言峰士郎   作:たら子

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遅くなってすいません。




『導師。アサシンの配置を完了いたしました』

記憶喪失の少年、士郎が言峰士郎となってから一週間後。第四次聖杯戦争はセイバーとランサー。共にアーチャーと並び、その優秀さから三騎士と称されるサーヴァントによる闘いで幕を開けた。その詳細をある者はサーヴァントを通して、ある者は肉眼で、またある者は協力者から、その緒戦を観察する。綺礼はアサシンの視覚共有。そして綺礼の師であり、始まりの御三家の一角にしてアーチャーのマスター、遠坂時臣は綺礼からの報告により戦況を把握していた。戦況は、戦力的には互角の状態からランサーの宝具によりセイバーが負傷。その際顕になったセイバーの宝剣から、セイバーがかの有名な騎士王であり、さらにランサーの宝具から、ランサーの真名が輝く貌のディルムッドであることが判明した。聖杯戦争緒戦から二騎のサーヴァントの真名が判明するという前代未聞の事態となり、現在二騎は沈黙。しかしこのまま闘えば、呪いの傷を受けたセイバーの不利であることは誰が見ても明白であった。

『ふむ。まさか早々に二騎の、しかも三大騎士クラスの真名が判明するとは。これは幸先が良い』

時臣が独り言のような呟きを、綺礼は沈んだ心で受け止めていた。

衛宮切嗣。魔術師殺しと呼ばれる稀代の殺し屋であり、魔術を殺人の道具とし、また魔術師でありながら近代科学を利用する彼は時臣曰く金目的に魔術を辱める魔術師の恥。だが綺礼にとっては長年の苦悩に答えを与える者であった。その切嗣が参戦せず、ホムンクルスが出しゃばる聖杯戦争など彼にとって何の価値もない物となってしまった。綺礼の心境を察することなく、時臣は話を続ける。

『これも遠坂が根源へと至るべしという神の意志か……いや、君のおかげかな?綺礼』

『……は?』

突然の時臣の言葉に綺礼の思考が一瞬途切れる。二騎の真名の判明。さらに手を下さずとも最優のサーヴァント、セイバーの脱落の好機に時臣も高揚しているのか〝常に優雅たれ〟を家訓としている時臣にしては珍しく饒舌だ。

『璃正神父から聞いているよ、綺礼。事故で記憶を喪った少年を引き取ったそうだね。冬木のセカンドオーナーとして、礼を言わせてもらうよ』

『勝手な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした』

『いや、気に病むことはない。それよりも綺礼、士郎君はどんな様子だい?』

アサシンは公式には敗北しており、綺礼は士郎の住む教会で保護を受けている。

『はい……私も忙しいのであの日以来偶にしか会っておりませんが、父の話では黙々と勉強に励んでおり、明日には学校に復学させる予定です』

『そうか……その勤勉さは父親譲りのようだね。凛も見習ってほしいものだ』

時臣の言葉に綺礼は曖昧に返事を返す。尚も言葉を続けようとした時臣を遮ったのは、雷と共に降り注ぐ野太い男の雄叫びであった。

 

 

「……」

綺礼は沈んだ面持ちで、セイバー主従に尾けていたアサシンからの報告を聞いていた。失望した心は、綺礼の思う以上に綺礼から活力を奪っていた。アサシンが去った後もその場から動くことができない。そんな綺礼を動かしたのは、意外にも父璃正であった。曰く、聖杯戦争の事後処理のために教会を留守にする。その間士郎の世話を頼む、と。

コツコツと教会の地下を進む。やがて辿り着いたのは最奥の一室。

「入るぞ、士郎」

ドアを開ける。机に座り、黙々と鉛筆を動かしていた士郎は父の声で振り返る。

「………」

「士郎、帰ってきた者には何と言えばいい?」

「……おかえりなさい。とうさん」

「……ただいま士郎」

これだ。綺礼も璃正も聖杯戦争故忙しく、士郎に構ってやれる時間がないためか士郎はあの日以来変わることなく、感情が死んでいる。表情を変えることなく、こちらが言うことを淡々とこなす様は、まるでロボットのようだ。

