デート・ア・ライブ~救世の魔法使い~   作:灰音穂乃香

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第七十二話 『開かれた心』

士道が物事がついたとき、普通はいるはずの家族はいなかった。

 

それ対して士道が抱

いた感情は悲哀や孤独感では無かった。

そのような感情は家族の暖かさを知る故に抱くものである。

士道の場合は最初から一人だったから、その感情を寂しさと定義することさえ出来なかった。

 

それが士道にとっては当たり前であり家族がいる子が『特別』だった。

自分は『特別』でないのだから仕方が無い。

 

どちらかといえばそんな諦観と虚無感に近いものだったと思う。

 

ーそれがどれくらい経ったのか。

そんな日々は唐突に終わりを告げた。

 

初めて家族が出来たのだ。

養子として引き取られたのだ。

自分に。

ずっとひとりぼっちだった自分に出来た初めての家族。

その事実にしばらく放心状態になっていた。

父、母、そして妹になる女の子がひとり。

自分だけの家族。

それを認識した瞬間。

そして、

『こんにちは。今日から私たちは家族よ』

 

母からそんな言葉を聞いた瞬間。

 

『ー、ぁ、あ、あぁぁああ……』

 

ダムが決壊したように涙が溢れた。

 

モノクロだった世界が色鮮やかに染められていく感覚。

自分を愛してくれる人、自分が愛してもいい人。

自分は、この人たちー父を、母を、妹を、生涯をかけて愛そう、強く誓った。

 

 

「ん……」

 

小さく声を漏らしながら士道は覚醒する。

 

何か、不思議な夢を見ていた気がする。

懐かしいような、覚えのないような………もの悲しく、だが温かな夢だ。

 

 ぼんやりとする意識の中、士道は顔にくすぐったいような感触を覚え、頬を拭った。

するとそこが、涙で濡れていることがわかる。

どう考えてもあくびで流れる量ではない。

寝ながら泣いてしまっていたらしい。

 

「……なんだそりゃ」

前髪をくしゃくしゃとかきながら、周囲を見回す。

ぼやけていた視界がはっきりと実像を帯びていった。

どうやらベッドに寝かされているらしい。

無機質な白い壁に天井。

恐らく〈フラクシナス〉の医務室である。

 士道はのゆっくりとした動作で上体を起こすと、大きく伸びをした。

凝り固まっていた筋肉が微かに痛み、小さく骨が鳴る音がする。

 

 するとそこで不意に部屋の扉が開き、琴里を初めとした精霊たちが入ってきた。

「お邪魔するわよ……って、士道!」

「おお! 目が覚めたのか!?」

皆が驚いたように目を丸くしてくる。

士道は苦笑しながらそちらに向いた。

「ああ……今さっき目が覚めたとこだ」

 と、士道が苦笑しながら返すと、琴里の後ろにいた十香が何かに気づいたように首を傾げてきた。

「シドー、どうしたのだ、泣いているのか?」

 

「ああ、……あくびをしただけだよ」

 

 皆を心配させてしまうのもよくないと判断して、士道は軽く笑いながら誤魔化すように言った。

 

「…………」

 

 そんな士道の様子に何かを感じ取ったのか、琴里は何やら不審そうな顔をしていたが……すぐにやれやれと息を吐いて士道の方に向き直ってきた。

 

「まあいいわ。

──それより士道、身体は大丈夫なの?」

 

「ああ……大丈夫だ。

この通りピンピンしてるさ」

 

 士道は琴里の深刻な様子に笑顔を見せ、腕を回して答えるが──すぐに表示を真剣なものへと切り替える。

 琴里の言葉をきっかけに、意識を失う前の記憶が鮮明になってきたのだ。

 そうー士道は意識を失う前、六喰と共に生身で大気圏にダイブしていたのである。

如何に天使の加護やあろうと、琴里が心配するのも当然と言えた。

 

「……六喰はどうなったんだ?」

 

幸いというべきか、〈氷結傀儡〉や〈颶風騎士〉の防護、そしてカ〈灼爛殲鬼〉の治癒能力によって、士道の身体には目立ったダメージが残っていなかった。

しかし、地上に至る前に気を失ってしまっていたため、六喰の安否は確認できていなかったのである。

 すると琴里は、難しげな顔をしながら答えてきた。

「──わからないわ。

私たちが士道を見つけたとき、もう既に六喰の姿はなかったの。

もちろん、空中で離れてしまった可能性を考えて、落下地点を中心にかなりの広域を調査したのだけれど……」

 

「…流石に霊装があるから簡単にくたばるということはないとは思うが…」

 

 士道が顎に手を当てて言うと、琴里は士道の意見に同調するように首を縦に振る。

「ええ。

自失状態だったとはいえ、六喰は霊装を纏った精霊。 

士道が無事に発見されたことからみても、大事に至ったとは考えづらいわ。

士道と一緒に地上に至ったあと、先に意識を取り戻して、どこかへ逃げたと考える方が適当でしょうね」

 

「…だろうな」

 

 琴里の言葉に、士道と安堵の息を吐いた。

 

「…………」

 

 だが、すぐに思い直して、唇を引き結ぶ。

確かに六喰が無事だというのは喜ばしいことではある。

だが逃亡されたうえ行方もわからないとあっては、手の打ちようがなかった。

無言で右手に視線を落とし、ぐっと拳の形に握り込む。

──手のひらに残った、鍵を捻る感触を確かめるように。

 

 士道はあのとき、確かに六喰の胸に偽の〈封解主〉を差し込み、彼女の心に掛けられていた鍵を開けたはずだった。

 しかし、それはあくまでスタートラインであったのだ。

心の鍵を開いたからといって、六喰が士道に好感を抱くことが約束されたわけではない。

それはあくまで封印されていた六喰の感情を呼び覚ます行為でしかなく──最悪の場合、彼女が士道に悪感情を覚えてしまうという可能性さえあったのである。

 そして、それを左右するであろう重要なファーストコンタクトの瞬間、士道は意識を失ってしまっていた。

仕方のないこととはいえ、士道は悔しそうに顔を歪めずにはいられなかった。

 

「……すまん、みんな。

あれだけ手を尽くしてもらったのに……」

 

士道が言うと、精霊達は驚いたように目を丸くして首を横に振ってきた。

 

「何を言っているのだ。

シドーがどれだけ頑張ったか、皆よく知っているぞ」

 

「そ、そうです。

そんなこと、言わないでください」

 

「気落ちしてるねぇ。

大丈夫?

