幼女を愛でつつ敵をくっころし天下を統一するだけの話 作:ちびっこロリ将軍
死ぬかと思った。
孫策への奇襲失敗から敗走。そして、馬陵の戦いを模した釣り野伏せもどきの作戦で窮地を脱した俺は安堵のため息を漏らした。
逃げ遅れた兵士から、なぜ奇襲が分かったのか聞き出した所、勘で分かったと聞いて、そのあまりの理不尽さに「このくそチート野郎!」と怒鳴りたくなった。
実際、女なわけだから、野郎はおかしいが理不尽な塊であることは間違いない。
刻々と状況が悪くなり、死を覚悟したのも二度や三度ではなかった。部隊を統率する事で手一杯だった状況下で、朱里と雛里が時間稼ぎの策を幾つも授けてくれなかったら、既に命は無かっただろう。
周泰が迫ってきた時、朱里がとっさに連弩による殺し間を作ってくれていなければ死んでいた。そういうギリギリの戦いだった。
二人は自分の成果に対して満足していないのか落ち込んでいたが、値千金の働きをしてくれた。俺自身、民を犠牲にした焦土戦なんて嫌だし。そんなことをしたら、その地域に一生行けないだろう。そして、そんな勝ち方をした所で未来はない。
この時代の戦は基本的に色塗りである。力のある豪族をいかに取り込み、自分の色に染めるのかが鍵となる。この一勝を大々的に宣伝し、孫策恐るるに足らずという事をアピールし、荊州を俺の色に塗り替える必要がある。それに関しては自信がないわけではない。でもそれだけではこの時代生き残れない。
群雄割拠の前半期は多くの豪族を味方につける事が必要不可欠。だが、それだけでは後半は敗北の一途を辿るだろう。
青州兵と呼ばれる直轄軍を主体に作り上げ、現代のラインアンドスタッフと呼ばれる組織構造に近い形での軍隊組織を形成し、曹操は群雄割拠の時代を制した。……とかいう内容の本を前世で読んだ記憶がある。数で押すのではなく、優秀な参謀を抱え、その作戦を確実に実行する手足となる軍隊の存在によって乱世の覇者となったという話だ。
孫策は青州兵の代わりに山越と呼ばれる旧越の地域に住む民族を奴隷狩りによって獲得して、自分の子飼いの配下に配る事で君主権を確立したそうだが、正直、あまり好きな手法ではないし、俺は孫策と違って越人に恨みがあるわけでもない。
その本の事を信じるなら、君主権とかうんぬんも今後考えなければいけないが、今を生き残らないと今後も糞もないから、今は豪族を自分の味方に呼び込むとしよう。
そんな感じで今後の方針を纏めた所、俺の前で気絶していた女性が目を覚ました。
俺が詩人であれば、髪は烏の濡れ羽色とでも例えるだろう美しい黒髪に、きめ細やかな褐色の肌をしていた。
この飢餓の横行する時代ゆえに必要な栄養が取れず、胸は小さいものが多いものなのだが、胸の大きさからいって、食に苦労していない身分だと分かる。そうでなくとも服装も雅であり、戦場に居たにも関わらず、武官というよりも大豪族の令嬢というのが似合うだろう。
その女性は、目の前に居る俺に対する警戒を強くし、周囲を見渡し、流麗な眉を顰め、言葉を吐いた。
「くっ! 殺せ! 貴様等に話す事などない!」
……どうしようこの人。
▽▲▽▲
周瑜
軍師としてのイメージが強いが、中国七十二名将の一人として挙げられており、武功も軍師の働きというよりは武将の人だろう。
俺が起官であった近衛兵の時代、大尉(防衛大臣のような職務)が周家の当主であった周忠さんで、周瑜の母である周異は洛陽令だったから覚えている。洛陽周辺の軍事力を掌握していたくらい興隆していて、それは少し前までも影響力が大きかった。周忠さんは名声高い名士であり、かつて大尉を務めた大物として董卓に求められた人物だった。
