、会おう」

 公路様に挨拶をして俺は行き倒れの所を救った少年の元に向かった。

 拾って来た少年は北郷一刀と名乗った。変わった名前だが家名もあり一応の礼儀を心得ている。それなりの教育を受けた者だろう。

 漢では無く日本と言う聞いた事も無い田舎からやって来たらしい。そのわりには言葉が通じる。漢の近隣だろうか?

「三國志だと! 袁術と言う事は袁紹の従弟か。後漢時代で反董卓を組む前、黄巾の乱って何時だった?」

 公路様を袁術と呼び捨てにしてるのはいただけない。おそらく目が覚めたら見知らぬ場所と言う急展開な出来事に混乱してるのだろう。ここは聞かなかった事にしてやろう。

「楽就さん、俺はどうしたら良いのでしょう?」

 北郷君がそう言って来た。

「そうですね。君の選択肢は、何処だか分からない国まで何とかして帰る事です。ああ、せっかく助けたので、旅費も用立ててあげましょう。もう一つは我が主君、袁公路様にお仕えする事です。少なく共、君が食べていくだけの職と給与、住む場所を提供しますよ」

 なぜだかこの少年には親切にしてやろうと言う気になった。

 おそらく賊に拐かされて記憶を失っているのだろう。そう判断出来た。

 しかし予想外の答えが返ってきた。

 北郷は自分が未来を知ってると告白した。

 彼の知る未来は俺の知る過去とたくさんの出来事が合致した。

「でも袁術……様や他の有名所が女性とは、俺の知ってる歴史とは違うんです」

 確信した。北郷は俺と同じ世界からやって来た。

「君はどれぐらい先の時代からやって来たんですか?」

 そして俺より先の時代だと言う事は衣装から予想出来た。

「えっと、だいたいですが1800年は未来です」

「1800年!?」

 これは予想以上だが、何れ北郷の知識が必要になる。その時は協力してくれる様に飼っておく事を考えた。

 二回目の公路様は前の公路様と外見は違う。

 しかし人物は同じだ。名門袁家の看板を背負い、本初様に対抗心を持たれている。

 歴史は努力によって変えられない。だが日々の生活は変えられる。

 だから俺は公路様に尋ねた。

「公路様は民の暮らしをご存知でしょうか? 民は税に苦しんでおります」

 公路様は何も知らんとおっしゃられた。

 実務面での政は張勲殿の息がかかった者に任せられている。御用取次役でもある張勲殿の公路様に対する忠誠心は疑うべくも無いが、何かを隠されている。袁家を衰えさせ公路様に仇なす事を許してるは理解出来なかった。

「楽就さん、お嬢様を悩ませるのは止めて下さい。何かおっしゃりたい事があるのなら後でお伺いします。これからお嬢様はお昼寝の時間ですので……」

 体よく追い払うつもりだろうが、俺は引き下がらない。

「申し訳ありません。ですが聞いていただきたい。貴女もお気付きでしょうが、このままでは災いが降りかかり公路様を危険に晒す事になります。お仕えする者として、それは看過出来ません。公路様が害される事があるならば、血を流す事を厭いません。私はその者達を排除するでしょう」

