そして夜が明け、午前七時三十分。戦場の扉が、開いた。
コミックコロシアムの会場である天宮スクェアに並んでいたサークル参加者 たちが、一斎にホールの中へと入っていく。
閑散としていた空間に夥しい数の足音と、キャリーカートを転がす音が響き渡る。
コミックコロシアムとは、夏と冬に年二回行われる大型同人誌即売会である。
それぞれ三日間の日程に分けて行われ、全国から漫画やアニメのファンが集結する一大イベントだ。
その年にもよるが、三日間で五十万人以上の参加者が集まると言われている。
それだけの巨大イベントである。
参加者はもちろんだが、同人誌を出展するサークル参加者もかなりの数に上る。
ホールが開場されてからしばらくは、まるで地響きのように人々の行進が建物を震わせていた。
ーその開場からおよそ一時間。
サークル参加者たちの波が一通り収まったところで。
士道たち、サークル《ラタトスク》は、ようやく人通りが少なくなったゲートの前に立った。
「よし…行くぞ、みんな!」
「うむ、準備は万端だ!」
「が、がんばります:!」
士道の声に、精霊たちが力強くうなずく。
皆、未だ体調が万全とは言えなかったが、一応あのあと崩れ落ちるように眠りに就いていたため、幾分かは 体力が回復していた。
ちなみに目が覚めたとき、士道のすぐ隣には折紙がびたりと張り付いていた。
ついでに美九は四糸乃と琴里を捕まえてこの上なく幸せそうな顔をしながら眠っていた。迷惑なのは捕まえられていた当人達で二人は悪夢にうなされるように呻き声を上げていた。
ともあれ、今は決戦のときである。
士道は精霊たちを引き連れ、広い連絡通路を歩いていった。
そして東ホールに辿り着き、日的のスペースへと向かうホール内は、すでにに幾人ものサークル参加者でごった返していた。
皆に忙しそうに、テープルにクロスを敷いたり本を並べたりして、自分たちのスペースを設営している。
「しかし…前に手伝いで来たことがあるけれども…やっぱりすごいもんだな」
「首肯。
皆、工夫を凝らしています」
「ですねー。
この雰囲気、なんだかライブに通じるものがある気がしますー」
精霊たちが周囲の様子を興味深そうに眺めながら言葉を交わす。
と、ホールの壁が見えてきたところで、琴里が皆に声を発した。
「ーいたわ。
二亜よ」
その言葉に、皆に緊張が走る。
士道は睡液を飲み下すと、前方のサークルスペースに日をやった。
そこには琴里の言うとおり、精霊・二亜の姿があった。
数名のスタッフとともに、長机に本を並べている。
「…………」
士道は意を決し、前方へと歩いていった。
すると二亜が、士道たちに気づいたように顔を上げてくる。
「……うん?」
言って、かけていた眼鏡のブリッジをクイと上げ、パイプ椅子から立ち上がる。
「やぁ少年。
あの話は冗談だと思ってたんだけどまさか本当に参加するとはね…。
…皆さんもお揃いで。
初めまして人が多いかな?」
二亜が士道の後ろに居並ぶ精霊達へ視線を送る。
十香や折紙、耶具矢は警戒した様子を見せ、四糸乃と夕弦、凜音、桜は軽く会釈し、琴里は腕組みをしながら視線を返した。
ちなみに美九は顎に手を当てて目を輝かせながら「……眼鏡装備のスレンダー美少女というのもなかなか……今までいなかったタイプですねー」とよくわからないことを呟いて、七罪が若干距離を取っていた。
「……にしても、凄い大所帯だね…」
「あら、あなたの方も結構なものじゃない」
「ああ、みんなバイトだよ。
雇用関係っていいよね。
払ったお金の分だけ働いてくれるっていうのがわかりやすくていい」
「…………」
二亜の言葉に、士道は唇を噛んだ。
――昨日話した高城の言葉が頭を掠めたのだ。
「士道」
「ああ…」
琴里に促され、士道はスタッフが設営を行っているサークルスペースの後方へ歩いていくと、搬入されたダンボールを開け、中に入っている本を一冊取り出す。
