1.
曹孟徳殿が麾下の兵と共に到着されたと言う事で、報告を受けた俺は挨拶に向かうべく手土産を用意した。
公路様も好まれる菓子だが、蜂蜜の香りを嗅いで、ふと思い出した。
『楽就よ、知っておるか? 桜の木の下には、女の子が眠ってるそうじゃ』
にこやかに教えて下さったが、疑問が浮かぶ。何処から訳の分からない話を仕入れて来たか。
『公路様、それは何処から御知りに成ったのですか?』
『うむ、北郷がそう申しておったぞ』
出兵前に、そんな会話を我が主と交わした。北郷が公路様に、妙な事を教えなければ良いが、公路様を見てるとどうにでも成ると思えてくるのが恐ろしい……。
大義よりも忠義、家臣としては主の在り方と周囲を心配するのも当然だ。張勲殿と違い前世を記憶する俺は、孫策と曹孟徳殿を重点的に警戒した。
そして俺は曹孟徳殿を評価している。
前世で我が主を追い込んだからだ。過小評価で失敗するより過大評価で警戒する方がましだ。
曹孟徳殿との戦いで公路様は、自らが世の乱れを治め民を救う為、
戦禍に民の暮らしを巻き込みたくない公路様は、時には身を引いたが、それは諸侯の目に敗北と移った。
潔い生き方をするには難しい情勢だった。
曹孟徳殿はあらゆる手を使い、公路様の力を削いで来た。そして敗者の絶望と嘆きの声を力に変える。
(公路様の生涯で最大の敵。今回はどう言う人物に成っておられるのだろう)
長社で合流するに当たって、俺は緊張しながらも会うのが楽しみであった。
将来の敵に成るかもしれない相手だ。情報は集めていたが世に出る前で、噂もそれほど広まっていなかった。だから容姿を含めて謎に包まれている。
「人払いでもしてるのか?」
「中常侍の
挨拶に行くと、遠巻きに警護の兵が配置された天幕に案内された。
「分かった」
天幕に入ると、朝廷からの使者として宦官がやって来ていた。勝ち戦が約束されていると言う事で、戦利品を巻き上げる為だ。
相手をさせられる妙齢の美女が二人と少女が一人居た。
(蒼い髪と黒髪の美女のどちらかが曹孟徳殿か?)
俺は挨拶をしながら観察したが、徐奉の行いは止まらずむしろ悪化していた。
「ぐふふ、もっと近くに寄れ」
徐奉は俺の存在を無視している。娼婦を相手にしてる訳でも無いのに、欲望のままに彼女達の胸や足に手を伸ばした。
徐奉の腕から逃れ様と抵抗してる少女は、華奢な身体で公路様と同じ金髪だった。美しい顔立ちで美貌を金髪が引き立てている。だが、まだ身体は幼い。
「あの、困ります」
臣下は主の為にも命や身体を張らねばならない時がある。だから彼女は我慢をしてるのだろう。
女性陣を侍らせ酌をさせる。それ位なら目を瞑ったが、羽目を外し過ぎだ。
「徐奉様」
俺は
「わしの機嫌を損ねると無冠の身に落ちる。それだけで済めば良いが、どんな不幸に遭うか……」
そう言うと、徐奉は少女の首筋に顔を寄せて舌を這わせた。
「んー、甘くて良い味だぞ」
顎を反らして少女は悲鳴をあげた。
「ひっ!」
北中郎将として
代わって董卓が賊軍に当たり、躍進する事に成ったのは運命の皮肉か。
何はともあれ、目の前で女が困っているのを見過ごすのは男では無い。
少女の下腹部に顔を沈ませる徐奉の後頭部を見た俺は、追加の料理を運んで来た給仕から皿を奪った。
「いい加減にしろよ」
殺してやろうと腹がたった。
「あがぁ!」
ばーんと
そして抜刀すると止めを刺してやった。
俺は床に膝をついて、驚愕の表情を浮かべていた少女に手を差し出して立ち上がらせた。
「幸いにして天幕の外には気付かれてない様ですが、後でこいつの従者も始末しないと不味いですね。身元が分からない様に、持ち物も全てを焼いてしまいましょう」