 公路様の未来を妨げる者は皆殺しにする。

 一方で、臣下は主の間違いを正す事も務め。これで駄目なら公路様はおしまいだ。罪の無い者を巻き込んで破滅する。

 俺が決して諦めなければ、間違いを正す事は出来る。歴史なんて知るものか。公路様の御為に俺達は存在する。

 

~~~~~~~~~~

 

 あの後、約束を取り付けて俺は課業終了の時刻を待った。

 夕食を済ませ身綺麗にすると張勲殿の部屋に伺った。

「楽就さん、お時間を取らせてしまって申し訳ありません」

「いえ、公路様の為なら時間は惜しくありません。それよりも先程の件は考えていただけましたか」

 すると張勲殿は俺に頭を下げた。

「お嬢様の為に協力していただけますか」

 俺は忠誠を誓っている。主君に殉じる覚悟は前から決意していた。だから公路様がアホだ馬鹿だと言われても見捨てる気は無い。最悪の場合は公路様の介錯をした上で殉死する覚悟は出来ていた。

「何があっても最後までお仕えすると決めています。当然ながら公路様を害する者は、先ず私を倒さねば公路様の元にたどり着けません」

 俺は武官だ。文官みたいに頭が切れる訳ではないが、打算を抜きにしてそう思っている。

 張勲殿は頷いた。

「私の今ある地位、権限は全てお嬢様の為にあると思っています。他の官吏、豪族は違う様です」

 張勲殿が言うには公路様が生き抜くには賢いと不味い。下手に賢ければ命を狙われる。だからこそ暗愚な装いで過ごさねば成らないと言う。

 善政は暗部を取り除く事で行われる。そして改革は痛みを伴う。既得権益を脅かされば役人も商人もそっぽを向く。最悪、やつらは領主の首を替えようと考える。

「しかし民の不満は溜まります。それに孫家の連中も公路様の寝首をかこうと狙っております。暗愚だからこそ倒しても問題無いと思われていますぞ」

「では孫策さん達を殺してしまいましょうか?」

 悪戯っぽい表情を浮かべて張勲殿はさらりと言われた。だから俺も答える。

「簡単に排除出来ればそうしています。醜聞も度を過ぎれば身を滅ぼす。だから張勲殿も手を出さないのではありませんか?」

 張勲殿は目を伏せずに呼吸音で笑った。

「そうですね」

「憂いを晴らすには手が要るでしょう?」

 その日、俺達は同志と成ったが、張勲殿の愚痴を延々と聞かされる事と成った。鬱憤が溜まっていたのだろう。それは俺も同じだ。

 ここで俺が欲に転ぶ相手なら彼女も簡単に抱かれただろう。真名だって許し、情で縛り、絆を作る手口だ。だが俺達は損得無しで公路様へ忠誠を誓っている。最後まで仕えようと言う心を互いに認め合っている。

 だから彼女も内心の一端を吐露したのだ。

 

 

2.

 俺は北郷の部屋にいた。

「『日本に帰る』方法は見つかりそうですか」

「いえ」

 北郷が言うには海を越えた島国と言う事だから、伝説の蓬莱辺りが彼の故郷なのかもしれない。

 そんなことを考えながら酒を勧める。

「いや、俺、酒は……」

 彼は断ろうとするが、こう言う時こそ飲むべきだ。

「飲んで酔う事も時には必要だよ。胸に溜め込むのは良くない」

 張勲殿と腹を割って話した俺は共に酒を飲む仲間に成った。誰かに話す事は問題の解決に成らなくても気持ちを楽にする。北郷にとって今必要な事だ。

 酒が入ると北郷は号泣して、ぼつぼつと語りだした。公路様の元で働きながら故郷に帰る方法を探す。妥当な選択肢を与えた積もりだが、何処から手を付けたら良いのか分からないと言う。

 心細さもあったのだろう。その内に泣きつかれて眠ってしまった。

 翌日、恥ずかしそうに挨拶する北郷を練兵場に連れていった。

「君の故郷に帰るまでの旅路がどれぐらい遠いのか分からない。だけど武を身に付けておけば損は無い」

 俺は北郷に最低限、武器を扱える様に基礎を教える事にした。彼が公路様の元で仕え続けるかは分からないが、生きる術は必要だ。

「よろしくお願いします」

 最低限の礼儀は心得ている様だ。

「好きな得物を取りなさい」

 剣、戟、槍、矛、弩、弓と言った標準的な武器が並んでいる。

 その後、北郷は細身の剣を取ると軽く素振りをした。何らかの流派で構えを習っていた様だ。

 これなら教えるのは楽そうだ。

 我等は公路様の生活を守る剣だと。公路様に忠実であれ、と。

 

~~~~~~~~~~

 