おっぱい揉む?

って揉めるほどなかったわー!

あははー!」

 

「えッ、いいんですかー!? なんですかそのサービス、聖母ですかー!?」

 

反応しづらいことを言って笑う二亜に苦笑を浮かべる士道。

そんな士道の反応に反して、美九が興奮した様子で指を動かし始める。

 

が、話が脱線しそうだったため、琴里たちに止められていた。

 

「美九、ちょっと黙ってて」

 

「あぁん! いけずぅ!」

 

「はぁ…まったく、落ち込んだって何も変わらないわ。

それに、何も振り出しに戻った訳じゃないでしょう?

みんなの思いに報いたいっていうなら、ますは前を向くことから始めましょう」

「ああ……そうだな、悪い」

 

士道は苦笑しながら頷いた。

 

確かに琴里の言うとおりである。

過去を悔いるのが無意味とは言わないが、そこから教訓を得て前に進まないならばそれはただの停滞でしかない。

 

士道を信じて送り出してくれた皆のためにも、立ち止まるわけにはー

 

「そういえば…」

 

と、そこまで考えたところで、士道はとあることを思いだし、声を発した。

 

「何、どうしたのよ、士道」

 

「琴里。ラタトスクの基地の方はどうなったんだ?」

 

士道は拳を握りしめながら問うた。

 

そう。

士道たちが宇宙に向かう直前、《フラクシナス》が格納されていた《ラタトスク》の基地は、DEMによって襲撃を受けていたのである。

 

琴里は士道の言葉に、小さく息を吐いてから返してきた。

 

「……大丈夫、とは言わないわ。

被害は決して小さくなかった。

あの基地はもう放棄せざるを得ないでしょうね」

「…ウッドマンさんやカレンさんはどうなった?」

「…………」

士道が問うと、琴里は無言でジャケットのポケットを探り、そこから小型の端末を取り出して、士道の方に向けてきた。

「……?」

 琴里の行動の意味がわからず士道が困惑していると、数秒後、その端末の画面に、ウッドマンの顔が映し出された。

 

「!ウッドマンさん!」

『──ああ、士道くん。身体は大丈夫かね。生身で大気圏突入をしたと聞いたが』

「ええ……なんとか。

それより、ウッドマンさんは……」

『どうにか無事だよ。

心配をかけたなら申し訳──おぐっ!』

 通信の途中で、ウッドマンが苦しげな声を上げる。

士道は肩をふる震わせた。

「ウッドマンさん?」

 

『片手片足が取れかけた人間のどこが無事ですか。

満身創痍以外に言葉が見つかりません』

 次いで聞こえてきたのは、ウッドマンの声ではなかった。

鈴を転がすような女性の声。──カレンだ。

 その声は相変わらず抑揚のない調子であったけれど、なぜだろうか、どことなく怒気をはらんでいるようにも聞こえた。

『早く医療用顕現装置に入ってください。

しばらくは絶対安静です』

 ウッドマンが苦笑しながら、士道に視線を向けてくる。

『すまない。

もう少し君と話がしたいのだが、カレンがあの調子でね』

「いえ、それは構いませんけど……片手片足って」

『エリオット』

『わかった、わかったから引っ張らないでくれ、カレン』

 

 ウッドマンの姿が画面から消えたかと思うと、そこで通信が切れた。

琴里が肩をすくめながら端末をしまい込む。

 

「──というわけよ。

なんとか脱出には成功したみたい」

「おう。

……なんかすごい不穏な言葉が聞こえた気もするんだが」

 

「まあ、私ももの凄く気になったけど……はぐらかすばっかりで何があったのかは教えてくれないのよね」

 琴里はふうとため息を吐くと、気を取り直すように腕組みをした。

「まあ、とにかく士道は身体を休めてちょうだい。

六喰はこっちで捜しておくから。

いざ彼女が見つかったとき、士道が動けませんじゃ話にならないしね」

 

「ああ、わかった。……でも、六喰は一体どこに行ったんだろうな」

「それがわかったら苦労しないわ。彼女の《封解主》なら、それこそどこにでも行けちゃうわけだし。

また誰もいない宇宙にでも逃げたかもしれないし、もしかしたら案外近くにいるかも──」

 と。

 

 そこまで言ったところで、琴里が言葉を止めた。

 何やら唖然とした様子で目をまん丸に見開き、士道の方を見つめてくる。

「え? な、なんだよ、琴里。何か……、──ッ!?」

 士道は不思議そうに首を傾げながら言いかけ──数秒前の琴里と同様に、声を中断した。

否、もっと正確に言うのなら、驚愕に息を詰まらせてしまい、言葉を止めざるを得なかった。

 しかしそれも当然である。

何しろ不意に後方から手が二本、伸びてきたかと思うと、士道の肩を抱いてきたのだから。

 

 突然のことに身を強ばらせ、首を回して後ろを振り向く。

「なっ……?」

 そして士道は、そこにあった少女の顔を見て、呆然と目を見開いた。

 

「──ふむん、目覚めたようじゃの」

 

 そう言って、少女が口元を緩める。

 

長い金髪の合間から覗く、これまた黄金の輝きを湛えた双眸が、なんとも楽しげな形に歪んでいた。

以前の無表情な顔つきとは全く別人のようであった。

 だが、間違いなく。

そこにいたのは──

「む、六喰……!?」

 

そう。士道が宇宙で相対していた精霊・星宮六喰が、いつの間にか虚空に開いた『扉』から身を乗り出し、士道の肩に手を回していたのである。

 

「な……!?」

 