はっとしたのか、金髪の少女は他の二人に声をかけた。
「春蘭、秋蘭」
「はい、華琳様!」
俺に向かって会釈すると皆が証拠隠滅に協力した。
ここで色事に長けた男なら抱き締めて背中を撫でたりするのだろうが、俺はこう言う時に現実的な対応を優先してしまう。それに、ここは戦場で暴力に耐性のある者が居る場所だ。
「改めて名乗ります。袁公路様の臣、楽就です」
後始末を終えて一段落着いた。俺が自己紹介すると金髪の少女は名乗った。
「私は騎都尉の曹孟徳。助けられたわね」
驚いた。公路様の前に立ち塞がる強大な敵、曹孟徳殿がこの様な小柄な少女に成っていたとは。
~~~~~~~~~~
邪魔な宦官や朝廷からの監視役を始末した俺達は早速、
早々に攻撃を開始した官軍の姿勢は悪くないが、無策過ぎた。敵に投降の意志が無い以上、戦い方を考えるのは当然だろう。
「既に矛を交わしたが敵の防備は硬い。壕の存在を確認した。我々の反攻を予想されていたのだろう。今後の戦いを考えれば、これ以上、兵の損耗は避けたい」
皇甫嵩将軍の言葉に俺達は当然だと反応を返す。
「火攻めを行うのはどうかしら」
曹孟徳殿は俺の方を気にしながら策を進言した。初対面の印象が悪かったのだろうか? ま、計画を決めるのは皇甫嵩将軍だ。
(思っていた雰囲気と違うな)
金髪を左右に結った姿は幼い印象を増すが、不思議と似合っていた。そして
この時、彼女は覇道を進む大きな運命を背負ってる事に気付いていたのだろうか?
「良いんじゃないかな。官軍が賊軍に負ければ笑い者になる。それだけは絶対に駄目だ。きっちり片を付けてやれ」
漢の中心から離れていない
皇甫嵩将軍は行動計画を決定された。後は決められた計画に従い行動するだけだが、戦場で抜け駆けは許される。夜討ち朝駆けの効果は大きい。
(動くなら今夜か。曹孟徳殿は動かれる)
戦場には二種類の人間しか居ない。死体に成る敗者と生き残る勝者だ。
心に余裕の無い者は、死んだ者の魂の叫びに呼び込まれ敗者と成る。勝者は心に余裕を持って戦う。
強さに限界は無い。桃は一週間煮込んでも溶けない。その強靭さを見習いたい物だ。
自軍の陣に戻る途中、曹孟徳殿から話しかけられた。
「麗羽の所と仲が良いそうね」
本初様の真名を呼ばれて思い出した。前世でも御二人は若い頃からの御友人だった。
「公路様の血縁である以上、それなりに付き合いはありますが」
本初様との交友関係を失念していたが、本初様の線で情報を集めれば良かった。
「そう……。二人が手を組めば漢を動かせると思わない?」
何かを聞き出したいのか。与える情報は限定すべきだが、無用な警戒を呼び起こしても不味い。
「公路様と本初様の御二人が、漢でどの様な役割を果たされるかは時代が決める事でしょう」
身近な者には分かる話だが、部外者にはどちらとも言えない答えだ。
公路様と本初様が繋がりを深めれば恩恵を受ける者も多いが、敵対する者には脅威と成る。だからこそ不用意な発言は許されない。情報は制限してこそ価値がある。
「そうなの」
くすっと笑いこの場は引き下がってくれた。
張勲殿が以前、女の子は野獣ですよと発言していた。その言葉を肝に銘じて、自分の首を締めかねない発言はしていないと思う。
「曹騎都尉の陣を見張っておけ。我らも動きに合わせて攻めるぞ」
「はい、将軍!」
長社で戦いは終わりではない。戦場で役に立つのは己の武と采配だが、政争では肩書きが役に立つ。公路様の戦いはこれからも続くのだから、家臣である俺も手抜かりがあってはならない。
曹孟徳殿が武功をあげる機会を俺は奪う。
他者の機会を奪う事だが、引き換えに公路様は幸福を手に入れる。過去を変えるとはそう言う事だが、昔は昔。今は今なのだから。
2.
