昼間の暖かさとは違い夜になると肌寒く感じる11月…。
士道と折紙は二人、街を一望できる高台の公園を訪れてれていた。
「さすがにこの時間になると少し冷えるな」
士道が言うと、夜景を眺めていた折紙が首肯する。
「うん、日があるうちは暖かかったから油断してたね。
手袋持ってくればよかったかも」
そう言って、折紙が苦笑しながら手と手を摺り合わせる仕草をしてみせる。
昼間こそいろいろと暴走気味だった彼女であるが、どうにか落ち着きを取り戻していた。
まあ、あれからもいっの間にか携帯のレンズが士道の方を向いていたり、士道道の首筋の臭いを嗅いでいたり、手には何も持っていないのに、士道の飲みかけのコップに何かを注ぐような仕草をしたりしたのだが…士道はあまり気にしないことにしておこう。
「……」
士道は無言で折紙の手にそっと重ねる。
「えっ―」
折紙が一瞬、驚いたように目を丸くする。
だが、すぐに士道の意図に気づいたのだろう。
頬を赤くして、少顔をを俯かせた。
「ふふん、いい感じじゃない。
好感度も悪くないわ。
これは今日中に片を付けられるかもしれな いわね。
ーただ、確実に封印するにはあと押しって感じかしら」
琴里が唸るように言ってくる。
それに答えるように令音の声がインカムから響いく。
『ああ。
あと一つ、彼女の中に引っかかりがあるようだ。
この反応は…不安感に近いねシンが自分を受け入れてくれるかわからない、といったところだろう』
『不安感…か。
まあ、あんな奇行を繰り返したあとじゃあね…』
『それならやることはわかっているさ…』
『なら、お手並み拝見といこうじゃないの』
琴里の言葉に士道は答えると一度呼吸を整える。
「なあー折紙」
「なに、五河くん」
「その…聞いて欲しいことがあるんだ」
士道言うと、折紙は神妙な面もちで士道の目を見返してきた。
早まる鼓動を何とか落ち着かせて士道が言葉を発する一瞬前に
「実は、私も…五河くんに言わなきゃならないことがあるの」
折紙が、静かにそう言ってきた。
「言わなきゃならないこと?」
なんとなく告白のタイミングをずらされて、士道は聞き返した。
すると、折紙は数瞬の間逡巡するように視線を逸らしてから、ゆっくりと唇を動かした。
「私がASTー陸自の対精霊部隊にいたことは知ってるんだよね」
「ああ……知ってるよ」
「でも私、少し前にASTを辞めてるんだ」
「それは……」
それは士道は言葉を濁した。
折紙がASTを退職しているということは、既に雷華から聞いていたが、それを士道が知っているのは不自然だ。
「そうなのか。
…この前みたいに、貧血で意識が途絶えるようになったからか?」
士道が言うと、折紙は、ふっと目を伏せた。
「うん。
それも原因の一つ。
危険な武器を扱う仕事に、その症状は致命的だからね。
でもー その症状が出てきてからかな。
私、よくわからなくなってきちゃって」
「わからなくなった? 何がだ…?」
士道が言うと、折紙は気まずげに苦笑した。
「空間震の原因である精霊を倒すのがASTの仕事なのに…私、それが本当に正しいことなのか、なんて思っちゃって」
「なー」
士道は思わず声を詰まらせた。
それはそうである。士道の知る折紙といえば、精霊を憎み、精霊を殺すことのみを生きる目的としてる少女だったのである。
やはり両親を精霊に殺されたわけではないという要素が大きいのか、それとも無意識下とはいえ、自分も精霊になったからそう感じ始めたのかー詳しいしい理由は知れなかったが、彼女からそんな言葉が聞けるだなんて、夢にも思わなかった。
「俺は、折紙のその考えが悪いだなんてこれっぽっちも思わない!」
「五河くん」
折紙は震える声でそう言うと、微かに肩を震わせながら、今にも泣きそうな顔をした。
「あ、ご、ごめん…私、なんでこんな」
言って、誤魔化すように顔を逸らす。
士道はそれ以上道追求せず、折紙の手を握った手を、さらに強く力を込めた。
すると、そのとき。
「……!」
不意に、右耳のインカムから、ファンファーレのような音が聞こえてきた。
『ー好感度、急上昇!』
『ポイント、上限に達しました!』
『ふむ、どうやら彼女に残っていた不安感は、これが原因だったようだね』
次いで、令音たちクルーの声が聞こえてくる。な
るほど、折紙は日分の中に芽生えた精霊への今までとは避う感情を、士道がどう思うかを瞬んでいたらしかった。
『よし…!
