「私がシルフカンパニー社長だ。」
「はぁ。」
「ピカ」
サトシの前にはグレーのスーツに身を包んだ恰幅の良い小柄の男性が座っていた。
頭の上部分は禿げ上がり、小さ目の丸メガネをかけている。申し訳ないが社長という肩書に対して見た目がかなり負けている。
最も世の中の社長というものはこういう人間が大半なのかもしれない。なにせサトシ自身は社長という存在に遭遇したのはこれが初めてなのだ。悪の組織のボスとは先ほどまで話していたが、あれはもう別の存在だろう。
なぜサトシがシルフカンパニー社長と正面切って話しているかというと、疲れ果てて帰ろうとしているサトシを社長の横で微動だにせず立っている秘書がサトシを社長室へ招いたからである。
「君がこのビルにわざわざ侵入してきた子供かね?」
そしてそんなことを言い出すものだからサトシもげんなりしてしまう。
もうなんというか、一刻も早くベッドに倒れ込みたいのだ。もはや自分で考える範疇を越えているため、一度眠りたい。寝ている間の自分に記憶の整理を任せたい。
娯楽でも趣味でもなんでもない、ただの作業としての殺意を向けられることがこんなにも疲弊するとは思わなかった。
それにむごたらしく惨殺されたポケモン。
見事に「思い出したくないけど忘れてはいけない記憶」ランキングの上位に食い込む出来事だ。いい思い出で満たされて欲しいものだが、実際は凄惨なものだらけだ。
とはいえ、サトシが侵入したことで破壊されてしまった施設もあるかもしれないし、実際に部屋の棚を(ピカチュウが)破壊してしまった。
多少の罪悪感はあるので逃げることなく応じたのが現状というわけだ。
「・・・はい。どうせなら意図的に侵入したかったところですけれど。」
「ふむ?そう、そこのところを詳しく聴きたいのだ。何故黙っていれば撤退するロケット団がいるシルフカンパニーに乗り込んできたのか。少なくともヤマブキの住人は皆知っているハズだが。」
「ええと―――」
言っていいのか悪いのか。
サトシの横にちょこんと体育座りしているピカチュウが封鎖されている玄関ドアを破壊して飛び込んでいったからしょうがなくついてきたなどと。
それに、ドーピングのことについてどれだけ知っているのかもある。
まあこれについてはサカキと直接話している時点で問題無いとは思う。
しかし問題はさしたる意味も無くこのビルに侵入してしまったことで―――
サトシが頭の中でしどろもどろしていると、見かねた社長が声を掛けてきた。
「何をそんなに考えているのかわからんが、言いづらいことなら別に強制はせんよ。それなら先に私の要件を伝えるとしよう。」
黒い革張りの高級そうなイスに体重を掛けて、社長がサトシの顔を見る。
「まず、感謝を述べよう。ありがとう少年。君が騒ぎを起こさなければ、私とシルフカンパニーはもっと長い間身動きが取れなかっただろう。」
サトシは驚いた顔をする。何かしらの叱責があることは覚悟していたが、反対に感謝されるとは微塵も思っていなかった。それでも疲れた表情は拭えなかったが感情の変化は感じ取ってくれたようだ。
「うむうむ、素直でよろしい。ついでに君の心配しそうなことを先に答えておこう。」
無言のサトシに構うことなく、社長は言葉を続ける。今のサトシにとってはありがたい。ただしゃべりたいだけなのかもしれないが。
「まず、君がこのビルで行った行動については、どんなものであったとしても追及するつもりは無い。」
「え?」
思わず声を上げるサトシ。だが、そんなサトシは気にもせず、次々と話を続ける社長。問答無用な部分もあるが、相手の状態を見てどう会話すべきかわかっているのだろうか。
いちいち問答するよりも一度にまとめて伝えた方がよいと判断したらしい。
「そして、そのポケモン。薬品で強化されているね。あの男が気にかけているようだったしね。君のような子供が裏の世界に飛び込んでいるとは信じたくは無いが、稀にそういうこともあるからね。」
