デート・ア・ライブ~救世の魔法使い~   作:灰音穂乃香

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久々の投稿です


第九十話 『二度目のデート』

 

 打てるだけの手を全て打ち、石橋を叩き過ぎと言っても過言じゃないほどの対策を立てて迎えた二月十九日、朝。

 天気は快晴。

 精霊達の死という絶望的な未来を書き換える事が士道の目的である。

 無論、令音にデートを楽しんでもらって士道に惚れさせる。

 最低でも心を開いてもらわねばならない…。

 

『そろそろ時間ね。

 さっき令音も《フラクシナス》を出たわ。

 もうすぐそちらに着くはずよ。

準備はいい?』

 

琴里の声が首元の骨伝導通信機から聞こえてくる。

 インカムの場合だとこれまで精霊攻略に参加していた令音に気づかれる可能性があるため使用することになったのだ。

 

「…ああ」

 

囁くような声で返すと息を吐いた。

 令音に心を開いてもらうには自分も楽しまねばいけない。

 だがそれはさほど難しくないだろう。 

士道の中には澪に呼び起こされた崇宮真士の記憶がある。

 そして真士も令音…澪の事を愛していたのだから…。

 

『大丈夫ですマスター、皆のサポートを信じましょう』

 

『ああ…』

 

《オーディン》の言葉に小さく頷く令音が此方へと向かってくるのが見えた。

 

 当たり前ではあるが普段の軍服や白衣とは違った白のワンピースにコートといった出で立ちだ。

 普段大雑把に纏められている髪は綺麗に結い上げられていて、唇にも薄くリップが引かれていた。

 

 「…やぁ、待たせたね」

 

「いえ、俺も今来たところです。

 …しかし普段、そういう格好を見たことがなかったですし…思わず見惚れてしまいそうです…」

 

「……ふむ?」

 

 士道がいうと、普段眠たげな双眸が僅かに見開いた……気がした。

 

「……そうか。

ふむ、そうか」

 

顎に手をやりながら、小さく呟く。

 表情にはあまり変化が見られないが、心なしか喜んでいるような気がした。

 

「…君の装いもなかなかに素敵だよ」

 

「あ…ありがとうございます」

 

予想外の反撃礼に頬を掻く士道。

 

実を言えば今日の装いは、昨晩精霊たちが意見を出し合って選んでくれたものだ。

 褒められて気恥ずかしかったのもないことはないが、どちらかといえば皆の努力が結実してくれたことへの喜びの方が大きい。

 

「…さて、それで、シン。

 今日はどこへ行くんだい?

 随分と大荷物のようだが……」

 

令音が、士道の携えたキャリーバッグを見ながら問う。

 だがそれも無理からぬ事だ。

士道の荷物はまるでこれから小旅行に出かけるような大きさである。

 少なくとも、総力戦前日の気分転換に赴く支度とは思えない。

 

「行き先は着いてからのお楽しみです」

 

イタズラっ子の様に人差し指を唇に当てた後、士道は手を差し出す。

 

「せっかくのデートです、手をつなぎましょう」

士道の言葉に令音は一瞬だけ目を丸くしたのち、小さく微笑む。

そして士道の手を優しく握り返す。

 想像よりも小さきく、力を入れれば折れてしまいそうな手を引いて士道は街を歩いていく。

― 精霊たちの、そして士道の未来をかけた戦争の、始まりであった。

 

 天宮駅を出発したタクシーは、高速道路を走り、山を超え、目的地へとたどり着いた。

 

「こちらでよろしいですか?」

 

バックミラー越しに確認してくる運転手に首肯しながらサイフを取り出す。

 

「はい、ありがとうございます」

 

料金メーターを確認しながら必要な紙幣を取り出す。

 そこで零音が囁くような声を上げてきた。

 

「……出そうか? 結構な金額だが」

 

「いえ、ここは俺が」

 

「…だが」

 

「良いんですよ、少しは格好つけさせて下さい」

 

「…ん、そうか。なら任せよう」

 

