「は?」
「へ?」
魔王と勇者が、揃って間の抜けた声を発する。
当然と言えば、当然だろう。
そもそも、モモンガとラドの感覚でいれば、今、ここに、まだ、自分たちが存在していることがおかしい。
サービス終了時間である、0時00分00秒に合わせて、会心の勇者と魔王のロールプレイをばっちり決めて、気持ち良く強制ログアウトを食らうつもりだったのに、なぜ自分たちはまだ、キャラクターのアバターのまま、この場に残り続けているのだろうか?
「ええと、サービス延期?」
「最後の最後で運営がやらかした?」
キョトンとした顔で向かい合う魔王と勇者が、そんな呑気な推測を言っていられるのも、それまでだった。
そもそも、サービス延期や運営の失敗で、サービス終了時間が延びることは説明が付いても、二種類の女の声はどうやっても説明が付かない。
声の主を求めて振り返った勇者ラドは、そこであり得ないものを見る。
「嘘だろ……なんで?」
「さあ、ここが正念場だよ!」
「勇者の戦いを、見守ることこそが、我が信仰。勇者ラド。後ろは気にせず、君はただ、前だけを見るのだ」
鈍い光を放つ
「出来るだけフォローはします。無理はしないように、撤退という選択肢もあることを、忘れてはいけませんよ」
真っ直ぐな木の杖の先に、赤い魔力の光を灯した初老の男魔法使いは、あえてこちらを安心させるように『目尻に皺を寄せて』笑顔を作る。
「はんっ、まどろっこしいことを考えてるんじゃないよ。あんたが魔王を倒す。アタイ達が、周りの取り巻き共を倒す。ようはそれだけの話さね」
そして、右手で小剣を構え、今にも飛び出しそうな低い体勢で、露出度の高い女盗賊は、『歯をむき出し』にするような、好戦的な笑みを浮かべている。
「嘘だろ……?」
豊かな表情と、見たこともないスムーズな動きを見せるNPC達に、勇者ラドは呆然と呟く。
そもそも、NPCたちがこの場にいること自体がおかしいのだ。彼女たちはあくまで〈拠点防衛用NPC〉。ギルド拠点である馬車からは、出られない仕様になっている。
例外的に〈防御フィールド〉を張っている間は、〈防御フィールド〉内に限り外に出られるが、ラドは今、その〈防御フィールド〉を張っていない。
「わけがわからん……」
ラドのそのつぶやきは、心の底からの言葉だったが、今のラドに頭を真っ白にしているという贅沢は許されなかった。
「モモンガ様。栄光あるナザリックの最奥〈玉座の間〉まで侵入者の侵入を許した罪から、免れるつもりは毛頭ございません。ですが、今一時だけ、我々がこの手で侵入者を排除する迄の間、私達が生きながらえることをお許し下さい」
深みのある落ち着いた声色で、そんな物騒なことを言って構えを取るのは、先ほどまで微動だにしていなかった、老執事のNPCである。
両拳を握り、自然体で構えるその立ち姿は、見惚れるほどにどうのいったものだ。
さらに、六人の侍女達も闘志と殺意をむき出しにして、それぞれの武器を構えている。
執事が率いるメイド戦闘部隊。
これはついさっきまでの〈ユグドラシル〉であれば、「おう、執事、メイド隊!」と喜んで相手をするところなのだが、この肌を指すような殺気は、そんな巫山戯た対応を許さない〈生〉の迫力がある。
対するラドの仲間であるNPCも負けていない。両陣営のどう猛な殺気がぶつかり合い、一触即発の状態だ。
まずい。今、自分たちの置かれている状況は全く理解できないが、このまま暴発させては、まずいことだけは分かる。
仮に、これが運営のお茶目で、〈ユグドラシル・ロスタイム〉とで言うようなお遊びゲームだとしても、ここで状況も分からずにNPC同士を殺し合わせる意味はどこにも無いはずだ。
特にラドからするとこの状況は最悪である。
相手のギルドマスターが、最後だからと特別に招待してくれた相手ギルドの本拠地最奥で、こちらのNPCが暴走し、内部施設や相手側のNPCを破壊、死傷させるようなことがあったら、流石に申し開きのしようがない。
焦って前を向き直るラドは、いつの間にか、モモンガをかばうようにその前に立っている白いドレスの女悪魔――確かアルベドとか言った――の発する殺気に改めて肝を冷やしながら、その背中からひょっこり顔を出す、モモンガと視線を合わせる。
勇者と魔王の視線が合っていたのは、一秒にも満たない短時間のことだったが、それだけでお互いが同じことを考えていると確信できた。
次の瞬間、勇者と魔王は声を揃えて言う。
「「戦闘停止!」」
プレイヤー二人が声を揃えての〈戦闘停止〉命令。
その効果は瞬時に現れた。だが、それはラドとモモンガが期待するほどのものではなかった。
