片思いを長期間したことある人には経験があるかもしれない。何度目かも数えるのが億劫になってきたが、またその時がきた。
「でねー、とってもかっこいいのー」
えへーっと少し気持ちの悪い笑顔を浮かべながら茉莉は報告をしてくる。胸がズキズキと痛むのを感じながら、私はその報告に思ってもいない返事を返す。
「いい人そうでよかったね」
聞くところによると学内では意外と名前を聞く同級生だ。それも悪いほうで聞く男性。前からだが、彼女はことごとくよろしくない噂の立つ男性ばかりと付き合っている。なんで言ってあげないのって思うだろう。恋は盲目と言う。答えは簡単だ。
恋は事実を脳内で変えてしまう。例え本当だったとしても、信じてやまない人の前ではそれすら否定へと変わる。茉莉と友達関係を続けるためには言わないのが適切だ。まぁ、さすがに今回で六回目だ。これ以上の放置もちょっと続けたくないかなという気持ちはある。
だから今回は喧嘩覚悟で言ってみることにした。
「でもあまりいい印象の人じゃないよね」
「えー?」
彼女の表情が急に少し締まりだすのがわかる。わかってたことだ。言いたいこと言ってやる。
「聞くところによると、たくさんの女の子に手出してるとか、お金を借りて踏み倒してるとか、いろんなこと聞くよ?」
「ふーん……」
胸のうちから湧きだす後悔の念、抑えろ、決めたことなんだろ。
「結菜もそういうの気にする人なんだ……きっと結菜も本当の恋を知れば分かるよ」
「……」
少し予想しなかった言葉にドクンと胸が鳴る。本当の恋を知れば?ずっと長い間胸に秘めたまま過ごしても、他の人に揺れ動かないこの気持ちは嘘だとでも言っているのか。いや、彼女は知らないんだった。知れないんだ。
「そうなのかも」
「そうだよ」
「……」
「……」
二人の間に流れる気まずい空気、お互いに当たり前だが子どもじゃない。大声で罵り合ったり叩きあったりするような仲でもない。おまけに彼女に叩かれたら私はしばらく大学に出れない。
「ごめん、私行くね」
「……うん」
茉莉は唐突に鳴ってもない携帯を少し覗き見てから立ち上がった。こうなることはわかってたのにやっぱり後悔の念はとめどなく溢れる。小さく濁流となったそれは私の頬を濡らした。完全なネガティブ思考へと切り替わる。
本日は快晴、一人残された食堂の四階テラス、揺れる木々の間を通り抜ける風が少し強めに頬を撫でて、濡れた頬の水分を拭いとる。ああ、快晴だと言うのに、散歩日和だというのに、どうして、雨が降ってるのかな。
ーー
ドンドンという強くドアを叩く音で目が覚めた。寝起きでも月明りはハッキリと見える。昔から目は良いほうだ。明かりをつける。時刻は午前1時、4時間前に眠りについたばかりだというのに、しかもこんな時間に誰だ。
玄関ごしまで移動し、小さなのぞき穴を見る。
「!」
ドクンと胸が高鳴るのが分かった。レンズに映った人物は茉莉だ。目元を赤く腫らし、それでもまだボロボロと涙を流しているようだった。少し乱れた衣服もだらしなくなってしまっていて、いつものヘアピンもなく、髪も少しボサボサだ。
急いでチェーンをはずし、ドアを開けた。
「ひっく……ゆなぁ……」
「茉莉、ほら入って」
相変わらず私の声は少しぶっきらぼう、でもちゃんと想ってるから、どうか安心してほしい。
~
「落ち着いた?」
「……たぶん」
ソファの上で茉莉は私のためにとってくれた大きなぬいぐるみを抱きしめてボーッとしている。聞いたところ、部屋に遊びに行ったところ、いきなり押し倒されて抵抗したとのこと、聞いてるかぎり相手ボコボコなんだけど、それはツッコまないようにしながら、ちゃんと聞いてあげた。
まだ5日目なのに、今回で最短記録かもね。
机に置いたココアの湯気が小さく揺れながら上昇する。そんな光景を見つめながら、茉莉はギュッとぬいぐるみを握る力を強くした。
「ちゃんと……結菜の話、聞いとけばよかった」
「……」
茉莉はいつも真っすぐだ。よく転ぶけど。でも最終的にはちゃんと前を向く、誰でもできることだけど、誰でも実行しにくい。転んでからの立ち上がりは私が知っているかぎり、一番早い。
「また失敗だったんだな……」
「仕方ないよ……」
こんなこと言ってはあれだが、正直、今、私は心の隅で安心してしまっている。彼女に張り付いた虫がまた一匹払われたような気持ちだ。
「そう、なのかな?」
「そういうものだったんだよ。いつでも理想的になるとは限らないからね」
私の言葉に茉莉はココアの湯気から目を離した。その焦点の先が私に向く。
「結菜は……好きな人とかいるの?」
「……」
どうして急にそういう話題になるのだ……しかもこの状況、完全に私慰める側になってたつもりなのに……全然なってないけど。
「い……るのかな」
「ふーん……結菜もちゃんと恋、してるじゃん」
少し彼女の声音のトーンが上がる。でも表情が全然変わってないところを見ると、推測する当たり、少し八つ当たりがしたいのかもしれない。私にM属性はないけど、片思いのためだ許可しよう。
「ねぇ、どんな人なの?」
「……とっても鈍感なバカだよ」
バカな彼女には到底わからない程度のレベルの答えを出してみた。きっと今の彼女の思考は八つ当たりのモードになってるはず、落ち着いたころにもしかしたら答えを探り始めるかもしれない。けど、まぁ、バレたらそれまでのことだ。もう、これ以上抑えるのも疲れてきた。
「ふーん、私の経験上、鈍感な人はよくないらしいよ?やめときなよ」
やっぱりきた。少し違う方向に笑顔を浮かべる茉莉、まぁ、でもここは同意を示すかして彼女の気持ちに合わせた方がいいだろう。
「やっぱりそうかな。片思いも長いし、そろそろ告白してみようかなって思ってたんだけどなぁ」
て……少し口を滑らせてしまった。片思いが長いなんて大きなヒントすぎるじゃないか!?
