「ふん、弱いな。どうせならばこのまま唇でも奪ってくれようか。
あの女め、やはりこの方が早いではないか」
言って、十香がもう片方の手を士道のあごに当て、ゆっくりと顔を近づけてくる。
十香の唇が士道の唇が触れる直前、ため息を吐くとつまらなそうに顔を逸らした。
「──するか、馬鹿鹿め。
これは貴様の心を屈服させてからでないと意味がない」
が、そのとき。
「──はぁぁぁッ!」
絶叫とともに視界の端に何かが閃いたかと思うと、十香の腕から力が抜け、士道の身体が床へと落とされた。
「……っ!」
顔を上げると、そこに六喰の姿があることがわかる。
その表情は剣呑な色を帯び、その手には、《封解主》が握られていた。
「何のつもりじゃ、主様に手を掛けるとは……!」
「……ふん、貴様には関係あるまい」
十香が鬱陶しげに言い、冷酷な視線を六喰に向ける。
「なんじゃと……!?」
しかし六喰は怯むことなく──むしろ、その表情を怒りの色に染めると、先ほど十香が士道にしたように、十香の胸倉を掴んだ。
「待て、六喰! 俺なら大丈夫だから──」
士道は慌てて六喰を止めにかかった。しかし六喰は構わず、射殺すような視線で十香を睨み付ける。
「うぬは、むくから主様を奪おうというのじゃな?
むくの愛する人を、むくを愛する人を、奪おうと言うのじゃな?」
「知ったことか。
鬱陶しい。
離さんか、貴様」
十香は不快そうに顔を歪めると、右手を手刀の形にして、閃かせた。
六喰の頬に細い傷が走り、その前髪が一房切れて、空気に舞う。
「────」
六喰は息を詰まらせると、十香の胸倉から手を離した。
しかしそれは、十香の攻撃を恐れたからではなさそうだった。
血の滲む頬をさするでもなく、ゆっくりと地面に落ちていく金色の髪を呆然と見つめる。
「あ──あ、あ……」
六喰が、目を見開きながら声を震わせた。
そして。
「──貴……ッ、様ァァァァァァァァァッ!」
次の瞬間、士道の目の前が明るくなったかと思うと、そこにいた十香の身体が吹き飛ばされ、展望台のガラスを突き抜けて空へと躍った。
「……っ!?」
士道は乱れ舞うガラス片に思わず身体を折ったが、すぐに顔を上げた。
──展望台の中は、一瞬にして混乱と動揺に支配されていた。
辺りにいた観光客たちが悲鳴を上げ、
エレベーターの方へと殺到する。
しかしそれも無理からぬことであった。
何しろ、ガラスが盛大に割れて、少女が外へと吹き飛ばされ──
あまつさえ、少女と、それを吹き飛ばした少女が、平然とした様子で展望台の外壁に立っているのだから。
「貴様」
「──許、さぬ……許さぬ、許さぬ、許さぬ……ッ」
十香と、いつの間にかその手に天使《封解主》を顕現させた六喰が、展望台の外壁で対峙する。
双方、重力を無視しているかのように、壁面に対して垂直に。
しかし当の本人たちは、その異常性を不自然に思うでもなく、互いに剣呑な気配を交じらせあった。
「むくの髪を……切ったな。
主様が、──さまが……
褒めてくれた、むくの……髪を──」
六喰がギロリと十香を睨み付けながら、唱えるように言う。
するとそれに合わせるように、六喰の肌にキラキラと光の粒子が纏わり付いていき、霊装を作り出す。
「……! 六喰! やめるんだ! 十香はそんなつもりじゃ──」
士道は慌てて声を上げた。
しかし六喰は聞く耳を持たず、《封解主》を握る手に力を入れた。
そしてそのまま《封解主》の先端を、自分の胸目がけて突き刺す。
「な……!?」
「《封解主》──【放】!」
叫びと共に六喰が《封解主》を回す。
瞬間、六喰の霊装が輝きーその形変える。
優美なシルエットが先鋭的に引き絞られ、彼女の怒りを表したような見た目へと変える。
同時に錫杖のような形をしていた《封解主》もまた長大な戟を思わせるフォルムへと変化する。
今までの霊装と天使を、世を捨てた女仙とするのなら、今の姿はさながら荒ぶる猛将といった様相である。
霊結晶の反転ではない。
しかし、六喰がその姿を変えた瞬間から、六喰からは、周囲の空気が震えるかのような濃密な霊力が放出されていた。
「あのバカ野郎……!!」
「六喰ちゃん!?」
士道と、後方から駆け寄ってきた折紙の声が重なる。
「ほぉう……?」
しかしそんな中、十香は興味深げに目を細めている。
「──いいだろう。唇を奪う勝負は終いだ。
やはり、こちらの方がわかりやすくていい」
十香は不敵に顔を歪めると、右手を大きく翻す。
次の瞬間、十香の身体を、闇色の霊装が覆い、その手に、《暴虐公》が握られる。
「もはや、もはや、許さぬ。
塵も残さず無と消えよ!」
「いいだろう。
かかってこい。
その素っ首、落としてくれる」
六喰と十香。
強大な力を有した精霊と反転精霊が、相対した。
二人の精霊が異常レベルの霊力を撒き散らしながら空中で剣と戟を交わし会う。
その都度、霊力の余波で展望台のガラスが破壊され。
空中に撒き散らされる。
既に、市内には空間振警報が発せられ、市民の避難は終了している。
「《オーディン》、記憶が封印されている状態で十香を元に戻せると思うか?」
