そら長くもなります。
潜入から2週間――
とうとう来てしまった俺とアリアが紅鳴館で働く最終日。
つまりは『大泥棒大作戦』決行の日だ。
時刻は午後5時――俺達がこの館を去る1時間前。
その1時間の中の10分が勝負だ。
オープンフィンガーグローブに、赤外線ゴーグル、そしてケブラー繊維のポーチ付きベスト。
まさしく特殊部隊って感じの様相だが……やる事は結局ドロボーだ。
情報一つ入手するのに何でこんな事しなきゃならないのか理解に苦しむが、それはもう今更過ぎる話だ。
さっさとこんな仕事は終わらせよう。
そんな事を思いながら、俺は遊戯室にあるビリヤード台の下の床板を開ける。
そこには短期間で掘った地下金庫へと通ずる穴がそこにはある。
インカムの通信をオンにし、マイクテストを兼ねて報告する。
「こちらキンジ。これからモグラが畑に入る」
『
「最初の『ウィ』は何だよ……」
『フランス語の「はい」みたいなものだよ。それぐらい知っておいてよ』
しらねーよ……
と、心の中で愚痴りながら俺は穴の中へと入って行く。
今頃、
その食事の時に俺は思考に
ともあれ、つまりはアリアと小夜鳴は仲良くお喋りの最中と言う訳だ。
――なんか、ムカつくな。
って俺は何を考えてるんだ。
アリアが誰と話そうが、アリアの勝手だろうに。
それにこれは作戦なんだ。
何を不機嫌になる必要がある。
大体俺には霧が――いやいや、その思考もおかしい。
なんでそこで霧が出てくる。
それから変な思考に
青いピアスみたいな小さな十字架。
暗くて色までは分からないが、アリアの報告通りの場所に十字架が置かれているのを確認する。
「こちらキンジ、モグラはコウモリになった」
地下金庫の天井から逆さ吊りになりながら、インカムで理子に報告する。
理子が考えた窃盗手段は大胆なものだった。
地下金庫の真上、つまりは穴を掘って地面からこの金庫室に侵入し、そして逆さ吊りになった俺が天井からお宝を頂戴すると言う訳だ。
まさしく作戦名通り『
まあ、普通に考えてあの何重ものセキュリティを正面から突破するのは不可能だろう。
常識的に考えて10分じゃ足りん。
と言う訳でこの作戦と言う訳だ。
床は感圧式だしな、踏めばアウトだ。
そこら辺も考慮しての作戦なんだろう。
アリアが金庫内の様子を報告したのが4日前。
4日……いや作戦を告げられたのがその翌日だから3日か。
その短期間でよくもまあ俺はここまで穴を掘ったもんだよ。
我ながら感心する。
この作戦をアリアの報告の翌日には思いついた理子もかなりものだけどな……
『この時点であと7分、それじゃあとっとと「レール作戦」始めるよ』
いつもおちゃらけた感じの理子が真剣な口調だ。
それだけあの十字架が大事だって言う事なんだろう。
こっちも兄さんの情報が掛かってるから、失敗はできない。
『それじゃあZ1から順番に――』
赤外線ゴーグルには別の小型カメラが付いており、俺の見ている映像と同じ物が理子にもリアルタイムで中継されている。映像は通信器の関係上、鮮明と言えないのが欠点だがな。
俺は理子の指示通りに1つ1つ微妙に形が違う三角柱のようなレールを赤外線に触れないよう繋ぎ合わせていく。
指示に従うだけとは言え繊細な作業だ。決して楽ではない。
数センチでもズレればレールが赤外線に触れてアウトだ。
おまけに下は感圧床だから、1滴の汗を落としてもアウト。
時間は……残り6分ってところか。
黙々と繋ぎ合わせて、ようやく十字架の真上までレールを伸ばす事に成功した。
「よし、今から
『残り5分だよ、少し急いで』
どこか緊張感に満ちた声がインカムの向こうから響く。
どうやらさすがの理子も焦り気味らしい。
そう急かすなよ……現場のこっちも冷や汗が出るぐらい緊張してるんだ……!
額に浮かんだ汗を拭ってから、レールの中にS字状の鈎を入れる。
レールの中には細いワイヤーが通っており、その細いワイヤーに鈎を取り付ける。
あとはそのまま手を離せば、鈎がレールの中のワイヤーを伝って一直線に滑り落ちる。
そして見事にS字状の鈎はワイヤーの先へと辿り着き、そのまま俺は十字架へと下ろす。
ワイヤーの先もまた鈎になっていて、鈎に鈎を引っ掛ける感じで見事に噛み合ってる。
そうしてペンダントトップ――首から下げる紐などを通す穴――に下ろした鈎が引っ掛かる。
(上手くいった……が、問題はここからだ……)
手元のリールを巻いて、ワイヤーを巻き上げていくと同時に十字架が浮き上がる。
チキチキと音を立てながらレールの中へと吸い込まれて行く。
けれど、レールに入るとカンカンと音を立てて十字架がぶつかる。
揺れるんじゃねえよ……!
赤外線に触れそうになる。
時折、巻く手を止めて揺れが落ち着くのを待つ。
『キンジ、アリアから
「なんだ、こんな時に……!」
まだ十字架はレールの先の方なんだぞ。
距離にして10分の1程度しか進んでない。
『小夜鳴が館に戻ってる』
「どう言う事だよ、あと3分はある筈だろ……!?」
『雨が降ってきたんだ』
梅雨の時期だからって今降るなよ……!
