アブソリュート・デュオ 覇道神に目を付けられた兄妹   作:ザトラツェニェ

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今回は少し長めです。



第六十五話

 

side no

 

―――なぜ自分は先ほどまで殺意を持って戦っていた敵に守られているのか……。

そしてそんな敵に抱きしめられてなぜ自分は頬を赤く染めているのか……。

彼女は考えずにはいられなかった。

いや、実際前者の方の理由は大凡見当は付いている。彼は自分から色々と情報を聞きたいと言っていたし、彼の妹から必要以上に生命を殺さないでほしいと約束したらしいからそれらが理由である事は分かる。

しかし後者の方は自分の事とはいえ、全くもって理解不能だった。なぜ自分は大して好きでもない―――それどころかほんの数分前まで殺してやろうと思って襲い掛かっていた男に抱きしめられてドキドキしているのかと……。

まるで恋する乙女みたいだと内心思いながらも、彼女は考えていた。

 

 

 

 

 

「やあ、久しぶりだねクラフト三世。暫く会わない内に随分とたくましくなったじゃないか」

 

「……ああ、ここ最近違う世界に行って戦ったりと色々あったからな。本当、ここまで俺たちを強くしてくれた副首領閣下様には頭が下がるよ」

 

影月は目の前でニコニコと無邪気な笑みを浮かべ、鳥肌が立つ位の殺意を溢れ出させている白髪の少年に警戒を向けながら、皮肉めいた返事と共にスミレを少年から守るように優しく抱き締めた。

 

「あ……う……」

 

一方抱き締められたスミレの方はというと、頭から湯気が出るのではないかと思う位に顔を真っ赤にして俯いていた。全身に重度の火傷を負い、耐え難い激痛が全身を襲っている筈だがとてもそうとは思えない光景だ。

しかし抱き締めている当人である影月はそんな彼女の様子に気付かない。―――いや、気付いているのかもしれないが、それに意識を向ける余裕が無いのだ。

何しろ今、影月たちの目の前に居るのは黒円卓の中で最も人を多く殺めた殺人鬼である。さらにその少年が持つ能力も極めて対処が難しい。

そんな影月の警戒を無視して白髪の少年、シュライバーは困ったような笑みを浮かべる。

 

「ごめんね〜、クラフトが君たちに色々と迷惑掛けちゃってるみたいでさ。フジワラノモコウとそっちの君も迷惑掛かっちゃった感じかな?」

 

「……だな」

 

本来ならばこの世界と関わる事無く生きていく筈だった妹紅や萃香などの幻想郷の住人たち。しかしメルクリウスがありとあらゆる多元宇宙を複合させた事によって、彼女たちもまた美亜や香のようにこの世界の問題へと巻き込まれてしまった。

確かにそう考えれば彼女たちもメルクリウスの被害者と言えるだろう。

しかし―――

 

「おいおい、私たちは別に迷惑なんてしてないぞ?」

 

「そうそう。それどころか私たちはそのクラフト?って奴に内心感謝してる位さね。こんなに良い人たちと出会えたんだからさ」

 

幻想の存在である自分たちの事を受け入れてくれた―――たったそれだけの事だが、それでも彼女たちには十分だった。何しろ今のこの時代、彼女たちのような神秘を受け入れてくれる人たちはとても希少であり、彼女たちにとっては嬉しい事なのだから―――

 

「ふ〜ん……まあ、それならそれでいいや。それにしてもフジワラノモコウについては前から思ってたけど……そっちの君も普通の人間じゃないね」

 

そんな彼女たちを覗き込むようにしてシュライバーは言葉を紡ぐ。

 

「魂の質が明らかにそこらの人間と違って上質だ。それに昔、僕たちが見てきた神秘と少し似た感覚もあるね。もしかして君たちは妖怪とかその類かい?」

 

「へぇ……君、中々鋭いね。そうさ、私は鬼の伊吹萃香って言うんだ」

 

そう言いながら萃香は能力を解き、隠されていた二本の大きな角をシュライバーへ見せる。

するとシュライバーは純粋に驚いた反応をする。

 

「うわぁ!それが本物の鬼の角かい?すごいなぁ〜、触ってみてもいい?」

 

「構わないけど……優しくしてね?」

 

可愛らしく身を捩る仕草をした萃香はシュライバーの元へ近付こうとして、影月に待ったを掛けられる。

 

「待て萃香。―――お前まさか角触ってる間に一発殴り飛ばそうとか思ってないよな?」

 

「およ?何で分かったの?」

 

「やっぱりか……じゃあ先に言っとくが、あれに攻撃しようとしても全部避けられると思うぞ?」

 

そう言って、影月は目の前で屈託無く笑っている殺気の塊と称して差し支えない少年を指す。

彼の渇望は誰にも触れられたくないというものであり、それによって願い現れた能力は相手がどんな速度や行動をしようが必ず先に速く動く事が出来るというもの。

つまり相手がどれだけ速く動こうがそれを上回る速度を発揮して先手を取り、どんな攻撃でもそれを上回る速度で回避する絶対最速且つ絶対回避の能力。

そのルールの強制力はとても凄まじく、後手が先手を追い抜くという不条理まで引き起こす位だ。

 

「絶対回避ねぇ……道理で最初に戦った時も攻撃が当たらなかったわけだ」

 

「そういえば妹紅はシュライバーと戦ったって言ってたな……」

 

「あの時はもう少しで殺れると思ったんだけどねぇ……」

 

「いや〜、あの時はちょっとだけびっくりしたよ。形成してなきゃきっとやられてたね」

 

アハハ、と旧知の友人と話しているかのように笑うシュライバーと妹紅。

そんな少しばかり弛緩した空気がほんの僅かな時間、両者の間に流れたが―――ふと、ここで影月たちが何かを感じ取ったのか少しばかり眉を顰め、ある方向へと視線を向けた。

 

「―――これは」

 

影月たちが感じた感覚は―――恐ろしく強い殺意。しかもそれは目の前に居るシュライバーが発している殺意と非常に似ている感覚がした。

それは無論の事シュライバーも感じているのだろう。彼は無垢で無邪気な笑みを浮かべ、その殺意を感じる方向―――透流たちが居る倉庫の方へと視線を向ける。

 

「う〜ん、どうやらベイが目を付けた子が無事覚醒したみたいだね。いや〜、良かった良かった。ここで彼女が覚醒しなかったら、僕がここで君たちを足止めする意味も無くなってたし」

 

「足止め、だと……?」

 

そうだよ、と微笑して続けるシュライバー。

 

「ベイがど〜しても戦いたい子が居るって言ってさ。本当なら僕も混ぜてもらいたかったんだけど、絶対に邪魔するなってすごく言われちゃってね。だからたまにはベイの頼みを聞いてあげるついでに手助けしてあげようと思ったんだ。僕ら、仲間で仲良しだからねぇ」

 

「……その手助けが私たちの足止め?」

 

「うん。ベイは望んだ相手を必ず取り逃がすってクラフトから祝福さ(のろわ)れてるからさ」

 

