触らば倒れる徒花が 作:衝撃の赤モップ
IS学園1年1組。入学式を終えての最初の授業。
生徒達に混じっても大した違和感も無いだろう副担任、山田真耶のワタワタとした進行に促されて生徒達は自己紹介をしていた。
出席番号1番の生徒が立ち上がり、名前に加えて何か一言二言。よくある普通の挨拶ではあるが、それらは女子生徒達の頭の中にはさほど残らなかった。自己紹介した本人も含めてである。
彼女等の関心はただ2点のみ。
現在世界にたった2人。そしてISの歴史上でも2人だけ。
クラスメイトとなった男性搭乗者2人にしか向けられていなかった。
相川某の次、出席番号2番。発見順でも2番目。数十億分の2。
細い体。細い手足。制服の上からでも分かるほど肉付きが薄く、一目瞭然に血色も悪い。
顔立ちこそそれなりに整ってはいたが、他者に第一印象として抱かせるのは「不健康」の三文字だけだった。
その男子生徒はゆらりと立ち上がって軽く息を吐くと、億劫そうに言葉を発した。
「飯田良明。以上です」
言い終えた瞬間、パァン!と軽快な音が、そして間をおかずガツンと何かがぶつかる音がと響いた。
名乗った男子生徒、良明の背後にはいつの間にか一人の人物が立ち、手には出席簿を持っている。
「自己紹介くらいまともにやれ」
叩くのに使った凶器と思しき出席簿からはゆらりと煙が立ち上り、目撃者達に威力を想起させる。
その人物は真耶と一言二言交わすと教室内を睥睨した。
「諸君、私が織斑千冬だ。君たち新人を一年で……」
語り始める担任教師の姿を認め、もう一人の、最初の男子である織斑一夏はその姉の姿に驚き、彷徨わせた視線の先に見つけた"それ"を確認し、戦慄した。
教室内では姉に憧れているのだろう女子生徒が鼓膜を激しく揺さぶる程の黄色い歓声を上げているが、一夏の耳には入らない。
「ち、千冬姉……」
いつの間にか立ち上がっていた一夏の頭に出席簿が振り下ろされた。
男子生徒が立っているためか、それとも呼びかけた「千冬姉」という呼称のせいか、あるいはその強烈な打撃音故か、教室内は静まり返る。
「織斑先生と呼べ」
このやり取りで千冬と一夏の関係は知れ渡っただろう。
だがそんな事にも構わず、一夏はまた、
「千冬、姉……」
と。
「織斑先生だ。数秒前に言われた事すらまともに実行できんのか」
もう一撃、と出席簿を振り上げ目標である頭頂部を見据えた所で、千冬は弟の様子に気付いた。
顔色は青ざめ、体は微かに震えている。
一点を見つめたその目に浮かぶのは恐怖という感情。
何事だ、とその視線を追うと、そこには――。
机として使われるコンソール、そこに倒れ伏す男子生徒。
顔を真下に向けているため表情はうかがえないが、その接地面からは滾々と赤黒い液体が流れ出していた。
震える手を挙げ指差しながら、一夏が言った。
「千冬姉が、ひとっ、人を、こ、殺した……!」
しばしの静寂の後、教室は幾重もの悲鳴に包まれた。
「では飯田。説明しろ」
午後の授業が始まって少し。あの後保健室へと搬送された良明と職員室へ連行された千冬が教室へ現れた。
悲鳴による歓迎をものともせず、教師は教卓へ、生徒は自分の席へとつく。その周囲は避けて逃げる生徒達によって円状に空白ができていた。
千冬の指示に従い、良明は
「死んでいません」
とあんまりな導入から話し始める。
