「あ、ああああ、あああああああああああああああああああああああッ!?」
二亜の苦痛に満ちた絶叫とともに、その身体から汚泥の如き霊力の塊が温れ出る。
それに触れた地面は、水に触れた塩の山の如く、どろどろと溶解していく。
それだけではない。叫ぶ二亜の額に、手に、足に、身体の至る所に傷が生じ、そこから夥しい量の血が流れていく。
二亜に外傷を与えるようなものは、一切見受けられない。
しかし、まるで肌に花が咲くかのように、二亜の身体が傷の存在を急に思い出したかのように、幾つもの傷口が開いていったのである。
その様は、敬虔な信徒の身体に生じるという聖痕を思わせた。
そして やがてその血と霊力は二亜の全身を覆い、その姿を変化させていった。
鞠亜や鞠奈のもののような修道女に似たシルエット。
しかしその姿は、どちらにも似ていない、禍々しいものに変貌していた。
「二亜……」
その様を見ながら、士道は声を発した。
士道には、否 ここにいる皆には、その光景に見覚えがあったのである。
霊結晶の、反転。
精霊が深い絶望の淵に沈んだとき起こるという存在の転換現象だ。
だが……わからない。
かつて十香と折紙も、二亜と同様反転をしたことがあった。
十香は、目の前で士道が殺されそうになったため。
折紙は、己の手で両親を殺してしまっていたことを知ったために。
しかし今日の前で起二つている二亜の反転には、その原因となりそうなものが何一つなかったのである。
本当に、何の前触れもなく。
むしろ、二亜がこちらに歩み寄ろうとしてくれた瞬間に。
その絶望は、姿を現したのだ。
『まさか!!』
士道はそこで一つの可能性に重い至り心の中で叫ぶ。
即ち、DEMに何かをされたのではないかと―、
士道が叫んだ次の瞬間、二亜の身体がまるで操り糸に吊られた人形のような挙動で顔を上げた。
「あ、あああああああああ!」
激痛に至んだ、苦悶の表情。
自らの血で真っ赤に染まったその貌は、まるで血の涙を流す聖母の像を思わせた。
二亜が掠れた、声ともいえぬ声を発する。
「《神……蝕、篇……峡》!!」
その呼び声に応ずるように、二亜の前に、一冊の巨大な本が姿を現した。
目にするだけで身体が重圧に縛られるかのような圧倒的なプレッシャー。
間違いない。かつて目にした《暴虐公》や《救世魔王》と同種の『魔王』である。
《神蝕篇峡》は空中に静止したまま自動的にその口を開くと、凄まじい速度でページを繰り始めた。
そしてそのページが本ののどから外れ、まるで吹雪のように辺りに舞い散る。
「これは……」
「気をつけて、士道。あれは魔王の一部。
ただの紙吹雪ではない」
折紙の淡々とした、しかし警戒心に満ちた言葉に応ずるように、二亜の周囲に陣を描くように散った《神蝕篇峡》のページが、暗い輝きを放つ。
そして《神蝕篇峡》のページから、闇を固めたような異形の怪物が、幾体も幾体も這い出てきたのである。
『――――――!』
異形は咆哮とも悲鳴ともとれぬ声を発すると、一斉に地を蹴り、士道たちに襲いかかってきた。
「く……ッ!」
疑似霊装を展開し、後方へと飛ぶ。
それと同時に、異形の身体は光に呑まれ、身体を半分消し飛ばされて空気に溶け消えていった。
士道の後方にいた折紙が限定霊装を顕現させ、天使《絶滅天使》で撃ち抜いたのである。
折紙だけではない。
その場にいた琴里以外の精霊たちは皆、その身に限定的な霊装を纏い、天使を顕現させて、闇を生む二亜と、闇より生まれた異形に対するように視線を向けていた。
「みんな……!」