『可能性は十分にあるかと』
《オーディン》が士道の問いに答えると、折紙の方に向き直り、その目を見つめた。
「……頼む、折紙。俺一人じゃ、二人を一度に相手はできない。……手を貸して、くれないか」
「五河くん……」
すると折紙は、微笑みながら首肯してみせた。
「当たり前じゃない。
五河くんを一人で行かせたりなんてしたら、あとで『私』とケンカになっちゃうよ」
折紙はそう言うと、手の指を組み合わせながらくるりと背を向け、続けた。
「それに……嬉しいよ、私を頼ってくれるなんて。
私を、五河くんの隣に立
たせてくれるなんて。
──女の子は、守られるだけが幸せじゃないんだから」
「折紙……」
士道が名を呼ぶと、折紙は肩越しにちらとこちらに視線を送ったあと、いたずらっぽく微笑んだ。
そして、ポケットから銀色のドッグタグのようなものを取り出し、音をさせながら額にかざしてみせる。
『承認、鳶一折紙。──〈ブリュンヒルデ〉、展開』
すると次の瞬間、折紙の身体が淡く輝き、その身体に、優美なシルエットを持つ金属の鎧と花嫁衣装を思わせる純白の霊装が一体となって顕現していた。
「こっちもいくぞー《オーディン》!!」
『了解です!!』
士道もまた声を上げるとその身に漆黒の疑似霊装を纏う。
「──行こう、折紙」
「うん……五河くん」
言って。
二人は、同時に戦場へと足を踏み出した。
「はぁぁぁぁぁぁッ!」
「小癪──!」
鍵の天使と剣の魔王が、幾度となく交差する。
そのたび、一撃一撃に込められた霊力同士が弾け合い、まるで小さな爆弾を爆発させているかのような閃光と衝撃波が辺りに撒き散らされた。
しかも、それだけではない。
錫杖から戟へと姿を変えた《封解主》は、不定期に小型の『扉』を生じさせては、十香の死角から攻撃を繰り出してくるのである。
常人であれば剣を捉えることさえ不可能であろう神速の世界。
否──並の精霊でさえ、自分でもここま斬り結ぶことはできないだろう。
十香と呼ばれた彼女は、対する相手に仄かな賞賛を送ってさえいた。
恐らく《封解主》で霊力を『閉じて』いたか、一時的に潜在能力を『開いた』のだろう。
十香と六喰は空中で己の──天使を打ち合わせながら塔の上空へと移動した。
「うぬは、むくをひとりにするつもりか。
また、むくを孤独にさせるつもりか」
六喰は攻撃の手を微塵も緩めぬまま、呻くように叫びを発してきた。
「殺す。殺す。むくの主様を奪おうとする輩は全て殺してくれる……!」
「ふん、ならば吠えずに我が身を穿ってみろ、鍵の女。
できるものならば、だがな」
「言われずとも……ッ!」
十香の声に呼応するように、六喰が《封解主》を構える。
するとそれに合わせるようにして、十香の身体を奇妙な感覚が襲った。
まるで目に見えない粘液にでも飲み込まれたかのような感覚。
身体が重くなり、手足を動かすの億劫に感じる。
「……なんだ?」
一瞬六喰の仕業かとも思ったが──違う。
六喰は六喰で身体に違和感感を覚えたように眉根を寄せている。
恐らく、犯人は別にいる。
士道、折紙と呼ばれていたあの人間たち……もしくはその仲間といったところだろうか。
とはいえ、だからといって十香のすることに変わりはない。
目の前に立つ敵を、屠る。
それだけだった。
「喰らうのじゃッ!」
六喰も十香と同じ思考に至ったのだろう。
空を蹴るように加速し、《封解主》を高速で繰り出してくる。
十香は細く息を《封解主》の柄を叩くような格好でそれらの刺突を弾いた。
「……ふん?」
が、十香はそんな攻防の中、小さく眉をひそめた。
六喰の一撃が、それぞれ必殺の威力を持っていることは疑いようがない。
だがー十香の勘が告げていた。
六喰は、この攻撃で勝負を決めるつもりがない──と。
動きを阻害されているのは十香も同じであるし、六喰に十香を殺すつもりがないというわけでもないだろう。
どちらかというと──そう、『本命』に至る道を丁寧に敷いているような感覚だ。
と、十香がそんなことを考えていると、六喰に小さな動きがあった。
力を込め、《封解主》を抉り込むように強力な刺突を放ってきたのである。
だが、荒い。
十香は身を捩ると、その一撃を紙一重で避ける。
しかし、次の瞬間。
「《封解主》──【開】!」
六喰は十香に避けられた《封解主》を捻ると、十香の背後の空間に『扉』を生じさせた。
「──っ」
一瞬、背後から何か攻撃が仕掛けられるかと思ったが──違う。
その『扉』が、まるで呼吸をするかのように急激に辺りの空気を吸収し始めたのである。
空中で十香のバランスが崩れた。
恐らく、気圧差の大きい空間と繋げたのだ。
とはいえ六喰とて、こんなもので十香を吸い込めるとは思ってはいないだろう。
これはあくまでも一瞬の隙を生じさせるための──
「【開】!」
十香の思考を途切れさせるように、六喰の声が響く。
すると次の瞬間、十香の頭上に巨大な『扉』が開き、そこから、直径一〇〇メートルはあろうかという鉄と石材、木材の塊が落下してきた。
「ち──」
恐らく、何かの建造物だ。
十香は《暴虐公》を下段に構えると、そのまま建造物目がけて刃を振り抜いた。