理子からの報告に思わず内心で悪態を吐くが、そんな場合じゃない。
俺はリールを巻きながらも、指示する。
「こっちは言い訳無用のコウモリ男状態なんだぞ! 何とか……もたせてくれ」
『分かってる。アリア、会話をして時間を稼いで。キンジはまだ時間が掛かる』
一応アリアの方にも理子が状況確認をするため、メイド服に小型マイク、そして指示を受けるための小さなイヤホン型の無線を装備してる。
俺が作業に集中するためにアリアとの回線は閉じられているが……逆に今は状況を把握しないと落ち着かない。
「悪いが理子、アリアとの回線を繋いでくれ。状況を把握したい」
姿を見られる訳には行かない。
最悪、この十字架を盗んだだけで撤収しなければならないだろう。
だが、それも今のままだと回収する暇もない。
『了解』
理子の返事が聞こえると、小夜鳴とアリアの会話が聞こえてくる。
『あ、あの……小夜鳴先生!』
『はい、どうかしましたか?』
『も、もう少しここにいませんか……?』
『しかし、雨が降っていますよ?』
『あ、あはは……あたし、あ、雨が好きなんですよ!』
下手くそか!
何だよ、雨が好きって! どんな物好きだ!?
『そうなんですか……変わっていますね。ですが、風邪を引く要因を見過ごす訳にはいきません。専門は遺伝子系ですがこれでも
『え、はい。そう、ですね……』
と、アリアは簡単に折れた。
ダメだ……言っちゃあ悪いが、こう言う事はアリアには向かない。
今度、理子か霧に会話の仕方をレクチャーして貰え……
無事に帰れたらの話だけどな。
半ばヤケになりながらも俺はリールを巻く。
もちろん、赤外線に触れないようにだ。
落ち着け、冷静に。
霧のあの動じない感じを思い出せ。
一度深呼吸をして、少し急ぎながらも焦らずに巻く。
『おや、シェースチさん。どうしたんですか? 扉の前に立って』
どうやら、向こうに変化があったらしい。
シェースチ? あの少女メイドか。
『……今、中には入れない』
小夜鳴より少し遠くから、抑揚のない声が聞こえる。
『それはまた、どうして?』
『……床、掃除したばかり。……滑る』
『ふむ、なるほど』
『……滑ったら、怪我、悪化する』
『それは困りますね。この雨の中で表の玄関に行くとかなり濡れますし……仕方ありません。少し待ちましょう』
どうやら、小夜鳴が止まったらしい。
一転してラッキーだな。
床掃除をしたばかりと言う事は、乾くのに時間が掛かるだろう。
かなりの時間が稼げるはずだ。
『……キンジ、今のうちだよ』
理子が俺にそう指示をしてくる。
これがチャンスだって事くらい言われなくても分かってる。
さっきの追い込まれた状況が大分楽になった。
それから俺は落ち着いて十字架を回収し、偽物の十字架を鈎に引っ掛けて元の場所に置く。
そして、道具を回収して天井のパネルを閉じた。
これにてミッション完了だ。
一時はどうなるかと思ったが、思わぬ人物に助けられたらしい。
◆ ◆ ◆
無事にキンジが撤収したのを確認し、あたしはマイク付きヘッドホンを外す。
キンジをHSSにしようと思ってアリアとの回線を切る準備をしてたけど……当てが外れた。
まさかリリヤに助けられるとはね。
偶然とは言え、無事に済んでよかったよ。
達成感からかどっと疲れた。
…………。
………………。
偶然……?
いや、偶然にしては何か引っ掛かる。
リリヤは基本的に指示しないと動かないタイプ。
多分、
別に指示されるまで全く何もしないって訳じゃないんだけどね。
最近はメイドが板に付いてきたし。
まあ、そうしたのはあたしなんですけどもね……
今回の事は、たまたまリリヤが床掃除して偶然にも時間稼ぎになったって言うだけの話。それだけの話なんだけど。
特に疑問を持つ必要もない
主に"あの人"が何かしたんじゃないかって思っちゃう。
今は置いておこう。
『全部終われば』話を聞く機会はいくらでもあるんだから。
胸のロケットペンダントを握り締めて、あたしは決意を新たにする。
今度こそ――あいつらを
オルメス達に受け渡し場所のメールは既に送った。
あとはここで待つだけ。
横浜ランドマークタワーの屋上のヘリポート。
高度296メートルの空気があたしの頬を撫でる。
雨が止んだとは言え、天気は随分と荒れてるな~
どんよりとした黒い曇天に雷鳴が聞こえる。
あたしの心を映し出すような天気。
だけど、こんな天気でもいつかは晴れる。
……違う、晴れるのを待つんじゃない。あたしがこれから晴らすんだ。
渇望してた思いを。
影に守られて生きるのは今日でおしまいにする。
ヘリポートに誰かが近付いて来るのを感じる。
あたしが後ろを振り向いて見ていると、現れたのは2人の人影。
「やっほー、アリアにキーくぅーん♪」
待ちに待った2人が遂に来た。
スキップしそうな程に軽やかな足取りで近付いて、キンジの胸元に飛び込む。
「2人の相性、バッチグーだったね。こんなに上手く行くとは思わなかったよ!」
「途中は冷や汗ものだったけどな……」
擦り寄って上目遣いで見上げるあたしから目を逸らすようにキンジは顔を横に向ける。
「キンジ、さっさと渡すもの渡してくれる? ソイツが上機嫌なのなんかムカつくんだけど」
「おやおや、アリアん。りこりんに対してぷんぷんしてる割には、キーくんに視線が向いてるよ~。もしかして、ジェラシーでパルパルしちゃってる?」
「うるさいわよこの猫かぶり女……ッ!」
額に青筋を浮かばせて、オルメスは口を荒げる。
相変わらず沸点低いね~
そんなんだから簡単に手玉に取られちゃうんだよ。
主にキーちゃんに。
オルメスの機嫌が損なうのを見て、キンジは焦り気味に胸ポケットを探り出す。
「ほら、お望みの物をやるから離れてくれ」
そうして取り出された青い
ようやく……ようやく取り戻せた!
