賽銭箱に五円玉を投げ込げけむと、鈴を鳴らして二礼二拍手一礼をする。
「………」
そして目を閉じると頭の中にある願いを思い浮かべる。
今ある幸せがずっと続くようにと。
「……ふぅ」
士道は小さく息を吐くと、目を開けて顔を上げる。
そして左右に視線を向ける。
そこには先ほどまでの士道と同様に手を合わせる少女達の姿があった。
右に十香、桜、折紙。
左に耶倶矢、夕鶴、凛音。
皆士道と同じ来禅高校に通う生徒であり―士道が今まで力を封印してきた精霊たちだ。
皆、煌びやかな晴れ着を身に纏い、熱心に祈りを捧げている。
士道も長い時間を祈っていたつもりではあったのだが彼女達は何を願っているのか、士道のそれより長い。
「むん」
士道がそんなことを考えていると隣にいた十香が目を開き顔を上げる。
「おお、待たせたか、シドー」
「いや、大丈夫だ。
何を願っていたんだ?」
「うむ。今年もおいしいものがたくさん食べられるように、だ!」
「なるほど」
十香らしい願いに士道は思わず頬を緩めた。
『さて、今晩は何を作ろうかな』
などと士道が考えていると、十香が付け足すように言葉を続ける。
「それともう一つ」
「ん?」
「シドーや皆と、ずっと一緒にいられるように、だ」
眩い笑みを浮かべて言う十香に士道は一瞬、目を見開いたのち――
「ああ、そうだな」
優しく微笑んで頷く。
すると、それに合わせるようにして八舞姉妹が参拝を終えて顔を向けてくる。
「二人はなにをお願いしたんだ?」
士道が問うと、橙色と黒で色分けされた着物を着た耶倶矢が手を顔の前で広げ格好いいポーズを取る。
「願い? くく……何を言うかと思えば。
我はこの地を治むる神がどの程度のものか覗き見たに過ぎぬ。
まあ、我が威容に戦いていたようだったがな」
「密告。うそです。耶倶矢は小声で『今年こそは大人の階段を上れますように』と言ってました」
「マジっぽいトーンで適当なこと言うのをやめてくれる!?
私は士道とデートできたらとしか―――」
言い掛けて耶倶矢が肩を揺らす。
名指しで言われるとさすがに照れる。
士道は頬をかきながら視線を逸らす。
「まぁ……その善処させてもらう」
「………!」
耶倶矢の顔が茹で蛸のように赤くなっていく。
それを見て、夕弦が含み笑いを漏らす。
「微笑。よかっだですね」
「もー!もーッ!」
夕弦が言うと、耶倶矢が涙目になりながら夕弦を殴る。
「待避。痛い、痛いです耶倶矢」
「おいおい、他の人の迷惑にならないようにな……」
「そうだよ二人とも……」
「喧嘩は駄目なんだよ!」
士道の言葉を引き継ぐようよに凛音と桜が声を上げる。
士道達がいるのは五河家近くの神社である。
一月四日ということもあり、三が日程の賑わいはないものの、ちらほらと遅い初詣にやってくる参拝客の姿も見えた。
さずがに耶倶矢もそれを察したのか顔を赤くしながら呼吸を整え、気を取り直すように頬を張る。
「………おっけ。
落ち着いた。闇の加護よ我を守れ」
「そっか…ところで二人は何をお願いしたんだ?」
「私は世界平和かな…」
「私はこれからもみんな仲良く、一瞬においしいご飯を食べられるようにお願いしたんだよ!」
士道の問いに答える凛音と桜。
何とも二人らしい願いに頬を緩める士道。
「あとは…折紙か…」
呟きながら見ると白地に折り鶴柄の着物姿の折り紙が何やら呟きながら一心不乱に祈っている。
「折紙?」
「随分長いわね……何願ってるのかな」
耶倶矢が興味深そうな顔をして折紙の方に歩み寄り、耳を近づける。
すると、数秒後。
「………ッ!?」
折紙の呟きを聞いたらしき耶倶矢が、先ほどよりも強烈に顔を赤くしながら後方に飛び退く。
『なる程な…』
「む? 折紙が何か言ったのか?」
耶倶矢の様子からなんとなく折紙が何を願っているのか察する士道。
一方の十香は不思議そうにそちらに近づいていく。
すかさず耶倶矢が慌てた様子で十香を制止する。
「待ッ!駄目!十香にはまだ早い!」
「……?」
そこで、ちょうど折紙が願い事を終え、顔を上げてこちらを向いてきた。
「終わったか、折紙」
「…………」
士道が問うと、折紙が無言で頷き、お腹をさすって親指を立てる。
「準備は万端」
「何の準備だよ……」
額に手をつきながらため息を吐く。
「とにかく。
次の人たちが待ってるし、行くか」
士道の言葉に精霊達が頷く。
そして後ろに並んでた参拝客に騒がせたことを詫びるように頭を下げると賽銭箱の前から移動した。