巨大な塊に線が走り、十香を避けるように二つに分かれて地面へ落ちていった。
が、まさにそのとき。
「《封解主》──【解】!」
身体すれすれを落下していく建造物と十香の間に『扉』が生じたかと思うと、そこから鍵の形をした戟が突き出された。
「────」
剣撃を放ったばかりの体勢。
すんでのところで身を翻すも、一瞬対応が遅れる。
《封解主》は十香の霊装の端を貫くと、そのまま落下する建造物の一部を突き刺した。
そして──
「何……?」
十香は思わず眉をひそめた。
《封解主》が穿った巨大な建造物が、そして、十香の纏っていた霊装が、一瞬にして消滅してしまったのである。
切り裂かれたわけでも、『扉』に吸い込まれたわけでもなく──ただその場から、霧のように消えてなくなってしまったのだ。
とはいえ、悠長に考えを巡らせている暇などはない。
『扉』が広がり、そこから、六喰撃を仕掛けてくる。
「はぁッ!」
「面妖な真似を……!」
十香は六喰の攻撃を防ぎ、その勢いに乗るようにしてその場から離脱した。
そのまま地面に降り立ち、先ほど消し去られてしまった霊装を再度顕現させる。
とはいえ、完全に元に戻ったわけではない。
如何に精霊とはいえ、絶対の城たる霊装を形作るには相当量の霊力を要する。
一度顕現させた霊装が霊力に還元されることなく失われたということは、そのまま霊力の総量を削られたということに他ならなかった。
「…………」
十香は油断なく六喰の挙動を監視しながら、自分の身に微かに纏わり付いた霊子の残滓を感じ取った。
「霊装を構成していた霊子が空気中に残っているということは、消滅──というわけではなさそうだな。
察するに、分解……分子や霊子の結合をその鍵で解除した、といったところか。
なるほど、これが貴様の本命か」
「…………」
六喰は答えず、十香と目線を合わせるように地面に足をつけた。
しかし十香は構うことなく《暴虐公》を構えた。
今目の前にいるのは、それに値する相手である。
思考も行動も殺意塗り込められているというのに、本能とも言うべき部分が、冷静に相手の隙を窺っている。
言うなれば──そう、冷静に、狂っている。
「──ふん。
童のような顔をしていると思えば、一端の戦士ではないか」
十香は薄い笑みを浮かべると、《暴虐公》の切っ先を
愛しき好敵手に向けた。
しかし、二人が再び切り結ぶ寸前。
「二人とも待て!」
「お願いします、落ち着いてください!」
十香と六喰の間に割って入るように、士道と折紙が現れた。
十香は不機嫌そうに舌打ちをすると、気を取り直すように《暴虐公》の柄を握り直した。
「邪魔立てをするか。
……まあいい。
どのみち、全員打ち倒すつもりだったからなッ!」
叫び、《暴虐公》を振り下ろす。
漆黒の剣閃が三日月の形を描き、六喰と、その前に割って入った二人に向かって伸びていった。
が、金属の鎧と純白の限定霊装を纏った折紙が、手にした槍を翻すと、その先端に闇色の霊力が収束し、十香の斬撃を打ち払った。
「……何?」
予想外の現象に、十香は目を細めた。
別に、折紙が今の一撃を防げたことを驚いているわけではない。
今十香は不可視の力によって動きを制限されているし、もとより本気で放った剣撃ではない。
精霊の力を持つ折紙ならば、弾くことができてもおかしくはなかった。
だが、今折紙の持つ槍に纏わり付いていたのは、明らかに十香と同種の──つまりは、いわゆる所謂反転体の霊力であったのだ。
今の折紙から感じるのは、通常の霊力と、今十香たちの身を包んでいるのと似たような、人工的な力だった。
恐らく、あの槍の先端に、周囲に漂う霊力を収束しているのだろう。
ならば、今し方の強力な出力も納得である。
何しろこの辺り一帯には今、六喰に分解された霊装の濃密な霊子が溢れていたのだから。
「ふん……どいつもこいつも──」
十香は視線を鋭くすると、《暴虐公》を振りかぶり、地面を蹴った。
「──私を楽しませてくれるッ!」
「……! 来ます! 五河くんは六喰ちゃんを!」
折紙はそう叫ぶと、槍の先端に闇色の霊力を纏わせ、十香の攻撃から士道を守るように立ちはだかった。
闇色の霊装を纏った十香と、純白の霊装を纏った折紙が、打ち合い、絡み合いながら、天高く飛び上がっていく。
その光景を地上から見上げながら、六喰はブツブツと小さな声を漏らしていた。
「殺す……殺す。
主様を奪おうとする者は、敵じゃ。
むくは……むくは、ひとりは嫌じゃ──」
「六喰!」
「……!」
と。不意に名を呼ばれ、六喰はハッと目を見開いた。
「──主様」
そう。六喰の前にいたのは、他ならぬ五河士道その人であったのである。
「おお……主様。
主様。
安心するのじゃ。
すぐに、むくがあの黒い女を無に帰してくれるからの。
そうすれば──」
「六喰!」
その言葉を遮るように、士道が六喰の肩を掴みながら、再度名を呼んでくる。
その必死な様子に、六喰は思わず驚いてしまった。
「どうしたのじゃ、主様。
あとはむくに任せておけばよい」
「違うんだ……そうじゃないんだよ、六喰……!