だから今回位は邪魔をしないで、他の者たちの足止めに回る事にしたとシュライバーは言う。この少年にしては中々珍しい行動だが、足止めされる側の影月たちにとってはたまったものじゃない。

 

「つまり優月たちと合流したいなら、お前を倒すなり何なりしないとならないわけか」

 

「そういう事。まあ、僕を倒すなんて無理だろうけどね」

 

そう言いながら笑うシュライバーは一見無防備で慢心しているように見えるが、決してそんな事は無い。

彼が放つ殺意は今だ薄まる事無く、それどころか影月が倒すと言った辺りから段々と濃くなってきている。

それは紛れも無く臨戦態勢のそれであり―――

 

「君たちも引く気は無いでしょ?なら始めよっか?」

 

「はっ―――上等!」

 

そして萃香の嬉々とした言葉が引き金となり、妹紅と萃香が同時に駆け出した。

 

「月光!メタルギアRAY!」

 

『ーーーーーーーーーっ!!!』

 

一方の影月はその場で複数の《焔牙(ブレイズ)》を瞬時に形成し、十五体の月光と三体のRAYを召喚する。

スミレを抱きかかえているせいで接近戦が出来ない彼は前衛を妹紅と萃香に任せて、後方支援に徹する事にしたのだ。

呼び出された月光は機銃やブローニングM2重機関銃、対空ミサイル、対戦車ミサイルなどの持てる武装全てをシュライバーへ向けて放ち、RAYは機銃、対艦・対戦車ミサイルを放つ。

その物量に物を言わせた攻撃の密度は凄まじく、もはや絨毯爆撃と称しても差し支えない。機銃がアスファルトや近くの倉庫の壁を容赦無く穿ち、ミサイルが着弾する度に様々な物が粉砕する。

かつて半世紀以上前の時代では戦車よりも多く実働し、多くの兵士たちを恐怖に陥れた月光に、開発当初は空母の戦略価値が下がるとまで言われた索敵能力と圧倒的火力の武装を持つRAY。そんな兵器たちが生み出す光景はまさに戦場の地獄とでも言えるようなものだった。

並大抵の者ならば躱す事も出来ずに吹き飛ばされるだろう光景を見てスミレは恐怖を抱く。これ程の攻撃、いくら頑丈な皮膚鎧を持つ《獣魔(ヴィルゾア)》であろうとただでは済まない。もしこれ程の攻撃を自分に向けて行われていたら……そう考えたスミレは身を震わせる。

そしてスミレが身を震わせた理由はもう一つあった。

 

「あははははは!無駄無駄無駄ァッーーー」

 

それはこれ程の攻撃を前にしてもシュライバーはその悉くを躱している事だ。機銃やミサイルに掠る事はもちろん無く、爆発やそれで発生した火の粉すらも余裕の笑みを浮かべながら、体操選手も真っ青になる程の動きで踊るように躱す。そんな魔性の技術を見せるシュライバーに―――

 

「相変わらず速いねぇ、君は」

 

吹き荒れる鉄風雷火の中をその身一つで突破してきた妹紅が右手に纏った炎の爪で攻撃する。

 

「よっ―――と、それっ!」

 

しかしそれすらも躱し、妹紅の背後へ回り込んだシュライバーは飛んできたRAYのミサイルを掴み、妹紅へ直接投げ付けた。

 

「うわっ!!」

 

爆発を至近距離で受けた妹紅は大きく吹き飛ばされ、シュライバーは即座に後ろに急加速して爆発を躱す。

その躱した先には萃香がスペルカードを手に待ち構えていた。

 

「萃符『戸隠山投げ』」

 

どこから取り出したのか、自分の背丈以上の大きさを持つ大岩を萃香は片手で持ち上げ、シュライバーへと投げ付ける。

だが当然ながら、シュライバーにそんな大振りの攻撃は当たらない。彼は事も無さげに全身のバネと筋肉をしならせ、空中を二段に跳躍して大岩を飛び越えた。そして大岩を蹴り、ほぼ神速とも言える速度で空から影月とスミレへと襲い掛かる。

スミレを抱えている今の影月は先も言った通り、自由に戦う事が出来ない。行動が制限されている上にスミレは負傷している為、無茶な回避を繰り出せば彼女に相当の負担が掛かり、最悪死んでしまうかもしれない。

それをどうしてもよしとしない影月は―――

 

「REX!!」

 

発達した犬歯で食らいつかんとするシュライバーに《槍》を向け、兵器の名を叫ぶ。

 

「―――ッ」

 

影月の《槍》の中からまるで頭突きをするかのように飛び出してきたREXを見てシュライバーは身を翻し、猛スピードで飛び去る。

 

『いらっしゃ〜い!』

 

「―――ッ!!」

 

だが、飛び去った先では二頭身位にデフォルメされた大量の萃香が笑みを浮かべながら進行方向を塞いでいた。そしてさらに上下左右四方八方、あらゆる角度から大量のデフォルメ萃香がシュライバーを取り囲んで襲い掛かる。

驚異のスピードで進んでいたシュライバーにこれを躱す術は無い。通り抜けられる隙間も無く、急停止をした所で結局囲まれて攻撃を受けるだろう。

 

―――が。

 

 

「――――――」

 

殺意と狂気に満ちたシュライバーの隻眼が萃香の視線とぶつかり、彼の口許がゆっくりと釣り上がる。その時浮かべた笑みは紛れも無い嘲笑で―――

 

 

Yetzirah(形成)―」

 

 

その瞬間、本能的に何かを感じ取った萃香たちは拳を振るおうとして―――

 

 

Lyngvi Vanargand(暴嵐纏う破壊獣)

 

 

突然巻き起こった大音響の爆発と殺意の衝撃波が、萃香たちを吹き飛ばして土埃を舞い上げる。

 

「ぐっ……!い、今のは……!?」

 

吹き飛ばされて地面に転がったデフォルメ萃香たちがポンと煙のように消え、元の童女サイズに戻った萃香は立ち上がりながら困惑した表情を浮かべる。

 

「……またか」

 

一方妹紅は立ち込める土煙の向こうを見て険しい表情を浮かべ、影月もまた無言で同じような表情をしていた。

 

「ふふ、ふふふふふふ……」

 

「―――ッ!」

 

土煙の向こう側……聞こえてくる忍び笑いにスミレが身を大きく震わせる。

数多の戦場を駆け抜け、ありとあらゆる悪意を詰め込んだような笑い声。そして鼻腔を抉り抜くような、吐き気どころか骨まで腐り落ちそうな血の匂い。

魔獣の咆哮めいたエグゾーストが響き渡る。もはや誰にも想像出来ないレベルの血を啜った殺戮兵器が夜と土煙を切り裂き、その光芒(ヘッドライト)で影月たちを照らす。

 

「さぁて、これを出すのは二回目かな?いや〜、中々いい連携だったし、まさか君が分身を生み出せるなんて思いもしなかったよ」

 

現れたのはドイツで作られた軍用バイク、Zündapp KS750(ツェンダップ)