そして、人の少ないエリアで足を止め、回りを見回す。
「琴里達はどこだ…」
言いながら、妹の姿を探す。
初詣には琴里や他の精霊たちもきていたのだが、賽銭箱の大きさから、一度に参拝できる人数が決まっていた為、数グループに分かれてお参りする事となったのだ。
「おーい、おにーちゃん」
そこで後方から聞き慣れた呼び声が聞こえてきた。
振り向き、琴里や他の面々を確認する。
そしてもう一つ、気になるものが目に入り、士道は首を傾げる。
隣の十香もそれに気づいたのか不思議そうな顔で首を傾げる。
「む? 琴里、なにをしているのだ」
だが、不思議に思うのも無理からぬことだろう。
琴里たちがいる場所には会議で使われるような長机が置かれ、精霊達をはじめとした参拝客達がペンを手に何かを熱心に書き込んでいたからである。
「ん」
赤い着物に身を包んだ琴里が手にしたものを示す。
家のような形の小さい板である。
上部に紐が括り付けてあり、釣り下げられるようになっている。
いわゆる絵馬である。
「おお、それは何だ?」
「これは絵馬っていうね。
これに願い事を書いて下げておくと願いが叶うんだぞ?」
「なんと!本当か!?」
琴里の言葉に十香が目を輝かす。
「むう、七夕といい先ほどのお参りといい、そんなにもたくさん願いを叶えてくれる行事があるのか。
すごいな!」
「あはは……まぁ、とはいっても必ずしも叶うってわけではないから、期待しすぎるなよ?」
士道が苦笑しながら言うと、十香が力強く頷く。
「わかっている。神様とやらも大変そうだからな!」
そう言って、身体を揺らしながら士道の目を見つめてくる。
八舞姉妹や桜、凛音も似たような表情をしている。
「せっかくだし、書いてみるか?」
『おー!』
士道の言葉に精霊達は嬉しそうな声を上げた。
そこまで喜ばれると悪い気はしない。
士道は苦笑しながら人数分の絵馬を買い、十香達に配る。
「じゃあ、空いてる場所で書かせてもらおうか」
「うむ!」
十香達が盛り上がりながらテーブルの上に置いてあったペンを取る。
士道もペンを手に取ってから、既に絵馬を書き始めていた精霊達に目をやる。
「お。上手いじゃないか、四糸乃」
言いながら、手前の四糸乃な絵馬を覗き込む。
絵馬の右半分に眼帯をつけた可愛らしいウサギの絵が描かれている。
四糸乃が少し照れたように頬を染める。
『うふふー、でしょー?
士道くんたらわかってるぅ』
っと四糸乃っお揃いの若草色の晴れ着姿のよしのんが口を動かす。
その顔は、四糸乃の絵馬に描かれたそれて瓜二つである。
「ああ、たいしたもんだ。
そんなに可愛い絵馬なら神様も見つけやすいかもな」
士道が言うと、四糸乃は少し恥ずかしげに笑う。
「あ……でもそれなら七罪さんと二亜さんの絵馬もすごいですよ」
「へぇ…」
四糸乃の視線を応用に顔を上げると、皆と少し離れた場所で、二人の少女が向かい合うようにして絵馬を書いている。
だが、その周りの空気が周囲のそれとは全く異なっていたのである。
濃緑の着物を着た七罪とダウンジャケット姿の二亜。
何色ものペンを使い分けて振り袖姿の少女のイラストを描いてる二人の様子は締め切り直前の漫画家が原稿に挑んでいるかのようだったのである。
「おーい、二人とも」
声をかけると二人はそこで初めて士道の存在に気づいたような顔を上げた。
「………はっ」
「お、少年。
遅かったじゃーん」
七罪が肩を揺らし、二亜が眼鏡の位置を直しながら人なつっこい笑みを浮かべる。
「……上手いもんだな。
流石はプロ」
士道が苦笑しながら言うと、二亜は得意げに胸を反らす。
「まぁねー。
仮にも絵描きの端くれとして手は抜けないっていうか?」
言って、二亜が手にしていたペンを器用に回してみせる。
対照的に七罪はばつの悪そうな顔をして、イラストを描いていた絵馬を手で隠す。
「……私は二亜に乗せられただけで別に描きたくて描いてたわけじゃないけど……」
「ええー、ここまでやっといてそんなこと言っちゃう?ついさっきまで二人でまんが道を歩いていこうって話してたじゃん」
「言ってないし!? 何まんが道って!?」
たまらず七罪が叫ぶ。
二亜は笑うと士道の方に視線を戻す。
「いやー、でも実際、なっつん有望よ。
正直ウチのアシスタントに欲しいんだけど、どうよ。
給料はそれなりに払えると思うし、もしその気があるなら編集にも紹介してあげられるけど」
「……いや、別に私、そういうのは。
ていうかなっつんって何?」
「え?あだ名だけど?
