デート・ア・ライブ~救世の魔法使い~   作:灰音穂乃香

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第七十四話 『忘却の外から』

──反転という現象については、未だわかっていないことが多い。

士道が初めて反転体と見えたあと、琴里は士道にそう言った。

 精霊が絶望することによって起こる、霊結晶の属性変換。

霊力値がマイナスを示し、別種の力へと変貌する現象。

 士道はこの現象を起こしてしまった精霊を、三人知っていた。

 一人は、折紙。

 もう一人は、二亜。

そして──もう一人。

 それが今、士道の目の前に立っていた。

「十、香……」

 

 士道はその少女の名を呼んだ。

しかしそれにどれほどの意味があるのかはわからない。

 なぜなら彼女は、その名が自分を示すものであることを認識していなかったのだから。

 

「なんで十香が反転を……?」

 

緊張に乾いた喉から、士道はどうにか言葉を絞り出した。

 反転しているということは、十香が深い絶望を覚えたということである。

 

『情報が不足してますからね。

なんとも言えません。

ひょっとすると六喰に記憶を封印されたことに関連しているかもしれませんね』

 

《オーディン》が士道の呟きに答える。

 「五河くん!」

 

 

そこで折紙の声が響き士道の思考中断された。

 

その言葉に顔をあげると街灯の上に立った十香が右手を横に掲げる。

そこに漆黒の粒子が収束し、一振りの剣を形作っていったからだ。

「ッ!《暴虐公》……!?」

 

 士道は息を詰まらせた。

魔王《暴虐公〉。

《鏖殺公》と対を成す、強力無比な破壊力を持った剣である。

 あんなものをこんな街中で振るわれたなら、一体どれほどの被害が出るのかわからない。

士道は悲鳴じみた叫びを上げた。

 

「やめろ十香! こんなところで──」

「煩い。消えろ」

 十香は聞く耳を持たないと言った様子で、冷酷に目を細めると、士道たち目がけて《暴虐公》を振るった。

 

 黒い光としか形容しようのない斬撃が、三日月の形を

描きながら士道たちに迫る。

 

『《オーディン》!?』

 

士道は黒の斬激を防ぐために《オーディン》に呼び掛ける。

 

だが、次の瞬間。

「──【開】!」

 

士道の隣にいた六喰が《封解主》を掲げたかと思うと、虚空に大きな『扉』を開け、士道たちに迫りつつ十香の攻撃を吸収した。

『扉』の範囲から外れた斬撃の余波が地面を抉り、舗装道路のアスファルトに巨大な爪痕を残す。

 

「わっ!?」

 

「な──なに今の!?」

 突然の爆発音に、辺りを歩いていた通行人たちが驚愕の声を上げる。

 

 しかし当の十香は有象無象など気にも留めていない様子で、今自分の攻撃を無力化した六喰に鋭い視線を向けていた。

「貴様。我が一撃を止めるとは、

覚悟はできているのだろうな」

「それはこちらの台詞じゃ。

何をしに出てきおった。

うぬらの記憶は《封解主》が『閉じた』はずじゃ。

これ以上むくと主様の間を邪魔しようというのであれば容赦はせぬ」

 

 六喰が、不機嫌そうに顔を歪める。

十香が眉を揺らした。

 

「──上等だ。

今の一撃で死ななかったことを後悔させてやろう」

 

 十香はそう言うと、街灯を蹴って地面へと降り立った。

そして《暴虐公》をゆっくりと掲げながら、士道たちの方へと近づいてくる。

 

「むん……」

 

 対する六喰も、目の前にいる反転精霊が凄まじい脅威であることは感じ取っているのだろう。

油断なく十香を見据えながら腰を落とし、《封解主》を槍のように構える。

 

『止めるぞオーディン。

あれを使う』

 

『了解しました』

 

このまま二人を放っておくわけにはいかない。

十香と六喰が全力で戦いなどしたなら、この街は一瞬で焦土と化してしまうだろう。

 士道は《オーディン》に呼び掛けると意識を集中させる。

それと同時に十香と六喰が互いの得物を降り下ろす。

 

瞬間ー。

 

「なっ!?」

 

「むぬ!?」

 