頭痛がする。こんなにも子育てが厄介なものとは…いや、これも鍛錬か。

綺礼は改めて士郎へと向き直る。いかな状況とはいえ、子供を育てるのは親の義務だ。ならば果たすまでのこと。

頬が緩む。綺礼は知らない。今現在、自分がどんなに邪悪な笑みを浮かべているかを。

 

 

「士郎、遅くなったがそろそろ夕飯の時間だ。入るぞ」

……父さんの声が聞こえる。俺は解きかけの問題集を脇へと寄せた。

父と言っても血の繋がりはない義理の父。それも俺が事故に遭ったという一週間前からの父。俺には事故以前の記憶はない。あるのは空を覆う黒い雲と頬を打つ雨。そして俺を無表情に見つめる神父。いや、さらにその前。自分を守ろうとする女のひと。

『イ…キ…テ。イキテ。シロウ』

駄目だ。これ以上思い出せない。

「士郎、さあ夕飯だ」

コト、と置かれた皿を見る…なんでさ。

純白の食器に盛られたのはマグマのように煮え滾るアカイナニカ。既にフライパンから離れているというのに、未だにボコボコと泡が立ち、それに内包されている熱量をこれでもかというほど伝えており、所々から顔を見せる豆腐は滑らかな舌触りを想起させる。だが、何よりもこの皿から立ち昇る湯気。その湯気から香る香辛料は鼻腔に進入し、脳の味覚中枢を揺さぶる。嗅ぐだけで額には汗が滲み、唾液が口内に溢れでてくる。何だ、これは。

「麻婆豆腐。それがこの料理の名だ」

まーぼー、どうふ?

「本当ならば、泰山の麻婆豆腐を用意したかったのだがな。なに、これは私の味覚を元に味を再現した贋作だが、贋作が本物に劣らないという道理はない。士郎、食事の用意は十分か?」

目の前の義父は、今まで見たこともないほど邪悪な笑みを浮かべていた。

「〜〜〜〜〜!!!」

その日、士郎の頭の中で何かが弾けた。

 

 

「キャスターの犯行は明らかに聖杯戦争のルールを逸脱している。これは見過ごせんでしょう時臣君」

『ええ。このままでは聖杯戦争どころか神秘の秘匿すら危うい』

麻婆豆腐の騒動から数時間後。教会の地下の通信機の側には言峰璃正、綺礼親子がいた。

「しかしサーヴァントには、サーヴァントでしか対抗できません。私のアサシンを動かす訳にはいきませんし…」

「多少のルール変更なら監督役の権限により可能です。全てのサーヴァントとマスターをキャスター討伐に向かわせましょう」

「しかし他の陣営が従うでしょうか?」

「ふむ。ならばキャスター討伐に成功したものには令呪一画を譲渡することにしましょう」

璃正がカソック服の袖を捲り上げる。そこには璃正の腕に巻きつくように紅い刺青のようなものが刻み込まれている。

「それは…」

「過去の聖杯戦争において未使用の令呪は監督役となった者へと刻み込まれる。これをエサにすれば他の陣営も黙ってはいますまい」

令呪とはサーヴァントへの三度限りの絶対命令権。この令呪を使用することにより、サーヴァントに魔法に近い現象を生み出させることも可能だ。

『なるほど…そういうことですか』

「アーチャーにキャスターを討伐させ、公式に時臣師に令呪を譲渡する、ということですか」

「そういうことだ。それでは私はこれよりマスター達を招集します。綺礼、お前も疲れただろう。今のうちに休息を取っておけ」

璃正は袖を直し、各マスターへと伝達すべく動き出した。

 

薄暗く、床は歩く度にギシギシと音を立てて軋むが、そんなことにはお構いもせずに綺礼は部屋へと歩を進める。一夜にして事態は目まぐるしく変化していた。聖杯戦争の開始。ビルの爆破。キャスターの凶行。そして……綺礼は思わずほくそ笑んだ。

