「ー狂三!!」
天宮市の外れにある廃ビル。
その一室で士道は倒れ付した狂三に駆け寄る。
慎重に体を仰向け、口元に耳を近づけて呼吸があることを確認するととりあえず安堵する。
「俺に【一〇の弾】を使って疲弊したところで、大立ち回りをしてぶっ倒れた…っというところか」
「ええ、半分正解ですわ。
士道さん」
部屋の壁に蟠った影から狂三と同じ顔をした少女が歩み出てくる。
《刻々帝》で産み出された狂三の分身体だ。
狂三の分身体は複雑そうな表情で狂三の側で膝を降り、優しく頬を撫でる。
「半分正解って、どういうことだ?」
士道の問いかけに分身体は視線を戻し、一瞬だけ逡巡のようなものを覗かせる。
士道にそれを伝えてよいのかを迷ったような様子だ。
するとそんな分身体の背後から人影が姿を現す。
狂三と同じ顔の分身体である。
だが、その装いは赤と黒の霊装ではなくゴスロリ調のドレスだ。
胸元と頭部に薔薇の意匠を施され、左目に医療用の白い眼帯をつけていた。
その姿は【一二の弾】で過去に戻った時に見た狂三の姿であたた。
眼帯の狂三は躊躇する分身体の肩に手を置くと紅い隻眼で士道の目を見つめてきた。
「士道さん、あなたにそれを聞く覚悟はありまして?
何も聞かず、知らぬ振りをして、『わたくし』が目覚めるのを待てば、全ては丸く収まりますわ。
それでも、あなたは真実を知りたいと仰りますの?」
眼帯の狂三が微かに目を細めながら言ってくる。
「ああ…」
そんな狂三に士道は首肯で答える。
「ーあなたの決意に感謝を」
眼帯の狂三は心なしか嬉しそうに言うと、姿勢を正し、右手の人差し指と親指を立てて、士道を指差してきた。
まるで銃で士道を狙い撃つかのように。
そしてあまりに非現実的で荒唐無稽な言葉を告げる。
「結論から言いますとーー士道さん、あなたは既に死んでおられますの」
眼帯の狂三がそう言って弾を撃つように、士道に向けた指を上に向ける。
「それをお前が《刻々帝》の能力で改編してくれたということか」
「ええ…」
冷静に答える士道に狂三は頷くと話を続けたー。
ー2月9日の放課後。
狂三は一人、校舎の屋上からフェンス越しに天宮市の街並みを見ていた。
別に意味あってのことではない。
郷愁に駆られたり、物思いに耽っているというわけでもない。
そもそも、風景を見つめてそんなものを覚えるような感性が狂三の中に残っているか自体が怪しいものである。
無論、狂三だって、笑いもすれば怒りもする。
楽しいと思うこともあれば、悲しい時には涙も流れるだろう。
だが、人生の大半を精霊として、復讐者として、そして殺人者として過ごしてきた狂三の頭の中身が昔とまるきり同じとは到底思えなかった。
今感じる喜怒哀楽は昔のそれとは違う。
だだ、胸中にある憎悪はどれだけ時を経ても変わることはない。
「……」
既に日は傾きかけ、ビル群に飲み込まれるのも時間の問題だろう。
詳しい時間はわからないが、そろそろ約束の時間であることはなんとなく解る。
「……待ちわびましたわ」
狂三は、フェンスに指を掛けながら、小声でそう呟いた。
するとそれに応えるように、狂三の足元に蟠った影の中から、くぐもった声が聞こえてくる。
『……ねぇ、わたくし。
本当に、よろしいんですの?』
「何を、世迷言を」
分身体の言葉に、狂三は視線を鋭くしながら返した。
「今さら後戻りはできませんわ。
幾千幾万の命を喰らい、ここに立っている意味を知ってくださいまし。
私は、士道さんを……殺しますわ。
それが、わたくしが世界を作り変える唯 一の方法でしてよ」
狂三が言うと、しばしの無言のあと、影の中から先ほどとは別の分身体のものと思わしき声音が響いてきた。
『今の「わたくし」は「よろしいんですの」としか言っておりませんでしたけれど、一体何を思いましたの?』
「…………」