素早くキンジの手から奪い取ってあたしは躍る。
「乙、おっつー♪ たったたらりら♪」
2人から離れて歓喜で飛び跳ねる。
これで、あたしは! 自由になれる!
あたしの居場所、あの人の隣に堂々といられる"自由"が得られるッ!
………………。
……でも、これで終わりじゃない。
まだ自由を得られる道が見えてきただけだ。
本当の自由を得るのはこれから。
「理子。喜ぶのはいいけど、約束はちゃんと守りなさいよね……!」
不機嫌そうなオルメスの声。
言われなくても分かってる、約束はちゃんと守ってあげるよ♪
――お前らを踏み倒した後でな。
「くふふ、アリアってばあたしのことなんにも分かってな~い。あ、キーくんには先にお礼をあ・げ・る♪」
そう言ってあたしが手招きするのを見て、
そして、あたしを見下ろすぐらいに近くに来た。
「頭のリボンを
あたしの言葉にさらにキンジは口をへの字にして怪しみながらも、何となくという感じにあたしの頭の大きな赤いリボンに手を掛ける。
リボンが解けると同時に顔を上げて一歩前へ。
キンジの唇にあたしの唇を押し付ける。
男にしてはいい唇してるんだね。
と、変な感想を抱きながらもあたしはゆっくり唇を離す。
いたずらな心が働いて、キンジの鼻をひと舐めする。
相変わらず
これぐらいで目まで見開いちゃって。
「あ、あああ、あんた……ッ! 何やってんのよ理子おッ!?」
そうだ、
お子ちゃまには刺激が強かったかな?
まあ、どうでもいいけど……
素早く側転を切って、屋上から降りるための階段の前へと移動し、立つ。
様子がおかしい事にキンジはとっくに気付いてるみたいだ。
そして、あたしがこの場所に立つ意味も分かってるはず。
あたしの"初めて"をあげたんだから、逆にHSSになって気付いて貰わなかったら困る。
「悪いね~。理子はいけない子なの、キンジ」
「ああ、そうだな……いけない子だ。だけどそんないたずらっぽい所も君の魅力なんだろう。だから、俺は約束が例えウソだとしても許すよ。それが君の魅力だからね」
いい笑顔で臭いセリフを吐くね、キンジ。
いや、見方を変えればただの痛いセリフだよ。
悪いけどあたしにそんな甘言は効かない。
お姉ちゃんの言葉の方がもっと魅力的に響く。
「とは言え、俺が許しても彼女はどうか分からないけどね。起きてくれ、アリア」
「――はっ?!」
キンジが名前を呼ぶと同時にパチンと指を鳴らすと、呆然としてたアリアが意識を取り戻す。
「ふ、ふん……まあいいわ。どうせこんな事になる予感はしてたわよ」
「くふ、それでいいんだよ。ああ、1つ訂正しておくけど約束を破るつもりはないよ」
「この状況で守れる保証があるって言うのかしら?」
「別に信じなくてもいいよ。ただ、"あの時"みたいに命を奪うつもりはない。死んだら約束を守るも何もないからね」
「生かすだけで五体満足で帰らせるつもりはないんでしょう?」
オルメスの言葉に、あたしはニィとした笑みで答える。
ハイジャックの時みたいに殺そうとするよりはマシだ。
あたしは先に2丁のワルサーP99を見えるようにレッグホルスターから抜いてやる。
「ここは学園島の外。先に抜いてやるよ、オルメス。これで正当防衛が成り立つだろ?」
「あら、随分と気の利いた事してくれるじゃない」
あたしに合わせるようにオルメスもブラックとシルバー、2丁のガバメントを抜く。
そして構えながら聞いてくる。
「
「……別にいいよ、聞かせてあげる。あたし両親が8つの時に亡くなった話は、覚えてる?」
あたしの言葉にオルメスは疑問を覚えながらも、答える。
「……? ええ、覚えてるわ。メイド喫茶とか言う場所でそんな話をしたわね」
「あの話には続きがあってね。あたしの両親が死んでからリュパン家は没落したの。財宝は盗まれ、屋敷は勝手に売られた」
思い出すのも忌々しい記憶。
首に掛けた
「そんな時だった……親戚を名乗る1人の男があたしを養子に取ると言ってきた。右も左も分からなくなったあたしは、ソイツを頼るしかなかった」
だけどそれが悪夢の始まり。
「結果、あたしはその男に騙された。衣服を剥ぎ取られて檻の中に入れられ、
何年? 何ヶ月? いつまで続いた? 時間なんて覚えてない。
「オルメスぅ……お前はキンジを奴隷扱いしてるけど、お前は奴隷になった事……ある?」
「………………」
「ある訳ないよな。お前なんかがそんな経験してる訳もない。何も失ってないお前が、あたしには羨ましいよ」
「――ふざけないでッ! あたしが何も失ってないですって!? あたしのママを奪っておいてよくも言えるものね!!」
銃を向けたあとに振り払いながら叫ぶ。
お前の境遇程度じゃあ、失った内には入らないんだよ。
「でも、まだ取り戻せる可能性があるだけマシだよ。あたしは違う」
そう……お前なんかと違う。
「あたしは地位も、名誉も、居場所も! 両親も失った! そして自分自身さえも盗み奪われそうになった!! てめえの言う『失った』は一時的なものだ!! あたしみたいに二度と取り戻せない訳じゃねえんだよ!! お前は所詮、悲劇のヒロインぶって自分は世界で一番不幸だなんて思ってるとんだ被害妄想女って言うだけだ!!」
それが何より気に入らなかった。
お前の周りにはお前が気付いていないだけで、助けて欲しいと言えば手を差し伸べてくれるヤツがいるはずだ!