十香と六喰が同時に驚愕したように声を上げる。

何故ならばローブを纏い、巨大な剣を構えた人形が二つ現れ、二人の攻撃を大剣で受け止めていた。

士道が呼び出した凜祢の守護天使である。

 

無論、天使を携えた精霊二人の攻撃をいつまでも防いでいられるものではない。

 

数秒も持たずに倒されてしまう。

 

だが、その数秒は士道が声を上げるまでには充分な時間であった。

 

「──待ってくださいっ!」

 

「折紙!?」

 

「大丈夫です。

私に任せてください」

 

だがー士道よりも先に声を上げたのは折紙であった。

 

心配する士道に勇ましく前に出る折紙。

 

「なんじゃ」

 

「邪魔立てする気か」

 

「ひ、ひぃっ……!」

 

 六喰と十香にギロリと睨まれ、折紙は先ほどまでの勇ましさが嘘のような、涙目になりながら肩を震わせた。

 しかし、どうにかその場に踏みとどまると、躊躇いがちにか細い声を上げ始める。

 

「あ、あのですね、落ち着いて聞いてください。

──六喰ちゃん」

「……ふむん?」

 折紙の声に、六喰が訝しげに眉根を寄せる。

折紙は意を決したように六喰の目を見つめながら、続けた。

「む、六喰ちゃんは、五河くんのことが好きなんですよね? だから、五河くんを奪いにきた十香さんが許せない」

 

「……むん。まあ、簡単に言うとそうじゃの。

もっとも、それにはうぬも含まれておるが」

 

言って六喰が、《封解主》を構える。折紙が慌ててそれを止めた。

 

「駄目です! 五河くんは乱暴事が嫌いなんです!

 そ、それに、五河くんの愛を勝ち取るには、もっと別の方法があると思います……!」

 

「……ふむん?」

 

 六喰が難しげな顔をしながら首を傾げる。

と、今度は焦れたように十香が止めていた足を一歩前に踏み出した。

折紙が息を詰まらせ、十香の方に向き直る。

 

「と、十香さんも落ち着いてください!

 十香さんの目的は何ですか……?」

「十香──それは私のことか。

……まあいい。目的などは知れたことだ。そこの男、奴には以前辛酸を舐めさせられた。

屈辱を雪がねば気が済まぬ。

貴様と鍵の精霊はどうでもよいが、邪魔立てするのであれば容赦はせぬ」

 

身も蓋もない殺意

剥き出しの言葉に、折紙が額に汗を滲ませる。

しかし、その発言に気になる点があったのだろう、言葉を続けた。

 

「五河くんに辛酸を……それってもしかして、DEM本社であなたが顕現したときの話ですか……?」

 

「場所までは知らぬ。

しかし、耐えがたい屈辱を味わわされたことはよく覚えている」

 

「……、私も話に聞いただけですが、そのときのことは知っています。

確かに、あなたはあのとき五河くんに敗れたかもしれま──」

 

 折紙の言葉の途中で、十香が《暴虐公》を振るう。

漆黒の刀身が折紙の頬を掠め、地面に薄く傷を付けた。

 

「ひっ!」

 

 

「言葉に気を付けろ。

誰が、誰に、敗れただと?」

 

「す、すみません、誤解を生む表現でした……! 

以前十香さんは五河くんと対峙したとき、あくまで偶然不可>抗力的に、あまり愉快でないことをされてしまったかもしれませんが……」

 

「……ふん」

 

 十香が不機嫌そうな顔をしながら鼻を鳴らす。

しかしとりあえず今回の表現はセーフだったらしい。

折紙がどこか安堵しながら言葉を続けた。

 

「思い出してください。

そのとき、五河くんはあなたに剣を振るいましたか?

 あなたは、彼の力に屈したのですか?」

「ふざけるな。そのようなことがあってたまるか」

 

 十香の表情がにわかに険しくなる。折紙は十香を宥めるように手を広げながら続けた。

「そ、そうです! そこなんですよ!」

「……何だと?」

 

「五河くんは単純な力で言えば、十香さんには全く敵わないはずなんです!

 でも、結果はその通りにはならなかった……! 

なら今五河くんを力任せに倒したとして、本当に五河くんに勝ったと言えるんでしょうか……!?