狂三は分身体の物言いに眉を歪めると、靴の踵で自分の影を強く踏みつけた。
するとそれと入れ替わるように、鼓膜が扉が開く音を捉える。
どうやら、士道がやってきたようだ。
狂三は気を取り直すようにふうと息をは 吐くと、ゆっくりと屋上の入り口の方へと振り向いた。
「──あら」
そこには狂三の予想通り、士道の姿があった。決意と緊張に表情を強ばらせながら、狂三を見つめてきている。
「うふふ、ようこそ。
よくいらしてくださいましたわね、士道さん」
狂三は頬を緩めながらそう言うと、スカートの裾を摘みながら恭しくお辞儀をする。
そんな狂三に士道はの落ち着いた様子である。
と、そこで狂三は士道の後方を見る。
今し方士道がやってきた扉。
それが微かに動いた気がしたのだ。
ーどうやら士道のことを心配した十香達が様子を見に来ているようだ。
仕方ながないとはいえ、信用のないことである。
狂三は自嘲気味にため息を吐いた。
するとそれに合わせるように、士道が口を開く。
「狂三。約束通り来たぞ」
狂三を真っぐに見据える瞳には、確固たる意志の輝きが灯り、彼の覚悟をありありと示している。
士道と出会ってからまだ一年も経っていないけれど、随分逞しさが増した気がした。
思わず頬を緩める。
「──少し、変わりましたわね、士道さん」
「そうかな?」
「初めて会ったときよりも、顔つきが大人びている気がしますわ。
修羅場をくぐってこられたのですから、当然かもしれませんけれど。
うふふ……素敵になられましたわね」
「……からかうなよ」
士道が照れるように返してくる。
夕陽の中にあっても、その顔に朱が差していることははっきりと見て取れた。
そういう可愛らしいところは、まだ変わっていないらしい。
「それより、教えてもらおうか。
朝の話の続きを。
おまえの霊力を封印する条件ってやつを」
「…………」
士道の言葉に、狂三は笑った。
それは敵意がないことを示す表情ではあったのだけれど、もしかしたら自身の優位性や余裕を示す結果になってしまったのかもしれなかった。
士道が、緊張した面 持ちでこくんと喉を鳴らす。
「ええ、ええ。ではお話ししますわ。わたくしは──」
──と。
狂三がそう言いかけた、次の瞬間。
狂三の視界が大きく揺れた。
士道が自分の体を押したのだと気づく。
「え……?」
突然のことに、一体何が起こったのかがわからず、呆けた声が喉から漏れる。
「狂三、無事か?」
瞬時に擬似霊装を展開した士道が空から飛来した少女の振るうレイザーブレイドを白羽取りしていた。
それを振るうのは白金の鎧を身につけた金髪の少女ー魔術師、エレン・メイザースである。
「おいおい、無粋な真似をするなよ…っぐ!」
魔力を纏った両腕をクロスしてレイザーブレイドを受ける士道。
その顔が苦痛に歪む。
見れば脇腹から血が流れて、床に血溜まりを作り始めている。
『異能殺しか…』
以前にウェストコットから異能殺しの銃弾を喰らった時ほどではないにせよ、魔力が暴走する激痛が全身を襲う。
膝をつく士道。
次いで喀血。
その口から夥しい血が吐き出される。
瞬間、閉じられていた屋上の扉が、勢いよくバンと開かれた。
「シドー!」
「士道……!」
扉の向こうで聞き耳を立てていた精霊たちが、慌てて駆け出してくる。
血を吐く士道によほど動揺したのだろう。
走る精霊たちの身体に淡い光が纏わり付き、限定霊装の形を取っていった。
だが──
「──ふん」
エレンはそんな精霊たちを嘲るように一瞥すると、左手を掲げた。
するとユニットの一部から、何枚もの紙が射出され、エレンと士道を取り囲むように宙に舞った。
そして次の瞬間、その紙の中から、同じ貌をした何人もの少女たちが姿を現す。
「……っ!?」
それはまるで、影の中から狂三の分身体が姿を現すかのような光景。