印刷したてだからか、まだほんのりと暖かい。
士道は二亜の方に向き直ると、その目を見据え、居住まいを正して本を差し出した。
「ー今日はよろしくお願いします。
サークル《ラタトスク》の五河士道です」
「……っ!」
士道が言うと、二亜は小さく肩を動かした。
そして数秒ののち、自分のスペースに並んでいた本を一冊、士道に差し出してくる。
「サークル《本条堂》の本条蒼二です。
今日はよろしく」
そして二人は軽く頭を下げ合うと、互いの本を交換した。
そう。
スペースが隣になったサークル参加者は、こうして本を交換するのが通例となっていのだ。
本を受け取った二亜が、苦々しい表情を作ってくる。
「…この場で礼を失することはしたくないから、一応受け取っておくけど、あたしがこれを読むかどうかは、今日の結果で決めさせてもらうよ」
「ああ。それで構わない。
ー楽しい一日にしよう」
「………」
士道が手を差し出すと、二亜がため息を吐きながらそれを握りかえす。
軽く数度上下させ、無造作に離す。
「確かに狙い所は面白いけど、キミたちの勝ちの目は薄いと思うよ?
あたし、一応プロだし。
五千部って数字も、久々のイベントだから控えたってだけだし。
新興サークル、しかも素人が急推えで作った本じゃ、勝負にすらならないよ」
「さあ……」
「それはどうだろうね~」
不敵に微笑む琴里の後方、不意にその声は聞こえてきた。
声に振り向く琴里。
いつからそこにいたのかひとりの青年が立っていた。
目鼻立ちの整った青年である。
美形と言っても遜色ないようないような容姿なのだが、重要な部分のネジが一本抜けているような…そんな印象を抱かせる青年である。
佐久間栄太郎…《協会》所属の魔法使いであり、人気同人サークル『チャムチャムワークス』代表である。
「な…なんで……」
「ん?なんで俺がここにいるかって?」
金魚のように口をぱくぱくさせる二亜に栄太郎は続ける。
「この同人誌に《チャムチャムワークス》からカラーイラストを何枚か寄稿しているからなー」
そう、何の勝算も無いままで士道は同人誌の売り上げ勝負を二亜に挑んだ訳では無い。
今回の為に榮太郎に協力を頼んでおいたのである。
「なっ!?」
榮太郎の言葉に二亜は驚愕に目を見開き、先ほど士道から受け取った同人誌を開こうとする。
「おやおや~?
さっき、今日の結果次第とか言っておいて開けるのか?
つまりは負けを認めるということ……ぐほっぁっ!!」
そんな二亜をからかおうとする榮太郎であるが突如、叫び声を上げて前のめりに倒れる。
見ればその頭部には巨大なタンコブが出来ており、その後方には漆黒のメイド服を身に纏い頭部に犬耳を生やした女性が立っていた。
その手には今し方榮太郎を殴ったのであろう槍の穂先が付いたモップを握りしめている。
エーネウス・ザ・バージェスト…榮太郎専属のホムンクルスであり、しばしば暴走しがちの榮太郎のストッバー的存在である。
「全く、五河様のサークルの様子を見に行くと言われたきりなかなか戻られないので来てみれば……。
こちらの準備も未だ終わって無いんですよ…ご主人様」
エーネウスは静かにそう言い放つと士道達に軽く会釈をし、榮太郎の首根っこを掴んで立ち去って行った。
『相変わらず、騒がしい奴らだな…』
そんな事を思いながら士道はいつの間にか二亜が自分のサークルスペースに戻っていることに気づく。
恐らく、榮太郎の介入までは予想外だったらしく何かしらの対抗策をスタッフと練っているらしい…。
―っと。
「みんな、準備にかかるわよ!!」
サークルスペースにいた琴里が声を上げる。
するとそれに応ずるように、十香と四糸乃、桜、凜音、美九が「おー!」と声を上げる。