士道、いい感じよ!
そのまま一気に決めちゃいなさい!』
琴里が、ゴーサインを出すように言う。
なんというか、ムードもへったくれもあったものではない。
士道は折紙の手を握ったまま苦笑した。
とはいえ好機には変わりなかった。
士道は呼吸を整えると、心臓の鼓動を抑える、静かに折紙に向き直った。
「折紙、あのなー」
「あっ! 五河くん、見て!」
が、上道の告白は再び中断させられた。
折紙が、公園の外縁部に設えられた木製の手すりから身を乗り出すようにして、空を指さしたからだ。
その指先で、きらりと星が流れていった。
「流れ星だよ、流れ星。
顔い事しなきゃ」
「いきなりそんなこと言われてもなぁー」
そう言いながらも、士道は頭の中で願いを思い描く。
――折紙の霊力を上手く封印できるように…。
そして、折紙と十香たちが、わかり合えるように、と。
その頃にはもう、とうに流れ足は見えなくなっていたのだがー。
と、その瞬間。
「…っ?」
手すりから身を乗り出して空を見上げていた折紙が不意に息を詰まらせたかと思うと、彼女の手を握っていた手が、急にぐいと引っ張られた。
『士道!』
警告するかのようなの声が、鼓膜を揺らす。
理解するよりも体を先に動かす。
手と足に魔力を込めて踏ん張ると同時に状況を理解する。
手すりが老朽化していたのか、折紙が体重をかけていた部分が崩落したのである。
無論、そこから身を乗り出していた折紙の体もそれに合わせるように、高台に位置する公園の外縁部か放り出出されるように落ちていく。
「きゃあっ!?」
折紙が甲高い悲鳴を上げる。
幸いにも、士道は折紙の手を握ったままだった為。
魔力を使い、折紙の身体を引っ張り上げる。
その際、折れた手すりの断面に引っかけたのか、左手に鋭い痛みが生まれた。
「うりゃあっ!」
叫びとともに、折紙の身体ごと後方へと倒れ込む。
同時に悲鳴を上げ、仰向けになった士道の上に覆い被さるように乗りかかってきた。
「いっつ、大丈夫か、折紙?」
「う、うん…ありがとう、五河くん」
上道の言葉に、折紙が声を震わせながら返してくる。
よほど驚いたのか、押しっけられた胸越しに激しい競動が伝わってきていた。
と、士道はそこで気づいた。
自分と折紙が、息づかいがわかるほど接近していることに。
「・・・・・・・・・・!」
「ーチャンスよ、士道!
好感度は十分。
決めなさい!」
琴里の声が響いている。
折紙の顔は、少し士道が頭を起こせば触れられるくらいの位置にある。
危機から脱した今の状況はどう考えてもこの上ない好機であるといえる。
「折紙……」
が――
士道は、折紙にキスをしようとしたところで、彼女の異変に気づいた。
折紙の視線が士道の道の顔ではなく、もっと下。
士道の左手の方に向いていたのである。
『しまった…!』
そこで、士道は自分の左手にできた傷を霊力の炎が揺らめいていたことに気付く。
瞬間ー右耳のインカムから、耳をつんざくサイレンが鳴り響いた。
『士道!逃げなさい!』
琴里の叫びが鼓膜を震わせると同時、士道に覆い被さっていた折紙が、天から伸びた操り糸に引っ張られるように、身体を起こす。
そしてそのまんま立ち上がると虚ろな目で呟く。
「―――――精霊………」
「………っ!」
士道は目を見開く。
それは、先日学校の屋上で見たものと、同じ光景であったのだ。
ー折紙が、精霊・狂三を目撃したときと …。
折紙は、精霊を目にしたときに限り、もとの世界の記憶を取り戻しー精霊と化す。
そして、士道の腕に揺らめく炎は正に、精霊の力に他ならなかった。
「あ、あ、ああ、あ、あ、ああ…」
折紙は虚ろな目で空を見上げながら、身体を小刻みに痙攣させていた。
唇の端からは涎が垂れ、尋常でない様子を表している。
「お、折紙、待ー」
士道は折紙を呼びかけようとした。
だが、その言葉を発しきる前に、折紙の周りに凄まじい霊力のベールが生じ、士道の身体を軽々と後方に吹き飛ばしたのだ。