 体を動かせば悩みも忘れられる。

 武を身に付けて心を鍛えると同時に、ただ食って寝るのではなく自らの意思で稼ぐ手段を提供した。

「北郷さん、私はお嬢様の側仕えで大将軍の役職を頂く張勲と申します。楽就さんのお話ではお仕事を探しているとか」

 北郷には最低限の礼儀を教えておいたので、無礼に成らない程度の挨拶を返した。

 北郷は一応、文字を読み取る事は出来たが書く事は出来ない。それでは文官の仕事には成らない。だが兵として戦に出るには無理がある。人を斬る覚悟が無いからだ。

 無理に殺せと命じても逃げてしまうかも知れない。

 それならばと、張勲殿に相談して見たら、側仕えとして使うと言う答えが帰って来た。

「北郷さんには、お嬢様のお世話を手伝っていただきます。よろしいですか」

「はい」

 北郷は了承した。

「ではお嬢様に紹介するので着いて来て下さい」

 俺は公路様のお側に北郷を置くと言う張勲殿の判断を反対した。北郷に害意が無いとは言え、何があるかわからないからだ。

 しかし張勲殿は言った。

「北郷さんは、巷で噂に成っていた天の御遣いですよね」

 俺は天では無く、おそらく後世の者であると判断している。

「最初に見付けたのなら、孫策さんもその事に感づいているはずです。此方の手の内にあるのに、向こうに切り札を差し出す必要はありません」

 張勲殿にしてみれば怪しい身の上だが、手元に置いた方が監視するにも利用するにも良いのだろう。

「美羽様のお側には私が控えてますから大丈夫ですよ」

 廊下に出る前、張勲殿は俺に囁いた。

 北郷に視線を向けると気まずそうにそわそわしている。睦み合ってる様に見えたのだろう。

 公路様への忠義で結ばれた俺達は同志であり、魂の伴侶とも言えたが男女の関係ではない。北郷はまだ女を知らないだろうし、その辺りの機微が分からないのだろうな。

 

~~~~~~~~~~

 

 我が主、公路様はすましてると見た目こそ可愛らしいが、性格はわがままである。

 だからと言って、分別の分からぬほどでも無いが、要はまだ子供なのだ。

 側仕えの者から聞いた話では、河北袁家の本初様も強烈な性格の方らしい。彼方は彼方で苦労してるそうだ。

 北郷一刀と言う人物を紹介した所、公路様はあまり興味を記されなかった。

「妾は退屈なのじゃ。七乃、蜂蜜を差し出せば納得するほど妾は子供ではないぞ。じゃが、その蜂蜜は置いておけ」

 差し出しかけた蜂蜜を張勲殿が引き上げ様とすると、公路様はすかさず奪い取っていた。

「さすがお嬢様、言ってる事とやってる事が無茶苦茶ですね」

 うはは、と喜ぶ公路様ははっきり言えば頭が足りない。しかし人は慣れる。これが子供らしくて普通なのだと。それに将来がどんな大器に成長するのか家臣として楽しみだ。

 張勲殿と公路様は何処まで本気のやり取りか分からないが咳払いで注意を促す。

「北郷とやら。二人が推挙したんじゃ。そちを雇ってやろう。心優しい妾に感謝するんじゃぞ?」

 礼は蜂蜜でも良いぞ、と言われて北郷が唖然としていたのも仕方が無い。俺だってこんな公路様に慣れたくは無かった。

「北郷さん」

 いきなりこの方が一番偉い領主だと言われてもピンとしなかったのだろう。

「あ、有り難う……御座います?」

 張勲殿に促されて北郷も礼を言っていた。多少、敬語の使い方が気になったが、まぁ、良しとしておこう。

 公路様の為にも、どんな時でも最後の盾と成れる様に北郷を教育をするのはこれからだ。

 

 

 

3.

 城内の食堂に俺は居た。向かい合って座る相手は北郷だ。

「張勲さんが居ない時とか困るんですよ。少女マンガの定番では、勤勉な執事ってのが居るんですけど、『メイちゃんの執事』や『妖狐×僕SS』『黒執事』とかだと手足と成って何でもそつなくこなすんですが、俺は執事の学校とか通った事は無いですよ」

「君が何を言ってるのか、いまいち分からないが、公路様の御身を第一に考えて行動すれば間違いは無い」

「うーん……」

 そして北郷は何か思い当たる事があったらしい。

「公路様がさ、やたらと蜂蜜、蜂蜜って言うけど、あれって依存症じゃないですか」

「ああ、そうだね」

「やはり取りすぎはいけないと思うんですよ」

「ああ、そうだね」

 北郷の話に相槌を打ちながら俺は食事を進めていた。今日の食事は北郷の出身地で名物な『すいとん』と言う料理だ。汁を口に含む。鶏の出汁が香ばしく油っぽさが無い。この団子状の物がすいとんらしい。では早速、口に入れる。ふむ、変わった食感だ。淡白な味わいで後に尾を引かない。

「話、聞いてます?」

「勿論」

 疑いの目を向けてくるが、此方は仕事で忙しい。食べれる時に食べる。

「ここに勤めて一月、仕事にも慣れたみたいだね」

 どこの馬の骨ともしれない奴が名門袁家の公路様にお仕えする。これ以上の幸運があるだろうか。

 北郷は現状に感謝すべきだ。例え相手が子供であってもだ。

「それでいつ頃、出て行く予定何だ?」

 北郷は箸を見詰めてながら考え込む。まだ家路が見付かっていないのだろう。

「公路様は好きなだけ居てくれても構わないそうだよ」

 公路様は時おり、下々に慈愛を見せてくれる。今回も北郷の境遇に何かしら感じる事があったのだろう。

 その言葉に北郷は照れた様な笑いを浮かべた。

「本当に感謝しています。いつまでか、俺にも分からないけど、よろしくお願いします」

「ああ。闇雲に出て行くよりここで情報を集める方がきっと良いだろう」

 こうやって時々、立場を思い出させながら恩を売っていた。これも公路様の為だ。

 勿論、言った事も嘘ではない。はっきり言ってここを出ていけば、数日を経ずして賊に教われて野垂れ死にするだろう。ここに居る方が北郷の為でもある。

 しばらく付き合ってる内に北郷がどう言う人物か分かって来た。

 北郷は無自覚の女たらしである。北郷に熱い視線を向ける女性が幾人も居た。

 張勲殿は北郷が侍女や女官を口説き落としてる場面に出くわす事もあったそうだ。

「しかも、ご本人はその積もりが無いと言うから酷いじゃないですか」

 張勲殿からもそういった話を聞かされた。普段、寛容な彼女が言う事だから目に余る物があったのだろう。

「そうですね」

 甘い言葉を囁いていた訳でも無い。だがやつの無自覚が問題なのだ。

 女心をもてあそんだ積もりは無くても恨みを買えば厄介だ。城内で働く者は出地の定かな者で、行儀見習いとして名家からやって来た者も多い。それなりに影響力を持つ者の親族であれば、拗れれば問題となる。

「ですが北郷は真面目な性格です。遊びで手を出す間違いを犯さないでしょう」

 過去の言動からも北郷を信頼出来る人物だと思っている。

「ええ、それは分かりますよ。しかし誠実でも鈍感だと人を傷付けます。自分の思いを受け入れられない時に、素直に身を引ける者ばかりではありません。最終的に刺される事だってあるかもしれませんよー」

 張勲殿は北郷を心配しているのではない。公路様の側仕えである以上、北郷に向いた悪意が公路様を傷付ける事があるかもしれない。女を甘く見ると痛い目に遭う。そうなってからでは遅い。

「……北郷に注意しておきます」

 張勲殿の目を見ながら俺はそう答えた。

 公路様が傷つけられた場合、張勲殿は遠慮などしない。関係する全ての者を処刑するだろう。

 張勲殿と別れた俺は廊下を歩きながら思案する。

 女だけでは無い。同性から嫉妬と羨望の眼差しが向けられていた。

 俺は二度目の人生と成れば達観したのか、そこまで焦燥感も味合わずに済んでいる。

「北郷君、君は女性に対する対応を自重した方が良いよ」こう言ったとして、北郷には伝わらないだろう。

 これに関しては北郷も無自覚なのだから、治しようが無い。

 まさか会話をするな、無愛想にしろとは言えるはずもなく、婚期が近い女に近付くなと言う位か。

 男女の痴情のもつれで家中を乱し迷惑をかけるなとはっきり言えれば良いが、本人を前にすれば言葉に詰まる。

 こんな下らない事に悩まされるなんて、今でも死ぬ前に見る夢では無いかと思えてしまう。

 

