日もすっかりと落ち、辺りは満月の月明かりが照らすのみとなっていた。
人通りも少ない通り道であり、更に夜だと言うのに嫌に騒がしい。
「み、みみ、見たのよ! あ、あそこでっっ!!!」
騒がしい、と言うよりは 非常に慌てている様子だった。
慌てているのは、2人組の老夫婦。
急ぎ足で、飛び込む様に入ったのは、屋台のそば屋。《十おそば》である。
「はぁ? お客さん、いきなりどうしたっていうんだ?」
せっせと、仕込みをしている店主は 忙しいらしく、目もくれずに店の準備をしている。
訊いてくれてないと判ったお婆さんは、もう一度、今度は正確に言った。
「目、目も鼻も、何もない、のっぺらがっっ」
「はぁ? のっぺら??」
「いたの、本当なのよっ! 信じてっっ」
お婆さんが見た、と言っているのは、夜の闇に乗じて現れた《のっぺらぼう》。それなりに、
そして、連れ添っているお爺さんも、一緒に見たのだろう、同じく首を振っていた。
「あ、あれは お、女だったわ。本当に、顔がつるっぺたでっっ!!」
驚愕だったからこそ、なかなか口が回らない様子だったが、それでもしっかりと言いたい事は言えた。信じてもらえているかは別として……。
「……つまり、なんでぇ。目も鼻も何にもない、つるっぺた顔の女を見た、と? 冗談言っちゃいけねぇよ。お客さん。営業妨害は、ひどいねぇ」
「ほ、本当なのよ!! ね、 あなたも見たわよねっっ!!?」
「ああ……。間違いない。アレは見間違いなんかじゃ……」
お婆さんと違って、お爺さんの方はまだ冷静でいられていた。
恐怖も勿論あったのだが、長年連れ添って生きてきた、女房であるお婆さんを守らなきゃならない事、そして、何より――――。
自分の変わりにテンパってくれている様だから、冷静になれていた、と言うのが正しかったりする。
そして、それを訊いた店主は、がらりと雰囲気を変えた。
冷静なお爺さんの言葉を訊いて、明らかに雰囲気を変えたのだ。
「へぇ……、もしかして、そいつぁ……」
ゆっくりと、不気味な程にゆっくりと立ち上がると……、くるりとこちら側に顔を向けた。……そこには、人間の顔にあるべき凹凸が一切ない。
「ひっっ……!!」
「っっ!!」
お婆さんは、恐怖のあまり、腰を抜かし、流石のお爺さんも、驚きを隠せず目を見開いて怯える。
そんな2人を見て、改めて問うた。
「こぉんな、顔……でしたかぃ……?」
「「うわぁぁぁぁぁ!!!」」
この男……人間の怯える姿を見るのが、何よりの生きがいの妖怪である。
心底恐怖し、魂がキンキンに冷えあがった所を見る、それこそが至福であり、快楽でもある。そして、……悪質な妖怪であれば、ここから先は………。
「(へっへへ…… さぁて……どう料理してやろう)って、ぶっっっ!!!!」
ここからが、本領発揮、と行きたい所だったのだが そう上手くはいかなかった。世の中、そう上手くいかないのは、人間であろうと、妖怪であろうと同じな様だ。
のっぺら男? は、次の瞬間には、もう 目の前の恐怖で震えている老夫婦の姿を見て楽しむ様な事は、一切出来なかった。
何故なら、“ゴッッ!!”っと 言う音と共に、吹き飛ばされてしまったからだ。
どうやら、自身の何もない顔面に、盛大に拳がめり込み、そのままぶっ飛ばされてしまった様だった。
『自分が、殴られたのだ』
と判った時には、もう既に倒れてしまい、大の字で空を仰いでしまっていた。
そして、そののっぺら男を殴った張本人はと言うと、怒り心頭の表情で、ぶっ倒れている男の前に立って 一喝。
「お年寄りをビビらせてんじゃねぇ!! 心臓に負担がかかったら、シャレにならねぇだろうが!!」
まさに正論、いやいや、滅茶苦茶正論である。
身体の弱いお年寄りが、ビックリして、そのまま ぽっくりと逝ってしまう……、なんて、恐ろしい事だが 有りえない話じゃないのだから。幸い無事な様だが。
『ス、スンマセンっしたぁぁ…………』
ぶっ倒れている男は、身体から白い靄の様な物を放出しながら、徐々に身体が消えてゆく。ちゃんと、謝った様なので、怒って殴った男は これ以上の追撃をしなかった。
そして、状況が呑み込めない老夫婦だったのだが……、どうやら 助けてくれた、と言う事だけは判った。
「き、君は……? 一体………」
震える身体に鞭を打ち立ち上がると、拳を軽く上下に振っている男に話しかけた。