なのにお前は――! 下らないプライドで自分を孤立させてるただのマゾだ。
あたしは誰もいない狭い檻の中で助けてって独り呟くしかなかった日々を送っていた時に、お前には人並みの暮らしがあった!
親族から欠陥品と疎まれようと、居場所も、両親もいて、人としての尊厳も奪われずに安穏と暮らしてた!
それでもお前は自分が不幸だと思ってる!
「はっ……はっ……」
感情のままに叫んだせいで、息が切れる。
オルメスを見ればあたしの言動にたじろいで、一歩引くように下がる。
キンジはあたしの激情に驚愕してるが、すぐに目を閉じて落ち着いた雰囲気になる。
……キンジのヤツ、さてはあたしの事をジャンヌに聞きやがったな。
あの落ち着きようはHSSだけじゃ説明がつかない。
まあいい。
これ以上、余計な話も不幸自慢もするつもりはない。
「この
あたしの髪が揺れ、左右のテールが背中に隠してたタクティカルナイフを抜く。
武器が増えた事でオルメス達は身構える。
「さあ、本気で抵抗してあたしに踏み
銃をそれぞれ2人に向けて、あたしは叫ぶ。
瞬間――
バチィッッッッ――――!
「ぐう"ぅッ――!?」
呻きとともに体が硬直する。
電流……?
誰が、あたしを――
ナイフと銃が音を立てて落ちる。
まさか……ヒルダ、か……?
電流に倒れる前に後ろを振り向いて見えた人物の姿は、
「……さよ、な、きっ!」
あのメガネ教師だった。
一体、どうなってるッ……?!
そう思いながらも、いつの間にかあたしは床にうつ伏せで倒れてる。
「小夜鳴先生――!?」
オルメスも名前を叫ぶ。
それから倒れたあたしの目の前に見せつけるように小夜鳴が捨てたのは、猛獣に使うような大型スタンガン。
何かの皮肉のつもりか、あたしを猛獣扱い。
チクショウが、体が、動かない……!
これじゃあヒルダの時と一緒だ!
カチャと銃を構える音が後ろからする。
「さて、遠山くんに神崎さん。そこを動かないで下さいね」
考えるまでもなく、銃口はきっとあたしに向けられてる。
小夜鳴が警告すると同時に、低い動物の
何とか
ブラドが飼ってる
もしかしなくても、このいけ好かないメガネはブラドの手先。
姿を見れば、案の定に銃――クジール・モデル74――を握っている。腕に付けてたギプスはない。
「今まで三文芝居を、してたって言うのか……!?」
「ええ、下らない茶番劇にわざわざ付き合ってあげたんです。逆に感謝して欲しいですね」
フザケた事をぬかしながら小夜鳴が顎を動かすと、2頭の銀狼が口であたしの銃とナイフを屋上から捨てる。
随分と手懐けてやがる。
「しばらく泳がせて見るのも面白いと思い放置していましたが……やはり欠陥品。盗みにしても何にしても、色々とお粗末なものですよ」
お前なんかに盗みの美学を分かって貰いたくはない。
内心でそう吐き捨てながらも体に力をいれようとするけど……ダメだ。
筋肉が麻痺してる。
動かない。
「あんた、どう言うつもりよ!」
「おや、放置していてすみません。ただ神崎さん、動かないでと言ったでしょう? 君らがあまり賢くない選択をすると私はリュパン4世を撃たなければなりません。私にとってはもったいないと思う程度ですが……そうなれば神崎さんと遠山くんは大層困るハズです。違いますか?」
HSSのキンジは女性を人質に取られた時点でまず動けない。おまけに兄の唯一の情報源でもある。
オルメスは母親の冤罪を晴らすためにあたしが必要。
小夜鳴の言う事に間違いはない。
「どうして、理子の本名を……!? さては、あんたがブラドだったの?!」
相変わらず頭の悪い探偵だ。
ブラドの正体を知らないから仕方ないとは言え、こんなひょろメガネがイ・ウーの現ナンバー2に君臨する訳がない。
「いいえ、ですが彼はもうすぐここに来ます。ブラドの下僕であるこの銀狼たちもそれを感じて
小夜鳴に否定され、オルメスは羞恥する。
それよりも、あたしには1つの事実が迫っている事を知る。
ブラドがここ来る……
――イヤだ。
あんな場所に戻りたくはないッ!