明日から戦闘に参加する準備の為と言う事にして、俺は兵を休ませ夜に備えた。
世の中、生き残るのは強い者だけ。十分な休養で戦に備える。幾人もの血と犠牲の上に勝利が築かれる訳だが、やはり犠牲は少ない方が良いからな。
誰でも心の拠り所は必要だ。領内の繁栄で今がある事を認識してか、公路様の民にも忠誠心は広まっている。
「公路様のお日様の様な笑顔がたまらんです!」
「ん、あぁ……」
兵に話を聞いてみたが、こいつらも忠誠心はあるようだ。心から敬愛してるなら問題は無い。
「将軍、連中が動き出しました」
監視させていた所、報告が入って来た。俺は見送りに行く事にした。
尖兵は夏侯元譲殿で、傍らに小柄な少女を伴っている。
「春蘭様、ボク頑張ります!」
結った桃色の髪を揺らせて元気に少女が宣言すると、夏侯元譲殿はそっと少女の肩に手を置いて言葉を返した。
「
人を殺すのは人の意志であるが、幼い子供に殺しを手伝わせる大人は罪深く汚れていると思う。常日頃、公路様と接している俺にはそう思えた。
俺達に気付いた夏侯元譲殿は共に後始末をした気安さからか、唇が微かにほころび会釈する。
「これからですか」
何をするかは聞くまでも無い。
「そうだ。先陣は譲らないぞ。破才の首は私が貰うからな!」
大人びた雰囲気は霧散して子供の様な対抗心を見せて来た。ああ、この
「良いですよ。その代わり、後詰めは任せて下さい」
「後詰めだと?」
目を丸くした夏侯元譲殿に対して、俺は表情を和ませた。
「公路様の手前、俺達も手柄を立てないといけませんので」
戦闘に参加した。その意味は大きい。
官軍としての実績だけではなく、先陣を譲り後詰めを務める事は曹孟徳殿への貸しに成る。
親兄弟は怖い。金の切れ目が縁の切れ目ではないが、無茶苦茶なのが戦国の世、乱世だ。
情の繋がりを過信してはいけない。それでも曹孟徳殿は貸しを忘れないと信じている。
喚声と共に攻撃を開始する友軍は、灼熱の炎と共に賊軍の陣地を襲った。
叶わない夢はある。絶対に、絶対に夢を叶えると思っても夢は夢だ。
成功とは現実的な目標で夢とは違う。火攻めは成功し、賊軍は包囲を解いた。
「追撃する」
長社周辺の掃討を終えた早朝、皇甫嵩将軍は戦果拡張をすべく追撃を下達された。
俺の仕事は何か。何故、此処に出て来ているか。武官として戦う為だ。
戦場での勝利とは、甘い甘い
勝利を味わい興奮が残る部下に集結の指示を出したが、間に合うとは思えない。
敗残兵狩りの締めは、孫策と張遼がやってくれるはずだ。やっぱり事前に兵を分けていて良かった。これで美味しい所を取れる。
~~~~~~~~~~
事前に配置した待ち伏せは成功し、破才の首は孫策に討ち取られた。斬首数千人、三万の賊徒を撃ち破った功績は大きいが、嫉妬は無い。
周囲の者を上手く動かしたのも、過去の記憶のお陰だ。
「お疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」
だが報告に来た孫策は不安そうな瞳をしていた。
「
真名を交換する位は仲良く成ったみたいだ。張遼を退席させて孫策が残った。
「どうかしましたか」
「孫家の名をあげる事に成ったけど、怒ってない?」
俺の顔をじっと見つめていた。
「はい? 公路様の害に成る訳では無いのでしょう。貴女を信用してますよ」
俺としては当たり前の事を言っただけだが、身体を震わせると孫策は、嬉しそうに飛びついて来た。
「うわっ!」
不思議な感覚だが、懐かれても俺は飼い主ではない。背中に回された手を
公路様の家臣として、馴れ合うよりもけじめをつけたいと考えている。
「前にも言いましたが、公路様に矛を向けない限りは孫家の存在を容認します」
こんなに強い女なのに、孫策は変な女だ。それが不思議だった。
「次の戦いも宜しくお願いしますよ」
目を見ない相手は、愛想以前に信用出来ない。
よく分からない相手でも、真っ直ぐ瞳を見つめて言う事が大切だと思う。
3.