現存する数多のモンスターマシンと比べれば小型と言える設計だが、禍々しいフォルムと重苦しい排気音は魔性のものを感じさせ、明らかに競争(レース)などで使われる玩具とは一線を画している。

そんな戦車や戦闘機などと同じく戦争の為に生み出され、多くの犠牲者の血と怨嗟に彩られた聖遺物を目の当たりにし、妹紅は顔を顰め、萃香は武者震いしながら笑みを浮かべる。

 

「バイクか……確か命蓮寺の坊主も少し前の異変の時に似たようなのに乗ってたねぇ……こんなにヤバそうなものじゃなかったけど」

 

「やれやれ……ここまで強くて物騒な奴が居るなんて……やっぱりこの世界に来て正解だったよ」

 

そんな二人の感想を尻目に辺りの空気が変わる。

もはや遊びは一切無い。そしてシュライバーは何かを思い出したかのように視線を妹紅へ向ける。

 

「そういえば、前に君と戦った時は僕の本気を見せてあげられなかったね」

 

「―――ああ、そういえばそうだったねぇ。今日はどうだい?私たちにその本気とやらを見せれそうか、少年?」

 

「もちろん、たっぷり御馳走してあげるよ」

 

二度と忘れられない程苛烈に。

その全身の細胞一つ一つに刻み込んでやろうとシュライバーは答える。

それを聞き、妹紅と萃香は狂喜に満ちた顔で、一方の影月は険しい表情で構えを取って静かに紡ぐ。

 

 

Briah(創造)―」

 

 

Wahrscheinlichkeit(確率操りし) Manipulieren Moribito(守り人)

 

 

創造位階となり、辺りの世界法則が影月の望む法則へと塗り変わる。そして―――

 

「さあ、始めようかァッ!!」

 

その言葉と共に鋼鉄の獣が咆哮を上げ、流星と化したシュライバーが目にも映らぬ速さで駆け抜け始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方その頃―――

 

「っ、……ぅぐォォオオッ!」

 

倉庫で繰り広げられている戦闘は、まさに壮絶とも言える様相を展開していた。

 

「ギィ、ッ……クハッ……ハハハハッ!!」

 

絶叫と共に、凄まじい威力の斬撃がヴィルヘルムの右腕を切断する。その痛みを感じ、湧き上がる歓喜の念にヴィルヘルムは笑いながら酔い痴れていた。

交差の瞬間放ったのは杭の弾幕。決して常人の目で追えない速度で放たれたそれは、物陰から身を出して《(ライフル)》を構えていたリーリスに襲い掛かる。

 

「っ!リーリス!」

 

「大丈夫よ!」

 

その光景に透流が叫ぶも、リーリスは《銃》で自分に向かってくる杭を全て撃ち落とし、素早く物陰に身を隠す。

 

「ふぅ……」

 

「大丈夫か、リーリス?」

 

肝を冷やしたかのように息を吐くリーリスの隣に透流がやってきて問うと、彼女は苦笑いを浮かべる。

 

「ええ、なんとかね……」

 

「よっと―――無事かい?お二人さん」

 

そこへ先ほどまでヴィルヘルムへ攻撃をしていた司狼が地面を転がって二人の元へとやってくる。

 

「見ての通り、今はまだ辛うじて無事よ。……それにしても……」

 

リーリスは物陰から少しだけ顔を出してヴィルヘルムの様子を伺う。

瞬間―――

 

「――――――づォッ」

 

ヴィルヘルムの左肩から突然見えない何かに斬られたかのように血が吹き出した。それを受けたヴィルヘルムはリーリスたちとは別方向に再び弾幕を放つが、杭は空気を引き裂くだけで目標には命中せず、倉庫の壁や床に突き刺さる。

 

「……こんな高速戦闘、私たちには付いていけないわね……」

 

「ああ……正直、ヴィルヘルムの流れ杭と衝撃波を避けるだけで精一杯だ」

 

「そうだよなぁ……危なっかしくてここまで来たら俺も参戦出来ねーわ」

 

そう呟く彼らの背後では凄まじい轟音が絶え間無く響き渡り、頑丈な物陰に隠れていないと体がバラバラになってしまいそうな衝撃波が吹き荒れていた。

もはや音速など軽く超えている戦闘に透流、リーリス、司狼は早くも蚊帳の外状態になっていた。一応三人の名誉の為に言っておくが、透流もリーリスも司狼も常人に視認出来ない位の速さで戦闘を行う事は出来る。

しかし今この場で繰り広げられている戦闘は、本気を出してようやく音速に届く程度のスピードしか出せない三人には全く参戦出来ない程に速過ぎるのだ。

 

「ぐぅッ……!クハハッ……いいぜぇ……もっと楽しませろよ、なぁ!!」

 

この場に乱入してきたヴィルヘルムはその身を削られているが、即座に再生して攻性行動を行っている。彼の速度は後述の二人には及ばず一番遅いものの、何かしらのきっかけさえあれば並ぶ事が出来るかもしれないと思える程の速度だ。

 

「――――――」

 

そしてこの戦闘で二番目の速さを誇る優月もまた、雷速の速さとなって縦横無尽に飛び回りながらヴィルヘルムを容赦無く斬りつけていた。

しかしそんな二人より一歩以上抜きん出た速さで駆け抜けるのは―――

 

「アアァァァアアアァッッ!!」

 

返り血で染まった《双剣(ダブル)》という牙を持ち、神速を体現している銀狼―――ユリエ。

今の彼女はかつて《K》との戦いで見せた速度など優に超え、黒円卓で二番目の速度を誇るベアトリスやその彼女の創造を使える優月すらも上回っていた。

もはや今の彼女を上回れるのはラインハルト、メルクリウス、藤井蓮、そして高速移動に特化したシュライバーの四人しか居ないだろう。

 

「っぐ、オラァッ!」

 

ヴィルヘルムがすれ違いざまに放った一撃は優月の体を捉える―――かと思いきや、優月は自身の体を透過してヴィルヘルムの拳を受け流し、逆に雷速の蹴りをヴィルヘルムの胴体へと叩き込んで弾き飛ばす。

 

「It's never permitted!」

 

そんなヴィルヘルムを追撃するのは完全に理性が吹き飛び、荒れ狂う暴風と化したユリエ。

銀狼はヴィルヘルムが倉庫の壁面に叩きつけられるまでの僅かな間に、百を超える斬撃を容赦無く彼の体に叩き込み、末端から確実に肉体を破壊していく。

指を引きちぎり、腕を骨ごと切断し、腹を内蔵ごと抉って、両足を蹴り潰し、最後に倉庫の壁面に向かって思い切り叩きつける。

 

「ご、ァが……フ、ハハハ……」

 

塵屑のように打ちのめされた肉体から血が大量に流れ出す。人間ならば大量失血や全身の怪我でとうの昔に死亡しているだろう。

しかし今この場に普通の人間は誰一人として存在していない。

それが証拠にヴィルヘルムは壁面にめり込みながらも口元に笑みを浮かべ、体を再生していた。

 

「ハハ、ハハハハ……!」

 