もうこんなことは止めてくれ。
俺は、十香が消えちまったり、折紙が俺のことを忘れちまったりするのは嫌なんだ……!
二人とも……いや、みんなみんな、俺の大切な人たちなんだ!」
「……っ」
士道の言葉に。
六喰は、引きつけを起こすように息を詰まらせた。
しかし士道は、そんな六喰の様子に気づくことなく、続けてくる。
「なんで……なんでなんだよ?
教えてくれ、六喰。なんでおまえはそこまで、みんなを排斥しようとするんだ?」
士道が訴えかけるように言ってくる。
六喰は静かに、しかし震える声を、喉から漏らした。
「──なにゆえ」
「……」
「なにゆえ、そのようなことを言うのじゃ。
主様は……むくのことが好きなのじゃろう?
むくも、主様が好きじゃ。
ならば、それでよいではないか。
なのになぜ!
なぜじゃ!」
目に涙を滲ませながら、続ける。
「嫌じゃ。
ひとりは嫌じゃ……!
主様は誰にも──」
頭の中がぐるぐると回り、ぐしゃぐしゃになっていくような感覚。
六喰は《封解主》を両手で握ると、その切っ先を下方に向け──
「《封解主》──【閉】……ッ!」
地面に──
否、正確に言うのならば地球に、その鍵を差し込み、廻した。
瞬間。
その箇所を起点とし、凄まじい地鳴りが、辺りにゆっくりと広がっていった。
まるで、絶え間なく駆動する工業機械の上にでも立っているかのように。
地球が、一個の脈動する巨大な生命体にでも変貌したかのように。
微かな、しかし終わることのない
地震が、周囲を覆尽くす。
「……ッ!? う、うおッ!?」
驚愕の声を上げる士道。
六喰は薄い笑みを浮かべると、そんな士道の頬に手を伸ばし、優しく撫でていった。
「もう……安心じゃ。
これでもう……誰にも邪魔はさせぬ」
「六喰……おまえ…」
士道の頭の中に最悪の可能性が思い浮かぶ。
「──星に、【閉】を施した。
対象が巨大に過ぎるゆえ時は掛かるが、やがてこの星は巡りを止めるじゃろう」
「っ…六喰!」
士道が目を見開いて声をあげる。
しかし、今の六喰はそんな表情など気にならなかった。
笑み濃くし、あとを続ける。
「これで、邪魔者は皆消える。主様は、むくと一緒に、ずっと宙で暮らすのじゃ。
ふふ……楽しみじゃのう」
士道がそんな六喰に悲しげな表情を浮かべる。
六喰は気にせず顔を上げた。
──そう。六喰がこの手で倒さねばならない敵が、まだ一人残っていたのである。
「おい、六喰! おいっ!」
六喰は、背に士道の声を聞きながら、空を舞う黒い影を見上げ、震える地面を蹴った。
微細な震動を続ける大地の上で。
「主様は──渡さぬ」
六喰はキッと視線を鋭くすると、上空で鍔迫り合いを繰り返す十香と折紙を睨み付けた。
今十香は、折紙との戦闘に気を取られている。
そして六喰ならば、確実にその背を取ることが可能だった。
「《封解主》──【開】!」
六喰は叫ぶと同時、手にした《封解主》捻った。
瞬間、そこに《封解主》の先端がギリギリ通り抜けられる程度の小さな『扉』が開く。
無論、『扉』の先は十香の死角である。
──そこに《封解主》を突き刺し、廻す。
それで、全ては終わるはずだった。
【解】。
《封解主》秘中の秘たる物質分解の形態。
その比類なき力の前には、この世のあらゆる物質が無へと帰す。
それは、如何に十香とて例外ではないはずだった。
「【解】……ッ!」
六喰は十香と折紙が打ち合うタイミングを見計らい、鍵の天使を空間の『扉』目がけて突き出した。
が──
「駄目だ! 六喰ッ!」
《封解主》が『扉』に突き刺さろうとした瞬間、士道が両手を広げ、六喰の前に立ち塞がった。
「──ッ!?」
士道の予想外の行動に、六喰は目を見開き、身体を震わせた。
しかし、遅い。
反射的な腕の筋肉の緊張によって少し狙いは外れたものの、《封解主》の切っ先は、士道の口に突き刺さってしまった。
「く……!?」
士道が苦悶に顔を歪める。
六喰は慌てて《封解主》を抜こうと腕に力を込めた。
だが。
「────え?」
次の瞬間襲い来た奇妙な感覚に、六喰は呆然と声を発した。
士道に突き刺した戟を介して、怒濤のようにイメージが流れ込んでくるような感覚。
否、正確に言うならば、六喰側からも何かが漏れ出ていく。
それが何かはわからない。
だが、士道と六喰という二つの個体の中身が混ざり合っていくかのような感覚だった。
まるで、異なる種類の液体で満ちたビンを二つ繋げてシェイクしたかのように。
嗚呼──だがこの感覚は初めてではない。
そうだ。これはあのとき。宇宙で士道の扱う偽の《封解主》を挿し入れられたときと同じ──
「────」
──そうだ。あのとき。
あの、寒い冬の日。
失意に沈んでいた自分の前に、『何か』が現れたのだ。
まるで水で滲んだような、モザイクに覆われたような、奇妙な姿をした『何か』が。
そして『何か』は自分に、黄金に輝く宝石のようなものを渡してきた。
そのときからだ。自分が──