逆に、八舞姉妹に折紙に七罪という、作画班の四人は、琴里たちが何を言っているのかわからないといった様子で首を傾げていた。
「準備……? 一体何のことであるか」
「疑問。夕弦たちは何も聞かされていません」
「……なんか嫌な予感するんだけど」
「いいからいいから。
とにかくみんなはこっちに来て。
士道、すぐ戻ってくるから同人誌の方を頼むわよ」
琴里が渋る七罪の背を押しながら言ってくる。
「りょーかい」
返事を士道は自分をモデルにしたキャラクターが描かれたポスターやタベストリーが張られたサークルスペースへと戻る。
と、同時に壁際のスペースの前方に、 やがてそれらの人々が、サークルスペースの前に列を作り始めているのに気づく。
特に、二亜のサークルと榮太郎のサークル…そして士道達のサークルの前にはかなりの人数が並んでいた。
『確かサークル参加者は一般の参加者よりも早く並べるんだっけ?』
以前に榮太郎のサークルを手伝ったいた時の事を思い出しながら並ぶ参加者へと同人誌を手渡す。
恐らく、榮太郎がSNSを使って宣伝でもしてくれたのだろう。
ネットの力、恐るべしである。
「流石、榮太郎さんだなー、ちゃっかりと自分の関わったサークルの宣伝してるんだしなー」
そう言ったのは隣のスペースに立った二亜だった。
「同人誌の初動は、前評判で決まるの。
もちろんあたしはブランクあるけども、少し前からブログで告知打ってたからね。
やっぱりあの人も考える事は私と同じかー」
眼鏡のブリッジ部分を直しながら二亜は続ける。
「今の所の集客数は五分五分ってところか…でも勝負はまだまだ始まったばかりだからねー」
「それなら一気に突き放させてもらおうかしらね」
瞬間、二亜の言葉にそう言ったのは、先ほどこの場をあとにした琴里の声だった。
「琴里……その格好は?」
声の方向に視線をやり、士道は驚愕に目を見開いた。
しかしそれも当然だ。
そこには、可愛らしいバニーガールのコスチュームに身を包んだ精霊たちの姿があったのだから。
「うむ!売り子と言うらしい!」
「昨日……みんなで、作りました……!
ちょっと恥ずかしいですけど……頑張ります……っ!」
士道の間いに、十香と四糸乃が答えてくる。
作画班とは別に十香たちが作業をしていたのは、これのことだったらしい。
突然現れたコスプレ美少女集団に、周囲の参加者たちが色めき立つ。
「なんだあのサークル……すげえ可愛い子ばっかじゃねえか」
「えっ、カタログにはなかったぞ、あんなの」
「ていうかあの中にいるの、誘宵美九じゃないか?」
しかもその中に、アイドル・誘宵美九の姿を認めた者がいたらしく、にわかにざわめきが広がった。
携帯電話のシャッター音が聞こえてくる。
本来であればあまり褒められた行動ではないのだが、美九はそれを咎めることなく、むしろ女の子の持つカメラに対してはポーズまで取ってあげていた。
それを見て、二亜が不思議そうに首を傾げる。
「……誘宵美九?」
「うふふー、ばれちゃいましたかー」
美九が得意げに胸を反らす。
しかし二亜は、怪諍そうに眉根を寄せた。
「……ごめん、全然知らない。
何してる人?」
「あうっ!」
二亜の一言に、美九がショックを受けたようによろめく。
「落ち着け美九。
二亜は最近までDEMに捕まってたから、芸能人とかわからないんだよ」
「そ、そうですねー……ありがとうございます、だーりん」
「ほら、しっかりなさい。
もうすぐ、始まるわよ」
美九が力なく笑いながら体勢を直すと、琴里が気合いを入れるようにその背を軽く叩いた。
するとそれに合わせるように、時計の針が十時を指し示し、会場にアナウンスが響いた。
『ただ今より、コミックコロシアムを開催いたします』
それと同時、会場中から、万雷の拍手が鳴り響く。
その迫力に、思わず目を丸くして辺りを見回す精霊たち。
が、それはまだまだ序の口だった。