 笑いながら言うと令音は素直に引き下がる。

 あまりしつこくすると、士道の面子を潰せ潰してしまうと考えたのだろう。

 手早く支払いをす済ませると、先に車を降り、令音をエスコートするように手を差伸ばす。

 

「足元、気を付けてください」

 

「…ああ、ありがとう」

 

令音は士道の手を取り車を降りると、そこにあった巨大な建物に目を細める。

 

「…ここは旅館かい?」

 

「はい」

 

令音の問いかけに首肯で答える。

 

そう、此処こそが一晩掛けて皆で考えたデート場所である。

 皆の総意して、令音に何よりも必要なのは『癒やし』ではないかという結論が導き出されたのだ。

 

〈フラクシナス〉内で最も働いてるのは恐らく彼女であるし、来禅高校の教師としての仕事もある。

 それを差し引いても彼女は三十年間、一つの目的の為に邁進しているのだ。

 精霊といえども疲弊しないわけが無い。

実際に彼女の両目には立派な隈が認められるし、常に眠たげな雰囲気を漂わせていた。

 温泉を始めとする様々なリラクゼーション設備で令音の溜まった疲労と倦怠を取り除く。

 それが出来れば頑なな心もおおらかになるのではないか…と言うのが士道の主な狙いである。

 無論、彼女の強固な決意と覚悟が、それだけでなんとかなるとは微塵も思っていない。

 重要なのは士道がここで何をするかだ。

 士道がそんな事を考えていると令音が旅館の外観を眺めつつ言葉を零す。

 

「…そういえば、今日のことは精霊たちに内緒だったね?」

 

「はい、二人だけの秘密です」

 

即座に返すが、本当は知ってるどころか絶賛モニタリング中である。

 すると令音は「…ふむ」と呟いた後、言葉を零す。

 

「…そうか。何だか不倫旅行のようだね」

 

「はは、言われてみればそうですね」

 

苦笑しながら返す。

 リラクゼーション目的ではあるが、言われてみればわからなくもないロケーションだ。

 

「まぁ、とにかく明日の戦いまでには帰れるように予定を組んであります」

 

士道は言うと、令音の手を握る手に軽く力を込めた。

 

「だから今は思いっきり、羽を伸ばしましょう」 

 

「……」

 

令音は士道の目を見返すと、

 

「…そうだね、では、お言葉に甘えるとしよう」

 

言って士道の手を握り返してくる。

 

それほど強くない力で…だが、こちらへの信頼と信愛が伝わってくる感触。

 思わず抱きしめたくなる愛おしさを抑えつつ、令音の手を引いて旅館へと入る。

 

『いらっしゃいませ』

 

女将を始めとする旅館の従業員達が、恭しく礼をしてくる。

 

士道はそれに会釈で返すと、フロントで手続きを済ませ、仲居の案内に従って部屋へと歩いていった。

 

「大浴場は1階、各種施設はこちらの案内をご覧下さい。

それではごゆるりと」

 

 仲居が礼をして、部屋を去っていく。

それを見送った後、部屋の内観を見回す。

部屋専用の小さな露天風呂がついた20畳ほどの和室だ。

 高校生が取るには少々豪華すぎる部屋だ。

 士道も実際に部屋を見るのが初めてだったので思わず感嘆の声を上げてしまった。

 

「…ん、いい部屋だね」 

 

「ええ、そうですね」

 

答えると、部屋にあった旅館案内の冊子を手に取る。

 大浴場、岩盤浴、エステ、マッサージ…軽く眺めただけでも、様々な施設が館内には存在するのがわかった。 

 

「令音さん、折角ですから昼食前に、そこの露天風呂に入ってみませんか?」

 

「…ん? ああ、そうだね。

しかし、私は着替えを持ってきていないのだが」

 

「大丈夫です」

 

士道が親指を立て、持参したキャリーバックを開くと中から小型のボストンバッグが顔を出す。

 

「…、これは」

「一つは俺の、もう一つは鞠亜と鞠奈に用意してもらった令音さんの荷物です。

 

諸々の化粧品、着替え、下着類、あと、混浴用の水着です」

 

「…用意してもらうとき二人から小言を言われなかったかい?」

 

「…それはもうたっぷりと」

 

士道は苦笑を浮かべながら首を竦める。

 

「…さて、では入ろうか。

 タオルは備え付けのものを使えばいいかな。

温泉は久々だから楽しみだよ」

 

言って、令音がおもむろに服を脱ぎ始める。

 

さしもの士道もこれには面食らったようで慌てて目を瞑る。

 

「令音さん、ちょっと待ってください、俺は向こうに行きますから…」

 

「…ん?

