咲-Saki- 鳳凰の雀姫   作:古葉鍵

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第三話 兄妹

事の始まりは兄様に牌譜を見せたことだった。

 

高遠原中学麻雀部にも無論顧問教師はいるが、あくまで名目上であって、指導はおろか部室に顔を出すことすらない。

つまり実質的に教導してくれる人物が不在なため、部員たちは自己研鑽・学習で雀力を高めていかねばならない。

別段それは不遇というわけではなく、部活動に特別力を入れている一部の私立中学等を除き、どこの麻雀部も似たような環境だという。(尚そのあたりの事情は室橋先輩から教えていただいた)

これまではそれが普通だからと疑問を抱かず活動してきたが、それでは足りないと室橋先輩が言い出した。

県予選が開催される6月末まであと3週間しかない。素人(妙歌)初心者(夢乃先輩)混じりの自分たちが、その短い期間で他校と張り合えるくらい強くなる為には指導者が必要だ、と。

「今更往生際が悪い気もするけどね」なんて自嘲気味に笑ってもいたが、いないよりいた方が良いのは自明の理である。

まして私は個人的に兄様という指導者を戴いていただけに、その必要性をより強く実感していた。

毎年上位の成績を収めている常連強豪校は大概、力量のある顧問教師やOG、外部から招聘されたコーチなど、指導層が充実しているからこその実力であって、高遠原中学のような”同好の志が集っただけの部活動”とは一線を画すというか、はっきり温度差がある。

従って大会で結果を出そうと考えるなら、そうした環境面における強豪校との差を埋めなければならない。

とはいえ、指導層のいない現状をいち中学生がおいそれと解決できるはずもなく。

麻雀の強い人がいないかと先生方に訊ねてみたり、麻雀部のOGに連絡を取ってみたりと先輩方が人事を尽くしてくれたが、残念ながら芳しい結果を得られなかった。

一応、打診はしてないが指導者としての実力を備えたOGが一人だけいるらしいのだが。

時折先輩方からの話題に出てくる、去年の全中覇者である原村先輩という方だ。

しかしこの方は今年春に高遠原中学を卒業したばかりの現役高校生であるため、いくらOGとはいえ後輩の面倒を見る余裕はないだろう、との判断で打診を見送った。

たとえ僭越で差し出がましくとも、これは私が指導者役を買って出るしかないかな、などと考え始めていた頃。

室橋先輩が「雀姫のお兄さんに頼めないか」という、私にとっては灯台下暗しな提案をしてきたのだった。

詳しく話を聞けば、前々から私経由で兄様に依頼することを検討していたという。

原村先輩と同様の理由で頼る事には二の足を踏んでいたが、選択肢は原村先輩か後輩の身内(兄様)の二択に限られてしまった。

結局どちらかに頼らざるを得ない以上、私という弟子を育てた実績があり、妹に甘い兄なら引き受けてくれるかもしれない、という若干の打算をもって、兄様への依頼を決意したとのこと。

そう室橋先輩に説明され、頭を下げられたものの、その場では即答できずにいささか迷った。

兄様なら麻雀の力量は元より、指導者としての適正も問題ないと思う。だが、原村先輩と同様に兄様も学生生活で多忙の身なのだ。自分の事でこれ以上兄様に負担をかけない、という個人的な指針を持つ私にとって、室橋先輩の依頼はある意味本末転倒の事態を招くとも言え、容易に応諾できるものではなかった。

しかしながら、部の為、皆の為と悩み奔走してくれた室橋先輩の頼みを無碍に断るのも心苦しく、最終的には妥協案を提示することで納得してもらった。

その妥協案というのが、兄様に部員の牌譜を見てもらい、改善点の指摘や指導要領についてアドバイスしてもらう――というものだった。

 

 

 

麻雀部に入部して1週間ほどが過ぎたとある日の夕食後、私は兄様の自室にお邪魔して一通りの事情を説明した。

 

「なるほど、話はわかった。できる限りは協力しよう」

 

正直、断られるとは思っていなかったが、案の定兄様は一つ返事で承諾してくれた。

 

「ありがとう、兄様。兄様も部活で忙しいのに無理を頼んでごめんなさい」

 

謝意を伝え、私は部員の牌譜データが入っているUSBメモリを兄様に手渡す。

 

「気にするな。何、この程度、大した手間でもないさ。むしろもっと頼っていいんだぞ、っと」

 