「くっ……」
『マスター、ここは一度体勢を立て直すべきでではないでしょうか』
擬似霊装を展開し、地面に着地した士道の頭の中にオーディンの声が響く。
「いやもう遅い…」
呟く士道の目の前には喪服のような漆黒の霊装を纏った反転体の姿があった―。
『カテゴリーEー 折紙、反転しました!』
『どうやら、士道の仮説は正しかったようね…』
インカムから、琴里とクルーの声、危険を知らせるアラームの音がひっきりなしに聞こえてくる。
士道は、そんな声を聞きながら、静かに折紙の姿を見据えていた。
距離を詰めるために地面を蹴るも、だが彼女の周囲を渦巻く霊力の壁に、再度吹き飛ばされてしまう。
『士道! 何してるのよー』
「今:折紙を止めないと、大変なことになるー」
そう。折紙の反転が、上道が無意識下で発現させてしまった治癒の力を目撃したことによる。
ものだとしたなら、折紙の目の前から、目標たる士道が消えない限り、彼女の反転は収まらないだろう。
もちろん桜の霊力を用いて、消えることは容易い。
だが、それを行えば、せっかく訪れた霊力封印のチャンスを失うこととなる。
「…折紙っー」
名を呼びながらー士道は、かつて目にした光景を思い起こしていた反転した折紙が天上から光を降らせ、街を廃墟に変えていく光景。
もう、あんなことを繰り返すわけにはいかない。
もう、折紙にあんなことをさせるわけにはいかない。
上道は拳を固めると、再度折紙に向かって駆け出そうとした。
『特ちなさい、士道ー今すぐ折紙から離れてー』
が、その瞬間、琴里の叫びが鼓膜を震わせ、思わず士道は足を止めさせられる。
「何故止めるんだよ琴里!
チャンスは今しかないんだぞー」
『だから、離れろって言ってるのよ!』
「ーん?」
士道は思わず日を見開いた。
琴里の声が右共に響くと同時、折紙の周間に幾つもの淡い輝きが現れたかと思うと、その中から、鋭い金属の撃が姿を現したのである。
菱形の金属片を横に引き延ばしたようなフォルム。
言うなれば、巨大な葉のような物体だった。
それらが自身の周囲に見えない壁を展開し、切っ先を向けながら折紙を取り囲んでいたのである。
「これは…」
『《世界樹の葉》、展開ー』
と琴里が言った瞬間、葉の周囲に張り巡されていた不可視の壁がその大きさを増し、黒き霊装に包まれた折紙の身体を八方から押し潰すように拘束した。
「なー」
『《世界樹の葉》。
それぞれが随意領域を展開する、《フラクシナス》の凡用独立ニットよ。
念のため、周囲に仕込ませておいて正解だったわ』
鼻を鳴らすようにして、琴里が言う。
すると次の職間、士道と折紙がいる公園の遙か上空が一瞬、煌めいたかと思うと、周囲に展開していた鏡面が剥ががれるように、空中艦《フラクシナス》が姿を現した。
いつの間にか、肉眼で確認できる位置まで下りてきていたらしい。
通常、《フラクシナス》は不可視迷彩を展開し、周囲からその存在を隠している。
その姿を晒すのは、艦体の周囲に展開している随意衛城を越えた場所に、顕現装置の効果を届けるときのみだ。
具体的に言えば、転送装置で外部から人や物資を回収するとき、《世界観の葉》を外部に飛ばすとき。
そしてー主砲《ミストルティン》を撃っときである。
「琴里、まさか!」
士道が叫ぶと、それに応じるように、《フラクシナス》がゆっくりと艦首を下げ、地上 の折紙に砲門を向けた。
随意領域で制御されている空中艦でなければ為し得ない、不安定な姿勢である。
そしてその砲門に、魔力の光が灯っていく
『安心なさい。威力は調整するわ。《ミストルティン》で数秒の間霊力障壁を破るから、その数秒で折紙に接近してちょうだい!』
「了解!」
『ーあまり手荒なまねははしたくなかったけれど、こっちも街を破壊されるわけにはいかないからね』
『司令、魔力充填完了。
いつでも撃てます!』
琴里の言葉に応ずるように、クルーの声が響く。
『よろしい。
目標、地上、鳶一折紙!
