「これは参ったな…」
『ええ、これは厄介なことになりましたね…』
士道の言葉に《オーディン》が答える。
六喰とデートした翌朝。
唐突に士道の存在が周囲の人間から忘れ去られていたのである。
十香や琴里達を含めた精霊達だけではなく殿町やたまちゃん等の学校関係者。
苺やドニ…《協会》のメンバーからも士道の存在がきれいさっぱり忘れ去られていた。
『マスター…これは恐らく…』
「ああ…六喰の仕業だろうな…」
《オーディン》の言葉に士道は頷く。
六喰の天使《封解主》は万物を閉じることが出来る。
恐らく、六喰は《封解主》で士道の縁がある人間の記憶に鍵をかけたのだろう。
『わかった。
みなまで言うな。
むくに任せておくがよい』
昨日、六喰が別れ際に言った言葉の意味をようやく理解した士道は苦笑を浮かべる。
「六喰……恐ろしい子ッ!」
『マスター、冗談を言ってる場合ではありませんよ』
「ああ、わかってる」
冗談を言った士道を《オーディン》がたしなめるが、こうでもしないと気が滅入りそうなのである。
「まっ、嘆くのは万策を尽くしてからにすべきだな…」
言って、士道は周りの様子を窺い、誰もいないことを確認してから目を閉じる。
「ーー《贋造魔女》」
次いで、その天使の名を呼ぶ。
その呼び掛けに応じるように菷のような形の天使が顕現する。
士道は集中した状態を保ったまま、再び唇を動かした。
「【千変万華鏡】……!」
その言葉に応じるように、《贋造魔女》が銀色に輝き、その姿を変える。
巨大な鍵の形をした錫杖に。
「さて、これで皆が戻せたら御の字。
最悪…」
士道が一人ごちる途中それは起こった。
士道の握る偽の《封解主》のすぐ横の空間に小さな『扉』が生じ、そこから巨大な鍵の先端部が現れ、偽の《封解主》に突き刺さっていたのだ。
「ー【閉】」
次いでどこからか声が聞こえ鍵が回る。
瞬間、士道の握る偽の《封解主》が淡く輝き、もとの《贋造魔女》へと戻り、光の粒子となって空気に溶け消えた。
そのまま、空間に開いた穴は大きくなっていきー
やがてそこから一人の少女が飛び出してきた。
言うまでもなく星宮六喰がー。
「むふふん、むくの鍵を開けた主様であれば気づくと思ったぞ。
さすがじゃの」
言って、六喰が微笑む。
六喰は士道が《贋造魔女》で変化させた《封解主》で皆の記憶の鍵を開けようとするタイミングを見計らっていたのだ。
そしてその瞬間、本物の《封解主》で偽の《封解主》の力を『閉じる』。
士道の持つ開錠の力を封じ、精霊達の記憶の鍵を開けさせないようにするためにー。
無論、士道も六喰がこのような行動を起こすことは予想していた。
むしろ士道は六喰が現れるのを待っていたと言っても言い。
士道は笑みを浮かべて言葉を積むいた。
「よう、六喰。
待ってたぜ。
さぁ、デートを続けようか」
とーーー
「ふむむん、楽しいの。
のう、主様も楽しいか?」
「ああ、楽しいよ、六喰」
「ふふ、そうかそうか」
士道が答えると、六喰は心底嬉しそうに微笑み、しっかりと握った士道の手を振った。
「のう、主様。主様はむくのことが好きか?」
「もちろんだ。大好きだよ」
「むくもじゃ。ふふ……幸せじゃの」
頬を染めながら、六喰がさらに笑みを濃くする。
「…………」
その屈託のない表情を見て、士道は苦しげにぎりと奥歯を噛み締めた。
士道は今、六喰と手を繋ぎながら、天宮市の大通りをゆっくりとした足取りで歩いていた。
六喰は先日のデートを気に入っていたらしく、士道のデート申し出を受けたのである。
「のう、あれはなんじゃ!」
六喰は見るもの全てが珍しくてたまらないといった様子で、数歩歩くたびに目を輝かせている、士道に話しかけてくる。
士道はそのたびに、優しく六喰に言葉を返すのだった。
──とはいえ無論士道とて、ただ脳天気に六喰に付き従っているわけではない。
数時間前、《贋造魔女》が無力化されたのち、士道は必死に六喰の説得を試みた。
確かに士道は六喰のことが好きだが、それと同じくらい皆のことを大切に思っている。
皆をもとに戻してくれ、と。
しかし六喰はそれに応じなかった。
しかも、それは悪意を持ってのことではない。
士道は六喰のことが好きなのだから、他の女の子はいらないはず。
それどころか、士道が素直になれないのは、他の女の子が存在するから。
そんな価値観を、何の疑いもなく持っていたのだ。
そう。六喰はこの上なく
純粋で、無垢だったのである。
その意志が、士道の望まぬ方を向いているだけで。
「…………」
とはいえ、だからといって士道は諦めたわけではなかった。
確かに状況は芳しいとは言えない。
実質士道には今味方が一人もおらず、それを打ち破るための《贋造魔女》の力も、六喰の手によって『閉じ』られてしまった。
しかし、士道の手の中には一つだけ、この状況を打破するための手段が残されていたのである。
士道は、無言で自分の唇に触れる。
六喰にキスをすることで彼女の霊力を封印する事ができれば皆の記憶にかけられた鍵を外すことが出来る。
だが、これには一つだけ問題がある。
士道には、六喰の好感度が封印可能域に入っているか否かが正確には判断できないのだ。