私は別に構わないが…

今から一緒に入ろうというのに何を照れてるんだい?」

 

令音はキョトンとしていたが流石にそういう訳にもいかず、士道は自分の荷物の詰まったボストンバッグを掴み、隣の部屋と移るとバックから水着を取り出し、手早く着替えを済ませた。

 

…自立カメラが映像を撮っているはずなので、一応、腰にタオルを巻きながらだ。

 すると直ぐに、障子の向こうから令音の声が聞こえてきた。

 

「…シン、開けてもいいかい?」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

露天風呂に入るには、士道のいる部屋を通らねばならない。

 

士道は畳んだ服を椅子の上に置きながら、そう返した。

 すると、それに応じるように障子度が開いていき―

 

 「ーんな…ッ!?」

 

次の瞬間、士道は目を見開き、息を詰まらせる。

 だがそれも当然と言えよう。

何故ならば障子の向こうに立っていたのは、小さなタオル1枚のみを持った、一糸纏わぬ令和だったからである。

 あまりにも美しい裸体。

興奮を憶えるよりも先に、畏敬や神々しさを覚えてしまう程に…。

 

「…っ」

  

いきなりの事態に士道は声を上げるのも目を瞑るのを忘れ、暫しその艶姿に見入っていた。

 

「―そうですね。

二人ですしね」

 

 しかし、直ぐ様気持ちを入れ替えると手にしていたタオルを翻し、体の前に垂らした状態で一気に水着を脱ぎ捨てた。

 

フラクシナスとの通信用の小型インカムの向こうが何やら騒がしいような気もするが恐らく気のせいだろう…。

 

「じゃあ、入りましょうか」

 

「…ああ」

 

二人は頷き合うとそのまま部屋の外に出た。

 ガラス戸に遮られていた寒気が、二人を包む。

 風呂桶で簡単にかけ湯をしてから湯船に浸かると、冷えた身体に温かい湯が染み渡る。

 

 「あー…」

 

「……ふむ、いい湯だね。

それに景色もいい」

 

「ですね、雪も残って…ッ!?」

 

令音の言葉に同意を示しながら辺りの景色を眺めようとした士道は大きく咳き込む。

 

 理由は簡単である。

景色よりも先に、令音の乳房が湯船に浮かんでいるのを目撃したからだ。

 士道の反応と視線に気づいたのか、令音がゆっくりと視線を下にやり、また上に戻す。

 

「…ああ、すまないね。

どうも浮いてしまうんだ」

 

「いえ、コチラも中々良いものを拝めて眼福です」

 

 とりあえず、ありがたいものを目にした気がして、手を合わせて拝んでおいた。

 ともあれ、露天風呂に二人切りである。

 距離を縮めるにはこれ程適したロケーションはないだろう。

まぁ、そもそもある対度親密でなければ、二人きりで温泉になど浸かるまいが。

 

士道は動悸を抑えつつ、何気ない素振りで話を始める。

 

「―そう言えば令音さんって、いつ頃から〈ラタトスク〉にいるんですか?」

 

「……そうだね。今から五、六年ほど前になるかな。

 琴里が司令官に着任したのとだいたい同じくらいだよ」

 

「そうですか。

……なんか、ありがとうございます」

 

「…何がだい?」

 

士道の言葉に令音が不思議そうに首を傾げる。

 

「いや、琴里をずっと支えてくれていた訳ですし。

あの頃―琴里、大変だったと思うんで」

 

それは、偽りない士道の本心だ。

琴里が〈ラタトスク〉に見出されたのは、彼女が精霊化してしまった直後だからだ。 

 そんなとき、頼れる存在ができた事は大きかっただろう。

 