霊装のような衣を纏った少女たちが、消し炭色の髪をなびかせながら、精霊たちの行く手を阻むように立ちはだかる。
「はぁい」
「悪いけど邪魔はさせないよ」
「まあどっちかっていうと邪魔してるのはあたしたちだけどね」
「な……ッ!? 何よこいつら!」
「狼狽。
何者ですか」
八舞姉妹が驚愕の声を上げ、天使《颶風騎士》を構える。
十香と折紙も同様に、その手に顕現させた天使を振るい、少女たちに攻撃を仕掛けた。
「退けぇぇぇッ!」
「ふ──ッ」
が──少女たちは避けなかった。
その顔に薄ら笑いを浮かべたまま、《鏖殺公》の斬撃を、《絶滅天使》の砲撃を、真正面から受ける。
無論、そんなことをすればただで済むはずはない。
少女たちの身体は袈裟懸けに切り裂かれ、或いは風風を開けられる。
しかし、少女たちは苦悶を漏らすどころか痛みに顔を歪めることさえなく、笑う。
そしてその隙を衝いて、別の少女たちが、十香の剣に、折紙の羽に、次々と組み付いていく。
「……!」
狂三は思わず表情を歪めた。
──見たところ、少女たちはその身に霊力を帯びてはいるものの、十香たちを相手取れるほどの力を持っているわけではない。
だが、問題はその数。
そして個の死を恐れぬ総体としての力である。
彼女らの正体はわからなかったが、同じく『数』を武器として立ち回る狂三には、その厄介さが痛いほどによくわかった。
「──『わたくしたち』!」
それを理解した瞬間、狂三は叫んでいた。
それに応えるように屋上の床に狂三の影が広がっていき、その中から、夥しい数の『狂三』が姿を現す。
そして『狂三たち』は主の意に応え、十香たちの行方を阻む正体不明の少女たちに組み付いていった。
別に、十香たちを助けたかったわけではない。
だが、このまま放っておいては、エレンに士道が殺されてしまうだろう。
士道の身に封印された霊力を求める狂三にとってそれは、許容しがたい事態であったのだ。
「きひひ、ひひひひひ!」
「それは、わたくしたちの専売特許でしてよ?」
「あはは、何これ」
「へえ、あんたが
うわさ 噂に聞く《ナイトメア》? 想像以上に気色悪ーい」
『狂三たち』と少女たちが入り交じり、学校の屋上が修羅場と化す。
が、それだけでは足りなかった。
分身体にできるのは、少女たちの相手までである。
狂三は影から短銃を抜くと、士道の背に足を乗せるエレンにその銃口を向け──
「────ッ!?」
引き金を引こうとした瞬間、その腕が 綺麗に切断され、宙に舞うのを見た。
エレンからの攻撃ではない。
いつの間にか狂三のすぐ側に、もう一人の魔術師が現れていたのである。
「させないよ、《ナイトメア》」
「……っ、アルテミシア・アシュクロフト……!」
狂三は顔を歪めると、その金髪の少女の名を忌々しげに呼んだ。
レイザーブレイドで切断された腕に凄まじい痛みが生じる。
狂三は奥歯を噛み締めそれに耐えながら、アルテミシアの追撃を紙一重で避けた。
数十秒と経たず、平和な学校の屋上が戦場と化す。
もはや周囲で何が起こっているのかを把握することさえ困難だった。
連続して繰り出されるアルテミシアの剣閃を避けるのに精一 杯で、【四の弾】を放つ間さえない。
だがその只中で、一つだけ確かなことがあった。
士道の命が、今まさに摘み取られようとしているということである。
「──終わりです」
静かに無慈 悲にそう言って。
エレン・メイザースが、剣を振り下ろした。
「やめろぉぉぉぉぉぉッ!」
十香の絶叫が、戦場に響き渡る。
だが、エレンの手は止まらない。
濃密な魔で編まれた刃は、いとも容易く、士道の首を切断した。
「────」
夥しい血が溢れて。
強ばっていた士道の手足から力が抜け落ちる。
そして必死に傷口を塞ごうと、士道の 胸元に揺らめいていた《灼爛殲鬼》の炎が、ゆっくりと消えていった。