拍手が鳴り止むか止まないかのところで、今度は遠くから、……と地鳴りのような音と、微かな振動が伝わってきたのである。
『うはぁー』
士道は心の中で叫びを上げる。
その音が、外から大挙して押し寄せる、一般参加者の足音だからである。
「お、おお……!?」
「……すっご、何あれ」
入り口の方から、人が波のように押し寄せてくる。
その様は、まるで城門の開いた敵陣へ詰めかける兵士たちのようであった。
精霊たちが驚愕に目を見開き、しばし呆然とする。
だが、驚いてばかりもいられなかった。一般参加者に先んじて、既にスペースの前に並んでいたサークル参者たちが士道達の同人誌を購入を開始したのである。
「新刊一部ください」
「はい、五百円です」
「こっちは二冊お願いします!」
「千円です」
手慣れた調子で、スタッフが客を捌いていく。
「さぁ、みんな!行くわよ!!」
琴里の号令に従い、精霊たちがずらりとスペースの前後に展開する。
そのあまりに煌びやかな様子に惹かれたのか、他のスペースで同人誌を購入したものたちも士道たちのスペースの前で足を止めるようになった。
「おお、いらっしゃいだ!」
通りがかりに本の表紙を見ていた青年に、十香が声をかける。
すると青年は驚いたように肩を震わせた。
「や、あの……」
「一冊五百円だぞ! どうだ!!」
「……あ、じゃあ、一冊お願いします」
青年は買うかどうか迷っていたようだが、十香の笑顔を前に断り切れなくなったらしい。
苦笑しながら、一000円札を差し出してくる。
「おお、ありがとうだ!お釣りは五百円だぞ!」
十香が本とお釣りを差し出し、笑顔で手を振る。
青年は恥ずかしそうな顔をしながら、しかしどこか嬉しそうに、小さく手を振り返して去っていった。
そんな光景を見ながら、思わず苦笑する。
サークル《ラタトスク》は、華やかな売り子で人だかりを作り、精霊たちの笑顔でノックアウトするという、ある種反則じみた方法で、順調に売り上げを積み上げていった。
とはいえ、隣の《本条堂》は、そんな手法を用いることもなく、《ラタトスク》と抜きつ抜かれつの良い勝負のデッドヒートを繰り広げている。
十香達のおかげでサークル《ラタトスクス》の前に列を作る人の列は絶えない。
この理由は売り子の可愛らしさや榮太郎の協力ももちろん大きいが、理由はそれだけでは無い。
その最たるものは隣のサークル…即ち、二亜のサークルによるものが大きいだろう。
二亜のサークルに本を買いに来た人が、隣にある謎のサークルに興味を持つのは、当然のことであった。
「 ここか? カタログにないサークルっていうのは」
「しかし、新興にしていきなり壁ってのはどういう理由だ?」
「ああ……なんでもあの《チャムチャムワークス》の佐久間先輩がイラストを寄稿しているらしい……」
「まさか! 彼が目を付けたサークルは全て超大手にのし上がり、イチオシされた作家は商業での大成功を確約されたも同然と誑われた、あの!!」
「何だって!! 萌えアニメ選手権、伝説の七代目チャンピオン、佐久間先輩が!?」
「超銀河大番長佐久間先輩が協力するサークルが現れただと!?」
「いやー、流石と言っておこうかな」
隣のスペースで二亜がと拍手をしてみせる。
「でも……自信満々になるのはまだ早いんじゃない?」
「……なんですって?」
二亜の言葉に、琴里が眉をひそめる。
するとそれから十数分後、会場に変化が現れ始めた。
サークル《ラタトスク》の前にできていた列が、段々と少なくなり始めたのである。
対して、 《本条堂》の列は、未だ通りの向こうまで続いている。
「こ、これは……どういうこと?」
「どういうことって、ただ正しい状態に戻っただけじゃない?」
琴里の狼狽に応ずるように、二亜が声を発してくる。
「可愛い売り子に諸々の話題性。