星宮六喰が、精霊になったのは。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
否、どちらかというと、その感情よりも、大きな歓喜があったと言った方が適当かもしれない。
六喰が手にした《封解主》。
物体はもとより、目に見えないもの──人間の記憶さえも『閉じる』ことがで
きる鍵の天使。
その力を使えば、姉は、父は、母は、六喰だけを愛してくれるに違いなかったからだ。
早速六喰は、喜び勇んでその力を行使した。
空間に『扉』を開け、父母や姉の知人、友人全てに《封解主》を挿し入れて、六喰の家族の記憶を『閉じた』のだ。
──しかし、結論から言えば、六喰の思う通りにはいかなかった。
その日家に帰ってきた家族たちの反応はただひたすらの混乱。
自分のことを一人覚えていないという異常事態に困惑し、六喰のことなど構ってくれなかったのだ。
六喰は信じていた。
周りに誰も自分を知る者がいなくなったなら、皆六喰のことを愛してくれると。
だが、この事態を引き起こしたのが六喰であると知った家族たちの反応は、愛とか情とかとはかけ離れたものだった。
驚愕と怒り、狽と動揺、そして──
拒絶。
父は、母は、姉は、得体の知れない力を手にした六喰を恐れ、拒んだのである。
何を言われたかはよく覚えていない。その光景は鮮明に思い出せるというのに、断片的な言葉だけが浮かんでは消えるだけだった。
『化物』、『何をして』、『殺さないで』、『出ていって』、『あんたなんて』、──『家族じゃない』。
正しく言うのなら、それを文脈通り正確に記憶してしまっては、六喰の心が耐えきれないと思った脳が、気を利かせてくれたのかもしれなかった。
けれど、そのときの胸の痛みだけは、はっきりと思い出せた。
辛くて、苦しくて、悲しくて、寂しくて──そんな感情が頭の中でぐるぐると渦を巻き、気づいたときには六喰は、父に、母に、そして姉に、ミカエル
《封解主》を突き刺し、彼らの中にある、六喰の記憶に鍵を掛けていた。
──それ以上言葉を聞いていては、どうにかなってしまいそうだったから。
そして六喰は、またひとりになった。元に戻ったわけではない。
家族の温かさを知ってしまったあとで、ひとりになった。
思えば。六喰にはそもそも、何かを愛する資格がなかったのだろう。
愛を知らずに生まれ落ちたから、その形が歪なことに気がついていなかったのだ。
愛したならば、愛してもらわなければならなくなってしまう。
愛したならば、自分だけを見てもらわなければならなくなってしまう。
だから、六喰は鍵を掛けたのだ。
自分の記憶に。
自分の心に。
家族がいたということを、家族の温かさを思い出してしまわぬように。
──もう二度と、何かを愛してしまわぬように。
「あ──」
空間に開いた『扉』の前で。
《封解主》を肩を突き刺された士道は、自分の喉から声が漏れるのを、どこか他人事のように聞いていた。
不思議と、あまり痛みはない。
その代わり、《封解主》を介するようにして、とある少女のイメージが流れ込んできたのである。
それは、ここ数日の間、士道が見ていた夢だった。
そして──恐らく、鍵を掛けられた六喰の、記憶だった。思えば、士道がこの夢を見始めたのは、宇宙空間で六喰に《封解主》を刺し、心の鍵を開けてからだった。
詳しい原理はわからなかったが、恐らくその際に、六喰の記憶に掛けられていた鍵にも綻びができ、それが《封解主》を伝って士道に流れ込んできたのだろう。
そして、再び《封解主》によって二人が繋がることによって、その記憶がシェイクされたのだ。
「六喰……おまえは、いや、おまえも──」
士道は微かに震える声を発しながら、六喰に手を伸ばそうとした。
だが、次の瞬間。
「ぐ……ッ!」
《封解主》が刺さっていた部分に激痛が走ったかと思うと、肩から腕にかけてが、パン、と疑似霊装ごと弾け飛んだ。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
その衝撃的な痛みに、士道は喉が潰れんばかりの絶叫を上げた。
手を切断されたとか、押し潰されたとかという感触とはまるで別種。
腕が、肩が、そこに存在することを否定されたかのように、消滅した。
僅か残った手首から先が地面に落ち、盛大大な血だまりを作る。
『マスター!?』
【が……あ、あぁぁぁぁぁぁッ!】
反射的に音の天使《破軍歌姫》を発動。
自らの『声』に霊>力を纏わせ、痛みを堪えながら出血を抑えるため回復力を高める。
同時、《贋造魔女》で、申し訳程度ではあるが傷口を塞いでいく。
……六喰の《封解主》でこの力まで
封じられていたらどうしようもなかったが、どうやらあれは、《封解主》に化けた《贋造魔女》の力のみを『閉じ』ていたようだ。
無論焼け石に水ではあるが、一定の効果──少なくとも、激痛に発狂したり、意識を失うことだけは避けられた。