「ど、どうして六喰がここに……!?」

「狼狽。どういうことですか」

 

士道に続くように、精霊たちが驚愕の声を上げる。

六喰は「ふむん?」と喉を鳴らすように言いながら皆の方を一瞥したが、すぐに視線を切って士道の頬を指先で弄ってきた。

「むくを待たせるとは憎い男じゃ。

しかしまあよい。

許してやろう。

今は妙に気分がよいからの」

 

「は……?」

「なんじゃ、狐につままれたような顔をして。

ふふ、愛いやつじゃ」

「……!?」

 甘ったるい声音で言いながら、六喰が士道の鼻をちょんとつついてくる。

士道は目を白黒させた。

 それはそうだ。

何しろ相手は、士道に容赦なく隕石の雨を降らせてきた精霊なのである。

態度が軟化……などというレベルではない。

同じ顔をした別人と言った方がまだ説得力があるだろう。

十香や琴里たちも、あまりの変化に唖然とした表情を浮かべている。

 

 

「なるほどな…」

 

だが、士道にはこの変化の原因に心当たりがあった。

 

「俺が心の鍵を開けたからか…?」

「……!」

 

士道の言葉に精霊たちも目を見開いた。

 

そう。宇宙で彼女と見えたときと、今。

その二つの間にあったのは、士道が六喰の心にかけられていた鍵を開けたと言う点だったのである。

士道の記憶にある精霊とは全く異なる表情豊かな少女。

 

心を閉ざす前の六喰はこういう性格だったということなのだろう。

 

だが、たとえそうだとしてもあまりにも士道に懐きすぎているよう思え、士道は六喰に問うた。

 

「六喰……?何でそんなにおれに懐いてるんだ?」

 

「ふむん?」

 

六喰はしばしの間不思議そうに目を丸くしたのち、答えてきた。

 

「むくの心の鍵を開けるために手を尽くしてくれた主様に心打たれるのは、そんなにおかしなことかのう。

そんなことを言うのなら、顔を合わせた瞬間からむくを救う、幸せにすると宣うた不躾な男を一人、知っておるが」

「うぐ……」

 確かに、言われてみればそのとおりである。

 士道とて、精霊を救おうと決意するまでには、様々な葛藤と苦のう悩があった。

しかし六喰からしてみれば、突然現れてアイラブユーとさけ叫ぶ軟派男にしか見えなかったろう。

 

「すまぬすまぬ。主様が愛いものでからかってしもうたのじゃ」

 

 と、士道が困った顔をしていると、六喰があははと愉快そうに笑った。

「その理由に嘘はない。

心の鍵が開いた瞬間、それまで主様がむくに訴えかけた言葉、尽くしてくれた手をありがたいと感じた。

これは本当じゃ。

……じゃが、主様を好いた直接の理由は、そうじゃの──」

 六喰は考えを巡らせるように指をくるくると回したのち、その指を立ててみせた。

「──なんとなく、かの」

「……おいおい」

 六喰の回答に、士道はため息交じりに返した。

しかし六喰は別段ふざけた様子もなく言葉を続けてくる。

「好き嫌いなぞ、突き詰めれば所詮はそんなものじゃろうて。

なんとなく──主様はむくに近いような気がしての」

 

「近い……?」

 

その不思議な表現に、士道は首を傾げた。

まあ、自分の感覚や好みが近しい者を好むのは決しておかしなことではないが、六喰は士道に、どんな親近感を覚えたというのだろうか。

 と、士道がそんなことを考えていると、六喰が無邪気に笑いながら言葉を続けてきた。

 

「まあ、よい。それより主様。約束は果たしてもらうぞ?」

「約束?」

「むん。むくとデートしてくれるのじゃろう?」

 

「ああ、もちろ…」

六喰が屈託のない顔で、そんなことを言ってくる。

 

そんな六喰の言葉に笑顔で答えようとする。

 

 

「待った。ちょっといい、六喰?」

 

 

 だが、士道が答えるより前に琴里がストップをかけてきた。

六喰が怪訝そうな表情を作り、そちらに目をやる。

「……ふむん? なんじゃ、うぬは」

「初めまして。士道の妹の琴里よ」

「ほほう……? で、妹がむくに何用じゃ?」

「今士道は本調子じゃないのよ。

六喰、あなたを抱えて墜落したときのダメージが>抜けきってないの。

──もちろん士道の言うことに異論はないわ。

でも、少しだけ……そう、明日まで待ってちょうだい」

「ふむん」

 琴里の言葉に、六喰は小さくうなるような声を上げた。

 そしてあごをさすりながら、どこか嬉しそうに口元を緩める。

「そうか、そうか。むくを助けるために怪が我を負ったか。仕方ないの、待ってやろう。明日じゃな?」

「! ええ、ありがとう。助かるわ。よければそれまで、あなたもここで休んで──」

「無用じゃ」

 六喰が琴里の声を遮るように手のひらを広げる。

 すると次の瞬間、六喰は士道の肩に回していた手を外すと、前方に乗り出していた上体をゆっくりと起こした。

 

「──そういうことであればよいじゃろう。

明日を楽しみにしているぞ、主様」

 そしてそう言って笑>顔で手を振り、虚空に開いた『扉』へと戻っていく。

六喰が姿勢を正した瞬間、『扉』渦を巻くように収縮し、あとには周囲と同じ医務室の壁が残った。

『…………』

 それからしばらく医務室には黙が流れていたが、やがて二亜がその緊感に耐えかねたように、

「ぷっはー!」と

息継ぎをした。

「びっくりしたねぇー! なに、アレが噂のムックちん? 話に聞いてたのとは随分性格が違いますぞぉ!」

 

 二亜が何やら声を裏返らせながら叫ぶ。

すると他の精霊たちも、緊張の糸が切れたようにはあと吐息をした。

 

「驚愕。確かに二亜の言うとおりです。もっと無愛想な精霊を想像していました」

「士道さんが心の鍵を開けたから……でしょうか? あの、気になり……ます」

「うーん、でも

可愛かったですねぇ。

身体はちっちゃいのに出てるところは出てるというかぁ。

「……美九、気持ち悪い」

微かに六喰の体温が残る肩に触れながら、琴里に視線をやった。

「──琴里」

「ええ。悪いけれど、勝手に日程を組ませてもらったわ。〈フラクシナス〉改修に合わせて、今までの医療用ポッドとは別に、新しい設備を作ってもらったから、今日はそこで身体を休めてちょうだい」

「新しい設備? 今までのと何か違うのか?」

「それは見てのお楽しみ。

ま、効果は保証するわ。明日までに全快しなさい」

 琴里が、腕組みしながら言ってくる。

士道はそれに首肯を以て返しながら、言葉を継いだ。

「ああ、わかってる。

──ありがとうな、琴里」

「は?