ほら、私となっつん位の仲になると自然とそういうのできちゃう感あるじゃん」
「えっ、そんなに深い仲になった覚えは無いんだけど」
七罪が額に汗を垂らしながら言うも二亜は聞いてないようだ。
何やら感慨深げに腕組みしながら続けてくる。
「ちなみに『なっつん』っていうのは『七罪』って名前に『ナッツ』をかけたのさ。
ほら、殻に籠もっている感じとかそれっぽくない?
ピスタチオみたいに少し開いた殻の隙間からこっちを覗いてるイメージ」
「…ふっ」
硬い殻の合間からこちらの様子を窺っている七罪の姿を想像して思わず吹き出しそうになる士道。
「………」
七罪がジト目で見つめてくる。
士道は誤魔化すように咳払いをすると二亜の方を向く。
「それより二亜は本当に良かったのか?
二亜の分も《ラタトスク》が晴れ着を用意してくれてたみたいだが……」
いつもと代わり映えのしない格好の二亜に士道が言うと、二亜は手を振る。
「あー、うん。
昔資料用にと思って一度着たんだけどどうにも動きづらくてさー。
それに綺麗なみんなを見られればそれで満足なのよさ」
「そうなのか?
二亜も似合うと思うんだがな」
士道が言うと、二亜が一瞬目を丸くしたのに口元に笑みを浮かべてきた。
「えっへっへ、なーにぃ少年、新年早々二亜ちゃん口説こうってぇの?
さすがお盛んねー。
英雄色を好むってやつ?」
「いや、そういうつもりじゃ」
「でもそうかー。
少年たら晴れ着フェチかー。
乱れた着物から覗く肌に興奮しちゃうってやつかー。
よし、そんな少年にはこれをあげよう」
士道の話を聞いてない様子で人聞きの悪いことを言いながら二亜はポケットの中から絵馬を取り出し、士道に手渡す。
「ん?もう一枚買ってたのか……っておい!」
その絵馬に視線を落とし、士道は声を上げた。
それもそのはずだ、そこには、着物をはだけた美少女と、それに覆い被さる少年という、ギリギリ一五禁くらいの際どいイラストが描かれていたのだ。
ついどにその横には『こんな感じのラッキースケベに遭遇したいです。二亜』と、なんとも具体的な願い事が認められていた。
「二亜…」
「絵馬だよー、最初はそれ描いてたんだけど、妹ちゃんに『公序良俗いはーん!』って怒られちゃって。
自分で持って帰るのもなんかアレだから、良かったら貰ってくんない?」
「おまえなぁ…」
ジト目を二亜に向ける士道であったが、道行く人々が士道の手元を覗いてくることに気づき、気まずげにポケットにしまう。
二亜はそれを見て妙に嬉しそうに笑う。
「まぁ、それはそれとして、なっつんの件はマジよ。
あ、それに少年も雇いたいなー」
「俺? 七罪ならまだしも俺なんて大したことできないぞ?」
「いやいや、大手サークルでアシスタントしてた人が何を言ってるかな。
それにアシスタントの仕事って漫画手伝うだけじゃなうからね。
ご飯作ってくれたり、洗濯してくれたり、掃除してくれたりだけでも超助かるし……って、それはアシってよりも主夫だな。
よしいいこと思いついた。
結婚しようぜ少年」
「おいおい……」
士道が苦笑すると二亜は笑う。
「いやでも、実際に欲しいのよメシスタント。
漫画方面で、たまになっつんと抱き合ってエロい構図取りに協力してくれるだけでもだいぶ助かるし」
「な……っ」
「………ッ!?」
軽い調子の二亜の言葉に、士道と七罪は思わず息を詰まらせる。
二亜のいつもの冗談だとはわかってはいるが、当事者が目の前にいたためかお互いに意識してしまったのだ。
と、次の瞬間、走るような足音が聞こえてきたかと思うと晴れ着姿の少女がテーブルに身を乗り上げてきた。
「だーりを今何の話してましたー!? 七罪さんとエロエロがどうとかって聞こえた気がするんですけどー!?」
そう言って長身の少女―即ち、美九が目を輝かせる。
「あっ、もしかして二亜さんのアシスタントってやつですかー?
ダーリンと七罪さんがやるなら私も! 私もやりますー!