両陣営のNPC達は、一段その殺気の強度を落とし、僅かなりともお互い距離を開いたが、それはとてもではないが〈戦闘停止〉コマンドを打ち込んだNPCの反応ではない。
「なぜ止める、ラド。これは千載一遇の好機なのだぞ!」
老執事をにらみ付けたまま、女戦士――ティカが獣のうなり声にも似た、不満げな声を発すると、
「なぜですか、モモンガ様? どうか、私達に、この玉座の間を汚すゴミ共を、掃除する許可を」
白いドレスの女悪魔も、あくまでモモンガをかばう立ち位置は譲らないまま、首だけ少し後ろに立つ主に向けて、そういかにも悪魔らしい進言をする。
NPCが命令コマンドに〈反論〉する。
プレイヤーからしてみれば、これはもう「わけがわからない」、としか言いようのない状態である。
桔平は朧気に、今自分が、非常に危険な状態におかれていることを感じるが、だからといって、なにをどうすれば分からない。
だが、この場にいるもう一人のプレイヤーであるモモンガは、ラドほどパニックを起こしていないのか、先ほどまでのロールプレイと何も変わらない声で、重ねて命令する。
「駄目だ、アルベド。今しばらく待て」
「……はい」
魔王と魔王妃。目の前の光景に、そんな言葉を思い浮かべた桔平の頭の中に、突然、聞き慣れた電子音が響き渡る。
(
異常事態が続く中、〈ユグドラシル〉の常識に則った現象に遭遇した桔平は、すがりつくようにその〈伝言〉を受けた。
『はい、もしもし?』
『ラドさんですか? 私です、モモンガです』
ギョッとして見るが、壇上のモモンガは、元が骸骨のため表情は分かりづらいが、見たところ〈伝言〉の声色とは違い、魔王らしい悠然とした仕草を崩していない。
『モモンガさん!? なんでわざわざ〈伝言〉で?』
『正直現状は、まったく把握できていませんが、〈彼女たち〉の前で、私達が親しげに話をしない方がよさそうだと思ったので。ラドさんも、言葉に出すときは、勇者のロールプレイでお願いします。
私からはGMコールが利きませんでした。強制終了、公式ホームページへのアクセス、ラドさん以外のプレイヤーに向けた〈伝言〉も不発です。ラドさんはどうですか?』
桔平は心底感心した。
自分が狼狽して頭を真っ白にしている間に、この人は、GMコールや〈伝言〉の魔法で、状況確認をしていたのか。
流石に、社会人経験の長い人は違う。冷静だ。
『すみません、俺はまだ試してません。ちょっとやってみます』
『あまり時間が無いので、GMコールと〈伝言〉を一回ずつでお願いします』
『分かりました』
桔平はすぐさまその指示と実行したが、結果はモモンガと同様であった。
『駄目です、モモンガさん。こっちも繋がりません』
モモンガもその答えを予想していたのだろう。さほど、落胆もせずに〈伝言〉を返す。
『やっぱりですか。これは、本格的におかしいですね。ラドさんも現状がおかしいことは、認識していますよね?』
モモンガの言葉に、ラドは一瞬頷きそうになったが、どうにかそれを堪えて、勇者らしくドレスの悪魔と、その後ろの魔王を睨みながら、〈伝言〉を返す。
『はい。時間になっても強制ログアウトが起きない。NPC達が勝手に動く。全員リアル並に表情が動く』
『ログアウト出来ないだけなら、システムの異常ですむ話ですけれど、それ以外はちょっと説明が付きません。表情だけじゃなくて、衣類の動きも自然すぎてゲームとしては不自然ですし、絨毯を踏んだところがへこんで、影が出来てたりしているんです。こんなの、世界中のスーパーコンピュータを連結しても、再現不可能ですよ』
すごい。この人はそこまで、観察していたのか。
改めて、感心しながら、桔平はこちらからも追加の情報を出す。
『モモンガさん。そもそも俺、今、馬車の〈防御フィールド〉を展開していないんです』
敵対という形ではあるが、付き合いの長いモモンガは、勇者ラドのNPC達が外に出られる条件を正確に把握している。
『……本格的におかしいですね。とにかく、どうにかしてこの場の収拾を付けないと』
モモンガの言葉はもっともだが、だからといって、どうすれば良いのか分からない。
「ラド、いつまで睨み合ってるんだい? 何を躊躇っている?」
睨み合いの状況にじれたのか、女戦士のティカは不満を隠さない声で、そう勇者に問いかける。
「…………」
相対している老執事は、不満の言葉を漏らすような行儀の悪いことはしないが、一時は静まっていた闘気と殺気がいつの間にか、最初の頃と同じくらいまで高まっている。
それは、老執事と女戦士だけに限った話ではない。
六人のメイド達と白いドレスの女悪魔も、女戦士以外の勇者の仲間達にしても同様だ。
駄目だ。現状維持は、もう限界だ。