「事情はよくわからぬが……放っておけないことだけはわかった!」
「周りの邪魔な子たちは私たちに任せてくださいー!だーりんは二亜さんを」
十香や美九が叫び、臨戦態勢を取る。
それに対抗するように《神蝕篇峡》からさらにページが舞い、そこからら無数の異形が現れた。
次第に増えていく二亜の軍勢に、士道は姿勢を少し低くする。
二亜の霊力を封印するには彼女に肉薄するしか無い。
だが、士道には一つの不安があった。
「……俺がキスをして二亜が正常に戻ってくれるかどうかだが……」
十香の場合はキスする事で、折紙の場合は士道の呼びかけにより、意識を引き戻すことができた。
だが、十香や折紙と違い二亜との縁がはあまりにも少なすぎた。
そんな状況で、本当に二亜が元に戻るのか不安はある。
『だが…やるしかねぇよな………!!』
心の中で叫び、自らを鼓舞すると二亜の姿を見据えた。
その様は異様で禍々しくも――どこか悲痛な叫びをあげているように見えた。
「二亜を助け出す。
みんな………協力してくれ!!」
『おお!』
士道の呼びかけに応え、精霊達が声を発する。
が。 その瞬間。
「――残念ですが、それは叶いません」
どこからか、そんな声が聞こえてきた。
そしてそれに次いで白銀に輝く機械の鎧を纏った少女が空から現れ、二亜を挟んだ向かい側に降り立つ。
「なぜならば、私がいるからです」
士道達を見下すような調子で少女―エレン・ミラ・メイザースは言いはなった。
「――なるほど。
素敵な様になったではありませんか《シスター》。
さすがはアイクです」
「やっぱり…お前らが二亜になんかしたわけか?」
エレンの言葉に確信を得た士道は問う。
「ええ。もとよりその精霊の所有権はDEMにあります。
――幸運ですよね。
私はこれからすべきことがあります。
潔くこの場から立ち去るならば今日のところは見逃してあげましょう」
そう言ってエレンが、士道達を追い払うような仕草をする。
「ふざけるな!誰が渡すかよ!」
「―――あなたと問答するつもりありません」
エレンは士道の言葉を気にも留めず、背負った装備の柄を握り、引き抜いく。
同時に濃密な魔力の刀身が輝き、光の剣が形作られた。
――レイサーブレイド《カレドヴルフ》。
エレン専用の剣である。
その動作に反応して、二亜の周りで蠢く異形が一斉にエレンに襲いかかる。
だが、エレンは小さく眉をひそめると身体の周辺に展開した随意領域を操作、群がる異形を一掃する。
「魔王の力は少々厄介ですね。
早めに始末をつけてあげましょう」
言って随意領域を操作して身体を弾くようにし、《カレドヴルフ》を振り上げて二亜へて飛びかかる。
が―エレンが二亜に肉薄したところで、閃光と共に何者かが《カレドヴルフ》の刃を弾いた。
「いやー、危ない危ない」
「ええ、間一髪と言ったところでしょうか…」
飄々とした態度の青年…佐久間榮太郎。
そしてモップの柄にハルバートの刃がついた独特の武器を構え、メイド服に犬耳、尻尾という出で立ちの女性―エーネウス・ザ・バージェスト…が呟く。
「また、《協会》の人間ですか…邪魔をするのであれば容赦はしませんよ」
エレンが視線を鋭くして、エレンが目にも留まらぬ斬撃を放つ。
「―はっ!」
エーネウスは裂帛の声を上げながらこの攻撃を目にも留まらぬスピードでいなしていく。
時折、エレンの繰り出す斬撃が身体を掠めそうになるが、榮太郎が魔法で生み出した火球がその軌道をずらす。
「みんな…今のうちに黒い連中を片づけて士道の道を作ってちょうだい!!」