三人以上の構図バンバン取りますぅっ!」
美九がテーブルに寝そべったまま、テンション高く手を上げ、七罪が嫌そうに眉をひそめる。
「ほんと? そりゃたすかるわ。 んー、でも確か、みっきーアイドルなんでしょ? ギャラ高そうだなー」
「そんなことありません! ノーギャラで結構です! むしろ私が料金をお支払いしたいぐらいです!」
美九が親指をたてながら言う。
すると、身体がずるずると何かに引っ張られていった。
見やると、琴里と十香がテーブルの上に寝そべった美九の足を引っ張っていることがわかる。
「はいはい、仮にもアイドル何だからあんまり奇行に走らない」
いつのまにかリボンを白から黒に変えた琴里が半眼を作りながら言う。
すると美九が抵抗するかのように足を動かした。
「あぁーん! 琴里さんと十香さんのいーけーずぅー」
「ちょ―」
「む、美九、あまり暴れるな」
「危ない!」
テーブルがバランスを崩し、三人を巻き込んで倒れる。
士道は咄嗟に三人の身体を支えるように手を伸ばしたが…それがいけなかった。
士道もまたそれに巻き込まれ、一緒にその場に倒れ込んだ。
「三人とも大丈夫か…って」
そこで士道は言葉を詰まらせる。
何がどうなったのかは知らないが、士道は着物をはだけた十香の上に覆い被さるような格好になってしまったのである。
「な、なにをする、シドー!」
「す、すまん……」
「あーん! だーりんと十香さんばっかりずるいですー! どっちでもいいので変わってくださいー!」
などと士道たちが騒いでいると、隣のテーブルにいた二亜がやってきて、倒れた拍子に士道のポケットから転げ落ちた絵馬を手に取る。
そして、そこに描いてあったイラストと士道達の姿を見比べ、驚いたように目を見開く。
「マジ? この神社の御利益すげぇ……」
そう、今の士道と十香は二亜の描いた絵馬のような構図に収まってしまっているのである。
「立てるか十香」
「う、うむ」
二亜の戯れ言をスルーしつつ頬を染めて裾を直す十香に士道は手を差し出す。
士道達は周りの参拝客に頭を下げたのち、倒れたテーブルを元の位置に立て直した。
「まったく……気をつけてよね」
「すいませんー。
今度はちゃんと琴里さんの上に覆い被されるよう努力します」
「……」
美九の言葉に琴里が渋面を作る。
そんな様子に二亜が心底楽しそうに笑う。
「あっはは、本当に飽きないね、君たちを見ていると」
「笑い事じゃないんだがな……」
士道が苦笑しながら言うと、二亜がペンを手に取り、描きかけの絵馬に向かう。
「さてさて。どうやらここの絵馬御利益あるっぽいし、神様にお願いっと。
『少年が私の嫁になりますように』」
「そこは旦那ではないのか!?」
ペンを走らせて美しいイラストにそんな願い事を書き込む二亜に士道はたまらず叫ぶ。
「ご愛嬌ご愛嬌。さて、ころはどこにかければいいのかな―――っとと………」
ペンを元に戻し、絵馬を片手に二亜が立ち上がる。
すると目眩を起こしたようにその身体がよろめく。
「……!大丈夫か二亜?」
慌てて手を差しだし、その背を支える。
すると二亜が緊張感の無い笑みを浮かべ、おどけるように口元に手を置く。
「あらん。少年たら王子様みたい」
冗談めかした調子で言う二亜に対して士道は険しい表情を作る。
「言ってる場合か。
本当に大丈夫か?
やっぱりまだ休んどいた方が良かったんじゃ……」
「じょーだん。
みんなで初詣なんてギャルゲ必須イベントにこの二亜ちゃんが参加しないわけが無いじゃん」
言って、二亜が肩をすくめる。
すると士道の後方から琴里が進み出てきて、その頭を軽く小突く。
「つい昨日まで車椅子だったくせに何言ってるのよ。
………一応、裏に車は待たせてるから、調子が悪くなったら直ぐに言ってちょうだい。
少なくとも、万全の体調とは言い難いんだから」
「心配性だなー、妹ちゃんたらー。
今のはわざとよろめいて少年に合法的にハグしてもらおうと思っただけなんだからさー」
言って、笑いながら絵馬を手に絵馬掛所へと歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、琴里が腕組みする。
「まったく……深刻な話題になるとすぐはぐらかそうとするんだから……」
言ってため息を吐く。
二亜は深刻な雰囲気が苦手なのか、こういった話題になるとすぐに冗談を言うか、どこかへ逃げてしまうことが多かった。
だが、琴里が二亜を心配するのも無理からぬこと。
何しろ二亜はほんの数日前、彼女は命を落としかけたのだから。
「………」
十二月三十一日のことを思い出し、士道は奥歯を噛み締めた。
あの日、二亜はDEM社の策謀により反転―無理矢理その霊結晶を奪われたのだ。
幸いにも二亜はどうにか一命を取り留めることができたがまだ安心は出来ない。
敵は反転した二亜の魔王《神蝕篇帙》を手に入れてしまったのだ。
これから精霊を狙うDEMの攻撃はより激しくなるだろう。
その懸念も、士道がこの日常が続くように神に願わねばならぬ理由の一つだ。
そして――もう一つ。
士道には、気になることが残っていた。
「琴里。 例の件だが……」
「ええ」
士道が皆に聞こえないような小声で問うと、琴里が察したように小さく頷いた。
「一応、こちらでも調査を勧めているわ。
でも、今のところ確証がないっていうのが正直なところね………そっちは?」
「こっちの方は時が来れば話すとのことだが…」
「なによそれ……協力は惜しまない筈じゃなかったの?」
「そう言われてもなぁ…」
不満げな表情を浮かべる琴里に士道は頬をかきながら元旦の朝に二亜から語られた言葉を思い起こした。
「純粋な精霊……?