まるで、士道の命の灯火が消えたことを示すかのように。
「あ──────」
その光景を目にした精霊たちが、呆然と天使を取り落とす。
顔が蒼白になり、指先が小刻みに震え始める。
悲哀。 喪失。無力感。いくら言葉を並べようと言い表せないほどの感情が、彼女らの中で荒れ狂っているのがありありとわかる。
有り体に言うのであれば──絶望に、満ちていた。
「はッ!」
「ぐ──」
幾度目とも知れないアルテミシアの攻撃を避け、狂三は悔しげに歯がみしながらも影の中へと潜っていった。
「……はぁ……っ、はぁ……っ」
影の中を移動し、狂三はようやく外界へと顔を出した。
先ほどまでいた来 禅高校が一望できる高台である。
公園のように整備されていないため足場は悪いが、辺りに人影がないため今はむしろ好都合だった。
「大丈夫ですの、『わたくし』」
影の中から分身体の一人がぬっと顔を出し、心配そうに言ってくる。
するとそれに次いで別の分身体が、先ほどアルテミシアに切断された右腕を持って影から這い出てきた。
「『わたくし』、これを」
「……ええ」
狂三は額に 脂汗を浮かべながら応えると、残っている左手で影の中を探り、『弾』を装填した《刻々帝》の短銃を取り出した。
「《刻々帝》──【四の弾】」
そして唱えるように言い、自分のこめかみを撃ち抜く。
瞬間、まるで時間を巻き戻すかのように、切断された腕が宙を舞い、狂三の右腕の先に貼り付いた。
「……!」
と──狂三が元に戻った手を握ったり、開たりしていると、にわかに視界の先が明るくなった。
来禅高校の屋上。
その上から凄まじい閃光が幾条も迸り、天を、地を灼いていったのである。
断続的に響く轟 音。
一瞬にして崩れ落ちる校舎。
そこでようやく町中にけたたましい警報が鳴り響くが、もはや手遅れである。
瓦礫と化した校舎を中心とし巨大な竜巻が巻き起こり、辺りの建物を次々と破壊していったかと思うと、次いでその中心部から放射状に闇を 凝縮したような漆黒の光線が迸り、見渡す限りの風景を焦土に変えていった。
「あれは……」
「十香さんたちが戦っていますの……?」
分身体たちが訝しげな顔をしながら光の方向を見やる。
しかし狂三は気づいていた。
あれがただの霊力光ではないことに。
これだけの距離を取っているというのに、肌がちりつくような錯覚。
絶望。憤怒。憎悪。
あらゆる負の感情を抜き身のままぶつけられるかのような感覚。
たとえ士道から霊力が逆流したのだとしても、このような現象は起こり得まい。
単純な霊力量の多寡の問題ではない。
そもそもの『質』が、全く別種のものに変貌している。
そう。言うなれば、プラスの値を、そっくりそのままマイナスにしたかのような状態だ。
その現象には覚えがあった。
眉間に深い皺を刻みながら、呻くように声を漏らす。
「反転──してしまいましたのね」
「……!」
狂三の言葉に、分身体たちが息を詰まらせる。
間違いない。
あの場にいた精霊たち──十香に、折紙に、八舞姉妹。
全員が反転精霊となってしまったのである。
だがそれも無理のない話ではあった。
何しろ、目の前で士道の首を飛ばされたのだ。
彼女たちの絶望がいかばかりか、想像に難くな──
「ふ──っ」
「……っ」
狂三の思考を遮るようにそんな声がして、狂三は思わず息を詰まらせた。
見やると、影の中から新たな分身体が顔を出していることがわかる。
否──それだけではなかった。
その分身体は、真っ赤な血に濡れた士道の亡骸を抱きかかえていたのである。
「『わたくし』、それは……!」
「ええ、ええ…… 間一髪でしたわ。
あのままにしておくのも気が咎めまして」
そう言って、分身体が士道の亡骸を地面に横たえる。
「…………、【四の弾】」
狂三はしばしの間無言になったのち、手にした銃で士道の身体を撃ち抜いた。