琴里の言葉に、精霊達はなずき、各々の天使を振るい、二亜の前の軍勢を削っていく。
無論、《神蝕篇峡》がある限り、敵は無尽蔵に増えていく。
しかし、精霊達の補助があれば数秒間であるが二亜を無防備にする事も可能だろう。
――だが。
「十香!!」
「つっ!!」
左方から十香と折紙の叫び声が聞こえ、士道は思わず、そちらを向く。
見れば、折紙が天使《絶滅天使》の先端を十香に向けて、光線を放ち、十香もまた天使《塵殺公》で折紙を切りつけていた。
それだけではない四糸乃が《氷結傀儡》を七罪に、七罪が《贋造魔女》を四糸乃へ、耶倶矢が《颶風騎士‐穿つ者》を夕弦に、夕弦が耶倶矢が《颶風騎士‐縛める者》を耶倶矢へ、桜が凛音に《桜光杖》を凛音が桜へ守護天使を向けて攻撃しあっていた。
『これは……』
あまりにも異常すぎる事態に士道は以前、二亜が士道に見せた《囁告篇峡》で見せた能力を思い出す。
それと同時に自分の身体の動かなくなるのを感じる。
「か、身体が……動かない」
後方から聞こえてきた琴里の声と随意領域で身体を縛られるものとは違う感覚に士道の予感は確信に変わる。
「………未来記載か!!」
二亜が以前、使ってみせた能力で《囁告篇峡》に書き込んだ事が実際に起こるというものである。
その証拠に二亜の霊装の一部が筆記具と化し、自動的に《神蝕篇峡》のページに何かを書き込んでいるのだ。
しかも、その書き込みスピードが二亜が見せたそれとは比べ物にならないくらい速い。
《オーディン》も先程から解除しようと手を尽くしているようだがそのスピードに対応出来ていないようだ。
そうこうしている間にも、二亜は《神蝕篇峡》のページから異形たちを生み、折紙たちが掃討した軍勢を再度揃え直してしまった。
異形たちがゆっくりと、しかし確実に、士道たちに追ってくる。
そんな中でも士道は冷静に《オーディン》に問う。
『オーディン、霊力の連続使用は可能か?』
『可能ではありますが…肉体への負担が大きすぎます!!』
士道の言葉に声を上げる《オーディン》。
そうこうしているうちに漆黒の異形が、士道の頭部に手を伸ばす。
既に考える余裕も無い。
士道は声を上げて全身に力を返める。
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!」
瞬聞…士道の身体が発熱するかのように熱くなり、士道を中心に、凄まじい突風が吹き荒れる。
士道に群がっていた異形が一斉に吹き飛び、それと同時、士道の身体を停止させていた縛めが解かれる。
『やっぱりか…』
心の中で士道は一人、呟く。
そう…《神蝕篇峡》の未来記載は、人間の行動を縛るがーそれに抗じ得る霊力を持った者に対しては、十全の効果を発揮しないのである。
士道は人の身でありながら、八人分の精霊の霊力をその身に保有しているのだからこの結果は当然といえた。
「ー行ってくる」
士道は短く言うと、その場から駆け出した無論、それに反応するように、異形たちは士道に群がってくる。
「《氷結傀儡》!」
叫び、地面を踏みしめる。
その瞬間、士道の足を起点として地面が凍りつり付き、異形たちの足を地面に繋ぎ止めた。
無論こんなものは付け焼き刃だ。
それぞれの天使の扱いは、絶対に本物の精霊たちには敵わないだろう…しかしー今はそれでいい。
異形を打ち倒し、二亜への道を作る。 士道の身体に宿る九つの天使は、それを達するには十分に過ぎる力だ。
「ー」
異形たちが、氷に足を取られた異形を足場にして、士道に追いすがってくる。
士道は右手を掲げるとその名を呼んだ!