な、なんで私がお礼を言われるのよ」

「え? だって、俺の身体を気遣って一晩時間をくれたんだろ?」

 

「な……ッ!」

 

 士道が言うと、琴里は顔を赤くした。

「な、何言ってるのよ。

こっちのサポート態勢が整ってなかったからに決まってるでしょ!」

 

琴里が慌てて答える。

 

「まっ、そういうことにしとこう」

 

慌てふためく妹の姿に士道は苦笑したー。

─自分が今の家に引き取られてから。

 どれくらいの期間かは覚えていないのだけれど、しばらくの間は、自分の中での感情の折り合いの付け方に慮したような記憶がある。

 自分を産んだ母親から捨てられたという事実は、自分のことを無価値だと思わせるには十分な事柄であったし、それに由来する諦観こそが、自分の心をギリギリのところで守ってくれた防波堤でもあった。

 自分は無価値なのだから仕方がない。

 自分は必要とされていないのだから仕方がない。

 そう考えることによって、自分はずっと、他の皆に対する羨望や妬をご誤ま魔か化してきたのだ。

けれどある日突然現れた新しい父と母、そして妹は、自分のことを必要だと言ってくれた。

 だからこそ、驚き、戸惑ってしまった。

 それはそうだ。無価値であったはずの自分が、急に必要とされたのだから。

 最初は、疑ってしまった。

そんなことを言って、どうせこの人たちも自分を捨てるのだろうと思ってしまった。

 だが時間を経るごとに、そんなことを考えているのは自分だけだということがわかってきたのである。

 とはいえそれが段々と理解できてきた頃には、家族と自分の間に微妙距離感というか、ぎこちない関係性ができ始めてしまっていたような気がする。

 具体的に言うと……父を「お父さん」、母を「お母さん」と呼ぶタイミングを逸してしまっていたのである。

──確かあれは五月。母の日のことだ。

使い道のなかった小遣いを握って一人、駅前のフラワーショップに行き、カーネーションを買ってきた。

 そしてその日の夜、夕食が終わったあと、母に花を手渡して、躊躇いがちに「ありがとう、お母さん」と言った。

 母はしばしの間呆けていたけれど、やがて目に涙を浮かべると、自分を優しく抱きしめてくれた。

その感触があまりに柔らかで、温かで、優しくて。

 気づくと自分は、ポロポロと涙を流してしまっていたのだ。

 それに気づいた父は、にっこりと微笑むと、静かに頭をな撫でてくれた。

 すると、そこに自分と母が泣いているのを目撃した妹が「おかーさんおにーちゃん泣いちゃだめぇぇぇぇ!」と突撃してきて、もう嬉しいのだか可笑しいのだかわからなくなって──頬に涙の跡を残したまま、笑ってしまったのだ。

 

 

「──さ、準備はいいわね、士道」

「…………」

「士道? 聞いてるの?」

「……! ああ、悪い」

 

 《フラクシナス》館内に作られた温泉で鋭気を養い、迎えた六喰とのデート当日。

 

琴里に呼ばれ、士道は顔を上げた。

琴里が、ため息を吐きながら半眼を作ってくる。

「あのねぇ……もっとしゃんとしてちょうだい。今日の相手が誰かわかってるの?」

「……すまん」

 士道はすまなそうに頭を下げた。

すると琴里が、少し不安そうに眉をひそめてきた。

 

「……もしかして、まだ体力が回復しきってない?」

「いや、身体の方は大丈夫だ」

 

 どうやら心配させてしまったらしい。士道は元気を示すように腕を大きく

振ってみせた。

 今の士道は、むしろいつもよりもコンディションがよいくらいだったのである。

「ただ……ちょっと、変な夢を見てな」

「夢? 一体どんな」

「うーん……なんか、昔のことのような、そうでないような……?」

「……何よそれ」

 琴里が困惑したような顔で返してくる。

まあ、それはそうだろう。

言った士道でさえ要領を得ない回答で

あった。

「……まあ、とにかく、問題ない。

準備は万端だ」

 言って、胸を叩いてみせる。

琴里は少し疑わしげな目をしたが、すぐにやれやれといった調子で肩をすくめてみせた。

 

「まあいいわ。

──相手は星宮六喰。

心の鍵を開けたことによって態度が軟化しているとはいえ、未だ得体の知れない>精霊よ。

油断だけはしないでちょうだい」

 

「ああ──わかってる」

 士道は真剣な表情でうなずきかえした。

それはそうだ。

士道は六喰に、幾度となく殺されかけているのである。

警戒と注意に、し過ぎということはないだろう。

 とはいえ、今士道の心中にあるのは、不安やおそ恐ればかりではなかった。

 そう。士道はようやく、心に鍵のかかっていない状態の六喰と話すことができるのである。

 立体映像越しに初めて六喰と出会ったとき。

彼女は士道を強く拒絶した。

封印は必要ない。友だちは必要ない。

自分はただ無感動に、ここに存在しているだけでいい──と。

 そのあまりに無機質な言葉に、士道も一度は悩みもした。

本人がそれを望むのならば、士道が口を出すのはお門違いなのではないかと思いもした。

 しかし、心に鍵のかかっていない本当の六喰が、皆との交わりを望むのであれば──

「俺は、必ず六喰を、デレさせてみせる」

 そう。それが士道の願い。

 もはや、今の士道に迷いはない。

士道は、決意を新たにするようにグッと拳を握った。

 そしてそれに呼応するように、琴里や《フラクシナス》のクルーたちが、こくりとうなずいてくる。

 決意は固まり、それを支えてくれるサポート態勢も整っている。

まさに精霊攻略に最適な状況が構築されているといえた。

「問題があるとすれば…」

 