軽い口調でそう言って、兄様は受け取ったUSBメモリをPC本体の前面にあるスロットに差し込み、デスクチェアに腰かける。

自立したい、などとご立派な志を立てても、結局私は兄様の優しさに甘えてしまう。

やるせないような、それでいてくすぐったいような心もちで兄様の背中を見つめながら、私は「うん……」と小声で頷いた。

 

幅広なシステムデスクの上、つまり兄様の目の前には、32型の液晶ディスプレイがでん、と鎮座している。兄様は手際良くその画面に牌譜を表示させ、無言で読み込みに没頭し始めた。

一方私は兄様の部屋における定位置、ベッドの上にぽふっと腰を下ろし、いささかだらしない仕草でこてん、と体を横に倒す。そして兄様に気付かれないようひっそりと、ベッドシーツに染み付いた匂いをすんすん、と嗅ぐ。傍から見れば立派な変態さんである。

私は匂いフェチなのかもしれないなー……なんて、ぼんやり考えながら兄様の作業を見守った。

兄様の手元から時折響くカチ、カチというマウスのクリック音以外は沈黙したまま、時間だけが過ぎる。

夕食直後だったせいか、いつしか私はうとうとし始めていた。

キィ、というやや耳障りな物音により、微睡(まどろ)んでいた私の意識が覚醒する。

「ん……」と小さく鼻を鳴らし、ゆっくりと目を開けた視線の先で、優しい表情(かお)をした兄様がこちらを見ていた。

たっぷり三つ数えるほどの時間を経て、ようやく居眠りしていた事実に気付いた私は慌てて体を起こし、居ずまいを正す。

焦って体裁を取り繕おうとする私を、兄様は微笑ましげに見やりながら声をかけてくる。

 

「すまん、待たせたな」

「う、ううん、そんなことないよ。私こそうたた寝しちゃって……」

 

焦りから声が上擦ってしまった。

私は兄様の顔を正視できず、俯き加減に眼を逸らす。

 

「口元の涎、拭いた方がいいぞ」

「っ!?」

 

思わぬ指摘をされ、未だ冷静さを欠いていた私は慌ててごしごし口元を拭う。

しかしそこには涎など付着していなかった。

からかわれていたことに気付き、はっと顔を上げると、兄様がしてやったりな表情をしていた。

 

「まだまだ隙が多いな、雀姫」

「…………」イラッ

 

今の兄様の顔を世間では《ドヤ顔》って言うんですよね。わかります。

基本的に兄様は紳士的で優しいが、時折茶目っ気を出して私をからかうことがある。なまじ生真面目で世間知らずな私は、その都度兄様に翻弄されていた。

大人げない悪戯に傷心した私は、頬を膨らませて兄様からぷいっと顔を背け、遺憾の意を表明する。

 

「……兄様のばか。きちく。しすはら」※

「ハハ、悪い悪い。まあ今回の協力報酬ということで許してくれ」

 

※シスターハラスメント。妹への嫌がらせ。システムハラスメントの略ではない。造語。

 

鷹揚に笑い、悪びれずに言い訳する兄様の態度に毒気を抜かれ、私は「はぁ……」とやるせないため息をついた。

気を取り直し、兄様へと向き直る。

 

「それで兄様、牌譜確認は終わったの?」

「ああ。一通り目を通したよ」

 

本題に立ち返って訊ねると、兄様も対応して表情や口調をやや真摯に改め答えた。

そして、何気ない素振りでちらりと横目でディスプレイを一瞥する。

ほんの一、二秒程度のことだったので、画面上の何かを確認したのではなく、一種の雰囲気作りというか、ポーズなのだろう。

 

「で、個々の改善点、指導案についてだが……口で説明しても覚えきれる量じゃないから、テキストを作って後で渡すよ。それを読んだ上で、解らない所などを聞いてくれ」

「うん、わかった」

「それと、直接の指導は雀姫が行うといい。実力的にお前なら務まるだろう。先輩相手でも遠慮するなよ、びしばし扱いてやれ」

 

口調はやや冗談めかしているが、兄様の目は笑っていない。本気で私にコーチをさせようと考えている。

もっとも、私とて指導者が見つからなければ最後の手段として自分が皆を鍛えるしかない、と考えていたのだ。先輩を差し置いて僭越極まりないが、他に適任がいなければ仕方ない。