「《塵殺公》!」
士道の呼び声に応え、虚空から一振りの大剣《塵殺公》が姿を現す。
柄を固く握るとを横難ぎに振り払った。
「邪魔だッ!」
一薙ぎで集まった異形たちの身体を二つに両断する。
無論、その威力は士道の身体に凄まじい負荷をかけた。
筋繊維が断裂し、骨が軌みを上げる。
そしてそれを修復するため、琴里の再生の炎が士道を体内から灼いた。
激痛と灼熱が全身を満たす。
故にー士道は叫びを上げた。
【あああああッ!】
美九の天使《破軍歌姫》が送る、沈痛の歌。
歌と言うよりも叫びに近いそれは、土道の耳を通じて身体に染み渡り、幾分かその痛みと熱を紛らわせる。
そして並み居る異形を難ぎ倒しー 士道は、漆黒の汚泥の中に膝を突く二亜の元に至った。
「二亜! 大丈夫か!?気をしっかり持っんだ!」
「ああ、あああああ、あああああああああーッ」
しかし、二亜は士道の呼びかけに応えようとしない。
ただ全身を触む痛みに支配されるように、苦闘の声を上げ続けている。
そこで士道はとあることに思い至り、肩を揺らす。
息を吸い、大きくのどを震わせ叫ぶ。
【二亜!】
そう。
先ほど自分の身体に用いた、《破軍歌姫》の歌。
その力を込めて、二亜の名を呼んだのである。
「―ッ」
そこで初めて、二亜の身体が士道の声に反応するように微かに震えた。
【……! 二亜!?俺の声が聞こえるか!?今助けてやるからな!?】
「し……ど……」
血に濡れた頬を僅かに動かし、二亜が掠れた声を発してくる。
その反応から、察する。
恐らく二亜のこの状態は、二亜が感じる『痛み』に起因しているのだ。
ならば、鎮痛の歌でそれを除きさえすれば、なんとか二亜の意識を引き戻すことができるのではないか。
そう考えて、士道は二亜に手を伸ばした。
が。
士道が二亜の肩に手を触れようとした、その瞬間。
「駄目だよ。
そんなことしちゃ」
そんな声が聞こえたかと思うと、上空から超高速で何かが飛来、士道の目前で炸裂し、凄まじい光を放つ。
「……つっ!?」
突然の衝撃に足に力を込めて踏ん張り、閃光に目を瞑る。
「な…!?」
霞む目を開き、士道は驚愕の声を上げた。
そこにはいつの間にか、先ほどまではいなかった少女の姿があった。
恐らく、今し方空から飛来してきたのは彼女だったのだろう。
金髪、碧眼、透き通るようなな白い肌が特徴的な、可憐という言葉を擬人化したような少女である。
しかしその顔には表情らしきものがなく、その身には、魔術師たることを示す金属の鎧が装着されていた。
エレンのそれと同型のワイヤリングスーツに、白と紫で染め抜かれたCR-ユニット。
だが、士道が目を奪われていたのは、そんな可憐な少女の姿ではなかった。
彼女がその手に握った、両刃のレイザーブレイド。
そしてその切っ先に腹部を貫かれ、標本の蝶の如く地面に礫にされた二亜の姿だった。
「二亜ッ!」
士道が叫びを上げると、二亜の口から血の塊が流れ落ちた。
「てめえ!!二亜に何しやがる! そこを退けえええッ!」
士道は《魔力瞬間換装》を用いて少女の後ろへと周り込むと《塵殺公》を振り下ろした。
完全な死角からの攻撃である。
だが 《塵殺公》の刃が彼女に触れる寸前、彼女を包んでいた随意領域がその攻撃を止める。
「く……」
あまりに強固で、濃密な随意領域。
その精度は、エレンのそれに勝るとも劣らなかった。
次いで少女が目を細めたると、随意領域の範囲が一気に広がり、士道の身体を軽々と弾き飛ばした。
「ぐわッ!」
「士道!」
放物線を描きながら地面に落下していった士道は、体を捻って無事に着地する。
そんな士道の隣に《神蝕篇峡》の効果が切れたのか折紙が立っていた。
その表情を戦慄の色に染め、二亜に剣を突き立てた少女を睨み付けている。
「折紙……?」
折紙は真っ直ぐ少女の顔を見据えたまま、小さく唇を開いた。
「どうしてあなたがここにいるの。
――アルテミシア・アシュクロフト」
「……」
折紙が呼びかけるも、アルテミシアと呼ばれた少女はそれに一瞥も返さなかった。
レイザーブレイドを握る手に力を入れ、その切っ先を二亜の身体から抜く。
