かくして士道たちの修羅場は始まった。
あのあと、皆でストーリーラインを決めてから、士道と精霊たちは作画チームと特別チームに分かれ作業を開始した。
作画チームは、七罪が漫画の設計図であるネーム、及び下書き、そして表紙の線画制作に入ることとなる。
八舞姉妹が礼を述べ、折紙が無言で手を軽く振る。
先程から唸るような声が声が聞こてくるが多分、七罪の返事だろう。
と、琴里は皆の返事を確認してから、士道の机に歩いてきた。
「…士道、ちょっといい?」
「ん?なんだ?」
「二亜のことで、ちょっと」
「何かあったのか?」
士道が問うと、琴里は小さく頷き再び皆に聞こえるように声を上げた。
「ごめん、みんな。少しの間士道を借りていくわ。
戻ってきたら倍のスピードで仕事させるから」
「おい!」
士道は声を上げるが、琴里は気にした様子も見せず、士道の袖を掴んでそのまま歩いていった。
そしてそのままマンションの外に出る。
既に空は白み始めていた。
「うわ……もうこんなに明るくなってたのか。
締め切りまであと何時間だ?」
「原稿も大事だけど、とりあえず乗ってちょうだい」
言って、琴里がマンションの前に止められていた車を指さす。
士道がその指示に従って琴里とともに後部座席に乗ると、車はすぐに発進し、道を走っていった。
「で?」
窓の外を流れる街並みを目の端に捉えながら、質問を発する。
「一体、二亜の何がわかったんだ?」
「ええ。
実は、二亜の漫画家仲間だって人にコンタクトが取れたの」
「本当か?
それならその人に話を聞けば……」
「ええ。
二亜の過去が何かわかるかもしれないわ」
琴里が、士道の方を見ながら言ってくる。
それから20分ほど移動したのち、士道たちを乗せた車が、とある喫茶店の前で停車する。
「ここよ。
先に令音が入って応対してるわ」
「了解」
士道は車を降りると、その喫茶店に入っていった。
そして店内を見回し小さく手を上げて士道を呼ぶ令音の姿を発見する。
「どうも、令音さん」
「悪いわね、お待たせしたわ」
「……ああ、来たね、シン、琴里」
令音は、徹夜状態の士道にも負けないくらいに眠たげな調子で言うと、向かいの席に座った人物を示してきた。
「……紹介しよう。
こちらが漫画家の高城弘貴先生だ」
「あ、どうも」
そう言って士道は会釈する。
そこにいたのは度の強そうな分厚い眼鏡をかけた二十代後半くらいの女性だったのである。
「初めまして、五河士道です」
「同じく、琴里です。今日はご足労いただき、ありがとうございます」
「おお、これはこれはご丁寧に」
士道と琴里が挨拶をすると、高城はそう言ってテーブルに手を突き、頭を下げてきた。
そしてそののち、眼鏡の隙間から士道と琴里の顔を見上げてくる。
「……それで、何でも今日は本条先生について聞きたいとか」
「はい。
そうなんです。
何でもいいので、知っていることを教えてはもらえませんか?」
士道が言うと、高城は眼鏡の位置を直すと口を開く。
「それは構わぬのですが……貴兄らは一体本条先生とどのようなご関係で?」
よくわからない少女が知り合いについて嗅ぎ回っているのだから高城の反応も至極当然といえるだろう。
だが、そんな彼女の質問を予測していたのか、それともとっさに考えたアドリブか口を開く。
「実は二亜お姉ちゃんとは遠縁の親戚なんですけど、何年か前から連絡が取れなくなってしまっていて……それで、いろんな人に事情を聞いて回ってるんです」
どちらにせよ、顔色一つ変えずもっともらしいことを言う妹に、詐欺師の才能を感じざるを得ない士道である。
「ふむ、なるほど」
高城は小さくうなると、次いでこくりとうなずいてきた。
きっと、琴里が一般公開されていない『二亜』という本名を使ったことで信じてくれたのだろう。
「事情はわかり申した。
小生も本条先生のことは案じておりました。
できうる限りの協力はさせていただきます」
「本当ですか!?