『六喰とどこで会えるかと言うことですね』

 

士道の言葉を《オーディン》が引き継ぐ。

 

「まっ…昨日、俺たちの前に姿を現したときと同じように『扉』を開いてー」

 

 と。

士道がそう言った瞬間、背後に広がった空間が渦を巻くように歪んだかと思うと、黒い『扉』が大きく口を開けた。

 

「へっ!?」

「こ、これは……!」

 突然のことに驚いた琴里やクルーたちが、目を剥きながら叫びを上げる。

 

 しかし、そんな中、士道は驚愕の声を上げなかった。

 

何となくではあるが昨日に六喰がどのようにして現れるかをイメージトレーニングしておいたのだ。

「んじゃ、サポート頼むぜ」

 

軽い口調でいうと士道はそこから伸びてきた腕に肩を引き寄せられ、『扉』の中に引きずり込まれていった。

 

「士道っ!?」

 

 琴里の叫びを耳に残し、視界が暗転する。

 

一瞬あと、士道の視界に広がっていたのは、抜けるように青い空と──

「──むふ、時間じゃぞ、主様」

 士道の傍にしゃがみ込んで士道を見下ろす、星宮六喰の姿だった。

「む、六喰……?」

 士道は呆然と目を見開きながらその名を呼んだ。すると六喰が、それに応えるようににっこりと微笑んでくる。

 

「むん。なんじゃ、士道」

「いや、ここは……?」

 言いながら、士道はゆっくりと身を起こし、辺りの様子を確かめるように視線をめぐ巡らせた。

「……な!?」

 そして、思わず息を詰まらせる。

 

 だがそれも当然だ。

何しろ士道が今まで>寝ころ転んでいたのは、アスファルトで舗装装された道の上であり──

 

「……え、何、この子たち……」

 

「何あれ……コスプレ?」

 

「ていうか今、あの辺に穴みたいなの開いてなかった?」

 

「ねー、ママー。あのお兄ちゃんなんで道で寝てるのー?」

 などと、人々がざわめき行き交う、天下の往来だったのである。

 見覚えのある街並み。

士道もたまに通る、天宮市の一角だ。

「……! やべ……っ」

 士道は息を詰まらせた。精霊は秘匿存在であり、その力を一般市民に知られることは望ましくない。

それに何より、あまりに目立つ行動を取ってしまうと、ASTやDEMに勘付かれてしまう可能性もあった。

慌ててその場から飛び起き、六喰の手を取る。

六喰、行くぞ!」

 

「どこへじゃ?」

 

「とにかく人目に付かないところだ!」

「ふむん」

 

 六喰は士道の言葉に応ずるように小さくうなずくと、手にしていた巨大な鍵型の錫杖《封解主》を掲げようとした。

「ストップ! 何しようとしてるんだ!?」

 

「むん? 人目に付かぬ場所へ行くのじゃろ? ならば《封解主》で」

「駄目だ! 目立つ行動は禁止!!

とにかくこっちにきてくれ!」

「おお、なんじゃ、強引じゃのう」

 

 士道が六喰の手を引いて路地裏に入っていくと、六喰は別段抵抗することもなく、楽しそうに笑いながら士道に付いてきた。

 辺りにいた通行人たちは、最初こそ不思議そうに士道たちを見ていたものの、すぐに興味を失ったように自分たちの予定に戻っていった。

おかしなものを見れば興味くらいは引かれるが、深く関わり合いになるの避けたいのだろう。

都会の隣人無関心に心底感謝する士道であった。

「……ここまで来れば大丈夫かな」

 

 

 人気の無い路地裏に至り、士道はようやく安堵の息を吐いた。

 するとそれと同時、右耳にノイズとともに、〈フラクシナス〉にいる琴里の声が聞こえてくる。

『ああ、繋がった……! 士道、無事!?』

『! あ、ああ……なんとかな』

 

 インカムからノイズ混じりに聞こえてくる琴里の声に士道は念話で答えた。

 

そう。いつ六喰が現れてもいいようにと、通信用のインカムを装着していたのである。

『まさか突然士道を引っ張っていくとはね……不意を衝かれたわ。でも、インカムを着けてて本当によかった。

 

移動した先も近くて助かったわ。

もし地球の裏側にでも連れ去られてたら、自律カメラを送るのも難しかっただろうし』

 

 琴里が安堵を滲ませながら言ってくる。

それを聞いて、士道は力なく苦笑した。……確かに、六喰の気まぐれによっては、士道はもっととんでもないところに移動させられる可能性もあったのである。

少々驚きはしたが、街中はまだマシな場所なのかもしれなかった。

『それに、朗報よ。早速六喰の好感度を調べてみたのだけれど──完全なゼロ状態から微動だにしなかった以前と違って、静かに変動を繰り返していることが確認できたわ』

『それって……』

『ええ。やっぱり士道は、心の鍵を開くことに成功していたのよ。

このまま順調に推移すれば、十分霊力を封印することができる値よ』

『そうか──よかった』

 

安堵しながら六喰の方を見ると不思議そうに士道の方に視線を向けて口を開く。

 

「して、主様は如何にしてむくを幸せにするというのじゃ?」

「えっと……それはまあ、いろいろあるんだが……」

「ならばその全てを見せてみよ。早く行くのじゃ」

 言って、六喰が士道を先導するように歩き出そうとする。

 が、そこで自分の長い髪の毛に足を取られ、転びそうになった。

「むん……?」

「っと、大丈夫か?」

 

「久方ぶりの地上じゃからの。

むむん……少し汚れてしまったのじゃ」

言いながら、六喰が髪を慈しむように持ち上げ、土埃を払う。

 