二亜の身体が跳ね、剣を抜いた腹部から、血が溢れる。
「二亜!」
叫び、士道が駆け寄ろうとするも、濃密な随意領域に阻まれて接近することができない。
アルテミシアは片手をゆつくりと持ち上げると、二亜の胸元のちょうど直上に掲げた。
そして、何かを呟いたかと思うと、彼女を包む随意領域に変化が現れそれと同時に、二亜の身体が黒く発光し始めた。
「……、……、………」
もはや声さえも出なくなった二亜が、微かに指先を震わせる。
そして次の瞬間、二亜の胸元から夜色の宝石が出現、それに合わせるように、二亜の纏っていた霊装が、黒い霞となって消滅する。
そうこうしている間にも、二亜は《神蝕篇峡》のページから異形たちを生み、折紙たちが掃討した軍勢を再度揃え直してしまった。
異形たちがゆっくりと、しかし確実に、士道たちに追ってくる。
そんな中でも士道は冷静に《オーディン》に問う。
『オーディン、霊力の連続使用は可能か?』
『可能ではありますが…肉体への負担が大きすぎます!!』
士道の言葉に声を上げる《オーディン》。
そうこうしているうちに漆黒の異形が、士道の頭部に手を伸ばす。
既に考える余裕も無い。
士道は声を上げて全身に力を返める。
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!」
瞬聞…士道の身体が発熱するかのように熱くなり、士道を中心に、凄まじい突風が吹き荒れる。
士道に群がっていた異形が一斉に吹き飛び、それと同時、士道の身体を停止させていた縛めが解かれる。
『やっぱりか…』
心の中で士道は一人、呟く。
そう…《神蝕篇峡》の未来記載は、人間の行動を縛るがーそれに抗じ得る霊力を持った者に対しては、十全の効果を発揮しないのである。
士道は人の身でありながら、八人分の精霊の霊力をその身に保有しているのだからこの結果は当然といえた。
「ー行ってくる」
士道は短く言うと、その場から駆け出した無論、それに反応するように、異形たちは士道に群がってくる。
「《氷結傀儡》!」
叫び、地面を踏みしめる。
その瞬間、士道の足を起点として地面が凍りつり付き、異形たちの足を地面に繋ぎ止めた。
無論こんなものは付け焼き刃だ。
それぞれの天使の扱いは、絶対に本物の精霊たちには敵わないだろう…しかしー今はそれでいい。
異形を打ち倒し、二亜への道を作る。 士道の身体に宿る九つの天使は、それを達するには十分に過ぎる力だ。
「ー」
異形たちが、氷に足を取られた異形を足場にして、士道に追いすがってくる。
士道は右手を掲げるとその名を呼んだ!
「《塵殺公》!」
士道の呼び声に応え、虚空から一振りの大剣《塵殺公》が姿を現す。
柄を固く握るとを横難ぎに振り払った。
「邪魔だッ!」
一薙ぎで集まった異形たちの身体を二つに両断する。
無論、その威力は士道の身体に凄まじい負荷をかけた。
筋繊維が断裂し、骨が軌みを上げる。
そしてそれを修復するため、琴里の再生の炎が士道を体内から灼いた。
激痛と灼熱が全身を満たす。
故にー士道は叫びを上げた。
【あああああッ!】
美九の天使《破軍歌姫》が送る、沈痛の歌。
歌と言うよりも叫びに近いそれは、土道の耳を通じて身体に染み渡り、幾分かその痛みと熱を紛らわせる。
そして並み居る異形を難ぎ倒しー 士道は、漆黒の汚泥の中に膝を突く二亜の元に至った。
「二亜! 大丈夫か!?気をしっかり持っんだ!」
「ああ、あああああ、あああああああああーッ」
しかし、二亜は士道の呼びかけに応えようとしない。
ただ全身を触む痛みに支配されるように、苦闘の声を上げ続けている。
そこで士道はとあることに思い至り、肩を揺らす。
息を吸い、大きくのどを震わせ叫ぶ。
【二亜!】
そう。
先ほど自分の身体に用いた、《破軍歌姫》の歌。
その力を込めて、二亜の名を呼んだのである。
「―ッ」
そこで初めて、二亜の身体が士道の声に反応するように微かに震えた。
【……! 二亜!?俺の声が聞こえるか!?今助けてやるからな!?】
「し……ど……」
血に濡れた頬を僅かに動かし、二亜が掠れた声を発してくる。