無論、望まれなければしゃしゃり出るつもりもないが。

そういった考えに至ったのは、高校の麻雀部で下級生でありながらコーチを務めている兄様の影響であることは言うまでもない。

であればこそ、兄様が同様の役目を私に求めてくるのは半ば予想していた。

 

「私がやらないと駄目?」

「というか、お前しかいない。先輩部員の基礎雀力がお粗末な事もあるが、特殊能力(ギフトやセンス)を踏まえた指導が必要だからな。何、聞けば熱意も理解もある先輩たちのようだし、反発はされないだろ」

 

経験者は語る、ということなのか、楽観的に兄様は決め付けた。

うーん、最下級生という立場は同じでも、大きな実績のあった兄様と何もない私とじゃ、説得力が違うと思うんだけどな……。

まあ、確かに先輩方は皆プライドの高いタイプではないし、それが必要とあらば受け入れてくれるとも思う。

要は私の覚悟の問題かもしれないと、とりあえず納得する。

 

「……うん、そうだね。あんまり自信はないけど、前向きに頑張ります」

「ああ、そうしてくれ」

 

私の前向きなのか後ろ向きなのかわからない台詞が可笑しかったのか、兄様は苦笑しつつ頷いた。

 

「ところで、雀姫の先輩に一人、興味深い打ち手がいるな」

 

表情を素に戻し、やや声のトーンを落として言う兄様。

誰とは言わずに迂遠な指摘に留めたのは、私の認識を測る含みがあるからだと察する。

幸いにして心当たりはあった。

 

「……夢乃先輩のこと?」

「そうだ。その夢乃って子、対局の大半は初心者的なんだが、たまに特殊な打ち方してるだろ。まあ十中八九(じゅっちゅうはっく)能力者だな」

 

兄様の言うように、夢乃先輩はわかりやすい異常性を度々発揮していた。

簡単に説明すると「まるで中身が別人になったように、打ち筋が変わる」というもの。

初心者だから安定しない、試行錯誤してる、という感じではなく、「ある程度完成されたスタイルを複数身に付けており、適宜切り替えている」という印象なのだ。

といっても毎局そうしてるわけではなく、対局の大半は初心者相応な拙い打ち筋である。

夢乃先輩が異様なのは、「複数身に付けているスタイル」と「初心者そのものな打ち筋」の間に大きな雀力レベルの乖離がある、という点につきる。

ゲーム的にわかりやすく例えれば、レベル1の村人が巧みに武器を操って戦ったり、強力な魔法を使ったりするような理不尽。

基礎がなってないのに発展形の技術を複数身に付けているという、歪な能力を備えたプレイヤーになっている。

結果として、局毎で当たり外れがあるというか、完成されたスタイルで上手に打つ局と、初心者的に打つ局が織り交ざって展開され、ギャップの激しいこと甚だしい。

また、総合的には初心者局でのマイナスが多いせいで大した成績を残せてない。そのせいか、私以外の部員の認識は「多少運が良い、まぐれが多いだけ」程度に過ぎず、その異常性を正しく捉えてはいなかった。

 

「あと赤弓って子も多分そうだ」

「え、妙歌が?」

 

予想外の名前を告げられて、私はいささか戸惑いつつ訊き返した。

これまで、妙歌の打ち回しに特殊能力の介在を感じたことはない。というか、麻雀を始めて間もない妙歌が既にして特殊能力を発現してる可能性など考えたこともなかった。

ギフトはともかく、センス習得にはそれなりの努力と時間が必要だという先入観があったからだ。

 

「ああ。不自然なほど赤ドラに恵まれている。この子も能力持ちの可能性が高い」

 

私は無意識におとがいに指を当て「んー」と唸りながら記憶を辿る。

 

「そういえば、妙歌の和がり役にはドラが付くこと多かったかも」

「だろ? その上、たった数日で見違えるほど上達してる。かなりの有望株だな」

「うん、妙歌には私も驚いてる。凄いんだよ、あっという間に先輩方と互角に打てるくらい強くなったの」

 

親友が認められるのは素直に嬉しい。私は思わず熱の入った口調で同意した。

私の常になく強い語調に驚いたのか、兄様は軽く目を瞠り、苦笑する。

 

「まあ、特筆すべきはそんなところだな。お前以外も読むだろうテキストに能力云々と書くわけにいかないから、今後も口頭で説明するよ」

「うん」

「で、その為に一度その子たちに会わないといけない。俺が雀姫の中学に出向いてもいいんだが、どうせなら一度、部員たちをウチに招待しないか?」

「えっと……懇親会でも開くの?」

 