衛宮切嗣。

当初は不参加と思い込み落胆したがそれも今となっては良い香辛料だ。

「む……?」

部屋の扉の隙間から光が漏れている。そして時折聞こえる笑い声。

扉を開ける。まず目についたのは大量のワインボトル。世界各地を訪れた際に少しずつ貯蔵していた名酒は数こそ少ないものの、以前訪れた遠坂邸のワインセラーよりも質はこちらが上と自負している。それが全て開けられ、床に散乱していた。

「ククク…おお綺礼ではないか」

「……アーチャー」

部屋の中央のソファに座っているアーチャー…ギルガメッシュは笑い声を納めると綺礼へと向き直った。

何故時臣のサーヴァントであるギルガメッシュがここに。いや、何よりも…

「士郎。何故お前がここに居る?」

ソファに寝そべるギルガメッシュの側に、まるでじゃれつくようにちょこんと士郎が座っていた。

「ごめんなさい、父さん。今日から隣町の小学校に通うから早起きしてたんだけど、部屋に電気がついてて…」

申し訳無さそうに頭を下げる息子に、先程までのロボットのような面影は全く感じられない。年相応の少年のようだ。綺礼は再び視線をギルガメッシュへと向けた。

「アーチャー。師の護衛はどうした?」

言外にこの部屋から出ていけと言っているのだが、人類最古の王は流れるような金髪を揺らし、ククク、と可笑しそうに笑うのみだ。

「綺礼。そう他人行儀にするな。我のことはクラス名ではなくギルガメッシュと呼ぶがいい。この我が許す」

こちらの問いに答えることなく、ギルガメッシュは再びグラスに口をつける。まあ、この傲慢が服を着たような男が簡単に命令に従うならば時臣も苦労はしないだろう。

「ギルガメッシュ、もう一度問う。何故ここに居る?」

「綺礼、この部屋は数こそ少ないが逸品物が揃っている」

「ギルガメッシュ!」

「おいおいそう怒るな…逸品ものを見いだすことにかけて、我の右に出る者はいない。まして、芳醇な香りを漂わせながらも未だ蔵の中で眠り続けている酒を見つけては、な」

ギルガメッシュはグラスを掲げて味を見極めるようにグラスを揺らす。中の液体が、艶やかに揺らめいていた。

「聞いたぞ綺礼。お前は中々どうして面白い。見所がある。時臣などよりもずっとな」

綺礼は視線を士郎へと向ける。目があった士郎はキョトンとした顔で綺礼を見つめた。恐らく何も分かっていないのだろう。まあ、7歳の少年にこの会話を理解することなど無理な話だが。

「そこでだ綺礼。お前に一つお使いだ。何、そう面倒なものではない。時臣の仕事ついでに十分果たせるものだ」

「何だ?」

「聖杯戦争の陣営の動きだけでなく、そのマスターが参戦した動機についても調べあげるのだ。そして我に語って聞かせるのだ」

「よかろう。それでお前が満足するならな」

神父と王の対談は終わる。嘆息した綺礼は直後、信じられないものを目撃する。

「なあ、ギルガメッシュ」

今まで大人しくしていたはずよ士郎は、いつの間にかソファの端からギルガメッシュへと向き直っていた。

「何だ、雑種」

興が乗ったのか、ギルガメッシュはその紅い瞳を士郎へと向けた。

「ギルガメッシュって王様なんだろう?」

「ああそうだ」

ならさ、と士郎は言葉を続ける。

「愛ってなんだ?」

「士郎…?」

思わず自分の息子へと声をかける。が、士郎の視線はギルガメッシュへと向けられている。

「何故そんなことを聞く?雑種」

人類最古の王は尋ねる。その言葉に、もはや戯れの色などない。部屋の空気は重みを増し、ギルガメッシュの纏うソレは正しく王であった。そんな中で、士郎は臆することなく口を開いた。