「…大したことしてないさ。

私などいなくても、きっと彼女はいい司令官になっただろう」

 

「まぁ、琴里が優秀って所は否定しませんが」

 

冗談めいた士道の言葉に、インカムの向こうから小さく噎せるような音が聞こえた。

 

「その前は何を?」

 

「…その前、かい。

妙な事を聞きたがるね」

 

士道の問いに、令音は小さな水音を伴い視線を士道に向ける。

 士道は視線から逃げずに答える。

 

「―はい。

よくよく考えてみると俺、令音さんの事を全く知らないので、もっと知りないと思いまして」

 

 

「……」

 

令音は士道の言葉に暫しの間無言になった後、小さく息を吐く。

 

「…別に、面白いことは何もないよ?」

 

「それでも構いません」

 

士道が頷きながら答えると、零音は目を伏せながら続けるた。

 

「…その前は、普通に学生さ。

 特筆すべきこともないが-ある日〈ラタトスク〉からスカウトを受けてね。

どうも、私が書いた空間震に関する論文が上層部の目に止まったらしい」

 

「その時点で普通じゃない気もしますけどね…」

 

『そう言えば、令音さんって今何歳なんだろ?』

 

 苦笑いしながらそんな事を考える。

 精霊である以上、実年齢など大した意味がないことも承知している。

とはいえ今語った昔話が出任せで無いこともなんとなく解っていた。 

 頭のいい令音の事だ〈ラタトスク〉に入るために偽の経歴を用意するくらい訳ないだろう。

 全ては、無関係な人間として士道と出会う為。

 -『村雨令音』としての人生を、作り上げたのだ。

 

「…、もっと聞きたいです。

 令音さんのー昔の話」

 

「…それは、構わないが」

 

士道が問うと、令音は滔々と語り始める。

 幼い頃に両親と死別したこと。

 少ないながらも、仲の良い友人と過ごしたこと、学生時代は科学部に所属していた事。

 常に寝不足で青白い顔をしていたため、昔のあだ名が吸血鬼だったこと-

多少の冗談や誇張もあったが、紛れもなく『祟宮澪』ではない人間の歴史だ。

 

「…と、まぁ、そんなところさ。

 -退屈だろう」

 

 「そんな事は無いです」

 

首を横に振る士道。

 退屈なんて事は少しもない。

 むしろもっと、彼女の人生の話を聞きたかった。

 

特に、令音の話には、重要な点が抜けていた。

 

「もう一つだけ…いいですか?」

 

「…ん、なんだい?」

 

令音が先を促すように言うと士道は彼女の目を見つめながら続けた。

 

「令音さんは-好きな人とか、いたんですか?」 

 

「……」

 

士道の問いに令音は暫しの間、口を噤む。

 表情に変化こそ少ないが、今までと少し雰囲気が変わった気がする。

 だがそれも一瞬。

 すぐ様先程迄の調子に戻って言葉を続ける。

 

「…あいにく色恋沙汰には縁がなくてね。

 ただ一人だけいたよ」

 

「その人は…」

 

令音の話に更に踏み込もうとする士道だが、その言葉を遮るように指を1本、士道の唇に押し当ててきた。

 

「…先程から私ばかり話をしているのはフェアじゃないな。

 少し、君の話も聞かせてくれないか?」

 

「俺の事は大体、〈ラタトスク〉が調べてるでしょう?」

 

乾いた笑みと共に肩を竦める。

 だが、令音はその言葉に対して首をゆっくりと横に振る。

 

「…それはあくまでも文字の羅列、外見的なものさ。

 …それに私も前から君の昔の話を聞いてみたかったんだ」

 

「昔の話ですか?」

 

「ああ、君は-五河家に引き取られる前のことを覚えているかい?」

 

一瞬、士道が真士の記憶を保有していることを悟られたかと考えるが令音を見るに純粋な興味や好奇心から聞いてきているようだ。

 故に士道は覚えている範囲でそれに答えた。

 

