「うふふー。
ねえ、だーりん。
もっとこっちに来てもいいんですよお?
ほおらあ」
「美九」
「なんですかー?
あ、そうだ。この前美味しいイタリアンのお店を見つけたんですよお。
今晩って何か予定ありますかぁ?
よかったら一緒に行きましょうよぉ」
「悪いが十香たちの晩飯作らないとならないからな…」
「なぁんだー、じゃあ十香ちゃんたちも一緒に行きましょうよー。
私はそこまで狭量な女じゃ、ありませんよー。
もちろん私の著りですから安心してくださいねえ」
「だからな…美九 」
無邪気な笑みを浮かべながら身体を押しつけてくる美九に目をやりながら、士道は困り顔を作った。
美九は一応、学年では士道の一つ上のはずなのだが、日頃から先輩らしからぬ子供っぽい言動が見受けられるのだった。
だというのに身体の方はしっかり育っており、動くたびにその豊満なバストが士道に押しつけられるのだから士道の方も大きく調子を崩される。
とはいえ、今士道の調子を崩しているのは、美九の無邪気なアプローチのみではなかった。
「…」
重い視線が、士道の全身に絡みつく。
そう。士道の妹・琴里が、士道と美九の目の前に座っているのだ。
今は真紅のジャケットを肩掛けにしながら頼杖を突き、士道と美九の一方的ないちゃいちゃを、不機嫌そうに眺めてきていた。
士道たちがいるのは、空中艦〈フラクシナス〉内の一室だった。
意図的に照明が絞られているかのような、薄暗い空間である。
中央に士道たちが座する椅子が置かれ、その周りを囲うように長机が並べられていた。
まるで緊迫した面接会場か、さもなくば裁判所といった様相だ。
美九はあまり気にしていないようだったが。
「美九、そろそろ話してくれるか?お前が精霊の力を手に入れた時の事を…」
士道がそう促すと美九は「はーい」と返事をして口を開いた。
「『ねえ、力が欲しくはない? 世界を変えられるくらいの、大きな力が欲しくはなぁい?』。
『神様』はそう言って私に、キラキラ光る紫色の宝石みたいなものを差し出してきました。
そして、それを受け取ろうと手を伸ばしたら、その宝石が私の身体の中に溶け込むように入ってきて……次の瞬間には、私は、誰にでも言うことを聞かせることのできる、魔性の『声』を手に入れていたんですー」
「……なるほどね」
琴里が難しげな顔でうなり、くわえていたチュッパチャプスの棒を立てる。
「その『神様』とやらのことを、わかる限り全て話してちょうだい」
「全て、と言われましてもお……」
美九が、困ったように眉を八の字にする。
「なんだか不思議な感じだったんですよねえ。
確かにそこにいるのに、ノイズがかかったように姿が認識できなかったり、確かに声を聞いて、その内容を理解しているのに、どんな声だったかまったくわからなかったり。
ーなんていうか、存在そのものにモザイクがかかってるような感じだったんです ー……」
「……そう」
琴里が小さく息を吐きながらそう言う。
とはいえ、美九の回答はだいたい予測していたらしくそこまで落胆しているようには見えなかった。
「じゃあ、質問を変えるわ。
あなたは精霊の力を手に入れてから、破壊衝動に襲われたり、自我を侵食されたりしたことはある?」
「破壊衝動……ですかぁ。
いえ、あまり思い当たる節はありませんけどお……」
「ふうん…」
琴里が眉を盃めながら、手元の書類に何かを書き込む。
「なかなか<ファントム>の手がかりは見つからないわね…」
<ファントム>ー美九や琴里、雷華に霊力を与え、精霊に変化させた存在。
精霊なのか、人間なのか、それともまた別の生物なのか。
なぜ人間を精霊にすることができるのか、何のためにそんなことをしているのか、一切が謎に包まれた、文字通り幻影のような『何
か』である。
「むー……」
と、士道が思案を巡らせていると、不意に腕がぐいと引かれた。