外すんじゃないわよ神奈月!』
『お任せを』
《フラクシナス》副司令、神奈月恭平の落ち着いた声が鼓膜を震わせる。
『《ミストルティン》、撃―』
しかし、琴里が指令を発そうとした瞬間。
士道は思わず息を詰まらせる。
「琴里ッ!
逃げろぉぉぉっ!」
そして喉が潰れん限りに叫びを上げた。
理由は簡単である。
理由は単純。
士道の視線の先ー暗い空に浮かぶ《フラクシナス》の周囲に、折紙を取り囲む世界樹の葉》の如く、漆黒の光を放つ幾つもの羽ー《救世魔王》が現れたからである。
『えー?』
インカムを通して、危険を報せるアラームと、虚を突かれた琴里の声が聞こえてくる
《救世魔王》はその先端《フラクシナス》に向けると、一斉にに黒い光線を放った。
《フラクシナス》の自い艦体が多方向から闇を浴び、蹴いは爆ぜ、或いは削がれ、或いは貫かれる。
右耳のインカムから凄まじい爆音と、琴里たちの悲鳴が響き渡る。
『きゃあっ!』
「琴里! 琴里ッ!」
士道が叫ぶも、返事はなかった。
その代わり、上空に浮遊していた《フラクシナス》随所から煙を吐き、それと同時、折紙を拘束していた《世界樹の葉》が、力なく明減して辺りに落下する。
枷から放たれた折紙は、何も口にすることなく、その場に浮遊しながら、胎児のように身体を丸めた。
ーまるで、外界から自分の心を開さすかのように。
それと同時に、ゆっくりと高度を下げていく《フラクシナス》を追撃するように、無数
の「羽」がその先端に闇を湛え始めた。
「…! 折紙!」
士道は折紙の名を呼び、再度その場から駆け出そうとした。
がー霊力の壁に阻まれ折紙の身体に手を触れることさえできない。
そうしている間にも、空に待った漆黒の羽は、《フラクシナス》に砲撃を放たんとしていた。
先の攻撃によって半壊状態の《フラクシナス》である。
今追撃を受けたなら、《フラクシナス》も 中のクルーたちもどうなってしまうかわからなかった。
「やめろ、折紙!!
やめてくれえええッ!」
叫ぶ士道だがその叫びは折紙には届かなかった。
無数の羽一の先端から、漆黒の光線が放たれる。
「……ッ」
だが―そのとき。
突然辺りに突風が吹いたかと思うと、漆黒の羽がそれに煽られ、微かにその方向を変える。
《救世魔王》から放たれた光線が《フラクシナス》の艦体を掠めて上空に伸び、消えていく。
いくら凄まじい風圧であったとはいえ、ただの突風に《救世魔王》が煽られるはずはない。
『……なるほど耶倶矢と夕弦か…』
士道はその風の正体に気づき肩をを揺らした。
『マスター!』
オーディンが叫ぶと同時に、折紙の周囲に小さな『羽』が幾つも顕現したかと思うと、士道にその先端を向けてくる。
どうやら、士道も敵と判断されたらしい。
「くー」
この数では、避けきることはできない。
《塵殺公》を呼びだし、羽を薙ぎ払うよりも羽が黒い光を発射する方が早いだろう。
衝撃に備える士道。
だが折紙の天使が砲撃を放つより一瞬早く。
「ーはあああっ!」
上空より裂帛の声が響いたかと思うと、限定霊装を顕現させた精霊が巨大な剣を振るい、漆黒の羽を吹き飛ばした。
「無事か、シドー!」
「十香!」
士道は少女の名を呼んだ。
そう。
そこに現れたのは、五河家のマンションにいるはずの十香だったのである。
否、彼女だけではない。
十香に続くようにして、次々と公園に限定霊装を纏った精霊たちが姿を現し初めた。
巨大なウサギのパペットの背に乗った四糸乃に、法衣に似た霊装を纏った桜、大人の姿になった七罪、守護天使を従えた凛音、光のの鍵盤を周囲に出現させた美九。
そして空には、今し方突風を巻き起こし、《フラクシナス》の窮地を救った八舞姉妹がいた。
「おまえらーどうしてここに?」
「あ、あの…」
「うふふ、だーりんのピンチに駆けつけてくるのは当然じゃないですか!」
「まあ、十香ちゃんのあとについてきただけなんだけでね」
「あー、言っちゃだめですよー!」
美九が「しーっ」と指を一本立てる。
大人バージョンの七罪は、もとの姿でいるときとは打って変わって余裕のある仕草で肩をすくめてみせた。
「それでーシドー」 十香は士道を守るように《塵殺公》を構えると、油断なく折紙を睨み付けながら口を動かした。
「…凄まじい霊力を感じる。
あれは、一体何者なのだ?」
十香が問うてくる。
士道は拳を強く握り、答える。
「あれは…折紙だ」
「何…?