~~~~~~~~~~

 

 人生の出会いが幸福な初恋で終わるか、不幸な失恋で終わるかは人次第だ。

 俺にとって前世での後悔は孫家をのさばらせた事だ。それは結果として公路様を滅ぼす敗因となった。

 公路様の許可さえあればあの様な者共をのさばらせはしなかった。

 だから今回は、最初から疑いの目を持って警戒していたが、やつらは巧妙に兵を蓄えている。

 と言う事は、いずれにしても蜂起する時に備えているに違いない。

 孫家の者に対して警戒の目を向ける事は抑止効果もあるだろうが、逆に相手に悟らせより巧妙な隠蔽工作が行われてしまうだろう。それでは監視の目が行き届かない。今は静観するしかなかった。

 孫家は公路様の力を削ごうとあれこれ画策している。時には露骨な発言もあった。

「袁術ちゃんが兵を上げれば袁紹ごとき妾腹の生まれは、本家筋である袁術ちゃんにきっと平伏するわ」

「そうじゃな! 妾の方が偉いからな!」

 うははは、と笑い声を上げる公路様に「もし先陣を賜りますれば、孫家一門、奮迅と働き袁紹の首級(みしるし)を討ち取って御覧に入れましょう」と周瑜殿は追従の言葉を述べていた。

 言葉を飾っても結局の所、孫家は袁家の内輪揉めを誘っている。

 公路様は「麗羽のやつに思い知らせてくれる」と乗り気だった。だが俺や張勲殿は孫策の口車に乗るほど幼く無い。

「そうですか、言いたい事は分かりました。孫策さんは本初様と戦いたいと言う事ですね。でもお嬢様、そんな事をしたら蜂蜜が食べれなくなりますよ?」

「なんじゃと!?」

 公路様は、それは嫌だと言う様に張勲殿の腕を掴んだ。

「戦になるとお金がかかります。長引けばそれだけの間に蜂蜜が食べられなくなります」

 すると公路様は一転して反対に回った。

「駄目じゃ、駄目じゃ!」

 張勲殿は孫策の誘いをちゃかしてその空気を絶ちきったが、孫策の傍らで周瑜殿は苛立たしげな視線を向けていた。

「本初様と戦うのはまだ早い。刃を交えるのは後でも出来る。公路様と本初様は話し合う余地がある間は対話の努力をしましょう」

 俺はそう言ってこの話を閉めた。

 解散して部屋を出ると孫策は絡んで来た。

「もう少しで袁術ちゃんも乗ってくれたのに、邪魔しなくても良いじゃない」

「いやいや、公路様をお守りする事が我が指命ですから」

 ぶうぶうと文句を言って来たが、俺は孫策の身内では無いから孫家に配慮してやる必要は無い。

 そんな事を思い浮かべていると、不意に柱の影に引きずり込まれた。

 顔を近付けてくる孫策。

「何を……」

「どうしたら助けてくれるの?」

 婉曲せず真っ直ぐに聞いてきた。孫策は笑みを浮かべているが瞳は真剣だった。

 それこそ抱かせろと言ったら今すぐ脱ぎそうな物を感じさせた。

 だが無理だ。

 善悪はそれを見る者の心の中にあると言うが、俺は孫策の本質を悪だと捉えている。

 孫策を倒し公路様を守れる英傑は我が陣営には居ない。それでも戦う時が来る。それに備えなくてはならない。そう考えていた。

 孫策とは守る物が違う。公路様の未来を守る俺とは並び立たない。

 将来の布石として北郷を公路様の盾にする。それが今の考えだ。

「助ける、助けないとか、そう言われても何か誤解がある様ですね」

 俺は孫策との会話を流す事にした。だけど本心をぶつけて来てくれた事に対して答えを少し与えてやる。

「ですが孫伯符殿。貴女が何を考えても公路様に仇為す事で無ければ我々が争う事はありますまい。私はこのまま何事も無く友好関係が続く事を願っています」

 これは警鐘だ。俺や張勲殿が孫策の動きに気付いている事、そして表立っては争う気が無いと言う事のな。

 それでも公路様に敵対するなら死ぬが良い。一族皆殺しにするまでだ。

 孫策は呼吸を吐き出した。疲れた様な笑みを浮かべた。

「そう……。そっか、全部分かってたんだ……」

 俺に返す言葉は無い。これで暴発するか大人しくするかは彼女の判断だ。

 庭に飼われた虎は猫と代わり無い。いつでも始末は出来る。始末しなかったのは惜しいからだ。

 だけど虎は庭の外の世界を求めていた。牙を剥いてくるなら始末するしか無い。

 孫家が力を付けて反乱を起こす前にだ。

 俺は孫策が帰った後、蜂起するのが目に見えていた。だから別れたらすぐに動員をかけようと考えた。

 しかし孫策の行動は予定外だった。彼女は膝を屈した。跪いたのだ。

「何の真似ですか」

「私はどうなっても良い。だけど皆は助けて」

 俺を油断させる罠か? このまま俺を口封じして奇襲に出る事も考えられた。

「それは孫家の独立を諦めると言う事ですか」

 苦悶の表情を浮かべながらも孫策は頷いた。

 転んだ子供には手を差し出すだろう。しかし獣相手にはどうだろうか? 慎重に成るのも当然だ。

 

 

4.