長い間六喰が過ごした宇宙空間とは異なり、ここは地球。

重力に囚われた地上の世界である。

お団子状に括られてはいるがここまで長い髪では歩きづらいだろう。

 

「どこに行くにしろ、まずは髪を何とかした方が言いかもな…。

なあ、六喰、その髪、少し切ってさっぱりとー」

 

「ーならぬ」

 

と。士道が言うと、六喰が視線を鋭くしてきっぱりと答えた。

 

「髪を切るのは嫌じゃ。

いくら主様でも、それは許さぬ」

 

「……っ!」

 

その反応に、思わず肩を震わせた。

 

士道の反応も当然と言えよう。

 

何しろ、先程まで朗らかだった六喰の雰囲気が、一瞬にして剣呑なものに変貌したのだから。

 次いで、インカムからアラームが鳴り響く。

『っ、士道! フォローして!』

 琴里が慌てたように声を響かせてくる。

 すると数秒後、士道がどのように六喰を宥めようかと迷っていると、六喰が自分の語気が荒くなっていることに気づいたように、ハッとした様子で言葉を継いできた。

「……すまぬの。

なぜかは思い出せぬが……それは、嫌なのじゃ」

 同時、インカムから響いていたアラームが止む。

士道は息を吐いた。

「そっか。ごめんな、こっちこそ」

 言いながら、ちらと六喰の髪を見やる。

緩いウェーブのかかった、見事な金髪。

なるほど、六喰が大切に思うのも当然だ。

髪は女の命ともいうし、少々軽率な発言であったかもしれない。

 とはいえ、このままではその大事な髪を汚しながら歩くことになってしまいかねない。

士道は六喰の様子を窺うようにしながら、恐る恐る提案した。

「でも、そのままじゃ歩きづらいだろ。た、たとえば……縛ったりするのも嫌なのか?」

「ふむん……」

 六喰は髪を撫でるようにしながら、小さく首を横に振った。

「……いや、切らぬのならよい。

如何にすればよいのじゃ」

 

「──じゃあ六喰、一回俺の家に行かないか? 家なら櫛とか髪留めもあるし」

「主様の家とな?」

士道が言うと、六喰は意外そうに目を丸くした。

「ほむ。

面白そうじゃ。

よかろ、任すゆえ好きにするがよいぞ」

「はは……ありがたき幸せ」

 士道は肩をすくめてから、恭しく礼をしてみせた。

なんだろうか、いやに古風な口調の六喰と話している

と、まるで自分が従者か臣下でもあるかのような気がしてくるのだった。

「ははは、なんじゃ主様、面白い言葉を話すのう」

「おう」

 自覚があるのかないのか、愉快そうに笑いながら六喰が言ってくる。

士道は頬をかきながら苦笑した。

 

「さて……とはいえまずは、家までどうやって帰るかだな…」

 士道は建物の合間から大通りを覗きながら小さく唸った。

幸いここは天宮市。士道の家まで二〇分程度歩けばたどり着けるだろう。

だが、このあまりに目立つ少女を連れて歩くとなれば、その難易度は倍増してしまうのだった。

 

顎に手を当てて考えること数秒。

士道が導き出した答えは至って簡単なものだ。

 

「六喰、《封解主》で作る扉って、行ったことのな居場所にも繋げられるのか?」

そうー六喰の天使《封解主》を使って帰宅するのだ。

 

士道の問いに答えるかわりに六喰は士道の肩に手を置いてきた。

そして、もう片方の手に握っていた錫杖を虚空に突き刺し、捻る。

「〈封解主〉ー【門】」

 

するとその瞬間、そこに人一人が通れるくらいの扉が開いた。

 

六喰がその中に躊躇いなく飛び込む。

 

士道もまた六喰に続いて『扉』の中に入った。

 視界が一瞬暗くなり、すぐに見慣れた家の内装と、興味深そうに辺りを見回す六喰の姿が目に飛び込んでくる。

士道が通り抜けると同時、『扉』は収縮していき、霞と消えた。

「ふむん、ここが主様の住まいか。

佳きところじゃの」

「六喰……」

「むん? どうかしたかの?」

「……いや、正直助かった。

でも、人前で天使を使うのは止めておこうな?」

 士道が言うと、六喰はしばしの間不思議そうに士道を見つめてきたが、やがて「まあ、よかろ」とうなずき、〈封解主〉を虚空へと消した。

「して、主様。

どうするのじゃ」

 

「ああ、ちょっとこっちに来てくれ」

 士道はそう言うと、六喰を鏡の前に呼び寄せた。

 

「さ、六喰。ここに座ってくれ」

 

「むん」

六喰が素直に丸椅子に腰掛ける。

士道はお団子状に括ってあった髪を解いたあと、ヘアブラシを手に取り、六喰の金髪を丁寧にブラッシングし始めた。

 

「……ふむん」

 

と、その最中に六喰が身を捩る。

士道はブラッシングの手を止めた。

 

「あ、すまん。痛かったか?」

 

「こそばゆかっただけじゃ。

気にせず続けよ」

 

 士道が言うと、六喰は「もっと」というように軽く頭を振った。

なんとなくその仕草が可愛らしくて、士道は苦笑しながらブラッシングを続けた。

 

「さて……どういう風にしようかね。アップにしてもいいし、ツインテールなんかも似合うかもな。何かリクエストはあるか?」

 

「ふむん……では、乱れぬよう一本に纏めて欲しいのじゃ」

 士道は眉根を寄せながらため息を吐くと、六喰の髪を、先ほどのお団子状に括り直していった。

なんとなく、六喰はこの髪型がトレードマークのような気がしたのだ。

 そしてそれから、残った髪の毛を三つ編み状に編んでいく。

 少々複雑な作業ではあるけれど、昔から琴里の髪を弄るのを手伝わされていた士道にとっては慣れたものである。

ほどなくして、六喰の長い金髪が綺麗にひと束に纏められた。

 

「ほうほう!