轟音が響く。壁へめり込んだ体躯へ二発の更なる衝撃。左胸と右胸に叩き込まれた銀狼の斬撃は彼の体から血を吹き出させ、続く鳩尾を突き抜けた雷速の一撃は彼の体を壁面へと埋めていく。

杭の連射も二人にとっては時間稼ぎにすらならない。むしろ運動速度を肥大化させ、振り子のように遠心力を得て彼の体に襲い掛かる。

 

 

―――だが。

 

 

 

 

 

「―――ああ、本当によく似てやがるぜ、てめえはよ。―――胸糞悪くて吸い殺したくなるくらいになァァッッ!!!」

 

瞬間、臨界点に達した殺気の爆発が永遠に続くかと思われた攻撃を止めた。大気が極大の殺意に震え、彼のめり込んでいた壁面はそれだけで微塵に砕け散る。

 

「――――――」

「―――っ」

 

ここで初めてユリエと優月が停止する。

理性を失い、狂える獣となったユリエは本能で悟り、優月は戦士の勘と言えるもので悟ったのだ。

 

前座はこれにて終了―――ここから先が真に本番なのだと。

 

「―――もう十分だ、存分に楽しませてもらったぜ」

 

地に降り立ち、嘘偽りの無い感想を述べながら歩むヴィルヘルム。

穏やかささえ感じるその口調は、まるで嵐の前の静けさだ。

 

「つーわけでここから先は一切加減しねぇ。お前ら全員―――残らず吸い殺してやる」

 

空気が歪み始め、崩れた天井から覗く月が揺らめき始める。

空間に墨汁を垂らしたかの如く、ヴィルヘルムの求めし異界の法則(ルール)が流れ始める。

 

 

Wo war ich(かつて何処かで )schon einmal und(そしてこれほど幸福だった) war so selig(ことがあるだろうか)

 

―――滲み出るのは吐き気を催す血臭と殺気。それらが徐々に満ち始める。

 

Ich war ein Bub',(幼い私は) da hab' ich die noch nicht gekannt.(まだあなたを知らなかった)Wer bin denn ich?(いったい私は誰なのだろう) Wie komm'denn ich zu ihr?(いったいどうして) Wie kommt denn sie zu mir?(私はあなたの許に来たのだろう)

 

詠唱が進み、彼の求めた世界が現れ始める。

 

「――Sophie, Welken Sie(ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ)Show a Corpse(死骸を晒せ)

 

夜に夜を重ねがけ、更なる深淵が辺りを包み込む。

 

Briah(創造)―」

 

Der Rosenkavalier Schwarzwald(死森の薔薇騎士)

 

 

 

そして辺りは総てを枯渇させる死森のヴェールに包まれ、天に浮かぶ月は血のように赤く煌々と輝き出す。

空間が軋み、倉庫内にあるありとあらゆる物が枯れ果て崩れ落ちていく。それは優月たちですら例外では無く―――

 

「―――ッ!!」

 

「あっ……!」

 

「っ……!」

 

「うっ……くぅ……!」

 

透流とリーリスは苦悶の表情を浮かべて床に片膝を付き、司狼と優月も何とか倒れまいと耐えるものの、苦悶の表情を浮かべる。

そんな者たちを一通り見回したヴィルヘルムは愉悦を感じながら、蹲っている第一目標を見る。

 

「そういやこの夜をてめえに使ったのは初めてだったな。どうよ、ガキ。効くだろう?」

 

「―――ギィ……アァ、ッ、グァ……!?」

 

「おっと、悪りぃ悪りぃ、今のてめえは人間サマの言葉も喋れねえただの獣だったなぁ!」

 

憎悪と憤怒の視線で睨み付けるユリエは、しかし苦悶の表情を隠し切れない。

だが―――

 

「―――ァァアアア……!」

 

ユリエは全身を襲う脱力感を押し殺し、唸り声を上げながらゆっくり立ち上がる。

彼女の体力や気力などはヴィルヘルムに吸われ減り始めているものの、闘志と殺意に至っては微塵も減っていない。むしろ先ほどよりもより強大に膨れ上がっている。

それを見てヴィルヘルムは破顔する。

 

「おうおう、いい感じだぜ。そうだ、その狂った目だよ、あの野郎と瓜二つのそいつを俺は抉り出したくてなぁ!」

 

闇に浮かぶ紅の両眼が更に紅く光り輝く。

そして次の瞬間―――()()()()()が吹き荒れ始めた。

 

「く、ああぁぁぁっ!!」

 

その暴風は先ほどまでの比では無く、雷と化した優月が透過する事も出来ずに吹き飛ばされる程。

空間に瞬くのは数多の炸裂光。響き渡るは轟音にも等しい剣戟音。

舞い散る火花は暴風に巻かれて、吹き荒ぶ嵐の中を星屑のように流れ飛ぶ。

あらゆるものを餌として吸収しているヴィルヘルムの速度は、ついにユリエと渡り合える程になっていた。

 

「オオオオォォォォーーッ!!」

 

「アアアアァァァァーーッ!!」

 

両者の叫びによって空気が引き裂かれ、倉庫内の物が切り刻まれていく。

放たれる神速の杭は銀狼を穿ち抉らんと飛翔し、紅に染まった二つの牙を持つ銀狼は吸血鬼の命を貪り食うべく駆け抜ける。

しかし―――

 

「―――ッ、ガハッ!?」

 

ここでヴィルヘルムが放った拳の一撃がユリエの鳩尾へ突き刺さり、一瞬だけ動きが止まる。

無論見逃すヴィルヘルムでは無い。

 

「ハッハァッ!!」

 

ほぼゼロ距離で放たれた杭はユリエの全身を貫かんと飛翔するが、痛みを堪えたユリエは即座に飛び退き回避する。

そして再びヴィルヘルムへと斬りかかるが―――

 

「オラァッ!!どうした、体力切れかぁ?見え透いてんだよぉ!」

 

「ギ、ガッ……!?」

 

完全に()で動きを捉えていたヴィルヘルムはユリエの斬撃を回避し、隙だらけの背中に拳を振り下ろして彼女をうつ伏せの状態で床に叩きつける。

 

「痛ぇか?痛ぇだろ―――そのまま嬉し涙流して逝けやコラアァッ!!」

 

その言葉と共にユリエへ足を勢いよく振り下ろすヴィルヘルム。

狙いは彼女の頭―――彼はここに来てついにユリエを仕留める一撃を繰り出す。

 

「ッ!!」

 

しかし狂乱しながらもそれを黙って受けるユリエでは無い。顔面が床にめり込むその刹那、間一髪両手と両足が床に付いたユリエは即座に前方へ移動して踏み潰しを回避する。

 

「ッ、アァ……!」

 

かなり無茶な姿勢から無理矢理回避した影響で彼女の体が悲鳴を上げるも、床に直径約五メートル程のクレーターを作る威力を持った踏み潰しを受けるよりは格段にマシだろう。

 

 

 

「……マズイな」

 

その戦局を見て、司狼がぽつりと呟く。それを聞いた透流が頷いて同調する。

 

「ああ、ヴィルヘルムがユリエのスピードに追い付いてきたな」

 