 敵は近くに置いて監視する。孫策は俺の手元で働かせる事にした。そして孫家の家督は妹の孫権に譲られた。これで孫家が弱体化したとは思わない。むしろ、孫策を取り戻すと言う目標で奮起するかもしれない。しかし手放す事は出来ない。誰かが獣を取り押さえる役を求められていたからだ。

 孫家以外にも考える事は幾らでもあった。

「投資信託だと?」

 北郷は天の知識で確定拠出年金や少額投資非課税制度を提案して来た。民から税以外に投資信託と言う形で金を預り、投資をして儲けを出して配当するやり方だ。

「まるで商人だな」

 北郷は不敵な笑みを浮かべた。

「袁家の強みは金と権力です。倉で眠らせるより、動かして利益を上げた方が良いと思いました」

 確かに税収は人口に比例して上下する。その金を増やせるなら公路様の為にも成る。

 張勲殿に話を通した所、何やら呟いた後、了承した。「悪くは無いと思います。商人にお金を貸し付けて、利息と元金を貰う事は今まで通りですが、その資金を民から集めると言うのが良いですね。仲介の斡旋で此方の腹は痛みません」

 それに、と彼女は続ける。

「何かしらの必要が生じれば、監督する袁家の指示で改定も出来ますしね」張勲殿は人の悪そうな笑みを浮かべていた。 

 領内の商家だけではない。都や南蛮も投資先となる。長期的な投資で、失敗も投資者の自己責任となる。

「同感です。租税特別処置だと言っても、配当所得に目が行くだけで約款や規程の内容まで確りと目を通す者は多くありません」

 商売に失敗して困るのは金を出した民だけだ。袁家は金を右から左に動かして手間賃を貰う。そして儲けに対しても税を取れる。損は無い。

「じゃあ、そう言う事で監督官を頼みましたよ」

 張勲殿は俺に振って来た。多少、文官の仕事をする事もあったが、商人に片足を突っ込む事に成るとは思わなかった。北郷にも手伝わせてやる。いや、あいつがやるべきだ。

 金の流れは袁家で管理する。袁家の敵対勢力に金が流れない様に、投資先は袁家で用意する。民は幾つかの選択肢から選ぶ形だ。勿論、投資者である民も良からぬ輩が入り込まない様に選別する。結論としては、袁家の益となる商家を成長させ袁家を生かす事に繋がる。

 俺の補佐を命じられた北郷は利用客となる基準を発言した。

「今回の投資信託を申し込めるのは、袁家の領内で暮らす民だけに限定します。宦官や他の有力者に投資されては損を出せません」

 それに五銖銭の代わりに契約の紙切れが有価証券として価値を表す。これまでの金の流れを変える良く出来た献策だ。

 取引を行うに当たって、希望者は金融資産の保有状況等を開示させた。金も無いのに取引は出来ない。あくまでも現物取引に限る。

「儲け話は事前に知らせる様に。基本的に袁家とその直臣で利益を分けます」

 張勲殿に説明していると北郷は慌てて割り込んできた。

「いや、それはインサイダー取引で駄目ですよ」

「何を言ってるのか分からんが、問題があるのか」

「そりゃ、法律で……ってまだ法整備もされてなかったか」

 何か考え込んでいる。問題が無いなら構わんだろう。

「それと、この『特設注意市場銘柄』『監理・整理銘柄』と言う情報は市場に流さなくて良い」

 情報は我らが掌握してこそ価値がある。

 

~~~~~~~~~~

 

「特定口座、ですか?」

「そうです。取引を行うには口座を開設して御入金して頂く必要があります」

 俺の目の前で部下達が儲け話に食いついてきた民に説明をしていた。

「御口座の開設と維持費はかかりません。取引があった場合にのみ手数料をいただきます」

 ただと言うのは良い。ただに釣られて口座を作り入金するが、それだけでは利益を生まない。商品を買って初めて利益を生み出す。

 手数料の他に税も取り立てる。袁家から見れば金の卵を生み出す商売だった。

「う~」

 俺の背後で呻き声をあげるのは孫策だ。この仕組みに頭を悩ませていた。

「設備投資に従業員への還元、決算期の経常利益から配当が出る? 経常増益率、何それ美味しいの? 経済建設の政策と言われても頭が付いていかないわ」

「無理ではありません。覚えろと言われたら覚えて下さい」

 袁家の領内では急進的な社会構造の改革が推進されている。これも公路様の為、袁家を守る為だ。

「だって実績から予想と言っても外れるかもしれないし日足で変化するのに実質的な推移何てわからないわ……」と言い訳を始める孫策を軽く睨むと黙らせた。

 孫策は偉大なる袁家を支えると言う気持ちが足らない。まだ名家の持つ力を理解していないので、家臣団の一員としての心構えを徹底させねばならない。

「孫家を率いて来た貴女は孫家に責任がありました。同じ様に公路様に忠誠を誓い、客将ではなく直参で働くなら相応の責任があります」

 無能と怠惰は許されない。

「貴女が生かされるのは孫家の伝があるからです」

 広域を統べるには地元の有力者による協力が必要だ。公路様に反旗を翻そうとしていた孫家は、それだけの影響力を持っている。つまり今回の商売で、緊密な連携が取れれば市場の統制も可能だ。

「世の中は金と権力が全てです」

 それが真理だ。

 市場の売買が行われる時間は役人の勤務時間と同じで、平日の前場と後場。週末に低めの価格で、週明けに購入を検討していても、入金を平日の前場に行って間に合わないと後場で値上がりしてる場合もある。買い時を逃すのも自己責任だ。

 

