「わたくし、精霊ですのよ」
来禅高校の制服を身に包んだ転校生の言葉に二年四組の教室は静まり返った。
だが、それぞれが言葉を失った理由はまちまちだ。
一番、多いのが少女の電波な発言に怪訝そうな顔を作った生徒達。
それに次いで、多いのは彼女の美しい容貌に見惚れて、彼女の言葉を聞き逃した男子たち。
―だが、少女の言葉の本来の意味を理解していた士道と十香は驚愕に目を大きく見開き、折紙は敵意を込めた視線を向けている。
士道は頬を汗が流れ落ちていくのを感じながら教卓の横に立つ転校生を注視する。
黒髪を二つに結わえた少女だ。
肌は真珠のように白く滑らかで、制服越しであっても華奢なボディラインである事がわかる。
もっとも特徴敵なのは前髪だ。
少女の顔立ちは恐ろしく端正なのだが…前髪が異様に長く、顔の左半分を覆い隠しているのだ。
だが、士道はその事に感謝していた。
前髪に隠れていない右目―その視線に晒された瞬間、まるで悪魔に魅入られたような陶酔感を覚えたのである。
その視線は正しく神話や伝承に語られる淫魔のそれである。
もし両目で見つめられた場合、士道も先程の男子たちのようになっていないという自信は無い。
士道は唾液を飲み下し、黒板に目をやる。
そこには白のチョークで名が記されていた。
「時崎…狂三」
士道は小声でその名を呟く。
「………っ!」
瞬間、狂三が士道の方を見た気がする…。
否、気がするのではなく狂三の視線は士道を見つめていた。
まるで蛇に睨まれた蛙のように士道は身じろぎ一つ出来ずにいた。
そんな士道を瞳に写しながら狂三は微笑み。
「皆さん、どうか仲良くしてくださいまし」
言って、小さく頭を下げる。
戦慄する士道を放置して、ぱちぱちという拍手の音が教室に広がっていった。
朝のホームルームが終わり、タマちゃんが教室を去っていくのを見届けた士道はポケットから携帯を取り出して琴里に電話をかける。
琴里がフラクシナスにいないため、念話は使えないのだ。
『もしもーし、お兄ちゃん? どうしだの?』
どこかのんびりとした口調。
司令官モードではないいつもの琴里である。
『緊急事態だ』
どこか切迫したような口調でそう言ってチラリと狂三を見る。
挨拶の時から自分を精霊であると中二病全開発言をしたにも拘わらず、狂三の周りには人だかりができており質問がひっきりなしに飛び交っていていた。
十香の時もそうであったが美少女転校生を見るために他のクラスからも生徒が集まってきていた
。
『それで?どうしたの士道?
まさか精霊が出たとかじゃないわよね?』
士道の口調に何かを感じたらしく、琴里の口調が司令官モードに切り替わる。
士道が狂三を見て取れた間にリボンを付け替えたらしい。
「ああ、そのまさかだ…っと言っても転校時の挨拶に自分が精霊だと言っただけなんだがな」
『意識過剰じゃないの?』
「だと良いんだがな…どうも」
狂三が自分を見つめた時の背筋を走る怖気が士道の直感に何かを告げているような気がするのだ。
『まあいいわ。
精霊の名を知っているのもおかしな話だしね。
雷華にも協力してもらって調べてみるわ』
「おう、頼む」
そう言って士道が電話を切った瞬間、一限目の授業開始のチャイムが鳴り響いた。
「最近この近辺で、失踪事件が頻発しているそうなのす。
皆さん、出来るだけ複数人で暗くなる前にお家へ帰るようにしてくださいね」
「んっ?」
時刻は進み、三時を過ぎた辺り。
帰りのHRでタマちゃんの言葉に、士道は小さく眉を上げる。
朝のニュースでそのようなことを言っていたような気がしたからだ。
天宮市の名が出ていたために意識の端に引っかかっていたのだ。
『そういえば苺さんは大丈夫かな?』
ニュースを見ている時に彼女から少しばかりその事について調査してみる旨のメールがあったのだ。
士道が相良家で修行をしていた時もイザコザに自分から首を突っ込んで行ったのである。
『まっ、大丈夫だろうけどな…』
だが、苺にとってそのような心配事が無用であることは士道が一番良く知っている。