織斑一夏という”可能性”が発見され、全世界規模、全男性を対象とした適性検査が行われた。
これは各国が足並みを揃えた訳ではなく、二匹目のドジョウを狙って最速で準備を整えたせいで結果的に揃ってしまった事態ではあるが。
その検査において唯一適性を示したのが飯田良明だった。
ともすれば90歳過ぎの老人や生まれたばかりの乳児が見出されるという事態もあり得たのだが、今年高校に進学するという歳の男の子が都合よく見つかったのは運が良かった。政府にとっては。
2人目など現れないだろう。そう考えていた係官達の目の前でISが反応を示した。
テンションを急上昇させた彼らが良明に駆け寄り肩を抱くと、ボコッという鈍い音がして腕がぶらりと垂れ下がった。背中を叩くと咳き込んで血を吐いた。頭を撫でると揺れによって脳震盪を起こして倒れた。
会場はパニックとなった。
そう。二人目の男性搭乗者はびっくりするほど体が弱かった。超がつくほどの虚弱だった。
転べば捻挫以上は当たり前、週に一度は体調を崩し、一定以上食べれば100%吐くか腹を下す虚弱体質だった。体質改善しようにも運動も食事も制限があり過ぎてどうにもならないほどの酷さである。
誰がどう見ても、少なくともIS搭乗者としては使い物になりそうもない良明ではあるが、それでも放っておく訳にもいかない。
とりあえず他国の影響をある程度排除できるIS学園に押しこもう。そして猶予を確保し、その期間内で何とか善後策を。
これが政府の方針となった。
「と、まあ、僕はそういう人間です。一応補足しますとこの首は頸椎捻挫、いわゆるムチ打ち。額と鼻は打撲で、血は鼻血という事にしておけ、と。気絶は……、どのタイミングか分からないな」
覇気の欠片もない淡々とした自己紹介に一夏は塊のような太い息を吐いた。
あの惨劇から数時間、目の前で実の姉が殺人者となってしまった事に、良心の呵責に今の今まで苛まれていた。授業内容など耳に入らず震えて席に着いたまま冷や汗と油汗をかきまくっていたのだった。
話しかけるクラスメイトもいないわけではなかったが、声が耳には届いても脳までは到達せずに霧散する。頭の中にあったのは、姉と、遺体と、目にも鮮やかな血の色だけ。
それが早とちりだと分かり、いやでもそれ普通に傷害罪じゃねえか? という事実から目を背けてようやく、文字通りに一息つけた。
一夏だけではなく他の生徒も、憧れの教師が、ブリュンヒルデの称号を持つ者ががお縄につかなくてもいい――かもしれない――事に胸を撫で下ろしていた。思春期である生徒達にとってはISも大事だが青春も大事なのだ。入学初日に担任が捕まるなんて冗談にもならない。
「そういう訳で、飯田の扱いには気を付けるように」
あくまで申し送りがなされていなかったせいではあるが、気を付けなかった本人が締めくくると、教室内はざわめいた。
気を付けるって、何をどうすれば?
女子生徒達には浮かれた気持ちなど既に無い。クラスに男子が、それも2人も、というある種の特権じみた状況なんかもうどうでもよかった。死(んだかもしれない)というインパクトが強すぎたのだ。
もう授業がどうとかISがなんだとか言っている場合ではない。
本人の弁によればちょっとした事で体を、それも物理的に壊すという事だ。もう腫物、もしくは爆弾以外の何者でもない。
一体何をどうすれば?