各地を転戦してると義勇兵と言う名の民兵が集って来る。
公路様の下で暮らす民は当然だが、中には一旗揚げようと言う野心家も居た。
「兵糧と武具の提供、ですか」
申し出て来たのは、桃色の髪を持ち優しげな雰囲気をする少女だが、義勇兵の長で因縁深い相手、劉備玄徳────俺の生涯で、忘れもしない最期の敵だった。
「はぁ……帰りなさい」
税と予算について語るのも馬鹿らしい。もったいぶった態度を取らず、簡潔に俺は告げた。
「どうしてですか?」
笑みを見せていた劉備の表情が曇る。善意はいじらしいが、考えが浅はか過ぎる。
「民を救いたいと言う心意気は立派な物です。ですが貴女に何があるのです? 物乞いは必要ありません」
「そんな、私達は物乞いじゃありません!」
先程、自分の言った言葉を忘れたのか、いい加減にしろよと言いたい。
「連れて来た者達を解散させなさい」
「嫌です!」
礼を知らぬ者では無いだろう。ただ自分に正直で、真っ直ぐな生き方をしている。少し羨ましいと思った。
「楽将軍、
我慢出来なくなったのか、従者が口を挟んで来た。主が主なら、下に着く者も同じような気質らしい。
「先ずは名乗りなさい」
不機嫌になりそうな気持ちを落ち着けて促した。
「失礼しました。関雲長と申します」
こいつもか。劉備の義兄弟の関羽。この世界にも居た。
将来的な脅威と成る前に、今の内に劉備一党をここで始末しておくべきか。そんな考えが浮かんだ。
「ですが将軍、私達は世を憂い義によって
普段は優しくて良い人物なのかもしれない。だけど綺麗事にうんざりする。
「ならば官吏に成り漢と民の為に尽くす道もあります」
しかしそれを認める訳が無かった。
「それでは遅過ぎるのです!」
関羽の顔が真っ赤に成っているのは、頭に血が上り過ぎている為か。
こいつら……成り上がりだけに武一辺倒で頭も悪いのだろうか?