などと思案を巡らせていると、起立の号令が響く。
それに従い、椅子から立ち上がり、礼をする。
タマちゃんは「はい、さようなら」と言って教室を出る。
周りから、席を立つ音と、生徒たちの談笑が聞こえてくる。
下校時刻であるが士道には仕事が残っている。
朝のHR時に校舎内を案内してほしいと狂三から頼まれたのである。
『―用意はいい?士道』
『とっくにできてるよ』
幼く、それでいて高圧的な琴里の声に士道は念話で答える。
『前例があるにせよ、まさか本当に精霊が転校生として現れるなんてね…』
前例―恐らく桜の事を言ってるのだろう。
琴里に依頼した依頼した狂三の観測結果は、昼休みに士道の携帯に伝えられた。
結論から言えば狂三は彼女の言葉通り精霊だった。
また、雷華が衛星にハッキングして狂三が現界した際の映像を確認しているとのことなので間違いは無いだろう。
『―でも好都合よ。
向こうからお誘いをかけてくれるなんてね。
警報が鳴っていない以上、ASTもちょっかいをだせないでしょうし、願ったり叶ったりじゃない。
今のうちに好感度を上げて、デレさせちゃいなさい』
『……確かにな』
狂三の意図が今ひとつ掴めないが今は動く時である。
某塾の講師では無いが何時やるか?今でしょう!である。
「士道さん」
士道がそんなことを考えていると誰かが士道の肩をつつく。
「おう、時崎か…」
特に驚いた様子もなく、後ろを見る。
やはり、士道の肩をつついたのは狂三であった。
「うふふ、狂三で構いませんわ。
それにしても…余り驚かれませんのね?」
少しがっかりとしたような様子を見せる狂三。
「まっ、ある程度の修羅場を切り抜けてきたからな。
大抵の事には驚かんさ…
さっ、少しの間だがエスコートさせてもらうぜ狂三」
士道がそう言って手を取ると狂三は嬉しそうに微笑む。
その様子を見て不機嫌そうな表情を浮かべる十香と相変わらず無表情の折紙に「悪い!」っと一言告げて士道は狂三と共に教室を後にした。
「それで、士道さんどこから案内してくださりますの?」
「…そうだな、先ずは食堂と購買を見に行くか。
何かと必要になるだろうし」
「ええ、構いませんわ」
士道が言うと、狂三は可愛らしく微笑を浮かべて頷くと士道の横を歩く。
「では、参りましょう」
「おう」
やたらと積極的な狂三にできるだけ主導権を握られぬようにしながら足を動かす。
現在地から一階の購買部に向かうならば西階段を降りるのが一番早いかだろうと考えながらゆっくりとした狂三の歩調に合わせて歩く。
その道中にヒソヒソと下校中の生徒たちが士道の事を何やら言っているが無視。
それと同時に後方に気配を感じる。
つい先日、折紙とデートしていた時と同じように十香達が着いてきているのだろうか?
『夜刀神十香、鳶一折紙、陽乃宮桜の三名です』
等と考えていた士道の頭に《オーディン》の声が響く。
『なら…無視だな…』
そう言えば…っと士道は気づく。
こうして二人で歩いてるのに先ほどから何も話しかけてないのだ。
『…とりあえず、今朝の精霊の事について聞くかな?』
等と思いながら狂三の方に視線を向ける。
瞬間、狂三の髪に隠れていない右目と目が合う。
それと同時に彼女は嬉しそうに微笑んだ。
まるで、士道が自分を見てくれるのを待っていたかのように…。
「狂三。
歩くときには前を見てた方が良い。
危ないからな」
狂三と目が合った瞬間、心臓が震えるのを感じたが何とか悟られぬように努める。
そんな士道の言葉に狂三は目を見開く。
「気をつけますわ。
わたくしを気遣ってくださるなんて、士道さんは優しいですわね」
「いや、そんな事はない」
「ご謙遜なさらないでくださいまし。
士道さんの横顔に見とれてしまったわたくしが悪いのですわ」
「ははっ、狂三は冗談が上手いなー
ところで狂三、朝に言ってた精霊っていったい何なんだ?」
会話に質問を混ぜた士道に狂三は一瞬キョトンとし―すぐに、ふふっ、と微笑む。
「―うふふ、とぼけなくてもいいんですのよ、士道さん。
あなたは知っているのでしょう?