精霊って、基本的にみんな、元は人間だったはずでしょ?」
年を跨いで間もない一月一日未明。
ビルの屋上で初日の出を見ていた精霊たちの中で、車椅子に乗った二亜がそんなことを言い出した。
しばらくの間、沈黙が辺りに満ちた。
純粋に驚愕している者、その言葉の意図を測ろうとしている者、よくわからないが皆が驚いているから驚いた顔をしておこうとしている者……それぞれのリアクションに違いはあるが皆、二亜の発言に言葉を失っていた。
琴里や雷華、美九、凛音、折紙のように人間が霊結晶を埋め込まれて精霊化することの方が士道達にとってはイレギュラーなものだったのである。
二亜の発言はその考えを覆すものだ。
十香をはじめ純粋な精霊たちは、この世界のことを知らなかった。
七罪や八舞姉妹などはある程度こちらの世界に慣れていた様子だったがそれも、静粛現界を繰り返した結果であり、自分たちがもともと人間であったなどは聞いたことがなかった。
だが、二亜の言葉を嘘だと断定できないことも事実である。
今はその力のほとんどを失ったとはいえ、二亜の天使である《囁告篇帙》の能力は全知。
二亜が欲する情報をあらゆるセキュリティーを突破して手にすることが可能である。
かつての二亜が士道達の知らない精霊の情報を知っていたとしても何らおかしいことのない。
『っということは…十香達も元は人間で何らかの理由で《ファントム》に人間であった時の記憶を消されたのか…』
などと士道が思考を巡らせていると――
「―――なんちゃって。
びっくりした?」
沈黙を裂くようにして、二亜がおどけるような調子でそう言った。
「どういうことだ?二亜」
「んー?
漫画的には、ここらで一発衝撃の事実!的なのがあると盛り上がるかなーと思ったんだけど、なんかみんな思った以上にポカンとしちゃうもんだから……。
って、妹ちゃんも少年もそんなに睨まないでよー」
舌を出す二亜に士道と琴里が視線を鋭くする。
「ごめんごめん。
でも面白くない?
精霊全員元人間説。
あたしとしては推していきたいんだけど」
悪びれる事なく言う二亜に、士道はため息をつく。
琴里や他の精霊たちも似たような表情を作っていく。
「さ、そろそろ戻りましょうか。
ここは冷えるしね」
肩をすくめる琴里に精霊たちは頷き、建物に戻っていく。
士道もそれに続くように、二亜の座る車椅子を押してそちらへと向かう。
と、そこで二亜が士道の方を振り向き、小さな声を発する。
「――少年、あとで病室に来て」
『やっぱりさっきのは…』
『ええ、恐らくは…』
二亜らしくない声のトーンに士道は思案する。
ドックタグ状態のオーディンも士道の思案に同意したように言葉を発する。
だが、次の瞬間には二亜の口調はいつものものになっていた。
「少年、寒いから早く戻ろ。
それとも何?