「…正直、はっきりとは覚えてないですね。

記憶にあるのは、暖かい手に抱かれる感覚と…その手が、何処かに行ってしまうような寂しさ…ですかね。

 きっとそれが…俺の母親だったんだと思います」

 

「……」

 

正直が偽り無く答えると令音は一瞬、無言になり続けてくる。

 

「…君は、自分を捨てた母親を憎んでいるかい?」

 

「え…?」

 

突然の問いに目を丸くする。

だが、その疑問は当然の事かも知れない。

 

五河士道は祟宮真士を元に、精霊の力を与えられて産み落とされた言わばホムンクルスだ。

 つまりこの場合の母親は、他ならぬ令音の事になる。

 無論、令音は士道がその事実に気づいている事など知る由もないが。

 士道は十七年の人生を思い返しながら言葉を発した。

 

「恨んでないですよ」

 

「…そうなのかい?」

 

士道の淀みない答えに、令音が返してくる。

 その声音に何処か安堵したような声が聞き取れた気はしたが。

 

「確かに今の家に引き取られたばかりのときは泣いてばかりいた気もします。

 たぶん、それはそれだけ母親が好きだったからじゃないかと思ってます。

それに…覚えてるんですよね、俺を抱く手が優しかったことを…。

多分、捨てたくて捨てたはずないと思うんですよね。

 そんな人を恨めるわけないじゃないですか」

 

「…そうか」

 

令音は、士道の言葉を噛みしめるように目を伏せる。

 士道は頬をかきながら口を開く。

 

「こんな歳になっておかしな話かもしれませんが、できる事ならもう一度抱いてくれたらと思わなくもないですがね…」

「…ふむ」

 

令音は小さく唸るように言うと、暫し考えるように顎に手を当てた後、士道わや手招きする。

 

「…おいで、シン」  

 

「……へ?」

 

突然の誘いに士道が困惑してると、令音は士道の手を引っ張ると自分の元に引き寄せる。

 そのまま、士道の背中に手を回し抱きしめる。

 

「…よし、よし」

 

背中に感じる柔らかな感触に、士道は狼狽したような声を上げる。

 

「ちょ、令音さん」

 

「…何もおかしくはないさ。

少しくらいは良いじゃないか。

―私では変わりにならないかもしれないけどね」

 

令音の言葉に強張っていた躰から力を抜く。

温かい湯と、優しい抱擁が身体を包む。

 

その感触は、正しく士道の遠い記憶にあるものと相違ないような気がした。

 

 澪は士道を思いやり、精霊たちを慈しみ、自らが犠牲にしてきた人々を悼む心を持っている。 

ただ-真士と再び出会う。

 その目的のためにあらゆる犠牲を厭わないと決めただけなのだ。  

 けど、だからこそ。

もしも彼女を止められる可能性があるならばそれに賭けるより他はない。

 士道は、自分を抱きしめる令音の手を握りながら声を発す。

 「ー令音さん」

 

「…ん、なんだい、シン」

 

令音が耳元で囁くように問うてくる。

士道は意を決して言葉を続ける。

 「あとで…見せたいものがあるんです。

 付き合ってくれますか?」

 

「…?」

 

令音は不思議そうな顔をしながらも―もちろん、とうなずいた。

 

 

 

「ああいう本格的なマッサージって、初めてだったんですが、存外気持ちいいもんですね」

 

「…ああ、そうだね。

肩のこりが軽くなった気がするよ。

それに、宿の近くで売っていた酒まんじゅうもなかなか美味かった。

蒸したてというのはああも違うものなんだね」

 

 「ですね…十香たちに土産にでも…っと今日のことは秘密にしといたんでした」

 

士道が苦笑しながら何かに気づき、言葉を続けた。

 

「令音さん、そこの段差に気をつけてください」

 

「…ん、すまないね」

 

士道の言葉に従って、令音は慎重な足取りで1歩を踏み出す。

 普段とは違う彼女の歩みの理由…それは固く目を瞑ったまま士道に手を引かれて外の道を歩いていたのだ。

 部屋に備付けられていた露天風呂のあと、館内の様々なリラクゼーション施設を楽しんだ後、士道は令音をある場所へと案内していた。

 