意図が読めない兄様の提案を訝しみつつ、私はひとまず月並みな予想で訊ねた。

兄様は他人のギフトやセンスを詳細に見抜く能力(ギフト)を有している。妙歌や夢乃先輩に直接会う必要があるというのはそれ故だ。

自宅に招く、という提案もその必要性に沿ったものだと思う。しかし、兄様の”いいこと思いついた”とでも考えていそうな悪戯っぽい表情からするとそれだけではなさそう。

 

「いんや。合宿だよ」

「合宿?」

 

端的な返答にいまいちピンと来なかった私は、考察することを放棄してオウム返しに訊ねた。

 

「ああ。顔合わせついでに一度直接指導した方が良いだろうと思ってな。雀姫の先輩たちに『妹をよろしく』と挨拶もしたいしさ」

「あ、うん」

 

至極もっともな動機を説明され思わず相槌を打ったが、違和感は拭えていない。

顔合わせにせよ直接指導にせよ、それだけなら一度兄様に高遠原中学へと足を運んでもらえば済む話だ。なのに合宿、というのは、少々大がかりというか、目的に手段が釣り合わないと感じる。

別に部の皆を自宅に招待するのが嫌、というわけではないし、親睦を深める上では良い方法だと思うのだけれど。

漠然と抱いた疑問は、兄様の次の一言で困惑に変わる。

 

「で、折角だから中高合同合宿にしよう。俺の方も高校の部の仲間を呼ぶからさ。きっとお互い良い刺激になる」

「え」

 

やや意表を突かれた思いで、刹那ぽかんとする私。

そんな私の様子に頓着せず、兄様は畳み掛けるように言う。

 

「たかが一泊だし、ちょっとしたお泊まり会だと思えば問題ないだろ」

「う、うーん……」

 

兄様は軽い口調で決め付けたが、私はそこまで気楽には考えられなかった。

私は軽い人見知りだという自覚がある。見知らぬ他人をいきなり自宅に招いて交流するだなんて、想像しただけでもくらくらと眩暈がしそう。

しかも、兄様から聞いた話では男子部員が少数在籍してたはず。たとえ兄様の友人だとしても、年頃の異性とプライベートな居住空間で一晩一緒に過ごすなど、正直言って激しく遠慮したい。

とはいえ、個人的なデメリットを抜きにして考えれば悪い話ではない。兄様を含む格上の先輩方と打ったり、指導してもらえるのは高遠原中学麻雀部(私たち)にとって大きなプラスとなる。室橋先輩がこの提案を聞けばきっと即断して頷くだろう。

 

「……雀姫は反対か?」

 

煮え切らない態度の私を慮ってか、伺うような眼差しで訊ねてくる兄様。

私は思い悩むのを止めて、ふるふると首を横に振った。

 

「ううん、予想外の提案だったから、ちょっとびっくりしただけ。合宿のアイディアはすごくいいと思う。ただ、中学生と高校生の集団が一緒になって上手くやれるのかなって不安を感じるの」

 

中学生と高校生では明確に上下関係が出来てしまう。それがどの程度隔意として表面化するかは解らないが、気の置けない交流はしづらいと思うのだ。

私の危惧を聞いた兄様は「ふーむ」と顎を撫でて考え込む素振りを見せてから、

 

「ま、雀姫の心配は解るが、そのへんは大丈夫だ。うちの部、高遠原中学のOGが二人いるし。何より、みんな良い奴ばかりだからな」

 

フッと表情を緩め、確信に満ちた口調で請け負った。

兄様がそこまで言うなら本当に心配はいらないのだろう。私は愁眉を解き、「そっか」と納得を返す。

合宿の件は良しとして、今ほど兄様が言った台詞が気にかかった私は話題を変え、訊ねる。

 

「ところで、そのOGの人は中学でも麻雀部に所属してたの?」

「ん? ああ、そうらしいな」

「それじゃもしかして、そのうちの一人は原村さんって人?」

「お、流石にのどかの事はもう耳に入れてたか。母校では結構有名人らしいな」

 