「―――いや、違う」

 

今の戦局は、ヴィルヘルムがユリエの速度に追い付き、ようやく同等の戦いになってきたように見えるだろう。

しかしその本質は全く逆であり―――

 

「見て分かんねーか?彼女、もう立つのもやっとって感じだぜ?」

 

そう言った司狼の視線の先には―――

 

「ハァ……ハァ……グ、アァ……!」

 

肩を上下させ、苦しそうに身を捩るユリエ。それが意味するのはただ一つ。

 

「……いくら似てるっつっても流石に彼女はあの狂犬みたく膨大なガソリン()なんて蓄えてねぇからな。吸われ続けて、もう限界なんだろうよ」

 

「そ、そんな……」

 

先ほどヴィルヘルムが言っていた体力切れ―――それがユリエの速度を著しく落としている原因だった。

元々彼女自身はそれ程体力も多くない。表すとするならみやび以上、橘以下といった位の体力である。それだけでも同年代の女子《超えし者(イクシード)》の中では比較的上位の体力を持っているのだが、その程度の体力では薔薇の夜には長時間抗えない。

つまり今の状況はヴィルヘルムがユリエの土俵に上がったのでは無く、ユリエがヴィルヘルムの土俵に降りてしまっているという状況なのだ。

そしてそれはこの戦いが長引くだけ差が縮まり、開いていく。今はまだヴィルヘルムの攻撃を辛うじて躱せるだけの体力と速度を保っているユリエだが、このまま戦いが続けば優劣が逆転する事は容易に想像出来る。

故に―――

 

「―――よう、生きてるか?優月」

 

「……は、はい……なんとか……」

 

「どうよ、いけそうか?」

 

「もちろん……いけます!」

 

ここから先は動ける者たちの出番となる。

司狼は先ほど暴風で吹き飛ばされ、床に倒れていた優月に声を掛け、優月はそれに返事をしながら立ち上がる。

 

「オーライ、無理すんなよ。お前らもいけるか?」

 

「っ!ああ……!大丈夫だ……!」

 

「ええ……!ユリエとあなたたち二人だけに任せて私たちは倒れてるなんて出来ないしね……!」

 

そして透流とリーリスも全身を襲う倦怠感に抗いながら立ち上がる。

そんな二人に苦笑いをしながら、司狼は軽く首を鳴らす。

 

そしてそれぞれの得物を構え、駆け出そうとした―――その刹那。

 

 

 

轟音が、赤い光が、灼熱の風が倉庫内に吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして―――

 

 

「なあ、それでもう終わりかい?」

 

瓦礫の山と化した倉庫街で自らの聖遺物であるバイクに乗るシュライバーは嘆息していた。

彼と彼の聖遺物には全くの傷は付いておらず、さらに言うなら一度も敵に触れられていなかった。

対して―――

 

「ふぅ……そんなせっかちな事言いなさんな」

 

「全くだね……まだ始まったばかりじゃないか」

 

「はぁ……まあ、結構きついけどな……」

 

座り込んだり、片膝を付いている妹紅、萃香、影月は満身創痍となっていた。

全員影月の創造のおかげで致命的な負傷を負う結末だけは避けられているものの、力関係は瞭然だった。

 

「了解、じゃあ少し話そうか。その間に傷の回復なり、僕の隙を伺うなり、なんでも試してみるといい」

 

そう言ってシュライバーがバイクのハンドルから手を離すと、今まで影月に抱き締められていたスミレが声を上げる。

 

「ちょ、ちょっと影月くん!大丈夫!?」

 

「ああ……少し痛いけどな……それよりあんたの方は……」

 

「私の方は大丈夫よぉ!でも貴方たちは……!」

 

そう言いながら何処か心配そうな声を出すスミレには、先の戦闘で負った火傷以外の傷はほとんど無い。それを見てシュライバーは目を細めながら、影月に問う。

 

「ねぇ、僕から一つ君に聞きたい事があるんだけどさ―――君はどうしてさっきから()()を守っているんだい?」

 

その質問は彼が最初から気になっていた事だった。

この戦闘が始まってからずっと、影月は自分の体を盾にしてまで彼女を守っていた。そこまでしてなぜ彼は先ほどまで敵だった者を守るのか?

普通なら慈悲も容赦も無く、ただ殺害してしまう相手だろうと。そしてさらに言うなら先ほど自分が投げた鉄骨から守る意味も無いだろうと。

その質問に影月は―――

 

「なんで守ってるのかなんて別にそう大した理由じゃない。彼女は大切な情報源だし、何よりここで死なれちゃ個人的に目覚めが悪いからな。それに―――お前のような人を人として見ない奴に大切な彼女を殺されたくない」

 

「――――――」

 

真正面からシュライバーの目を見据えて言った影月の言葉に、スミレは頬を紅く染める。

大切な彼女を殺されたくない―――彼は別に恋愛的な意味でその言葉を言ったわけじゃない。本当はさっき彼が言ったように、自分はただの情報源として助けられたに過ぎないのだ、それは分かっている。なのになんで自分はさっきからこんなに困惑しているのだろうとスミレは思う。これではまるで―――

 

「ふ〜ん……つまり君は、その子に恋してるって事なのかな?」

 

「なんでそうなるんだ……そんな訳無いだろ」

 

「そうかなぁ?少なくともその子は君に何かしらの感情を抱いているみたいだけどね」

 

「ん?」

 

「―――っ」

 

疑問の声を上げて視線を向けてきた影月の顔を見れず、スミレは恥ずかしくなって顔を背ける。その反応はどう見ても年相応の恋をしている少女のものだった。

そんなスミレを見て、影月は首を傾げる。

 

「……俺、何か恋愛フラグ立てるような事したか?」

 

「ん〜……二個位立ててた気がするね」

 

「……エイゲツって結構鋭いのに意外と鈍いんだね」

 

「フラグって何?」

 

すっかりこの世界のネットスラングに馴染んだ妹紅、何やら呆れたように首を振るシュライバー、そして何の事やらと首を傾げる萃香がそう答え、とても殺し合いの最中とは思えない弛緩した空気が辺りに満ちる。

しかしそれも一瞬の事で―――

 

「まあ、それはいいや。どっちにしても皆殺す事には変わりないし。……さて、どうだい?ちょっとだけ時間をあげたけど、僕を倒せる可能性って奴は見つけ出せたかい?」

 

シュライバーは今この時も影月が自分に対して、勝つ可能性を模索している事に気付いていた。

それに影月は少し疲れたように笑う。

 

「ああ。というか最初から倒す筋道は考えてあるんだよ」

 

ウォルフガング・シュライバーの能力は先も述べた通り、絶対最速・絶対回避という極めて厄介な代物である。

絶対に攻撃を回避するという特性上、殴る蹴る等の格闘やビームのような、いわゆる目標を狙って行う攻撃はどれ程やった所で当たる事は無い。つまり例え一撃当たれば即刻幕引くような攻撃をしたとしても、所詮ただの風車になってしまうというわけだ。