「…にしても、見せたいものとはなんだい? 宿から随分歩いたようだが」

 

「見てのお楽しみです」

 

「…ふむ、ならば楽しみにしておこう」

 

小さく頷きながら答えて、令音は士道の手を握り返す。

 

「令音さん、着きました。

もう目を開けてもいいですよ」

 

それからどれくらい歩いただろう…。

目的地に到着し、令音がゆっくり目を開く。

 

「ーー」

 

 そして、一瞬言葉を失った。

目の前に広がっていたのは見渡す限りの水平線。

 そして陽光を浴びて水面が輝く。

耳に、届くのは海猫の声、鼻に届くのは磯の香り。

そう、士道と令音は今、海岸線を一望出来る場所に立っていたのだ。

 

 士道にとって、今回令音をこの場所に連れてきたのは賭けだった。

 だがしかし、皆が生き残るにはこれしかない。

 

 「…‥シン、ここが?」

 

海を見ていた令音が、ゆっくり士道に士道に視線を向けて、穏やかな言葉を発する。

 

「はい。

令音さんに見せたかった場所です。

綺麗でしょう?」

 

 

「ああ。

綺麗だね。

…とても」 

 

令音が海岸線を眺めながら、感慨深げに言う。

士道はうなずき返すと、再び令音に手を差し伸べた。

 

「少し、歩きませんか?」

 

「…ああ、よろこんで」

 

令音は微かに笑みを浮かべると士道の手を取った。

 

 

「ん、本当に綺麗な場所だね。

 陳腐な表現だか、心が洗われるようだよ」

 

「気に入ってくれたなら何よりです」

 

「…しかし、一体なぜここを?」

 

「令音さんはこういう場所、好きかなって。

 何となくですが…」

 

「…そうか。ならば君の勘は非常にさえているよ」

 

そんな会話を交わしながら、海岸を歩く。

 その後も海の話題から始まり、学校の事、明日のこと、他愛のない話をした。

 

ーやがて時間は過ぎ、日が傾いて、海を赤く照らし始めた頃。

 令音と士道は、堤防の上に腰掛けながら、さざ波の音を聞いていた。

 

「……シン」

 

「はい」

 

「…ん、いや、なんだったかな」

 

「はは…何ですかそれ」

 

士道が笑い、零音も唇を緩める。

 

「…令音さん?」

 

不意に令音がもたれかかって来たため、士道は不思議そうに声を発する。

見れば令音が両目を閉じて寝息を立てていた。

それも無理からぬことだろう…朝から遠出し、いろいろとち気合わせてしまったのだから。

 

『珍しいわね、 令音が人前で眠るなんて』

 

「そうなのか?」

 

通信機越しに琴里が意外そうに声をはっする。

確かに、言われてみれば令音が眠っている所を見るのは初めてかもしれない。

 

『惜しいわね、封印可能域に達していたなら絶好のキスのチャンスなんだけど』

 

「仮にそうだとしても、眠ってる相手にキスは合意無いと駄目だろ」

 

 

『あら、眠り姫なんて女の子は皆憧れるものよーもちろん、相手によるけど』

 

冗談めいた調子で琴里が言う。

そんなやり取りをしていると、令音が目を覚まし顔を軽く上げた。

 

「おはようございます、令音さん」

 

「……、……」

 

士道の挨拶に、令音は寝ぼけているのか、不思議そうに目を瞬かせる。

 

数秒後、状況を理解したのか小さく目を見開く。

 

「……まさか、今私はー」

 

「少しだけ、時間にして五分ほど眠ってました」

 

「…………」

 

士道の言葉に令音はしばしの沈黙ののち……。

 

「……ふ」

 

小さく息を漏らす。

「……ふふ、ふふ、あはははは……」

 

吐息が連続して紡ぎ出されたのは笑い声だ。

それは、士道が初めて見る令音の笑みだ。

 

琴里達も同じようで、通信機越しに息を詰まらせる声や、感嘆のような声が聞こえた。

 

「……そうか、わたしがね。

はは………なるほど、これは参った」

 

