1945年
8/15
今日、漸く祖国と米国が繰り広げた戦争は、陛下の放送でもって終わることとなった。数えきれぬ犠牲者を出したこの戦いは、ついに終わりの時を迎えたのだ。
もう敵の空襲に怯える日々も、敵潜への警戒に神経を使う必要も、私が鍛えたパイロット達が海の藻屑となりに逝くのを見送る事も、みんなみんな全て、無くなった。
何だかんだで幼い頃から欠かさず残してきたこの日記は、今日この記述でもって記念すべき50枚目へと移行する、だが、この事は戦争が終わった事による安心感と、祖国は戦争に負けたと言う事実に対する悔しさとが混じり、私にとって複雑な心境を生むものであった。
戦争が終わったことに対する地元の人々の反応は様々だった。
《お国のため》と、一端の海軍軍人でしかない私にでさえ、理解できるほどの血のにじむ思いをしたのに、それが全て無駄となったと気づき、「夫の死はなんだったのだ、息子の死は何のためにあったのだ」と悲しむもの。
「まだ我が国は戦える!それなのになぜ!」と降伏を決めた国への怒りを露にするもの。
そして、自分にとっての地獄の日々が終わり、安堵するもの。
さて、戦争が終わったのだし、直ぐにでも大陸にいる兵士達の復員輸送が始まるだろう。
私も何だかんだで葛城の艦長だ、余り時間の経たない内に私へ復員輸送作業への従事が命令されると思っている。
或いは戦犯として裁判か何かで殺されるくらいか?
まぁ、少し前に取り敢えず自宅待機を命ぜられたが、夜遅いし、取り敢えず今日は艦で寝過ごして、明日、愛する妻の元へと還るとしよう。
(ページ下部に破損した葛城甲板上にて寝転がる創作と思われる男の写真が挟まれている。)
ーーー《中略》ーーー
1946年
5/10
いよいよもって帝国海軍の大型軍船による復員輸送も終わりの時が近づいてきた。
あの戦いからだいたい一年、最初、ボロボロの自国海軍で復員とか無理だろ、と私は思っていたが、どうやらアメリカが復員のために輸送艦を応援に出してくれた模様、9年前に観光した時よりも開いていた祖国との差の余りの酷さに愕然とする。
話を戻すが、私と乗艦「葛城」はこの日、朝鮮からの復員輸送のルートを担当することとなった。
なんでも、終戦のどさくさに紛れてソビエトが進軍してきたのだが、満州にいた守備隊の一部が奮闘したことによりロクに進軍できず、その間に逃げてきた人が多いのだとか。
そういえば国境の方に覇天の奴が出張っていた筈。
無事にしてるかなぁ?
6/15
きょうの復員受け入れの時、覇天の部下が相当数、此処にやって来た。
話を聞くと、覇天の奴、「自分一人でコイツらを押さえるからお前らは先に本国へ帰還しろ」と格好つけ、単独でソ連軍に突撃したとのこと、何やってんだか。
それと退却途中、アイツのいる方向へ二種類の巨大な戦車が群れを成して向かって行ったらしい。
だが結局、アイツの生死を知る者は居なかった。
少なくとも銃弾ごときで死ぬようなタマじゃねぇが・・・・・・。
まぁ、正確な情報が出てくるまで待つしかないか・・・。
7/15
うん、非常事態だ、余りにも大きな非常事態だ。
今日は特に大きな出来事が二つあった、まぁお陰さまで、今日は九年前のアメリカ観光の時以上に胃を痛めることになったのだが。
一つ目は覇天の帰還だ。
アイツ、やっぱりと言うかなんと言うか、まるで何事もなかったようにヘラヘラしながら帰って来たのだ。
まぁ、戦車の装甲を素手でぶち抜いたとか聞くことになった以外は、特にすさまじさを感じる事は無かった、まぁ《あの日々》にいやと言うほど見てるからなのだろうが。
そして二つ目。
こちらの方こそ私にとっては重要なことである。
・・・・・・《吸血鬼》の姉妹と出会うこととなった。
有り得ないとか叫びたかったが、あいにく私は何種類もの《吸血鬼》とであった経験がある。
(但し、俗に言う《吸血鬼》とは程遠いのばかりであるが。)
そんなわけで姉妹の少女達をざっと観察すると、いかにも「武」を極めている雰囲気のする華人と思われる女性と、ヨーロッパから来たと思われる紫髪の少女とが一緒であった。
葛城に乗ってきたその姉妹達だが、どう贔屓目に見ても幼い、とりあえす付き添いと思われる紫髪の少女の体調が悪そうに見えたので、取り敢えずこっそり艦長室に連れていくことにした。
覇天が居合わせたが特に問題なかったことを記しておく。
彼女達から名を聞いた。
ーーーーがーーーのーであーーー・・・
(以降、文字がかすれて読めず、後数行の所で最後のページが終了しているため、次の冊に跨がってるのかどうかすら解らない。)
(が、しかし、このページ冒頭に撮影日時不明な写真があり、そこに蝙蝠の羽が背中にある10歳手前ぐらいの少女と、ぶら下がるひし形の水晶と思われる物体が付いた枝のような、恐らく羽とおぼしき物が背中にある前者よりも更に幼く見える少女の姿がある。)
・・・・・・以上が今回の調査にて発見された、創作氏の日記の続きである。
しかしながら、現状では1941年より前と、この日以降のことを記した本冊子の系列は未だに発見されていない。
1943年の日記に残されていた《異様な写真》の件から始まった彼の前半生を辿る本調査は、1946年7月15日の手記と。「彼の身に歩んだ道は、常人と余りにもかけ離れたものである」と言う事が大方予想できる範囲に至る事となった。
本調査の結果、これまでの調査の結果にて、彼が秘蔵していた資料などから、間接的にナチスがオカルトに傾倒した理由に《人類とは別のベクトルで恐ろしい生命体》の存在の一端が見えた事と関連性があると本調査チームは確信し。
創作氏の前半生において、彼の身に何が起きているのか、更なる調査が必要であると判断し、更なる追加調査を要請することで、今回の調査報告の締めくくりとする。
日米両歴史学会公認。
2008年8月15日発表、
アメリカ、ミスカトニック大学と、日本、内亜螺大学共同研究チーム著。
第7回「蒼井創作の(謎)に関する調査報告」第三項、《残された手記について》より。
(原文訳、一部抜粋)