《灼爛殲鬼》の治癒の炎も傷口に燻りつつあったが、さすがにここまで大きな欠損を治すことはできないのか、可能だとしても時間がかかるのか、今ひとつ効果を発揮していない。
顔中に脂汗を浮かべながら、六喰の方を見やる。
「六、喰──」
「あ……あ、ああ──主様、違うのじゃ……むくは、むくは、主様を殺そうとなど……」
しかし六喰は焦点の合っていない目で虚空を見つめながら、怯えたように身体を震わせていた。
手にしていた《封解主》をその場に取り落とし、うわごとのように言葉を続ける。
「いやじゃ……むくを、ひとりにしないでくれ。
あ、あああああ、主様、あねさま……むくは、むくは………………ッ」
六喰は夢と記憶と現が頭の中で混じり合っているかのように、混乱した様子で頭を抱える。
次の瞬間、六喰の目から涙が落ちると同時、六喰の身体から、どこか濁った色を帯びた霊力の奔流が発され始めた。
「う──ぁ、あ、あぁぁああぁぁぁああぁ──」
「これ、は……っ」
士道は掠れた声を絞り出した。
この現象には覚えがある。──反転だ。
自らの手で士道に致命傷を負わせてしまったという事実。そして──それと同時に甦った、自分が心を閉じるに至った記憶。
確かにそれらは、六喰の心を絶望で塗り込めるには、十分に過ぎるファクターであった。
優美且つ勇猛であった霊装に赤いヒビが入っていき、混沌を具象化したような色を帯びていく。
流れる涙は闇のような漆黒に変貌し、地面に落ちた《封解主》が塵と消え、それと入れ替わるように、六喰の背後に巨大な鍵が姿を現していった。
「駄、目……だ、六喰ッ!」
このままでは、六喰が本当に反転してしまう。
士道はよろめく足をどうにか踏み出した。
だが、六喰の身体を中心として渦を巻く濃密な霊力が、その行く手を阻まんと襲いかかってくる。
「ぐ──っ!」
今の士道には、それを避けることも、弾くことも困難だった。
どうにか一撃を耐えるため、足に力を入れる。
が、次の瞬間。
遥か空から凄まじい斬撃が降り注いだかと思うと、士道に迫りつつあった六喰の霊力塊を掃討し、霧散させた。
「な──?」
士道は目を丸くした。
《暴虐公》による斬激である──。
「ふん」
士道がそんなことを思っていると、上空からそんな声が聞こえてきた。
「勘違いをしてくれるなよ。
理由はどうあれ私に辱を与えた貴様に、そのような安易な死など相応しくないというだけだ」
十香は忌々しげにそう言うと、再び、空を舞う折紙に向かっていった。
「十香……」
士道はそう呟くと、顔を六喰の方に戻した。
十香の言葉に含むところなどないのだろう。
だが──その一撃が活路を開いてくれたことは紛れもない事実であった。士道は自分の身を救ってくれたことではなく、六喰のもとに至る機会を与えてくれたことに感謝をしながら足を踏み出し、残った片手で六喰を力いっぱい抱きしめた。 身体には未だ上手く力が入らない。
抱き留めるというよりももたれかかるといった方が適当な格好になってしまうが──構わず、士道は喉を絞り上げた。
「六喰! 六喰! 戻ってきてくれ! 駄目だ。
そっちに行っちゃあ駄目なんだ!」
士道は、身体に僅か残った力を全て使い尽くすように、六喰の身体を抱きしめながら叫んだ。
──士道には、わからなかった。
六喰が、なぜあそこまで皆を排斥し、士道を独占しようとするのかが。
無論、嫉妬や独占欲は誰しもが持つ感情である。
しかし六喰の場合、その大きさが尋常なレベルではなかったのである。
だが、今は。
《封解主》を通じて、六喰の記憶を共有した今ならば、わかる。
なぜなら──
「六喰……おまえは──俺だ」
士道は、漆黒に染まりつつある六喰に訴えかけるように、そう言った。
そうだ。
六喰は、まさに士道だった。
それこそ、最初に六喰の過去を夢に見た際の過去を思い出してしまったのではないかと思うほどに。
士道もかつて、本当の母に捨てられ、物心ついた頃にはひとりぼっちであった。
そして五河家に引き取られ、父の、母の、きょうだいの──家族の温かさを初めて知ったのだ。
だからこそ、わかる。
「六喰……おまえは、不安だったんだよな。
心細くて、仕方なかったんだよな」
士道が掠れた声で言うと、六喰の肩が、ほんの少しだけ揺れた気がした。
そう。
六喰は、不安だったのだ。
記憶の原点に『愛』というものが存在しなかったから。
ある日突然与えられたその温かなものが、心地よくて、眩しくて、でもどこか掴みきれなくて。
それは本当は夢幻のように存在していないもので、ふとした拍子に目を覚ましたなら、すぐさま消えてしまうのではないかと思えてしまって。
幸せの中にいるはずなのに、常に心の中に一抹の不安が残っていたのだ。
だから家族が、自分以外の誰かと親しげに話していると、自分の知らない世界に属していることを知ると、心が締め付けられるような感覚を覚えてしまう。
