シルフカンパニーの壊れた玄関ドアをくぐると、すでに日は落ちていた。
まだ日が高い時に散策していたハズだが、随分長いことビルの中にいたらしい。
ここ数時間で起きたとは思えないほど密度のある時間であったことは間違いないが、それでも体感以上の時間を過ごしていたようだ。
緊張感とは時間を短くも長くも感じさせるものなんだなと思った。
ともあれ、サトシは体力的にも精神的にも非常に疲れていた。日が落ちたとはいっても発展したヤマブキシティのビルを縫うように存在する道路には等間隔で眩く輝く電灯が設置されており、夜の静けさを感じることは無い。
しかしそれは夜の静けさを失う愚行でもある。
夜になればしっかりと暗いマサラタウンで育ったサトシにとって、ヤマブキシティの眠らない街の様相は疲労した身体に堪えるものとなっていた。
ピカチュウは疲れている様子はなかったが、とくに悪戯することなくトロトロと歩くサトシの後ろについてきている。
さすがに大きい胴体は街中では目立っていたが、街中は先ほどまでいたロケット団の話で持ち切りだったため、近くを通り過ぎる時に少しだけ驚かせるにとどまった。
当然、騒ぎになっては困るのでなるべく注意するつもりではあったが、身体も頭も疲れ切ったサトシにとって、ピカチュウの起こすちょっとした悪戯など二の次で良いという判断すらしており、一刻も早く休息を取りたいという感情しか存在しなかった。
若干の注目を浴びながらポケモンセンターの自動ドアをくぐり、いつも変わらぬニコニコ笑顔の女性を素通りし、そのまま宿泊施設へと歩いて行き、ベッドに倒れ込んだ。
思えば危険な事をしているものだ。
ただでさえ目立つピカチュウをそのまま連れまわして歩くなどと。裏のトレーナーがいないとも限らないのだ。まあ粗末な変装である程度回避できていること自体が信じ難い現象ではあるのだが。
本来ならば昼前からずっと飲まず食わずで過ごしてきたサトシとピカチュウだったが、サトシはもとよりピカチュウも大人しくベッドに横たわっている。
・・・サトシに背を向けていて見ることができないピカチュウの顔がモグモグという音を立てながら微かに動いているのはきっと気のせいなのだろう。
ピカチュウだってセンチメンタルになることくらいあるに違いない。きっとそうだ。
安いパンの包み紙がくしゃくしゃと音を立て、すぐにコトンと空っぽのゴミ箱に落ちる音がした。
そしてその音を最後に、特になにも考えることなくサトシは眠りの世界に落ち込んで行った。
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窓から差し込む光を感じ、サトシは目を開いた。
ひどく頭が痛い。ズキズキと痛む右側頭部を手で押さえながらベッドから身体を起こす。
時計を見ると短針はすでに真上を指していた。
「・・・さすがに寝すぎたかな。」
そして反射的に昨日の出来事を想い出し、頭の中を巡る。半ば強制的に見せられる過去の映像はやけにリアルで、鮮明にサトシの脳裏に焼き付いていた。
「うぷっ!」
突如襲い掛かる強い吐き気。
疲れのとれていない身体を無理やり動かし、トイレへ駆けこむ。
胃の中身を吐き出す。そういえば昨日の朝食から何も食べていない。出てくるのは胃液が大半だ。
サトシの頭にフラッシュバックしているのは血の惨劇。そして命の危機。
慣れるハズも無い。あれは殺意そのものが混流した空間だった。
一晩寝ればなんとかなる、なんて雑で迷信じみた方法で解決する限界をついに超えてしまったようだ。
口の中に気持ち悪く残った液体をペッと便器の中へ吐き捨て、口を拭う。
「・・・くそっ」
頭から消えない。いや、消してはいけないのだがそれでも気分を切り替えることができないでいる。
今までにも凄惨な現場に居合わせたことは何度かあるが、今回のものは別格だったらしい。
よく考えてみると十代の少年が人やらポケモンやらが殺害される現場に何度も居合わせているという事実自体がおかしいわけだが、もはや今更だ。
トイレから出て、洗面台の蛇口から水を出し、直接頭を濡らす。冷たい水が無理やり思考を元に戻してくれる。
原始的なやり方だが、文明がいくら発達しても変わらないやりかたもあるということだ。考えた昔の人に感謝。
「ふう・・・すっきりした。少しだけだけど。」
立ち止まってはいられない。
自分の目的は、こういった惨劇を無くすことも含まれているのだ。すでに後には引けない状況まできている。
おそらくだが、ここで逃げたところでサカキが自分を脅かすだろう。
昨日見逃されたのはそういう意味だ。生かされている、ということ。
いけない、と思っていてもすぐに思考がネガティブになってしまう。
頭痛もしてくるし、こういう時はおいしいごはんを食べるに限る。
お金は無いので安くて美味しいお店を探そう。
「えっと、ピカ・・チュウ?」
ふと見渡してみると黄色いでっかいのがいない。いつものことではあるが、こういう時に居ないと若干ではあるが寂しさも感じる。
あんなのでも近くに居てほしいと思うこともあるのだなと新たな発見をしたサトシ。
まあそう遠くには行ってないだろうと考え、荷物をまとめて部屋を後にした。
ポケモンセンターのロビーまで出ると、そこに見慣れた体躯の生き物がいた。
そして何やら十人ほどの人だかりができ、軽く盛り上がっている。
ポケモンセンターで盛り上がる出来事なんてあるだろうか?もしやピカチュウの正体がバレた・・・?
一抹の不安を覚えたが、ドーピングだの裏だのなんだのという物騒な単語は聞こえてこない。
むしろもっとやれとかいけいけとかやっちまえとかそういう健全な盛り上がり方をしている。
悪い事、という感じはしない。
「ちょ、ちょっとすみません。」
サトシは人と人の間に顔を突っ込み、その中心の様子を見た。
「ぐおおおおおおおおおああああああ!!!!!まぁけてたまるかああがががががあああああ!!!!」
「ピッピカ」
「・・・何やってんの?」
そこには、筋肉隆々な肉体を白い武道着で包んだ暑苦しくむさ苦しい男と黄色い巨体が腕相撲をしていた。