一つ一つ、確実にサトシの疑問、疑念を潰していく。見た目は確かに五十代ほどに見える肩書き負けする男性だが、中身はやはり常人では無いようだ。
思考速度も発想力もサトシの比では無いほど高等だ。サカキと対等に話せる時点で推して知るべしか。
そうでもなければ世界一とも称される開発会社「シルフカンパニー」の社長とはなれないだろう。
「そしてロケット団を憎むも、知りすぎているが故に生かされている、と。あの男も酷なことをする。ともあれこれで引っかかっているものは答えられたかね?」
そういって肩をすくめておどけたポーズをとる。その見た目も相まってひどくユーモアがあり、滑稽にも見えたが、その姿勢にサトシも若干だが会話の余裕が生まれた。
「―――そうですね。さすが社長ってところですか。」
「ははは、そんな大層なものでもないさ。」
疲れ果ててはいたが、なんとか表情だけでも笑顔を作ると、サトシは事の顛末をざっくり話し始めた。
社長は ふむふむ、ほほう、なるほどなるほど と多種多様な頷きをいれつつ、興味深そうに聴いていた。
石像のように微動だにしなかった秘書の女性も、ラプラスのくだりになると少しだけ眉をひそめたように見えた。
そして、あまり他言しない方がよさそうなサカキとの会話内容だけ伏せ―――もう知っているとは思うが―――サトシは話を終えた。
少しだけ無言の空間となる。カチカチと時計の針の音だけが無性に大きく聞こえ、シルフカンパニー全体で響き続けるゴウンゴウンという機械の音も社長室には届かないようだった。
心配そうに社長を見るサトシを他所に、社長はなるほどなるほどと一人で頷きながら何かを考えている。
そして、十秒程で顔をあげた。
「少年、君の素性も今後の方向性も私はわからん。だが年相応でないことをしようとしているのはわかる。あの男と関わっておるしな。」
サトシは頷きもせず、かといって首を振ることもせず社長の言葉をじっくりと聴く。
「だから、私は今回の件の感謝だけ伝えよう。それ以上、私ができることは無いだろう。」
そう言うと、社長は よっこいしょ とイスから立ち上がり、トコトコとサトシの元へ歩いてくる。
立つとその小柄さがさらに際立つ。さほど背の高い方ではないサトシよりも身長は低い。社長は見た目では無いということだ。
勿論、見た目も相応の方が効果が高いことは否めないが。
サトシの正面に立った社長は、ずいっとサトシの方へ腕を伸ばしてきた。その手には凹凸のある特徴的な紫色のモンスターボールが握られている。
「これは?」
「マスターボールと言う。シルフカンパニーで現在開発中の試作品だ。通常のポケモンであれば必ず捕まえることができるという超素晴らしい代物だよ。」
「必ず捕まえられる!?そんなモンスターボールが・・・」
「うむ。ただし、強化されたポケモンは確実とはいかんがね。」
「ドーピングされたポケモン―――って野生にはいないのでは?」
「発想が乏しいな少年。ポケモンは『逃がす』ことができるし、野生のポケモンが勝手にドーピングアイテムを摂取することだって考えられる。ボールを使わずに、物理的に捕獲することだってできるんだぞ。」
「あ―――なるほど」
「そういうこともあり、まあ可能性は無いと思いたいがもしそういったポケモンと遭遇してしまった場合、通常のボールでは捕獲はほぼできないし、マスターボールをもってしても限界まで弱体化させないと難しいだろう。まあ、普通に使うことだね。」
サトシは社長からマスターボールを受け取る。
必ず捕まえることができるモンスターボール。
通常のポケモンに使うにしても、もったいなくて使える気がしない。
(ものすごくレアなポケモンが出たら使おうかな)
そう考え、社長にお礼を言う。
いやいや、それはお互い様だよ と遠慮謙遜。これが大人の遣り取りなのか、面倒なんだなと少し思ったサトシだった。
ピカチュウ活躍なし