あれが転校生なのか?」
怪訝そうに十香が言う。
だが、それも無理からぬ事だろう…。
この世界の十香と折紙は顔を合わせて日も浅い。
何より、漆黒の霊装を纏い宙へ浮かんだそれをクラスメートと言われても、にわかには信じられないだろう。
相対してるだけで身が竦むかのような、圧倒的な威容。
DEMのアイザック・ウェストコットは、反転した精霊を魔王と称したが目の前にいるそれは、その表現が大げさでないくらいの凄まじい圧力を有していた。
「………っ」
だが、士道は歯を噛みしめると、足を一歩前に踏み出した。
「士道……?」
その行動に、十香が眉をひそめてくる。
危険だと言いたいのだろう。
無論、それは承知の上だ。
だが、士道は折紙のところへ向かわないといけない。
このまま折紙を解き放ってしまったなら、眼下に広がる天宮市は、士道の記憶の中にある廃墟に成り果ててしまうだろう。
そして折紙は――二度ともとの折紙に戻ることはないだろう。
それだけは、絶対に止せねばならなかった。
そして、僅かな可能性ながら、折紙の手を取れるのはー士道しかいなかったのである。
しかしー士道だけの力では、足りない。
強大な魔王の前に、士道の力はあまりに小さすぎた。
「…みんな」
上道は、駆けつけてくれた皆に向けて、声を発した。
ー逃げろ、と言うべきなのだろう。
折紙とは戦うな、と言うべきなのだろう。
だが、士道は、
「ーあいつを助けるのに、手を貸してくれっ!」
皆に申し訳ないと思いながらも、その言葉を発する他になかった。
すると、士道の前に立っていた十香が、一瞬呆けた顔を作ってから返してきた。
「何を言っている。当然ではないか」
言って、《塵殺公》の柄を強く握る。
「シドーが私を救ってくれた。
私に世界の美しさを教えてくれた。
私の世界はシドーが作ってくれた。
ーならば今度は、私がシドーを手伝う番だ」
「十香―」
すると十香に続いて、他の精霊たちもうなずいてくる。
「私とよしのんも…士道さんのお役に立ちたいですー」
「士道くん、いくら魔法が使えるからって無茶はダメなんだよ!」
「素直にお姉さんに頼ってくればいいのよ」
「そうだよ、士道。
たまには頼りにしてくれてもいいんだからね」
「ていうか、『逃げろ』だなんて言ったら、いくらだーりんでも怒っちゃいますよー?」
四糸乃、桜、七罪、凛音、美九が笑いながら言う。
次いで、空に舞った郡倶矢とタ弦が笑い声を響かせる。
「かか、よかろうー御主の覚悟、しかと受け取った!
この鼬風の御子・八舞が力を貸してくれようぞ!」
「請負。空はタ弦と耶倶矢に任せてください」
「みんなー」
皆の言葉に、士道は拳を握り込んだ。
「ありがとう。行こう、折紙のところへ」
「かか! 我らは風に愛されし鼬風の御子!」
「呼応。
追いつける者はこの世界に存在しません」
言って、八舞姉妹が二人同時に空を蹴り、軽やかに宙を舞う。
次の瞬間、今の今まで二人がいた場所を、光線が通り抜けていった。
どうやら《フラクシナス》を攻撃した《救世魔王》が、この二人を敵と認めたようだ。
「ふん、どんなに凄まじい一撃とて、当たらなければどうということはないわ!」
耶倶矢が、追り来る光線を紙重でかわしてく。
「進言。
今です、士道。
タ弦たちがこれを引きつけている間に、本体を」
耶倶矢と同じように光線を避けながら、タ弦が地上の士道たちに言ってくる。
士道は頷くと視線を折紙の方に戻した。
「頼む、みんなー」
『応っ!』
士道が言うと、精霊たちが返事を返してきた。
しかしそれと同時、顕現装置の戒めから解き放たれた折紙がゆっくりと空に昇っていく。
折紙を空に逃がしてはならない。
士道はのどを震わせた。
「美九っ!」
「はいはーい、お任せあれー!」
士道の声と共に美九は自分の身体の周りに展開していた光の鍵盤に指を走らせ、演奏を始めた。
「破軍歌姫ー【輪舞曲】!」
するとそれに合わせて、折紙の周囲に継っもの銀筒が現れ、その先端を折紙に向ける。
美九の奏でた音が目に見えない力となり、幾重にも重なり合って、空に昇ろうとしていた折紙の身体を地面に押しつけた。
「ふふっ、やるじゃない、美九ちゃん」
と、その様子を見てか、七罪が妖艶な笑みを浮かべる。
