剣を取る者は、剣で滅びる。
『新訳聖書 マタイによる福音書26章52節』より
わたしには、すべてのことが許されている。
しかし、わたしは何事にも支配されない。
『新約聖書 コリントの信徒への手紙1 6章12節』より
炎野タツキ。それが今日から俺の上官となる捜査官だ。アカデミーを卒業した時期こそ通常より遅かったが、卓越した戦闘能力で瞬く間に出世して歴代でも五本の指に入ると言われている逸材である。
最高クラスの能力を持つ喰種を駆逐可能と認められた証である白龍翼賞、年間で百体以上の喰種を駆逐した者に贈られる金木犀賞を有し、あの龍吉賞にも手が届くとの噂だ。だが、俺はこれまでその姿を見たことが無い。どうにも間が悪いのか、俺が喰種対策局に入った時にはドイツへ出張中であったし、彼が帰ってきた頃に俺は少々問題を起こし、コクリアという喰種が拘束される牢獄へと配置変えになっていた。
今回、捜査官として復帰したその日に彼と組むことになるとは思わなかったが。どうにも向こうが俺をご指名とのことだ。その情報に俺はどうも、うさん臭さを感じていた。通常なら前に問題を起こした捜査官などと組みたくはないはずだ。それに俺は正直凡庸な捜査官で重傷こそ負ったことは無いが、それは運が良かっただけだし、オペレートも事務作業も満足にこなせない。こんな俺などエリート様にはお荷物にしかならないはずだ。そうやって考え事をしているとスマートフォンの振動が俺を現実に引き戻した。そろそろ時間か。さすがに緊張してきたな。
「君が久遠寺二等捜査官か」
後ろから声をかけられた。思ったよりも柔和な声だ。慌てて振り向く。前髪の一部だけが赤く染められ、首には山羊をモチーフにした黒いタトゥーがある。間違いない。彼だ。
パンクロックでもしていそうな外見だが優しげな顔をしている。だが、服の上からでも肉体が引き締まっているのが分かる。その容姿にしばしば見とれてしまった俺は返事が遅れた。
「違うのか? それはすまないな。今、人探しをしているんだ」
「…………あ、いや申し訳ありません!自分が久遠寺飛鳥二等捜査官であります」
「そうか、合っていたんだな。恥をかかずに済んで良かったよ。僕は炎野タツキ、特等捜査官だ。今日から一緒に任務をすることになる。よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします。あの、それと何故俺を、いや私を……指名してくださったんですか?」
「あと俺、で構わないよ。女性だからと言って一人称まで染めなくていい。少なくとも半年は組むんだから、そんな調子では保たない」
「あ、ありがとうございます。その通りです」
「君が降格と左遷された問題のことはもちろん聞いているよ。保護観察対象である喰種への執拗な暴力、クインケ不当管理、上官である上等捜査官の命令を無視した挙句に病院送りにした件だろう?でも。僕が注目しているのはむしろそこなのさ」
「え?どういうことですか?」
「時に任務や立場を忘れさせるほどの暴力衝動はもし制御出来れば大きな力となる。閉塞した喰種対策局に穴を開けることになると思っているよ。クインケの不当管理にしたって非番の際の自衛のためだろう。ただの人間でしかない捜査官は武器を持っていなければ無力。そこを襲われて殉職だなんて情けない、としか思えない」
初めてかもしれなかった。俺をここまで評価してくれたのは。両親もアカデミーの教師どもも上官も。もう充分だ。喰種への憎悪だけではない、それを覆い尽してしまうような彼への尊敬。俺はまた命を懸けられる。この人のために。
久々に面白い人材だ。彼女もまた生まれる時代を間違えれば殺人鬼になったことだろう。多くの喰種を殺してきたが、おとうさんを超える強者に遭遇したことはない。あれ以上の興奮をまた味わえるかもしれないと思い、なった捜査官だが骨の無い日々に退屈している。
身体能力と生態以外は人間と何も変わりはしない喰種を悪と信じて殺す彼らの矛盾自体は面白くて仕方が無いがそれだけだ。合法的に人らしきモノを殺せるという自身の思い付きは良かった、がやはり足らないのだ。
自分は希代の殺人鬼。黒山羊。人間を殺さなくては空腹で死にそうだ。この現状をかき回すためには新たな風が、大きな力が必要だ。対策局が正義であり、喰種が悪だという盤上をひっくり返すパラダイムシフト。身動きが取れない僕には難しいが、それがやって来たら。王がやって来たら。僕は必ず動くだろう。その時まで座して待つ。空白の玉座の前で。
萬の人の目は汝を待つ。
『旧約聖書 詩編145編15節』より
みなが待っている。王を。僕はその王にはなれない。僕は黒山羊だ。
人殺しの巣窟でただ待つ。いずれ君臨する、凱旋する、「隻眼の王」を。