《封解主》持つ六喰相手に無闇に動くことはできない。
霊力を封印する能力を封じられた場合、士道に打つ手は残されていない。
「……六喰。おまえは、なんで」
六喰が病的なまでに士道を独占したがる理由。
そして自らの心を閉じ、一人誰もいない宇宙に漂っていた理由。
それがわからない以上、仮に霊力の封印に成功したとしても、根本的な問題は解決しないような気がしたのである。
「むん?」
半ば無意識のうちに士道の口から漏れた言葉に、六喰が首を傾げた。
「なんで、おまえは、そこまでするんだ。
……俺がおまえに『近い』って言ったよな。
あれって、一体どういう意味だったんだ?」
「じゃから、なんとなくじゃ。
……まあ、強いて言えば」
六喰は立てていた指をあごにぴとりと当てた。
「主様がむくを抱いて地上に落ちたあと、妙な夢を見てからかの。
妙に、主様のことが気になってしまったのじゃ」
「夢?」
「むん。……とはいっても、夢に主様が出てきたというわけではない。
それ自体はただの切ない夢じゃ。
物心ついたときから一人であった幼子が、家族を得るという、な。
……じゃが、そのもの悲しさを覚えたまま目を覚ましたとき……なぜかむくは、主様に会いたいと思うてしもうたのじゃ」
「え──」
六喰の言葉に、士道は眉根を寄せた。
それはそうだ。
何故ならその夢はーー。
「五河くん……っ!」
と、その瞬間。
まるで士道の思考をかき消すかのように、後方から士道の名を呼ぶ声が
響いてきた。
「……なっ!?」
その声に、士道は驚いたように目を見開き、後ろを振り返った。
理由は2つ、一つは単純なもので、士道は昨日から、六喰以外に名を呼ばれていなかったからである。
士道の知人・友人は全て六喰によって記憶を『閉じ』られ、残っている者などいないと思っていたのだ。
そしてもう一つの理由は──その声に、聞き覚えがあったからである。
「お、折紙!?」
後方を向いた士道は、そこにあった少女の姿に思わず声を上げた。
そう。
士道の名を呼んだのは、折紙であった。
一体どうやって《封解主》の力から逃れたというのだろうか──
「──って、あ……」
と、そこまで考えを巡らせたところで、士道は気づいた。
折紙が士道のことを、「士道」ではなく「五河くん」と呼んだことに。
そして今視線の先にいる少女が纏う雰囲気が、鳶一折紙というには少し穏やか且つ柔らかすぎるということに。
「もしかして……『この世界』の!?」
士道は目を見開きながら声を発した。
「う、うん……久しぶりだね──っていうのも少しおかしいけど。
『私』はずっと五河くんと会ってたわけだし」
折紙が、苦笑しながら言ってくる。
その、折紙らしからぬ笑顔で士道は確信した。
──今目の前にいるのは、折紙であって折紙ではない。
かつて士道は、時の天使の力を借りて時間遡行を行い、歴史を改変した。
折紙の中には、『もとの世界を生きた折紙』と、『新たな世界を生きてきた折紙』、二人の折紙が存在していたのである。
とはいえ、綺麗に人格が分かれているというよりも、二人の折紙が混じり合って新たな折紙が生まれたというイメージだったのだが……今目の前にいるのは明らかに、世界改変後に出会った折紙そのものであった。
しかし今は、それよりも気になることがあった。
「折紙……おまえ、俺のことを覚えてるのか!?」
「もちろん。──表の『私』の記憶には、鍵が掛けられちゃったみたいだけど。
いや、正確には、記憶を引き出すチャンネルっていうのか?」
「………っ!」
孤立無援状態だった士道を知る人間が現れた。
その事実に士道の中にあった焦りや不安が和らぐ。
「ふむん?」
だが、事態は簡単には好転しない。
士道の隣にいた六喰が訝しげな表情で折紙の顔を見上げる。
「おかしいのう。
うぬの記憶にも鍵をかけたはずしゃがのう。
まぁ、よい。
如何にして鍵を開けたかは知らぬが、もう一度『閉じ』ればよいことじゃ」
言って、《封解主》を顕現させる。
「六喰!」
士道は思わず声を上げた。
それはそうだ。
せっかく現れた仲間の記憶を『閉じ』られてはたまらない。
しかし──
「駄目です!」
何やら折紙は、少し士道の意図とは異なる叫びを上げた。
「こんなところで天使を顕現させたら──見つかっちゃいます!
あの人に……!」
「何?」
「あの人……?」
折紙の言葉に、六喰と士道は同時に首を捻った。
すると、次の瞬間。
「──ふん」
士道の耳に上方から声が聞こえてきた。
声に導かれるように後方を振り向き、顔を上げる。
すると街灯の上に、一人の少女が腕組みしながら立っていることがわかった。
闇色の霊装を身に纏った十香の姿がそこにはあった。
『マスター』
『…ああ』
《オーディン》の声に士道は緊張した面持ちで頷く。
士道が緊張する理由ーそれは彼女の纏う雰囲気にあった。
普段の十香のものとは違うピリついた…殺気立った雰囲気を纏いながら口を開く。
「見つけたぞ、女。……うん?
他にも珍妙な者どもがいるな。
精霊に──ふん、あのときの男か。
ちょうどいい。纏めて
灰燼に帰してくれる」
氷のように冷たい目をした十香は、死刑宣告を下すようにそう言った。