先ほどの狂三の腕よろしく、胴体と離ればなれになっていた士道の首がきれいに繋がり、脇腹に出来た銃創が塞がっていく。
しかし──それだけだ。
士道は目を閉じたまま、声はおろか息一つしはしなかった。
確かに【四の弾】は時間を戻す弾。
実際、士道の身体は生前の状態へと戻っていた。
しかしながら、一度失われてしまった命を取り戻すことまではできなかったのである。
「…………」
心を落ち着けるように深呼吸をし、これから何を為すべきか考えを巡らせる。──安らかに眠る士道の亡骸と、視界の先で広がる、世界の終わりのような光景を眺めながら。
だが。
しばしの無言のあと喉から漏れたのは、
「わたくしは……失敗、しましたの……?」
そんな、諦観に いろど 彩られた言葉であった。
──つい数分前までは、上手くいっていたはずだったのだ。
狂三は血が滲まんばかりに拳を握りしめた。
士道の力を手に入れ、【一二の弾】で以て三〇年前に舞い戻り、始原の精霊の存在を『なかったこと』にする。
そうすれば、すべ 全てが報われるはずだったのだ。
狂三の歩んだ幾千の月日が。
狂三の足元に横たわる幾万の命が。
それが、瞬きをするような僅かな時間で、全て無に帰した。
無に──された。
憎き魔術師、エレン・メイザースの手によって。
「あ……ああッ!」
激情に任せて、狂三は繋がったばかりの右腕で地面を殴りつけた。
超然とした狂三の行動に、分身体たちが肩を震わせる。
しかし、今の狂三に、そんな分身体たちの反応を気遣う余裕などはなかった。
幾度も、幾度も、拳を地面に叩き付ける。
望みを、絶たれた。
希望を、打ち砕かれた。
──士道を目の前で殺されるという、最悪の手段で以て。
「……っ」
そこまで考えて、息を詰まらせる。
狂三の胸のを筆舌に尽くし難い憎悪が荒れ回っているのは無理からぬことである。
何しろ生涯をかけた目的へと至る道を 。
しかも、その因縁の起作った女に。
それこそ、年若い狂三であったなら、十香たちと同様に反転していてもおかしくない絶望的な状況である。
だけれども。
狂三は、そんな憤懣の中に、別の感情が交じっていることに気づいてしまったのだ。
嗚呼──そうだ。
狂三は愕然と目を見開きながら、血と土埃で汚れた手で額を覆った。
狂三は、目の前で士道が殺されたことが、悔しくて悔しくて仕方がなかったのだ。
悲しくて悲しくて──仕方がなかったのだ。
頭がぐるぐると混乱する。
自分で至った答えのはずなのに、意味がわからない。
途方もない矛盾。
狂三は士道を殺そうとしていたのに、なぜそんなことを思ってしまったのだろうか。
「士道……さん……」
脳裏を、様々な記憶が駆け巡る。
そのたび頭の中で様々な感情がない交ぜになって、狂三の思考を掻き乱した。
士道。五河士道。精霊を愛し、精霊に愛された少年。
時崎狂三を前にしても、恐れを乗り越え、手を差し伸べてみせた人間。
そこで狂三はようやく気づいた。
士道との勝負に──負けてしまっていたことに。
『ならばわたくしが取るべき方法は…』
一つしかない。
そう思い至った、狂は《刻々帝》の名を唱えていた。
その言霊に応えるように巨大な時計盤が影の中から姿を現す。
狂三の天使ー《刻々帝》。
それが持つ能力は文字盤の数と同じく十二。
対象を加速させる【一の弾】。
対象の時間の進みを遅くする【二の弾】。
対象を成長させる【三の弾】。
対象の時間を巻き戻す【四の弾】。
僅か先の未来を見通す【五の弾】。
対象の時間を止める【七の弾】。
過去の自分を再現する【八の弾】。
異なる時間軸にいる相手と意識を繋ぐ【九の弾】。
撃った対象の記憶を伝える【一〇の弾】。
精霊の霊力を直接喰らい、時間を越える【一一の弾】と【 一二の弾】。
そして… 「……【六の弾】」
狂三は額に汗を滲ませながら、鬼気迫る笑みを浮かべた。