「くっ、ううッ!!」
捕まったらおしまいだ。
まだ、オルメスを
例え無駄だと分かっても、何もせずにはいられない。
じゃないと、あたしは……!
「往生際が悪いですね、4世さん」
「――ッ!」
靴の底の感触があたしの頭に来る。
そのまま額を床に押し付けられ、動けない。
「少しばかり時間があるので1つ、特別授業をしてあげましょう」
こんな時に授業なんて聞いてる暇はない。
ボイコットさせて貰いたいけど、小夜鳴の足が邪魔で身動きが取れない。
あたしなんか気にも留めず、勝手に授業を続ける。
「遺伝子とは気まぐれなものです。2人の親の長所を受け継げば有能な子。逆に受け継げなければ無能な子。プラスとプラスが合わされば大きなプラスになるように、マイナスとマイナスが合わされば大きくマイナスになる。単純明快な話です。似たような事を以前に遠山くんとこの4世が受けた小テストのDVDで言っていますので、すんなりと理解できると思いますがね」
小夜鳴の言葉で思い出すのは、そのDVDの中でのマリリン・モンローとアインシュタイン博士の掛け合い。
『私の美貌とあなたの頭脳を兼ね備えた子供ができたら素晴らしいと思いません?』
『やめておきましょう。私の顔とあなたの頭脳を持った子供が生まれるかもしれませんよ?』
マリリン・モンローのあとの言葉にアインシュタインはそう返したの覚えてる。
だけどあの時のDVDをなぜ話に出した?
………………。
……待て、お前は……何を言おうとしてる!?
「おや、私が何を言うかお分かりのようですね4世さん。その驚愕した表情、実にいいですよ。では、授業の続きといきましょう。この4世は先程言ったマイナスを合わせた結果です。遺伝における失敗のサンプルケース。つまるところ――」
「や、め、ろ……!」
「『無能』だと言う事に他なりません」
……言われた。
今までひた隠しにして、無意識でどこか思いながらも否定して、考えないようにしてた事を。
よりによって敵であるオルメス達の前で!
この鬼畜メガネが……!
「随分と反抗的な眼ですね、4世さん。しかし、ご自分でも薄々感じていたんではないですか? 果たして自分は有能だと言える程の価値があるのか……なので私は、それを科学的に証明してあげたに過ぎません。10年前にブラドに頼まれてあなたのDNAを調べて得た揺るぎない事実です」
うすら笑いを浮かべながら告げられる現実。
10年前――ブラドの居城の檻で意識半ばに1人の男を見たのを覚えてる。
視界もボヤけてて顔は覚えてなかったが……まさか、こいつがッ。
「あたしから血を、抜き取って……ブラドに下らない事を、吹き込んだのは……!」
「ええその通り、私です。ですが調べただけ損でしたよ。全くの期待外れ、初代リュパンの時のように鮮やかに何かを1人で盗む事もできない。これでもジャックに気に入られたあなたを見て、少しは期待していたんですがね」
残念です、と言わんばかりに小夜鳴は息を吐く。
ふざけやがって……!
あたしは、お前の勝手な期待に応えるつもりはないんだよッ!
「ジャックって……どう言う事よ?!」
オルメスが余計な疑問を覚えて口を開く。
「そう言えばそちらの4世さんは知らないんでしたね。このリュパン4世は、かの有名な
「なん、ですって……ッ?!」
小夜鳴の言葉にオルメスが驚愕する。
クソ、どいつこいつも余計な口を開く。
そして……あたしはそれを黙って聞かされるしかない。
なんで、どうして……ッ! あたしはこんなに無力なんだ……
「遠山くんはあまり驚いてはいない様子ですね。もしかして、この4世とジャックとの関係を既に知っていたんですか?」
な、に……?
確かに小夜鳴の言う通り、キンジに驚いてる様子はない。
頭を抑えられながらも何とか視線を向ければ、キンジはまだ静かに目を閉じてる。
結局は兄弟。黙ってれば雰囲気が金一とそっくりだ。
「驚いてるさ、ただ……女性の秘密を勝手に口外するのは感心しないがな」
「
そう、あの人はブラドと取引をした。
あたしのために……修羅の道を楽しみながら歩んでる。
だが、そんな事をオルメス達が知る訳がない。
「その取引の内容は……ジャックが他の優秀な遺伝子を集める代わりにこのリュパン4世に手出しはしないと言うものです」
そうだ、小夜鳴の言葉通り。
それが取引の内容。
あたしが今まで自由でいられた理由。
「果して、それほど価値のある存在なのか……私にとっては理解に苦しみます。こんな使えない無能を守ってもどうしようもないと言うのに――」
「く、ふふ……」
その言葉を聞いて、思わず喉の奥から笑いが零れる。
「何がおかしいんですか、4世さん?」
あたしの様子を見て、威圧的な感じで小夜鳴が聞いてくる。
何がおかしい? ああ、おかしいよ。
ブラドから聞いたかどうかは知らないけど、あの人について全く分かってない。
「あの人は使える使えない、ましてやお前みたいに……遺伝子で決めてる訳じゃ、ないッ! お前は何も、分かって……いない……ッ!」
お姉ちゃんの判断基準はいつも至ってシンプルだ。
楽しいか? つまらないか?