その反応から、察する。
恐らく二亜のこの状態は、二亜が感じる『痛み』に起因しているのだ。
ならば、鎮痛の歌でそれを除きさえすれば、なんとか二亜の意識を引き戻すことができるのではないか。
そう考えて、士道は二亜に手を伸ばした。
が。
士道が二亜の肩に手を触れようとした、その瞬間。
「駄目だよ。
そんなことしちゃ」
そんな声が聞こえたかと思うと、上空から超高速で何かが飛来、士道の目前で炸裂し、凄まじい光を放つ。
「……つっ!?」
突然の衝撃に足に力を込めて踏ん張り、閃光に目を瞑る。
「な…!?」
霞む目を開き、士道は驚愕の声を上げた。
そこにはいつの間にか、先ほどまではいなかった少女の姿があった。
恐らく、今し方空から飛来してきたのは彼女だったのだろう。
金髪、碧眼、透き通るようなな白い肌が特徴的な、可憐という言葉を擬人化したような少女である。
しかしその顔には表情らしきものがなく、その身には、魔術師たることを示す金属の鎧が装着されていた。
エレンのそれと同型のワイヤリングスーツに、白と紫で染め抜かれたCR-ユニット。
だが、士道が目を奪われていたのは、そんな可憐な少女の姿ではなかった。
彼女がその手に握った、両刃のレイザーブレイド。
そしてその切っ先に腹部を貫かれ、標本の蝶の如く地面に礫にされた二亜の姿だった。
「二亜ッ!」
士道が叫びを上げると、二亜の口から血の塊が流れ落ちた。
「てめえ!!二亜に何しやがる! そこを退けえええッ!」
士道は《魔力瞬間換装》を用いて少女の後ろへと周り込むと《塵殺公》を振り下ろした。
完全な死角からの攻撃である。
だが 《塵殺公》の刃が彼女に触れる寸前、彼女を包んでいた随意領域がその攻撃を止める。
「く……」
あまりに強固で、濃密な随意領域。
その精度は、エレンのそれに勝るとも劣らなかった。
次いで少女が目を細めたると、随意領域の範囲が一気に広がり、士道の身体を軽々と弾き飛ばした。
「ぐわッ!」
「士道!」
放物線を描きながら地面に落下していった士道は、体を捻って無事に着地する。
そんな士道の隣に《神蝕篇峡》の効果が切れたのか折紙が立っていた。
その表情を戦慄の色に染め、二亜に剣を突き立てた少女を睨み付けている。
「折紙……?」
折紙は真っ直ぐ少女の顔を見据えたまま、小さく唇を開いた。
「どうしてあなたがここにいるの。
――アルテミシア・アシュクロフト」
「……」
折紙が呼びかけるも、アルテミシアと呼ばれた少女はそれに一瞥も返さなかった。
レイザーブレイドを握る手に力を入れ、その切っ先を二亜の身体から抜く。
二亜の身体が跳ね、剣を抜いた腹部から、血が溢れる。
「二亜!」
叫び、士道が駆け寄ろうとするも、濃密な随意領域に阻まれて接近することができない。
アルテミシアは片手をゆつくりと持ち上げると、二亜の胸元のちょうど直上に掲げた。
そして、何かを呟いたかと思うと、彼女を包む随意領域に変化が現れそれと同時に、二亜の身体が黒く発光し始めた。
「……、……、………」
もはや声さえも出なくなった二亜が、微かに指先を震わせる。
そして次の瞬間、二亜の胸元から夜色の宝石が出現、それに合わせるように、二亜の纏っていた霊装が、黒い霞となって消滅する。
「士道!」
それを追おうとした士道の服の裾が、琴里によって掴まれる。
士道がそれに気を取られている隙に、ウェストコットたちは空へと消えていってしまった。
「気持ちはわかるけど、抑えなさい! 今追ってもどうにもならないわ! それに……」
琴里が、視線を仰向けに倒れた二亜の方に向ける。
士道は息を詰まらせた。
「二亜!」
地面を蹴り、血の海に沈んだ二亜のもとへと走る。
全身の傷も痛々しいものであったが、何より、アルテミシアの剣で貫かれた腹部のそれが酷かった。
どう贔贋目に見ても致命傷である。
辛うじて奥から空気が漏れているものの、そう長く保たないことは誰の目にも明らかであった。
「くそ……! 琴里! 顕現装置は!?」
「手配済みよ! でも、《フラクシナス》が動かない以上、転送はできないわ! 車を用意してるから少し待―」