『とにかく、こっちのNPCは魔王の部下として動いていますし、そちらのNPCは勇者の仲間として動いています。現状で、私達が和解するのは、拙いでしょう。下手をすると私達二人が、両方のNPCから袋だたきにあう。なんとか、魔王と勇者のロールプレイの延長線上で、この場を納めるしか』
『勇者と魔王のロールプレイって、さっきまでのは、どう考えても最終決戦じゃないですか。どうやって納めるんですか?』
『……どうしましょう? 流石に、この場で和解、はあまりに不自然でしょうし。完全に解決は出来なくても、せめて一時的にでも、両陣営が距離を取ることが出来ればいいんですが』
これまでモモンガが観察したところ、どちらのNPC達も、相手陣営に対して敵意をむき出しにしているのであって、それぞれ作り主であるプレイヤーには忠誠なり、友情なりを抱いているように見える。
モモンガとラドと、両陣営のNPCが、同じ場所にいるから拙いのだ。
モモンガと〈ナザリック〉のNPC。ラドと〈勇者の砦〉のNPC、という形に分離できれば、とりあえず一息つけそうな雰囲気に思える。
そんな、モモンガの言葉を付けて、桔平がすぐさまアイディアを出したのは、やはりまだ、ここを〈現実〉と考えていなかったからなのだろう。
『あ、それなら、いっそさっきのロールプレイをそのまま続けましょう。俺〈死に戻り〉しますから』
『なるほど、その手がありましたか』
一方、モモンガがその提案を即座に受け入れたのは、桔平同様〈現実〉という認識が薄かったのもあるかもしれないが、ひょっとすると、すでにこの時〈アンデッド〉の思考に心が侵食され始めていたのかも知れない。
ともあれ、方針が固まれば、後は実行するだけだ。
モモンガは、空いている左手で、目の前に立つアルベドの肩を掴み、グッと横にずらした。
「どけ、アルベド」
「モモンガ様?」
「先ほど、私が言った言葉を聞いていなかったか? これはここまでたどり着いた勇者への〈褒美〉なのだ。この者は私が一人で倒す」
それは、モモンガにとっても、内心で心臓(?)がバクバクするくらいに緊張しながらの言葉だった。
だが、モモンガの内心など知るよしもない、ドレス姿の女悪魔は、ハッと息を呑み悲しそうな顔で反論する。
「そ、それはもちろん、聞いておりました。ですが、危険です。偉大な御身に、万が一のことがありましたらッ! どうかお考え直し下さい!」
(聞いていたのか。その台詞は、まだ〈ユグドラシル〉が正常に動いてきた時に言った台詞だよな。あの頃から普通に記憶がある? それなら、俺とラドさんが仲良くしていたことも覚えていそうなものなのに。どういうことだ?)
疑問の尽きない魔王だが、今はこの場を収集させるのが先だ。
白い悪魔を横にどけて、壇上からこちらを見下ろす魔王を、勇者ラドは壇下から睨みあげると、大きな声で後ろに控える仲間達に告げる。
「そういうことだ、みんな。これは、俺と魔王の一騎打ちだ。みんなは手を出すな!」
勇者の言葉に、仲間達は烈火のごとき怒りを露わにする。
「なに、馬鹿なことを言ってるんだい!?」
「勇者ラド。ここは、格好を付ける場面では無いぞ」
「目的を達するため、もっとも確率の高い手段を執るべきではないですか、ラド?」
「ざっけんな! んな、馬鹿な戯れ言に付き合ってられっか!」
その反応は、どう考えても、人工知能のものではない。
生身の人間だとしか思えない、NPC達の言葉に、ラドは少したじろぎながら、予定していた反論を返す。
「いや、これが一番確率が高いんだ。忘れるな、みんな。〈ナザリック〉の戦力は、ここにいるだけじゃないんだ。俺たちは第一層から第九層までを、総なめにしてここまで下りてきたわけじゃ無いんだぞ」
勇者ラドのその言葉を、魔王モモンガがフォローする。
「左様。貴様達が、一騎打ちを拒絶するというのならば、こちらも〈ナザリック〉全勢力をもって迎えるまでだ。
アルベド。もし、勇者以外の者が攻撃に転じたときには、お前も助勢してよい」
「はいっ」
魔王の言葉に、それまで心配そうに唇を噛んでいた白い悪魔は、口角をグッと持ち上げた、色っぽくもどこか不吉な笑みを浮かべた。
「セバス、お前はすぐさまその場を離脱して、各階層守護者達に連絡を入れるのだ。プレアデス達は階層守護者達が到着するまで、その身を挺して時間を稼げ」
「はっ、承知致しました」
どうやら〈プレアデス〉というのは、六人のメイドの総称のようだ。綺麗な名称なので、間違いなく命名者はモモンガではあるまい。
モモンガの命令に、老執事――セバスと、六人のメイド達は、決意も新たに返事をする。
この期に及んでは、ラドの仲間達も悟らざるを得ない。
ラドの言うとおり、魔王の気まぐれに付き合うのが、もっとも勝算が高いのだと。
かくして、魔王と勇者の一騎打ちが始まった。