確かに人の目を惹くには有効な手段かもしれないけど、それはあくまで一過性のものだよ。
五千部っていう数字を売り抜けるような力はない。
わたしは、いい本を描いても売れなきゃ仕方ないって言ったけどさ、結局参加者が欲してるのは、『面白い本』なんだよね。
ブランクがあるとはいえ、今まで何年もの間その実績を示してきたあたしと、一体何を描いているのかわからない新人たちとの最大の差は、そこなんだ。
その差は、一朝一夕で埋まるようなものじゃあないんだよ」
「く……!」
琴里が悔しげに奥歯を噛む。
だが、二亜の言うことももっともであった。
士道たちのサークルは、今まで飛び道具に頼ってなんとかく《本条堂》に追い紐っていただけなのだ。
そうこうしているうちに、サークル《ラタトスク》の前に並んでいた参加者たちが全て本を買い終え、いなくなってしまう。
だが在庫はあと四箱、単純計算で二千冊以上もあった。
「し、シドー……人が途絶えてしまったぞ」
「……ど、どうするのよ、一体」
売り子をしていた十香や七罪たちが、不安そうに言ってくる。
士道は必死に考えを巡らせた。
「何か……何か手はないのか……! このままじゃ……!」
しかし、有効な手段は一向に思い浮かばない。
その間にも《本条堂》は、途切れることのない列に、順調に本を販売し続けていた。やがて、残っていた四箱のうち、一つが空になる。
「くっ……一体どうしたら!」
このままでは、二亜が先に本を売り終えてしまう。
つまり士道たちは二亜を封印するチャンスを失うことになってしまうのだ。
だが、いくら焦ったところで妙案など浮かぶはずがない。
ただ通り過ぎる参加者を見つめながら、士道は机にがくりと手を突いた。
が、次の瞬間。
失意に沈んだ士道の手に、そっと柔らかな手が添えられた。
「え……?」
顔を上げると、その手の主美九が、微笑みかけてくる。
「うふふ、諦めるなんて、だーりんらしくないですよー?
まだ勝負は終わってません。
むしろ、これからです」
「美九……?」
美九の言葉に、士道は頭に疑問符を浮かべた。
彼女の口ぶりや表情が、ただ無責任に士道を励ましているだけには見えなかったのである。
二亜の方に視線を向けた。
「さあ二亜さん、勝負です」
そしてそう言って、ビッと二亜に指を突きつける。
その行動を見てか、二亜が不思議そうな顔を作った。
「……?何をするつもりかわからないけど、さすがにここから挽回するのは難しいんじゃない?」
「うふふ、それはどうでしょうねー。
ねえ二亜さん。長い間DEMに捕まっていたらしいですけど、SNSっていうのはご存じですかー?」
「ああ、ソーシャル・ネットワーキング・サービスでしょ?
一応、知ってるよ。
仮にも全知の天使の宿主だからね」
「……でも私のことは知らなかったんですねー。
調べるような興味もなかったですかー。
そうですかー」
「……いや、ごめんって」
美九は二亜の言葉に恨み言を呟いてから、気を取り直すように首を振った。
「とにかく! 今SNSは、全国民の半数以上が使用しているサービスなんです。
そして、今この会場にいる人たちの年齢層だと、その割合はもっと上がるんじゃないですかねー」
「……っ! 美九、おまえまさか!?」
士道が何かに気づいたように声を上げ、美九ポケットからスマートフォンを取り出して何やら画面を操作する。
そして数秒後、士道は息を呑んだ。
琴里も美九がなにをしたのか予想がついたらしく、士道と同じように息をのむと美九のスマートフォンを見る。
近くにいた十香や四糸乃、折紙が、一緒にその画面を覗き込んだ。
そこに表示されていたのは、とあるSNSのページだったのだが……そこに、美九が使用しているアイコンとともに、こんなコメントが記されていたのである。
『お友だちのサークルのお手伝いでコミコに来てまーす!