少年が人肌で暖めてくれるの?」
二亜が言いながら自分の肩を抱いて身を捩らせる。
士道は疑問を抱きながら、車椅子を押して建物内へと戻っていったー。
それから一時間後。
精霊たちを自宅やマンションに帰した士道は一人、《ラタトスク》地下施設にある二亜の病室へやってきた。
部屋の番号を確かめ、扉をノックする。
すると扉の奥からくぐもった声が聞こえてきた。
「うーい、どうぞー」
扉を開けると部屋の中には琴里、苺、ドニの三名がその場には集まっていた。
「琴里はわかるが何で苺さんが?」
「協会から言づてを預かってのー。
フラクシナスを訪れたらお主等がここにおると聞いて来たのじゃよ」
「なる程…それで…話ってのはやっぱりさっきの精霊がみな人間だったやつか?」
「そういうこと。
言っちゃってから気づいたんだけど、純粋精霊組がいる場所で話すことじゃなかっかなーって思って咄嗟に誤魔化したんだ」
実際、二亜は普段から冗談めかした調子で話すことも多く、今回はそれが功を奏した形になった。
「さて、本題の方に入らせてもらおうかな」
と。二亜が話し始めようとした所で病室の扉が開かれる。
「折紙と真那か……」
二亜の病室へやってきたのは、先ほどまで一緒に屋上にいた折紙と、二亜と同じような病衣に身を包んだ少女である。
「折紙の方は二亜の態度を不振に思ってところだろうが…真那はどうして?」
「私はトイレに行こうと思ったら兄様の姿を見かけたもので。
鳶一一曹とは偶然そこで会っただけです」
と真那が言うと、二亜が眉を動かした。
「ちょっと待った。
君今何て言った?」
「え? だから、聞きそびれていたことを―」
「そこじゃない! もう一個前!」
「兄様の姿を見かけて?」
「兄様!」
二亜は天啓を受けた聖職者のように手を組み合わせて恍惚とした表情を作る。
「すっげぇ! 兄様! 二次元でしか聞いたことない夢呼称の一つ! リアルで初めて聞いた!」
「……な、なんでいやがるんですかこの人は……」
後ずさりする真那に士道は苦笑しながら二亜を紹介する。
「本条二亜だ。
精霊で―漫画家をやってる。
つい昨日に霊力を封印したんだが……ちょっといろいろあって、ここに入院してるんだ」
「はろはろー」
二亜が手を振ると真那はお辞儀をして胸元に手を置き自己紹介をする。
「崇宮真那です。
兄様の妹で、魔術師です」
「あれ?少年の苗字は五河だよね。
もしかして複雑な家庭事情?
それとも妹萌えの少年が『兄様』って呼ばせてる系?」
「なんでそうなる…っと言うかそろそろ本題に戻せ」
二亜の言葉にげんなりとした様子で言うと二亜は思い出したかのように頷いた。
「そうだったね。
まぁ予定よりギャラリーが増えちゃったけど…まぁ良いかな。
『精霊は元人間』。
これは正しくもあるし、そうでもないかもしれない」
「……二亜自身は昔の記憶があるんだし、元は人間だったんだよな?」
士道が言うと、二亜は顎をさすった。
「なんていうんだろうな。少年のかんがえでいくと、わたしは『純粋な精霊』のカテゴリーに入っちゃう気がするんだよねぇ」
「どういうことだ?」
尋ねる士道に二亜は続ける。
「――何しろわたしは、自分が何者かもわからない、こっちの世界のことを何も知らない状態で、空間震を伴って臨界から出てきたんだから?」
「なっ―!?」
士道は目を見開く。
二亜が語ったそれは十香たち純粋な精霊に共通することだった。
「―初めて現界したとき、わたしは何が何だかわからなかった。
でも、一つだけはっきりと理解していることがある。
これは、精霊全員に共通しているんじゃないかな」
「なるほど…天使の力か…」
「そう―」
士道の言葉に二亜が頷く。
こちらの世界のことをあまり知らなかった十香や四糸乃も、突然精霊の力を与えられた折紙たちも、自らの持つ天使を自由自在に使いこなしていた。
恐らく天使には、自らの機能を宿主に理解させる力が備わっているのだろう。
「突然こっちの世界に飛ばされて、何が何だかわからなかった私は唯一理解できていた天使の力に縋った。
――全知の《囁告篇帙》の力に」
「まさか、それって」
琴里が真剣な眼差しで二亜を見つめる。
二亜は小さく首肯して口を開く。
「うん。それで、私は知ったの。
自分がどんな存在でどうやってこんな力を得て、どうしてあんなところにいたのかを」
二亜が補足するように続ける。
「―あたしは、もともと人間だった。
でもとあることがきっかけで、生きることに絶望して………そんなとき、目の前に精霊が現れた」
「………!《ファントム》……!?」
声を上げたのは琴里だ。
だがそれも当然である。
今の二亜の話は琴里や美九、折紙たちが精霊になったときのそれと酷似していたのである。
「《ファントム》?」
「………ええ。私たちを精霊にした、ノイズのようなもので姿を覆い隠した精霊よ」
「なるほどね、そういう名前がついてたんだ。
私の前に現れたのと妹ちゃん達の前に現れたのが同じ精霊かどうかはわからないけど……一つ確かなのは、正直わたしもあの精霊の正体はつかめてないってこと」
「正体がわからない?