上手いものじゃの!」

「お褒めにあずかり恐悦至極」

 

 士道は恭しく礼をすると、「でも」と言葉を続けた。

「これだと長さはあんまり変わらないから、まだ歩きづらいかな?」

 

「問題ないじゃろ。

とうっ」

 六喰は短く言うと、歌舞伎役者よろしく頭を大きく回してみせた。

自然、長い髪がそれに合わせて回転

し、くるんと六喰の首元に巻き付く。

なるほど、これならば確かに長さは気になるまい。

 と、そこで右耳のインカムから、軽快なアラームが聞こえてきた。

『──いい感じよ、士道。

この前までと同一人物とは思えないくらい順調に好感度が上昇してるわ。

搦め手は必要ないわね。

正攻法で攻めていきましょう。

せっかく髪も整えたんだし、街に出てみたらどう?』

『了解……っと』

 

 士道は小さく答えると、六喰の容貌を見回した。

──星の文様が描かれた、淡く輝く霊装。

さすがにこの格好のままでは目立ちすぎてしまうだろう。

 

「あ……そうだ。

──琴里、ちょっと服借りるぞ」

 

『え? ああ、そういうことね。

いいわよ』

 

 琴里が士道の思考を察したように言ってくる。

士道は琴里の部屋から適当な服を一着見繕い、六喰の元に戻ってきた。

 

「六喰、今から街に出ようと思うんだけど、霊装は目立つからこの服を──」

 

「おお、そうであるか」

 

 六喰は士道の声に応えるように顔を上げると、丸椅子から降りて手を打ち鳴らした。

 すると、六喰が纏っていた霊装が光の粒子になって空気に溶け消え、六喰の白い裸体が惜しげなく晒された。

霊装によって締め付けられて胸元が解放され、張り詰めた水風船のようにたぷんと揺れる。

 

「……む、六喰!?」

「何を慌てておる。

着替えるのじゃろ。

服を寄越すのじゃ」

 六喰は裸体を晒しているにも拘わらず、別段恥ずかしがる様子もなく胸を張りながら、士道の手から琴里の服を引ったくっていった。

服の構造を確かめるように矯めつ眇めつしたのち、を通していく。しかし。

 

「……ふむん?」

 

ブラウスのボタンを留めようとしたところで、六喰が眉根を寄せた。

 

どうも、サイズが合わないらしい。

 

「主様、これは駄目じゃ。

胸がくるしい」

 

『…………』

 六喰が困ったように言うと、右耳のインカムから沈黙が聞こえてきた。

 

『沈黙が聞こえる』だなんておかしな表現であることは重々承知しているのだが、実際そう感じ取れてしまったのだから仕方がない。

何というのだろうか、琴里が、言葉にならない感情を必死に抑え込んでいるような様子だった。

「や、だから……それをそのまま着るんじゃなくて、精霊だったら見た服を霊力で再現できるだろ?」

「おお、そういうことじゃったか」

 士道が顔を背けながら言うと、六喰は服を脱ぎ捨て、もう一度手を打ち鳴らす。

 すると六喰の身体がぼんやりと輝き、その光が衣服の形を取っていった。

ちょうど、琴里の服と同じデザインで──サイズが六喰の身体にぴったりとあったものに。

 

「むん。これならば快適じゃ」

 六喰が満足げに言って笑う。

インカムから、腑に落ちないといった様子の声が聞こえてきた。

 

『……え? 最初からそれやればよかったわよね。なんで一回着たの?ねえ』

 

「ははは……ま、まあとにかく、行くか、六喰」

 

「むん。そうじゃの」

 

 士道が乾いた笑いを浮かべながら促すと六喰は素直に頷いて手を差し出してくる。

まるで、エスコートを所望するお嬢様のように。

 

「参りましょうか、お嬢様」

 

士道は恭しく礼をしてその手を取る。

 

「むん、ふふん」

 

すると六喰が上機嫌そうに笑顔を浮かべる。

 

そこまで喜ばれると悪い気はしない。

士道は六喰の手を引きながら五河家を出て街へ歩いていった。

 

ーそれからおよそ六時間。

士道は六喰を連れて、天宮市を練り歩いた。

デートコースはオーソドックスなものである。

街並みを散策し、気になった店に立ち寄り、食事をし、六喰がきになるといった美術館に入りーといっ調子だ。

 

傾向として六喰は賑やかな場所よりも静かなところが、そして洋食よりも和食が好きで、装飾品なども古式ゆかしいものを好むことがわかった。

アクセサリーショップで何か欲しいものはあるかと尋ねたところ、向かいの小物屋に並んだ蒔絵の扇子を指さされたときは、さすがに士道も驚いてしまった。

 

顔立ちは幼いくらいだというのに、なかなかに渋い趣味である。

 そして時刻は午後七時。

日はすでに沈み、空には月が出ている。

 一通りデートコースを堪能した士道と六喰は、人気のない公園で、二人並んでベンチに腰掛けていた。

先ほど買った蒔絵の扇子を扇ぎながら、六喰が上機嫌そうに鼻歌を歌っている。

『──いい感じね。今日一日で、六喰は士道に十分心を開いてる。

封印可能域までもう一押しってところよ。

あれだけ苦労したのは一体何だったのかしら。

──気を抜かず、このまま一気に畳みかけましょう』

 

『あ、ああ……』

 

士道は無邪気にはしゃぐ六喰を横目で見ながら、躊躇いがちに答えた。

 すると琴里もそんな士道の様子に気づいたのだろう。

不思議そうに尋ねてくる。

『何、どうかしたの?』

『いや……確かに、六喰は凄く楽しそうだし、好感度も機嫌も上がってるならそれに越したことはないんだけど……ちょっと気になってな』

『何がよ』

『ん……なんで、六喰は自分の心に鍵を掛けて、宇宙に一人でいたんだろう……って』

 そう。士道の心に引っかかっていたのはそれだった。

 確かに今の六喰は非常に楽しげであるし、琴里の話を聞く限り数値も順調に推移しているらしい。実際一日付き合ってみたものの、問題らしい問題は見受けられなかった。

むしろ精霊の中では素直な部類だろう。 

しかし、いや、だからこそ。

 この六喰が心に鍵を掛けてしまった理由が、想像できなかったのである。

 何も感じず、何も思わず、何も考えず。

 世界との関わりを断ち、ただ石のように漂い続けることを選ぶに至った事由。

 六喰には、士道が未だ覗いていない顔があるような気がしてならなかったのだ。

『それは……確かにね。

でも、大事なのは昔の六喰じゃなくて、今の六喰でしょ? 