今東A-20・5サークル《ラタトスク》で本のお渡し会を実施中! 写真もOKですよー!』
士道が目を見開くと、美九は笑みを作り、士道の胸元を人差し指で突いてきた。
「だーりんや皆さんが必死になって頑張ってるのに、私だけ全力を出さないなんて、我慢できません。
私だって七罪さんと同じです。
皆さんの力になりたいんです」
「美九……!」
美九は一瞬目を伏せると、バッと顔を上げ、二亜の方に向き直った。
「確かに正道ではあなたに敵わないかもしれません。
なら私たちは、邪道に邪道を重ねて、あなたの道理をぶち破ってみせます!」
挑発的に指を向けながら、続ける。
「さあ、見せてあげますよ、二亜さん。
あなたが知りもしなかった女の力を。
そして心に刻んであげます。
この私 誘宵美九の名を!」
そして美九が、歌劇を演ずるかのごとく両手を広げる。
まさかそれに合わせたわけではあるまいが その瞬間、ホールの人口から、まるで開場のときのように、夥しい数の足音が響いてきた。
美九が手を掲げ、指を鳴らす。
するとホールにやってきた集団が、一斉にサークル《ラタトスク》の前に殺到した。
「わっ! ホントに美九たんじゃん!?」
「マジか、本物!? なんでこんなところに……!」
「あ、あの、お渡し会やってるって聞いたんですけど、本当ですかね……?」
おずおずと、一人の少年が問うてくる。
美九は一瞬男性の姿に息を詰まらせたものの、すぐににこりと微笑んでみせた。
「ええ、本当ですよー。
皆さんいつも応援ありがとうございます」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!』
美九の言葉に、集まった参加者たちが雄叫びとも聞きまごう叫びを上げる。
次々と、サークル《ラタトスク》に人が押し寄せてきた。
「……! 耶倶矢、夕弦! 列の整理をお願い! 士道たちは本の補充と、お金を払った参加者の誘導を!」
呆気にとられていた琴里が司令の顔に戻り、指示を飛ばしていく。
「十香、折紙、四糸乃、凜音は、続けて私と料金の回収を! 七罪は販売をしつつ、美九が応対に疲れたら体力回復のために抱きつかせてあげて!」
「なんか私だけ役割おかしくない!?」
一部から不平は上がったものの、精霊たちはそれぞれの仕事をこなしていった。
その様を見て、二亜が微かに眉根を寄せてくる。
「ふうん……やるねえ。
ホントに有名人だったんだ、その子」
「……ああ。
凄いだろ。
俺たちの自慢のアイドルだ」
「まさか、今さら卑怯だなんて言わないわよね」
士道と琴里が視線を返しながら言うと、二亜は肩をすくめながらうなずいた。
「もちろん。
でも、今から追いつける?」
二亜が視線を鋭くしながら、唇の端を上げてくる。
士道は力強くうなずいた。
「……当然だ! 追いついて…いや、追い抜いてみせる。
俺を支えてくれたみんなのためにも! そして二亜! おまえのためにもな……!」
すると二亜が、本を捌きながら笑うように言ってくる。
「そいつはどーも。
でもそんなこと言ってもおまけはしてあげないからねー!」
「問題ない! 勝てばいいんだからな!」
「あっははは! そうだねえ、その通りだ! 本当に勝てるなら!」
そこで、愉快そうに笑っていた二亜が、不意に声を止めた。
士道は一瞬頭に疑問符を浮かべたがその原因はすぐにわかった。
二亜のサークルスペース。
そこに、分厚い眼鏡をかけた女性がやってきていたのである。
「た、高城……先生」
二亜が呆然と声を発する。
そう。
それは、昨日士道たちが話を聞いた漫画家、高城弘貴だったのだ。
「あはは、お久しぶりですな、本条先生。
久々に先生がサークル出展されていると聞き及び、来てしまいました」
「あ、ええと……そりゃ、どうも……」
途端、二亜が気まずそうな顔を作り、しどろもどろになる。
「突然すみませぬ。
気分を害されたなら申し訳ない。
でも一つだけ……お聞かせ願えぬでしょうか」
高城が二亜の顔を眼鏡のレンズ越しに見つめる。
二亜は居心地悪そうに視線を逸らした。
「……小生、気づかぬうちに何か粗相をしてしまったのでしょうか?