所詮自分は、あの人たちの人生に接ぎ木された存在であって、あの人たちのもっと大切なものは、他にあるのではないだろうか、と。
六喰ほど極端でないにしろ、その感情は、幼い士道も抱いたことがあったのだ。
「でもな、六喰。……大丈夫なんだ」
士道は霞みゆく視界の中、手探りで六喰の頭を撫でながら、続けた。
「そんな心配、いらなかったんだよ。父さんも、母さんも、きょうだいも……どんなに遠くに離れたって、繋がってるんだ。
だってそれが──家族ってもんなんだから」
そう。
士道はそれを、父に、母に、そして琴里に教えてもらった。
けれどもし士道が、それを知る前に六喰と同じ力を持ってしまっていたなら、どうなっていたかわからない。
「……、……っ」
士道の言葉に、六喰が小さく息を詰まらせるのが聞こえてきた。
「でも……むくは……むくには……もう……」
「……俺が!」
今にも消え入りそうな六喰の声に答えるように、士道は声を張り上げた。
「俺が……おまえの、家族になる。だから、もう心配しなくていいんだ。
何があったって、俺は、おまえのことを忘れたりしない。
どんなことをしたって、俺は、おまえのことを嫌ったりしない……!」
激しく咳き込み、喉の奥から血塊がこぼれそうになるが、そんなものには構わず言葉を続ける。
「ああ……いや、それだけじゃ足り、ないな。
六喰、おまえにも……約束してもらうぞ。
一方通行の愛じゃ、意味がない。
だって俺たちは……家族なんだからな」
「……! 主様、むく、は──」
六喰が小さく唇を動かし、声を発する。
するとその瞬間、汚泥のように黒く濁っていた涙の色が、もとの透き通ったものに戻った。
しかし未だ、周囲に充満する霊力はその勢いを増している。
今がまさに、分水嶺。
六喰がこちら側に戻ってくるか否かの瀬戸際である。
「六喰──」
六喰が、士道の言葉を受け入れてくれたかどうかはわからない。
しかし、時間も方法もなかった。
士道は最後の力を振り絞って六喰の顔を上げさせると──
「んっ……」
「────」
その唇に、自分の唇を触れさせた。
喀血のあとの、血の味のキス。
愛を語らうには文字通り少々血なまぐさすぎる口づけ。
士道は祈るような気持ちで、両の目をきゅっと瞑った。
すると、やがて触れた唇を介して、何か温かなものが士道の身体に流れ込んでくる。
幾度も繰り返した封印の感覚。
六喰の身体から、霊力が士道へと移っていく。
同時、六喰の纏っていた霊装や、背後に顕現しつつあった鍵型の魔王が輝きを失い、空気に溶け消えていった。
「……っ、六喰!」
「あ……う……」
一糸まとわぬ姿となった六喰が、力なくもたれかかってくる。
しかし、もとより士道も限界を超え、六喰に寄りかかっていたようなものである。
必然士道は姿勢を崩し、その場に仰向けに倒れてしまった。
「ぐはっ………!?」
背中を、後頭部を強かに打ち付け、士道は情けない声を上げた。
どちらかといえばその悲鳴の要因は、先ほどの傷口に振動が与えられたことによるものだが。
《破軍歌姫》と《贋造魔女》、そして《灼爛殲鬼》の合わせ技でどうにか応急処置をしているとはいえ、普通ならば致命傷──どころか、即死していてもおかしくない大怪我である。
むしろのたうち回らなかっただけ褒めて欲しいくらいだった。
「……、……」
泣き疲れたのか、力を使い果たしたのか、士道の血に濡れた胸の上で、六喰が寝息を立てる。
士道はそれを見ながら、大きく息を吐いた。
「六喰……ありがとうな、俺を、信じてくれて……」
士道は首から力を抜き、天を仰ぐと、六喰の頭をぽんぽんと叩いた。
……が、何だろうか、士道はそこで、そこはかとなく嫌な予感を覚えた。
途轍もない大仕事を終えたばかりだというのに、何か大事なことを忘れてしまっている気がしたのである。
と、そんな士道の思考に呼応するかのように、士道の視界に広がっていた空から、士道目がけて何かが凄まじいスピードで落下してきた。
「な……ッ!?」
士道は思わず目を見開き、驚愕の声を上げた。
すると、その飛来物は地表の寸前で急激に減速、士道の頭の側に降り立つように静かに着地をした。
闇色のスカートが風にはためき、士道の視界を撫でる。
そう。そこに現れたのは。
「──ふん。少しは見どころがあるかと思ったが、結局はその様か、女」
今し方まで折紙と空中戦を繰り広げていたであろう反転精霊・十香だったのである。
「十、香……!」
士道は息を詰まらせると、胸の上で眠る六喰を守るように姿勢を変えた。
「……ありがとうよ、おまえのおかげで、六喰を止めることが……できた……」
「ふん。知ったことか。
どうせ二人まとめて屠るのだからな」
言って、十香が剣呑な目を向けてくる。
士道は力なくそれに視線を返した。
霊力を封印され、意識を失った六喰に、十香に抗う力などあるはずがない。
『《オーディン》、今の状態で戦闘は可能か?』
『不可能ではありませんが数分も持ちませんよ?』