――む。

流暢に話す兄様の台詞に引っ掛かりを覚え、私の米神がピクリと動く。

しれっと《のどか》なんて女性のものらしき名前を出したが、それは確か原村先輩の下の名だったはず。

まあそれ自体は別におかしくない。兄様は親しい友人を下の名で呼ぶ事が多いから。

気になったのは、声の温度。随分親しみが篭っていたというか、距離の近さを感じさせるものだった。

根拠と言うには曖昧で、強いて言うなら乙女の勘が警鐘を鳴らした、としか。

ふと、兄様の親友である淡さんの顔が思い浮かんだ。

 

「兄様、もしかして原村先輩とは仲いいの?」

「!」

 

何気ない口調で訊ねた瞬間、兄様の表情がピキッと凍りついた。

それはほんの一瞬の停滞だったが、私の疑念を深めるには充分な反応だった。

 

「そりゃまあ部員仲間で、同級生だからな。それなりに仲良くやってるよ」

 

さすが兄様と言うべきか、返答はごく自然な言い回しで弁舌も淀みない。そこに言い繕ったような印象は全くなかった。

しかし長年兄様の妹をやっている私には判る。これは何か隠し事をしていると。

とはいえ、恋愛事には基本淡白な兄様のこと。入学後間もないうちに特定の異性と恋仲になるなんてことはない。

――と、思いたいけれど、今回ばかりはその見立てに自信が持てない。

部室にあった《WEEKLY麻雀TODAY》という雑誌や部室にあったアルバムの写真で原村先輩の容姿を拝見したが、清楚な感じの凄く綺麗な人だった。しかもびっくりするほど胸が大きい。その上、全中チャンピオンという実力者でもある。

それら幾つもの美点を考慮すると、青春より麻雀といった感じの兄様であっても少なからず心惹かれてしまうのではないだろうか。

そんな邪推が脳裏で踊ってたせいか、つい冷たい声で相槌を打ってしまう。

 

「ふーん、そうなんだ……」

 

私が納得してない事を察したのか、兄様は苦笑して立ち上がり、私の隣に腰を下ろした。そして私の肩をぽんぽん、とあやすように軽く叩く。

 

「ま、今のとこやましい事は何もないよ。将来どうなるかまではわからんが」

「……将来って、淡さんの事はどうするの?」

 

含みのある言い方が気になって、思わず余計な事を訊ねてしまう。

兄様の思惑がどうあれ、淡さんと距離的に引き離す原因となった私が聞いていい事ではない。

しかし兄様は特に気分を害した様子もなく、淡々と答える。

 

「さてなあ。別に付き合ってたわけじゃなし、ぶっちゃけ現状のままじゃどうにもならん気がする」

「淡さん、会えなくなったくらいじゃ兄様のこと諦めないと思うよ」

 

それは淡さんへの罪悪感から出た言葉だったが、それだけに酷いおためごかしだと思った。

淡さんをダシに兄様の気持ちを掣肘できればなんて、心のどこかで醜い打算を巡らせている自分が嫌になる。

 

「そうだな……子犬みたいな奴だし、飼い主の事はそう簡単に忘れないかもしれないな」

「もう、そんな言い方は淡さんに失礼だよ」

「いいんだよ、事実なんだから」

 

そこで兄様はゆっくり後ろへと体を倒し、仰向けになる。ベッドの緩衝スプリングが撓み、ギシッと小さな音を立てた。

振り向いて見れば、茫洋とした眼差しで天井を見つめる兄様の表情がどこか切なげだった。

不意に兄様への慕わしさと申し訳なさが募った私は、感情の赴くまま兄様の胸元めがけて前のめりに倒れ込み、顔を埋める。

まだ中学生だし、これくらいの甘えは許されるよね――なんて、内心で言い訳しながら。

そんな思惑を受け容れてくれるかのように、私の頭を優しく撫でてくれる兄様。

今なら勇気を出せる、と訳もなく思った。

 

「……後悔してる?」

「いんや」

「原村先輩の事、好きなの?」

「かも、しれない」

「……そっか」

 

すとん、と兄様の言葉が胸の中に落ちた。甘やかな雰囲気のせいか、奇妙なくらい心が凪いでいた。

――今はまだ、兄様は私だけのもの。原村先輩の事は、いずれ確かめればいい……。

 

自室に戻った後になって、自分のしでかした大胆な行動に悶える事となった。




原作にはない合宿話。
天元の雀士シリーズの時系列で言うと咲入部直後の話となります。

改訂を機にもうちょっと雀姫をヤンデレ風味に味付けしたかったのですが、やりすぎると無駄にのどか他女性キャラとの絡みが増えて話が進まない&恋愛面に話が偏るので断念しました。
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