《囁告篇帙》で調べなかったってこと?」
「黒幕が自分の正体を晒すようなヘマを犯すとは思えぬがのー」
琴里の言葉に苺が呟く。
「うん、《囁告篇帙》はそれの情報を探し当てたのかもしれないけれど、私にはそれが読めなかったのよ。
例えるならば文字化けしたみたいに」
「どういうこと? 何が起こったっていうのよ?」
「さぁてね。だだ、《囁告篇帙》の検索をくぐり抜けた……っていうより、そういう力の天使で妨害されたって印象かなあ。
もしくはパワーが強すぎて《囁告篇帙》の表示がバグっちゃったって感じ?」
「うーん……」
渋面を作りながら腕組みをする琴里。
二亜の言っていることは理解しつつも、なにかがまだ引っかかっているという様子だった。
「…………まぁとにかくあたしはその精霊に霊結晶を埋め込まれて、精霊になった。
そして人間であった頃の記憶を封印された上で、こちらの世界に出てくるまでま隣界で眠らされ続けたってわけよ」
「………」
二亜の話を聞いて士道は押し黙る。
二亜の言葉が本当ならば―十香達も人間であった頃の記憶を失わされているだけの可能性があると言うことだ。
士道の思考を察したように二亜が続ける。
「だから、てっきりみんなも同じ形で精霊になったものだと思ってたんだ。
でもよく考えれば、みんながみんなわたしみたいに自分の過去を覗けるわけじゃないし、みんなの前で言っちゃったのは失敗だったかなぁと思って」
「……なるほど」
重苦しい調子で声を発する。
「それに、あたしが調べたのはあくまでわたしのことだから。
ごめんね、思わせぶりなこと言っちゃって」
「……いえ」
難しげな顔をして腕組みをしながら、琴里がチュパチャプスの棒を動かす。
「十分有益な情報よ。
もしも二亜の仮説が正しいとするなら……今までの考えは覆されることになる。
三十年前まで遡って、失踪した少女達の中に該当する人物がいないか調査してみるわ」
「うん。ごめんねー。
あたしが《囁告篇帙》取られなかったらちょちょいっとしらべられたのに」
言って、本を捲るような仕草をする。
「気にしないで。命があっただけでも良かったわ」
琴里が肩をすくめながら言うと、折紙がそれに、続くように言葉を発した。
「――でも、僅かでも霊力が残っていなければ、士道に封印はされなかったはず。
まだ天使や限定霊装を顕現できる可能性はある」
「え? そーいうもんなの?」
驚いたように目を見開く二亜に折紙が頷く。
「士道に封印された力は精神が不安定になったり、マインドセットを訓練すると逆流させることができる」
「ふーん………精神が不安定に、か……」
二亜は呟くと目を閉じて小さくうなり声をあげ始めた。
「二亜、まだ本調子じゃないんだし、無理は」
「……おりゃっ!」
士道の言葉を遮るように、二亜が目を見開き、叫ぶ。
すると、次の瞬間。
二亜の身体が淡く輝き、その光が手元に集まり――一冊の本を形作る。
「おおっ、ホントだ!」
「こ、こんなあっさりと………!?」
「えっへっへ。
漫画家の妄想力舐めてもらっちゃ困るぜ。
こんなの締め切り前を思い浮かべれば一発よ」
親指を立てる二亜に、二亜をデレさせるためにみ皆で同人誌を書いた時のことを思い出して苦笑する。
『なるほど…確かにあんな精神状態になれば天使は顕現できるわなー』
「んー、どれどれ……っと」
二亜は唇を舐めると、宙に浮く本を捲っていく。
だが、数秒後、難しげに眉をひそめた。
「どう、二亜」
「んー………駄目だねこりゃ。
《囁告篇帙》自体は情報を検索しているぽいんだけど、それをあたしに伝える機能が死んでるって言うのかな。
何が書いてあるのかぜんぜんわかんない。
なんとなく《ファントム》の事を調べようとしたときに似てるわ」
琴里の言葉にため息を吐きながら二亜が返す。
「そう……まあ、仕方ないわね」
「ごめんねー。
……あ、でも全部が読めない訳じゃないっぽい。
ええと、少年の部屋のお宝の在処は………」
「やめい!!」
たまらず叫び声を上げる士道に琴里と折紙、苺が表情一つ変えずに続ける。
「机の引き出しの一番奥でしょ?」
「百科事典のケースの中にも数冊」
「箪笥の中、畳まれた洋服の下に一冊ずつというところじゃな…」
「だから止めい!!」
思わず叫ぶ士道に、真那が頬に汗を垂らしつつジト目で二人を見つめる。
「なんでお三方はそんな事を知ってやがるんですかねぇ……」
答えずに三人は顔を逸らした。