となれば残る手は二つ。

一つはシュライバーにすら予想出来ない不意を付いた攻撃を当てるか。あるいはザミエルやベイのような逃げ場の無い全面攻撃を行うか。

そして影月が打つ手は―――

 

「妹紅、萃香、準備は?」

 

「なんとか出来てるよ」

 

「私もね〜」

 

「よし―――なら、さっき念話で話した通りに行くぞ!」

 

「「あいよ!」」

 

掛け声に返事をした妹紅と萃香は揃って駆け出し、影月は先ほどと同じように兵器たちを操ってシュライバーに攻撃を始める。

再び降り注ぐ銃弾やミサイルの雨霰。それを見てシュライバーはタガが外れたように笑った。

 

「あはははは―――ノロいんだよォッ!」

 

瞬間、爆音を弾けさせてシュライバーが掻き消え―――

 

「あ、がぁっ!!」

 

もはや瞬間の光とさえも表現出来ない絶速を持ち、不可視の流星へと姿を変えたシュライバーは三人の中で一番近かった萃香を轢く。

バイクという人より大きい物体が、目にも映らない速さで人と正面衝突する―――その威力はもはや語るまでも無く、常人なら全身が一瞬で破裂し、絶命した事すら認識出来ずに逝くだろう。たとえ直撃を避けれたとしても、少し掠っただけで致命傷は免れない。それは鬼という人外である萃香も例外では無く、彼女は悲鳴を上げながら大きく吹き飛ばされ―――()()()()()()()()

 

「―――!!?」

 

その光景にシュライバーは瞠目する。

本来なら己の背後に全身がバラバラとなった彼女の屍が出来上がる筈なのだ。なのに彼女は霧となって消え失せた。そうして命を絶った生命など今まで居なかった訳では無いが―――

 

(白い霧……?)

 

そうして命を散らした者たちのほとんどは赤い霧となっていったのだ。しかし彼女は白い霧を舞い散らして消えた。それに内心首を傾げるシュライバーだったが―――

 

「―――っ」

 

唐突に、自分の背後に何者かが居る気配を感じ取ったシュライバーは弾かれたように振り向く。そこには先ほど彼が疑問に思っていた事の答えとも言える事が起こっていた。

 

「く、うぅ……」

 

「お前……!」

 

そこには先ほどより一回り小さくなった萃香が、右手でヴァナルガンドのリアシートを掴んで縋っていた。

 

「は、はは……なん、とか……乗る事が、出来たねぇ……!」

 

そう言って萃香は小さくにやりと笑い、常軌を逸した超高速で走るヴァナルガンドのリアシートに左手も置いた。

 

「……やめろ」

 

ヴァナルガンドを操縦するシュライバーまで、距離にして約三十センチ。全身を襲う凄まじいGと体の小ささが無ければすぐにでも自分に触れてきそうな距離に居る萃香を見たシュライバーは―――初めて明確な拒絶の言葉と反応を示した。

 

「粉々にしてやる」

 

やめろ触れるな近付くな、気持ち悪いんだよ離れろ劣等―――形成位階となり、より渇望(ほんしつ)に近く、より狂乱し、誰にも触らせないし触られたくないという彼自身の本性が現れ始める。

さらに速く、無限に速く、誰もついて来れない速度で駆け抜け、その魂の一片まで、超音速に消える屑にしよう。

 

「おおおおおォォッッーーー!」

 

渾身の雄叫びと共に、さらに加速するシュライバーは影月の呼び出した兵器たちの攻撃を避けつつ、誰も見た事が無い禁断の速度域まで疾走する。

 

「ぐ……は、ははは……!こりゃすごい……!鴉天狗なんて、目じゃない速さだね……!」

 

「っ!いつまでくっついてるんだお前はよォッ!」

 

しかし、萃香はそれでもにやにやと笑いながら少しずつ距離を詰めてくる。

それを見てシュライバーはここまで彼らに対して使うまでも無いと思っていたモーゼルC96を萃香へ向ける。

 

「滅びろ」

 

「っ……!」

 

そしてシュライバーが銃の引き金を引く―――その瞬間、萃香はリアシートを掴んでいた両手を手放した。

 

「なっ……!?」

 

「―――残念、もう少しだけ乗っていたかったけど、私の役割はここで終わりだ。じゃあね、少年」

 

その言葉と共に萃香は霧となって四散する。それに少しだけ安堵の息を吐いたシュライバーは前を向いて―――固まる。

 

「さて、それじゃあ……覚悟は出来てるかい?」

 

そこに居たのは全身から蒼き炎を溢れ出させている妹紅。

それを見て本能的に危険を感じたシュライバーは即座に反転して逃げようとしたが、周囲は影月の兵器による攻撃で通れる隙間も無かった。

ならばと、シュライバーは唯一自分が力付くで突破出来そうな妹紅へ向けて走り出す。そして猛烈に回転するヴァナルガンドの前輪が妹紅に触れるその刹那。

 

 

『こんな世は燃え尽きてしまえ!』

 

 

その言葉を最後に、シュライバーの意識は蒼白い炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

霧と土煙が立ち込め、瓦礫の山と化した倉庫街―――先ほどまで目にも留まらぬ高速戦闘が行われ、最後に蒼白い炎が炸裂したそこには一体のREXと三体のRAYがまるで敵を探すように周囲をクリアリングしていた。

物陰や崩れた倉庫の中など隅々まで確認するような動作はその後一分程続き―――ようやく周囲の安全を確認出来たのか、RAYはその場で静止し、REXは頭部コックピットをゆっくりと地面へ降ろした。そして恐竜の頭部のようなコックピットが開き、中から二人の人物が現れる。

 

「はぁ……なんとか倒せたか……」

 

「うぅ……ここに二人は狭いわねぇ……」

 

REXのコックピット内で先の炎を凌いだ影月は、膝の上に座らせていたスミレを抱きかかえながら地面に降り立つ。

 

「ふぅ〜……お疲れ様、妹紅に萃香」

 

影月は虚空に向けてそう言葉を投げ掛ける。

すると今まで辺りに漂っていた霧が二人の目の前に向けて集まり出し、頭に二本の角が生えた小さいシルエットが現れ始める。

そしてその近くでは突然赤い炎が何も無い場所から発生し、小さく弾けた。

 

「……貴女たち、本当に人間じゃぁないのねぇ……あんなのと戦って無事だなんて……」

 

「あはは、今更人間じゃないって言われてもねぇ。それに私たちは別に無事って訳じゃ……」

 

「―――おっと、大丈夫?」

 

「ああ……ごめん、ちょっと疲れちゃったよ……」

 

戦闘による疲弊でふらりと倒れ込みそうになった萃香を妹紅が優しく支える。

 

「すまないな……あいつを倒す為とはいえ、萃香には結構無茶な事頼んでしまって……」

 

「いやいや、別に謝らなくたって大丈夫さ。私はほら……見ての通りピンピンしてるし」

 

「……妹紅に支えられてぐでっとしてる時点でそうは見えないけどな。まあ、とりあえず作戦が成功してよかったよ」

 