ありがとうございます……!」
士道は膝に手を当てながら頭を下げた。
たが、高城は少し困った顔をして頬をかいてきた。
「しかしながら……小生がそこまでお役に立てるかどうか」
「っというと……」
「いえ、実は小生も、ここ数年、本条先生とお会いしておらぬのですよ。
それに……どうやら小生、本条先生に嫌われてしまっているようで……」
「どういうことですか?」
士道が問うと、高城は気まずそうに頭をかきながら続けてきた。
「いや……本条先生とは八、九年ほど前、出版社のパーティーでお会いしたのを縁に仲良くさせていただいて いたのですが……あるときから急に態度がよそよそしくなられ、疎遠になってしまいましてな……。
自分では勝手に、一番仲のいい作家さんだと思っていたのですが……その油断か、何か自分でも気づかぬうちに無礼を働いてしまったのかもしれませぬ」
「それって……」
その話を聞いて、士道は微かに眉根を寄せて隣を見やると、琴里も似たような表情を作っていることがわかる。
恐らく琴里も思い至ったのだろう 天使《囁告篇峡》の存在に。
「?」
そんな士道と琴里の反応を不思議に思ったのだろう。
高城が首を傾げてくる。
「い、いえ、なんでもありません」
「ふむ……そうですか。
とにかく、そういうわけです。
小生が知ることはお話しできますが、役にたつかどうかはわかりませぬぞ?」
「はい、お願いします」
士道が頷き言うと、高城はそれに首肯で返し、話を続けてきた。
それから、四十分後。
高城に礼を述べて店を出たあと、士道と琴里は先ほどと同じ車に乗り、窓の外の景色を眺めていた。
高城からの話でわかったのは、二亜が人当たりのいい性格で、誰とでもフレンドリーに話すことができるらしいこと。
しかしながら、漫画家になる以前のことはあまり話したがらないこと。
特に、昔の友人関係のことを問われると曖昧に言葉を濁すこと。
そして高城のように特に仲良くなれそうな人が現れると、逆に疎遠になってしまうということだった。
「士道は二亜についてどう考えてる」
琴里が士道に問うてくる。
「《囁告篇峡》が関わっているのは間違いないだろうな……」
「でしょうね……。
……世界の全てを知れる天使なんてものを持っていたら、誰だって周りの人間のことを調べたりくらいするでしょうし」
「恐らく、それで二亜は人間に不信感を抱いてしまったんだろうな…」
四六時中聖人のような振る舞いをしている人間なんて存在しない。
陰口も言えば誰も見ていないところでは悪さもする。
《囁告篇峽》があれば、人間の醜いものに思えてしまうのも当然である。
琴里は、頭をかいて呟く。
「……意外と根が深いわね。
二次元のキャラクターが好きなんて聞いたときは、何をふざけてるのかって思ったけど……。
それって要は、自分を裏切ることのない存在にしか心を開けないってことでしょう? そんなの……悲しすぎるじゃない」
琴里の言葉に士道は、少しの間黙り込んだ。
確かに琴里の言うことはもっともである。
二亜が昔の友人関係を話したがらない理由も、二次元にはまり込んだ理由も、恐らくはそれが原因なのだろう。
だけれど、最後の一点。
高城と疎遠になってしまった理由についてだけは……士道の心に、小さな違和感が残っていたのである。
「士道?」
「え? ああ……」
士道が返すと、琴里はぶすっとした顔をして続ける。
「徹夜の作業で眠いのはわかるけど、大事な問題よ。
ボーッとしないでくれる?」
「ああ……悪い」
士道は短く返すと、目まぐるしく動く風景を見つめながら、拳を握った。
「とにかく今は、同人誌を完成させよう。何をするにしても、二亜ともう一度話すことのできる場所を作らないことには、話にならない」
士道が言うと、琴里はうなずいてきた。
作業も佳境の一二月三一日午前一時。
精霊マンション一階の作業部屋には、フラフラになった士道たちが、虚ろな目でペン入れをする光景が広がっていた。
「……」
無言で、机にかじりつくように前傾姿勢を取り、七罪の引いたキャラクターの線を丁寧に丁寧になぞっていく。
手には原稿を汚さぬよう指先の切られた手袋が、額には眠気を取るための冷却シートが装着されていた。
ついでに机の端には、栄養ドリンクの空き瓶やコーヒーの空き缶が並んでいる。
「……一時……データを送って仕上げをしてもらうことを考えると……そろそろ、タイムリミット……だぞ……」
「……うーい……」
「応……答。こちらはもう少しです……」
「………」
作業開始からほぼ丸一日。
士道は食事とトイレと仮眠以外は席を外さず、作画をし続けていた。
緊張を強いられる作業の連続は、予想以上に精神をすり減らす。
先ほどトイレに行った際鏡に映った顔には、まるで令音のように見事な隈ができていた。
とはいえ、その状態に陥っているのは士道だけではない。
士道の左方の机で作業をする耶倶矢も夕弦も、士道と似たような格好になって、頭をフラフラとさせている。
唯一平然としているのは折紙だったが、そんな彼女ですら、数時間に一度ほど、電源が切れたように動かなくなることがあった。
しかし、今この部屋の中でもっとも危険な状態にあるのは、間違いなく七罪である。
七罪は部屋の最奥の机で、長い髪を無造作に括って作業をしていたのだが、作業開始から一度の仮眠も取っていなかったため、目は充血し、指先は小刻みに震えていた。