【六の弾】。
これを使えばこの結末を変えられるかもしれなかった。
それは、希望と呼ぶにはひどく薄弱なものであったけれど──狂三を再度奮い立たせるには十分に過ぎるものだった。
けれど。
狂三はまだその代償を払い終えてはいない。
正確に言うのであれば──狂三の目的を達するためには、今以上の犠牲が必要だった。
「──『わたくしたち』」
狂三が静かに声を上げると、ずらりと並んだ分身体たちが、一瞬でその意図を解したようにうなずいた。
そして、宣告する。
「士道さんのために──死んでくださいまし」
すると分身体たちは、全ての意図を察したように笑った。
「ええ、ええ、喜んで」
「さあ、さあ、参りましょう」
「もとよりこの身は仮初めの命」
「存分に使い潰してくださいまし」
「この命が『わたくし』の礎になるならば」
「士道さんを救うことができるならば」
「喜んで彼岸へと参りましょう」
「今さら可笑しなことを仰いますわ」
「『わたくし』もわたくしなれば」
「断ることなどありえないとわかるでしょうに」
「くすくすくす」
「くすくすくす」
分身体たちが、楽しげに笑う。
きっとだれ誰も無事では済むまい。
きっと誰も生き残るまい。
しかし彼女らの顔に、陰りは一欠片も見えなかった。
狂三は苦笑した。
自分と同じ貌をした少女たちの姿が、この上なく頼もしく、誇らしく思えて仕方なかったのである。
──こういうのも、ナルシシズムというのだろうか。
「──ならば。
わたくしに付いてきてくださいまし、
『わたくしたち』。
この、先のない死出の旅に」
そして狂三は銃を握った右手を掲げると、高らかに唱えた。
この世界を作り変える可能性を持つ、もう一つの『弾』の名を。
「《刻々帝》──【六の弾】」
狂三は『弾』の 込められた銃を自分のこめかみに突きつけると──分身体たちに笑みを向けながら、引き金を引いた。
「俺が……一度、死んだ?」
眉根を寄せながら、士道は声を絞り出すように言った。
それを己の口で認めることで、自分の命を否定してしまうかのような錯覚さえ覚えた。
が。
眼帯の狂三はそんな士道の言葉に、ゆっくりを首を横に振った。
「いいえ。
その言葉は正確ではありませんわ」
そして士道の目を見据えながら、続けてくる。
「──二〇四回」
「え……?」
「それが──この六日の繰り返しの中で、士道さんがDEMインダストリーの手にかかった回数ですわ」
「────」
今度は、声さえ出なかった。
二〇四。
予想外の数字に、しばし呆然とする。
構わず、眼帯の狂三が続けてきた。
「わたくしたちも気を張っていたのですけれど……げに恐ろしきは魔王《神蝕篇帙》ですわ。
巧妙にこちらの隙を衝き、創意溢れる工夫を以て、士道さんの命を刈り取りに来ましたの」
「おいおい、待てよ。
そんな──」
馬鹿な、と言いかけて、士道は言葉を止めた。
方法は違えど、士道はかつて、狂三の手によって時間を遡 行し、歴史を改編したことがある。
如何に荒唐無稽な話であろうと、士道にそれを否定することはできなかった。
それに何より──
「…………っ」
士道は気を失った狂三の顔を見やった。
いつも超然とした彼女からは考えられないくらいに疲弊した、その顔を。
たとえ士道の持つ霊力が目的であったとしても、狂三が大きな犠牲の上に士道の命を救ってくれたことが事実であるなら、それは、士道が発してよい言葉ではなかったのだ。
そんな士道の思考を察したのだろう。
眼帯の狂三が隻眼を 伏せながら小さく首肯する。
「『わたくし』はそのたび、【六の弾】を使って過去へと意識を飛ばしましたわ。
何度も、何度も。──無論、 時を超えるのは意識のみ。
使用した時間や死んだ分身体も、もとの状態に戻りますわ」
ですが、と眼帯の狂三が息をは吐く。