 むしろここで悪手を打ってしまったら、雪辱を果たす機会を失ってしまうのではないでしょうかっ!」

「…………」

 折紙の言葉に、十香は思案するように目を細めた。

「しかし、それならば如何にすればこの男に屈辱を与えられるというのだ」

 

「それは……こ、心です!

 力ではなく心を屈服させてこそ、真の勝利と言えるのではと!」

 

「……おーい、折紙ー?」

 

 折紙はどうにか二人を説得しようとしてくれているようだったが、なんだか段々と方向が怪しくなっている気がする。

士道は少し心配になって声をかけた。

 しかし、臨戦態勢の精霊二人は挟まれた折紙に、それに返すような余裕はなかったようだ。

顔中に脂汗を浮かべながら、落ち着かない様子で二人の反応を窺う。

 すると六喰と十香は、ほぼ同時に首を傾げ、折紙に向かって問いを発した。

 

「して、どうすればこの不遜な女から、主様の愛を勝ち取れるというのじゃ」

 

「答えろ。

この男の心を屈服させるには、どうしろというのだ」

「はい。

二人の目的を果たしつつ、勝敗を決する方法があります……!」

 

「ふむん?」

 

「ほう」

 二人が興味深そうに返す。

 折紙は大仰な仕草で片手を持ち上げると、士道の方を指さした。

「五河くんの唇を奪った方が勝ち……というのはどうでしょう」

 

切羽詰まった様子の折紙の言葉に。

 

「そんんなこったろうと思った」

ため息混じりに声を出す。

 

 無論それは士道だけではない。

十香もまた、訝しげな視線を折紙に向けている。

「なんだそれは。

ふざけているのか」

「そ、そんなまさか。

……それとも、怖いんですか? 

精霊ともあろう方がひゅッ!?」

 折紙の声が途中で掠れる。

 理由は非常に単純。

十香の振るった《暴虐公》が、折紙の鼻先を掠めたからだ。

「言葉には気をつけろと言ったはずだが」

 

「は、はひ……」

 

 折紙がガクガクと足を震わせなが答えた。

 

しかし十香は、《暴虐公》を下ろすと、何やら考え込むようにあごに手を当てた。

 

「ふん。

──だが、以前こちらに現れたとき、その男は私にそんな真似をしたな。

──確かに、あのときはしてやられた。

……仕返しがてら打ちのめしてやるも一興か」

 十香の言葉に、六喰が不満そうに唇を尖らせた。

 

「待つのじゃ。

勝手に話を進めるな。

主様の唇を……じゃと? 

そんな勝負が受けられるものか」

「大丈夫ですよ。

十香さんはあくまで、五河くんの心を屈服させるのが目的です。

六喰ちゃんと五河くんがしっかりと

繋がり合っていれば何も問題はありません。

……もしかして勝つ自信がないんですか?

 五河くんが六喰ちゃんより十香さんを選ぶと?」

 

「……ふむん?」

 

 

六喰が《封解主》の先端を折紙の腹部に差し入れる。

 

折紙が悲鳴を上げた。

 

「な、なんですかこれ! 痛くはないけどなんか! なんか!」

 

「黙らぬと鍵を廻すぞ。

……しかしまあ、先んじて主様の唇を奪う……ふむん、この女に格の違いを知らしめるには妥当な手段かも知れぬの」

 

 六喰が、折紙の腹から鍵を抜きながら呟く。

 

 

「…全く」

 

ヒヤリとしながら士道は苦笑を浮かべる。

 

一時はどうなることかと思ったがとりあえず丸く(?)収まりそうである。

 

「あー、一応、俺からも一言言わせともらうが力任せに俺の唇を奪うのは無しな」

 

言っておかなければ士道の唇を奪うためにまた二人が戦闘を繰り広げそうな気がしたため、士道は釘を指した。

 

その後、士道たちは折紙に先導されて、街の様々なデートスポットを巡らされていた。

 映画館、ゲームセンター、ショッピングモール……いずれも十香が六喰と士道のキスを妨害し、水入りになっていたの。

 

「──え、えっと、じゃあ、次はここです」

 

三人を先導していた折紙が足を止め、そんなことを言ってきた。

 どうやら、六喰と十香が士道を取り合う次のデートスポツト戦場に到着したようである。

 