令音はそんな士道の様子に気付かぬようにひとしきり笑い続けると、やがて士道の方肩に手を置いてきた。

 

「……礼を言うよ。

久しぶりに心地よい眠りにつけた。

よほど、君の肩の寝心地が良かったようだ」

 

言って優しげな笑みを浮かべる。

思わず、士道は息を詰まらせる。

もともと美しかった令音の顔に柔らかな印象が加わり、より魅力を倍化させていた。

すると次の瞬間ー

 

『マスター!!』

 

〈オーディン〉の言葉と共にブザーが鼓膜を震わせた。

 

『令音の好感度及び精神状態に変調あり! 今でマスター!』

 

琴里の言葉に士道は眉を揺らす。

 

人に寝姿を晒すのは令音にとってよほど大きな意味があるらしい……。

 

だが焦りは禁物だ、封印可能となっても強引に迫っては好感度は下がってしまう。

 

そこまで考えて士道は思い至る。

士道は令音にまだ自分の明確な意志を伝えてないことに……。

 

「ー令音さん」

 

士道が静かに名を呼ぶと、落ち着きを取り戻した令音が視線を向けてきた。

 

「……ん。 何だい、あらたまって」

 

「いえ……さっきの露天風呂で話した令音さんの好きな人の話なんですが……」

 

「………、それがどうかしたのかい?」

 

令音が数瞬後に答えてくる。

士道は意を決するように令音の目を見つめて言葉を紡。

「ー俺じゃあ、駄目なんですか?」

 

「…………」

 

士道の言葉に令音は沈黙で返す。

だが、その目に映る色は拒絶や嫌悪では無い。

迷いと困惑、ほんの少しの罪悪感。

それらを全て呑み込むように、言葉を続ける。

 

「なにも、俺がその人の代わりになれるとか、その人を忘れさせるとかは思ってません。

でも……俺は俺として、令音さんを思うのは駄目ですか?」

 

「…………」

 

士道の言葉に肯定も否定もない。

たけど、士道が肩に手を置いても、拒絶するような素振りは無かった。

 

「令音さんー」

 

「……シン。 私はー」

 

令音が何かを言おうとしてくる。

だが、士道がゆっくりと顔を近づけていくと、口をつぐみ、瞳を閉じていった

 

互いの呼吸が混じる。

 

二人の鼓動が聞こえる。

 

そして二人の唇が、触れた。

 

夕日に彩られた海で。

 

士道と令音はー三十年前、真士と澪が交わせなかったキスを交わした。

 

 

時が止まるような錯覚、士道の中の真士の記憶が令音の肩を抱く腕に力を込める。

意識を強く保たねば、真士の渇望に意識を持っていかれそうになる。

 

「ーおかしい……」

 

『ええ、不可解です……』

 

 

意識を保ちながら士道にある疑念が生じ、〈オーディン〉が相槌を打つ。

 

確かに士道は令音とキスをした、経路の繋がる感覚も確かにあった。

だが、精霊の霊力を封印した時に覚える力の流れを、一向に生じないのだ。

疑念の思考を士道を士道が巡らせていると、令音が士道の唇からゆっくりと自分の唇を離す。

そして微かに濡れたく唇を指でなぞりながら声を発した。

 

「……なるほど。

君はー未来を見てきたのか」

 

『なー』

 

士道の頭蓋に、琴里の驚愕の声が響く。

 

「経路を通っての……記憶の共有か……」

 

苦虫を噛み潰したよう顔で呟く士道を令音は突き放すでもなく、むしろ慈しむように頭を撫でたてきた。

 

「……今日一日の不思議な出来事の謎が解けたよ。

……いや、もしかしたら薄々気づいていたかもしれないな。

けれど、きっと理解したくなかったんだ。

君がデートに誘ってくれた事が、とても嬉しかったから」

 

令音は、優しい口で言うと、耳元で囁くように続けた。

 

「……本当に楽しかったよ。

ほんのひととき、辛いか怖を忘れてしまえる程に。

ーけれど、夢はいつか覚めるものだ。

そうだろうー士道?」

 

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