「常に心を張りつめ続け、幾度も幾度も同じ時を繰り返した『わたくし』の精神は、限界を迎えつつありましたの」
言って、眼帯の狂三が狂三の髪を優しく撫でる。
「だから──お願いです、士道さん。
今だけは、『わたくし』を、休ませてあげてくださいまし」
「…………」
士道は無言のまま息を吐くと、再び眠る狂三に視線を落とした。
その貌は相変わらず美しく──しかしどこか、弱々しく儚げに見えた。
理解は……できる。
狂三の目的を達するためには士道の身体に封印された霊力が必要不可欠であり、DEMによって士道が殺されることは絶対に避けねばならない。
狂三が何度もトライアンドエラーを繰り返し、士道を救ったのも道理ではある。
けれど、一つわからないことがあった。
狂三の閉じられた目を見つめながら、 呟くように声を零す。
「なんで……おまえは、すぐに俺を『喰おう』としなかったんだ……?」
そう。それが、士道には不可解だったのだ。
確かに士道には精霊たちや《ラタトスク》が付いている。
如何に狂三とはいえ、そう簡単にことを成せはしないだろう。
だが、狂三は【六の弾】で以て、何度も同じ時を繰り返していたというのである。
士道の隙を衝くことは不可能ではなかったはずだ。
しかし、狂三はそれをしなかった。
最初に交わした約束を守り、デートをして──己の秘密を全て明かしてまで、士道に理解を求めてきた。
士道に──助けを求めてきた。
普段は見せない寝姿を士道に晒すくらいにまで、精神を疲弊させながらも。
「……士道さん」
眼帯の狂三が、口元を緩めながら士道に視線を寄越してくる。
「野暮なことを聞かないでくださいまし。
『わたくし』は──」
──と。
眼帯の狂三が言おうとした瞬間、横たわっていた狂三の手が動いたかと思うと、その手に短銃が現れ、銃弾が放たれた。
漆黒の影を固めたような弾は眼帯の狂三の脇を掠め、壁に弾痕を刻んだ。
一瞬あと、眼帯の狂三が驚いたように目を丸くする。
「……わたくしが眠っている間に、随分と喋りを楽しんだようですわね、『わたくし』」
狂三が半眼を作りと身を起こす。
側に控えていた分身体が心配そうに手を差し伸べるが、それを無視して立ち上がった。
「……失礼しましたわね、士道さん。
年若い『わたくし』が、粗相をいたしましたようで」
狂三がふらつきを抑えるように額に手を当てながら言ってくる。
その言動はいつもの狂三のように余裕に溢れたものだったのだけれど──士道には、それが強がりのように聞こえて仕方がなかった。
思わず狂三を支えるように手を伸ばしてしまう。
「狂三──」
「……っ」
狂三は士道の手を避けるように後ろに退いた。
しかし、その表情に嫌悪のようなものは見て取れない。
どちらかというと──そう、その手に触れることを恐れているかのような様子だった。
狂三はそんな自分の表情に気づいたかのようにと肩を揺らすと、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「──勘違いをしないでくださいまし、士道さん。
わたくしが士道さんを助けたのは、その身に封印された霊力が失われては困るからですわ」
「あ、ああ……わかってるよ」
気圧されるように士道が答えると、狂三は身を翻し、士道に背を向けた。
「……興が削がれましたわ。
今日はここまでにいたしましょう」
「─おい、狂三!」
士道は叫びながら手を伸ばしたが── 狂三はそのまま、分身体たちとともに影の中へと消えていってしまった。
「……っ、狂三──」
士道はしばしの間、狂三が消えた床を見つめたのち、拳を握った。
狂三。
時崎狂三。
誰よりも恐ろしく、誰よりも冷酷で──誰よりも、優しい少女。
幾度となく彼女に救われた少年は、ゆっくりと顔を上げた。
その双眸に、決意の光を灯しながら。
「今度は……俺がおまえを、救う番だ……ッ!」