「うん、そうだよ。やめときなって」
「……はぁ、そうするよ」
とりあえず、会話がうまく終わりそうだ。気づかないまま眠ってしまえばきっと忘れるだろう。
「よし、じゃあ明日は少し一緒に出ようか」
「う、うん」
「ほら、寝よ?」
「わかった」
明日一緒に出掛けるという話題を振り、彼女の興味ができるだけそれるように誘導する。恋の矛先を模索する話題ほど大きな話題はないが、眠ってしまえば別だろう。たぶん。
電気を消し、一つのベッドに二人で入った時だった。彼女に背を向けて寝ころんだところ、私の背に、ひしっと茉莉はしがみついてきたのだ。
「ごめんね、少しだけ背中貸してほしいな」
「……」
無言で彼女の方に体を向き直し、軽く抱きしめてあげた。一応でも彼女は今、傷心中の心なのだ。まがりなにりにも友人だ。いたわってあげなきゃいけない。
「いくらでも胸も貸してあげるから、泣いていいよ」
「背中と変わらないけど……」
「温もりが違うでしょーが」
小さく彼女の頭を小突きながら抱きしめてあげたのだった。
ーー
翌日、私と茉莉は大学を休んで、県内最後とうたわれる遊園地に行った。大学生が乗るにはいささかしようもないものが多くてかなわないが、ジェットコースターとか定番からプラネタリウム的なものまで見た。
「楽しい?」
「うん」
私の問いに彼女は笑顔で返してくれた。時刻は19時、この遊園地は観覧車で有名だ。低速で巨大な全長を誇る観覧車で、山頂付近に位置していることもあり、最高高度になるときは県全体が見渡せるとうたわれるほどだ。そんな観覧車は予約制で、即日になら朝に申し込めば乗れないこともなかった。
遊園地の閉園は22時、帰るときは大変だが、付属の施設にホテルだってあるし、なにより、夜の一時を大切な人と楽しむなら夜遅くの観覧車も悪くないものだ。
朝から入園したのに気づけばこんな時間だ。楽しい時間というものは本当に短い、だけどそういうものなんだなと実感する。
~
時間は過ぎ20時になった。ようやく番が回ってきて、二人して颯爽と乗り込んだ。頂上につくまでしばらくの時間を要する。なにせ全国で最も低速と評価されるのだ。外を眺めながらゆったり話ができるだろう。
「今日はありがとね」
「どういたしまして」
「~~」
「~~」
お互いに笑いあえる大切な時間、彼女の目を見ればわかる。昨日のような濁った目はしていない。綺麗にキラキラと輝く可愛らしい眼だ。
~
「ねぇ」
「?」
頂上まであと数分の時に彼女は声をかけてきた。高い位置にあるおかげで、外に見惚れてしまって、お互いに言葉を交わしていなかった。
「結菜の好きな人ってさ」
あれ、私の予想を裏切るスピードでの追及、これはまずい。
「う、うん。どうし……っ!」
視線を外から茉莉に戻したとき、私は息を飲んだ。
茉莉の視線がさっきのキラキラしたような目じゃなかったから、小さく涙を溜めたような、ウルウルとした少し睨むレベルの真っすぐな視線だったからだ。
その先の彼女の口から出る結論が聞きたくなかった。観覧車に入った時から少し声音が下がっていたのはずっと考えていたからだろう。やっぱり知り合いの恋路の行方は動いてなくても、きっかけがあるならこれ以上に巨大な話題はないのだということが分かった。
「もしかすると、どうしようもないひどいバカってレッテルを張らないといけない感じがするんだけど、ねぇ、結菜、好きな人って、誰なの?」
今にも泣き出しそうな茉莉の表情と震えだす声音。ここまで言われたらどうしようもなかった。視線を逸らしてしまう。私も十分バカだな。これがこのまま答えになってしまうとわかってるくせに。
「……」
「っ!……そうなんだ。そうだったんだ」
わなわなと体を震わせる茉莉、自分の肩をギュッと抱きしめ、涙を流し始める。
「適当なことばかり言ってごめんね。ごめんなさい……ずっと、ずっと私のこと想ってたのに……」
「はぁ」
私は小さくあからさまなため息をついて彼女の隣に座り直す。いつかはバレることだったのだ。いや、隠そうと思えば隠せたけど、もうこれ以上はちょっとめんどくさい。
「本当にバカだね。初めからそういう人だって知って私は好きになったんだから、今さらだよ」
そして彼女にハンカチを手渡してあげる。彼女がこちらにどういう気持ちを告白してくれるかわかるまでは迂闊に抱きしめてあげるのはダメだ。彼女の気持ちを焦らす要因になってしまう。バレてしまったなら仕方ない。あえて失敗に持っていく理由もない。
「ひっく……うぇ……」
そのまま頂上の景色にあまり目をあげないまま、時間は過ぎた。
とくに何かするわけでもなく、ただ、お互いに無言なまま、帰路についたのだった。