もしそうならば、謝らせていただきたい」
言って、高城がぺこりと頭を下げる。
すると二亜は慌てたように目を泳がせた。
「そ、そんなこと……あるはずないじゃないですか!」
そして、声を上擦らせるようにのどを震わせる。
それは二亜お得意の軽い調子とは少し違うように見えた。
「そうなのですか?」
高城が目を丸くする。
が、二亜は歯切れ悪く言葉を濁した。
それからしばらく、無言の状態が続く。
高城はこれ以上スペースを塞いではいられないと判断したのか、小さく息を吐くと、本を一冊買ってもう一度ぺこりとお辞儀をした。
「たとえ嫌われていたとしても……小生は、本条先生の本を楽しみにしておりますよ」
「あ……」
二亜は何かを言いかけたが、結局言葉を続けることができなかったようで、ただ頭を下げたのみだった。
「…………」
その様子を見て、士道は昨日高城に話を聞いたときに覚えた違和感が、確信に変わっていくのを感じた。
「二亜」
「……! ああ、少年。
みっともないところを見せたね。
でも勝負は」
「おまえ……あの人のこと、好きなんだな」
「は?」
士道の言葉に、二亜は目を丸くしてきた。
「な、何言ってんの、少年。
あたしそういう趣味はないんだけど?」
「いや、そういう意味じゃなくて。
人間として……っていうか、友だちとして」 そう。
それが昨日、士道が覚えた感覚だったのだ。
二亜が《囁告篇峡》の力ゆえに、人間に落胆してしまったのは事実だろう。
だからこそ二亜は日分を裏切らない二次元に癒やしを求め、結果、漫画家にまでなったのだ。
だが二亜には、人間に絶望した精霊と違う点が一つあった。
二亜は人間社会で身を立てていく上で、最低限のコミュニケーション能力を身につけていたのである。
それがきっと違和感の正体である。
琴里は二亜が《囁告篇峡》で親しかった高城の事を調べてしまったために、その本性を知り、疎遠になったのではないかと言っていた。
だが、士道は思ったのである。
二亜ならば、本性を知胆した相手になら、むしろドライに表面上円滑な人間関係を継続していけるのではないかと。
そう考えたとき、士道の脳裏に、一つの可能性が浮かんできたのである。
「二亜、おまえ:もしかして、怖かったのか?」
「は? な、何をー」
「あのまま仲良くしてたら、いつか好奇心に負けて《囁告篇峡》を使いそうだったから……ようやく出来た友達に失望したくないから、身を引いたんだろ?」
士道が問うと、二亜は一瞬、言葉に詰まる。
「はッ、少年が何言ってんのか全然わかんないね!
ーあ、五百円です」
「じゃあなんだよさっきのは! おまえ、嫌いな人間にはむしろ普通に対応できるだろ!?ーありがとうございました!」
二亜と士道が、一般参加者に応対しながら視線を交じらせる。
……結果、なんだか珍奇な言い合いになってしまった。
「うるさいなぁもう!
販売に集中しなよーあ、最後尾はあちらです!」
「悪いがそうはいかない!
俺が勝負に勝ちたいのはおまえを助けたいからだー
ならこの問題を放置してちゃ意味がない!
ーはい、本の受け渡しはあちらです!」
士道の言葉に、二亜は苛立ちながら…そして応対の手は休めないまま、焦れたように叫びを発してくる。
「そうだよ怖くて何が悪いんだよ!
あたしだって友だち欲しいっての!
でもどうしようもないじゃんー!
超高性能監視カメラで相手の一生をずっと覗けるような奴が、友だち作れるはずないじゃん!