「でも、美九ちゃんがあの子を押さえてると、本来の仕事ができなくなっちゃうわよねえ。
なら…」
七罪が右手を掲げると、そこに箒のような天使を顕現させた。
そしてー
「贋造魔女ー【千変万化鏡】!」
七罪がその名を呼んだ瞬間、その手に握られていた頬が、銀筒と鍵盤を形作った。
「えっ!それは!?」
美九が驚いたように目を見開く。
それもそのはず。
七罪が顕現させたものは美九の《破軍歌姫》とまったく同じ形をした天使だったのだから。
「ちょっと借りるわよ、美九ちゃん。
実は前に見たときから、一回してみたかったのよねえ」
言って、七罪が両手をクロスさせ、力強く鍵盤を叩く。
「【行進曲】!」
すると、その曲を耳にした士道たちの身体に、気力が漲ってくるのがわかった。
若干の精度の差こそあるものの、間違いなく美九の【行進曲】である。
「あーん! 七罪ちゃんたら真似っ子ですー!」
「ふふ、いいじゃないの。
これも士道くんのためよ」
「ぶー。
あとでちゃーんと著作権使用料払って聞いますよー。
アイドルは権利関係厳しいんですからー」
美九が頬を膨らせる。
どうやら、自分だけの天使が再現されてしまったのが少し悔しいようだ。
とはいえ、攻守に《破軍歌姫》が存在するのは、大きな戦力である。
十香と四糸乃が、折紙に向かっていくように前傾姿勢を作る。
それに対抗するかのように、折紙の周囲の空間が歪み、さらなる羽が幾つも姿を現した。
それらが不規則な軌道で飛び回り、士道たちに光線を放ってくる。
「くー!」
「士道!」
凛音の守護天使が盾を構えて光線から士道を庇う。
「《桜光の聖剣》!!!」
そこに桜が《桜光の聖剣》を折紙に向けて放つ。
それを折紙は羽を再度呼び出して防御する。
「はあっ!」
桜の砲撃によりかなりの数が消し飛ばされた羽に十香が裂帛の声と共に《塵殺公》を振るう。
だが、限定的な《塵殺公》では羽を砕くまでには至らない。
無傷の羽は、それぞれに意思があるかのような挙動で、再度その先端に闇を収束し始めた。
「ー四糸乃、シドーを頼む!」
背を向けたまま声を上げる十香に、四糸乃が返す。
「士道さん、行きましょう!私に後ろにいてください」
言うと四糸乃は《氷結傀儡》の前方に、装甲のように冷気を纏わせる。
「おう!」
四糸乃が両手を引き、マリオネットを撮るように《氷結傀儡》を前進させる。
士道は、その大きなウサギに乗り、折紙への道を進んでいった。
だが、数分でその進軍は止まる。
見やると新たな羽が顕現し、それを核として強力な霊力の障壁が作られているしかった。
「ありがとな、四糸乃。よしのん。
ここまで来れば大丈夫だ」
そう言うと、士道は四糸乃の頭を軽く撫で、《氷結傀儡》の背から降りる。
「士道さん!」
『どうするつもりだい?シドー君?』
「何のためにここまで霊力を温存していたと思ってるんだ」
四糸乃とよしなんにに答えると、士道は意識を集中させ、叫ぶ。
「オーディン!《塵殺公》を!!」
『了解!』
士道の声にオーディンが答え、士道の手の中にそれが顕現する。
そう、十香の天使である《塵殺公》である。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
気合いの声と共に殆どの霊力を乗せ、士道は《塵殺公》を振るう。
斬撃と共に障壁に穴が開く。
そこに身体を滑り込ませると、そのまま折紙のもとに走っていった。
美九の《輪舞曲》に押さえつけられた折紙は、まだ地上一メートルくらいの位置に留まっていた。
無論、反転した折紙の力をならば、限定的な力しか発揮できていない美九の音など容易に跳ね除けられるのだろうがー今の折紙には、気力や意思のようなものが微塵も感じられなかった。
攻撃を行っているのも漆黒の羽のみで、折紙自身は声さえ発していない。
まるで、身体の能力、本人の意思に拘わらずわらず外敵を排除しているかのようでさえあった。
「ー折紙ッ!」
士道は声を張り上げ、折紙の名を呼んだ。 だがやはり折紙は、反応を示そうとしない。
絶望に染まった日は、ただ虚ろに虚空を見上げるばかりだった。
士道は声の限り叫んだ。
「折紙!!おまえの悲しみも怒りも、全てを受け入れてやる!