「…出血量を考えると動脈が切られてる可能性がある。
そんなに悠長に待ってる暇は無い、止血した後…俺が転移魔法で近くにある《ラタトスク》の施設へ送る」
琴里の言葉を遮るようにそう言ったのは榮太郎である。
「でも腹部から多量に出血している場合は、専門の設備がないと困難。
通常の応急処置ならば、布で傷口を押さえるくらいしか方法はない。でもそれでは、あまり効果は期待できない」
そんな榮太郎の言葉に折紙が続ける。
「ああ、だからここは七罪ちゃんに頼もうと思う」
「へっ?」
急に名を呼ばれた七罪が、驚いたような声を発する。
「あ、そ、そうか……!」
しかし、一拍おいて榮太郎の意図を理解したのだろう。
小走りになって二亜の側にやってくる。
「《贋造魔女》……!」
そして七罪はそう言うと、二亜に箒型の天使を掲げた。
するとその先端に隠されていた鏡が光り輝き、二亜の身体につけられた痛々しい傷を消していった。
傷を治癒しているわけではない。
《贋造魔女》の力で、二亜の傷だらけの身体を、綺麗な身体に変化させたのだ。
「これで……少しはマシだと思う。
でも、失われた血が戻るわけじゃないし、損傷した臓器が正確に修復できてるわけでもないわ。
早く治療をしないと……」
七罪の言葉を示すように、二亜の容態はどんどん悪化していった。傷こそ塞いだものの、顔からはどんどん血の気が失せ、僅かに残っていた呼吸さえも段々と小さくなっていく。
「……それじゃあ…琴里ちゃん。
ここから一番近い《ラタトスク》の拠点はどこだい?
速攻で転移するから」
「……っ! 待つのだ、エイタロー」
そこで、十香が何かに気づいたように、二亜の隣で足を折った。
そして感覚を研ぎ澄ますように視線を鋭くしながら二亜を見つめ、顔を上げてくる。
「やはり……微かだが、二亜に霊力が残っているぞ!」
「何だって!?」
士道が目を見開くと、琴里が何かに気づいたようにハッと息を呑んだ。
「そうか……上から降ってきたあの女に刺される前に、士道は二亜の意識をほんの僅かだけれど引き戻していた。
あの時点で、完全な反転状態ではなくなっていたのよ!」
「ということは……二亜の身体には、まだ霊結晶が残っているということか?」
士道の言葉に琴里は頷く。
そこで士道の脳裏に閃いたのは以前、琴里から聞かされた話である。
「琴里…俺と精霊達の間には、目に見えない経路が繋がっていて、そこを絶え間なく霊力が循環してるんだったよな」
「ええ、それが………」
そこで、琴里も士道の考えに気づいたらしい。
大きく目を見開いてくる。
「士道、まさか」
「ああ一か八か、二亜を封印する」
そう。
士道と、封印を施した精霊たちの間には、霊力の流れが形成される。
ならば二亜に経路を繋ぐことができれば、士道や精霊たちの霊力を二亜に供給することができるかもしれないと考えたのである。
無論、二亜の士道に対する好感度が、封印可能領域まで上昇しているかはわからない。
だが先ほど琴里が言ったように、今は信じるしかなかった。
――士道と皆の想いが、二亜に伝わっていると。
「――二亜。
頼む。
俺を……受け入れてくれ。
俺の力、全部持っていっても構わない! だから!」
士道は懇願するようにそう言うと、皆が見守る中、ゆっくりと二亜に顔を近づけていき唇と唇を、触れさせた。
一瞬、無機物のように冷たい唇に顔が強ばる。
しかしすぐに士道は、微かではあるが、身体に温かいものが流れ込んでくるような感覚を覚えた。
それは間違いなく、精霊の力を封印したときの感覚であった。
唇を離し、呼びかけるように二亜の名を叫ぶ。
「二亜!二亜!」
「目を覚ますのだ、二亜!」
「二亜……さん!」
士道に続くように、精霊たちも声を上げる。 やがて、微かに二亜の瞼が動いた。
そして掠れた声を発してくる。
「…そんなに……叫ばなくって、も……聞こえて……るって……の………」
「―――! 二亜!」
士道が叫ぶと、二亜は再び目を伏せ、小さく唇を動かした。
声は聞こえなかったが。
その唇の形は、「あ」「り」「が」「と」「う」の五文字を綴っているように見えた。