見ると、美九が頬を膨らませていることがわかる。
「私を無視して二人だけで考え込まないでくださいよぉ」
「ああ……悪い悪い」
士道が苦笑すると、琴里も思い直すように小さく咳払いをした。
「ごめんなさいね。
でも安心して。
事情聴取はまだ始まったばかりよ。
これからしっかり詳細な話を聞いてあげる。
〈ファントム〉に記憶操作をされてる可能性も捨てきれないから、ちょっと脳波を見るために頭に電極も貼りましょうねー?」
琴里が微笑みながら言うとそれは対照的に、美九が嫌そうな顔で頬に汗を垂らした。
-結局美九が琴里から解放されたのは、辺りが夕日に染まってからだった。
〈フラクシナス〉の転送装置で五河家の前に転送された美九が、よろめくように士道にもたれ掛かってくる。
「大丈夫か?」
「つ、疲れましたぁ……」
言って、美九が大きなため息を吐く。
「……なんかもう、今日はまっすぐおうちに帰ってお布団にダイブしたい気分ですー。
だーりん、ごめんなさいなんですけど、例のお店はまた今度でもいいですかぁ?」
「ああ、構わないぜ……」
士道が言うと、美九は胸元で手を組んで、顔を明るくした。
「んー、もうっ、だーりんてば本当に優しいんですからぁっ」
そしてその姿勢のまま、さらに身体を押しつけてくる。
「おいおい…仮にもアイドルが、ヤバいんじゃないのか?」
士道が苦笑しながら言うと、美九が一瞬、呆けたような顔を作った。
美九は奇跡の歌声を持つアイドルとしてかなり名の知れた人物なのである。
長らく正体を隠して歌手活動をしていたため、あまり顔は知られていなかったのだが……先月からテレビ出演を解禁したこともあって、今や彼女の顔は日本全国に知れ渡っているのだ。
こんな無防備な姿を晒していては、一瞬でスキャンダル写真を撮られてしまうだろう。
しかし美九は、士道の思考を見透かしたように、唇の端を上げた。
「ふふ、いいんですよー、そんなの。
もしパパラッチが潜んでるなら、目線とピースくらいサービスしてあげます。
フライデーでもサンデーでもドンと来いってんですー」
「……いや、サンデーは大丈夫だと思うけど……」
士道が再度苦笑を浮かべるると、美九は「ふふっ」と微笑んでみせた。
「だーりん、言いましたよねー?
もし誰も私の歌を聴いてくれなくなっても、だーりんだけはファンでいてくれるって。
だから……大丈夫なんですー。
だーりんさえいてくれれば、私は、何があっても」
「ああ そうだな」
士道は美九の目を見つめ返すと、小さく首を前に倒した。
美九はそんな士道の反応を見て満面の笑みを作り、士道から身体を離した。
「じゃあ、今日はそろそろ失礼しますー。
また会えるのを楽しみにしてますね、だーりん」
「ああ、またな」
「はいー。じゃあ 」
と、美九が不意に、士道の首に両手を巻き付け、 「んー」と唇を突き出してきた。
「何してんだ、美九 ?」
「ええ?何って?さよならのちゅーですけど」
「いくらスキャンダルが怖くないからって、おかしいだろ、それは」
「ううん、もう、恥ずかしがり屋さんなんですからぁ。
大丈夫ですよー。
ほおらぁ」
「おい、ちょっと 」
美九がぐいと両手に力を入れてくる。
士道はされるがままに顔を引き寄せられー
「あーっ! 何をしているのだ二人ともっ!」
不意に右方から響いた大声に、肩を震わせた。
士道と美九が、同時に声のした方向に顔を向ける。
そこには、わなわなと手を震わせながら目を見開いた少女が立っていた。
十香である。
そろそろ夕食時のため、五河家にやってきたのだろう。
「十香!」
「あらー、十香さん。
お久しぶりですねえ」
美九が朗らかな調子で言う。
すると十香がのしのしと歩いてきて、士道と美九をぐいと引きはがした。
そして、士道を守るように、手を広げて二人の間に立つ。
「大事ないか、シドー!