影月がシュライバーを倒す為に実行した作戦。それは萃香がヴァナルガンドに乗ってシュライバーの触れないでほしいという深層心理を揺さぶり、影月がREXやRAYを使って彼の進路を制限し、最後に妹紅が至近距離で逃げ場の無い全体攻撃を行うという三人の連携が非常に重要となる作戦だった。

内心成功するかどうか心配していたが、思ってたより被害も少なく、手早く終わらせる事が出来たので影月は安心して胸を撫で下ろす。

 

「さて、それじゃあそろそろ倉庫に戻ろうかねぇ。向こうの方の殺気も今は無いし大体終わってるんじゃないかな?」

 

「そうだな。それに彼女も火傷の治療をしなければいけないし……」

 

ある程度疲れが取れた萃香は妹紅に礼を言いながら一人で立ち、影月もそれに頷いて抱きかかえるスミレを見る。

すると彼女は頬を赤く染め、上目遣いで影月を見ながら―――

 

「……ま、守ってくれてありがとう……」

 

とても小さな声でお礼を言う。それににこりと笑って返事をした影月は、さて……と視線を上げる。

その時―――

 

「ん?」

 

彼の視界の方端に青い着物を着た少女が映る。

つい先ほどまで超速の相手と戦い、その速度に慣れていたからかその速度は少しばかり遅い気がしたが、それでもかなりの速度を出して飛んでいた。

そしてその少女が向かう方向は―――

 

「……今の、は」

 

「あっ、ちょっと!いきなりどうしたんだよ〜!」

 

影月はスミレをしっかりと抱きかかえてその少女の後を追い、萃香と妹紅も突然走り出した影月に慌てて付いていく。

得体の知れない感覚と不安。それを胸の内に抱えながら―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

望んだ相手を必ず取り逃がす―――あの胡散臭い魔術師(カール・クラフト)から告げられた疎ましくも、事実その通りだと否応にも納得せざるを得ない程強固な自身の呪い。

なぜ自分にはこんな屑みたいな呪いが掛かっているのだろうか―――ヴィルヘルムは改めてそんな事を考えていた。

 

 

 

 

「……あ?」

 

戦闘の最中、突如巻き起こった轟音にヴィルヘルムは声を上げる。

そんな彼に―――紅蓮に燃える灼熱の火球が命中した。

 

 

「お、おぉ、おおおぉぉぉぉあぁぁぁぁァァァッ!!」

 

弱点と言える灼熱の炎に包まれ、急速に肉体が崩れていく吸血鬼の絶叫が迸る。同時に―――

 

獄炎(ゲヘナ)

 

今にも消え入りそうな程小さな声がその場の全員の耳に届き、瞬間連鎖的な爆発が炸裂、倉庫内は一瞬で灼熱地獄と化した。

自らが望んだ世界に浮かぶ赤い月がひび割れ、ズレる。夜が音を立てて瓦解していく。

 

「てめえ、ふざけやがってぇ……!クソガキがァァ……!!」

 

ヴィルヘルムは二階通路に立つ淡い桜色の髪を持つ少女に怒りと怨嗟、そして凄まじい屈辱に(まみ)れた声を出して睨み付ける。

わざわざあの野郎(シュライバー)にも邪魔をしないでくれと恥を忍んで頼み込んだというのに。まさかこんな幼い少女に、こんな形で勝負の決着を崩されるとは。

 

「…………」

 

そんなヴィルヘルムの怨念を受けても、桜色の髪を持つ少女の表情は一切変わらなかった。

そして少女はその小さな掌をヴィルヘルムへと突き出し―――情けも容赦も無い紅蓮の火球を放ち、白貌の吸血鬼をその断末魔ごと焼き尽くす。

全身を焼かれ、崩れ落ちるヴィルヘルム。彼の肉体はそのまま光となって消え去り、修羅道の世界へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

特に感慨も無い表情でヴィルヘルムを見送った少女は続いて無言のまま、一階に居る透流たちを見下ろす。

彼女が放った炎は周囲に積まれている荷箱を燃やしている。炎が揺れ、火の粉が舞うその光景は以前のクリスマスイブの夜の再来と言えるだろう。

そんな灼熱の業火が支配する地獄で透流は震える声で問う。

 

「君は……音羽、なのか……?それとも……」

 

別人なのか、という言葉は飲み込む。彼の妹である九重音羽は死んだ―――しかし彼にとって目の前に居る少女は音羽であると、透流は《魂》から感じ取っていた。

 

「…………」

 

その質問に少女は黙して答えない。

それから暫しの間を経て、少女はゆっくりと口を開き―――透流は息を呑み、司狼は一人納得したように頷く。

 

 

 

「私、は―――オトハ……。あなた、は―――誰?」

 

「―――っ」

 

「なるほど、君が蓮の言っていた―――」

 

 

そしてその刹那―――

 

 

「アアアァァァァァッッ!!」

 

オトハへとその真っ赤な瞳を向けていたユリエが突如として、床に亀裂が走る程の咆哮を上げる。

 

「っ!?おい!ユリエ!」

 

「っ!!ちょっと、落ち着きなさいよユリエ!!」

 

ユリエは透流とリーリスの声を無視して膝を折り、体を大きく沈み込ませる。

彼女は今だ狂乱している思考の中、突然現れたオトハに激昂していた。なぜ私の復讐の邪魔をしたのかと―――

 

「牙ヨ絶テ―――」

 

邪魔をされた以上、こちらも一切容赦はしない―――彼女は凄まじい殺気に当てられ、恐怖の表情を浮かべる少女を見据える。

 

「くっ……!」

 

このまま放っておけばユリエはあの少女を―――そう思い至り、いち早く我に返った優月は桜色の髪の少女を救うべく、即座に駆け出す。

 

「《閃狼刃(ヴァナルガンド)》!!」

 

そして奇しくもシュライバーの聖遺物と同じ技名を叫んだユリエは、亀裂の入った床を粉々に踏み砕いてオトハへと迫る。

極限まで力を溜め、蹴り出したその一歩はこれまでのものとは比べ物にならない。もはや神速と言っても過言では無いその速度はこの場に居る誰の目にも映らず、反応する事も出来ないだろう。

そんな刹那の残像すら残さない速度でオトハへと辿り着いたユリエは少女の首を斬り飛ばすべく、《片刃剣(セイバー)》を横一閃に振るった。

 

 

 

―――そして。

 

 

 

 

 

「か、はっ……」

 

鮮血が対象の首から大量に吹き出し、ユリエの銀髪や顔を紅く染めていく。

手応えあり、間違い無く()った―――そう思ったユリエは相手の亡骸を確認しようとゆっくり視線を上げ―――

 

「―――ぇ……」

 

その瞳に映った光景を認識した瞬間、彼女の脳内は真っ白に染まった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

彼女の目の前には首から血を流しているオトハ―――ではなく、優月がオトハを庇うようにして立っていた。

三分の一程切り裂かれた彼女の首からは夥しい量の血が流れ出ており、顔を苦痛に歪めながら呼吸する度に喉から空気の漏れ出る音がしている。それは誰の目から見ても致命傷と言えるようなものであり、普通ならばもうすでに死んでいてもおかしくない傷だった。