「……まあ、確かにデートスポットではあるけど」

 

次に折紙が指し示した建物を見上げて、士道はそんな声を発した。

 士道たちの目の前にあったのは、天を突くように聳えた尖塔ー天宮タワー。

 

「……ていうか改めて思うけど、天宮市ってホント色んなものがあるよな」

 

「うん。

30年前の大空災で一回何にもなくなっちゃったからね……昔ながらの街並みっていうのが乏しい代わりに、新しい施設は多いよね」

 士道の言葉に答えるように、折紙が言ってくる。

すると腕組をした十香が、指で肘を叩きながら視線を向けてきた。

 

「で、この塔がどうしたというのだ」

 

「あっ……ええとですね、このタワーの展望台でキスをしたカップルは幸せになれるっていう噂、というか都市伝説がありまして……今回の勝負にはぴったりなんじゃないかと……」

 

「くだらん」

 

 十香はフンと息を吐き、タワーを見上げるように顔を上げた。

 

「だが、まあいい。その男の心を折るのに、場所などは些末な問題だ。

せいぜいは這い蹲りたい場所を選べ」

 

 ……まだ何か勘違いしている気がする。

士道と折紙は一瞬顔を見合わせた。

 

互いの顔に汗が浮かんでいることがわかった。

 そうこうしている間に、十香が先に歩いていってしまう。

さすがに今の状態の彼女を一人にするのは危険過ぎた。

 

士道と折紙は慌ててそのあとを追う。

「ん……?」

 

 と、そこで士道は後方を振り向いた。

 理由は単純。

先ほどまで士道にぴたりとくっついて歩いていた六喰が、その場に足を止めていたからだ。

 

「六喰? どうかしたか?」

 

「………………やじゃ」

 

「え?」

 

 六喰が小さな声で何かを言ってくる。士道は首を傾げて聞き返した。

 

「……いやじゃ。

行きとうない。

ここは……いやじゃ」

 

「六喰……?」

 

 六喰のただならぬ様子に、士道は思わず眉をひそめた。

 

 今の今まで──それこそ、十香や折紙が現れてなお動揺らしきものを見せなかった六喰が、傍から見てもわかるくらいに顔色を変えている。

否……それどころか、怯えていると言ってもいい。

 

「おい、大丈夫か、六喰」

 

 さすがに心配になって、士道は六喰の顔を覗き込んだ。

そんな様子に気づいてか、既に先を行っていた十香と折紙もまた、足を止めて後方を振り向いてくる。

 

「一体何事だ」

 

「む、六喰ちゃん?」

 士道は微かに震える六喰の肩に手を置くと、折紙たちに視線を向けた。

 

「よくわからないんだが、六喰がここは苦手らしい。

別のところにしてくれないか?」

 

「そうなの?

 えっと、じゃあどこか他の──」

 

「それはつまり、負けを認めるということだな?」

 折紙の言葉を遮るように、十香が冷たい声を発する。

士道が手を置いていた六喰の肩が、小さく揺れるのがわかった。

 

「私は別に構わんぞ。

そもそも貴様との勝負などもののついでだ。

私がそこの男を屈服させる様を黙って見ているがいい」

 

「……ッ、戯れ言を……吐かすでないわッ」

 

 六喰が視線を鋭くし、十香を睨み付けたかと思うと、そのままゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるような調子で前へと進んでいった。

 

「お、おい六喰、無理するなよ?」

 

「……問題ない。主様をあの女になど渡さぬのじゃ」

 

蒼白な顔をしながらも、六喰は有無を言わさぬ調子で歩みを進めていく。

 士道と折紙は心配そうな表情で視線を交わし合ったが、もはや止めることは難しそうである。

 

六喰とともに、十香のあとを追っていった。

 タワーの下に設えられた建物に入ってチケットを買い、エレベーターに乗り込んで展望台まで上っていく。

 その間も、六喰の顔色は優れないままだった。

……一体どうしてしまったというのだろうか。

 

ほどなくして、エレベーターは目的の展望台へとたどり着く。

士道はすっかり足取りが重くなってしまった六喰の手を引きながらエレベーターを降りていった。

 

