『臨時ニュースをお伝えします。本日未明、崖から転落したと見られる乗用車と、乗車していたと見られるニ名の遺体が発見されました。遺体は損傷が激しく、身元は不明です。警察の見解ではー』
嵐もおさまり、街頭のテレビでニュースが報じられている同時刻、言峰綺礼は自問自答を繰り返していた。取り留めもなく、延々と廻り続ける考え。言い訳のような自分の言葉が再生される。そしてその声が尽きると、綺礼の目は決まってある一点へと向いていた。
そこには荒い呼吸を繰り返し、苦しそうに喘ぐ少年、シロウがベッドに横たわっていた。傷の方は重症であったものの、治療は終了し、内臓破裂による命の危機は脱していた。しかし事故による内臓破裂と事故後数時間にわたり雨に晒され続けたことで、現在シロウは高熱を出し、未だ生死の境を彷徨っている。時折額にタオルをあてているが、焼け石に水だろう。しかし、綺礼に渦巻く疑念はそんなものではない。
〝なぜ、この少年を引き取ったのか〟
治療ならばいい。それは神に仕える者として、人として当然のことだ。だが引き取るとなると話は別である。少年の親族に無断で、加えて今は聖杯戦争を控えている身だ。少年の世話など百害あって一利なし。今もこの隠れ家を利用したことで、他の陣営に悟られたかもしれない。だが、それでも。感じたのだ。直感したのだ。この少年の暗い、昏い瞳に、自分と似たナニカを。
自分にできることは既にない。後はこの少年の生きようとする意思を信じるしかない。いや、まだ残っていたか。綺礼は隠れ家に隅に設置した神の像へと跪く。生涯自分を救ったことのない神だが、何もしないよりはマシだろう。無心に神へと祈りを捧げる綺礼の姿は、正しく聖職者であった。
十
目を、開く。まず目に映ったのは木製の天井。そしてテーブル、食器入れ、台所。必要最低限のものしかない殺風景な部屋だ。だが、そんな中に異物のように存在する二つの物。神を象った像と、その下に跪く一人の男。
「だ……れ」
その声に起こされたように、男がゆっくりとこちらを向いた。
「だ……れ」
か細く、幼い声で覚醒する。その方向へと振り向くと緋色髪の少年が、こちらを見ていた。目覚めたか、と安堵したのも束の間重大な事実に気付く。
どう声を掛けようか、と。
言峰綺礼は聖職者である。幼い頃から父璃正に付き添い、あらゆる土地を廻り、己を磨き、神へと祈りを捧げてきた。だがそれは裏を返せば普通の人間が体験するであろう経験をしていないということ。他者に、ましてや初対面の幼子にどう声をかけるべきかなど分かる筈もない。笑顔か?いやそれよりも熱は引いているのか。そんな綺礼の葛藤を知る筈もなく、少年は再度言葉を紡いだ。
「だれ、ですか?」
「私は…言峰綺礼。この町で見習い神父をしている」
先ほどよりもはっきりとした少年の口調に、綺礼も釣られたように口を開く。少年はそれだけ聞くと視線を虚空へと移した。その瞳は、何の景色も映していないようにひたすら虚ろだ。
「君の名前を、教えてくれるか?」
「な…まえ」
たどたどしく言葉を紡ぐその姿はまるで、言葉の発し方を思い出そうとしているようでもあった。
「し…ろう、士郎。苗字は……分からない。何も、思い出せない」
綺礼は思わずこめかみを抑えた。見ず知らずの少年を助けたことだけでも厄介だというのに、記憶喪失とは。とにかくこうなってしまっては自分一人で判断できることではない。父に相談しなくては。ますます綺礼は、なぜこの少年を助けてしまったのかと自問した。
十
「ーーという訳です。父上」
その日の正午。綺礼は士郎を伴い父、璃正のもとを訪れていた。本当ならばもっと早くに報告するべきなのだが、士郎の血にまみれた服装の用意やら食事やらで遅れてしまったのである。綺礼は黙したまま、璃正の言葉を待った。
「ふむ……」
璃正はしばらく考えこむように顎に手を当てると、
「ならばこの少年を、お前の養子として育てなさい」
そう諭した。
「なーー!」