おのれ美九め、改心したと聞いていたが、一体何のつもりだ!」
と、十香が視線を鋭くすると、十香がやってきた方向から、さらに新たな足音が四っつ、聞こえてきた。
「ふん、我と夕弦の共有財産である士道を毒牙にかけようとは、いい度胸だ。
よかろう、御主に八舞の恐ろしさ、教えてやろうではないか!」
「警告。
士道に接触する際は、所有権を有する夕弦と耶倶矢にその旨を記して申請書類を提出してください」
言って可具矢と夕弦が、美九に向かって構えを取る。
「み、道の真ん中でそんな……いけないと思います……」
そう言って四糸乃が頼を赤くする。
それと同時に、彼女の左手に装着されたウサギのパペット『よしのん』が口を動かした。
『ねー、駄目だよー。まだそのパターンは四糸乃も試してないんだからー。
横取り禁止l』
「よ、よしのん……っ!」
四糸乃が慌てた様子で『よしのん』の口を塞ぐ。
『よしのん』が苦しげに両手を動かした。
先月、天使を顕現させた美九によって心身を操られてしまった経験があるためか、未だ彼女らには美九に微かな警戒心があるようだった。
しかし当の美九はさして気にするふうもなく、目を輝かせた。
「久しぶりですねー、四糸乃ちゃんに耶倶矢さん、夕弦さん。
あのときはすいませんでしたぁ。
一度ちゃんと謝りたかったんですよー」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。
そんな反応に戸惑ったのか、三人が困惑した様子で顔を見合わせた。
だが、十香はそんな美九の行動を見ても警戒を解かず、士道の前に立ち続けていた。
「それで、一体どういう了見だ。
今シドーに何をしようとしていたのだ!」
「え? さよならのちゅーですよ? 十香さんはいつもしてないんですか?」
「さ、さよならの……ちゅー?」
十香は困惑気昧に眉をひそめ、士道の方に振り向いてきた。
「…普通、するものなのか?」
十香が怪評そうに問うてくる。
ここで勘違いされてはたまらない。
士道はブンブンと首を横に振った。
「!う、嘘ではないか!
さよならのときにキスをするだなんて、そんなことー」
「ええー、素敵じゃないですかぁ。
十香さんもしてみたらどうですかー?」
『な……っ!』
あっけらかんとした美九の言葉に、士道、十香、のみならず四糸乃や八舞姉妹までもが息を詰まらせた。
だが、美九はそんな反応こそ意外といった様子で驚いた顔を作り、すぐに何かを思いついたように手を叩く。
「そうだ! いいことを考えましたー。
まず私がだーりんとキスをするんですよ。そうしてから、だーりんとキスをした私が、十香さんとキスをするんです。
どうですかー? 一挙両得! 画期的じやないですかー!」
「な、なぜ私がおまえとキスをせねばならんのだ!」
「え? だってえ、私は直前にだーりんとキスしてるわけじゃないですかぁ」
「む…うむ」
「ってことはぁ、十香さんがだーりんとキスをしてるようなものじゃないですかー?」
「むう……な、なるほど……」
「なるほどでわないだろ!」
説き伏せられそうになった十香を止めるように言うと、十香は肩を震わせた。
「お、おのれ美九め! 私をたばかろうとしたな!」
「そんなこと考えてませんよお…。
あ! じゃあこうしましょう。
まず私と十香さんがキスしてから、私とだーりんがキスするんですー。
十香さんの熱い思い、私がしっかとだーりんに伝えてみせますよー」
「おい!」
「んー」
美九が胸元で析りを捧げるように手を組み、目を伏せて十香に唇を突き出す。
十香は焦ったように顔を左右に動かし、その場から逃げ出した。
「あぁん、なんで逃げるんですかー。
待ってくださいよおー」
「つ、ついてくるなっ!」
悲鳴のような声で言い、十香が四糸乃たちの方に走っていく。
「きゃ……っ」
「ば、馬鹿者! こちらへ来るでない!」
「戦慄。逃げますよ、耶倶矢」
口々に言って、皆が美九から逃げ出す。
「あぁっ、もう、こうなったらみんなみんな任せてくださいー!」
『わあああああああああっ!』
「はぁ……」
心底楽しそうな顔をして皆を追いかける美九を見て、士道は力なく苦笑した。
なんというか、彼女は確執やら因縁やらを飛び越えて、わりと簡単に皆と打ち解けてしまう気がしたのだった。