精霊の事を」
「…………っ」
狂三の言葉に、士道は息を詰まらせる。
『何なの?この女は』
琴里も同じように、いぶかしげに声を響かせる。
『士道が精霊の存在を知ってる事を確信してる?どういう事よ』
狂三の能力が雷華のように情報収集に特化した能力である可能性も否定できない。
だが圧倒的に狂三の情報が少なすぎる。
「なんで俺の事を知っている?」
故に、士道はその疑問を口に出す。
「ふふっ、それは―秘密」
「え………?」
「でも、私は士道さんに会うために、この学校に来ましたの。
士道さんの事を知ってからずっと焦がれてましたわ。
士道さんの事を考えない日は無いくらいに。
だから――今は、すごく幸せですわ」
そう言って顔を朱に染める。
「…………ッ!!」
士道は顔が熱くなるのを感じると再び歩き出す。
これ以上、狂三と顔を合わせていると本当に心を持って行かれそうだった。
『そう簡単には口を割らないか…。
仕方ないわ、攻略を続けましょう。
―それにしても情けないわね。
殆どに主導権を握られてるじゃない』
『うるせー』
「士道さん」
念話で文句を言うを言う士道の背中に何やら柔らかいものが押し付けられる。
言うまでもなく狂三の胸である。
なかなか落ちない士道に業を煮やしたのか大胆な行動に出たのだ。
「ちょっ…狂三」
狂三の予想外の行動に士道は慌てる。
「ねぇ、士道さん」
そんな士道を弄ぶ狂三が唇を動かす。
「なん…だ?」
「わたくし、士道さんにお願いがありますの。
…聞いてくださりまして?」
同時に密着した状態にあるために耳に狂三な吐息がかかる。
その甘い吐息と共に耳へと入ってくる言葉にクラクラと酔っ払ったような感覚に陥る。
そんな状態でお願いされたら無条件で首を縦に振ってしまいそうであった。
「あ、あー」
だが、その瞬間。
「ぬわ…っ!」
そんな叫びと共に近くの教室の引き戸が開き、十香、折紙、桜の三人が廊下へと倒れ込む。
「あらあら?お三人して何をなさっておりますの?」
狂三が士道の背中に身体をくっつけたまま不思議そうに三人を見る。
「士道くん、ごめんなさいなんだよー。
本当は二人を追跡なんかするつもりなかったんだよー」
等と申し訳無さそうな態度の桜と対称的に十香と折紙はご立腹といった様子だ。
「シドー!狂三を案内するのになぜそんな破廉恥な事をしているのだ!」
「時崎狂三。
学校案内で後ろから抱きつく必要が無いはず。
今すぐ離れるべき」
十香と折紙が珍しく同じような意見を述べている。
「狂三が貧血でふらついたんでな。
調子が良くなるまで背中を貸してやっただけだ」
我ながら苦しい言い訳だと思いながら士道は十香と折紙を見る。
十香と桜は信じてくれたようだが折紙は未だに怪訝な表情を浮かべている。
『さて、どうやって誤魔化すかな…』
等と考え始めた矢先に携帯のバイブ音が響く。
「―――もしもし」
と、折紙がポケットから携帯を取り出し、話し始める。
電話口に向かって淡々と相づちを打ったのち、なぜか狂三に鋭い視線を送る。
「………了解」
そして、静かに電話を切る。
「急用ができた」
折紙はそう言うと、もう一度狂三に刺すような眼光を向けて歩き去って行った。
去り際、士道の耳元に「時崎狂三に気をつけて」と言う言葉を残して。
『気をつけてか…』
ASTの隊員としての忠告か、はたまた女性としての嫉妬から来るものか…。