父上、と普段の無表情を驚きに歪めて反論しようとする綺礼を他所に璃正はしゃがみ込み、士郎と目線を合わせた。士郎は未だ虚ろな瞳で、璃正など見てはいないようだ。それを知ってか知らずか璃正は表情を和らげ、孫を相手にする祖父のような暖かな口調で士郎へと言葉を紡ぐ。
「士郎君と言ったね?事情は綺礼から聞いた。どうかな。綺礼の息子、私の孫として、養子に来る気はないかね?」
「俺は……」
「父上!」
綺礼の言葉に璃正も立ち上がる。向かい合う息子の表情は珍しく動揺している。
「何故そのようなことを。いえ、それよりも私達は聖杯戦争を控えた身です。勝手な行動は時臣師の計画を狂わせることにもなりかねません」
「綺礼」
しかし璃正はそんな息子を優しく諌めた。
「綺礼、何を狼狽えているのだ。お前らしくもない」
言われて綺礼は自分の動揺に驚きつつも、息を整え璃正に反論する。
「父上。残された少年の家族は、今も少年を探しているでしょう。そんな少年を勝手に家族に迎えるなど、許されることではありません」
「……そうだな。確かに性急過ぎたようだ。だが綺礼。それならば少年を預かる必要はなかったのではないか?」
「……!」
自身の心の矛盾を指摘され、黙り込む綺礼。璃正はなおも言葉を続ける。
「それに士郎君は事故で家族を喪っている。おまけに記憶喪失だ。少しでも見知っている者の側にいた方が良いだろう。何より、士郎君は綺礼、お前から離れたくないようだしな」
スッと服の裾を握られているような感覚を覚えて後ろを振り向く。裾を掴む少年は、虚ろな瞳をしながらも、しっかりと裾を掴んでいた。まるで、綺礼から離れたくないとでもいう風に。
「綺礼。これも神の思し召しだ。時臣君には私から伝えておこう。何、三年以上の月日を費やした時臣君の計画はこの程度ではビクともせん。私からも士郎君の家族については調査しておく」
璃正はもう一度少年、士郎へと向き直る。
「もう一度問おう、士郎君。綺礼の息子として、言峰士郎として、養子にこないかね?」
「俺は……分かった。なるよ。俺は、言峰士郎だ」
十
ふぅ、と璃正は一人息を吐いた。既に綺礼は教会を発ち、その義理の息子であり自身の孫である士郎は教会の地下の一室で休んでいる。実の親子とはいえ、仮にもマスターである綺礼と、教会の監督役である自分が関わっているのを他の参加者に目撃されるのは、あまりよろしいことではない。その危険を冒してまで息子が士郎のことを大切に思っていることを、璃正は内心では嬉しく感じていた。実際、士郎とその家族のことを考えれば今すぐにでも士郎を警察に届けるべきだ。しかし、璃正はそれをよしとしなかった。その方が息子のためになると考えたからである。神を信仰する者として聖職者を謳ってはいるが璃正とて人の子。他人より自分の子供を大切にするのは当然であった。璃正にとって綺礼は自慢の息子であった。幼い頃から自分の聖地巡礼の旅に付き添い、普通の子供が得る筈だった経験を与えられなかったにも関わらず文句一つ零さず鍛錬に没頭し、代行者として優秀な成績を残した。ただ一つ不満があるとすれば、綺礼は笑ったことがなかった。少なくとも自分の前では。それどころか何一つ執着を見せることなく、合理的に、淡々と仕事をこなしていく。もし聖杯に願いがあるとすれば、璃正の願いは綺礼に笑顔をと願っただろう。その綺礼がどうだ。少年を助け、預かるという非合理的な行動をとってまで綺礼は少年に執着した。さらに綺礼は気付いていないだろうが、最初に養子の提案をした時、綺礼の表情にはほんのりと笑みらしきものが浮かんでいた。情けない話だが、息子と共に過ごして24年。ようやく息子の笑みを見ることができた。あの少年、士郎は璃正にとって正しく神が遣わせし天使だ。まあ、養子にしたのは早く孫の顔が見たいという親心も含まれていたことは否めないが。息子の性格上、新たな妻を娶ることはないと半分孫を諦めかけていた老人を責めることは誰もできまい。
それはともかく息子の笑顔。そして綺礼の後に〝言峰〟を継ぐ後継者。二つを同時に得ることができた璃正はその幸福を神に感謝するべく、神へと祈りを捧げた。
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