エレベーターを囲うように広がったガラス張りの空間が広がっていた。

中には小さなカフェや恋愛成就の神様を祀った社が見受けられた。

 

「ほう」

 

と十香が小さく呟くと、街の景色が広がる窓の方へと歩いていく。

 

折紙が慌ててそのあとを居っていった。

しかしそれとは対照的に、六喰の調子はどんどんと悪化していった。

 

「六喰、大丈夫か?」

 

「……むん。

平気じゃ」

 

六喰が首肯し、わざとらしく背筋を伸ばして歩き始めた。

 

だが、士道にはその姿が虚勢を張っているようにしか見えなかった。

 

「なあ、六喰。

一体どうしたんだ?

高いところが苦手…っと言うわけではないか」

 

士道は心配そうに問うた。

宇宙を漂っていた精霊が高所恐怖症などということはないと思うのだが、あのときはあくまで心に鍵が掛かっていた状態である。

今の六喰がどういったものに恐怖を覚えるかはまた別の話だった。

 だが六喰は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……違う。ただ……何かわからぬが、ここはいやな感じがするのじゃ」

 

「いやな感じ……か。

六喰、もしかしてここに来たことがあるのか?」

「……っ」

 

 士道が言うと、六喰はぴくりと肩を揺らした。

「……わからぬ

。覚えておらぬのじゃ」

「そうか……」

 と、そこで、

「──なるほど。空を飛んだ状態で見るのとは趣が違うな。ふん」

 

 窓に張り付いていた十香が身体の方向を変え、こちらに向き直ってくる。

 

「さて、では再開しようか。

どちらがその男の唇を先に奪えるかの勝負をな」

「あ、あの、十香さん。

わかってるとは思いますが、さっき説明したように……」

「わかっている。

手足を残したまま

奴を籠絡すればいいのだろう」

 

「全然わかってない!?」

「冗談だ。

──さあ来い、鍵の精霊。

貴様の矜持ごと打ち砕いてやる」

 

六喰が、よろめきながらもそれに応ずるように足を一歩前に踏み出す。

 

「……応とも。

むくと主様の間に、うぬが付け入る隙などないことを…ッ」

 しかし。

六喰はそこで、目眩と吐感に襲われたように、腹部と口元を押さえながら身体をくの字に折った。

 

「む、六喰!?」

 

「六喰ちゃん!?」

 

 観光客たちのざわめきの中、士道と折紙は、慌てて六喰に駆け寄った。

 

「一体どうしたんだ、六喰のやつ………」

 

如何に皆の記憶を『閉じて』しまった危険な精霊であろうと、そもそも保護対象であることに変わりはない。

心配なものは心配だった。

 それに──

 

「…………」

 

 士道は隣──不機嫌そうな顔をしながら腕組みする十香の方を見やった。

 

「なんだ、貴様」

 すると十香が目聡くそれに気づき、視線を返してくる。

 

「いや、なんでもない」

 そう。折紙が六喰に付き添ってトイレに行ってしまっているため、必然このような構図になってしまったのだ。

先ほどから辺りに満ちる緊張感が半端ではなかった。

 

 一応、勝負事であることを理解しているのか、こうして大人しく待ってはいるのだが、何らかの理由で暴れでもしたなら、一大事である。

この緊張感も、当然といえば当然といえた。

 

「…………」

 

 だが、よくよく考えると、反転精霊とこうして向き合っているというのも不思議なものである。

士道が今まで遭遇した反転精霊は、十香を含めて三人。そのいずれもが、反転すると同時に無差別に攻撃を行ってきたため、まともに言葉を交わしたことがほとんどなかったのだ。

「おい」

 

 と、士道がそんなことを考えていると、不意に十香が口を開いてきた。

「なんだ?」

 

「先ほどから──いや、以前から気になっていたが、貴様らが言う『十香』というのは私の名か」

 

 十香が、冷たい視線を向けながらそう言ってくる。

 士道は意外な質問──内容というよりは、彼女から話しかけてきたことに対する驚きが大きかったが──

目を丸くしながら、うなずいた。

 

「ああ……そうだけど」

 

「私が──いや、こちらの私が自分でつけたのか?」

 

「いや。それは……俺が」

「…………」

 