自分もベストコンディションと言えるような状態ではないのはわかっている。
それでも、士道は現状を打開するために《オーディン》へと声をかける。
「く──無事!?」
と、十香から数秒遅れて、少し離れた位置に折紙が降り立つ。
しかし、霊装、CR ユニットともに、ところどころ損傷が見て取れた。
やはり如何に折紙といえど、反転した十香には苦戦を余儀なくされたようだ。
「…………」
十香は、折紙の方を一瞥すると辺りを見回し、再び士道と六喰に視線を戻してくる。
士道は背筋を冷や汗で湿るのを感じた。
無理もない、先ほどの一撃は、十香にとってはほんの気まぐれに過ぎない。
同じように、今の十香が別の気まぐれにを起こすだけで、士道も、六喰も、折紙もが殺されてしまう可能があるのだ。
「く…」
士道は六喰の身体をできるだけ優しく地面に横たえると、痛みに耐えながら立ち上がろうとする。
十香を元に戻せるのは士道しかいない。
気力だけで身体を持ち上げ、膝をたてる。
「ぐ…う、お………」
「ーーーふん」
十香はそんな士道を冷めた目で見下ろすと、そのまま腰を折って士道の胸ぐらを掴み上げた。
「ぐっ……!?」
「五河くん!」
折紙が声をあげ、十香に攻撃を加えようとする。
だが、十香の鋭い眼光に牽制され、その場に踏みとどまった。
下手なことをすれば、折紙の槍が十香に触れるよりも早く士道の首が飛ぶ。
「………」
十香は士道が痛みに顔をしかめるにも構わず、士道の身体を軽々とつり上げた。
そして、地面に寝転んだ六喰を見、冷たい声を発してくる。
「ーーせっかくの戦士を童にしたな」
「ぐ……」
剣のような鋭い眼光を士道に向けてくる。
が、次の瞬間、十香は息を吐くとどこか寂しげに言葉を続けた。
「………興が冷めた」
「ーー?」
反転した十香らしからぬ台詞に首を傾げる士道。
その疑問はすぐさ驚愕に塗りつぶされることとなった。
十香が士道の胸ぐらを引き寄せたかと思うと、躊躇いを見せることなく、士道の唇に自分の唇を押し当ててきたのである。
「ん……ッ!?」
「きゃ──っ!?」
士道と、ついでにそれを目撃していた折紙の声が重なり合う。
だが十香は狼狽える様子も見せず、士道の胸倉を掴んでいた手を離した。
「……痛っ!」
臀部を強かに打ち付けてしまう。
先ほどと同じような振動と痛みが、全身を襲ってきた。
しかし士道は顔をしかめながらも、十香から視線を外すことができなかった。
──十香が纏っていた闇色の霊装が、輝く光の粒となって、風に吹かれていく。
十香はこれまで通り冷淡な、しかし何とも不思議な色を映す双眸で士道を見下ろしながら、小さく呟いてきた。
「──私を」
「え……?」
「『十香』を、あまり、悲しませるな」
十香はそう言うと、ぷつりと意識が途切れたかのように、その場に倒れ伏した。
「と、十香っ!?」
士道は慌てて、地面に倒れた十香の顔を覗き込んだ。
「ん……むぅ……」
その、穏やかな寝顔を。
顔の造り、先ほどまでと何ら変わっていない。
しかし、そこから醸し出される雰囲気が、士道のよく知る十香のそれに戻っていた。
安堵の息を吐き、立てた膝にぐったりと頭を預ける。
「五河くん、大丈夫!?」
そんな様子を見てか、折紙が駆け寄ってくる。
士道は力なく苦笑しながら、手を振った。
「何とか……っていや、さすがにこれは大丈夫じゃないか」
「そ、そうだよ! そんな大怪我……早く医療用顕現装置を使わないと!」
「ああ……そうだな。もう琴里たちは、記憶を取り戻したのかな?
六喰と十香も、裸で転がしておくわけにはいかないし、早く《フラクシナス》に……」
と。
そこで、士道は言葉を止めた。
否、半ば強制的に止めさせられた。
──不意にその場に起き上がり、士道の唇を塞いできた六喰によって。
「ぷ……っ、む、六喰!?」
「……むふ、油断大敵じゃの、主様」
士道が表情を驚愕の色に染めると、六喰はよろめきながらも不敵な笑みを浮かべてみせた。
「一体何を……」
「今、十香とキスをしておったじゃろう」
「あ……」
六喰の言葉に、士道はピクリと眉を揺らした。
てっきり六喰は、士道の言葉を受け入れてくれたものだと思っていたが、まさか、また士道を独占せねば気が済まないとでも言うのでは──
六喰は、そんな士道の考えを見透かしたように笑った。
「安心せよ。
もう……大丈夫じゃ。
士道が何をしようと、むくはもう不安がることはない。
何しろ……家族じゃからの」
言って六喰が、少し恥ずかしそうにを染める。
それを見て、士道は頬を緩めながら細く息を吐いた。
「六喰……」
「じゃが」
六喰は士道の言葉を遮るように言うと、今し方口づけを交わした唇を指でなぞってみせた。
「これくらいのスキンシップ構わんじゃろう?
家族じゃからの」
そしてそう言って、いたずらっぽく笑う。
「……ええと」
……家族って、なんだっけ。
自分で言った言葉に責任が持てるかどうか、少し不安になってきた士道だった。