しかし彼女もまたヴィルヘルムなどと同じ人外である為に、辛うじて即死だけは免れていた。だがこのまま放っておけば、そう遠くない内に彼女の命が尽きる事は容易に想像出来る。

それでも優月はゆっくりと後ろに振り返り、唖然とした顔で自分を見ている無傷のオトハへ優しく笑いかけた。

 

「よかっ、た……無事……みたい、ですね……」

 

息をするだけでも耐え難い激痛が伴うというのに、それに耐えてまで優月は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 

「……な、なんで……?」

 

「そん、なの……貴女を……守る為、に……決まって、るじゃないですか……」

 

オトハの問い掛けに優月は明るく晴れ晴れとした笑顔で答える。

 

「さ、あ……早く……こ、こから逃げて、ください……ここ、はもうすぐ……」

 

崩れ落ちる、その言葉が告げられる前に倉庫の屋根が轟音を立てながら崩落を始める。

 

「っ……!さあ、早く……行って……!」

 

「っ……ごめ、なさい……!」

 

オトハは悲痛な面持ちで謝った後、上から降ってくる瓦礫を避けながら走り去っていく。

それを見届けた優月はユリエへと視線を向けた。

 

「ユ、リエさん……」

 

「ゆ、優月……」

 

「ふふっ……どう、やら正気に、戻ったみたい……ですね……よかった……」

 

狂乱から覚め、次第に理性を取り戻してきたユリエは紅く染まった《双剣(ダブル)》を落とし、自らの手を見る。

雪色の肌(スノーホワイト)と称される程白かった彼女の手はべったりとした紅い液体で濡れており、その液体が何なのか。そしてその液体は元々誰の体内で流れていたものなのか。そしてなぜその液体が自分の手に付いているのか―――

それを真に理解したユリエは、深紅の瞳(ルビーアイ)から大粒の涙を零し始めた。

 

「ぁ……あぁ……!わ、私は……!!」

 

半ば憎しみという感情によって理性を無くしていたとはいえ、取り返しのつかない事をしてしまったと、大切な友人をこの手で傷付けてしまったとユリエの心に大きな後悔の念が押し寄せる。

そうして泣き始めた彼女の頬に優しく手が添えられる。

 

「ユリ、エさん……泣か、ないでください、よ……そんなに、泣かれたら……私、まで泣いちゃう、じゃないで、すか……」

 

「っ!で、でも……!」

 

「酷い、人ですね……貴女、は……もう、これ以上……私の、体から……血を流させ、ないでくださいよ……」

 

その言葉を言い終わると同時に優月の体が大きくふらついてバランスを崩し、ユリエもまたそれに釣られるような形で二階から落下する。

 

「優月!!」

「ユリエ!!」

 

そんな二人を見て、司狼と透流は揃って飛び出し―――司狼は優月を、透流はユリエを受け止める。

 

「大丈夫か、ユリエ!?」

 

「……わ、私は……」

 

受け止め、声を掛ける透流にユリエは光が消えた深紅の瞳(ルビーアイ)を向けて小さく震える声を。

 

「おい、優月!!しっかりしろ!!」

 

「ぁ―――っ……」

 

一方、珍しく感情的な声を出す司狼に優月は苦しそうな呻き声で返事を返した。

 

「―――っ、リーリス!すぐに外行って救護の連中呼べ!!彼女もあの野郎(メルクリウス)の魔術が掛けられてるから、急いで処置すれば助かるかもしれねぇ!」

 

「あ……ええ!分かったわ!すぐに救護を―――」

 

「おっと、その必要は無いぜ」

 

「皆さん!」

 

「皆無事か!?」

 

「優月ちゃん!!」

 

「優月さん!」

 

その時、すでに焼け落ちた倉庫の扉から入ってきたのは安心院や香やトラ、幽々子や映姫、そして数人の護陵衛士(エトナルク)たちだった。

そして彼女たちの呼ぶ声に反応した優月はゆっくりと首を動かした。

 

「っ……ああ……皆、さん……」

 

「……司狼君はそのまま支えてて。映姫ちゃんは応急処置とか出来る?」

 

「はい」

 

「よし、なら今この場で応急処置しちゃうから手伝ってくれよ。早くやらないと……」

 

「手遅れになる、ですね」

 

「なら僕はそっちの馬鹿とユリエに応急処置をしておく。優月は頼んだぞ」

 

そう言ってトラは透流とユリエの元へと向かった。

 

「安心院さん!私にも何か出来る事は―――」

 

「香ちゃんは護陵衛士(エトナルク)にこの後の始末についての指示と病院を手配しといてくれよ、早く!」

 

「は、はい!では……Aチームは倉庫内をクリアリング、Fチームは怪我人を運び出す準備をしてください!ああ、それと消防車も呼ばないと……!」

 

今後やるべき事を呟きながら、香は数人の護陵衛士(エトナルク)と共に外へ出て行く。

 

「く……ぅ……あ、安心、院さん……」

 

「……なんだい?応急処置出来ないからあまり喋らないでほしいんだけど……」

 

「す、みません……でも……兄さん、たちの事が……心、配で……」

 

揺れる瞳を安心院に向け、自らの兄や兄について行った者たちの身を案じる優月。おそらく自分の方が生死に関わる大怪我をしているという自覚をしながら聞いているのだろう。

こんな時まで自分より他者の心配をする優月に、安心院は相変わらずだなぁという気持ちを抱きながら答える。

 

「大丈夫、影月君たちも無事だぜ。今ここに向かってるみたいだ」

 

「……それ、なら……よかった……です」

 

そう答え、安心した笑みを浮かべた優月はそのまま意識を失う。そんな彼女の応急処置を手早く済ませた安心院は彼女の頭を優しく撫でる。

 

「全く……最後まで他の人の心配をするなんて、本当に君らしいよ。……とりあえず今はゆっくり休んでくれよ、優月ちゃん」

 

「……皆さん、早くここから出ましょう。これ以上ここに居るのは危険です」

 

クリアリングを終えて戻ってきた数人の護陵衛士(エトナルク)を確認した映姫の指示にその場に居るほぼ全員が無言で頷き、揃って出口へと向かい始める。

そんな中でユリエを抱き抱えている透流は―――

 

「う、あぁ……私が……優、月……ごめ、なさい……」

 

「ユリエ……」

 

壊れたように何度も嗚咽と謝罪を繰り返すユリエの声を聞き、とても悲痛な面持ちを浮かべながら優しく包み込む。

こんな事をしても彼女の悲しみが和らぐ事は無い。それを分かっていながら、彼は彼女を見て何もしないという事は出来なかった。

 

「透流……ユリエ……」

 

「…………」

 

「…………」

 

そんな二人を見て、リーリスやトラ、幽々子などが悲しそうな表情を浮かべるのだった―――

 




ベイの呪いはとても強固(笑)

というわけで小説七巻最後の戦闘はこれにて終了です。次回は後日談的な話を予定してます。

誤字脱字・感想意見等、よろしくお願いします!

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