勿論、男もちゃんと聞こえた為、しっかり振り返って、ぐっ と拳を構えて挨拶をした。
「オレは、冬空コガラシ。肉体派、殴る方専門の霊能力者っス!」
良い笑顔で説明をしてくれるのだが、正直 名前が判っても、理解しきれない部分がある様だ。
「に、肉体派? 殴る方? 専門??」
判らない部分を1つ1つ上げていくと、律儀に説明をしてくれた。
「オレは ああ言う、人様に迷惑をかけてる妖怪とかを、ぶん殴って 成仏させてる霊能力者なんすよ。……ああ、殴る方、って言ったのは ちょい オレの連れに
もう一度、ぐっ とポーズを取ると、続けていった。
「あ、因みに さっきのヤツは、《ムジナ》っつー、古典的なイタズラ妖怪っスね。大丈夫すか?」
正直な所、完全に理解した訳ではないが、 現に妖怪も目の当たりにして、更にその妖怪を豪快にぶっ飛ばしてくれた男も見ている。……信じられない、とは最早言えないだろう。
そして、何よりも助けてくれた事実がある。
「あ、ああ。助かったよ。お礼をさせてくれんか!」
「あ、私も、何か……」
お爺さんの肩を借りて、立ち上がるお婆さんも、何か礼を、と言うが、コガラシは 手を横に振った。
「いや、いいスよ。そんなの」
陽気に笑いながら、礼は無用、と言う。
だが、気が収まらないのは老夫婦。
「そ、そうはいかん! あのままじゃったら、ほんと、ぽっくり逝く所じゃったんだからな! だ、だから……」
と、必死に言うと 何かを思い出した様に、コガラシは指を立てながら訊いた。
「あ! そいじゃあ、この辺にある筈の、元温泉旅館の激安下宿、ゆらぎ荘! その場所、知ってたら教えて欲しいんすけど。今日からそこに下宿させてもらうんすよ。ちょっと道に迷っちゃって」
「激や……、って、ゆらぎっ!? ゆらぎ荘!?」
想定外の願いだったのか、眼を見開いて驚くお爺さん。
だが、コガラシは別段気にする様子は無さそうだ。……曰く憑き、と言う情報は、それとなく仕入れているのだから。
お爺さんの反応を見て、裏が取れたも同然だった。
心配そうな顔をしながら、お爺さんは続けた。
「マジでそこに行くつもりなのか? ってか、そこに住むのか? ……マジで?」
「マジもマジ、大マジっす」
ぐっ、と拳を握り込むコガラシ。
こちらも冗談を言っている様には見えない。恩人の頼み事とは言え 気が引ける案件なのだが、流石にここまで言って黙っている訳にもいかなかったお爺さんは、一先ず お婆さんを最寄りのコンビニで待ってもらう事にして、コガラシの案内人を務めるのだった。
そして、10~20分程歩いた所で……、例の建物が見えてきた。
「いやぁ、こっちこそが、助かったスよ。ホント。ぜーんぜん、場所間違ってたみたいで。あのままじゃ、野宿コースだったかも……」
10分強程の時間ではあるが、何ブロックか先の道を 二度三度と曲がって漸くついた為、コガラシは 方向音痴……と言う訳ではないが、訊き伝いでは しっかりと把握出来てなかった様なので、反省。そして反省すると同時に、目的地にしっかりとついた事で安堵をしていた。
「それは、大袈裟じゃ、と言いたいが……、ここからは、決して大袈裟じゃないんじゃぞ?」
「ええ、ここは、
コガラシの話を返事を訊いて、お爺さんはゆっくりと頷いた。
話をまとめると……
ここ 《ゆらぎ荘》が温泉旅館としてにぎわっていた頃、露天風呂で学生の死体が発見される、と言う事件が起きたらしく、それ以来 その霊が彷徨っている、と言う噂が立ち所に広がった。そのせいもあって、客足が途絶えてしまい、温泉旅館は廃業。今現在は、格安下宿と言う流れになっている。
「ウチとしても、困っとったんじゃ……。良い物件なのに、空き部屋だらけ。何人かは住んではいるものの、物好きな人らしか暮らせない、っちゅー事なんじゃろう……。増える見込み0じゃ」
はぁ、とため息を吐くお爺さん。
話を聞くあたり、どうやら 不動産も営んでいるのだろう。
コガラシは、ぐっと 拳を握りしめた。
「はっはっはー! そんな幽霊くらい、一発ぶん殴って、追い出してやりますよ! 今回は、更に気合が入ってるんでー!」
「おおー! それは頼もしいのーー! んん? ……今回、
疑問に思った様で、お爺さんはそう聞いた。
つい先ほどの説明は、端折ったのだが、 この《ゆらぎ荘》驚くなかれ、家賃はたったの1000円である(朝夕二食の食費は別)。