誰も何も言わなかったが、出た答えはほぼ共通していた。
なるべく触らないでおこう。
他人の体が弱いというのは、考えてみれば自分にはどうしようもない事である。
できる事といえば自分が加害者とならない努力くらいのもの。
つまり触れない。というか触れない。
それが最善、というより他の方法が見当たらなかった。
教室内が落ち着いたと見て取ったか、千冬が出席簿で教卓を叩き生徒達の視線を集めた。
「さて、予定が崩れてしまったが、再来週にはクラス対抗戦があるので早急にクラス代表を決めなければならない」
クラス代表とはその名の通りクラスを代表して協議に参加する役である。
IS学園に入学したとして、また卒業したとしても、全員が全員華々しく活躍すると約束されているわけではない。国家代表、代表候補制、その他一般という格の違いも存在するし、表舞台というものがあるならば必然的に裏方というものも存在する。
例えば情報収集と解析。例えば整備。例えば戦術構築。例えば訓練の相手。etc、etc。
たった一人の搭乗者を活躍させるために裏では膨大な数の人員が動くことになり、たった一人が脚光を浴びるとしても実体としてはチーム戦となる。
そのチーム戦を意識付けて体験させ実践させるのがこのクラス代表という制度だ。オマケとして学級委員長としても働く事になる。
本来であれば午前中に済ませておくべき話だったが、あれやこれやが発生したためにそこまで進められなかった事柄である。
自薦他薦は問わないと言われてようやく頭が動きだしたか、一人の生徒が
「織斑一夏くんがいいと思います」
と名前をあげた。
世界初の男性搭乗者として世界的な報道が行われたせいもあり一夏の知名度は圧倒的である。さらには数時間前にブリュンヒルデ織斑千冬の弟としての付加価値まで加えられた。発言者としては推薦しない理由がなかった。
更には面白半分に「飯田くんを」と言いかけた者もあったが被せるように千冬が「却下だ」と一言で切り捨てた。良明も一応報道されてはいるので知名度はある。が、これまでの事を考えるとそれはさすがに無謀というものだ。
他にはいないか、と呼びかける千冬の視界の中に手が挙がった。良明である。
視線で許可を出すと良明はゆらりと立ち上がり、ちょうどいい機会なので、と前置きして話し始めた。
「僕は学園の実技に関することは免除されています」
と。
そもそもの話であるが、適正が発覚してすぐに、脳震盪で失神して目覚めてすぐにだが、良明はISに関連する全てを断っていた。
自分の体の事は自分が一番よく分かってる。自分が搭乗したとしても体が耐え切れない事は分かっていたのだ。
しかし折角見つかった男性搭乗者を有効活用したい政府は、入学した場合のメリットを並べ立て、なんとか宥めすかして入学させようとした。
そこで彼は言い放ったのである。
「それなら僕の身柄を買い上げてください。300億円で」
適性検査の時期が時期だけに高校受験は終えていた。合格通知も届いていたし、本人としては将来設計もある程度できていた。
自分は体力が無い。なので体力を使う仕事はできない。幸い頭のめぐりは悪くない方だったので、大学へ進んでデスクワーク系の仕事に就ければ。そしてできるだけ高給を稼いで、今まで迷惑をかけてきた家族に恩返しや孝行ができればと。
それもこれも適正のせいで全てご破産である。
IS関連企業へという道も無いではないが、社会全体が女尊男卑である上に女性しか乗れないという特性上、この業界全体が圧倒的に女性優位である。そこに男が、しかも貧弱な奴が入り込んでも碌な目に合わないのは目に見えている。
そこで義明は考えた。自分という2人目が現れたのだから3人目4人目が出てくる可能性は大いにある。それどころか数百人単位という事もありえない話じゃない。そうなれば何十億分の2という希少性は失われるだろう。
ならば、高く売れるうちに売りぬいてしまおう。
父に100億、母に100億、姉に100億。
それだけあればバカな事をしてもそうそう使い切れないし、普通の生活をすれば何代か先まで金銭面での苦労はせずにいられるだろう。
その代わり自分は切り刻まれようが薬漬けにされようが一向に構わない。
条件を突き付けられた日本政府は戸惑った。
政府としては人間を実験動物のように扱うことはできない。企業なり組織なりが勝手にやってるのは別として、政府としてはだが。
そして人身売買も許容できない。あくまで政府としては。
正直なところ健康上の問題を理由として、実験対象として扱ってしまえ、という意見も出なかったわけではない。
その結果が飯田義明のIS学園への入学となった。つまりは棚上げである。
金にこだわっているようだと見た政府は、良明含め家族それぞれに補助金を出すという事でとりあえず納得させた。その際にやっても無駄だろう実技面での免除を条件に加えさせ、ようやく入学に同意したのだった。
もちろん本人は諦めたつもりはさらさら無い。隙あらばどこかに売り込むつもりであったが。
「という事で、僕は何もできませんし何もやりません。ここにいないものとして扱っていただけたら僕が楽です」
そう言い終えると良明は席に着き、緩々と頬や顎を擦り始めた。話し過ぎて顔の筋肉が疲れたのだった。