どうしようもならなくなったら俺に頼れ!!
おまえが何度世界を壊せそうが、必ず何とかしてやる!
何度絶望しようとも必ず助けてやる!
だから手を延ばしてくれ!
俺には――お前が必要だ!」
「……………士……………道…………」
死体のような顔をしていた折紙の目に、微かな光が灯る。
「…! 折紙!!」
折紙は辺りの様子を見るようにゆっくりと目を動かしたのち、震える唇を開いた。
「わ、たし…は……」
押し殺したような声に、士道は無言で折紙を抱きしめた。
「士、道…」
折紙が、小さな声で続ける。
「ありが…とう。
士道…私を、呼んでくれて」
「折紙……」
「士道がいなかったら…また、取り返しのつかないことをしてしまうところだった」
折紙の目から涙が流れ落ち、士道の肩を熱く濡らすらす。
「私が…お父さんとお母さんを殺してしまった事実は、消えない………もとの世界で、街の人たちを殺してしまった罪も永勃、消えることは、ない。
たとえそれが、なかったことになっていたとしても」
違う、などと簡単には言えなかった。
この世界では起こっていないはずの出来事。
恐らく誰も、覚えてすらいない惨劇。
―ー士道がこの手で、なかったことにした事実。
士道は、頷き、口を開く。
「そうだ。
それは……まえが、背負っていかなきゃならないものだ」
それは、この上なく残酷な宣告だった。
もしかしたら、士道にそんなことを言う資格は無いかもしれない。
多くの人の命を救うためとはいえ自分勝手に歴史を改変したのは、紛れもない士道の罪である。
しかし、士道に言葉を偽ることはできなかった。
己の考えを誤魔化して奇麗事を吐くことは、もとの世界の折紙の両親に、街の人々に、そして折紙に対して、途方もない冒涜になってしまう気がしたのである。
「私は、わた、し、は…」
折紙は、微かにシを震わせると、
「………あ、うぁぁ……あぁぁぁぁぁっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」
士道の身体にしがみつくようにして、大声で泣き始めた。
士道は今になってようやく、本当の折紙の顔を見ることができた気がした。
ーそれから、どれくらい経った頃だろうか。
折紙が、士道にしがみついた姿勢のまま、静かに声を発してきた。
「士道、あなたにも、謝らないと」
「俺に…? 何をだ?」
士道が問うと、折紙は士道から身体を離し、士道の顔を見ながら続けた。
「きっと……私が士道に抱いて感情はー愛でも、恋でも……なかった」
「え?」
「私は……ただ、依存していただけ。
自分の弱さを誤魔化すために、あなたに縋っていただけ。
自分勝手な感情のために、あなたにたくさん迷惑をかけてしまった心から。
……心から謝罪したい」
士道は、息を吐くと、唇の端を上げた。
「……そいつは、光栄だ」
「え……?」
士道の答えに、折紙が意外そうに目を見開く。
「少なくとも俺は…折紙、おまえに出会えてよかったと……心から思ってる。
そりゃあ迷惑を被ったこともあるけど……おまえが俺を頼ってくれたのがその感情によるものだとするなら、それに感謝したいくらいだ」
「士道……」
折紙が、震える声で言う。
その目に、再び涙が滲んだ。
その涙を見てー士道は、小さく頷いた。
「折紙……笑ってみてくれるか」
「え……?」
士道の言葉に折紙が首を傾げる。
「俺は……お前の笑顔を見たいんだ…」
士道が折紙の目を見据えながら言うと。
折紙は一瞬肩を震わせてから、恥ずかしそうに頼を染め―――
ぎこちない、しかし確かなー笑みを、作った。
瞬間………
「…………!」
折紙が目を見間いたかと思うと、その身を覆って漆黒の霊が、眩い光を放ち純白に染まっていった。
それは、もとの世界で目にした、精霊・折紙本来の姿であった。
同時、辺りに浮遊していたいくつもの羽が、光の粒となって消え去っていく。
「士道……私」
花嫁衣装のような霊装に身を包み、笑みを浮かべる折紙。
その姿は まるで、本物の天使のように見えた。
「――」