「……官軍が賊徒を征伐してしまい、貴女方が手柄を立てられないからですか。得物を振るうだけが仕事ではありません。平定した後、生活を立て直すのも大切な務めですよ」
劉備達を説得しようとは思わない。どうにかして俺達から物をせしめようと言う根性が許せなかった。
「私達は……桃香様は、どうしたら良いのですか?」
知るか。それより公路様の為にも死んでくれと思う。
~~~~~~~~~~
皇甫嵩将軍の主力は賊の数が多い
任されたのも、やはり破才を討ち取ったと言うのが大きいだろう。
俺としては、公路様の影響下にある汝南や本拠地である南陽から離れていない為に、支援を受けやすいと言う地理的な利点もあるから歓迎出来る提案だ。
俺達だけで陳国の賊徒を討伐するとなると人手が要る。でも無能は必要無い。
若いやつに気を使った訳では無いが、劉備の義勇兵は、本当に使えそうな者だけ孫策に選ばせ解散させた。
劉備、関羽は孫策に預けた。教育係として、と言うより監視役としての役割を俺は期待した。
「何で私が……」
孫策は劉備達の甘さに
「いかな貴女でも、あの者の相手は大変ですか」
告げられたのは短い言葉だが抗う心は分かる。
「他者の権力に
正しく得心した。
「あの子達も仲間にするの?」
劉備を優しくしたり、飼う積もりは無い。一時は公路様に従っていたが、公孫賛や陶謙、そして曹孟徳殿に寄り添う相手を変えた。日和見に長けていたとも言える。
「どうでしょう。まだ決めてません」
俺より張勲殿の方が広い視野を持っている。俺はその場しのぎの策を考えるだけだ。
陳国に入る前、孫策に命じて斥候に連れて行かせた。地元住民から情報を仕入れる上で、劉備の仁徳とやらが役立ってくれるなら好都合だ。
そんな風に送り出した俺は兵に夜営の準備を進めさせた。無理な強行軍で公路様の兵を損なうよりも敵情の確認をしてから進みたいからだ。
暫くすると、劉備と孫策は戻って来て天幕の中に入って来た。
「ああ、寒い寒い寒い」
劉備は幽州の生まれだと聞いていたが、意外に寒がりだ。
俺の差し出した茶碗を二人は受け取ると啜る。中身はただの湯だ。
「うわー暖かい」
「暖まるわ」
孫策の場合は薄着で肌の露出も多く自業自得だろう。
「報告をして下さい」
一息ついた所で俺は促した。
「私達が来る前にほとんどの賊は北に逃げ去ったらしいわ」
孫策の唇から出たのは、予想外の朗報だった。
「それは良かったです。残っているのは小者ばかりですか」
「一つは、
用心棒代を取りながら働かない。ヤクザか賊徒の手口だな。
「うん、でも劉備玄徳って言ったか?」
驚いた俺は、劉備に目を向ける。
「私じゃないよ」
それはそうだろう。そこまで頭が回るとも思えない。
「貴女は偽者が居るほど有名なのか?」
「そんな事は無いんだけど」
関羽を呼び出して話を聞けば、劉備は地元で
「桃香様の名を騙る不届き者です!」
こぼれる言葉に怒りが凝縮されていた。
ま、
予想からかけ離れた陳国での討伐だが、楽に済ませられそうだ。
偽者の方は始末をいつでも出来る。山賊団の討伐に協力させて様子を見ようと俺は考えた。
頑張って成果を出したら、対価として正当な報酬で報われる。
本来、そうあるのが社会だが偽劉備は違う。武装し集団で徒党を組む事で、民から搾取する側に回っている。
この乱に乗じて上手くやっていたが、漢が賊を放置する訳がない。勝った時の事を考えていたのだろうか?
「欲のド固まりってやつよね」
孫策が吐き捨てる様に言うと、劉備も怒りの声をあげた。
「許せないよ!」
それでも誰も死なせたくない。そう劉備は言っていたが、賊に哀れみをかけても一銭の得にも成らない。現実を見るべきだ。
俺は
「仕置きはきっちりする」
それを聞いた孫策の表情は、鼠をいたぶる猫の様に華やいでいた。劉備は唇を噛みしめ恨みがましく俺を見た。
いやいや、お前は民を救いたいのではないのか? 前の劉備は理想を抱きながらも現実を知っていた。だから
平静を
4.