それだけ。
どこの家の生まれだろうと関係ない。
優秀か無能かなんて関係ない。
そして、あたしには分かる。
今、あの人がこの場にいてお前の話を聞いたら間違いなくこう言うだろう。
――くだらないな~
そう言って、退屈そうな顔をするところも思い浮かぶ。
お前はあたしに『無能』と言う純然たる事実を突き付けたつもりだろう。
だけど、あたしにとってそんな事はどうもいいんだ。
あたしが優秀じゃない事ぐらい、あたし自身が知ってる。
それでもあたし自身を認めて、受け入れてくれる人がいるんだ。
だから、自身で手に入れた自由で家族の場所に帰る!
理由はそれで十分。
「……ならば、教育してあげましょう」
鋭い目を向けたあたしに答えるように、小夜鳴は言葉と共に足で仰向けにされる。
彼が取り出したのは、すり替えておいた偽物の十字架。
そして――
「ッ――!?」
口の中に突っ込まれる手。
さっきの十字架を押し込まれる。
「人間は遺伝子で決まる! いくら努力をしたところで越えられない壁があり、あなたのようにすぐ限界を迎えるのです!」
「ぐッ……! うぶっ!?」
「いかに優れた師匠を持っていても、その弟子がガラクタならば意味がありません! 分かりますか、あなたは口の中に入ってる物と同じ非力な存在なんですよ。今のあなたにはそれがお似合いでしょう」
口の中から手を出して、それからあたしの胸に掛かってる本物の十字架を奪い取る。
だけどあたしは、少しだけ動く右腕で小夜鳴の袖口を掴む。
「やれやれ、本当に往生際が悪いですね……」
それを見て小夜鳴が呆れた顔をして、どこかに流し目をする。
すると、1頭のオオカミがゆったりと近付いてくる。
それから口を開かせてあたしを見下ろすオオカミに彼は命令する。
「やりなさい」
――ミシッ。
「あ、ぐ……ッ!? ああああああああっ!!」
喰らいつかれる右腕。
激しい痛み。
万力ですり潰されるような感覚が襲う。
「全く、どうしてそうも足掻きたがるんですかね? 4世さん」
問いかけながら横顔を踏まれ、口の中に入れられた物が飛ぶ。
ヤツの袖から手を離しても、右腕の痛みは消えない。
「まあいいでしょう。足掻きたければそのまま足掻いても構いません。どれだけ苦痛の声を上げても、あなたを守ってくれるジャックはここには来ないでしょうからね」
骨が、
何か言ってるか分からない……耳を傾けてる余裕が、ない。
歯を食いしばって耐えるしかできない。
「いいかげんにしなさいよッ! 理子を痛ぶって、何の意味があるの!?」
痛みの中でオルメス声だけがヤケに耳に響く。
「絶望が必要なんですよ。彼は絶望の
「~~~~ッ!! あ、ハァ……ッ!」
小夜鳴の言葉と共に、オオカミが最後に力を入れてもう一噛みした後に解放される右腕。
もう、ほとんど感覚がない……
僅かに袖に血が滲む。
「あなたは相変わらずいい声で鳴いてくれますよ、4世さん。おかげで、イイ感じになりましたよ」
メガネを指で上げてそう言う小夜鳴の雰囲気がどこか違う。
この感じ、覚えがある。何となくだけど分かる。
切り替わって行くようなこの感じは……金一やキンジと似てる。
あたしよりも先に当然、キンジは気付いてる。
まさか、と言う顔をしながら小夜鳴を見ている。
そのキンジの表情見て、彼は嬉々とした顔をする。
「私は人に見られてる方がさらにイイ感じになるんですよ。君ならお分かりでしょう、遠山くん?」
「ウソだろ……」
「そう、これはヒステリア・サヴァン・シンドローム」
小夜鳴は答えを言った。
なんでコイツが、金一やキンジと同じ体質を……!?
「ヒステリア……サヴァン?」
ただ1人、この中でオルメスだけはその事について知らない。
キンジや小夜鳴を交互に見ながら言葉を繰り返す。
「しばしのお別れです、皆さん。ですが彼が来る前に教えておきましょう。イ・ウーでは能力を教え合う場所。聞いてるかどうかは知りませんが、そう言う風に遥か高みへと目指すのが我らの組織のコンセプトです。しかし、それは実力の低い者達のお遊戯に過ぎません。今のイ・ウーには私とブラドが革命を起こし、簡単に能力を写し取れる方法があるのですよ」
「聞いた事があるわ。連中は何か別の方法で……能力をコピーしてる。
オルメスの言葉通り、確かに能力はコピーできる。
だがそれには血が必要だ。
「その方法と言うのは、ブラドが600年も前に行っていた事――『吸血』です。それを人工化し……遺伝子を選択、上書きする事によって進化する。優れた遺伝子を集めるのは、私の仕事になりました。そしてジャックに優れた遺伝子、つまりは血を集めさせていたのもそのためです。先日も身体検査と称して採血しようとしましたが、遠山くんが覗いていたおかげで失敗してしまいましたがね」
コーカサスハクギンオオカミが武偵高に突然現れたのはそう言う事だったのか。
単純な話、小夜鳴を守るボディーガードみたいなものだったんだろう。
「キンジ、読めたわイ・ウーのナンバー2の正体……。吸血、ルーマニア、ブラド……"ドラキュラ伯爵"に間違いないわ」
「なに……? あれは、架空の話の人物じゃあ――」
「違うわ、あたしの曾お爺さまと同じように本物をモデルにした話よ。ブラド・ツェペシュ……15世紀のルーマニアでワラキアと言う土地の領主だった男。そんな昔の人物が、今も生きてるって言う噂が流れてる」
オルメスはキンジの言葉を否定し、小夜鳴はオルメスの言葉を肯定する。
「その通りです。ただ、世の中の人は『ドラキュラ=吸血鬼』だと思っていますが、それは違います。あくまでドラキュラと言うのは竜の息子を指す言葉であり、吸血鬼を示す言葉ではありません。そして、ツェペシュと言うのは"串刺し公"を示す言葉。ドラキュラと同じ通称みたいなモノであって姓ではないのです」
嬉々として小夜鳴はよく喋る。
「そんなブラドは吸血鬼の中でも変わった人物でして、他の吸血鬼が動物などの血を
ですが、と小夜鳴は言葉を区切る。
「知性を保つためには人間を吸血し続ける必要があったのです。そうして遺伝子は上書きされ続け、とうとう……"私と言う人間が生まれその内側に潜むようになりました"」
自分の中を示すように、頭を指で叩く。
つまり、お前の中にブラドがいる。
そう言う事か……ッ!