「俺は…父さんに助けられる前の記憶がない。けれど、たった一つだけ思い出したことがある。女性の、多分俺の母さんの声」

ギルガメッシュは瞬き一つすることなく、士郎の言葉を待っている。士郎は息を深く吸い込むと話を続ける。

「その中で、その人は俺に生きろと言った。自分が死にかけてるのに、俺のことを心配していた。ここで勉強して、それが『愛』だってことを知った。けど、自分のことを捨ててまで、何で他人を大事にできるのか。それが出来る『愛』って何なのかを、俺は知りたい。知らなくちゃならない」

士郎はギルガメッシュを見つめる。その姿を瞳に捉えながら、王は厳かに口を開いた。

「雑種、いや言峰士郎よ。『愛』とは何か。我は確かにその答えを識っている。しかしその答えを我の口から伝えることはできん」

士郎が首を傾げる。

「その答えはお前がその一生をかけて得るべきものだ。お前がその生を捧げ、答えを得た時、その時こそ、我の答えを聞かせてやろう」

部屋の空気が弛緩していく。と、虚空に黄金の渦が浮かぶ。中から光の玉が飛び出し、士郎の手元へ収まった。

「古い…箱?ていうか、手品だよな、今の」

「それは褒美だ。精進するがいい…全く、親子揃って我を飽きさせぬとはな」

そして興味をなくしたのか、ギルガメッシュは霊体化しその体は光と共に消えていく。綺礼はその光景に目を丸くする息子を伴い、部屋を後にした。

 

 

「士郎」

「何?父さん」

教会の地下を歩きながら、親子は会話する。綺礼は士郎の様子を見て、改めてその変化を実感していた。

「いや、何でもない。お前も今日から学校だ。全て担任の教師に伝えてあるので、先生の言うことをしっかり聞き、真面目に勉強しろ。そして以前も言った通り、寄り道せずに真っ直ぐ帰るのだぞ」

「分かってるって」

態々隣町を指定したのは、二つ理由がある。一つは士郎の存在から、教会が引き取っていることを悟られないため。そしてもう一つが冬木の町から遠ざけるためである。一応アサシンの護衛をつけているものの、念には念を入れなければならない。士郎はランドセルに荷物を詰めるべく部屋へと向かう。

「さて…」

息子の応援という訳ではないが、朝ごはんを用意せねばな。

昨日の残りの麻婆豆腐でトーストを作るとするか…

 

 

 

 

「凛ちゃん凛ちゃん!」

「あら、おはよう琴音」

常に優雅を心掛ける少女、遠坂凛はランドセルから荷物を取り出しつつ、今日も今日とて優雅に友人に挨拶をする。

「おはよう凛ちゃん。あのね、あのニュースって知ってる?」

「ニュース?」

凛が怪訝そうに首を傾げる。琴音は、うん!と勢い良く頷いた。

「今日は転校生が来るんだって」

「へぇ…」

「あんまり興味なさそうだね」

期待していたような反応が見られなかったのか、琴音の頬が不満そうに膨らむ。そんな琴音に優雅に微笑みながら凛は口を開く。

「まあね。そいつがどんな奴だろうと私には関係ないもの」

関わらないならそれで良し。仲良くするのも良し。敵対するなら……

「り、凛ちゃん、顔怖いよ」

「えっ…ああ琴音。先生が入ってきたわ。席に戻りなさい」

若干怯えた様子の琴音を強引に席に戻すと、凛も慌てて席へと座る。優雅の欠片もない動きに内心自己嫌悪に陥るが、気を取り直して前を向く。担任は朝の挨拶を済ませると、ゴホンと咳払いをした。

「突然だが今日は転校生を紹介する。皆仲良くしてあげて欲しい。では入って」

扉が開く。最初に目に映ったのは緋色の髪。どこか錆びついたような印象を受ける。琥珀色の瞳を輝かせながら、少年は黒板に文字を引いた。

「言峰士郎です。よろしくお願いします」

凛にとってあまり気分のよろしくない名字を持つ少年は、落ち着いた様子で第一声を口にした。

 




麻婆は万能。士郎が貰った箱は皆さんが知っているであろうとあるアイテムの原典です。

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