昼でも暗い樹海の中に道が切り開かれていた。
俺は兵を率い村人に案内させて、偽劉備の砦を囲んだ。
やって来たのが賊軍ではなく官軍だ。偽劉備は直ぐに砦を開城すると俺達を迎え入れた。
「官軍の将軍様とお見受けします。お役目御苦労様です」
涼やかな声だ。偽劉備は見かけの上では好青年で受け答えも問題は無い。でも俺は騙されない。
「私は袁公路様の臣、楽就。官軍として陳国の賊徒征伐に当たっている。お前達を我が指揮下に入れる」
「はい将軍、異論はございません」
官軍の一員と言うだけで美味しい思いが出来ると思ってるのだろう。
だけど余裕を見せれるのも俺の指示を聞くまでだ。
「この地には、近隣の村を荒らす山賊団が出没すると言う。賊を誅するは官軍の務め。聞いた以上、賊を放置する事は出来ない。土地勘のあるお前達には、前衛の尖兵として討伐に参加して貰う」
前衛の尖兵とは、新参者にとっては手柄を立てると言うより武と忠を示す戦いだ。
思わず声を出しそうに成った連中を睨み付けて黙らせる。
「前衛本隊の指揮は孫伯符が取る。軍規を徹底し命に服せ」
孫策には、彼女の目から見て怠けたり、逃げようとして戦う意思を見せなければ斬り捨てて良いと伝えていた。
命令を下達された偽劉備は、穏やかに微笑むが目は笑っていない。
「官軍は我々を盾変わりにするだけで、手助けして頂けないのですか」
おう、小悪党にしては随分と挑発的じゃないか。
「安心しろ。前衛本隊、前衛の後衛、本隊と後に続いて、背中は見ててやる」
勿論、そう言う行軍序列の話では無いだろうが、構うものか。
俺の言葉で仮面が少し剥がれたのか、声を荒げた。
「私達に死ねと言うのですか!」
「大袈裟だな。今まで貧しい村から貰う物を貰って働かなかったつけを払う時だ」
連中はハッとして、硬直し息を呑んだ。
案内をさせた村人は、俺の処置に満足してにっこりと微笑んだ。他の村人達も喜んでくれるだろうか?
そんな事を考えながら、後は孫策に任せた。
~~~~~~~~~~
敵は稜線陣地を築いていた。尾根に向かい登って行く尖兵の姿が黒い点と成って見える。
観戦を決め込んでいると、孫策からの伝令が報告をする。
「前衛が賊と戦闘に入りました」
山賊の数は偽劉備の兵と拮抗しているらしく、頑強に抵抗を続けており、力攻めではきつい物があるだろう。
「うん。後退して来るなら矢を射かけて構わんと孫伯符殿に伝えろ」
「なんや、ウチに言ってくれたら、偽者の首なんて直ぐに取って来たるのに」
偽劉備の件は俺の裁量で処理して良い事柄だから、後で賈駆と張遼に伝えた。
「言わなくても分かるでしょう」
公路様と盟を結んだ董卓陣営の前で無様な姿を見せられない。賊同士に潰し合わせる苛烈な選択も俺の信念に従った決定だ。
「そうね」
唇を尖らす張遼と違い、じっと俺を凝視していた賈駆は、戦後を見ており董卓と公路様の関係も考えていた。
俺は公路様に何が出来るだろうか。
将としては目先の戦で公路様の兵を極力、損なわずに戦う事だろう。それが俺の仕事だ。
「……予想外だったのは、山賊の武を見誤った事ですが、前衛本隊が後始末をするでしょう」
「ええ」
頷きながら賈駆は、懐から出した紙張巻軸に報告を纏めていた。
「全然、分からんわ」
しかし張遼は首を傾げて呟き、それを聞き
「あんたは、もっと考えなさい」
その後、説教が本格化し延々と続いて張遼は逃げ出した。
5.