折紙の言葉を士道は頭の中で反芻するする。
「士道さん」
「おう、悪い」
狂三に促されて士道は右側に狂三を、左側に十香を、後ろに桜を引き連れて歩き出す。 …周囲から注がれる視線がより一層強まったのは言うまでもない。
午後六時。
一通り学校内の施設を案内し終えた士道は、狂三、そして半ば無理矢理くっついてきた十香、桜とともに校門をくぐり、夕日に照らされた道を歩いていた。
「まぁ、大体あんなところだ。
わかったか?」
「ええ。感謝いたしますわ。
………本当は、二人きりがよかったのですけれど」
「は………はは」
冗談めかして言ってくる狂三に苦笑で返す。
正直、士道は十香達に感謝していた。
一人だと狂三の妖しげな色香に惑わされてしまいそうだったからである。
『ここまで気疲れしたのも久しぶりだな…』
出来るだけ心を平静に保つために精神をすり減らしたような感じがするのだ。
―――と。
「それでは士道さん、十香さん、桜さん、わたくしはここで失礼しますわ」
十字路にさしかかったあたりで、狂三が礼をして、そう言った。
「おう、また明日な」
「む、そうか。
ではまた明日だ」
「バイバイなんだよー」
士道達が小さく手を振ると、狂三は夕日の中に消えていった。
狂三と別れたあと、士道は十香と桜の三人で近所のスーパーへと夕飯の材料を買いに行ったのだ。
中身の詰まったビニール袋を右手に引っさげてだいぶ暗くなった道を歩く。
「しかし、今日はナイスタイミングだったな―」
ちょうどタイムセールが始まったばかりの時間に店へ入ったため、三割引の合い挽き肉が大量に手には入ったのだ。
「シドー!今日の夕飯はハンバーグか?」
十香もここ数週間で、材料からメニューを推し量るのに慣れたらしい。
興奮気味に口を開く。
『あ、私もそれに一票』
「私も食べたいんだよー」
っと、まだ通信のつながったインカムから琴里が、十香の隣から桜がそれぞれ言った。
「りょーかい」
っと三人の言葉に頷いたところで。
前方からスニーカーの底でアスファルトの道を擦るような音が聞こえて、士道は顔をそちらを向ける。
「士道?」
「士道くん?」
士道と同じように十香と桜も顔を向ける。
そこには、ポニーテールと泣き黒子が特徴的な、琴里と同年代程の少女が、驚いたように目を見開いて立っていた。
パーカーにキュロットスカートというラフな格好。
白いスニーカーには着いて間もないような赤い血の痕のような汚れが目立っていた。
「……?」
見知らぬ顔の少女なのだが何故か妙な既視感が、どこかで会ったような気がしてならなかったのだ。
そこで士道は少女が自分を見つめているのに気づく。
『マスターの事を見ているようですね』
《オーディン》がそう言ったところで。
「に」
少女が、小さく唇を動かした。
「に?」
士道が聞き返すも少女は答えずに、走り出すと士道の胸に飛び込んできた。
「「「なっ!?」」」
少女の行動を予想していなかったのか士道達は目を丸くする。
少女はそのまま身体に手を回し、感極まったように抱きついてくる。
「ちょっ、ちょっと!」
珍しく士道が慌てて少女を引っ剥がそうとするがそれも途中で妨害される。
少女が、士道の胸に顔を埋めながら、こう言ったのだ。
「―兄様……ッ!!」
『はいぃぃぃ!?』
その瞬間、路上と《フラクシナス》艦橋において五河兄妹の声が見事なまでにシンクロした。
第一話ですー