千円 お預かりします!」
二亜が渋面を作りながら言ってくる。
それを聞いて、士道は二亜の孤独が腑に落ちた気がした。
二亜は、自分が好奇心に負けて相手のことを調べてしまうのではないかという不安とともに…相手のことを好き勝手に覗くことができてしまう自分にもまた、負い目を感じていたのだ。
神にも等しい超越的な力を持ってしまったがゆえの苦悩。
対等な者が存在しないための孤独、それは、まさに精霊の力を持たぬものには理解できないものだろうしかしー士道は構わず声を上げた
「そんなの、やってみなきゃわからねえじゃねえか!」
「はっ!?綺麗事だね! じゃあ逆に間くけど、少年。
キミは四六時中、それこそトイレやお風呂まで自分の ことを好き勝手に観ける人間と、日分の知られたくない過去を勝手に融れる人間と、心の底から仲良くなれるっていうのかい?」
だが士道は、一緒だけ呆けた表情をし、次の瞬間には大きな笑い声を上げた。
「はは……ははははははははははははははっ!」
「な、何がおかしいのさ!」
二亜が困惑したように返してくる。
士道は細く息を吐くと、荒々しく髪をかき上げてみせた。
「悪いが、そういう手合いには死ぬほど慣れててね!
ああ……今ようやくわかったよ。
俺とおまえは最高に相性ぴったりだ!
プライバシー? なにそれ美味しいの?
むしろそれを気に病んでくれるおまえが天使に見える!」
「は、はあっ?」
二亜は士道が何を言っているかわからないといった様子で眉をひそめた。
そんな顔を横目で見ながら、のどを震わせる。
「覗きたいなら好きなだけ覗け! 漁りたいなら好きなだけ漁れ! 俺はそれでも! おまえを嫌ったりしない!」
「ッ!」
士道の叫びに。
二亜は息を詰まらせた。
しかしそののち、悔しげに歯噛みしながら返してくる。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
何勝手なこと言ってんの?
キミのことくまなく覗いたら、あたしがキミを嫌いになると思うんだけど?」
二人が言葉の応酬をしている間も、怒罵の如く時は過ぎていった。
サークル《ラタトスク》、 《本条堂》、ともに参加者の列が途絶えることはなく、次々と本が売れていく。
在庫の数は《本条堂》におよそ五百部のアドバンテージがあったものの、会計のスピードは、人数の多い《ラタトスク》に分があった。
ある者は本を売り、ある者は列を整理し、そしてある者はお渡し会に疲れたアイドルにしばし抱きしめられる。
叫ぶ。
ちょっと涙目になる。
熱狂の中、各々が使命を果たしていった。
そして……
『 ありがとうございましたぁッ!』
士道と二亜、最後の一冊を売り切った二人の声が、まったく同時に会場に響き渡った。
「……」
「……っ」
息を切らしながら、二亜の方に視線をやる。
すると二亜も同様に、士道に視線を寄越してきていた。
双方、真冬だというのに頬は上気し、額には玉のような汗が浮かんでいる。
二亜などは、うっすらと眼鏡が曇っていた。
と、二人が呼吸を整えていると、 《ラタトスク》と《本条堂》から、同時に声が響いてきた。
「《ラタトスク》、完売です!」
「《本条堂》、完売です!」
そう。
隣り合った二つのサークルの本は、まったくの同時に売り切れたのである。
その宣言と同時、まだ並んでいた参加者たちが、残念そうに声を上げ、その場から去っていった。
抗議や不満を申し立ててくる者は一人もいない。
手に入らなかった以上ここにい続けても仕方がない。
それならば、他の本を探しにいった方が有意義とわかっているのだろう。
そんな彼らの背を眺めながら、士道と二亜は、同時に大きく息を吐き、ガシャンと音を鳴らしパイプ椅子に座り込んだ。
「…さて、どうやら引き分けみたいだけれど」
琴里が少し表情を険しくしながら、二亜の方を向く。
「……」
するとそれから数秒後、椅子の背もたれに身体を預けるような格好で天を仰いでいた二亜が、眼鏡を外し、服の袖で汗を拭った。
そして士道を睨み付けてから、机の下を探り、先ほど交換した士道たちの同人誌を手に取ってみせる。
「……いいよ。
ここまでできたご褒美だ。
読もうじゃないの」
『……!』
二亜の言葉に、士道たち《ラタトスク》は顔を見合わせ、歓声を上げた。