遠くで
だから蜂蜜水の飲み過ぎを注意していたのに。張勲殿は何をしてる。
そこではっとして目が覚めた。
ここが天幕の中で仮眠を取っていた事を思い出した。
泣き声をあげているのは賊徒だ。今でも外から命乞いの声が聞こえる。
生きて捕らえた賊徒は法に従い対処されるが、後悔してるのだろう。今さら遅い。この世の中に、人がこれだと言う正義は存在する。法と秩序だ。
殴る時はとことんやる。偽劉備は孫策が戦いの中で首を討ち取った。
首魁らしき男を討ち山賊団も壊滅させたが、戦いの中で一人の少女を保護した。
「何だ、この子供は」
腕を掴み連れて来た兵は、少女に
「それがですね」
男を
そんな事を言われたら罪人として処断するしかないのだが……。
「そうなのだ」
ばつの悪そうな顔もせず、本人も素直に認めた。
公路様と歳も離れていないだろう。
少女の前髪が乱れていたので、そっと撫でる。
「理由を聞かせてくれるか?」
「うん……」
血と汗と体臭の混ざった臭いを漂わせながら少女は名乗る。
優しさに飢えていた。幸せな暖かい家庭は無く、戦う事を求められる屈折した生活だった。戦う事が意味する所を理解していたのだろうか?
聞けば聞くほど憐れみを感じた。
善悪が分かり、分別を身に付けた大人と違う。まだ殺しによる快感の極みを追い求めてはいないだけ救いはあると思う。
さすがに真名を呼ぶわけにも行かず、名を尋ねると張飛だと判明した。
成る程、それなら武の力量にも納得が出来るが、劉備の義兄弟の片割れが賊をやっていた。
なんて馬鹿馬鹿しい出会いだろう。
賊であった少女──少々、面倒な事に成った。
だが、子供を放り出す気は無い。
張飛を孫策に預ける事も考えたが、劉備と接する機会もあるだろう。仮想敵の戦力を強化する必要は無い。
手元に置いて、帰ったら北郷と共に公路様の警護をやらせてみようか。
しかし俺は運命と言うか絆と言う物を甘く見ていた。
「楽将軍、良いですか」
後方で輸送業務を申し付けていた劉備が関羽を伴ってやって来た。
「あれ、その子は?」
再び俺が公路様に巡り会った様に、劉備と義兄弟も天命で結ばれていた。この場合は義姉妹に成るのか?
そんな事を考えていると、捕らえた賊だと俺の部下が答え、それを聞いた劉備はきゃあきゃあ喚き出した。
「こんな小さな子に酷い事をするんですか!」
「桃香様、桃香様。落ち着いて下さい」
関羽に引っ張られるが、興奮した劉備は聞く耳を持っていない。
「少し黙れ」
俺は劉備の両頬を掴んで引っ張った。
「この子供は保護する」
罪人に目こぼしをする。不味いと言う気持ちもあった。この世の中で絶対の正義である法と秩序を守る立場ならなおさらだ。
「えっ。本当に? そうなんですか。良かった」
頬を赤くしながら劉備は微笑んだ。
人は聞きたい話しか聞かない。劉備も良いように考えているのだろうが、今回はそれで良い。
~~~~~~~~~~
雲は切れ、澄み切った青空が広がっている。
陳国での掃討を終えた俺達は北に転進する。ここで劉備達とは別れる事にした。
「楽将軍、お世話になりました」
礼をする劉備と関羽。
「貴女達が理想を実現する事を私も応援してる。だから、確りと地に足を着ける上でも現実を見て来て欲しい」
俺は知己のあった
財力のある袁家と違い、向こうは人手不足だと聞いたからだ。そのまま戦場で倒れてくれても俺は構わない。
むしろその方が悩みの種が消えて清々する。
「お姉ちゃん達、元気でなのだ!」
張飛はブンブンと手を振って見送る。
劉備は張飛を取り込む事が出来なかった様だ。
あいつらを始末出来なかったが、欲張りはよくない。子供を一人、悪の道から救えただけでも良しとしよう。
「おっちゃん、これからどうするのだ?」
屈託のない笑顔で張飛は蛇矛を肩に担いでいた。
「交代の兵が到着したら、お前は南陽に送る」
勇敢な将として育てようとは思わない。子供は子供らしく笑い、健やかに育てば良い。
公路様の下では個人に残業や過剰な労働をさせない。その分、人を増やす。
兵も同様で、財力がある袁家だから出来る仕組みだった。
勝ち戦で士気は保たれている。人手も足りていた。だから無理をさせる事は無い。