真那達のやりとりをよそに《囁告篇帙》に残った力の程度を確かめるようにページを捲っていた二亜が何かを思いついたように声を発する。
「もしかすると…」
右手を掲げ、再び何事か念じる。
するとその手に二亜の霊装についていたペンが現れた。
「よしっ」
そしてペンを回したのち、《囁告篇帙》のページにペン先を滑らせていく。
何語かもわからない文字が並んだ《囁告篇帙》なページに黒い線が無数に記されていく。
「なるほど…DEMに渡った《神蝕篇帙》の検索能力を阻害するつもりか…」
「さっすが少年、察しがいいねー」
士道の言葉に二亜が指を鳴らす。
通常《囁告篇帙》には情報を検索するページと白紙のページが存在しており、普通未来を描く際には後者を使用する。
そのページがこのように線をいくつもの引かれた状態ならば……。
そこで琴里と折紙と二亜も二亜の意図に気づいて頷く。
「確かに、森羅万象を『識る』ことができる魔王を敵に押さえられたのは手痛い失点だものね。
これでそれを阻害できるなら……!」
「まあ、あくまでこれは妨害。
今までサクサク動いていた検索エンジンがめちゃくちゃ重くなる暗いに考えといて」
「えっへっへ、妹ちゃんに褒められたぜい」
二亜が得意げに胸を反らす。
「でも、検索したところで、相手の力が削げたってわけじゃない。
十分注意しておくれ。
知を流すのは私だけで十分だ」
「………ああ。
もう誰一人傷つけさせねぇ。
二亜、もちろん、お前もだ」
士道が目を見つめながらそう言うと、二亜は一瞬だけ惚けた顔をしたのち、頬を染めながら笑った。
「えっへっへ。何少年。
もしかして年上好き?
てっきりロリコンだと思っていたんだけど」
「お前なぁ……」
「でも、嬉しいよ。
ありがとさん」
二亜が少し照れくさそうに言う。
士道はむず痒いものを感じて曖昧な返事を返す。
そんなやり取りを見ていた琴里が、息を吐きながらチュパチャプスの棒を動かす。
「……でも確かに、二亜の言う通りよ。
エレン・メイザースっていう最強戦力に魔王《神蝕篇帙》。
それだけでも厄介だっていうのに、新しい魔術師まで現れたんだから」
「………」
と、琴里の言葉に、何故か折紙が眉の端を動かした。
その反応で、思い出す。
昨日、突然空から現れ、反転した二亜の胸を切り裂いた魔術師。
折紙は彼女を見て名前らしきものを呟いていた。
「………折紙、あの魔術師について」
「………」
『何か知ってるんじゃないか?』そう問おうとした士道に折紙は頷き、口を開く。
「――そう。私は、あの魔術師を知っている」
「なんですって?」
折紙の言葉に琴里が眉をひそめる。
だが、折紙は表情を変えずに続ける。
「彼女の名は、アルテミンシア・アシュクロフト。
イギリス 対精霊部隊《SSS》に所属していた魔術師」
「………! アルテミンシア!?」
その名に反応を示したのは琴里ではなく真那だ。
信じられないといった様子で目を見開き、折紙を見つめる。
「知っているのか、真那」
「はい……魔術師のあいだでは有名ですし、直接会ったこともあります。
SSS最強の魔術師。
ヘレフォードの鷹。
Mに最も近い女。
もし彼女がDEMにいたなら、私のコールサインは一つ数字が下がっていたかもしれねーです」
かくいう真那も腕前は世界でも五指に入るという話である。
その真那がそこまで言うという事実だけでアルテミンシアの力量は推して知れる。
「はい……でも」
真那が言葉を濁して折紙の方をちらりと見る。
折紙はそれに応ずるように頷いた。
「私たちが知るアルテミンシアなら、DEMに入るようなことはしないはず。
何か事情があるのかもしれない」
「……なるほどね。
DEMなら何をしてても不思議はないわ」
苦々しげな顔で呟き、琴里がチュパチャプスに歯を立てる。
「――とはいえ、事情はどうあれ、アルテミンシア・アシュクロフトが今、私たちに敵対しているということは事実よ。
精霊たちの件と一緒に情報は探ってみるけれど、警戒はしておいて」
『……』
琴里の言葉に士道達は頷く。
「さて、次はワシの方から話をさせてもらおうかの」
同時に、壁にもたれながら士道達の話を聞いていた苺が口を開いた。
「それで苺さん、協会からの言づてというのは?」
「うぬ、新しい精霊の居場所が判明したとのことじゃ」
「まさか、既に現界しているの?
だとすると一体どこに…」
苺の言葉に琴里が目を見開き声を上げる。
そんな琴里に対して苺は小さく立て――そのままそれを天に掲げたのであった。