 士道が素直に答えると、十香は無言で士道の足をげし、踏みつけてきた。

「っ! な、なんだよいきなり……」

 

「なんとなくだ」

 

「おい……」

士道は渋面を作りながらも顔を上げ、言葉を続けた。

 

「……おまえには、別に名前があるのか?」

 

「いいや。

だから不本意だがその十香という呼び名で構わん」

「そっか。──じゃあ、十香」

 士道が名を呼ぶと、再び十香が士道の足を踏みつけてきた。

 

「な、なんでだよ……」

 

「なんとなくだ」

 

「…………」

 

 士道は気を取り直すように、咳払いをしてから続けた。

 

「……なあ、十香。おまえは一体何者なんだ? 反転っていうのは一体なんなんだ?

 っていうか、そもそも精霊っていうのは……」

 

「反転、か。

つまりこちらの私から、私に変わる現象のことをそう呼んでいるわけだな」

 

「ん……まあ、そう……なるな」

 

 士道が答えると、十香は鼻を鳴らしてから続けてきた。

 

「──その言い方は好かぬ。

もとはといえば、私こそが霊結晶の化身たる精霊なのだからな」

 

「どういうことだ?」

 士道は困惑の表情を作りながら問うた。

 

 一応、反転という現象については、以前十香が反転してしまった際、琴里から簡単な説明を受けていた。

 しかし《ラタトスク》も全容は掴みきれておらず、その説明は、断片的な情報と推論が混ざったものだったのである。

 十香は面倒そうに眉を歪めながら返してきた。

「始原の精霊が己の力を分割し、霊結晶を創り上げたとき、その属性は貴様の言う反転状態であったということだ。

しかし、始原の精霊がそれを変化させ、今の状態にした。

つまりは、前提が逆なのだ」

 

「一体何のために……?」

 

「こちらの世界の人間に適合しやすい形にするためであろうよ。

もともと霊結晶は現世のものではない。そのままの状態では、人間の身体を蝕みすぎるからな」

 

「は……?」

 

 十香がこともなげに放った言葉に、士道は顔を困惑の色に染めた。

「少し待ってくれ。

理解が追いつかない。

始原の精霊が、人間に適合しやすいように……? 

どういうことだよ!」

 

 思わずその場に立ち上がり、十香の肩を掴みながら問い

詰めるように言ってしまう。

 十香は不快そうに顔をしかめると、左手で士道の胸倉を掴み、そのまま上方へ持ち上げた。

「ぐ……っ!?」

 

「調子に乗るな、人間。私が言葉を発したのは貴様に請われたからではない。

ただの気まぐれだ」

十香が視線を鋭くして手に力に入れてくる。

 

六喰が、《封解主》を回す。

 

 するとその瞬間、六喰の霊装が輝き──その形状を変えていった。優美であったシルエットが精鋭的に絞られ、絞られ、六喰の怒りを反映したような様相へと変貌する。

 

 それと同時、彼女が手にした《封解主》もまた、別の姿になっていった。

錫杖のような形をしていた天使が、長大な戟を思わせるフォルムへと変化を遂げた。

 今までの霊装と天使を、世を捨てた仙女とするのなら、今の姿はさながら荒ぶる猛将といった様相である。

霊結晶の反転ではない。

しかし、六喰がその姿を変えた瞬間から、六喰からは、周囲の空気が震えるかのような濃密な霊力が放出されていた。

 

「こ、これは……!?」

 

「六喰ちゃん!?」

 士道と、後方から駆け寄ってきた折紙の声が重なる。

 

「ほぉう……?」

 

 しかしそんな中、一人興味深げに目を細めている者がいた。

──十香だ。

「──いいだろう。唇を奪う勝負は終いだ。

やはり、こちらの方がわかりやすくていい」

 

 そして十香は不敵に顔を歪めると、右手を大きく翻した。

 次の瞬間、十香の身体を、闇色の霊装が覆っていき、その手に、《暴虐公》が握られる。

 

「もはや、もはや、許さぬ。

塵も残さず無と消えよ!」

 

「いいだろう。

かかってこい。

その素っ首、落としてくれる」

六喰と、十香。

強大な力を有した精霊と反転精霊が、相対した。

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