~~~~~~~~~~

 

 漢帝国の先行きは不透明感が増しているが、公路様の領内で経済は活性化し平均株価は上昇しており、出来高も増えている。

「良い感じに群がってきます。月足で見ても増え続け、気配値も買いが多いですね」

「まさしく。売数量が限られているので値段は釣り上げ可能です」

 俺が北郷を伴って張勲殿に第3四半期報告書を提出していると、公路様がやって来られた。

「七乃、一刀は何をしておるんじゃ。最近、忙しそうじゃが」

「新しいお仕事ですよ」

 蜂蜜を愛される公路様は、蜂蜜に関する知識は貪欲に吸収された。本を片っぱしから読まれると、次に関係部署の書類を読みあさり製造行程に的確な意見を出された。

 その過程で、文官の様に忙しく関係部署を渡り歩いて連絡調整をしている北郷の姿を見て疑問に思ったらしい。あいつは何をしておるんじゃ?──と。

「新しい仕事か。それは蜂蜜の壷、何杯分じゃ?」

「袁術様は権利収入ってご存知ですか」

 北郷の言葉に公路様はこてん、と頭を傾げる。

「なんじゃ、それは」

 北郷は参考資料として持ってきていた手書きの絵を見せてきた。

柏保路(ぱぼろぉ)布魯諾(ぶりゅの)のお話をしましょう」

 これは俺も初めて聞く話だ。注目を集めた北郷は語り出す。

 ある険しい谷の近くの村に柏保路と布魯諾と言う若者が暮らしていた。

 官位を奪われ都から追われた役人の息子である柏保路は頭が良く、兼業農家の息子である布魯諾は体が丈夫だった。二人はお互いを馬鹿にして憎しみあっていた。一方で、自分の生活をより良くしたいと考えていた。

 どうしたら国一番の成功者に成れるか考えている内に状況が変わった。戦だ。戦が始まると領主が言った。

『敵の首を多く取った者には褒美を与えるぞ』

 巨漢の布魯諾は豪腕で敵を次々と狩り取った。その間、柏保路は連弩を作っていた。

 やがて年老いた布魯諾は戦場で働けなくなったが、柏保路が連弩の特許で不労収入を得ている事を知った。

『柏保路を殺せば権利収入は俺の物だ!』

 布魯諾はかつての戦友を集めて柏保路の豪邸を襲撃した。その後、仲間を皆殺しにすると村を離れて権利収入で富を築き上げるのだった。

「──と言う事で権利収入は名義変更で譲渡する事が出来ます。」

「ええっ! そこ、殺しちゃうんですか」

 張勲殿は驚いていた。俺も反乱を扇動してる様で題材が悪いと思った。だが公路様は違った。

「なるほど、働かずに楽が出来ると言う事じゃな?」

「その通りです」

 今の話だと、力で奪ったと言う方向に注目するが、公路様は本質を見抜かれていた。

「目に見える物が真実だったりするんですね。さすがはお嬢様!」

 張勲殿は公路様の成長の一端を知り嬉しそうだった。

 公路様は甘やかされているが、袁家を背負う為、教育を施されて来た。阿呆では飾りも勤まらぬ。名家の血筋と帝王学で下地は出来ていた。

 公路様にとって蜂蜜は何物にも優先する。蜂蜜を基準に考えれば理解が早い御方だ。さすがは我が主君と言えるだろう。

 公路様は説明を受けて、新しい事に興味津々だった。遊びを見つけたのだ。

「妾もやってみるぞ!」

 公路様は宣言された。

「お嬢様もですか? お金の勉強に良いかもしれませんね」

「じゃろう?」

 張勲殿に反対する理由は無さそうだ。

 そこで海未(うっみぃ)証券に口座を開設する事と成った。

 商いの情報は、駅站制度による伝馬の早馬やその他の動物を利用する事で迅速に届けられる。

「公路様、銘柄と数量、単価を決められても売り気配、買い気配もよく見てください。中には釣り上げる為の者も居ます。初めは移動平均線を参考にすると良いでしょう」

「細かい事は気にしないのじゃ!」

 そう言うと公路様は手初めに、北郷の提案で広まりつつある寿司屋を102で100購入された。

「値上がりしたら売って蜂蜜を買うのじゃ!」ともう儲けた気でおられる。

「公路様、100程度では手数料負けしてしまいますが……」桁が少ない気がして声をかけたが、張勲殿に止められた。「これもお金の大切さを教える良い機会です」と言っていた。

