「き、きみ・・・」
未だ嗚咽を零しているサトシに、部屋の隅から消え入るような声が聴こえたのは幻聴ではなかった。
部屋に入った時点では気づかなかったのはこの部屋の衝撃たるや、というところだろう。
部屋の隅で血に塗れて震えていた研究員に気づかなくても仕方がない。
声の方を眩む視界と頭を駆使して眺めてみると、真っ赤に染めた白衣を纏ったやせぎすの研究員が自分の足を抱えて部屋の隅で震えながら、度の強そうな眼鏡越しにこちらを見ていた。
「あなたは・・・?」
サトシも何かにすがるような気持ちで返答する。
何かを知っている人であるハズだが、それを知ったところでどうなるのかとサトシの中で葛藤が渦巻く。
それでもこの現状、何か話せる相手がいるというのは精神的に多少の救済になることは本能的にわかっていた。
「わ、わたしはシルフカンパニーの研究員、です。きみは何故こんなところ、に?」
「・・・僕は成り行きというか、いや、それよりもこれは一体何が・・・」
なるべく視界に入れないようにしたところで鼻を突く生臭い刺激臭は嫌でも先ほどの情景を掘り起こす。
それに部屋全体に飛散した血液はどこを向いても視界に入る。
「―――・・・地獄のようだった。わたしは一体どうすれば弔えるのだろうか。こんな、こんなバラバラになっては集めて埋葬することも難しい。泣きながら眺めていることしかできなかった。」
「・・・」
この惨劇は研究員の目の前で行われたようだ。それが知れただけで、胸が苦しくなるし、涙が止まらない。
「ロケット団が、わたしの目の前で、ラプラスを・・・研究所で飼っていたポケモンを・・・・いきなり引き裂いて・・・ぐっ、ううう」
目の前で自分のポケモンを惨殺される苦しみというのは如何程のものだろうか。
サトシ自身、眼前で自分の愛すべきポケモンを失った苦しみは理解できる。
だが、その命を弄ばれる経験まではしていない。切り裂かれ、串刺しにされ、抉られ、ばら撒かれる。
想像するだけで吐き気がするものを無理やり見せられ、聞かされたこの男は何を思い、考えたのだろうか。
今まではロケット団がどのような悪行を繰り返しているのか、という情報については、自分の体験とテレビ越しのものしかなかった。
ゆえに、甘く見ていた。偶然、自分だけが酷い目にあったのではないかと。テレビでやっている情報は誇張表現で、どこか遠い場所でのお話だと。
それらは、すべて真実で、むしろ誇張どころか抑えて伝えられていたのだと。
同時に、サトシの中を怨恨の炎が沸き上がる。
わかっている。実力不足な事は。それでも、もはや自分の枠の中の問題では無い。
許してはいけないのだ。例え相手が誰であっても。悪は駆逐されるべきなのだ。
「僕、先に進みますね。」
跪いて赤くなったズボンを気にせず、ゆっくりと立ち上がる。くちゃ、と音がして、それがもともと生き物の中にあったものだと考えるとものすごく違和感を覚えた。
血液の鉄臭い臭いが充満している室内だったが、サトシは覆っていた鼻を解放し、ぐっと我慢して空気を吸い込む。
咳き込むほどに強い死の香り。研究員はすでに麻痺しているのだろう、先ほどから口鼻を覆ってはいない。
サトシはぐっと気を引き締め、室内を見渡す。
瑞々しい赤に染まった室内と、苦しみと悲しみに包まれたポケモンだったモノ。
到底長時間直視できるものではない。まともな神経を持ったものならば数秒とて意識を失う程の空間。
されど、意識を絶つわけにはいかない。
この光景をしっかりと焼き付けておかなければならないのだ。
奥歯にヒビが入るのでは、と思える力で噛みしめ、手のひらに爪が食い込み傷がつくことも厭わずに強く拳を作る。
目に、鼻に、脳に、肌に、焼き付ける。
それがサトシにできる唯一の供養。
先ほどのサトシの言葉に、研究員は反応しない。
俯いたまま、えぐ、えぐ、と嗚咽を零している。
ちらりと研究員に視線を移し、そして部屋の隅にあるワープゲートを確認する。
そこにはあまり血が飛散していなかったのと、薄くついた血痕の上に足跡が残っていたことですぐにわかった。
そして同時に、一部のロケット団員はすでにワープゲートのことに気づいていることもわかった。
バラバラになった身体の一部を横目見ながら、ピチャピチャと足音を立てて進む。
ピカチュウの顔を見ることはしなかったが、続く音が聴こえるのでついてきてはいるようだ。
そして立ち止まることなく、赤い部屋を後にした。
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ゲートを抜けると、清潔な匂いに思わず空気を大きく吸い込む。
そして、ダンスを踊ったかのように乱雑についた血の足跡が嫌でも目に付き、そしてその足跡の持ち主もすぐに発見できた。
「ぎゃははははは!!ああーたのしいたのしい!!ぎゃはははははははは!!」
こいつだ。疑いようも無い。黒であるはずの服装が真っ赤に変わり、手も足も顔も自分のものではない血液がしたたり落ちている。
サトシを憤怒の炎が襲い掛かる。
「過去あんなにたのしかったのははじめてだーー!!!こう、サクっと、ぴゅーっと!うはははは!!!ぎゃははは!!!」
「黙れ!!!糞野郎!!!!」
サトシの方を見向きもしなかった男がピタリと止まり、首だけサトシの方を向く。
その眼は大きく見開き、血走っている。口は左右に限界まで突っ張って笑っている。
顔中にべっとりとついた血で臭いも相当するハズだが、それすら楽しんでいるように、男は気にすることなく満面の笑みを浮かべている。
「ああ?誰だよお前。って、そこにいるってことはあの部屋を見てきたんだろう?そうか、そうだよな。靴も服も赤いもんな。くくく、くっく、うふはは」
ニタニタと嫌な目つきでサトシを舐めるように眺めてくる。
だが、サトシとて気圧されるわけにはいかない。先ほどからピカチュウの手が肩を押さえているが、知ったことではない。
ぎゅっと歯を食いしばり、ふざけた顔をしている男を睨み返す。
「ぐふははは、そうかそうか、それでどうだったよ?たのしんでくれたか?俺の芸術作品をよ?ん?すばらしいだろ?いやあ残念だ、制作中を是非見せたかったなァ。あんなにたのしいことがこの世に存在するなんてしらなかったァ。たっくさんナイフを持っててよかったよ。おかげでたくさんたのしめた。あがはは、ポケモンって刺すとあんなに血が出るんだな。ぴゅーっと。ぴゅーっと。家畜の分際でいっちょまえに鳴き声まであげちゃって。おまえにもきかせたかった。あの研究員みたいになァ。」
ドッドッと心臓が鳴り響く。
こいつを生かしておいてはいけない。
こいつは殺さなければならない。
こいつは人ではない。だから殺してもいい。
うん、そうだよね。人じゃない、化け物だ。死ぬべきなんだ。
さつじんはだめだけどばけものだかららら、たいじょじょぶぶ。
そして、サトシが細い糸一本で維持していた感情の渦が、音を立てて切れ落ちる。
みなさま応援ありがとうございます。
評価してくださるとまじでいろいろと反映されるっぽいのでよろしくお願いします。
もっといろんな人に読んでほしいですとも。