おまけに、初期費用もゼロであり、保証人も不要、即日入居も可能。……曰く憑き、と言う厄介な面が無ければ、最高なのだ。……それでも一般人にとっては、値段の問題じゃないから、誰も来ないのである。
因みに、温泉も入り放題。―――ここに、釣られたのは 先住人の彼である。
っと、補足はここまでにして、コガラシは お爺さんの言葉を訊いて首を左右に振った。
「いやー、違うんすよ。オレより1ヶ月……、いや 2、3ヶ月前に、ここに連れが入居したらしいんすけど……、そいつも手を焼いてるっぽいんで」
「はて……。……お、そう言えば、確かに、そんな子がおったの」
コガラシの説明を訊いて、思い出したお爺さん。如何せん、新入居者が集まらない場所だから、印象に残りやすいのだが……、そこは寄る年波である。
「オレは殴るんすけど、そいつ、蹴る方専門の霊能力者なんす。多分、説明はしなかったと思うすよ。オレん時は 緊急事態だった、っていう事もあって、バラしたすけど……、普通、信じないっしょ?」
「殴って、今度は蹴る方って……、触れるもんなんじゃな……。幽霊の認識、ワシ、変わっちゃいそう……。っとと、まぁ 確かに、このご時世、なかなか のぉ……、まぁ ワシは目の前の出来事じゃし、それに ゆらぎ荘もずっと見てきてるし。信じない訳ないんじゃが」
「一般人に、霊能力者だー! って、に名乗ったら、ふつーに白い目で見られるのは必至すよ! これまでだって、ずっと苦労を……………………」
拳をぎゅ~~っと、握りながら、それでいて、笑いながら言っていたのだが……、途中から一気に顔が暗くなった。
「ん? どしたんじゃ?」
「これまでの……大変な生涯を、思い出して……」
「生涯って、まだ子供じゃ……」
またまた、大袈裟、とツッコミを入れそうになったお爺さんだったが、最後まで口にする事は無かった。ここまで特殊な特技を持っているのだから、凡そ普通の経験はしてきてないのだろう、と予想できたからだ。
そして、訊いてみてビックリ―――、予想の倍々々………と、想像も出来ない程の経験をし続けてきたと言う事を知った。
「………オレ、元々霊に憑りつかれやすい体質だったんす。そのせいで、周囲に迷惑をかけっぱなしで、いろんな施設をたらい回しに……、挙句の果てに、デイトレーダーの霊に憑依されて、借金地獄のホームレス状態、それでも 辞めない
最後の方までいった所で、もうコガラシの眼には涙があふれ出ていた。悲しみ、そして 怒りも等しく織り交ざっている表情だった。
「だからなんすよ! 霊をひっぱりだして、蹴っ飛ばせるんなら、ぶん殴る事だって出来る! って、思ったんす! そして、そっからは早かったすよ! 霊能力者に弟子入りして、そいつとも研鑽を積み上げ、霊と戦っていけるだけの腕と術を身に着けたんす!! すべては、悪霊どもに、ぶっ壊された普通の生活を、いや、
「そ、壮絶じゃの……」
この少年……冬空コガラシの底知れぬ闇を垣間見た気がしたのは、お爺さん。
そんな闇を背負っているのだから、幽霊の1人や2人……殴れてもなんら不思議じゃない、と妙に納得までしてしまっていた。
「そしてーーー!!」
くるっ! と振り返ったコガラシの表情には、もう 怒りは消え去っていて、何処か気合が入った表情をしていた。
「いつもいつも一歩も二歩も先に行かれていたアイツが 手を焼いている案件を、オレのこの拳で解決できたなら、オレの方が上だって、証明もできるんすよ!! 同い年なのに、負け越してきて、悔しかったんす! でも、今やったら、オレが勝つっすよ!!」
「な、なるほどーー……。うんうん、男の子じゃな」
負けたくない精神は、見ていて微笑ましい。それは、どんなジャンルであれだ。
不正の類をしていたとするならば、話は別だが、ここまで真っすぐに正直に話すコガラシがそんな真似をする訳ないだろう事も直ぐに思えていた。
そんな時、だった。
『―――お前が、いったい誰に勝てるって?』
ぎぃぃ、と言う音と共に、ゆらぎ荘の扉が開き――、中から 誰かが出てきたのだった。
Q:「彼、ちゃんと道、教えなかったの?」
A: 今時 ○マホ(ちょいネタバレ)持ってない人に教えにくい。ちゃんと地図は渡した。後は自己責任で。
Q:「最後に出てきた人、明らかに……だけど、 なんで判ったの?」
A:あれだけ騒がしかったら、夜でも気付く。
Q:「あらすじに、ある日もう1人~……ってあるのに、漸く?」
A:………忘れてました。ガチもガチ、っす