「これと、これと、これも買うぞ」

 約定したのは単価85、100株の8,500。これに伝書犬を使った取引の手数料1,750と消費税140付いて、10,390。

 この他、単価102、単価99をそれぞれ100株を購入。

 3社合計で34,270となる。

 そして公路様は気付かれた。

「あれ、なんじゃ……手数料が高くないか?」

 微笑みを浮かべた張勲殿と、眉間にしわを寄せた公路様の表情が対照的だった。

 北郷は公路様に他の証券会社も薦めた。公路様には世の中の厳しさや不条理を教える良い機会かもしれない。

「証券会社の売りは各社ごとの手数料だけではなく、証券会社ごとの売りもあります。取り扱う商品です」

「ふむ、ならば何処を薦めるつもりじゃ?」

 北郷が提案したのは森象(もりぞう)証券で、自社株を買えば配当金が1株あたり25あった。

 森象の伝書猫を使った場合は100万以下の手数料が0.6210で、海未の様な使い方をすると税込1,944になるらしい。

 公路様はその辺りの説明は軽く聞き流していた。

「では森象証券の口座を作るが良い。源泉徴収? 税務はわからん。そちらやるが良い」

 このやり取りの間も価格は変動する。

 そんな公路様は時価に対して平均取得単価が高く、時価評価額は27,600だが評価損益は6,670の赤字と成っていた。

 

~~~~~~~~~~

 

 激動の乱世が近付いている。我ら、公路様にお仕えする家臣の使命は重い。

「ぴぎゃあああ!」

 すみきった青空に今日も公路様の叫び声が聴こえる。今日も損失を出したのだろう。

 だけど俺は指摘はしない。

 一度、張勲殿が皆に公路様の所有してる銘柄を買わせて価格を釣り上げたが、公路様は調子に乗られて損失を出した。

「うはは、さすがは妾じゃ。皆が買い求めるなら、これは素晴らしい株なのじゃろう!」

 仕出株だろうと売り時を逃せばゴミになる。公路様は失敗から学ぶのだ。これも君主として必要な事だ。

 北郷曰く、世の中にはアラサーと言う者がいる。婚期を逃しつつある女性を指す言葉だそうだ。これを女性の前で意味を言うのは自殺願望者だけだろう。しかし世の中には自ら死を望む者も居るらしい。

「ふぉおおおおい!」

 市中を巡察していると証券会社の前で叫んでる男が居た。何だ、あの危ない男はと思い部下を遣わせた。店の者から事情を聞くと戻って来て報告をする。

「あの者、少額の売買を繰り返して手数料の方が高くついたらしく、手数料負けをしたそうです。低位株で一発逆転を狙ったそうですが……」

 搾れる所からは搾る税務部資産税管理課の目があるとは言え、少しでも資産を増やしたい。それが世間の考え方だ。しかし投資は自己責任だ。

「可能な範囲で前向きに対応したいと思います」店の者はへりくだって受け答えしていたが、損失を補填する気はない。相場には魔物が居ると言うが、これは初めから我々が儲ける為の仕組みだ。地獄の蓋は開かれていた。

「愚かな奴だ。所詮はその程度の才覚だったと言う事だろう。手数料は基本だ。少額で買うぐらいなら纏めて買えよ。現物取引で保持という選択肢は無いのか?」

 公路様も手数料負けで評価損益合計は6,170の損失を出していた。しかし公路様は前向きな御方だった。買った直後は値下がりを前にへこんでいたが、ここ数日は統合型行楽地推進法案可決等で質屋の株価が上がり「おおう、評価額合計が上がっておるではないか!」と喜んでいた。

 さらに先日も森象で単価636の物を900購入されたが、前場は見る間に値崩れをして620にまで下がっていた。しかし後場から伝書猫の知らせで値上がりを見せると大喜びしていた。

「635か。うむ、この調子で行けば700も夢ではないぞ」

 前向きな公路様とあの者では器の違いを感じた。

 金に働いて貰うのが公路様の本来の立ち位置である。俺も最近は下がった曲線を見ていると買いだとわくわくして来る位だ。このまま公路様の笑顔が絶えぬ事を望む。

「ぴぎゃああああ」

 後場が始まると公路様はまた泣いていた。

 将来の戦は金を持つ者が勝つと分かる。

「移動平均線から離れているとは思ったが、626に下がっておるではないかあ! これで損失合計は4万を超えたぞ!」

 だが10下がって9000の損失を出している公路様の運が悪いのか、後から上がるのか俺には分からない。怖じ気づかずに投資を続けるのが不思議だ。

 ここまで株式が急速に普及したのは米市場の相場があったからだ。漢帝国の米は穀倉地帯から都に集められ、そこから相場の仲買人の取引で決定する。米は基準価格となり、これが物価にも影響した。

 

 

5.

蓮華(れんふぁ)が貴方と話をしたがっているわ」

「孫仲謀殿が?」

 仕事終わりに俺は孫策に連れられて孫家の屋敷に向かった。

 孫家にとって俺は公路様の重臣で排除したいはずだ。

 酒の席で無礼があったから殺したとか理由は幾らでも作れる。ま、それはそれで構わん。

「貴方を害そうなんて考えてないから」

「それならそれで構いません。(たばか)られるなら、それは私が浅はかだったと言うだけですから」

 のこのこ着いて行くのは相手の腹の内を確認する為だ。

 俺は俺の死を糧に公路様が生きられるなら構わないと思っている。最悪、張勲殿が孫家一門の粛清と言う形で仇を討ってくれるし無駄死にには成らない。

 孫権とは業務上、何度か顔を合わせる機会もあったが個人的に親しく会話した事は無かった。

「お久し振りです。こうやって顔を合わせるのは初めてですね」

「はい。今回は無理を言って申し訳ありません」

 料理や酒が用意されると人払いされた。余人を交えず三人で酒を酌み交わしながら、この国の発展や将来の有り様に話が行った。

 孫権は孫家だけではなく民の暮らしを第一と考えていた。それは公路様の下であっても民が幸せに暮らせるなら良しとする柔軟な考え方だった。

「公路様の為にも、国は永続性を考えて官吏の権益だけではなく、民の幸せを考えねばならない。その様に私や張勲殿は考えております」

 俺の言葉に孫権は頷いた。

「私は過ぎ去りし日々を取り戻すよりも、多くの人達が幸せに成って欲しい。本気でそう考えています」

 過ぎ去りし日々───孫堅の存命だった時代か。

 孫策は手酌で勝手に飲みながら俺達のやり取りを聞いていたが、孫権は姉を気にせずピンとした姿勢で続ける。

「袁家が善政で民を幸せにしようとするなら、応援し協力する事に異論はありません。ですが民の笑顔を奪う様ならば、従い続けるとは答えられません」

 孫家一門は孫権が抑え公路様に従う。その代償が民の幸せと言う願い。安くはないが利害は一致してる。

「はっきりとおっしゃる。その時は公路様に刃を向ける訳ですか」

 嘘は無いだろう。孫権個人は誠実さが感じられた。

「はい」

 好ましい人格者だ。自然と微笑みがこぼれた。

「良いでしょう。各々の幸せを一緒に作りましょう。当然、真面目にやらなければ、その時は遠慮なく処断しますよ」

 公路様の領民を幸せにする。袁家に金が流れ込む現在、市況は活性化しており笑顔を増やしている。

 孫権を信じる事にした。

 その後は歓談しながら飲み直しと成ったが……孫権は絡み酒な酒癖でかなりの量を飲んでいる。俺も酔い潰されそうだった。

「皆、勝手に期待して持ち上げて」

 俺の肩に頭を預けて吐露する孫権の言葉は興味深かった。

「うん」

 孫策は俺の腰に抱きついて寝ている。時おり悩ましい息を吐き出して来るが、くすぐったい。こいつをどうやって外して帰ろうか。

「それで袁術を倒せって言うけど」

「ほぉ……」

 自分から公然の秘密だった事実を暴露してくれた。

「良く成って行く暮らしを見てたら、それを壊すなんて出来ないって思ったの」

「正解だと思いますよ」

 孫権の空色な瞳を見つめながら答えた。その言葉を聞いて彼女は微笑んだ。

「えへへ……」

 時おり娼館で高級娼婦を抱いて性欲を発散させていたが、この状況は危険だった。

 腕に当たる孫権の胸の感触や、頬に受ける熱い吐息を感じていると、何か勘違いしそうだ。

 公路様の重臣である俺が孫家と仲良くし過ぎると要らぬ疑いを招く。

 酒宴を終えると、寝落ち半分の孫権に別れを告げて孫家の屋敷を出る事にしたが、黄蓋に呼び止められた。

「なんじゃ、泊まっていかんのか」

「それは色々と不味いでしょう。本日のお招き頂いたお礼は改めて行いたいと思います」

「女の誘いを袖にするとは不甲斐ないの」

 挑発する様に言って来たが、俺を見る目は優しかった。

 確かに、二人は十分魅力的だった。

「誘われてませんし、酔った女の弱味に漬け込む程、飢えてはいませんから」

 格好を着けたが、俺はそのまま娼館に向かった。

「あら、楽就様。今日は遅いお越しなのですね。ん……っ」

 馴染みの高級娼婦を呼び出すと、抱き締めて唇を貪った。そしてたっぷり欲求を吐き出して来た。

 