霊力封印のチャンスを逃す理由にはならないわよ』

『ああ……わかってる』

「──ふふふ」

 と、士道が琴里と話し込んでしまっていると、不意に隣から六喰の笑い声が聞こえてきた。

「なるほどのう。主様が言うだけある。実に楽しい一日じゃった」

「…気に入ってもらえたなら何よりだ」

「ほむ。礼を言っておこう。

確かにむくがあのまま空にいたなら、

生涯味わうことのなかった楽しみじゃろう。

いやしかし、むくにここまでしてくれるとは、さては主様──」

 言って六喰が、不敵に目を細める。士道は自分の悩みが見す透かされたような気分になって、逃げるように身体を反らした。

「な、なんだ?」

「──むくのことが好きなのじゃろ?」

 が。

六喰がいたずらっぽい笑みを浮かべながら発した言葉は、士道の予想に反して実に可愛らしいものだった。

苦笑し、それに返す。

「……ああ、六喰のことは好きだし、守ってやりたいと思うよ」

「ふむむん、そうか、そうか。むくのことが好きか。ふむむん」

 士道が言うと、六喰は扇子で口元を隠し、足をパタパタさせながら、大層嬉しそうに笑った。

 そして身体を前に倒し、士道の顔を覗き込むようにして、桜の花びらのような唇を小さく動かしてくる。

「──むくも、主様のことが気に入ったのじゃ。

好きじゃぞ、士道」

「……! あ、ああ……」

 士道は思わずして息を詰まらせた。

……なんだろうか、背格好は小さいというのに、妙な妖艶さのある表情であった。

 

「そうではなかろ。……もう一度じゃ」

「え? ああ──す、好きだよ、六喰」

 六喰に促されるままに士道が言うと、六喰は満足げに笑みを作った。

 

「んふふ。そこまで言われては仕方がないの。

──よかろ。主様が宇宙で申した件、考えてもよいぞ」

 

「! 本当か?」

 

「むん。ま、霊力を失うという点だけは気に掛かるが……その分主様がむくを守ってくれるというのであれば、悪い気はせぬ」

 

 六喰が指先をくるくると動かしながら言ってくる。

士道は常に心に張っていた緊張の糸が微かに緩むのを感じた。

 確かに六喰の過去は気にかかる。

しかし、琴里の言うとおり大切なのは今の六喰なのだ。

六喰が納得し、封印に応じてくれるのであれば、それに勝ることはないだろう。

 だが、士道が息をは吐きかけた瞬間、六喰は上機嫌そうな調子のまま言葉を続けた。

 

「──ただ、もちろんあれじゃぞ? 

むくと契る以上、昨日あの部屋にいたおなごたちとは金輪際会わぬと誓うのじゃぞ」

「ああーいやそれは…。」

 

 そのあまりに自然な調子に、士道は思わずうなずきそうになり……

途中で首を傾げた。

「何を不思議そうな顔をしておるのじゃ。

当然のことではないか。

主様はむくのことが好きなのじゃろう?

むくも、主様のことが好きじゃ。

ならば主様はむくに何をしても構わぬ。

しかし、そこに別のおなごが入ってくるのはおかしな話じゃろう?」

 

至極当然のように、六喰が言ってくる。

 いや、事実彼女はそれが当然だと思っているのだろう。

実際、士道だって彼女が言っていることが理解できなくはない。

 しかし、その考え方は、いわゆる姻関係に近いものであり──精霊が現れる度にその力を封印してきた士道にとっては、致命的な打撃となり得る。

「むん? むくは何かおかしなことを言っておるか?」

 

「あのな、六喰。よく聞いてくれ。それはできないんだ」

 

首を傾げる六喰に士道は軽く呼吸を整えてから六喰に向き直った。

「むん? 主様は浮気性か?」

 

「…………」

 

『いちいち傷つかないの』

 

 琴里がやれやれといった調子で言ってくる。

士道は気を取り直すように咳払いをしてから続けた。

「前も言ったように、俺は、精霊みんなを救いたいと思ってるんだ。

だから……これからもおまえみたいな精霊が現れたら力を封印しなきゃならない。

それに──俺は、今まで封印してきた精霊たちのことも、六喰、おまえと同じくらい大好きなんだ。

六喰にも、みんなと仲良くしてくれると嬉しいな」

「……ふむん」

 士道が言うと、六喰はキョトンとした表情をして黙り込んだ。

 そして数秒ののち、何かを思いついたようにポンと手を打つ。

「そうか、そうか、そういうことか。主様は優しいの」

「へ?」

 六喰の反応がよくわからず、士道は目を丸くした。

しかし六喰は、一人得心がいったというふうにうなずいている。

「わかった。

みなまで言うな。

むくに任せておくがよい」

 六喰はそう言うと、ベンチから軽やかに立ち上がり、蒔絵の施された扇子を閉じて、口元に触れさせた。

「──では、今宵はここでお別れじゃ。また近いうちに会おうぞ、主様」

 そして六喰はそうとだけ残して、仄暗い道をトントンと走って行ってしまった。

 

「六喰!?」

 士道は慌てて六喰のあとを追った。

だが、恐らく途中で《封解主》を使ったのだろう。

六喰の小さな影を認めることはもう、できなかった。

 

「一体……何をしようっていうんだ……?」

 

頼りなげな街灯の光に照らされた道に立ち尽くしながら。

 士道は六喰の残した不可解な言葉に、困惑の表情を浮かべた。

 

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