「ブラドは私が激しく興奮した時に現れるようになってしまい、早々に表には出てきません。最初は適当に人間を
「――ッ!?」
キンジが驚愕する。
「ヒステリア・サヴァン・シンドロームによる神経伝達物質を大量放出するメカニズムは、ブラドを呼ぶのに十分なものでした。さて、ここで1つ遠山くんには疑問が残るでしょう。何故、ヒステリア・サヴァン・シンドロームでありながらこの4世を危害を加え続けられるのか? それは簡単な話で、種族の違いと言うヤツですよ。霊長類と人類が違うように
小夜鳴の言葉と共に、体が肥大化していく。
あたしから足を離して一歩下がり、メガネが落ちる。
「特別授業はお
――か れ が き た ぞ。
降臨する。そんな崇高そうな意味を持って小夜鳴は言葉を放った。
その最後の言葉も、低く重々しい声調に変わってる。
筋肉が盛り上がると同時に肌が変色し、赤黒くなる。ブランドのスーツを破りながら、肌と同じ色の毛が生えてくる。骨が鈍い音を立てて変形してる。
「へ、変身してる……ッ!?」
オルメスの呟くように言った声が聞こえる。
オルメスの言う通り、変身してる。
あたしはそれを……見上げるしかない。
完全に変身したあとには、オオカミ男に翼が生えたような姿に2メートルは越える
金色の瞳があたしを見下ろしてる。
忘れるはずもない。
「――ブ、ラド……!」
「久しぶりだな4世。そしてそっちの奴等ははじめまして、だな」
見下したような不気味な声で喋り始める。
「お喋りな小夜鳴から大体は聞いてるだろう? "オレ達"は頭の中でやりとりする。話も全部、アイツの中から聞いてたぜ?」
「あんたが、ブラドッ!」
「そうだ。オレがブラドだ」
ブラドはあっさりとオルメスに答えた。
だが、それよりもあたしは聞いてない!
ブラドが人間になれるなんて今まで知らなかった。
予想外過ぎた。
「ち……く、しょうっ!」
「ハッ、イ・ウー以来会ってないが随分とイイ眼をするようになったじゃねえか……4世」
その瞬間に響く3発の発砲音。
銃を持ってた右腕に2発、そして銃に1発当たる。
銃声からしてキンジだろう。だけど無駄だ。
腕に撃たれた銃弾は肉に押し出されるように排出され、傷口は治っていく。
「無駄だ、オレにいくら弾を撃ち込もうが通用しねえ。てめえは銃を無力化したつもりだろうが、これはもうオレには必要ねえ」
驚くキンジ達に見せつけるようにブラドが銃を握力だけで粉砕する。
「今のオレには人間の頭を握り潰す事なんざ容易い」
パラパラと手から落ちる部品。
そう言いながらブラドはさらにあたしを持ち上げて顔に近付ける。
「てめえは知らなかったんだよな、4世。オレが人間になれる事を」
「取引、しただろう……! ジャックの取引とあたしの取引……忘れた、のか……ッ?!」
「ああ、てめえに手出しはしない事とホームズの末裔を倒せば解放する事か。クク……ゲェババババババッ!!」
何がおかしいのかブラドは顔を上げて大笑いする。
「――犬とした約束なんざ、守る訳ねえだろ」
コイツ……ッ!
あたしだけじゃなくあの人との約束まで
「ジャックに関しては一目置いていたんだぜ? てめえよりも遥かに優秀で、趣味もそれなりに合うしな。だが所詮は鎖に繋がれた犬……凶暴な
――ッ!!