~~~~~~~~~~

 

 領内はもとより近隣で公路様の声望は高まっていた。結果、孫権は約定を履行していた。

 とは言っても酒を酌み交わしたからと油断はしない。蜜の罠は古くからある手口なので、邪険にしないまでも距離は適度に保つ。

 今日は北郷から重要な話があると訪問を受けていた。

「───曹魏、蜀漢、孫呉の三国鼎立(ていりつ)、その後は曹魏が天下の大半を制します。しかし後継者に恵まれず、司馬炎に禅譲し晋が建国され呉は滅びました」

「すると将来的な脅威は曹孟徳殿か」

 今まで俺は、北郷に未来知識を強いて訊ねはしなかった。自主的に協力させる事が大切で、他人に言われて思い出す事にも限界があるからだ。

「だと思います」

 北郷も公路様の家臣として意識が芽生えて来たらしい。

 こいつの知識と俺の記憶を照らし合わし、おかれた状況を考える。

「ふむ。先ずは黄巾賊に備える事だが、領内で公路様を信仰する民も多いし問題ないだろう」

「そうですね。問題は、次の反董卓連合の後ですが……」

「群雄割拠で台頭する諸侯を事前に潰すか、力を削ぐ方法を考えよう」

 単純に殺せば早いが、代わりに予想外の者が舞台に上がってくるかもしれない。

 だから排除は最後の手段だ。

「北郷君、そろそろ公路様がお昼寝から目覚める時間だ。茶菓子の準備をしなさい」

「……楽就さん、やっぱり甘やかしてますよ」

 公路様が女に生まれ変わってもこれまでの様にお仕えする。その気持ちに偽りは無いが、北郷の言葉に苦笑を浮かべるしか無かった。

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