士道は、折紙の肩に添えていた手に力を込め、そのまま折紙の体を引き寄せた。
「え――?」
折紙が、意外そうな声を上げる。
もともとこれが最終的な目的ではあった。
好感度をどれだけ上げようとも、この行為を行わなければ、精霊の霊力を封印することはできない。
しかし、士道は自分の腕に力が入ったのが、その使命を果たすための義務感によるものなのか
――はたまた、自分の欲求によるものなのか、判別がつかなかった。
折紙の唇に士道の唇が重ねられる。
「…………!」
折紙は一瞬身体を震わせたものの、すぐに士道に身を委ねるように体重を預けてきた。
次の瞬間、折紙が纏っていた純白の霊装が、輝く軌跡を残し、空気に溶け消えていった。
「これ、は…」
唇を離し、折紙が光と消える霊装に目を丸くする。
するとその背後に、羽と戦っていた精霊たちが降り立ってきた。
小さく手を掲げ、全部終わった旨を示す。
すると、安堵の息を吐いた。
「む……っ」
十香は、半裸状態の折紙が士道にもたれかかっているのを見て少し眉をひそめたが、鼻 を鳴らして腕組みした。
「すん……まあいい。
今だけは特別だぞ、折紙」
士道はそんな十香の様子に苦笑したが……すぐに、小さな違和感に気づいた。
十香の物言いは、数日前クラスにやってきた転校生に対するそれではなく………随分前からのらの好敵手に向けたもののように感じられたのである。
「十香、おまえ……折紙のこと。思い出したのか?」
「む? 何をおかしなことを………ぬ、しかしそうだな。
なんだか、少し前まで忘れていた気がするのだが……」
十香が、不思議そうに首を捻る。
他の精霊たちも、似たような表情を作った。
『鳶一折紙の霊力を封印したことで経路を通じて封じられていた記憶が回帰したのではないかと考えられます』
『なる程な……』
《オーディン》の言葉に士道は納得する。
封印を施された精霊たちと士道の間には、目に見えない経路が通っている。
ならば、折紙の霊力を封印したことにより、その経路を通って、もとの世界の記憶が共有されたのだ。
「……はは」
思いがけないプレゼントに、士道は苦笑する。
『皆に折紙の記憶がなかった方が、良かったかもしれませんね……』
『いや……』
《オーディン》の言葉に、士道は首を横に振る。
『これでいいんだよ……。
まあ…間違いなく前途は多難になるだろうが……』
士道と《オーディン》がそんなやりとりをしてあると、折紙がゆっくりと首を回し、精霊たちの方に視線をや った。
そして、
「………ありがとう、十香、みんな。
私のために、戦ってくれて」
なんて折紙らしからぬ言葉を吐いた。
「なっ……!?」
「え……?」
「折紙ちゃん何か悪いものでも食べた?」
「御主、今なんと申した?」
「疑念。まだ正気に戻っていないのですか」
「うぅん、素直な折紙さんも可愛いですぅ」
「あらあら、珍しいわね」
「あれ…私の聞き間違いかな……」
十香を始めとして、精霊たちが驚愕の表情(一部除く)を作る。
だが…不思議と士道に驚きはなかった。
なぜなら今ここにいるのは、もとの世界とーこの世界、両方の記憶を持った折紙なのだから。
しかし、あまりに意外だったのだろう。
十香が焦った様子で目を泳がせ、顔を逸らした。
「かッ、勘違いするな!
私はその、あれだ! シドーに頼まれたからやっただけだ!」
十香も折紙の身を案じていたというのに、なんとも素直ではないことを言う。
だが。
「……そう。
ではあなたには感謝しない。
利己的な精霊。
なんて醜い」
「な……っ!?」
折紙が半眼になりながら言った言葉に、十香が眉根を寄せる。
「貴様、さっきと言ってることが違うではないか!」
「何も違わない」
十香が声を張り上げ、折紙が顔を背ける。
士道はそんな様子に、思わず苦笑してしまった。
やはり前途は、多難のようだった。
灰音です、鳶一エンジェル&デビル編の完結話を上げさせていただきました。
次回からは前々から書こうと思っていた士道の修行時代と二亜編に入りたいと思いますー。