「ふざ、けるな……!」
あの人をそんな目で見るな。
お前が触れていい存在じゃない。
「なかなかに頭が回るおかげで取引の時にアイツの血は取れなかったからな。だが4世……お前を使えばあいつが出てくるかもな」
「人、じち……にする気、か……?」
「ああ、どうやらお前はアイツのお気に入りみたいだから――あん?」
言葉の途中でブラドは眉を寄せる。
何かに話しかけられているような感じだ。
おそらく、コイツの中にいる小夜鳴がブラドに何か話してるんだろう。
「なるほど……。おい、4世。どうしてジャックはここに来ない?」
「いきなり、何言って……」
「今、小夜鳴から聞いたぜ? アイツは他人に成り済まし情報を集める。お気に入りのてめえが何をするか知る事ぐらい造作もないってな」
確かにそうだ。
だけど、お姉ちゃんは知っても敵でなければ詮索はしない主義。
ブラドの言葉は嘘じゃない。
あたしが何をするかは既に知っている。
だけど、知った上で放置するだろう。
そう言う人だ。
「なら、ここにオレがいる事も本当は知ってるんじゃねえのか?」
……ありえない。
「オレがこうしてお前に手を出してもアイツが来ないって事はてめえ――"捨てられたか?"」
それこそありえない。
あの人は、あたしの事を帰ってくると信じて待ってるって言ってくれた。
……待ってくれてるんだ。
「まあ、オレとしちゃあどっちでもいい事だ。アイツが手を出してこないだけでも好都合、
――つまらない――
お姉ちゃんが嫌う事だ。
……お姉ちゃんは、待ってるって言ってくれた。
あの人は嘘は言わない。それは確か。
嘘は言わないけど、真実をぼかした言い方をする。
待ってる、つまりそれは別の言い方をすれば"助けには来ない"って言うこと。
――だとしたら。
いや、あたしはこの状況で何を考えてるんだ。
『捨てられたか?』
違う……そんな訳がない。
あたしが勝手に悪い方に考えてるだけ。
ただそれだけ。
なのに、どうして……ッ!
どうして……こんなにもどうしようもなく、悲しんでる……
「ようやく理解したか、てめえがどこに行こうが関係ねえ! お前の戻るべき居場所はあの檻の中にしかねえって事がな!!」
ブラドに言われ、宙ぶらりんのまま振り回されて見せ付けられる外。
視界が涙で霞む。
「理子……!」「理子!」
異口同音にあたしを呼ぶ声。
近いハズなのに遠く聞こえる。
バカだな、あたし……
お姉ちゃんに何も言わなかったクセに、今度は都合の良い方に考えてる。
あたしの居場所。
……帰りたい。
帰りたいよ……
「…………た、す、け……て…………!」
――お姉ちゃん。
◆ ◆ ◆
誰かに呼ばれた感じがして、思わず顔を上げる。
ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル。
屋上とも言えない場所だけど、とりあえずその建物の天辺に私達はいる。
ここから一応、横浜ランドマークタワーの屋上がギリギリ見えるからね。
距離は大体800メートル程度かな、高低差も含めればもうちょっとありそうだね。
普段はこんな事しないんだけどね~
気になって何してるかと様子を見ればブラドとお遊戯中とは。
本人にとってはそう言う状況でもないし、そんな
私はナイトビジョン付きの双眼鏡を外して下ろすと同時に隣にいる人物に声を掛ける。
「あー、リリヤ……? 戦闘態勢に入るのもうちょい待ってくれないかな?」
「……
いつものメイド服に色んな物をゴテゴテ付けたリリヤがロシア語で呟いてる。
機械的な殺気を放ちながら、真っ直ぐにブラドを見ているように思える。
これ、完全にデストロイモード的なモノに移行しようとしてるよね。
「待てって言ってるでしょう?」
二度目の忠告で、ようやく彼女はこちらを見る。
無表情で、どこか懐疑的な目を私に向けてる。
「……どうして?」
「何が?」
「……リコお姉ちゃん、泣いてる。……なのに、止める」
ああ、なるほど。
どうして助けに行かないのかって言う意味ね。
それよりもこの距離、この暗さで顔まで鮮明に見えてるんだ。
って、そんな所に感心してる場合じゃなくて――
「悪いけど、助けに行くのは良い方法じゃないんだよ」
お父さんからあまり手出ししないよう言われてるし。
ジャンヌの時程度の加担なら別に大丈夫みたいだけど、ここで私がブラドをどうこうしようとしたら絶対にストップが掛かる。
それに、ここで手を出さない方が理子が救われる方法でもあるハズ。
お父さんの事だからそれぐらい考慮してるだろうし、神崎達が死ぬような
だから、しばらくは高みの見物をするしかない。
建物は向こうの方が高いけどね。
「だけど、きっとあの2人が理子を助けてくれる。心配しなくてもいいよ」
と私はいうけど、
「………………」
リリヤは納得してない様子。
ただ、それでも理子達がいる場所の方向をじっと見つめてる。
私としては気になったのもあるけど、面白い見世物も期待してた所もある。
だけど……何だろうね、この感情。
どう形容していいのか分からないけど、これだけは分かる。
この見世物は大して面白くもないって言うこと。
楽しくない気分になるのは久しぶりの感覚だよ。
「…………ッ」
リリヤが何かに反応する。
「どうかしたの?」
「……怖い感じ、してる」
聞いてみれば私を見て彼女はそう言う。
怖い感じ……?
おかしいな、殺気なんて出してないはずなのに。
無意識の内に漏れてる?
まさかそんな筈はないと思うんだけど。
まあそれよりも、あのコウモリをどうするか考えておかないとね~
そんな事を思いながら、雷鳴が轟く空を見上げる。
じきに
理子「なんであたしこんな役回りばっか……」
仕方ない、ポジションが重要すぎる。
久々の用語解説
クジール・モデル74……正式名称はPistol Carpati md-74(ピストル カルパツィ モデル74)。ルーマニアの警察、軍隊のサイドアームにも使われている自動拳銃。50メートル程度の距離での戦闘を想定に作られているそうです。
日本語のページがないので詳しい事が分からん。