だが幾度士道たちが休むよう言っても、七罪は一度も筆を置こうとはしなかったのである。
その執念は、一夜にして少女にプロの凄味を付与していた。
そんな彼女の姿を見せつけられては、士道も弱音を吐くわけにはいかない。
士道は最後の気力を振り絞ると、指先に力を込め、ラストスパートをかけた。
「よし……これで……終、了……」
士道は震える声で呟くと、そのまま力なく机に突っ伏した。
無論、原稿を避けてから。
それとをほぼ同じくして、八舞姉妹と折紙も作業を終えたらしい。
耶倶矢と夕弦が士道と同じように机に崩れ落ち、折紙がピンと背筋を伸ばしたまま、少しの間動かなくなる。
あとはインクが乾くのを待ち、消しゴムをかけてアシスタントチームに送るだけである。もう、《ラタトスク》の面々に任せてしまって大丈夫だろう。
と、それに合わせるようにして、作業部屋の扉が開き、別行動を取っていた琴里たちが、大きな段ボール箱をを抱えてやってきた。
「……ハイ、士道」
「ああ、琴里……って。
おまえら……その顔、何してたんだ?」
声に応ずるように琴里たちの方を見た士道は、目を見開いき、尋ねた。
部屋に入ってきた琴里や十香、四糸乃、凜音、美九までもが、士道たちと同じように眠そうな顔をしていたのである。
士道が問うと、彼女らは顔を見合わせてから士道の方に視線を戻してきた。
「それは秘密だぞ、シドー」
「お楽しみ……です」
「内緒だよ~」
「うふふ……本当なら睡眠不足は美容の大敵なんですけど、だーりんたちにだけお仕事をさせるわけにはいきませんからねー」
そう言って、十香と四糸乃、凜音、美九が疲れた顔で、しかし楽しそうに笑う。
士道は不思議そうに首を捻った。
「それより、作業の方はどう?」
「ああ……俺はちょうど今終わったところだ。
あとはゴムかけしてスキャンしたら、アシスタントチームに送れる。耶倶矢と夕弦と折紙もたぶん、終わったんじゃないかな」
「そう。お疲れ様。じゃああとは 」
言いながら、琴里は部屋の最奥に目をやった。
そう。部屋にはまだ作業を続けている少女が一人、いたのである。
七罪だ。
士道は数秒の間机を枕にするとゆっくり起き上がり、琴里たちと七罪の方へと歩いていった。
それを見てか、八舞姉妹や折紙たちも、七罪のもとに集まってくる。
「七罪……? 大丈夫か?」
「………」
「七罪?」
「……! あ、ああ……うん……」
士道が声をかけると、七罪は肩を揺らして、疲労の色が浮かんだ顔を上げてきた。
目は真っ赤で、分厚い隈が浮かんでいる。
誰の目から見ても、もう限界が近かった。
「俺たちの方は作業終わったから、代わるよ。
疲れただろ? 先に寝てくれ」
「……ううん、いい。
もうちょっとだから……」
士道の言葉に、七罪は首を振り、作業を続けた。
目が霞むのか、目元を擦る。
手のインクが顔に付いて、なんだか羽根突きで負けたような顔になっていた。
「もうちょっとって……七罪、昨日から一度も仮眠を取ってないじゃないか。
しかもネーム、下書きと一番作業してるはずなのに……」
「そうであるぞ。
本番は即売会だ。
あとは我らに任せて、常闇の眠りに誘われるがよい」
「同意。少し働き過ぎです、七罪」
「休養も立派な仕事」
が。一緒に作業をしていた八舞姉妹や折紙が言うも、七罪は一向に作業をやめようとはしなかった。
虚ろな目で原稿を見つめながら、一心不乱にペンを動かし続ける。
「……大丈夫……だから」
「で、でも……」
士道が言うと、七罪は震える指で綺麗な線を引きながら続けてきた。
「……多分、私、本番じゃ役に立たないし、私にできるのなんて……これくらいだから。……だから、やらせて。
こんな私が必要とされるなんて、思ってもみなかった。
私だって、みんなの役に立ちたい……」
「七罪……」
「……私ね、士道や、みんなに助けられて、本当に嬉しかったんだ……それで、今度は、別の精霊を助けるために、一緒に力を合わせられる。
それが、本当に……本当に、嬉しいの。
だから、辛くなんてない。
楽しくて楽しくて仕方がないわ。
あの二亜っていう分からず屋にも……早く教えてあげたい」
七罪は小さく笑うと、ペンを持った腕をゆっくりと持ち上げた。
「友だちって 、素敵だよ……って」
そして七罪は最後の線を引くと同時、そのままとくずおれるように椅子から転げ落ちた。
すんでのところで、士道がその身体を抱き留める。
「おい、七罪、大丈夫か!?」
「………」
士道が心配そうに声をかけると、七罪は寝息で返事をしてきた。
「……頑張ったな、七罪」
そう言って、微笑みながらその頭を撫でる。
すると、士道の後方に立っていた美九が、うるうると目に涙を溜めながら声を上げてきた。
「ううっ、感動しましたぁ! つきましてはだーりん、私が七罪さんをお部屋に寝かせてきますので……」
「士道、七罪を部屋に運んであげて。鍵をかけるのを忘れずにね」
美九の言葉を遮るように、琴里が言ってくる。
美九が、 「あぁん、琴里さんたらいけずう」と身をくねらせた。
琴里はそれを無視して七罪が着いていた机から、ペン入れの終わった原稿を手に取ると、それを見つめて小さくうなずいた。
「お見事」
そしてそののち、皆の方に視線を寄越してくる。
「七罪の魂の玉稿よ。これで、武器は揃ったわ。
みんな、この勝負、絶対に勝つわよ」
琴里の言葉に。
『おおっ!』
士道たちは、拳を突き上げて応えた。