まあ、その娘であった周暉が、親が親董卓側に付かざるを得ない状態で反董卓連合に私兵を率いて参加したいとかアホな事を言い出して、最悪な事にそれがバレて粛清されたんだけど。
周氏本家の当主と次期党首を失った周家は自らの手勢を賄えないくらい落ちぶれる羽目になったと聞いていたが、どうにも、そんな状態の周家を助けたのが袁術らしい。孫家に対して恩のある周家を使って孫家をコントロールしたかったとかその辺だと思う。実際の所は知らないが。
周氏の分家筋の娘を当主にして傀儡にするとかやりそうな奴が一人思い当たる。まあ、乱世にただの傀儡は要らないだろうから、実力もあるような人物を立てたのだろう。豫州争奪戦も袁紹派の周家と袁術派の周家で後継者争いやっていたらしいし。
恩とか義理とかそんなもんで縛りつけてるんだろうな。あいつ性格悪いから。
今は、それしか情報が無かったのだが、孫策と帯同していた事から周瑜が監軍をしていたのか、軍師をしていたのか分らないが、孫策と関係を密にしていたのは確かだろう。
正直、捕虜として財宝かなにかと引き換えに渡すのが礼儀だろうが、正直、それは怖い。
孫家の飛躍には常に周家の影があった。
孫策が死んでから八年間、張昭が孫策に後を頼まれ孫権を励まし、孫策の死後の混乱をまとめた時、周瑜は呉郡に居座りまったく孫権の為に働かない。その期間は停滞期である。
対して赤壁の戦いで孫権と周瑜の間で同盟が組まれた際、曹操の覇業を阻止し、江南の地盤を作ったという背景がある。
後漢の軍師はニートでもしなきゃならんのかと思うが、周瑜も孫策死後、独立云々をやる気が無くなったんだと思う。
仲の悪い二人でも手を組むととんでもない事になるのだ。孫策が生きていたらなんてIFを考えるとぞっとする。
孫策に周瑜を返してみろ、虎に翼どころか空飛ぶティガー戦車みたいなもんだ。直感チートなんてもんを持ってるやつに頭脳なんてもんを与えたら、今度は間違いなく殺される。
今回は運に恵まれたに過ぎない。もう四千で五万相手に逆転なんて出来ないだろう。
問題はぜったいに味方に付かないであろう有能な敵の将軍か軍師である周瑜の扱いに困って相談したら、周瑜の知名度が無さすぎてふつうに返還すればいいとか言ってきた。
悲報、周瑜、知名度が無い。
正確には無いわけではないが、十万の敵を二千で破ったとか、そういう派手な武功を誇る奴が増産されたのが黄巾の乱であり、その一人。そしてその配下となれば、一学生が知っているレベルとしては優秀な人が居るらしいレベルなのだ。
まあ、二人をはじめ、豪族連中は黄巾の乱なんて雑魚狩りだと思っているからしょうがない。実際そうだったし。
その戦いで孫策自体の勲功が序列でいえば十二、三番目。そこの武将の軍師をしている数居る名門の数居る分家の長女の名前なんて出てこないのだろう。実力と名声は必ずしも一致しないものだから。
あまりにも軽いので周瑜の脅威を説明すると「劉表様がそうおっしゃるのであれば、直ぐに殺しましょう」とか簡単に言い始めた。
敵武将とか賊に対してはツンドラ並に厳しい。
しかし、他の奴に相談したら、絶対に頸を晒して孫策煽ろうぜとか言い始めるに決まってる。この時代の中国の倫理観はいつまで経ってもなれないし、ちょっと付いていけない。
……という事で、おれは監禁して孫策を曹操辺りが倒してくれるのを待っている。そろそろ、袁術が荊州から追い出されるだろう時期だ。よく覚えてないが。
孫策と戦って負ける際、周瑜の命と交換条件での助命とかしてくれないかな~とかいう打算もある。卑怯とか小賢しいとか言われようとも俺は俺とまわりの命より大切なものはないからしょうがない。
しかし、めっちゃ睨んできてるんだけど、俺ってそんな悪い事したっけ? そっちから攻めてきて、それを防衛しただけだから別に恨まれる事はしていないと思うんだけど。